関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
アナーキー(無政府状態)な極東アジア世界での、孤独な日本のサバイバル(生き残り)
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縄文人は、南方系海洋民の子孫である。
弥生人は、南方・揚子江系海洋民と草原の民の混血児であった。
縄文の竪穴式住居に弥生の高床式住宅が入り込み、2系統は併存し、お互いの利点を融合させて日本家屋へと発展していった。
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ゲーテ「死して甦れ! これ、ついに会得せざれば、汝は悲しく解し難き地上の 悄然たる孤客なるを知れ 」
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北畠親房「世の中のおとろふと申は、日月の光のかわるにもあらず、草木の色のあらたまるにもあらじ。人の心のあしくなり行を末世とはいへるにや」
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気の弱い日本は、覚悟して死を直視し、耐え忍ぶ事を知る、成熟した温和しい堅実な数人の老人をムラ長とした。
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山本七平「日本人はユーラシア大陸から少し離れた箱庭の様な別荘で何の苦労もなく育ったぼんぼん」
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司馬遼太郎は、文明とは技術と知識が交易で人為的に蓄積されたもので、ヒト、モノ、カネの行き来が活発化される事で変貌していく、と語った。
文化は、地域的な自然風土という限定された範囲で生活する人の思考・趣向で習慣化された営みの中から生まれた。
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多民族・多文化・多宗教・多風習・多言語・多文字による相互補完共生の複雑系ムラ共同体。
祭祀を司る大王・天皇を中心とした一つの国、ヤマト。
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山田孝雄「我が国は神が生みたもうた国であるという事は、作られた国でないという事を示している」(『国體の本義』)
日本は、大和盆地に住む小豪族のムラ社会共同体から自然発生的に誕生した軟弱な国であり、大陸の様に軍事力で異人種・異民族を征服して人工的に建国した強硬な国家ではない。
ムラ長数人による合議制で、ムラ社会国家日本は運営されていた。
これが、日本型古代民主主義であった。
天皇制度は、ムラ長らによる話し合いの談合の中から生まれた。
天皇制度と日本民族とは、不可分の関係にある。
それ故に、民族共同体を保つ為に国生み神話を必要とした。
それが、天孫族大王家を中心とした日本民族中心神話である。
天皇の祭祀は、限定的で、日本民族のみにしか通じない非合理的な神懸かりの呪いである。
神話を一つに統一して編纂したのは、流血を伴う悲惨な内紛や内戦を防ごうとした島国人の叡智である。
統一神話を持たない中国や朝鮮は、他者を完全排除する完全なる個の自由で個の利益を追求する、個の為に際限もなく殺し合う生き地獄となっていた。
中華文明とは、殺し合いの恐怖文明であり、殺戮の戦争文化であり、謀略と陰謀と策謀が美徳とされた。
日本には、異人種・異民族を外国人として峻別し差別し迫害するという強い意志はなく、敵意を持たない相手に対して仲間として無条件で受け入れていた。
古代の日本は、周辺地域から異民族の難民を無条件で受け入れていた移民大国であった。
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日本とは、古代から現代にかけても、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)が支配する国である。
日本民族日本人とは、自分の祖先を神として祀る、人類史上珍しい民族である。
日本民族日本人は、祖先の神の象徴として祀り上げたのが、日本人天皇の祖先の神である。
日本は、天皇の祖先神が霊的に支配する国である。
祭祀王・天皇は、その霊魂・大御心・御稜威で日本を支配している。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)と日本国家と日本民族日本人は、切っても切れない、決して切り離せない不離の関係にある。
天皇の霊的支配を否定し廃止する時、祖先を神として祀る民族的土着信仰は消滅し、日本国家は崩壊し、日本民族は死滅する。
先祖が守り伝えた、魂、霊、心、志、絆、日本的精神すべてが消滅する。
祖先が生みだした、品位、品格、品性、日本的人格すべてが消滅する。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)が、日本生まれではなく、朝鮮出身あるいは中国生まれとされた時、日本独自の祖先神信仰は消滅する。そして、日本民族日本人も死滅する。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)は、日本生まれの、日本人である。けっして、朝鮮・韓国人ではないし、中国人でもない。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)の血筋を日本民族日本人で独占し、朝鮮・韓国人や中国人に乗っ取られない為に、天皇の祖先が非日本人であるという渡来人説を完全否定するべきである。
渡来人説を支持する日本人は、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)の血筋に非日本人の血を混入させようとしている日本人である。
日本民族日本人は、朝鮮・韓国人を祖先の神とは認めないし、中国人を祖先の神として祀りはしない。
日本民族日本人は、祖先の神のまぎれもなき子孫である。
祖先の神とは、日本人であり、朝鮮・韓国人でもなく、中国人でもない。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)だけが神の子孫ではなく、日本民族日本人全員が祖先の神の子孫である。
日本民族日本人と神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)は、民族中心宗教を通じて一体である。
よって、日本民族日本人は神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)の支配を当然の如く受け入れてきた。
先進国の中で、地球上で、祖先を純粋な形で神として祀る国は日本だけである。
祖先を神として祀る宗教を国教とする国家は、日本以外には存在しない。
つまり、祖先神信仰という日本的価値観を理解し共有してくれる国は、地球上には存在しない。
日本は、古代においても現代においても、アジアはおろか世界においても、理解される事のない孤独な国家である。
日本文明は、世界文明からすれば常軌を逸した異常な独り善がりの孤立文明である。
日本文明の類似文明は、 地球上には存在しない。
当然。隣の、大陸文明である中華文明と似ているところはまったくない。
日本は、世界の常識が通用しない国である。
日本の常識は、世界では非常識である。
日本民族日本人は、心の内や文明の信条を誠心誠意で話した所で理解される事はない。
国際世論は、理解に苦しむ神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)の存在を毛嫌いして批判する。
普遍宗教は、神の子孫を僭称する神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)を悪魔教徒の王と告発し、絶対神の御名によって祖先を神として祀る民族中心宗教を悪魔教として滅ぼすべきであると弾劾した。
絶対神による唯一の価値観を神聖不可侵とする一神教宗教は、祖先を神として祀る多種多様な相対的価値観を良しとする多神教宗教を、けっして認めない。
反宗教無神論の日本人は、この事実を知った上で、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)を人民の生き血をすする極悪人であると否定し、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)制度を人民を搾取する害悪として廃止すべきであると訴えている。
反宗教無神論の日本人は、科学万能主義から、情緒を重んずる日本的なモノ全てに一切価値を認めず、不完全であやふやでいい加減な心や絆を完全否定している。
反宗教無神論者は、氏神神社を否定し、家の神棚を捨てた。
そして、個人の「信教の自由」から、身近の宗教行事を完全排除する為に宗教裁判を起こしている。
反天皇派日本人は、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)の祖先霊を否定し、祖先の神を信仰する民族中心宗教を完全否定する。
祖先を神として祀る情緒的な昔の日本人と、祖先を神と認めない科学的な現代日本人は、全く異質な日本人である。
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司馬遼太郎「古神道というのは、真水のようにすっきりとして平明である」
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出雲系弥生人は東日本へ移住するにつれ、南方系海洋民・縄文人の生活圏を浸食し始めた。
異文化の弥生人と縄文人は、生活の場をめぐって対立し戦ったが、徐々に平和的に雑居し雑婚して混血化し同化した。
日本風土は、異化のまま区別して棲み分けするのではなく、異質の者を融合し中和し同化して消し去る。
縄文人は、弥生人を受け入れた。
縄文人と弥生人とは別人種ではなく、同じ倭人に変わりはない。
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南方系海洋民の血が流れる縄文人は、寛容な民族として、半島経由の南方系海洋民と大陸系草原民の混血児・弥生人や北方系山林民などを排除する事なく受け入れていた。
彼らが雑居し雑婚して生まれたのが、混血児・倭人である。
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日本の山岳信仰は、母胎信仰である。
山を母胎と見立てて。気力が萎え生気が弱まり今に死にそうな生気を取り戻す為に、緑と水と空気の霊気が満ちている山に入り、自然豊かな山を巡る事で新たな生命力を得て再び生き返る。
自然崇拝という古代神道とは、非日常として、ありのままの素の自分と自然とのつながりである。
突き詰めれば、日本人は自然がなければ生きていけないという「生きて死ぬ、死んで生きる」という「蘇りの思想」である。
そこにあるのは観念的な理屈や合理的な理論ではなく、目の前に存在する自然だけである。
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馬は、大陸の生き物である。
旧石器時代後半頃あるいは縄文時代から弥生時代初期に、原種エクウスを含む背の低い馬(蒙古馬)が、朝鮮半島を経て日本列島に運び込まれた。
日本に於いて馬は、軍馬としてではなく、農耕用・荷駄用・宗教儀式用に利用されていた。
宗教儀式用として、馬は故人の精霊を死後の世界に運ぶ聖な動物として崇められたがゆえに、馬が血で穢される事を忌み嫌って戦場では使わなかった。
また、「白馬」とは、王者・権力者・指導者が乗馬する権威付けの道具ではなく、宗教的に混じりけのない白さは邪気を払い皇室と国を守る「正気」を吐く神聖な生き物として大事にし、神社に奉納して大事に飼育した。
ゆえに、日本民族は農耕漁労民族であって騎馬遊牧民族ではない。
第59代宇多天皇は、宮中行事として「白馬節会(あおうまのせちえ)」を催し、青みを帯びた黒毛馬を使用した。
青黒色の馬も神聖な生き物として珍重した。
第60代醍醐天皇の御代から、白馬が宮中行事に使われた。
日本の馬事文化における白馬は、邪気を払い清涼をもたらすという安寧信仰と関係が深いと言われている。
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*東アジアの戦乱の元凶。
中国の歴史とは、北人の黄河文明と南人の長江文明と周辺の遊牧諸民族である夷狄文化との三つ巴による中華統一戦争であった。
真の中国人とされる漢人の帝国は、漢、宋、明の三王朝のみである。あとは、異民族が侵略し大虐殺の後に樹立した征服王朝であった。
国内外の戦争は絶えず行われ、殺し合いのない年はなく、王朝の交代の大乱では中国の全人口が半減もしくは3分の1まで激減した。
自然災害も絶える事がなく、救済活動が積極的にされない為にどの災害でも数百万人が犠牲となり、生計を失い飢餓に苦しむ数百万人の被災民は流民化し、中には生きる為に匪賊となった。
戦災や災害から被災民を助けたのが、宗教集団や武芸及び政治的な各種秘密結社であった。
支配者は、救済活動が反乱につながるとして、人道的活動を行う宗教及び政治的秘密結社に感謝し称賛を与えず、容赦なく弾圧し虐殺した。
食うに困った貧困階級の民衆は、傲慢にして、贅沢三昧の生活をしている支配者に不満を爆発させて反乱を起こした。
中国は、言葉遊びとしての観念的道徳はあっても、実生活での理想的人道はなく、病的にして偏狂的人間不信から戦争が絶えなかった。
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中華思想(正統派儒教)の中国は、4000年の昔から中国を上位とする上下関係(華夷秩序)を大原則とし、高度文明の中国が世界の中心であると確信していた。
秩序をもたらす「仁」と「礼」と「道徳」を重んずる中国人は、同時に自分こそ世界一優秀であるという自尊心から格式・面子を第一にこだわっていた。
中国社会には、人を殺して物を盗んでもいいという「個の制限されない完全な自由」(盗人にも三分の理)はあっても、自分を制限する様な平等・公平を基調とする人道思想は古代から伝統的に存在しない。
超現実の合理主義を信奉する中国人にとって、優秀な自分一人に利益をもたらさない人間は礼儀を知らぬ者として人と認めず、「利用」できない日本人やアメリカ人、イギリス人、ユダヤ人ら外国人の人権を認めない所か生きる資格もないと断じていた。
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平和で満ち足りた社会では、偉大な政治家や哲学者や思想家は生まれないし、聖人的宗教家も必要としない。当然、軍略家も存在しない。
だが、中国は、孔子や老子を輩出し、孫子や韓非子を必要とした。
なぜか、釈迦やキリストやマホメットなどの、世界的な聖人的宗教家は中国から生まれなかった。
中国の宗教は、個人的な神話に基づいた土俗信仰のみで、体系化された自己犠牲的な普遍宗教は存在しない。
ある意味、正統派儒教価値観の極東アジアは、神の「愛」や仏の「慈悲」を必要としない、個人欲を最大限に追求する「人」中心の無宗教無神論世界といってもいい。
ゆえに、中国には凶悪犯罪や戦争が絶えない。
強姦と略奪そして殺戮が、中国文明の源流である。
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日本が、他民族に優越するという日本中心の民族神話を否定し、民族固有の歴史的価値観を捨てた時、一時的には欧米流の普遍的価値観を受け入れてアメリカ化するが、地理的条件から中華文明の一員として中国化する。
日本の中国化は、中国に憧れる日本人が存在する限り、日本の歴史的宿命である。
日本人が、異文化のキリスト教価値観でアメリカ化する事はまず有りえない。
アメリカ化を信じて公言するリベラル派日本人は、本質が見えない開きめくらであり、歴史が理解できない者である。彼等が読む史書とは、架空に近い時代劇であって、真実の歴史書ではない。そもそも、彼等は歴史そのものが嫌いな日本人である。
現代日本では、大陸的な「『個』の、誰にも束縛されない『完全な自由』」という歯止めなき無分別な凶悪事件が多発している。それこそ、中国化の兆候である。
なぜなら、宗教的万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)とは、絶対権力と神聖不可侵の権威を持つ排他的一君独裁体制というアジア(正統派儒教)型普遍的価値観を否定する、集団に協調・補完共生をもたらす相対的社会機構であったからである。
つまり、絶対的上下関係を強要する異種の中国文明から、民族が共有する言語、文化、宗教、価値観、家族制度、社会制度、生活習慣などと言った日本文明を守る為の、民族的叡智であった。
歴史的事実として、2000年にわたって生きてきた孤独な日本文明は、正反対の異種である華夷秩序の中国文明(中国、韓国・北朝鮮)を否定し、対立して来た。それが、2700年以上続いてきた万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)の本義である。
何時いかなる時代においても、日本と中国・朝鮮とは友好関係にあった試しはない。
弱小国・列島は、軍事大国・大陸とその属国・半島の連合軍と2000年の長きにわたって戦争を繰り返していた。
資源のない日本の戦いは、攻撃的であれ、防戦的であれ、全てが自衛戦争であった。
故に、日本民族日本人(日本国籍取得者)は、日本文明の「国體」である宗教的万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)を、自己犠牲的に命を賭けて守ろうとしたのである。
日本国家は、何時の時代でも孤立無援であったが、決して絶望もしなかったし、おろおろとして醜態もさらさなかった。孤独であるがゆえに、むしろ毅然として行動していた。
現代の日本人とは、その覚悟と行動力は雲泥の差がある。
日本が平和であった時代とは、東アジアの中国や朝鮮と国交を遮断していた時である。両国は、日本にとってけっして油断できない、憎悪すべき仇敵であった。
日本は、味方してくれる国や民族がいなかった為に、民族を中心とした独自の独善的な神話・物語が不可欠であった。
この孤独感が、日本人を排他的民族にしている。
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