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2022年10月11日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「恵まれている日本男性が「不幸に見える」根本原因 日本の男性たちが置かれた状況は大きく変化した
杉田 俊介
© 東洋経済オンライン 男性は女性より有利な立場にあるはずが、なぜ幸福に見えないのでしょうか(写真:Ystudio /PIXTA)
エリート会社員や起業家など華々しい男性にスポットライトが当たる一方で、特別な才能がなくお金持ちでもない中高年男性にとって、参考になる生き方のモデルは多くない。「弱さ」を抱えた男性の生き方を論じた杉田俊介氏の著書『男がつらい! - 資本主義社会の「弱者男性」論』から一部抜粋してお届けしします。
日本の男女格差はどの程度か?
少し引いた視点からみて、統計データなども参照して、そもそも日本の男女格差はどの程度のものなのかを見てみよう。そこから、日本の男性たちが置かれた状況を考えてみたい。
日本人が知らない「夫婦の年齢差」意外すぎる実態
世界経済フォーラムによる「ジェンダーギャップ指数報告書」(2021年版)によると、日本は世界156か国中120位。内閣府男女共同参画局の広報誌『共同参画』2021年5月号にも書かれているように、これは「先進国の中で最低レベル、アジア諸国の中で韓国や中国、ASEAN諸国より低い結果」である。
また同報告書ではジェンダー格差指数を「経済」「政治」「教育」「健康」という4つの分野に分けて示しているが、ざっくり確認すると、日本は女性の政治参加(国会議員の男女比、閣僚の男女比など)が156か国中147位で非常に悪い。女性の公平な経済参加の機会もかなり低い値であり、順位は156か国中117位である。
教育分野は92位である。これも高いとは言えない。数値を見ると、日本の女性は初等教育の在学率、識字率は1位である。しかし高等教育の在学率は110位と、それに比べて(全体の平均値を上回っているものの)低い数値になる。ちなみに、先進国には「女性の方が大学進学率が低い」という国はほとんどなく、二年制の短大が多いことも日本に特有の問題のようだ。
総じて日本は、健康面や義務教育の男女平等という面では優れている。しかし女性の政治参加、雇用機会や労働環境の面では非常に大きなギャップがあり、また高等教育(大学など)についても差別がある。そうした評価になりそうだ。
たとえば「女性の社会進出が進んだ」と漠然と考えられているかもしれないが、言うまでもなく女性の就職先は非正規雇用が多く、依然として女性の非正規比率は男性の2倍以上である(男性の賃金は平均して女性の約1.5倍。管理職ポストの9割は男性。国会議員の9割前後が男性、など)。
また日本はシングルマザーの貧困率が異様なほど高いことも知られている。日本ほどシングルマザーが就労している国は少ないのに、適切な公的支援が不足しているために、働けば働くほど貧乏になっていく。そんないびつな仕組みがあるのだ。のみならずシングルマザーたちは、生活保護バッシングと関連したレッテルを貼られている。実際の生活保護受給者は、病気の高齢者や重度障害者などが主であるにもかかわらずだ。
つまり、日本の場合、女性の労働参加率は高いものの、非正規雇用の高さが示すように、性別役割分業という不平等が根深くある。
経済協力開発機構(OECD)の調査では、世界中で女性は男性の1.9倍の育児・家事などの無償労働を行っているが、日本ではこの格差が5.5倍にもなり、先進国の中では最大である。「経済・労働市場での男女格差と、家庭での男女格差は表裏一体なのだ」(山口慎太郎「家庭内の男女格差が大きい日本 男性を家庭に返そう」)。
2016年の総務省の調査によると、有配偶男女の一週全体の平均家事関連時間は男性が49分、女性は4時間55分で家事の95%を妻が行っている(「平成28年社会生活基本調査結果」総務省統計局)。
数値的には、男性も60代になると家事時間が増えていくが、これは退職によって家にいる時間が長くなる、あるいは妻が死去して自分でやるしかない、といったケースが増えるためだと思われる。いずれにせよ、内閣府「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」(2020年度版)によれば、日本の高齢男性の「家事を担っている」割合は26.6%であり、調査対象4か国(日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデン)の中で最下位である(他3か国の高齢男性の「家事を担っている」割合は7割以上)。
有利な立場にあるのに男性たちはなぜ不幸なのか
以上を踏まえた上でもう一度考えてみたい。「男性は女性に対して有利な立場にある」「男女格差が大きい」のは数値的に見ても疑いないのだが、にもかかわらず、これもしばしばいわれるように、日本の男性たちがあまり幸福そうではないのは、なぜだろうか。
NHKクローズアップ現代「男はつらいよ2014 1000人〝心の声〟」が話題になったことがある。番組内で紹介されたのは「いま幸せだと感じている男性が3割に満たない」というデータである。日本の男性の幸福度は女性と比較すると全体的に低い。
あわせて、内閣府男女共同参画局『男女共同参画白書』(2014年版)の「特集 変わりゆく男性の仕事と暮らし」も注目された。この特集では、2001年の発行以来、初めて男性問題が取り上げられることになった。
その中で、「現在幸せである」と感じている男女を就業状態別に見ると、(「正規雇用者」以外の)すべてにおいて女性が男性を上回っている。
男女とも、最も幸福度が高いのは「学生」であり、最も低いのは「失業者」だ。「学生」の次に幸福度が高いのは、男性は「自営業主・家族従業者」「正規雇用者」「退職者」の順になる。一方、女性は「退職者」「主婦」「自営業主・家族従業者」の順である。
「非正規雇用者」の幸福度は、男女ともに平均を下回る。ただし女性の場合──これが大きなポイントなのだが──、「正規雇用者」も「非正規雇用者」とほぼ同水準の低さになっている。
仕事に左右される日本人の幸福度
まとめると、男性は全体として幸せと感じている割合が女性より低い。ただし正規雇用者に限れば女性よりも男性のほうが幸せと感じている割合が高くなる。
女性は、主婦や退職者(あるいは自営業主・家族従事者)などの場合、幸せと感じる割合が高い。しかしくりかえすが、特徴的なのは、正規雇用で働いている女性の幸福度が著しく低いことだ。これは男性の場合に正規雇用者の幸福度が上がるのと完全に対照的である。
女性正規雇用者の幸福度が低いというのは、日本の雇用環境が女性にとっていかに働きにくいか、幸福からほど遠いかを示すものだろう。また日本人の幸福度が、きわめて強く仕事(正規雇用)に左右されることも示している。
逆にいうと、退職したり、正規雇用の座から滑り落ちると、男性たちは不幸になるリスクが高い、ということだ。素朴で当たり前なようだが、あらためてなぜそれが「素朴」で「当たり前」に感じられてしまうのかを、きちんと見つめ直しておく必要がある。
それと同時に、家庭内での男女の意識の差も際立っている。ここでもざっくりと述べるならば、戦後日本の男性たちのあるべき働き方や生き方は、日本型の雇用システム(終身雇用、年功序列、企業内福祉など)のもと、1つの会社に帰属して、生活の多くを捧げて働き、給与所得によって家族(妻、子ども)を養っていくものとされてきた。
日本では1980年代に、他の先進諸国よりも強力な「男性稼ぎ主中心型」の生活保障システムが完成したと言われる(大沢真理『現代日本の生活保障システム──座標とゆくえ』岩波書店、2007年)。
確かにこのシステムは雇用と生活の長期安定をもたらしたのだろう。しかしそれらの安定は、長時間労働、転勤・転属のリスク、無限定な職務内容の重荷、などと引き換えのものだった。
男性正社員を守るためのバッファだったパート労働者
しかもこのシステムにおいては、「夫は仕事+妻は家庭で主婦あるいはパート労働」という性別役割分業(妻による家事・育児・介護などのサポート)が大前提とされる。1985年に男女雇用機会均等法が制定され、女性差別撤廃条約を批准したにもかかわらず、である。
そこでは「男性会社員+専業(パート)主婦+子ども」という家族像が理想的なモデルとされた。そして個人の所得・生活保障を(国家による公的保障よりも)「会社」+「家族」によって支えてきた面がある(たとえばシングル世帯、共働き世帯は、税制・社会保障制度の面で不利)。
このシステムが一般化したのは、じつは、戦後の特定の時期のことにすぎない。それは決して普遍的でも当たり前でもなかった。
戦後の日本は、景気変動や経済危機などのリスクを、非正規のパートタイム労働者へと構造的に押し付けることで乗りきってきた。パート労働者/主婦層が、裏面からいえば、男性正社員たちを守るためのバッファ(緩衝材)になってきたのだ(たとえば、ヘルパー事業所などの介護報酬はパート主婦を前提としており、介護労働者の低賃金問題につながっている)。
しかし、1990年代以降になると、雇用・労働・経済構造が大きく変化し(ポスト工業化社会)、戦後日本的な「男」のライフスタイルは不安定なもの、不確かなものになってしまった。
先進諸国では規制緩和が進み、非正規雇用者の数が国際的に増大した。また労働のあり方が「女性化」(サービス労働化、ケア労働化)した。逆にいえば、男性たちにもさまざまな対人サービスやケアワーク的な能力が求められるようになった。
他にも市場のグローバル化による人材配置・活用の柔軟化が進んで、製品の生産過程が細分化し、事業・業務のアウトソーシングが積極的に行われた。多様化する顧客ニーズに対応するために営業・業務時間が拡大した一方、さらなるコスト削減のため、仕事量の変化に応じて労働者の数を調整する必要性も生じた。
男性の生き方モデル(規範)が崩れるが…
これに応じて、家庭生活のあり方も不安定になった。未婚化・晩婚化・非婚化などと呼ばれる現象である。
当然のことながら、男性による家事・育児・介護の分担がより積極的に求められるようになった。1999年には当時の厚生省が「育児をしない男を、父とは呼ばない。」と宣言し、後には「イクメン」などの造語も生まれた。
このように、生き方のモデル(規範)が崩れていく中で、男性たちは仕事・家庭のバランスや組み合わせをあらためて自己決定しなければならず、その結果を自己責任として引き受けねばならなくなった。
しかし、社会構造や経済状況は大きく変わったのに、「男性稼ぎ手モデル型」的な「男らしさ」とは別の働き方・生き方のモデルがまだうまく見いだされていない。
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