🗾3〕─1─現代日本の歴史は死んだ歴史である。〜No.8No.9No.10 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 生きた歴史とは、祖先が信じ、受け継ぎ、伝えた歴史である。
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 死んだ歴史とは、祖先が信じた歴史を認めず否定し、祖先から受け継がず、子孫に伝えず、自分の代で消し去る歴史である。
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 約2000年間。日本民族日本人は、民族中心神話と天孫降臨神話に基づく神代からの歴史を正しい歴史と信じてきた。
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 1946年のキリスト教価値観の原罪史観とマルクス主義価値観の階級闘争史観による教育改革、1980年代から始まった日本人極悪非道の重犯罪史観と反宗教無神論による教育から宗教排除によって、日本の歴史は死んだ歴史となった。
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 死んだ歴史で高得点を取ったのが、高学歴出身知的エリートである。
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 小林秀雄「『英国史』は第三流の史書である。何故かといふと其処には天才の刻印がないからだ。ここで言う天才とは、『神皇正統記』に明らかな様な歴史家の天才の意味だ。又それは、北畠親房にあつては、過去を正確に描いて未来を創り出した大歴史家としての条件が稀有な完璧を示しているという意味だ」(『モオロアの「英国史」について』 昭和15年)
 「僕は、日本人の書いた歴史のうちで、『神皇正統記』が一番立派な歴史だと思っています。親房といふ人は、非情な熱血漢であった。……親房は、書中、心の鏡を磨く必要を繰り返し言つてをります。悟性を磨く事ではない、心性を磨く事です。そして『心性明らかなれば、慈悲決断は其中に有り』と言つています。いかにもさういふものでありませう。この親房の信じた根本の史観は、今もなほ動かぬ、動いてはならぬ。その上を、どんなに移ろひ易い様々史観が移ろひ行かうとも。その動かぬ処にこそ、歴史の伝承といふものの秘儀があるのであつて、これは歴史変化の理論の与り知らぬところなのであります。」(『歴史と文学』 昭和16年)
「もう一つ、考古学的歴史観もよくない。これも歴史と称しながら、歴史にちっとも触れていないのです。たとえば、本当は神武天皇なんていなかった、あれは嘘だという歴史観。それが何ですか、嘘だっていいじゃないか。嘘だというのは、今の人の歴史だ。新井白石がこのごろ評判がいいのは、〈本当はこうだった〉という歴史をやったからです。しかし、歴史とは、みんなが信じたものです。昔の人が信じたとおりに信じたものです。昔の人が信じたとおりに信じることができなければ、昔の人が経験したとおりに経験することができなければ、歴史なんて読まないほうがいい。これは本居宣長の説です。宣長さんは、『古事記』の神話をすべて、あのとおりだと信じた。あれが神話時代の歴史であったのです。それが信じられなかったら、神話なんか読む必要がない」(『学生との対話』)
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☳27〕─1─朝鮮戦争に協力させられた日本人船員約2,000人中57人が戦死した。~No.92No.93No.94No.95No.96No.97 

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 朝鮮戦争における日本人戦死者は靖国神社の祭神にはなれない。
 憲法九条違反と集団的自衛権
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 李承晩は、アメリカに対して、日本人が上陸すれば韓国は北朝鮮に味方して日本と戦うと脅した。
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 アメリカは、日本人が朝鮮戦争に参加している事を隠した。
 日本も、日本人を国連軍に派遣して朝鮮戦争に参加している事は憲法が否定している集団的自衛権に当たる為に秘密にした。
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 日本の朝鮮戦争参加と韓国のベトナム戦争参戦とは違う。
 日本にとって、朝鮮戦争は公であった。
 韓国にとって、ベトナム戦争は私であった。
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 国連決議・国連憲章及び国際法に基ずく国家間条約・協定・合意は、日本国憲法よりも上位にあって、日本の国益よりも優先され、日本国民は戦争参加を拒否できなかった。
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 現代の韓国が存在し韓国人が生きていられるのは、日本の御蔭である。
 そして、現代韓国の経済やインフラ整備は日本の御陰である。
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 日本政府は、マッカーサーの命令を受けて掃海部隊を派遣したが、朝鮮戦争への参戦は日本国憲法及び海上保安庁法に違反したが、超法規的処置として派遣であった。
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 日本経済は、朝鮮特需を戦後復興の原動力としたが、その対価として日本人を戦死させるという対価を払った。
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 日本政府は集団的自衛権として朝鮮戦争の国連軍に日本人を派遣した。
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 日本は、韓国を北朝鮮軍や中国共産党軍の侵略から守るべく、日本国憲法第9条より国連決議に従って朝鮮戦争に参加し、戦死者を出した。
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 靖国神社とは、明治天皇の命令で「天皇の名で戦死した人及び動物を顕彰する」目的で建立された神社である。
 よって、靖国神社に祀られるのは「天皇の命令」で犠牲になった人や動物だけである。
 祀られる人は、日本人だけではなく朝鮮人や台湾人も、男性だけではなく女性も子供も同等に祀られ、大将だろうが一兵卒だろうが軍属だろうが階級・階層・身分・出自・国籍に関係なく対等に祀られる。
 靖国神社には、如何なる差別もなく、生前の個人の宗教・哲学・思想・主義主張も関係ない。
 朝鮮戦争の戦死者は、日本政府の命令で派遣された憲法違反者で、作業中に死んだ犠牲者の為に、靖国神社とは無関係で祀られる事はない。
 天皇は祭祀王として、天皇の命で犠牲になった全ての人と動物に対して頭を垂れて祈る。
 国内外の反天皇反日派は、天皇靖国神社を参拝する事に猛反対している。
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 ジェームス・アワー(在日米海軍司令部政治顧問後に米国防総省日本課長)
 『よみがえる日本海軍(上)』「1950年10月2日から12月12日までの間に、四六隻の日本掃海艇、大型試航船(水圧機雷掃海用)および1,200の旧海軍軍人は元山、群山、仁川、海城、鎮南浦の各掃海に従事して、327キロメートルの水道と607平方マイル以上の泊地を掃海した。」
 「バーク提督は、アメリカ海軍が相当の障害を排除しうる掃海部隊を持つていないこと、とくに北朝鮮海域に進入すれば複雑なソビエト製感応機雷に遭遇する可能性について、よく知つていた。この感応機雷を処理できる、高い練度を持つ大きな掃海部隊がたつた一つあつた。それは海上保安庁の掃海部隊で、日本内地の沿岸航路や瀬戸内海の掃海作業に当時なお従事していた。元山上陸作戦実施がはつきりと決定されたあとで、バークは大久保長官を極東アメリカ海軍部隊司令部作戦室に呼んで、アメリカ軍の元山上陸作戦の必要性を説明し、同海域にソビエト製機雷が敷設されているかもしれない点について、彼が懸念しているところを大久保に伝えた。」
 「バークは大久保に対して日本の掃海艇を対馬海峡地域に集合させて、元山沖の掃海を援助し仁川の敷設機雷の後始末を支援するよう要請した。大久保は、この要請を受け入れる決定は海上保安庁長官としては余りにも重大すぎるので、決定を下してもらうために吉田首相に会つて話を伝えることにしよう、と答えた。」
 「掃海作業は戦闘であり、海上保安庁法の第25条には、海上保安庁は非軍事的部隊である、と明記されてあつた。旧日本海軍軍人に対して、アメリカ軍の支援作戦に彼らの生命を賭けさせることは、きわめて説明困難であつた。日本は当時なお占領下にあり、総司令部の支配下にあつた。吉田首相は大久保海上保安庁長官に対して、同庁の掃海艇をアメリカ海軍の希望どおりに派遣するよう伝えた。
 当時、海上保安庁航路啓開本部長であつた田村久三元大佐は、1950年10月2日、彼が指揮官となつて朝鮮派遣掃海部隊を編成した。隊員の中には朝鮮行きをためらう者もあつたけれども、給与を二倍にすると約束され、田村、バークおよび三田--当時警備救難監--から強い激励の言葉を与えられたのちには、朝鮮行きをどうしても嫌だという者はいなかつた。1950年10月6日、極東アメリカ海軍部隊司令官ジョイ中将は運輸省に対して、連合軍最高司令官の公式承認書を送り、極東アメリカ海軍部隊司令官の命令どおりに掃海艇20隻を集合させるよう命じ、掃海艇には朝鮮海域にあるときはただ国際信号旗のE旗だけを掲げるよう指示し、また(隊員たちには)2倍の給与を支給するよう命じた。」
 「2隻の掃海艇が沈没11隻は元山沖で掃海中触雷、他の一隻は群山で座礁し、掃海艇が触雷沈没する際に日本水兵1人が死亡し、8人が負傷した。
 大久保海上保安庁長官は、日本掃海艇が朝鮮海域にある間はほとんど毎日のように、吉田首相に、同海域の掃海について簡単に報告した。日本政府は戦死者や戦傷者に対する補償についての立法措置を講じていなかつたので、吉田首相と大久保長官は日本掃海隊員に死傷者が生じた場合のことを心配していた。大久保はこの件についてバークに話していた。そして日本掃海隊員が戦死したとき総司令部公安局の者がその戦死者の家庭を弔問し、その父親に補償金を支払つた。」
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 海上保安庁所属の旧日本海軍掃海部隊1,200名は、朝鮮半島海域の機雷掃海の為に参戦した。
 『海上保安庁三十年史』
 「掃海艇二十隻、巡視船四隻及び試航船一隻……四個の掃海隊を編成し……第七艦隊司令官の命令に従つて行動」した。
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 『占領軍調達史』(昭和31年発行)「朝鮮作戦向け兵器弾薬等軍需品その他の積載、輸送、警備、附帯事務等の兵站補給作業に従事したものも相当数にのぼつたと推定される。一方朝鮮海域において勤務する船員や特殊港湾荷役等に従事する者に対しては、勤務の特殊性、危険性にてらして、SPA(特別調達庁-引用者注)は連合国軍関係船員給与規程の外に新たに連合国関係特殊港湾荷役者等給与規程を制定し、昭和25年7月2日以降従来の給与のほかに特別の手当を支給した。」
 日本人戦死者、戦傷者
 特殊港湾荷役者=業務上死亡11名、業務上疾病79名、その他21名、(うち死亡者2名をふくむ)。計101名。
 特殊船員=業務上死亡22名、業務上疾病20名、私傷死4名、私傷病280名。計254名。
 その他朝鮮海域等において特殊輸送業務に従事中死亡した者26名(港湾荷役4名、船員22名)。
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 日本赤十字社の戦争協力。国連軍医療部への従軍看護婦派遣。
 島津忠承社長は「25年からはじまつた朝鮮事変にたいして、日赤看護婦の派遣要求があつたので本社はこれに全面的に協力し、九州地方の各支部から第一次54人、第二次25人、第三次17人を交替派遣し、現在63人が国連軍病院に勤務いたしております」( 昭和26年9月26日、日赤第56回通常総会
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 日本人従軍労働者=軍属
 日本人労働者は、海上輸送だけでなく、陸上での兵器の整備、修理、通信関係業務のために、PD(調達)工場、LR(役務調達)工場からの出張という形で韓国に送られた。 日本人鉄道専門員は、朝鮮に渡つて戦争に協力した。
 『占領軍調達史』によれば、半年間にPD関係だけでも52名が戦死者した。
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 児島譲氏は、その著書『朝鮮戦争』(第三巻)で、仁川上陸作戦に際して沖仲仕だけで日本人船員3,936人が参加し、作戦の成功に貢献したと書いている。
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 朝日新聞は昭和27年11月13日付け記事で、政府が日米合同委員会を通じて、米国に対し米軍従軍日本人の戦死確認と見舞金の支払いを要求した旨報じた。
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 韓国駐日代表部は、日本国内の民団に通達して、米第八軍に志願し、朝霞の米軍キャンプに入隊するよう指示した。
 在日韓国人青年・学生725名は、国連軍に志願兵し、アメリ軍に編入されて、朝鮮半島の戦闘で61名が戦死した。
 日本政府は、永住者特権を持つ在日韓国人の参戦志願について、韓国人は日本に在住する外国人であり、日本とは無関係であるため、日本人のように日本国憲法に従う必要はないとの公式見解を示した。
 在日韓国人義勇兵の出国、参戦、再入国は不問として、朝鮮の戦場と日本国内への移動はアメリカ軍の許可があれば自由とされた。
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 日本国内は、日本国憲法を無視して、国連軍・アメリカ軍による朝鮮への出撃基地、破損兵器の修理工場、補給基地として使用された。
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 朝鮮戦争を起こしたのは、北朝鮮共産主義者である。
 北朝鮮軍に大量の武器弾薬を提供したのは、ソ連コミンテルンそして中国共産党である。
 戦争終結に猛反対したのは、中国共産党毛沢東ソ連スターリンである。
 共産主義は、天使のような平和主義ではなく邪悪な悪魔のような好戦主義者である。
 憎みべきは、共産主義である。
 軍国日本が戦った敵とは、そうした共産主義勢力であった。
 共産主義勢力は日本を軍国主義者と告発し、そして侵略した。
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🗻5〕─1・B─百舌鳥・古市古墳群の世界遺産決定。世界遺産委は1600年の歴史性を称賛した。〜No.17No.18No.19 

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 日本の天皇陵・古墳は、中国の皇帝陵やエジプトのピラミッドとは違う。
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 1600年以上にわたって貴重な民族遺産である天皇陵・古墳群の存続を保証してきたのは。天皇が持つ「菊の御威光」であった。
 天皇陵・古墳群を命を犠牲にしても守ってきたのは、地元住民と身分低く貧しい郷士達であった。
 天皇陵・古墳群は、現在も存在する天皇・皇族の祖先、男系の血筋・血統で繋がった直接な祖先の墓である。
 天皇陵・古墳群は、現在も存在する特殊な血筋・血統を引く特別な一家系の個人の墓である。
 天皇陵・古墳群を世界遺産に決定した事は、現在も継承されている天皇家・皇室の存在を正当に認めた事になる。
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 2019年5月14日 産経新聞「【世界遺産】都市部の歴史遺産、景観保全と世界への発信重要
「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産
 古市古墳群、(画像下から)誉田八幡宮応神天皇陵と仲姫命陵と允恭天皇陵=2017年6月30日、大阪府羽曳野市(本社ヘリから、宮沢宗士郎撮影)
 世界に例のない巨大前方後円墳が集中する百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が、世界文化遺産登録へ大きく前進した。天皇陵を中心に1600年前の姿を今に伝え、古代国家の形成過程を物語る古墳群は、人類共通の歴史遺産にふさわしい。ただ、両古墳群は大都市にあるがゆえの景観保全という課題を抱えている。また、宮内庁管理の天皇陵などは立ち入りができないことから、今後は公開のあり方を含め、世界に歴史的価値をいかに発信するかが問われる。
 5世紀を中心に約230基の古墳が築かれたとされる両古墳群だが、戦後復興や高度経済成長に伴う開発で多くの古墳が破壊され、今は89基に減少している。
 「世界遺産の墳墓群で、両古墳群ほど都市部にあるケースはない」(堺市担当者)という状況の中、地元の堺、羽曳野、藤井寺の3市は古墳周辺にバッファゾーン(緩衝地帯)を設定。建築物の高さ規制や景観規制などを強化してきた。しかし、それはあくまでも景観保護のスタートラインに立っただけだ。規制前に作られた既存建物の扱いや、都市開発と景観保護のバランスなどクリアすべき問題は山積している。
 一方、皇室の祖先をまつる天皇陵などは立ち入りが禁じられ、内部の詳細は明らかではない。発掘は墳丘保護を目的にした範囲にとどまり、被葬者を納めた石室などの調査は行われていないからだ。これに対し、研究者からは「世界遺産になれば海外の人も増え、立ち入り厳禁の現状を世界が理解してくれるかどうか」として、墳丘を囲む堤の一部の公開などを求める声もあがっている。
 景観を保ち、陵墓としての尊厳を守りながらどこまで情報公開が可能か。「都市の中で生き残った歴史遺産」を将来に伝えるためには、世界的な視点も含めた国民的議論が欠かせない。(小畑三秋)」
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 5月14日 産経WEST「【世界遺産】古代国家形成の象徴 巨大権力を国内外に誇示
 「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産
 仁徳天皇陵古墳(手前)など=大阪府堺市(本社ヘリから、宮沢宗士郎撮影)
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスが、世界文化遺産に「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を登録するよう勧告した。日本列島に国家はいつ誕生したのか。百舌鳥・古市古墳群は、その謎解きの大きな鍵を握る存在といえる。
 古代国家の成立は、国の法律である律令(りつりょう)が制定され、天皇中心の中央集権体制が築かれた7~8世紀の飛鳥時代というのが一般的。同古墳群ができた4~5世紀の古墳時代は、その前段階だ。大阪府立近(ちか)つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長によると、当時は大和(奈良県)や和泉・河内(大阪府)、吉備(岡山県)など各地の首長による連合政権だったという。
 一方、中国大陸では4世紀、北方遊牧騎馬民族が南へ勢力を伸ばして朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)に迫った。高句麗は半島南部の新羅(しらぎ)や百済(くだら)に侵攻。高句麗の南下を脅威に感じた大和政権は百済と同盟を結び、防衛力強化のため、百済から最先端の軍事力だった騎馬の技術を積極的に導入した。
 これにより、瀬戸内海を通じて大陸との外交を担っていた大阪湾に近い和泉・河内の勢力は、次第に政権の中枢を握るようになったとみられる。3~4世紀に大和を中心に築かれていた巨大古墳が、4世紀末から突然、大阪平野の和泉・河内の地に移ったのも、こうした力関係を示していると考えられる。
 「そのことを如実に物語るのが百舌鳥・古市古墳群の出現」と白石さん。国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)をはじめ全国の巨大古墳ベスト10に5基が入っている同古墳群は、海上からみることができる大阪湾近くに築くことで国内外に巨大権力を誇示していたとみられる。白石さんは「東アジアの大きな変化の荒波に巻き込まれることになったことを示す」と説く。
 武器、甲冑(かっちゅう)などの金属加工技術だけでなく、文字の使用も本格的に始まった。日本書紀などには、王仁(わに)博士が論語千字文(せんじもん)を伝えたと記す。白石さんは「倭国(日本)が東アジアの文明社会に加わったのがこの時代。古代の文明開化ともいえ、国家がどのように形成されたかを示す貴重な歴史遺産だ」と話している。
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 5月14日 00:23 産経新聞WEST「「百舌鳥・古市古墳群世界遺産へ 全49基、ユネスコに登録勧告
「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産
 政府は14日未明、国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスが、世界文化遺産に「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を登録するよう勧告したと明らかにした。6月30日から7月10日にアゼルバイジャンの首都、バクーで開かれるユネスコ世界遺産委員会の審査で、登録可否が決定される。登録勧告は尊重されるのが通例で、登録はほぼ確実となった。陵墓が世界遺産になるのは初めて。
 登録が正式に決まれば、国内の世界文化遺産は昨年の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県熊本県)に続き19件、自然遺産を含めた世界遺産は計23件となる。大阪府では初めて。
 百舌鳥・古市古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市藤井寺市)の計49基で構成。古墳時代最盛期の4世紀後半から5世紀後半、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、航路からの眺望を意識したとみられる。
 両エリアには墳丘の長さが486メートルもある国内最大の仁徳天皇陵古墳をはじめ、大規模な前方後円墳が集中。巨大古墳の周りを中小古墳が取り囲み、被葬者の権力や身分の階層を示している。
 帆立て貝形や方形など幾何学的にデザインされており、築造技術の高さを示す。多様な規模と形状を持つ墳墓群は世界でもまれで、墳墓によって権勢を誇示した歴史を物語る。
 平成29年7月に国の文化審議会が推薦候補に選定。文化審は「推薦内容の見直しを迫られる可能性もある」との厳しい見方を示していた。だが、遺産の価値の説明を分かりやすくするなど推薦書を練り上げた。
 仁徳天皇陵古墳などは世界最大級の墳墓だが、世界的な知名度は低い。住宅街にあるため見学者の受け入れ態勢が十分といえず、府の担当者は「来訪者が一時的に増えるのは確実だが、来年以降も来てもらえるかが課題だ」と話す。
 来夏の世界遺産委では、政府が自然遺産に推薦した「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島県、沖縄県)が審査される。
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2007年9月 大阪府など4自治体が「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録を文化庁に提案
  10年11月 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の暫定リストに記載
  17年7月 国の文化審議会が国内候補とすることを決定
  18年1月 政府が、19年登録に向けユネスコに推薦書を提出
     9月 ユネスコ諮問機関が現地調査
 19年5月13日 ユネスコ諮問機関が登録勧告
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 6月21日号 週刊朝日「ようこそ 古墳の世界へ
 『百舌鳥(もず)・古市古墳群』が6月末からの第43回世界遺産員会で世界文化遺産に登録される見通しである。
 そこで、いまだ謎が多い古墳とは何か、どこに何があったのかなど、じっくり掘り下げてみたい。
 取材・文=鮎川哲也(本誌)
 ムラのランドマークだった
 3世紀から7世紀末にかけて大王(天皇)や王(豪族)の墓として造られた古墳は、単なる墓ではなく、地域集団のシンボルでもあった。
 『古墳は大王や王(豪族)の墓で、人々をムチ打って墓づくりに動員したのではなく、王を奉じる人々が積極的に関わったと考えられます。いわば共同体のシンボルといえるでしょう』と明治大学准教授の若狭徹さん。
 とくに前方後円墳を造るには文化と政治の中心であったヤマト王権の承認が必要で、前方後円墳ヤマト王権のメンバーである証しだった。中央から進んだ文化がもたらされ、経済的にも恵まれることを意味した。
 『前方後円墳築造の承認を受け、ヤマト王権との関係の深さを示すことで、王は他地域の王より優位になれたのです』
 前方後円を造ることが許された王はムラの人々から敬意を払われ、死後丁重に埋葬された。
 『王は古墳づくりの共同作業によって地域を上手に統治し、ムラ人の事績を表す埴輪の並ぶ古墳を見て、地域の安定を約束されたと感じていたでしょう。古墳は、いわば〝みせる王権〟ともいう存在でした』

 古墳を守り飾る埴輪
 円筒や人物、動物などを象(かたど)り、古墳に並べられた埴輪。
 ユニークな造形やユーモラスな表情もあり、古墳を彩る造形物である。
 古墳時代にはさまざまなものが造られ、そのいくつかは現在も目にすることができる。なかでもユニークなものは埴輪で、古墳の周囲や墳丘に数多く立て並べられた。
 『円形の埴輪は、古墳を守る垣根のような存在で、魔除けの意味もあったと考えられます』(若狭さん)
 円筒埴輪や盾持ち人埴輪は威嚇し、人物・動植物埴輪群像は、王の事績を示し人々を安心させるものだった。さらに、異彩を放つ造形で、常に人に見られることを意識した『公の芸術品』でもあったといえるかもしれない。

 豪華で華やかな副葬品
 大王や王とともに埋葬された副葬品。貴重な銅、鉄製品、そして豪華なガラス類は埋葬者の権威の象徴でもあった。
 古墳の周囲に並べられ、見られることを意識した埴輪とは異なり、副葬品は大王や王とともに埋葬され、儀式に参加したり、埋葬をしたりした一部の者しか目にすることができなかった。
 銅鏡や、銅剣、甲冑などの武具をはじめ、金や銀の装飾品など、豪華で貴重なものも埋葬された。副葬品に豪華で貴重なものが多いのは、埋葬された王や支配者の地位や権威を表すものでもあったからである。
 ただし、大王や王で絶対服従的に地域集団を支配したのではないので、敬意を持たれていたともいえる。そして死後も生前のような生活が送れることを願ったのかもしれない。
 豪華で貴重な副葬品の数々は、大王や王が死後の世界も豊かに生活を送れるようにした証しでもある。」
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 前方後円墳には幾つもの意味がある。
 1,政治的に、大王(天皇)の権力・権威・軍事力を豪族や地方の王に見せつけ反乱や内乱を抑え込む。
 2,軍事的に、高句麗新羅、中国などの敵対国から訪日した使節団に日本の武威を見せて、日本侵略の意図を砕く。
 3,宗教的に、穢れである死を封じ込め、高貴な魂が怨霊となって暴れないように鎮めるため。
 4,地方の友好的な王や豪族に前方後円墳を造らせる為の見本。
 経済的に、ヤマト規格を日本統一規格とする。
 最新技術を全国に広めて、地方を中央のようにして豊かにしてヤマトに対する嫉妬心を薄める。
 7月7日 産経新聞世界遺産委、古墳群「希有な物証」 1600年の歴史性を称賛
 「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産決定
 世界遺産への登録が勧告された「百舌鳥・古市古墳群」。大山古墳(仁徳天皇陵、左奥)や履中天皇陵(手前)などが広がる百舌鳥エリア=5月14日午前9時52分、堺市(本社ヘリから、安元雄太撮影)
 「1600年にもわたり守られ、保存管理された素晴らしい遺産」-。アゼルバイジャンで開催されているユネスコ世界遺産委員会で、6日に「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)が審議された際、各国の委員からは歴史性などを高く評価する声が相次いだ。
 文化庁によると、世界遺産委の委員21カ国中、同古墳群の審査ではオーストラリアやクウェートなど6カ国が発言。「古墳の規模の大小と多様な形により古代の社会政治的な構造が示された世界的にも希有(けう)な物証」(ジンバブエなど)、「1600年にもわたり守られ、現在では市街地にありながらも、高いレベルの法的保護のもとに保存管理された素晴らしい物証」(チュニジアなど)-と、いずれも同遺産の社会的価値を評価する内容だった。
 地域住民の活動を称賛する意見もあり、スペインなどからは「開発圧力に対する住民運動によって保護された古墳が構成資産に含まれているなど、地域社会にも根ざした資産」といった意見も上がった。
 世界文化遺産への登録に反対する意見や修正を求める意見はなく、文化庁の担当者は「関係機関の努力もあり、古墳群の普遍的価値が世界に認められた」としている。
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 中国の皇帝陵・墳墓は権力・権威の誇示であった。
 人民を、ムチを振るい、わずかな食糧で奴隷的重労働を強い、怪我をし病気になれば治療を許さず殺した。
 完成後は、皇帝陵・墳墓の秘密を守る為に建設に関係した人民を全員殺し、生前に仕えた侍女全員を皇帝旅の中に閉じ込み手殉死させた。
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 前方後円墳とは、ヤマト王権ヤマト大王のちの天皇と朝廷の霊的象徴であった。
 天皇陵とは、血筋・血統を正統とする万世一系男系天皇家・現皇室の祖先のお墓である。
 天皇陵を毀損する事は、血筋・血統を正統とする万世一系男系天皇・現皇室を否定する事である。
 天皇陵で祭祀を行えるのは、特別な血筋を正統に受け継いだ、特定の子孫だけで、血筋ではない赤の他人では祭祀を行えない。
 それが、血・血筋を大前提とする祖先神・氏神の人神祭祀である。
 血・血筋・血統の正統性とは、命と魂・霊・霊魂、血と身体、遺伝子とDNA、心と精神、志と気概などの、祖先から子孫への継承・伝承である。
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 日本で古墳に対する墓荒らしが少なかったのは、死の穢れに手を染める事に対する嫌悪感、高貴な魂の眠りを妨げて怨霊となって祟られる事に対する恐怖心、つまり宗教的迷信が強かったからである。
 死に対する嫌悪感と怨霊の祟るに対する恐怖心を、布教に利用したのが仏教であり、否定したのが儒教キリスト教であった。
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 墓泥棒は、世界中で、当然の権利の如く墓荒らしを行い、死者の尊厳を踏みにじり、魂の安息を破り、遺体を遺棄し、埋蔵品を強奪し売り捌いて金に換えた。
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 日本にも埋蔵品を奪う墓泥棒はいたが、盗掘された古墳は地方の王や豪族の古墳で、子孫がわからなくなった無縁古墳であでった。
 古墳を守る子孫がいない無縁の古墳・墓は、骨が残っていても魂がなく、その骨は死や穢れとは無縁で、魂がない以上は怨霊や祟りもない。
 日本における無縁とは命の断絶であり、消滅、無に帰す、事である。
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 日本民族日本人は、非科学的非論理的非合理的な心情に強い「罰当たり」を恐れたがゆに、明治まで日本全国の古墳が地域住民に護られて良い状態で残っていた。
 古墳の破戒は、近代化と共に始まった。
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 日本では、子孫の生と祖先の死は霊性で繋がっていた。
 その生と死の繋がりの象徴が、天皇陵・古墳と現天皇家・現皇室である。
 反宗教無神論者や反天皇反日的日本人は、その生と死の絆を断絶させ消滅させようとしている。
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 日本天皇は、中華皇帝と対等であった。
 朝鮮国王は、中華皇帝の家臣として、中華皇帝の承認をえ、勅命によって任命されて初めて即位し、中華帝国から暦・元号を授かって使用した。
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 日本民族の歴史は、天皇・皇室の歴史であり、民族中心神話・天孫降臨神話による宗教的皇国史観で綴られている。
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 日本の国土には、キリスト教価値観による原罪史観、儒教価値観による天命史観、マルクス主義共産主義)価値観による反宗教無神論階級闘争史観、その他の価値観による史観は存在しない。
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 縄文時代は、紀元前1万年前後から紀元前4世紀までの期間とさ、宗教儀式による自給自足の平和な時代であった。
 日本列島に最初に上陸した人類は、数万年前に、東南アジア・台湾・沖縄を経て、小さな木舟で南からの海流に乗ってきた南方系海洋民であった。
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 前方後円墳は、日本独自の埋葬方法で、ヤマト王権に支配された地域や影響がおよんでいる地域につくられた。
 朝鮮半島南部、旧百済王国にも前方後円墳が存在していた。
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 弥生時代は、古墳時代前の時代で、紀元前8~7世紀前後から紀元後2~3世紀までの期間とさ、弥生の大乱時代でもある。
 邪馬台国は、弥生の大乱期に誕生し、殺し合いの中で消えた。
 ヤマト王権は、弥生の大乱期の殺し合いに怖れをなした人々・豪族があつまり、話し合いで生まれた連合政権であった。
 大王は、何かの条件を持った豪族・一族から選ばれ、ここから天皇家・皇室の血筋・血統が始まった。
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☳26〕─2─大須事件。日本共産党と在日朝鮮人は有罪。〜No.89 

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 ソ連共産党は、中国、フランス、イタリア、日本などの各国の共産党に資金を提供していた。
 ソ連共産党の日本部長コワレンコは、戦後20年間、毎年50万ドル(5,000万円以上)と武器を日本共産党に送っていた。
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 日本共産党は、天皇制度廃絶・天皇・皇室を消滅させる為に暴力的人民革命を起こそうとしていた。
 在日朝鮮人は、日本を住みやすい国に造り変えるべく日本共産党に協力した。
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 日本共産党や反天皇反日在日朝鮮人の後ろに、ソ連中国共産党北朝鮮などの国際的共産主義勢力がいた。
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 ウィキペディア
 大須事件とは、1952年(昭和27年)7月に愛知県名古屋市中区大須で発生した公安事件。警察部隊とデモ隊が激しく衝突した。

 事件の発端
 ソビエト連邦及び中華人民共和国を視察し、北京で「日中民間貿易協定」(当時の日本国政府の方針に反するものであり、正式な国家間の協定ではない)を結んで帰還した日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が帰国し、1952年7月6日(日曜日)に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約1000人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。

 事件の概要
 1952年7月7日(月曜日)当日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場(名古屋スポーツセンターの敷地にかつて存在した球場)に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。
 午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約1000人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。
 この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。
 名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人(その内、半数以上が在日朝鮮人)を検挙した。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたと認定した。

 裁判
 名古屋地方検察庁騒乱罪等を適用し、152人を起訴した。弁護団長は愛知大学事件の主任弁護士でもあった天野末治。
 1969年11月に名古屋地方裁判所日本共産党の非合法活動を行う軍事委員らが軍事行動計画を立てていたと断定し、1975年3月に名古屋高等裁判所日本共産党の事前計画と事件の結びつきを認め、デモ隊の共同意思により騒乱状態が始まったと認定した。
 26年に及ぶ史上まれな長期裁判となり、日本共産党は署名180万・支援カンパ3億円といった大衆闘争を展開したが、1978年9月4日、最高裁判所第二小法廷は上告を棄却し、有罪が確定した。
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☳39〕─2─ロンドンで開催されるライダイハン集会。〜No.139 

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 歴史的事実であるライダイハン問題は、嘘で作られた従軍慰安婦問題や徴用工問題よりも酷たらしい非人道的行為であった。
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 ベトナム戦争における犠牲者は800万人以上。
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 日本の人権派良心派団体は、日本が犯したと言う空想的な従軍慰安婦や徴用工を問題にするが、韓国が犯した現実のライダイハンは完全黙殺する。
 彼らは、人間として信用するに値しない日本人である以上、その言動に耳を傾けて聞くほどの価値は限りなく少ない。
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 2019年6月10日15:03 産経新聞「「ライダイハン像」ロンドンで11日に公開へ
英国人彫刻家、レベッカ・ホーキンスさんが制作した等身大の「ライダイハンの母子像」(レベッカ・ホーキンスさん提供)
 英国の民間団体「ライダイハンのための正義」は6月11日、ロンドンで開く集会で、英国人彫刻家のレベッカ・ホーキンスさんが制作した「ライダイハン像」をお披露目する。集会にはイスラムスンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の性暴力を告発して2018年ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんや英議会関係者らを招く。
 ライダイハンは、ベトナム戦争に派遣された韓国軍兵士が現地の女性に性的暴行などして生まれた混血児たち。ブロンズ製の像(高さ230センチ、重さ700キロ)はライダイハンとその母親を描いたもので、翌12日から7月27日までロンドンのギャラリーで公開される。その後、ロンドン中心地の屋外に展示される予定だ。
 同団体の「国際大使」を務めるジャック・ストロー元英外相は「『ライダイハン像』は韓国政府に長期間、無視されてきたライダイハンと母親に哀悼をささげるものだ。あまりにも長期に犠牲者たちは社会から忘れ去られた。像が性暴力の恐怖とライダイハンの正義をアピールする存在になることを期待する」と話した。(岡部伸)」
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 6月10日15:28 産経新聞「ライダイハン、文在寅大統領にDNA型鑑定と謝罪求める
 「韓国政府は、戦争のごみとされた私たち混血児の存在を認めて欲しい」と文在寅ムン・ジェイン)大統領に対して、公開書簡を出したトラン・ダイ・ナットさん=平成31年1月、ロンドン市ウエストミンスター(岡部伸撮影)
 ベトナム戦争に派遣された韓国軍兵士が現地の女性を性的暴行などして生まれた「ライダイハン」と呼ばれる混血児たちが韓国の文在寅大統領に国連人権委員会の調査と親子関係を確定するDNA型鑑定に応じ、公式謝罪を求める公開書簡を出した。
 ライダイハン問題を追及する英国の民間団体「ライダイハンのための正義」によると、書簡はライダイハンのトラン・ダイ・ナットさんら3人が5月28日付けで、在ロンドンの韓国大使館を通じて文大統領に提出した。
 ナットさんは、書簡の中で「韓国政府は、韓国軍兵士がベトナム女性に性暴力を行っていたことを認め、国連人権委員会の実態調査に協力し、血液検査する50人の『ライダイハン』のデータと父親とみられる韓国軍兵士らとの親子関係を確認するDNA型鑑定に応ぜよ」と主張。さらに、「調査の結果、父子関係が確定すれば、韓国軍兵士による性暴力の犠牲になった子供たちに公式謝罪してほしい」と訴えている。
 同団体は今年1月、英議会内で開いた会合で、ナットさんと母親や、2018年ノーベル平和賞を受賞したクルド民族少数派ヤジド教徒のナディア・ムラドさん、英政府の性暴力防止イニシアチブ(PSVI)を設立したウィリアム・ヘイグ元外相らを招き、ライダイハン問題に連携して取り組むことを確認した。(岡部伸)」
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☶54〕─1─日本国内に北朝鮮からの覚醒剤・コカインが蔓延している。~No.448No.449No.450 ㉜ 

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 阿片・覚醒剤・コカインが、北朝鮮や中国から日本に密輸され蔓延するという事は敗戦後から続いている。
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 2019年6月5日 産経新聞覚醒剤密輸、直前に動きを察知し捜査進展 巡視船で海上も警戒 静岡・南伊豆
 静岡県南伊豆町の沿岸で見つかった船。中から大量の覚醒剤が押収された=4日(近隣住民提供)
 過去最大となる約1トンの押収量を記録した静岡県南伊豆町覚醒剤密輸事件の捜査は数年間に及んだ。警視庁は事件直前に国内で関与が疑われる人物の動きを察知して現場を急襲。海上保安庁が巡視船による警戒を続け、覚醒剤流入を水際で阻止した。中国人が運搬役を担った今回の事件と同様、コカインなどでも外国人による密輸事件が相次いでおり、違法薬物の密売ルートは広がりをみせているといえそうだ。
 捜査関係者によると、地元関係者から寄せられた情報を基に警視庁などが捜査を開始した。国内の捜査で、引き受け先に暴力団関係者の関与が浮上。密輸に向けた動きは昨年にもみられたが摘発には至らず、今年に入って再び確認されたという。
 一方、警視庁などと合同捜査本部を組んだ海保は、船同士を接舷し、覚醒剤を移し替える瀬取りのタイミングを狙い、巡視船による監視を断続的に実施。警視庁などの情報に沿って警戒を強めていた。
 船舶による密輸は一度に大量の違法薬物を運び込めるため、組織的な密輸グループは大きな稼ぎを得ることができる。また、四方を海で囲まれた日本では摘発のリスクも低いとされる。
 瀬取りによる国内への覚醒剤密輸は、過去に北朝鮮ルートで相次いだ。平成13年に鹿児島県奄美大島沖で自爆した北朝鮮工作船覚醒剤を運搬していたとされる。その後、日本の捜査当局は摘発を強化し、北朝鮮から陸路で中国国境地帯に覚醒剤が運び込まれる事件が急増した。
 捜査関係者によると、日本国内に運び込まれた大量の覚醒剤は、暴力団などの国内ルートに一定量ずつ分配される。その後、複数の仲介組織を経て全国の繁華街などで密売されるのが一般的だという。
 29年には茨城県沖で、瀬取りで密輸された覚醒剤約475キロが押収された。この事件では、指定暴力団住吉会系組長らが関わったとして逮捕された。また、昨年10月には、名古屋市の倉庫で台湾から船で持ち込まれたとみられる覚醒剤約340キロが見つかった。
 厚生労働省の元麻薬取締官、小林潔氏は「覚醒剤を身に付けたり、スーツケースに隠したりして航空機で運び込むとしても数キロ程度。空港の数は限られており税関の警戒も強い。船舶による密輸は常態化している恐れがある」と分析する。
 警察庁によると、全国の警察が押収した覚醒剤の量は30年まで3年連続で1トンを超えており、高い国内需要があるとみられる。一方で、近年の摘発件数は覚醒剤が減少しているものの、大麻やコカインは増加傾向にある。
 捜査関係者は「大麻は若年層を中心に広がり、海外の歌手やスポーツ選手らの使用で『セレブドラッグ』と呼ばれるコカインは著名人の使用も確認されている。国内では多様な薬物が蔓延(まんえん)している」と指摘した。」
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#改編1〕─<平成31年1月29日>〜No.1  始めに。     

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 ブログ作成日 令和元年
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 アニメ映画『銀河鉄道999』「男なら、負けると分かっていても戦わなければならないときがある」
 人としての生き方、男の生き方は、邪な心に支配され卑屈に逃げ惑う大人よりも、純粋に本能に従って行動する子どもの方が良く知っているのかも知れない。
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 6つのブログ。
 当ブログは、日本中心の民族主義歴史修正主義で作成している。
   ・   ・   ・
4〕日本文明・日本天皇大和民族と中華文明・中華皇帝の中国・朝鮮両民族との2000年戦争。
  ・  ・  
 日本民族は、乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族である。
 日本列島に流れ着いたのは、釣り鉤文化の南方系海洋民、長江文明揚子江流域、針文化の北方系山野の民で、彼らが混血して縄文人が生まれた。
 縄文人は、日本列島を中心に、北はカムチャツカ半島、千島列島、北方領土4島、樺太、南は沖縄、西は朝鮮半島南部に広く分布し、舟で日本海を主力航路として移動していた。
 その後に、大陸や半島で生存競争に負けた敗残者である人々が、渡来系弥生人として逃げ来た。
 日本民族日本人は、縄文人弥生人敗残者が混血して生まれた。
  ・  ・  
 弥生人達は、殺し合いを始めた。
 それが弥生の大乱で、この大乱の中から邪馬台国が組織された。
 弥生の大乱の終焉と共に誕生したのがヤマト王権である。
 ヤマト王権は、征服王権ではなく有力部族の連合体であった。
  ・  ・  
 中華世界・中華文明圏(中国・朝鮮)による日本侵略。
  ・  ・  
 朝鮮は、日本を朝鮮半島から追い出し、日本を滅ぼす為に、清国(中国)やロシアをけしかけて戦争を起こしていた。
 日清戦争日露戦争は、ロシアの日本侵略から母国日本を守る為の祖国防衛戦争であった。
 清国は、日本に対する復讐戦をする為にロシアと秘密軍需同盟を結んでいた。
 朝鮮は、ロシア軍に協力すべく敵対的中立を宣言していた。
 だが、反日朝鮮人達は日本軍の後方で義兵戦争を起こしていた。
  ・  ・  
 日本は、朝鮮の戦争を引き起こす謀略から日本と天皇を守る為に併合(日韓併合)した。
 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇や皇族を殺す為につけ狙っていた。
 桜田門前事件。台中事件。
 関東大震災における朝鮮人惨殺や大杉栄殺害はこうして発生した悲劇である。
  ・  ・  
 反日朝鮮人は、シベリア出兵を好機として3・1暴動(万歳事件)を起こし、朝鮮総督を暗殺しようとした。

   ・   ・   ・   
1:昭和天皇は戦争回避とユダヤ人難民救護を希望し原爆開発中止を厳命した。
  ・  ・  
 天皇戦争犯罪・戦争責任はない。
 昭和天皇は人道貢献と平和努力を行った。
  ・  ・  
 レーニンは、世界共産革命を行う手始めとして日本とアメリカを戦争させるべく陰謀をめぐらした。
 その革命の尖兵として中国共産党日本共産党をつくるように命じた。
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 日本共産党は、日本を共産主義国家に改造する為には天皇制度を打倒する暴力的人民革命が必要である、という党是を決定した。
 日本人共産主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリストとともに昭和天皇や皇族を殺すべく狙っていた。
 日本包囲網が、共産主義者によって諸外国に、世界に広がっていった。
 最高学府である大学では、マルクス主義が蔓延し、反天皇主義者が増え始めていた。
 日本軍、特に陸軍内部でも、貧困化している農村部を助ける為には共産主義しかないという考えが広がりを見せ始めていた。
  ・  ・  
 暴力的人民革命が成功するかどうかは、共産主義者が警察・軍隊・情報機関を掌握できるかどうかにかかっていた。
 共産主義活動原理は、5%支配であった。
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 日本の戦争は、天皇と母国日本を外敵(共産主義勢力)から守る自衛戦争であった。
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 日中戦争は、虐殺された非戦闘員日本人居留民(大半が女性や子供)の復讐戦・報復戦であった。
 第1回南京惨殺事件。済南虐殺事件。通州虐殺事件。その他の日本人惨殺事件。
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 日中戦争は、第一次世界大戦第二次世界大戦・太平洋戦争の間に起きた第1.5世界大戦であった。
 日本軍が戦った相手は、ファシスト中国(中国国民党)軍、ナチスドイツ・ドイツ軍、ソ連軍・共産主義系人民義勇軍アメリカ軍・ボランティア部隊、その他。
 イギリスは、戦争全般に渡って軍需物資を提供していた。
 フランスは、軍需物資輸送路を提供していた。
 イタリアは、親日国家エチオピアを侵略して苦戦していた。
 日本陸軍は、世界最強に軍隊であった。
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 最も陰険な相手が中国共産党であった。
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 ナチス・ドイツヒトラーアメリカのルーズベルトソ連スターリン、イギリスのチャーチル、フランスのド・ゴール、イタリアのムッソリーニなど世界の首脳陣は、全員が反天皇反日であった。
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 日本を戦争へと誘導したのは、マルクス主義統制経済を推進していた革新官僚や軍人エリート官僚達であった。
 彼らは高学歴出身知的エリートとして、最高学府の大学でマルクス主義的教育を受けていた。
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 天皇と宮中は、イギリス・アメリカ派であった。
 陸軍は、少数派のナチス・ドイツ派と多数派のポーランド派の2派があった。
 海軍は、多数派のイギリス派と少数派のソ連派及びアメリカ派の3派があった。
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 昭和天皇や軍部は、親ユダヤ派であった。
 上海ホロコースト阻止事件。
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 日本軍は、戦争をしながら、数百万人の餓死者が出ている河南省の飢餓地域に大量の食料や医薬品を送り飢餓民約1,000万人を助けた。
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 昭和天皇東条英機A級戦犯達は、アメリカとの絶望的な戦争を回避する為に話し合い、外交努力を続けていた。
 アメリカとイギリスは、日本との戦争を決断し、話し合いに応じながら東アジアで対日戦の準備を進めていた。
 日米英蘭の戦争は不可避であった。
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 太平洋戦争時。アメリカは、日本外務省の暗号電報を傍受し解読し、日本国内の情報提供者から国家機密情報を入手して、日本の動きを正確に知っていた。
 だが、日本軍機密情報は統帥権によって厳重に守られていた為に知る事ができなかった。
 ホワイト・ハウスとアメリカ軍は、日本軍の戦闘開始時間を知っていたが、真珠湾攻撃は不可能だと確信し油断した。
 アメリカとイギリスは、日本外務省がワシントンの日本大使館に送った暗号電報「7日午後1時」という指定日時が何を意味をしているかを知っていた。
 「7日午後1時」といは、午後1時以降、日本軍が攻撃を仕掛ける事を意味する。
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 昭和天皇や軍国日本は、戦争を早期に終結するべく極秘で行動していた。
 宮中・外務省・陸軍・海軍は、個別で、スイスを舞台にしてアメリカの情報機関と極秘に終戦交渉を行っていた。
 アメリカ、イギリス、ソ連の連合国は、日本が降伏を切望している事を知っていた。
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 スターリンは、日露戦争の復讐戦と領土拡大の為に、日本からの降伏交渉の仲介要請を焦らしながら放置した。
 ルーズベルトは、ヤルタ会議で、南樺太・千島列島・北方領土4島・北海道の東半分をロシア領にする事を認めた。
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 ホワイト・ハウスは、二つの原子爆弾投下実験を行うまで日本の降伏を認めない決定を下し、アメリカ陸軍戦略航空部隊に対して準備次第に二つの原爆投下実験を実行するように命じた。
 二つの原子爆弾とは、ウラン235型とプルトニウム239型である。
 原爆投下実験は、ウラン型とプルトニウム型の二発だけで三発目は必要なかった。
 もし、この時に水爆(水素爆弾)が完成していれば、三つ目の投下実験として水爆が京都に投下された事だろう。
 原爆投下実験は、科学的データ収集目的と対ソの政治戦略で実行された以上、日本は降伏を公言し武器を放棄しても止める事はできなかった。
 戦争を停止するか継続するかは、敗戦国ではなく戦勝国が決める特権である。
 一部のユダヤ人学者達は、原爆による破壊力データを得る為に実戦使用と人体実験を歓迎した。
 アメリカは、被曝者治療ではなく人体被害データを集める為にヒロシマナガサキに研究者を派遣した。
 アメリカは、日本人を人と認識していなかった。
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 東京裁判は、人道貢献や平和努力したA級戦犯達を「口封じ」する為にリンチ的縛り首で処刑した。
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 アメリカは、日本占領を円滑にする為に昭和天皇天皇制度を利用したが、将来的に皇室を消滅させる罠を幾つも仕掛けた。
 日本国憲法における天皇は国民の総意、直系宮家以外の11宮家から皇籍の剥奪、皇室資産の没収、男系男子相続の徹底で皇位継承権者の減少、などなど。
 連合国は、皇室の存続を認めなかった。
 その影響が、昭和から平成の御世に代わった1990年代頃から囁かれ、平成末期の2000年代には男系継承者の減少にともなう皇室存続の危機が顕在化し、令和の御世に代わって現実化した。
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 現皇室は、死滅した在来種の日本産トキと同じ運命を辿っている。
 最大の原因は、日本人の皇族への無責任な興味本位の好奇心であるが、その実は天皇家・皇室に対する無関心、民族の歴史に対する無知・無理解である。
 在来種の日本産トキを死滅させたのは、戦後教育を受けた現代日本人である。
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 アメリカ・ユダヤ人達は、昭和天皇戦争犯罪者として処刑する事を望んでいた。
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 連合国=国連は、日本を封じ込める為に内に日本国憲法と外に国連の敵国条項を定め、再軍備を禁止し、国連軍としてアメリカ軍を日本に駐屯させた。
   ・   ・   
 中国共産党系中国軍系中国資本は、日本の国土を爆買いし、中国人移民を大量に日本へ送り込みつつある。
 日本人住民排除の池袋現象。
 
   ・   ・   ・   
2)日本の祖先神・氏神の人神崇拝と普遍宗教の隣人愛信仰による400年宗教戦争
  ・  ・  
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易。
  ・  ・  
 キリスト教勢力は、日本人を改宗し、日本をキリスト教国家に造り変えようとした。
 豊臣秀吉徳川家康江戸幕府は、キリスト教勢力の宗教侵略から日本と天皇を守るべくキリシタン弾圧を行っていた。
 日本国内を征服するには、西洋から大艦隊と大軍団を派遣しなくても、日本人キリシタン約40万人で教皇直属の神聖騎士団を組織して聖戦の行えばよかった。
  ・  ・  
 開国、明治維新は、ロシアの侵略から日本と天皇を守る為に実行された。
 日本の近代化である殖産興業、富国強兵、近代教育は、ロシアの大軍を撃破する為の軍隊をつくる為であった。
  ・  ・  
 熱狂な勤皇派・尊皇派は、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、虐げられた芸能の民、迫害された賤民(非人や穢多)、差別された部落民(山の民・海の民・川の民)達であった。

   ・   ・   ・   
3」西洋キリスト教文明・白人の功罪。中国共産党ソ連共産主義者による日本人女性子供虐殺事件。
  ・  ・  
 欧米諸国やバチカン、国際赤十字社は、目の前で行われていたヒトラーホロコーストを知っていたが無視し、抗議せず、無言で放置した。
 連合軍は、せんその勝利を優先して虐殺されているユダヤ人の救出を後回しにした。
  ・  ・  
 ヒトラーが、対米戦を決断したのは、日本軍に期待したからである。
  ・  ・  
 ロンメルのアフリカ軍団が敗北したのは、日本海軍の戦略転換が原因であった。
  ・  ・  
 ドイツ軍は、日本の裏切りで敗北した。
 アメリカは、ドイツ軍と戦うソ連軍の為にウラジオストック経由で大量の軍需物資を送っていた。
 日本軍は、ウラジオストックに向かうアメリカのソ連支援軍需物資輸送大船団を黙認していた。
  ・  ・  
 ユダヤ人の資産を奪ったヨーロッパ人は、ホロコーストから生き残って帰郷したユダヤ人を惨殺していた。
  ・  ・  
 アメリカやソ連などの連合軍による人道と平和に対する凶悪犯罪。
  ・  ・  
 中国共産党による人権無視の非人道な大虐殺事件。
 辛亥革命から中国共産党政権樹立までの中国革命で、殺された人民は約1億人と言われている。
 中国共産党・中国軍は、尖閣諸島と沖縄は日本に強奪された中国領であると主張し、日本領沖ノ鳥島を国家防衛の重要拠点であるとして奪おうとしている。
  ・  ・  
 ロシア人共産主義者は、日本国家と日本軍から見捨てられ逃げ惑う日本人避難民(主に女性や子供)数十万人を襲って虐殺した。
 ソ連軍は、北海道東半分を占領できなかったが、1945年9月2日迄に日本領北方領土4島を不法に占領した。
 日本降伏後の、ソ連・ロシアによる北方領土4島強奪は国際法に違反する戦争犯罪である。

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5}人口爆発時代。軍国日本の世界戦略は、食糧・石油・原材料などを海外で確保する為であった。
 戦前の日本人は、異常気象で発生した凶作で食糧不足が発生し、飢え始めた国民に食料を確保するべく、食べ物を求めて大陸へと侵略戦争を始めた。
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 アメリカ・イギリス・オランなどの反日勢力は、日本の窮状を知りながら、食糧が買えないように国内の日本資産を凍結し、輸送できないように石油を売るのを禁止した。
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 戦後の日本人は、自分の食べ物を守る為に戦争孤児を餓死させ、アメリカ人兵士と日本人娼婦の間に生まれた混血児・ハーフ児童を汚れた罪深い子供と差別し死ぬに任せて放置した。

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6〉人口激減時代。絶望的少子高齢化は、短期的に労働者不足、中期的に消費者減少、長期的に日本民族日本人は少数派に転落、そして日本国の衰退。
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 夫婦で3人以上の子どもを産み育てる。
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 日本人の、男性の精子劣化、女性の卵子老化、生殖機能の退化、繁殖能力の衰退によって、人口激減か加速度的に進む。
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 社会補償の受給者である老人が増加し、納税する若者が減少する。
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 良き消費者である、浪費の若者が激減する。
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