👪16〕─1─アドラー心理学。~No.87 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 「過去が『今』を決めるのではなく、あなたの『いま』が過去を決めているのです」
 「『あの人』の期待を満たす為に生きてはいけない。」
 「他人は貴方の期待を満たす為に生きているのではない」
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 日本の気候風土には、フロイトユングなどの心理学よりもアドラー心理学がしっくりとくる。
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 日本人は社会脳が優位な為に、猟奇的なサイコパスよりも自己嫌悪の対人恐怖症・視線恐怖症赤面恐怖症など「鬱」症状が多い。
 猟奇殺人を起こすサイコパスは、自己肯定の西洋や中華に多い。
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 カミュ「人生の意味を見出そうとする人は生きているとは言えない。人生は意味がないからこそ生きるに値する」
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 2016年3月18日号 週刊ポスト「『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』
 『アドラー心理学』の秘密
 自由とは他者から嫌われること
 足りないのは能力ではなく勇気
 全ての悩みは対人関係
 精神分析学の巨人・フロイトと訣別した心理学者の言葉が
 なぜ100年の時を経て心を打つのか
 これまであまり馴染みのなかった『アドラー心理学』に関心が集まっている。『嫌われる勇気自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社刊)が大ヒットしたことを契機に、書店では特設コーナーが組まれたり、企業や教育現場でもアドラーに関するセミナーが開催されたりする大盛況ぶりだ。……
 目的を考えれば解決策が見つかる
 ……
 アドラー心理学オーストリア出身の神経科医、アルフレッド・アドラーが20世紀初頭に創設した心理学だ。アドラーは欧米では精神分析の創設者・フロイトユングとともに『3大巨頭』と並び称される。人生やビジネスにおける成功哲学を説いた『人を動かす』(創元社)で知られるデール・カーネギーも、アドラーの思想に色濃く影響を受けたという。
 『嫌われる勇気』の共著者の一人で、日本アドラー心理学会顧問の岸見一郎氏はこう話す。
 『心理学という名前がついていますが、アドラーの教えは「どうすれば幸福になれるか」といったテーマを扱うにで、むしろ〝哲学〟に近いというます』
 アドラーの教えは、人間の生き方を根本的に見直すものだという。以下、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の中に記された、その代表的な概念の紹介とともに見ていこう。
 『原因』ではなく『目的』を考える
 アドラー心理学において最も重要な考え方が『目的論』である。ユングフロイトは『原因論』を唱えたが、それと対極の意味合いを持つのが特徴だ。
 『原因論』が『感情や行動は過去の原因から生み出される』と考えるのに対し、『目的論』は『すべての感情や行動は目的を達成するために生み出される』とする。
 前出・岸見氏は、『アドラーはどんな行動にも「目的」があると考えている』と語る。ここでは『怒り』を例に考えてみよう。
 感情表現である『怒り』は一見、コントロールできない衝動のように思える。しかし、
 『人間は〝ついカッと〟なって怒るのではなく、〝大声を出して相手を支配しようとする〟といった具合に、何か目的があって怒りという感情を生み出すと、アドラーは考えます』(岸見氏)
 このアドラーの提唱する目的論をとると、問題解決の糸口が見えてくる。
 『アドラーに学ぶ職場コミュニケーションの心理学』(日経BP社)の著者で組織人事コンサルタントの小倉広氏が、職場での具体的な相談事例を基に解説する。
 『叱った後の部下が職場でしょんぼりとした顔をしていると、上司はつい〝あの時言い過ぎたかな〟などと「原因」を探して疲れてしまいます。しかし叱ってしまったことは変えられないので、「原因は何か」を考えても何も生みださない。そうではく、部下が暗い顔をしている「目的」に目を向けましょう。本当に心から反省しているのか、単に上司への当てつけのために〝しょんぼりアピール〟をしているのか。それを判断し、前者なら別の場所で気にかけてあげて、後者なら受け流してしまえばいい。そうすれば、必要以上に悩むことはなくなります』
 アドラー心理学を活用した片付けを提唱する、ホームオーガナイザーの丸山郁美氏もこう話す。 
 『部屋をなかなか片付けられない人は「部屋に物が多い」、「自分の性格がだらしないから」と原因を探してしまい、悪循環に陥る。そういう時にそ「なぜ部屋を片付けたいのか」という目的を考えてみてください。「綺麗な部屋で夫や子供を喜ばせたい」という目的を意識すれば、イライラが減り、その目的に合わせてどう掃除をして収納するかまでイメージできるのです』
 〝トラウマ〟など存在しない
 そうなると、過去に心に負った傷(トラウマ)が現在の不幸を引き起こしているとしたフロイトの論理は、アドラー心理学では否定される。もちろん『目的論』に立つからだ。ちなみに、アドラーフロイトが主宰した国際精神分析学会のメンバーだったが、そういった意見の対立から袂を分かってしまったという。
 『人間関係が楽になるアドラーの教え』(大和書房刊)などの著書があり、アドラー心理学を利用したカウンセリングを行なうヒューマンギルド代表の岩井俊憲氏が語る。
 『カウンセリングに来る人の大半は、失敗の「原因」探しで疲れ切っている。そうではなく、経験を未来の目的に役立たせるにはどうすれば良いかを考える方が、よほど建設的なのです』
 『嫌われる』ことを恐れるな
 人間の悩みはすべて対人関係の悩みである
 『あらゆる悩みは人間関係の悩みである』とアドラーは説く。これは、アドラー心理学において、『目的論』と並んで重要な概念がある。人とかかわれば、必ず摩擦が起きるからだ。
 しかし、対人関係を離れて孤独でいては幸せになれない、というのも間違いないだろう。
 このことを説明するうえでは『劣等感』が欠かせない。
 例えばあなたが、自分の身長が低くて悩んでいたとしよう。このような悩みを持つ人は、身長が低いことそれ自体を問題にしているというより『身長が低くてモテない』という対人関係の悩みを持っていると考えるのだ。
 身長が低いということは、人として欠けていたり、劣っていたりする『劣等性』を客観的に示すものではない。あくまで主観的な『劣等感』にすぎない。つまり、背が低いことをモテない理由にして、対人関係を避けている、とアドラー心理学では考えるのである。
 ちなみに、劣等感という言葉を、現在使用されている意味で初めて用いたのはアドラーである。
 他人のすべきことと自分のすべきことを分ける
 では、この対人関係の悩みから解放されるにはどうすればいいのか。キーワードになるのが、アドラー心理学の考え方、『課題の分離』である。
 前出・岸見氏が語る。
 『他人が自分をどう思うかは他人の課題であって、自分ではどうすることもできないと心得よ、という考え方です。それが分かれば他人の評価に悩まず、気にしてもどうにもならないと、心を余計な重圧から解放することができるのです』
 アドラー心理学のカウンセリングでは、相談者が変わるか変わらないかは相談者本人の課題であり、それを踏まえてカウンセラーは協力する。
 『あくまでも相談者が自分の課題に取り組めるよう、援助をするのです。今までとは違う問題解決法を共に考え、試してみる。いくつかの方法を試していけば多くの場合、恐れていたことは起きないと気付きます』(岸見氏)
 アドラー心理学を医療現場で実践しているのが、糖質制限の権威で、『心を変えれば健康になれる!アドラー心理学で病気もよくなる』(東洋経済新報社刊)を昨年上梓(じょうし)した高雄病院理事長の江部康二氏だ。
 『私は30代の頃までは患者がよくならないと自分の腕が未熟だと悩んでいました。しかし、糖尿病の治療に関して医者としてできることをして、糖質制限の重要性も伝える。これらは私の課題ですが、そこから先、食事や運動で自己管理できるかどうかは患者の課題なのです。
 私自身は知人の紹介で「嫌われる勇気」を読んで彼の考え方にとても共感できました。アドラーは英国の諺でもある〝馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない〟と課題の分離を例示していますが、患者と医師、看護婦の関係に置き換えれば、我が意を得たりです』
 叱ってはいけない
 褒めてもいけない
 こうした概念から、アドラー心理学では人間の『承認欲求』を否定している。親や上司に認めてもらいたいと頑張ることは、他人のすべきことを、ひいては他人の人生を生きることにつながる。これは失敗した場合、『親が望んだから』『上司がいったから』と責任転嫁や言い訳の元になってしまう。
 また同様に、上司が部下に対して『えらい』『よくやった』と褒め言葉を発することも否定される。前出の小倉氏が説明する。
 『褒める、叱るはどちらも上から目線で対等な関係では起こらない。褒めると部下は依存を強めて、褒められるというご褒美がなければ動かなくなる。この場面では「君のおかげでチームが助かったよ」と感謝を伝えることが効果的なのです』
 つまり、アドラー心理学は人間関係を『タテ』から『ヨコ』にシフトし、上司や部下に限らず、親子でさえも対等な関係を築いていくことを推奨するのだ。
 すなわち、我々は『他者の期待を満たすために生きているのではない』。そして同時に、他者もまた、『あなたの期待を満たすために生きているのではない』という考えである。
 『自分がすべて責任を取らなければならないという意味では非常に厳しい考えです。アドラー心理学がある意味で〝劇薬〟といわれる所以です』(石見氏)
 自由とは他者に嫌われること
 他者との課題を分離し、対等な立場で、『人は人、自分は自分』と考える──繰り返すが、アドラー心理学では『あらゆる悩みは対人関係から発する』と説く。他者からの評価に悩む人は多いが、他者が自分をどう見るかは、たとえ嫌われるとしてもどうすることもできない。そう考えることが出発点となる。人からの評価にとらわれないという意味で、自由に生きて良いのだ。
 前出の岸見氏が語る。
 『『嫌われる勇気』という本のタイトルが一人歩きしている感がありますが、ただ、決して「進んで人に嫌われなさい」といっているわけではありません。「人に嫌われることを恐れてはいけない」という意味なのです』
 足りないのは能力ではなく勇気
 前述したことを踏まえれば、アドラー心理学は『勇気の心理学』だといえる。
 もしあなたが現在不幸だと感じるのならば、それは過去や周囲の環境のせいではない。まして自分に能力が足りないからでもない。単に『勇気』が足りないとする考え方だ。嫌われることを恐れず、勇気を持って前に進めるかどうかが重要なのである。
 『自分の人生』を後押しされる
 アドラー心理学の考え方はこれにとどまらない。人生や幸福、本当の自立と本当の愛とは何かについて、深く論じている。
 フロイトユングと並び称されながら、なぜ今になって、アドラー心理学は日本で脚光を浴びたのか。
 前出・岸見氏が説明する。
 『いかに生きるかという哲学は科学的ではないという批判もあり、日本国内の大学でほとんど教えられてこなかった。
 それが今の日本で多くの人に支持されたのは、誰かの期待を満たすために生きるのではない、「自分が自分の人生を生きなければ誰が自分の人生を生きるのか」というアドラーの思想に共感した人が少なかったからでしょう。自分の考えが間違いでなく、勇気を持って自らの人生を生きる勇気を後押しされた気がすることが、支持された主な理由ではないかと考えています』
 精神科医和田秀樹氏はこう指摘する。
 『フロイトのように原因を探す治療法よりも、アドラーのように物の見方を変えた方が鬱になりにくいので、アドラー心理学を取り入れた認知療法が精神医学の分野でも盛んになっています。いい大学を出ていい企業に就職すれば安泰という時代ではなくなった現代社会では、挫折したり、途中で失敗しても、別のやり方で目的に辿り着ければいいという考え方は受け入れやすいのでしょう』
 和を重んじる日本人はとかく対人関係での悩みを持ちやすい。新たな一歩を踏み出したい人には、アドラー心理学は人生を変える処方箋になりそうだ」
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 岸見一郎「もちろん、東日本大震災や大津波などは、自分では選ぶ事のできない大きな衝撃です。悲しくないはずがない。アドラー第一次大戦に医師として従軍し、今でいうPTSDについても知っていました。しかしそれでも、人は前を向いて生きていかねばなりません。フロイト等の心理学では、そういったトラウマや心の病などを治療して、マイナスからゼロの地点に持って行く事を重視するのに対して、アドラー心理学では、ゼロの先にあるものを追求しようとするところに違いがあります」
 「前作にも書きましたが、私たちのすべての悩みは、対人関係から生じてきます。しかし、鳥が空を飛ぶのに空気抵抗が必要不可欠なように、生きる喜び、幸せを感じる為には、その対人関係が必要です。そこに入っていく勇気を、本書を呼んで皆さんにもって欲しいと思います」(『幸せになる勇気』)
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 6月16日号 週刊新潮「ビジネス書捕物帖 田中大輔
 『幸せになる勇気』 岸見一郎、古賀史健
 ベストセラーの〝続編〟とあなどることなかれ
 アドラー旋風を巻き起こし、発行部数が100万部を超えた『嫌われる勇気』の続編、『幸せになる勇気』が売れている。『嫌われる勇気』とともに、ビジネス書ランキングの上位を独占していたので、いまさら紹介するような本ではないかもしれない。しかしこの本はベストセラーの続編ということで、過小評価されている気がしてならないのだ。前作に比べても遜色ない本なので、ぜひ多くの人に読んで欲しい。
 『嫌われる勇気』では『人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである』という考え方を学ぶことができる。
 『幸せになる勇気』では、人間にとっての過去というものは、『いまのわたし』を正当化するためにあるものだということを学ぶことができる。また伊坂孝太郎の小説『PK』(講談社)にも出てくる『臆病は伝染する。そして勇気も伝染する』という刺激的な話も出てくる。『嫌われる勇気』がアドラーの入門書だとしたら、『幸せになる勇気』は発展編とでも言えばいいだろうか。アドラーの教えをより深く知るためのは必読の本である。」
 『幸せになる勇気』では、青年が読者の声を代弁してくれる。青年はアドラーの教えに限界を感じ、それを捨て去ろうとするのだ。そして理想論のように聞こえる哲人の言葉の数々を聞き、もがき苦しむ。アドラー心理学は誤解が容易で、理解が難しい思想である。だから青年は哲人を詐欺師呼ばわりし、罵詈雑言を浴びせかけるのだ。しかし哲人は折れることなく青年を諭していく。
 尊敬、自立、競争と協力、信用と信頼、といった様々な議論をしたのち、最後に哲人は愛について語り出す。この本が特に素晴らしいと思うのはここだ。『愛するということはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である』と哲人は青年に語りかける。『幸せになる勇気』は愛の物語なのだ。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』(鈴木晶訳、紀伊国屋書店)にも劣らない、愛についての名著だと思う。愛こそが幸せの源である。愛し、自立し、人生を選ぶこと。それが幸せになる勇気の真髄である」
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 人は、生まれ持って定められない宿命がある。
 人は、生きる上で幾つかある選択肢の中から自分自身で選んだ道を進むという、苛酷な運命を背負わされている。
 宿命は変えられないが、運命は如何様にでも変えられる。
 命には、長い短いの違いがあるが寿命がある。
 寿命が尽きない限り、人は生き続ける。
 人生とは、不条理である。
 自然とは、理不尽である。
 不条理であろうが、理不尽であろうが、人は寿命があるうちは生きなければならない。
 生きて死ぬ事が、宿命である。
 命を寿命の間つなげる事が、運命である。
 生きる事が与えられた宿命ならば、どんな形であっても生き残れば、選択した如何なる手段も成功であって失敗はない。
 選択を間違って死ねば、運がなかったと言うしかない。
 死んだも者は、敗北者でもないし、失敗者でもない、それが寿命であり、宿命であったというしかない。
 運良く生き残った者は、苛酷な自然災害多発地帯に共に生きる者として、運悪く死んだ者を懇ろに弔う責任があった。
 自然災害多発地帯で重要なのは、いつ牙を向いて襲いかかってくるか分からない気まぐれな自然と暴れる自然を組み伏せ屈服させ無力化できない非力な人・自分との、相互補完共生のちょうど良い距離関係である。
 そこには、宿命としての原罪はないし、運命としての悪や邪や不正もない。
 あるのは、生きる事に対する感謝のみである。
 もしあるとしても、自分が選択した事に対する後悔であって、自分が選んだ事ではない事柄に対する悔い改めではない。
 自然災害多発地帯での、問題は自分であって他人ではなく、責任と義務も自分であって他人ではない。
 重要なのは。自然災害を目の前に為て、自分が一人で立って、自分一人で行動を起こして生きるという事である。
 自然災害後に生きるには、自分一人ではできない為に、他人の手を借り、仲間と一致協力しなければならない。
 山崩れや洪水の後、目の前に数え切れないほどに転がっている巨岩や折り重なって倒れている巨木を取り除く事は、自分一人ではできない。
 奇跡が起きて一瞬にして消えてなくなるわけでもないし、奇特な人が現れて取り除いてくれわけでもない。
 隣りに立つ人と協力して、一つ一つ片づけるしかなかった。
 自然と人の丁度よい距離を保つことが、自然災害多発地帯で生きる智恵であった。
 自然は宿命であり、自然災害は運命である。
 宿命を受け入れて、運命を切り開く為に前に進むしかない。
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