🗾15〕─1─縄文時代のムラは墓を中心にして環状集落であった。~No.71No.72No.73 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本民族日本人、アイヌ人、琉球人は、縄文人の子孫である。
 縄文人は、大陸系漢族や朝鮮人との血の繋がりは薄い。
   ・   ・   ・   
 縄文人の自然崇拝は、自然の移り変わりにおける季節の循環と生命の循環、つまり再生・蘇り・生き変わりであった。
   ・   ・   ・   
 縄文土器の縄目模様は、ヘビで、命の躍動感であった。
   ・   ・   ・   
 NHK歴史秘話ヒストリア
 NHKオンデマンド
 縄文1万年の美と祈り
 ●本放送 平成30年 7月25日(水) 22:25~23:10 総合 全国
 ●再放送 平成30年 7月28日(土)
10:05~10:50
 総合
 全国
 ※放送予定は変更されることがあります。地域によっては放送の有無もあります。当日の新聞・最寄りの放送局のHPなどでご確認下さい。
 エピソード1 土偶に秘められた願い
 縄文の奇妙な造形、その意味とは
 実は縄文人土偶は妊娠した女性を像にしたもの。おなかにあるのは、妊娠すると腹部にあらわれる「正中線」。一見奇怪で空想の産物にみえる造形も、当時あった女性の髪形やお化粧と重なります。そして服装はふだん着でなく着飾った姿。「晴れ着の妊婦さん」の像は何を意味しているのでしょうか?
 エピソード2 不思議なカタチ 土器の謎
 縄文の土器の登場は、およそ1万年前。あの「四大文明」よりも前で世界最古!!中でもひときわ古い土器は底が「とがっている」ものです。なぜ、すんなり置くことのできない土器が作られたのか――それは「月の水」を集めるため!?
 月と縄文人は深い関わりが…?
 エピソード3 破壊された土偶と 大地
 円形集落の中心で「再生」儀式が行われていたのか
 縄文時代の集落は円形で、その中心には墓地がありました。死者を抱くような集落のかたち、それは満ち欠けをくり返す天体・月に「再生」を願うもの?一方、集落のあちらこちらからはバラバラになった土偶が多数発掘されています。この謎への答えも、縄文人の死生観に関わりが…。
 参考文献
 『特別展 縄文 1万年の美の鼓動』(東京国立博物館 平成30年度特別展図録)
 『四次元との対話-縄文土器論』(岡本太郎 みずゑ 第558号1952年2月)
 『月と蛇と縄文人』(大島直行 寿郎社
 『生の緒』(ネリー・ナウマン 檜枝陽一郎 訳 言叢社
 『土偶のリアル』(譽田亜紀子 山川出版社
   ・   ・   ・   
 縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶 @歴史秘話ヒストリア 
 これは2018年8月25日再放送の「歴史秘話ヒストリア 縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶」のメモ。
 【序論】
 2018年7月3日から9月2日まで、東京国立博物館平成館で開催される特別展「縄文」。
 国宝の土偶・土器6点が一堂に会する初めての試みだ。不思議なパワーにあふれる縄文の美、その意味するところは長らく謎とされてきた。
 ところが近年、縄文人たちがそこに「再生」の願いを込めていたのではないか、という説が出ている。
 円形、縄目、ヘビ、妊婦、そしてあふれる涙…縄文人がそのアートに秘めた、壮大な暗号を解き明かす!
 【井上あさひ東博ロケ】魅惑の縄文1万年 エネルギッシュ! 縄文時代
縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶 @歴史秘話ヒストリア  b0044404_15112452.jpg
 今夜のヒストリアは、縄文1万年のロマンを案内。
 国宝を含むさまざまな土器や土偶をながめながらの楽しいロケは東京国立博物館で。
 「縄文」といえば、歴史の教科書の最初の方にあったイメージだが、1万年も続いたこの不思議でエネルギッシュな時代は「なんだかすごい」と思われてぃる。
 学芸員の品川氏をはじめ、番組に登場する方たちの「縄文」に対する愛情があふれていて、その熱量に驚かされた。
 この「縄文」に魅せられた人たちのエネルギーは、「縄文」から感じる得たいの知れないパワーがその源なのかもしれないと思った。
 【井上あさひ東博ロケ】魅惑の縄文1万年 今や世界で大注目の「JOMON」 自然の中で生きていく持続可能社会を実現していた「縄文」は、今や世界の「JOMON」となり、彼らの生き方、過ごし方が注目されている。
 縄文人にとって、進歩し変わっていくことだけが幸せではなかったのでしょう。そしてそれは、遅れてしまった文化ではなく、偉大な生き方の一つだったかもしれないのです。
 意外と派手? 縄文女性の姿の復元(↓)
 縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶 @歴史秘話ヒストリア b0044404_15102461.jpg 
 【井上あさひ東博ロケ】魅惑の縄文1万年 縄文に魅せられる私たち 
 「縄文」が私たちの心を揺さぶるのはなぜでしょうか。
 縄文女性の姿の復元や、土器や土偶のかっこよさ、デザインにおけるファンキーな表現を見るにつけ、あの岡本太郎をして「だれでもがドギッとする」と言わしめた力を私も感じてしまいました。
 土器や土偶にはさまざまな造形に深い意味が込められているといいます。
 それらが作られたのは、現代のような情報技術の全く存在しない時代、自然のことわりについて科学的に証明することができなかった時代でした。
 命の起こりと終わり、そして再生については、特に思索を重ねたに違いありません。
 だからこそ、命やその源に対する敬いがありました。
 もしかしたら縄文人の生命に対する深い敬いが、あのエネルギッシュな創造物へとつながっているのではないでしょうか。
 縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶 @歴史秘話ヒストリア b0044404 15121565.jpg 
 現代人がはるか昔「縄文」のエネルギーに魅せられるのも、生命尊厳の原始的な欲求が私たちのDNAに刻まれているからなのでしょう。
 コンクリートアスファルトに囲まれた現代だからこそ、命に向き合う「縄文」の思いに心が動くのかもしれません。
 【エピソード1】 土偶に秘められた願い
 縄文の奇妙な造形、その意味とは
 縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶 @歴史秘話ヒストリア _b0044404_15453314.jpg
 実は縄文人土偶は妊娠した女性を像にしたもの。
 おなかにあるのは、妊娠すると腹部にあらわれる「正中線」。
 一見奇怪で空想の産物にみえる造形も、当時あった女性の髪形やお化粧と重なります。
 そして服装はふだん着でなく着飾った姿。「晴れ着の妊婦さん」の像は何を意味しているのでしょうか?
 【エピソード2】 不思議なカタチ 土器の謎
 縄文の土器の登場は、およそ1万年前。あの「四大文明」よりも前で世界最古!!
 中でもひときわ古い土器は底が「とがっている」ものです。
 なぜ、すんなり置くことのできない土器が作られたのか――それは「月の水」を集めるため!?
 縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶 @歴史秘話ヒストリア _b0044404_15441733.jpg
 月と縄文人は深い関わりが…?
 【エピソード3】 破壊された土偶と 大地
 円形集落の中心で「再生」儀式が行われていたのか
 縄文1万年の美と祈り 競演!国宝の土器・土偶 @歴史秘話ヒストリア _b0044404_15432514.jpg
 縄文時代の集落は円形で、その中心には墓地がありました。
 死者を抱くような集落のかたち、それは満ち欠けをくり返す天体・月に「再生」を願うもの?
 一方、集落のあちらこちらからはバラバラになった土偶が多数発掘されています。
 この謎への答えも、縄文人の死生観に関わりが…。
 【参考文献】
 『特別展 縄文 1万年の美の鼓動』(東京国立博物館 平成30年度特別展図録)
 『四次元との対話-縄文土器論』(岡本太郎 みずゑ 第558号1952年2月)
 『月と蛇と縄文人』(大島直行 寿郎社
 『生の緒』(ネリー・ナウマン 檜枝陽一郎 訳 言叢社
 『土偶のリアル』(譽田亜紀子 山川出版社
   ・   ・   ・   

☶61〕─1─日本共産党と公明党にとっての日本人拉致事件。~No.508No.509No.510 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 {日本共産党著作権 : 日本共産党中央委員会
 151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp}
 北朝鮮拉致問題
 事実ねじ曲げた公明党の党略的な攻撃に反論します
 公明党が、北朝鮮による日本人拉致問題で、日本共産党攻撃を始めています。公明党の攻撃に反論するとともに、日本共産党がこの問題でどのような役割を果たしてきたのかについて、あらためて紹介します。
 公明新聞 「棚上げ」「後ろ向き」というが…
 日本共産党 疑惑提起し解決策示す
 88年橋本質問 拉致疑惑を政府に認めさせる
 99年不破質問 「交渉で解決」の道理ある提案
 写真 北朝鮮による拉致疑惑を国会ではじめてまとまった形で提起し、政府に認めさせた橋本敦参院議員の質問(88年3月26日、参院予算委員会
 写真 拉致問題を解決する道理ある方法を提案した不破哲三委員長(当時)の代表質問(99年11月2日、衆院本会議)
 拉致問題についての国会論戦を歴史的にみれば、日本共産党がこの問題で果たしてきた役割は明りょうです。
 第一に、北朝鮮による拉致疑惑を国会で初めてまとまった形で提起し、政府に認めさせたのは、日本共産党国会議員団でした。
 一九八八年三月に橋本敦参院議員(当時)は予算委員会で、七八年夏に福井、新潟、鹿児島などで相次いだ行方不明事件について、政府の捜査状況をただしています。これにたいして、梶山静六国家公安委員長(当時)は「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」と、政府として国会の場ではじめて拉致疑惑が存在することを認めたのです。
 日本共産党はその後も、衆参の法務委員会などで質問し、拉致疑惑の究明を求めてきました。
 第二に、拉致の問題を解決する道理ある方法を国会で提案したことです。
 不破哲三委員長(当時)は、九九年一月の衆院本会議質問で、「北朝鮮の政権あるいは政権党が、国際社会におけるルールについて、われわれと共通の常識をもたないことは、私たちもよく知っています」としつつ、軍事的対応の悪循環を断ち切るためにも、「北朝鮮との正式の対話と交渉のルートを確立する努力を、本腰をいれて、真剣におこなうべきだ」と提案しました。
 さらに同年十一月の本会議質問では、「北朝鮮とのあいだには、ミサイル問題、拉致問題などいくつかの紛争問題をもっていますが、それは、交渉によって解決すべき交渉の主題であって、その解決を交渉ルートをひらく前提条件としたり、すべてを他の国の外交交渉におまかせするといった態度では、問題は解決できません」と強調、無条件に交渉ルートを開き、交渉のなかで拉致問題を含めた日朝間の諸懸案の解決をはかるべきだと提案しました。
 この二回の提案が、同年十二月の日本共産党をふくむ超党派訪朝団の派遣につながり、朝鮮労働党との会談では日朝の政府間交渉について前提条件をつけないで再開することで合意しました。これを受け、翌年、政府間の国交正常化交渉は再開されました。交渉はその後、中断はありましたが、こうした一連の動きが、ことし九月十七日の日朝首脳会談に実を結ぶことになったのです。
 日本共産党が、首脳会談での国交正常化交渉再開の合意を「強く支持」したのは、「交渉ルートを開こう」と提案してきた党としての立場からのものでした。
「無条件に交渉ルート開け」が棚上げ?
 公明新聞は十月十四日付の「拉致問題と左翼政党の対応」なる記者座談会で、こうした日本共産党の立場について、「拉致問題に関する共産党の公式見解は、『拉致事件の解明を国交正常化交渉の前提とすべきでない』と一貫していた」としながら、この主張が拉致問題を「棚上げ」するものだと論難しています。こんな論理が一体通用するのでしょうか。
 なにより、北朝鮮が拉致の事実をはじめて認めた今回の日朝首脳会談自体が、拉致問題など個別問題の解決を交渉の「前提」とせずに、日朝間の諸懸案の解決を「包括的に促進する」という方式による会談として実現したものでした。公明党は、みずから与党として参加する政府首脳がおこなった会談も、拉致問題を「棚上げ」したというのでしょうか。
 九九年の超党派訪朝団は出発に先だって、無条件・無前提の政府間交渉の再開をめざすことを確認していましたが、これには公明党も加わっていました。この確認も拉致問題を「棚上げ」したものだというつもりでしょうか。
 二〇〇〇年三月七日には、政府が北朝鮮へのコメ支援の決定を受け、公明党冬柴鉄三幹事長が「拉致疑惑も交渉の議題に」などとする談話を発表しましたが、公明新聞によればこれも「棚上げ」談話ということになってしまいます。
 だいたい、「拉致事件の解明を正常化交渉の前提とすべきではない」という主張が、どうして拉致問題の「棚上げ」になるのか。反対に「拉致問題の解決」を交渉の「前提」にすれば、交渉は始まらないし、交渉が始まらなければ、拉致問題の解決の道筋も閉ざしてしまうことになるではありませんか。
 だから、公明党超党派訪朝団に参加したさいには、「無条件に交渉ルートを開くべきだ」という合意に加わったのではないでしょうか。
「疑いの段階」は政府・警察の公式の立場
 公明新聞の記者座談会はまた、「今回の日朝首脳会談にあたっても、志位委員長は直前まで、『拉致は疑惑の段階』と言ってはばからなかった」と書き、それをもって日本共産党拉致問題を「棚上げ」し、とりくみに「後ろ向き」であったかのようにいっています。
「拉致疑惑」の言葉は最近の公明新聞にも(左=ことし8月29日付)、冬柴幹事長は「拉致疑惑も交渉の議題に」と表明(右=同2000年3月8日付)
 しかし、北朝鮮による拉致について「疑いのある段階」だというのは、日本共産党が勝手にいったことではなく、政府と警察が捜査の到達点として公式に明らかにしてきた立場です。
 「拉致疑惑」の言葉が問題だというなら、この言葉をくりかえしてきた公明党公明新聞の立場はどうなるのでしょうか。
 たとえば、ことし、二〇〇二年の公明新聞の記事や幹部の発言、国会質問を見ると―
 「政治決断の必要性で一致 日本人拉致疑惑」(八月二十九日付)、「日本人拉致疑惑で参考人質疑」(七月二十六日付)など、あげればきりがありませんし、公明党が三月にたちあげたプロジェクトチームの名前は「拉致疑惑事件調査等プロジェク ト」でした。
 神崎武法代表は三月十三日の記者会見で「有本さんを含む拉致疑惑の真相を徹底的に解明するために」と発言。国会では、同党議員が「この拉致疑惑、あるいは拉致問題と言われるものは日本だけの問題ではありません」(山口那津男参院議員、外交防衛委員会、四月十八日)と質問していました。
 日本共産党は、拉致行為は重大な国際犯罪であるという認識にたって、この問題を政府として北朝鮮に提起する以上、捜査の到達点、すなわち「疑惑」の段階にふさわしい、足場を固めた交渉が必要だと主張してきました。これは、問題を軽くみたのではなく、逆に重大な国際犯罪だからこそ、そうした対応が必要だという立場からの問題提起でした。
 拉致問題は、九月十七日の首脳会談で北朝鮮がその事実を認めたことで、「疑惑」が疑いない「事実」になったというのが、ことの経過です。
 北朝鮮が拉致の事実を認めたもとで、日本共産党は真相の究明、責任者の処罰、謝罪と補償など、国交正常化交渉のなかで、またそれと並行して解決をはかるべきだと主張しています。

 公明党 まともな解決の道示さず
 公明党拉致問題でいったいどう責任ある解決の道筋を示してきたというのか―
 一九九四年に新進党に合流した公明党が、新進党解党を受け、新公明党を再結成したのは九八年十一月のことです。当時の日朝間の状況は、九二年十一月以来、日朝国交正常化交渉も中断中で、北朝鮮のミサイル発射(九八年八月)をきっかけに、対立的な雰囲気、とくに軍事的対応の悪循環ともいうべき事態が拡大している時期でした。
 このとき、公明党は再結成にあたっての「基本政策大綱」で、「北朝鮮のわが国に対する挑発的な外交姿勢が改められない限り、日朝国交正常化交渉は当面凍結するべき」(公明新聞九八年十一月十一日付)との立場を鮮明にしたのです。
 政党が北朝鮮問題にどう対応するかは、翌九九年一月の通常国会でも正面から問われました。ところが、神崎代表は同月二十日の衆院代表質問で北朝鮮問題をとりあげながら、政府の「外交方針」を聞くだけで、現状打開の方途はいっさい示すことができませんでした。日本共産党の不破委員長(当時)が同じ代表質問で、軍事的対応の悪循環を断ち切るためにも「交渉ルートを開け」と責任ある提案をおこなったのとは、対照的でした。
 ところが、その後、自民党内で北朝鮮への食糧支援の凍結解除の動きなどが出てくるなか、公明党は一転、「北朝鮮との対話」を強調し始めました。自民党との連立を決めた九九年七月の大会では、「朝鮮半島の平和へ積極的な関与政策」として、「拉致事件などの解決をあえて『入口』に位置づけないで、国交回復交渉をすすめる機会を粘り強く探る」方針を打ち出すにいたりました(公明新聞同年七月二十二日付)。
 九九年十月の政権入りを目前にした九月二十七日には、公明党の神崎代表が駐日米大使と会談、北朝鮮問題について「拉致問題は重要だが、対話の前提条件にすべきではなく、対話の姿勢を強く打ち出すべきだ」とまでのべたのです(公明新聞九月二十八日付)。
 そして、公明党も与党になった政府が翌二〇〇〇年三月に対北朝鮮コメ支援を決定すると、公明党冬柴鉄三幹事長名で賛同談話を発表、そのなかで「日本人拉致疑惑について、交渉の場で一日も早く議題として取り上げられ」るよう要望しました。
 野党時代には、タカ派的な新進党の影響から国交正常化交渉「凍結」論をとり、与党入りに合わせて政府・自民党に歩調を合わす―日朝問題、拉致問題にたいする公明党の態度はざっとこんなところです。
 そしてこんどは、「拉致問題の解決を交渉の前提とすべきでない」という主張や、「疑惑」という言葉を使ったことを「棚上げ」「後ろ向き」と攻撃する。それが自分たちの主張にもはねかえってこようがお構いなし―ここには、拉致問題で責任ある解決の道筋を示さないどころか、党利党略でしかこの問題を扱ってこなかった公明党の姿がよくあらわれています。

 公明党 金日成体制を礼賛
 公明党は、北朝鮮金日成崇拝を顕著に強めた七〇年代以降、北朝鮮との関係を深めてきました。
 公明党は、七二年五~六月、北朝鮮訪問団(団長・竹入義勝委員長)を派遣し、金日成首相とも会談しています。訪朝団メンバーは、竹入氏のほか、正木良明、二見伸明、沖本泰幸、鳥居一雄の各衆院議員、黒柳明参院議員ら総勢九人。のちに公明党書記長となる市川雄一機関紙局長も参加しています(肩書はいずれも当時)。
 公明新聞は当時、金日成との会談の模様を「日朝関係の正常化など 約四時間友好的に意見を交換」という見出しで報道しました(七二年六月三日付)。
 公明党北朝鮮訪問団(72年)の「成果」を報道する当時の公明新聞
 六月二日、平壌でおこなわれた「公明党訪朝団歓迎市民集会」では、竹入委員長があいさつ。「私たちは昨夜、この国を解放し、この国を本当に廃墟の中から革命思想によって立ち上がらせた、皆さまの敬愛する金日成首相にお目にかかり、対日友好にあふれた雰囲気の中で親しく懇談することができました」とのべました。
 さらに竹入氏は、「今回、共和国の各地を参観し、そこに働く人々が、主体思想をもとに、チョンリマ(千里馬)運動で前進する共和国の社会主義建設が大きな成果を収めていることに深い感銘をうけました」と、北朝鮮の「社会主義建設」を天まで持ち上げました(同六月四日付)。
 公明党代表団は六月六日、北朝鮮の「朝鮮対外文化連絡協会」との「共同声明」に調印しました。「共同声明」には「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」と、はっきり書かれています(同六月七日付)。
 こうして公明党は、金日成個人崇拝が極端に強まった北朝鮮の体制を絶賛したのです。これこそ北朝鮮への「迎合姿勢」そのものです。
 一九九〇年代以降も、公明党は、北朝鮮朝鮮労働党との友好関係をつづけてきました。
 最近では二〇〇〇年八月、公明党有志議員による日朝友好訪問団(団長・東順治衆院議員)が北朝鮮を訪問。参加した北原守福岡県議は、手記に「公明党北朝鮮との新しい友好関係を築きゆく、意義ある旅となった」と書いています(同二〇〇〇年八月十八日付)。
 また、北原手記は、「東団長が『近い将来、公明党の公式訪問団を派遣したい』とする神崎武法代表の伝言を伝えた」こと、北朝鮮側が「公式訪問団には必ずお会いしたい」と反応があったことも伝えています(同前)。こういう関係も無視できません。
   ・   ・   ・   

☴6〕─5・A─拉致被害者置き去り論。金丸信・田辺誠訪朝団。日本社会党。1990(平成2)年9月~No.28 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本の総理大臣・政治家で、日本人拉致事件を解決すべく最も精力的にそして寸暇を惜しまず努力してきたのは安倍総理であった。
 そして最も努力しないどころか、拉致事件解決を妨害してきたのは、自民党のリベラル派や革新派の野党である。
 特に罪深いのが日本社会党である。
 日本人過激派は、日本人拉致事件に深く関与し、日本人拉致に協力していた。
 つまりは、日本人拉致事件で厳しく非難されるべきは日本人である。
   ・   ・   ・   
 2014年8月2日 産経新聞「【ニッポンの分岐点】日朝関係(1)金丸訪朝団 正常化目前「償い」で禍根
 日朝間の最大の懸案である拉致問題。日本にとっては、拉致問題の解決がない限り北朝鮮との国交正常化もあり得ないが、20年以上前、日朝国交正常化が目前に迫ったときがあった。
◆予期せぬ金日成発言
 平成2(1990)年9月26日。北朝鮮有数の景勝地、妙香山の招待所で自民党の元副総理・金丸信社会党副委員長の田辺誠、北朝鮮主席の金日成(キム・イルソン)が顔を合わせた。
 金丸、田辺の2人が日朝の友好を進めるため、双方に「連絡事務所」の設置を持ちかけると、金はこう返して2人を驚かせた。
 「いや、そんなのをつくる必要ないでしょう。(日朝の)外交関係をつくればいいんですから。日本と仲良くしたい」
 予期せぬ発言に動揺を隠せない金丸。田辺に「どうする」と目をやった。田辺も「いいんじゃないですか」と即答した。金丸は金に向かって「社会党もいいと言っている。私たち自民党も責任を持つ」と応じた。
 この瞬間、北朝鮮に拘束されていた第18富士山丸の船長、紅粉勇ら日本人2人の釈放と、日朝友好親善が主目的だった訪朝が、政府間の国交正常化を前提とした外交交渉に転換した。
 55年体制以降、対北朝鮮外交は「万年野党」の社会党を中心に展開されてきた。だが、昭和58年に党書記長に就任した田辺は「野党外交では限界がある」と主張し、「万年与党」である自民党を引き込むことを画策する。
 北朝鮮も、社会党との関係を維持するだけでは展望を開けないと考えていた。韓国は、平成2年9月末にソ連との国交を樹立。東アジアで孤立することを懸念した北朝鮮が、日本との国交正常化に活路を見いだそうとしている-。田辺は北朝鮮側の変化を感じていた。
 田辺は、同じ国対族で親交の深かった金丸に声をかけた。北朝鮮が政権与党と接点を持ちたがっていることを紹介し、金丸にも注目していることを伝えた。
 だが、金丸は田辺の依頼をいったん断る。東側陣営に冷淡で、外交にあまり縁がなかったことが理由だった。それでも、田辺は半年間にわたって金丸の説得を続け、金丸も最終的に訪朝を決断する。第18富士山丸問題が、訪朝によって解決できる可能性が高まっていた事情も後押しした。
◆5時間続いた密室会談
 「俺が、風穴を開けたんだ!」。平成2年9月28日夜。金丸は帰国の途に就いた日本航空の特別機内で興奮気味に語ると、大きな拍手がわき起こった。
 笹川平和財団会長の羽生次郎(68)は、その光景を今も鮮明に覚えている。羽生は当時、運輸省(現国土交通省)国際航空課長として訪朝団に加わり、日朝間の航空路開設交渉にあたった経験を持つ。羽生によると、世論やマスコミは訪朝団の功績を軒並みたたえ、国交正常化を支持する声が多かったという。
 しかし、訪朝団は後に大きな批判にさらされることになる。9月28日に調印された自民党社会党朝鮮労働党の3党共同宣言の中に記された「戦後45年間の謝罪、十分な償い」が、北朝鮮への戦後賠償の表明とみなされたからだ。
 共同宣言は、金丸訪朝団事務総長の石井一(79)、同団事務局長の武村正義社会党訪朝団副団長の久保亘らが中心となった起草委員会で議論された。
 武村ら日本側は「交戦もしていない国の戦後賠償には応じられない」と突っぱねたが、北朝鮮はなかなか折れない。16時間にわたる協議の末、最後は金丸の鶴の一声で「償い」の文言を入れることが決まったのだった。
 金丸は滞在中、金日成と2人だけで5時間近くも密室で会談している。ただ、日本側の通訳や外務省の随員が入っておらず、記録を残していないため、大きな問題となった。この密談の中で、金丸は数十億ドルの「戦後賠償」を約束したともいわれているが、「誤解だ。『償い』までは是認していない」と否定している。
 石井は「金・金会談」の直後、金丸が「国交正常化の調印式を富士山のふもとで行う。金日成山梨県まで来てもらうんだ」と言っていたことを記憶している。そして「金日成と接してファンになってしまったんだな…」と回想する。金丸の「人の良さ」があだとなった面は否定できない。
 実際、訪朝団に対する金日成の歓待ぶりはすさまじかった。2万人が動員されたマスゲームは代表例で「金丸信先生と田辺誠先生の引率する日本使節を熱烈に歓迎する!」という人文字に金丸は感動した。
 産経新聞政治部記者として訪朝団に同行取材した北村経夫(59)=現自民党参院議員=は金丸の様子について「北朝鮮の術中にはまっていた」と振り返る。そのうえで「最終的な北の狙いは戦後賠償だ。『償い』は今も尾を引いており、拉致問題にもつながっている。日本外交にとってマイナスだった」と断じる。
◆拉致は議題とならず
 7月30日、前橋市で自身が運営する老人ホーム「恵風園」に、92歳になった田辺が姿を見せた。つえをついているが、滑舌は往事のまま。田辺は「金丸訪朝団で国交正常化に限りなく近づいたが、政府や外務省を巻き込めなかった。成功と失敗、相半ばだ」と総括した。
 当時、拉致問題はまだ大きくクローズアップされていなかった。国家公安委員長梶山静六は、昭和63年3月の参院予算委員会で、53年夏に日本海側で連続して発生したアベック行方不明事件について「拉致の疑いが濃厚」と初めて答弁していたが、金丸訪朝団では拉致が議題に上った形跡はない。
 平成2年10月、船長の紅粉らが釈放され、国交正常化の機運はさらに高まっていく。国交正常化交渉は3年1月から始まり、4年11月まで計8回行われた。
 だが、大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員の教育係、李恩恵(リ・ウネ)(後に田口八重子さんと判明)に関する日本側の調査要求に北朝鮮が反発し、4年11月に交渉は一方的に中断された。その後、日朝の国交正常化交渉は動かないまま、12年4月まで途絶えることになる。=敬称略(山本雄史)
 【用語解説】金丸訪朝団 平成2年9月、自民党金丸信元副総理、社会党の田辺誠副委員長らが第18富士山丸事件解決などのために訪朝した。自社両党と朝鮮労働党の3党は、戦後45年間、朝鮮人民が受けた損失について公式的に謝罪を行い十分に償うべきだと認める▽国交正常化のための政府間交渉を同年11月に開始する-などを盛り込んだ共同宣言で合意した。」
   ・   ・   ・   
 産経iRONNA 
 「首相の訪朝を実現する」詐欺師と同じ日本置き去り論に警戒せよ
 『重村智計
 重村智計(東京通信大教授)
 南北首脳会談が4月27日に開催されることが決まった。5月中には米朝首脳会談が行われる予定である。これに先立つ形で、北朝鮮金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長は3月末に中国を訪問し、習近平国家主席と首脳会談を行った。
 この動きを受けて、日本政府の「置き去り」「乗り遅れ」を主張する報道や論調が多い。中には、便乗して「私が平壌につなぐ」「首相の訪朝を実現する」と売り込み、首相官邸周辺を徘徊する「詐欺師」まで現れた。
 しかし、日本で金委員長に直接つながる個人や組織など99%いない。そんなチャンネルがあれば、とっくに機能しているだろう。北系団体や親北政治家、運動組織の多くは嘘つきだ。民主党政権時代、官邸はこの手の「詐欺師」に多額の「機密費」を騙し取られてしまった。
 「置き去り」や「乗り遅れ」を唱える論者は、真実を隠す「北の手先」なのだろうか。さもなくば「朝鮮半島の国際政治」を知らず、「日本への愛情」もない人たちといわざるを得ない。
 かつて、1990年の「金丸訪朝団」をはじめとして、渡辺美智雄氏(95年)、森喜朗氏(97年)、飛鳥田一雄氏(77年)など与野党の指導的政治家が、北朝鮮を競って訪問した。だが、結局コメなどを北朝鮮に「援助」として奪われただけで、日本の成果は何も残っていない。その「成果なき訪朝」を動かしたのは「乗り遅れ」と「置き去り」の声だったのである。だから「置き去り」論は「戦略的歴史観」に欠けている。
 朝鮮半島に軍事的、政治的に深く関与すると、日本は必ず大敗北することを歴史は教えてくれた。7世紀の白村江の戦いや、豊臣秀吉による文禄・慶長の役は歴史的大敗北に終わった。中国が必ず介入するからだ。近代に入っても、日清、日露の戦勝後は帝国主義的植民地化の失敗により、韓国と北朝鮮からいまだに恨まれ、日韓・日朝外交も混迷したままだ。
 しかしながら、朝鮮戦争に直接参加しなかった戦後の日本は、「朝鮮特需」により経済復興という利益を手にしたのである。この教訓は非常に重い。
 実は、中朝首脳会談において、報道も専門家も見落とした一節がある。「朝鮮半島情勢は重要な変化も起きている。情義の上でも道義の上でも、私は時を移さず、習近平総書記同志と対面して状況を報告すべきだった」。中国外務省の公表文には、金委員長のこの発言があった。
 この発言は「これまで中国を訪問せず申し訳なかった」という金委員長の謝罪である。「情義」「道義」という言葉にも、「義理と人情を忘れていた」とのお詫びが込められている。「時を移さず、状況を報告すべきだった」ということから、北朝鮮が南北首脳会談と米朝首脳会談を中国側に事前説明しなかった事実が読み取れる。
 また、夕食会でのあいさつで、金委員長はこうも述べている。「両国関係を継承・発展させる一念で、中国を電撃的に訪問した。我々の訪問提案を快諾した習近平国家主席に感謝する」。特に「訪問を受け入れた習近平主席に感謝する」との言葉には、中国がようやく訪問を許した、との真実がうかがえる。中国は「核放棄を約束するまで訪問させない」との方針を示していたとされるが、金委員長の言葉により、くしくも裏付けられた格好である。
 では、習主席はなぜ「金正恩電撃訪中」に応じたのか。それはひとえに「トランプの背信」にある。トランプ大統領は、大統領選中に中国に対して激しい非難を繰り返したが、就任後は一転して「米中友好」に切り替えている。
 それが、中国製品への大幅な関税引き上げで「貿易戦争」に方針を変えた。中国はトランプ大統領の「敵対政策」復活を敏感に受け止め、「対北朝鮮政策では協力できない」と米国に反撃に出たのである。
 一方で、トランプ大統領は、大統領選でのロシアによる選挙干渉疑惑の捜査の行方を心配している。メディアと世論の関心を他に向けるために、米朝首脳会談に即座に応じたわけである。韓国の文在寅ムン・ジェイン)大統領にしても、支持率回復と憲法改正によって政権の延命を図り、北朝鮮を支援するために南北会談の求めに応じた。言い換えれば、米朝の「仲介役」を演じているのである。要するに、金委員長や習主席をはじめ、トランプ大統領も文大統領も、それぞれが政治的問題を抱えているから首脳会談に応じたのである。
 とりわけ、朝鮮半島の国家は「乗り遅れ」論を流すことで、周辺の大国を外交競争に引きずり込む戦略を展開する。まさに「巻き込み外交」の天才だ。例えば、米ソ冷戦が終結した1990年9月に、旧ソ連は密かに「ソ韓国交正常化」を北朝鮮に伝えていた。
 何も知らない日本は、金丸信元副総理を団長、田辺誠社会党副委員長を副団長として訪朝し、日朝国交正常化や経済支援を約束する羽目になった。国家崩壊を恐れた北朝鮮が日本に画策した「巻き込み外交」が成功したのである。
 北朝鮮は冷戦時代、大国の対立を利用し、中ソの間を行き来する「振り子外交」を得意としていた。だから、今でも周辺諸国に「乗り遅れ懸念」を撒き散らす。南北関係が悪化すれば米朝交渉に向かい、米朝がダメとなれば日本に秋波を送ることを繰り返したのである。
 南北関係と米朝関係、中朝関係、露朝関係が同時に友好であることはなかった。つまり、南北首脳会談も米朝首脳会談も「簡単に成功するとは限らない」、この戦略的視点が大切である。米朝首脳会談の焦点は「北朝鮮の核放棄」「在韓米軍撤退」「米朝平和条約」「対北制裁の解除」、この4つの外交カードをどのように組み合わせた合意ができるかだ。極めて難しい交渉であり、決裂の可能性もある。
 ただし、日本にとって朝鮮半島に関わらない政策が「戦略的」だとしても、拉致された日本人の救出は急務だ。そのためには日朝首脳会談が欠かせない。日本は、拉致問題と核問題を切り離した交渉に持ち込むのが望ましい。安倍晋三首相は4月中旬の訪米でトランプ大統領に対し、米朝首脳会談拉致問題の解決を議題にさせ、核問題と切り離した日朝首脳会談の実現を改めて求める必要がある。
 拉致問題はなぜ解決しないのか。2002年、当時の小泉純一郎首相と金正日キム・ジョンイル)総書記の間で行われた日朝首脳会談で、日本側が「拉致被害者全員の帰国」「北朝鮮の主権侵害」を主張しなかったからだ。北朝鮮高官によると、日本の交渉責任者は「拉致被害者の安否情報」だけを求め、「全員帰国」を要求しなかったという。「国交正常化後の拉致被害者の段階的帰国でいい」という方針だったらしい。
 過去の国際政治から、北朝鮮は必ず「日本に近づく」という教訓を残した。日本は拉致問題解決のために、日朝首脳会談を、欧米の首脳やプーチン大統領、習主席など大国の首脳に常に働きかけ、国連決議に盛り込むことが大切である。
   ・   ・   ・   
2019年5月13日 東洋経済ONLINE「安倍首相「北朝鮮と直接対話」発言の真意
「条件つけずに向き合う」にいぶかる北朝鮮
福田 恵介 : 東洋経済 解説部コラムニスト
 安倍晋三首相は北朝鮮との直接対話に意欲を見せ始めている(撮影:尾形文繁)
 5月に入り、安倍晋三首相が北朝鮮との直接対話に意欲を見せ始めた。
 アメリカのトランプ大統領と6日に行った電話会談で、「私(安倍首相)自身が金正恩朝鮮労働党委員長と条件をつけずに向き合わなければならない」と述べ、日朝首脳会談の実現に動くと明言した。首脳会談を行う以上、日本人拉致問題の解決に資する会談にしなければならないとしてきたこれまでの姿勢から、軌道修正を行ったことになる。
 北朝鮮が首脳会談に応じる可能性は低い
 では現在の状況で、北朝鮮は首脳会談の実現に応じるのか。残念ながら、答えはノーだ。それは、北朝鮮がこれまでの安倍首相の言動をまったく信頼していないためだ。「条件をつけず」と言っても、再び強硬姿勢を続け、常套句の「拉致問題の解決のための会談」と言い出すのではないか――。日本としては拉致問題こそ、北朝鮮に対する最大の問題だが、北朝鮮拉致問題を解決済みとみなしており、これ以上話し合う名分がない問題だ。
 日本との話し合いに応じる優先順位も低い。北朝鮮の外交は、一にアメリカ、二にアメリカ、三が韓国、四に中国、ロシアで、日本はその次だ。今年2月下旬にベトナムハノイで開かれた米朝首脳会談以降、アメリカとの関係は2018年と比べてぎくしゃくしている。しかも5月に入って短距離ミサイルを2回発射するなど、北朝鮮は挑発行為も行った。それだけアメリカとの問題に神経を集中させており、日本への関心は低い。
 安倍首相の発言には、「7月の参議院選挙をはじめ、安倍首相は目先の手柄を上げる必要に迫られている。安倍外交の主軸の1つであるロシアとの北方領土交渉の進展にも減速感が生じている。それなら、北朝鮮と対話でもするか、という下心があるように北朝鮮には見えている」(中国の北朝鮮研究者)。しかも、安倍首相は拉致問題に深くコミットし、その後首相の座を得た人物ということが北朝鮮でも広く知られている。そんな人物が「条件つけずに会おう」と言ってもにわかに信じられない、ということだ。
 もちろん、日本では「過去の清算や経済支援といった名目で金が入るなら北朝鮮は対話に応じる」という見方はある。だが、いまや金の出どころは日本だけではない。現実的に商売相手となっている中国や韓国もそうで、アメリカとの関係が改善すれば経済環境は好転し、アメリカ企業をはじめ他国から資金が流入するだろう。日本のポジションは相対的に低下しているのが現実だ。
 しかし、北朝鮮との対話がすべて不可能かと言えば、そうではない。2018年8月、北朝鮮の対日外交で最前線に立つ宋日昊ソン・イルホ)日朝国交正常化担当大使は「日朝間に必要なのは対話だ。1990年代前半には日本企業と北朝鮮が深く付き合った時代もあった。互いに利益を得てきた実績もある。今後も情勢が変われば、企業間の交流も増やしたい」と『東洋経済』の記者に述べたことがある。
 宋大使が述べた「1990年代前半」とは、1990年9月に自民党金丸信副総理と社会党の田辺誠副委員長(いずれも当時)を代表とする訪朝団(いわゆる「金丸訪朝団」)に対し、金日成主席が国交正常化交渉を提案。その後交渉が行われたことを指す。
 宋大使はまた、「北朝鮮のメディアが『拉致問題は解決済み』『植民地支配から現在に至るまでの謝罪と清算が必要』と言うのは、日本の過去の清算と反北朝鮮的な姿勢を解除せよ、ということ」と説明した。植民地支配に起因する過去の清算を行う約束をし、経済制裁などを行うな、ということだ。宋大使の主張はそのまま、北朝鮮の原理的かつ教条的な主張だ。目新しさもない。だが、北朝鮮にとっては、日本がそのような方向で少しでも行動してくれれば、北朝鮮側も応じるという考えのようだ。
 北朝鮮は「話し合いに応じる用意あり」
 そこで浮かんでくるキーワードが「信頼」だ。金委員長が2018年から積極的に推進してきた首脳外交において、「信頼」という言葉がよく登場する。例えば、米朝首脳会談トランプ大統領に対して「信頼が増している」という一方で、ポンペオ国務長官などアメリカの外交実務者に対しては「信頼がまだ足りない」と北朝鮮側は使い分けている。逆に、2018年に3回の首脳会談を行った韓国の文在寅大統領に対しては「(米朝関係で)おせっかいな仲裁者」といった辛辣な言葉を投げかける。首脳会談で合意した取り決めを、韓国の国内事情やアメリカとの関係悪化で実行できずにいる文大統領に対し、金委員長が信頼を喪失しているためだ。
 核実験やミサイル発射などを繰り返してきた北朝鮮からいきなり「信頼が必要」と言われても、日本としては信頼できないのは当然のことだ。国際社会でどちらが信頼されているかと言えば、言うまでもなく日本だ。しかし、外交は対話を始めるにふさわしい雰囲気作りがあってこそ始まるものだ。とくに北朝鮮からの報道を総合的に評価すれば、原則論を掲げて辛辣な対日批判を続ける裏側で、「日朝関係の改善という大枠を提示し、その中で双方の懸案の問題を話し合うことができる」というメッセージを読み取ることができる。「日朝双方の原則論を包摂するようなビジョンがあれば、話し合いに応じられる」という意味だ。
 その点で、拉致問題の解決ありき、という従来の原則論を脇に置き、「条件をつけず」とした今回の安倍首相の提案は必ずしも否定的な受け止め方をされていない。さらに進めば、信頼の第一歩へとつながる可能性が高い。だからこそ、日本の軌道修正の真偽を北朝鮮側は慎重に見極めているのが現状だ。
 ビジョンや信頼と言う前に、日朝間には重大な問題も横たわっている。それは、日本も北朝鮮もお互いのことをほとんど知らないということだ。前述した1990年代初頭の国交正常化交渉と有力政治家との数回のトップ会談を除けば、日本外交が北朝鮮としっかりと向き合って話し合った経験は非常に少ない。しかも、そのような経験はすでに20年以上前の話だ。指導者も交代し、国際環境も変わった現在の金正恩政権に対して、過去の経験は通用しないと考えるべきだろう。また、北朝鮮の思考方式や論理形成など、交渉を始める前段階の知識さえ不足していることは否定できない。
 北朝鮮側も事情は同じだ。人的往来、とくに党・政府関係者らの相互訪問数は日本側の制裁も重なって極度に少なく、北朝鮮に入ってくる情報も限定的だ。裏返すと、教条的・原理的とも言える対日批判は、日本国民の感情や日本を取り巻く国際環境をきちんと理解したうえでのものではない。日本との関係が細ったため、日本語能力に優れ、日本に精通した人材も極端に減っている。相手を知らないままの状態では、建設的な対話は不可能だ。
 日朝関係が改善すれば、核開発を実質的に進めた北朝鮮と対話を進めることで相互理解と信頼を構築し、日本の安全保障環境の改善を促す。ひいては経済分野をはじめ相互理解につながり、民間レベルでも安定した友好関係に資することが見込める。安倍首相の軌道修正は、北朝鮮にとっても日本に歩み寄れる現実的な提案だ。時間はかかるものの、安倍首相の提案が何らかの対話につながっていけば、「まずはよし」と考えるべきだろう。
 福田 恵介さんの最新公開記事をメールで受け取る(著者フォロー)」
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 社会民主党(英: Social Democratic Party、略称: SDP、SDPJ)は、日本の政党。1996年1月に日本社会党が改称して発足した[1]、社会民主主義を掲げる政党である。
 日本語略称は社民党(しゃみんとう)、社民(しゃみん)。1字表記の際は、社と表記される。
 
 朝鮮民主主義人民共和国
 朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)とは、日本社会党時代から長きに渡り引き続き良好な関係を保っていたが、2002年の日朝首脳会談金正日が拉致を認めた後、社民党朝鮮労働党宛質問状に返答がなかったためと称して、「労働党との関係凍結についてはもう少し慎重に検討すべき」(宇賀神文雄幹事長(栃木))などの反対意見を封殺して、「多角的な議論の上で」(福島幹事長)同年12月関係を凍結すると発表する一方、在日本朝鮮人総聯合会に対して、従来通り友好関係を維持(福島幹事長)するとしている。
 また、一部の地方組織では、北朝鮮と引き続き関係を保っているところもある。
 北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢
 社民党は、社会党時代の1963年に第一次訪朝団を派遣して以来、朝鮮労働党との交流を積み上げ、「朝鮮労働党唯一の友党」を標榜してきた。
 一方で、党の拉致事件への対応について、日本社会党時代から朝鮮統一問題に取り組んできた田英夫は「『ご説ごもっとも。友好第一』で、本当の友人として批判する態度ではなかった」、「拉致を信じていなかった。だまされた」と述べている。
 1990年に、自民党金丸信と訪朝した田邊誠元社会党委員長は、当時拉致問題に関しては全く知らなかったと釈明し、「家族からの陳情も私には届いていなかった。行方不明者がいるという話を小耳にはさみ、訪朝前に外務省や警察庁に聞いたが確認できなかった」と主張した。
 社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、社会科学研究所「月刊日韓分析」編集員の北川広和の論文「食糧支援拒否する日本政府」が掲載され、次のような記載がなされた。「拉致疑惑の根拠とされているのは、つい最近、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである」「産経新聞に掲載された元工作員の証言内容に不自然な点がある」。従って「拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」。「20年前に少女が行方不明になったのは、紛れもない事実である。しかし、それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。……拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出された事件なのである」。2001年、日本人拉致事件が明るみに出て以降も、同論文は同党の公式ウェブサイトに掲載され続けた。
 2002年9月17日の小泉純一郎金正日との日朝首脳会談以降、「これまで朝鮮労働党は、社民党が参加してきた森団長、村山団長の2度にわたる訪朝団との会談で『拉致は存在しない』『行方不明者として調査する』と対応してきた。社民党も同会議の席上、拉致・行方不明者の生存確認の追及を厳しく求めてきた。」との立場を取りつつも、上記論文について、2002年10月3日の常任幹事会後の記者会見で、保坂展人総合企画室長(当時)は、「党の見解と同一かを確認したことはないが、なるべく早い時期に見解を出したい」と述べ、当面は掲載を続ける考えを示した。
 しかし、既に当該論文の内容や社民党における取り扱いなどが、マスメディアによって周知されており、この党の対応に対しては、党員からも抗議が殺到、保坂展人総合企画室長(当時)は「論文が拉致がなかったという内容で、家族の気持ちを思うと不適当だと判断した。今日、執筆者と連絡が取れ、削ってもいいという了解をもらった」 として、論文の削除を行った。
 2002年10月7日、所属する田嶋陽子が、一連の対応を「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判のうえ、離党を表明する事態に陥ると、福島瑞穂幹事長(当時)は、本来、党の政治的見解等の広報を担う機関誌に掲載した論文であるにもかかわらず「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子党首(当時)は田嶋陽子の離党に関する記者会見において、「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。被害者の家族には申し訳ありませんと、お詫びしたい」と発言している。
 安倍晋三内閣官房副長官(当時)は、そのような党の姿勢について、「いかにも(自分が)昔から取り組んでいたかのように、小泉純一郎首相の決断を批判するのは、ちゃんちゃらおかしい。まずは反省するべきだ」「警察も外務省も対応が冷たく、新聞もどこも報道しなかった。それどころか社民、民主の議員は『いいかげんなことを言うな』とわめいていた」等と厳しく批判した。
 平沢勝栄からは「拉致はないと言っていたんだから社会党は。それを信じていたんだから。」「拉致問題はないとは言ってないと言いますけどね、私は土井たか子さんの(発言を)鮮明に覚えてます。土井たか子さんはね、『拉致問題拉致問題って言うけど、先方が拉致なんかないって言っているんだからないんです』とテレビで言った。これは鮮明に覚えています。」と厳しい批判を受け、また、拉致被害者家族の有本嘉代子からは「社民党ですか? 私、あれ日本の政治家と思ってませんよ。あれは北朝鮮の政治家です。」と厳しく批判されている。
 拉致被害者有本恵子は、土井たか子の選挙地盤であった西宮市の出身であり、有本夫妻は当初、北朝鮮にパイプを持つ土井に拉致問題の調査を依頼したものの、拉致の存在を信じていなかった土井は、積極的に取り組まず、土井や社民党に失望した有本夫妻は、土井の対抗馬であり、民社党兵庫県議会議員時代から、日本人拉致事件に取り組んできた自由民主党大前繁雄を2003年の総選挙において応援。その結果、土井たか子は党首であるにも関わらず、兵庫県第7区で落選を喫し、近畿ブロック比例区で復活当選した。
 2003年11月2日放送の『報道2001』では、司会の「かつて社民党は拉致は『でっち上げ』ということをおっしゃっていましたよね」との質問に対し、土井たか子は「そんなことを党として言った事はないですよ、それはおかしい報道ですね。それは事実と違います」と発言した。
  ・  ・  
 田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年2月25日 - 2015年7月2日)は、日本の政治家。
 衆議院議員(11期)、日本社会党委員長(第11代)を歴任。

 社会党での活動
 衆議院では社会労働委員会に属し、社会福祉政策の充実を訴えた。一方、社会党内では江田三郎派に属し、次第に右派の重鎮としての地位を築いていった。1977年、社会党国会対策委員長に就任。
 国対委員長時代には、自民党金丸信国対委員長とのパイプを築いた(国対政治)。盟友関係は金丸の死去まで続き、互いに「マムシナマズ」と呼び合うほどだった。後に金丸が不正蓄財問題で失脚した後、金丸と仲の良かった田辺もダーティーなイメージで見られたが、側近の船橋成幸は、「田辺の私生活は清潔であった」と著書の中で述べている。自民党の実力者との交流は、社会党関係者や市民運動家の要求を通しやすくするためにおこなわれていた側面もあった。
金丸信#政界のドン」も参照 
 1981年1月、水曜会を中心に右派既成派閥「政権構想研究会」結成に参加し、会長に武藤山治政審会長を据えた。しかし、同年11月の社会党委員長選で自派の武藤政審会長が飛鳥田一雄委員長に大敗し、国対委員長を退任した。1982年7月、平林剛書記長の急死で書記長代行に就任。さらに、1983年7月には、石橋政嗣委員長の下で書記長に就任した。1985年12月の党大会で執行部は田邊を中心に作成された新綱領を提案し、協会派の低迷にも助けられて翌1986年1月の採択にこぎ着け、西欧型社会民主主義政党にすることに成功した。
 1986年7月、衆参同日選で、社会党が大敗すると石橋委員長の辞任に合わせて、書記長を辞任した。1989年、土井たか子委員長の下で、副委員長に就任。
 1991年、第12回統一地方選挙では敗北の責任を取って土井委員長が辞任すると、後任の委員長に就任した。河上丈太郎委員長以来、26年ぶりの右派出身の委員長であり、自民党や中道政党とも太いパイプを持つ田邊は、社会党政権交代可能な政党へと脱皮させる人物としてマスコミなどから期待された。田邊もそれに応えるように、影の内閣を党内に設置するなど、政権交代を視野にいれた路線を打ち出した。
 詳細は「社会党シャドーキャビネット#田辺誠「シャドーキャビネット」」を参照
しかし、委員長選挙で左派が推す上田哲との得票差が僅か1万票に過ぎなかったことは、田邊の党内支持基盤が脆弱であることを党の内外に露呈した。田邊自身も必要以上に左派に気を使うようになり、思ったような党内運営は出来なかった。
 「日本社会党委員長#日本社会党委員長選挙の結果」も参照
 1992年、通常国会で田邊委員長は、PKO法案に対し、当初は自衛隊とは別組織にする条件で妥協する予定だった。しかし、自民・公明・民社の三党が別組織論を反故にしたこと、派遣自体に反対する党内意見などの理由で、社民連連合参議院(別組織論)、共産党(派遣自体に反対)と共に牛歩戦術社会党衆議院議員総辞職で反対姿勢を示した。
 党内基盤の弱い田邊は、徹底抗戦を訴える左派を説得することは出来ず、また左派も田邊と自民党とのパイプをはなから期待して、事態の収拾に動こうとはしなかった。PKO関連法案は、自民・公明・民社の自公民協力体制で成立。7月の参院選では、PKO法案に強硬に反対しながら、同法案に賛同した公明党民社党選挙協力するという一貫性のない対応が仇となり敗北した。
 詳細は「PKO国会」を参照
 党内で参院選の敗北の責任を問う声が高まったことや、田邊の盟友の金丸が失脚したことで、政治家としての田邊のイメージも悪化したことから、1993年1月、書記長だった山花貞夫を後継の委員長に指名して、委員長を辞任した。
 「金丸信#失脚」も参照
 1993年、細川護熙連立政権が誕生すると、連合の山岸章会長は、田邊を衆議院議長に推したが、新生党小沢一郎らは左派の発言力封じのために、土井たか子衆議院議長に推し、田邊議長は実現しなかった。それでも、田邊は右派の中心人物として、新生党らとの非自民連立政権維持を説いてまわった。
 そのため、自民党との連立を選んだ村山富市内閣とは距離を置き、1996年9月には社会党の後身である社民党を離党し、民主党設立委員会に参加した。1996年総選挙には立候補せず、政界引退。同年、勲一等旭日大綬章受章。2005年2月に民主党群馬県連常任顧問に就任した。
 政界引退後は、父から受け継いだ老人ホームの経営に専念していた。
 田邊は1990年、金丸信と共に北朝鮮を訪問し、金日成国家主席朝鮮労働党総書記と会談するなど、北朝鮮との交流に熱心であったことが知られている。しかし日本人拉致事件発覚後は、北朝鮮側に対し自分をだましていたと抗議し、関係を絶っている。
 詳細は「北朝鮮による日本人拉致問題」および「社会民主党_(日本_1996-)#朝鮮民主主義人民共和国」を参照
 2015年7月2日死去。93歳没。叙従三位

 南京大虐殺紀念館の建設要請
 浜田幸一によると、田邊が1980年代に中華人民共和国江蘇省南京市を訪れた際『南京大虐殺紀念館を建設する様』求めたという。浜田はこの要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって、同紀念館が建設されたと語っている。しかし、1999年11月と12月の阿羅健一のインタビューでは「パールハーバー50周年の際に日本の反省を述べたことはあるが、南京事件については知らないので、中国に対して南京事件について言ったことはない」と述べている。
 詳細は「南京事件論争」を参照
   ・   ・   ・   

☴4〕─3─ダッカ日航機ハイジャック事件。北朝鮮日本人拉致事件。主体思想と日本人過激派。~No.13  

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本国憲法が、過激派テロリストのダッカ日航機ハイジャック事件北朝鮮の日本人拉致事件を許した。
   ・   ・   ・   
 リベラルな日本人が好む「一人は万民の為に、万民は1人の為に」は、ウソである。
   ・   ・   ・   
 1990年9月 自民党の実力者金丸信社会党副委員長の田辺誠は、北朝鮮の日本人拉致事件が取り沙汰されるのな北朝鮮を訪問し、拉致事件に一切触れず媚びるような態度を通した。
 革新派の日本社会党日本共産党そして自民党内のリベラル派と多くの保守派も、日本人拉致事件には興味も関心もなく、解決する意思はなかった。
 何故なら、日本人拉致事件解決を訴えても、企業からの政治献金は得られないし、選挙区での当選に有利にならないからである。
 各政党内で、日本人拉致事件解決に動いている政治家は変人とされ冷遇され窓際に追いやられ不遇をかこつていた。
 メディア・報道機関も、日本国民さえも、日本人拉致事件などどうでも良かったのである。
 問題は、貧困化して餓死者が出ている北朝鮮国民を如何に救うかであった。
 日本人は、口では真面な事を言ってもそれは世間体としての建前で、本音は面倒には関わりたくない薄情で冷淡で冷血であった。
   ・   ・   ・   
 アメリカ大統領で、日本人拉致事件解決に真剣に取り組んでくれたのはトランプ大統領だけであった。
 日本人拉致事件解決の為にアメリカ政府を動かせたのは、トランプ大統領安倍晋三首相だからであった。
 もし、日本国総理が安倍晋三ではなく別の誰かであったら、トランプ大統領はもちろんアメリカ政府も日本人拉致事件問題の説明を聞かず門前払いとして相手にしてはくれなかった。
 安倍晋三首相であったからこそ、トランプ大統領拉致事件に関与するように説得でき、アメリカ政府に拉致事件解決を目指す日本政府を後押しするように動かす事ができた。
 その為に、トランプ大統領アメリカ政府の駐留米軍費用増額・高額兵器購入・貿易問題・集団的自衛権発動を含む安保関連法案成立・辺野古米軍基地移転などのごり押しを、国内批判を承知で受け入れた。
   ・   ・   ・   
 2020年8月号 Hanada「蒟蒻問答 堤堯/久保紘之
 朝日新聞は監視国家を望むのか
 ……
 情けない自民党
 ……
 日本の甘さが拉致を生んだ
 堤 『めぐみちゃんに早く会いたい』と言っていた父親の横田滋しげる)さんが87歳で亡くなった(6月5日)。無念は察するに余りある。三桁に及ぶ自国民が拉致され、尖閣諸島竹島のように領土も掠(かす)め取られる状況にある。あのに日本はロクに反撃もできない。舐められているからだ。
 横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日。同年9月28日に、日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件が起きている。
 犯人は人質の身代金として600万ドル(当時のレートで約16億円)と、日本で服役・勾留中(こうりゅうちゅう)の仲間6名の釈放を要求した。当時外事課長だった佐々淳行に聞いた話では、政府内では『要求を呑めば、今後さらに日本は人質を取られるようになる』という声が出ていた。佐々淳行も同じ意見だ。
 なのに、時の総理・福田赳夫が『人の命は地球より重い』として犯人の条件をほぼ丸ごと呑んで、9名を釈放し、身代金も支払った。その後、案の定というか、北朝鮮による拉致が始まっている。
 久保 当時、僕は現役で取材していたんですが、ハイジャック犯に手渡した金の要求額に細かい1円単位の端数(はすう)がくっついていたのに気づいた。何だこれはと訊いたら、『服役中に犯人が働いた報酬だ』と言うんですよ。僕はそれを聞いた途端、あまりのアホらしさに目眩(めまい)がしましたね。
 堤 日本の甘さが拉致を生んだんだ。
 横田滋さんの葬儀のあと、妻の早紀江さんと2人の子息の3人が記者会見に応じた。こもごも夫や娘、父や姉への思いを語った。聞くほどにこちらの涙腺も緩んでくる。
 とりわけ印象に残ったのは、双子の弟たちの言葉だ。拓也さんは、父・滋さんの北朝鮮への激しい怒りに接した思い出を話した。
 『お酒を飲みながら、「(拉致を認めた)金正日(キムジョンイル)は許さない。ボコボコにしてやりたい」と言うと、父は「それだけではすまない」と言った。
 私たちの何百倍も頭にきていたはずだが、表に出さなかった。ホントウに強い父だった。目のなかに入れても痛くないほど、姉をかわいがっていた。どれだけ会いたかったかと思うと、悔しくて仕方ない』
 一方の哲也さんはこう言った。
 『金正恩(キムジョンウン)が前の政権(父・正日)の悪行を否定して生まれ変わっていれば、資金や物資をドンドン流入して国民も豊かになり、拉致問題も解決して拉致被害者家族も幸せになれた。
 すべてがウィン・ウィンの関係になれた。にもかかわず、彼はやらなかった。ほんとうに愚かなリーダーだと思います。
 一番悪いのは北朝鮮だが、拉致問題が解決しないことに対して、ジャーナリストやメディアの方だ「安倍総理は何をやっているんだ」という方もいる。「北朝鮮問題が一丁目一番地」と掲げていたのに何も動いていないじゃないかというような意見を目にするけど、安倍総理や安倍政権が問題なのではなくて、40年以上も何もしてこなかった政治家や、「北朝鮮が拉致なんぞするはずがない」と言ってきたメディアがあったからこそ安倍総理、安倍政権が苦しんでいるんです。
 安倍総理、安倍政権は動いて下さっています。何もやっていない方が政権批判をするのは卑怯だと思います。的外れの発言をするのはやめてほしい』
 これを聞いて思いだした場面がある。前原誠司(国民民主党)が国会で安倍に迫った。
 『北方領土問題、拉致問題・・・いろいろ掲げたけど、何も進んでいないじゃないですか。どう思います?』
 そういうお前は、外務大臣(官直人政権)として何をやった?何もしていないじゃないか。議員としてやったことはといえば、八ッ場(やんば)ダムの工事中止と、希望の党を発足させた小池百合子のスカートの下にヤドカリよろしく潜り込んで議席にしがみついただけじゃないか。
 安倍ほど拉致問題に尽力・腐心した政治家はいない。横田滋さんの訃報で取材に駆けつけた記者らを私邸に迎え、安倍は言葉を詰まらせ、涙を滲(にじ)ませて答えた。
 『滋さんや早紀江さんが、めぐみさんを抱きしめる日が来るように全力を尽くしてきたが、実現できずに断腸の思いだ。申し訳ない思いでいっぱいだ』
 その涙が悔し涙でもあることは、日本人なら誰もが察するはずだ。
 ……」
   ・   ・   ・   
 現代日本人と昔の日本人は別人の日本人である。
 責任を取る覚悟で発言して行動する日本人は2割、無責任な発言を繰り返して行動せずに邪魔する日本人は3割、空気・空気圧力・同調圧力で責任も取らず覚悟もなく流されるように行動する日本人や発言も行動もせずに傍観だけの日本人が5割。
   ・   ・   ・   
 日本人が変わり始めたのは、1977年9月28日のダッカ日航機ハイジャック事件からであり、1980年代後半から変化が速くなり、1990年頃にはその変質ぶりが目に見えるようになり、2000年以降はハッキリと分かるようになった。
 その象徴が、社会党自民党連立内閣と民主党内閣であり、同じ穴のムジナである。
   ・   ・   ・   
 現代日本人は惻隠の情を持ちあわれを知しり誰にでも優しく助けたくなる、はウソである。
 現代日本人の本性は意地悪で、薄情、非情、冷淡、冷酷、冷血で、自分より弱い相手・反撃してこない相手には容赦なくイジメを繰り返し、SNSなどに誹謗中傷や罵詈雑言を大量に流して自殺に追い込んでも後悔しないし反省もしない。
 現代日本人は、言葉で人を殺す。
 彼らは正義の徒を自称して、正義の名の下に相手を追い詰め、そして自殺に追い込んでいる。
 それが偽らざる日本人の本性である。
   ・   ・   ・       
 現代日本人と昔の日本人が別人の日本人に変質したのは、1977年9月28日の日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件からである。
 現代日本人が自慢する、日本人の美徳や優秀さ、武士道の潔さと勇敢さ、日本の心や志や気概そして優しさや物の哀れや惻隠の情は、見せ掛けの張り子の虎、虚像、つまりウソである。
 その傾向は、言葉巧みな高学歴出身知的エリートに強い。
   ・   ・   ・   
 戦争を知っている人間がいる間は戦争をしないが、戦争を知らない人間が増えると戦争の危機が増加する、はウソである。
   ・   ・   ・   
 日本には、同じ日本人の命より周辺諸国への忖度を重視する日本人が存在する。

 2020年8月号 Hanada「朝鮮半島通信 重村智計
 追悼・横田滋さん
 安倍晋三首相の孤高の功績と外交官、新聞記者の無責任
 犯罪的な社会党の拉致対応
 6月5日、拉致被害者家族の横田滋さんがなくなった。妻の早紀江さんと家族は記者会見で、安倍晋三首相に『長い間そばで支えてくださった』と述べた。だが、この発言をテレビや新聞は報じなかった。
 拉致被害者家族は息子や娘、兄弟の行方がわからなくなり、10年も悩み、心を痛めていた。自分たちの家族が北朝鮮におる事実を確認したのは30年以上前。1988年9月6日、拉致された有本恵子さんと石岡亨さんが『平壌で暮らしている』との手紙を、命がけで家族に送ってきた。
 大半の新聞、学者、政治家は信じなかった。特に酷かったのは、日本基督(キリスト)教団だ。悩み苦しむ人のための教団が拉致問題に取り組むどころか、拉致に否定的言動を展開し、北朝鮮支援を優先した。
 政治家で最も酷かったのは、当時の社会党土井たか子委員長だ。有本さん夫婦は、地元である兵庫の土井たか子委員長に相談した。手紙も見せたのだが、なんと土井氏はその手紙の写しを朝鮮総連に渡し、北朝鮮に送った。最後まで『拉致はない』と言い続けた。
 被害者家族は、外務省や社会党親北朝鮮人士など多くの人に相談したが、誰も聞いてはくれず、逆に『騒ぐと命がなくなる』と脅された。安倍晋三氏(当時は安倍晋太郎外相の秘書官)だけが、一緒に付き添って各官庁や関係部署を回ってくれた。
 横田滋さんら家族は、苦悩の末に『黙っていても殺されるのなら、声をあげたほうがいい』と決断し、97年に『北朝鮮による拉致被害者家族連絡会』を発足。ここでも、政治家では安倍氏だけが全面的に支えた。
 2002年にキムジョンイル総書記(当時)が拉致を認めるまで、岩波書店の雑誌や和田春樹教授は『拉致はない』との主張を書き続けていた。和田教授はことあるごとに安倍首相を批判し、『安倍首相は拉致問題を解決できない』などという本も出しているが、そんなことを言う資格はない。
 共同の朝鮮報道は要注意
 朝日新聞を中心としたメディアは、北朝鮮の拉致を疑う特集を掲載し、真実を解明しようとしなかった。いま読み返すと、当時の社説や論説は酷いものばかりだ。私は所属していた毎日新聞の論説会議で『北朝鮮の犯行だ』と説得するのに苦労した。『「数十年後に毎日は嘘を書いた」と必ず批判される。責任をとるか』などと反論された。意外に思われるかもしれないが、テレビ朝日拉致問題の報道に積極的だった。
 だが、そのテレビ朝日の『報道ステーション』では、横田さん逝去のニュースのなかで、共同通信編集委員の太田昌克氏が、太田均アジア局長が拉致交渉においてあたかもすごい外交を展開したかもような発言していたが、事実とは違う。
 田中氏は、帰国した拉致被害者北朝鮮に送り返すように主張したのだ。『帰さないと大変なことが起きる』と強硬な姿勢だったが、当時官房副長官だった安部氏が『あなたは日本の外交官か、北朝鮮の外交官か』と問い詰め、ようやく引き下がった。
 さらに田中氏は、首脳会談本交渉で小泉純一郎首相(当時)に『拉致は主権侵害だ』と、金正日総書記に主張させなかった。日本の要求は『拉致被害者の安否情報』だけ。『帰せ』とも要求しなかったのだ。
 もしこの時、小泉首相が『拉致は主権侵害だ。国際法に従って解決すべきだ』と金総書記に言えば、拉致の国際法上の解決は『原状回復』だから、北朝鮮拉致被害者全員を帰さざるを得なかった。
 小泉首相に『主権侵害』を言わせず、外交敗北を招き、国民の命を見捨てた。このどこが『水面下の静かなすばらしい外交』なのか。官僚や政治家の宣伝発言を疑わない、政治部記者特有の〝御用聞き〟というしかない。太田氏は、田中氏が秘密交渉の記録を残さず、隠蔽したことを知っているのだろうか。
 共同通信平壌に支局を置いているが、特派員の常駐は許されていない。多額の『支局経費』も北朝鮮当局に支払っている。国連安保理制裁違反だ。だから『共同は北朝鮮に批判的な記事は書けない』、共同通信記者の北朝鮮発言は『要注意』と、朝鮮問題の専門記者たちは見ている。
 『赦しの信仰』を学ばない
 ……」
   ・   ・   ・   
 2020年8月号 Hanada「澄哲録片片  青山繁晴
 同胞、はらからとは何か
 ……
 北朝鮮との密約
 ……
 日本国は今から18年近く前に拉致被害者のうち5人のかたを取り戻している。周知の通り、小泉純一郎総理と安倍晋三官房副長官らの電撃訪朝(西暦2002年9月17日)によって金正日総書記が初めて、北朝鮮の国家機関が日本国民を拉致したと認め、翌月にまず5人が遂に帰国された。
 帰国された5人から、日本は何を知ったか。中身は見事に伏せられている。しかし北朝鮮にとってそれはほぼ関係ない。インテリジェンスをはじめ日本政府に何を掴(つか)まれるかだけが、独裁者の心配の種である。
 ……
 北朝鮮の不法活動と内情に知悉(ちしつ)していない人であることを条件に、外務省の田中均アジア太洋州局長と北朝鮮のミスターXこと、国家安全保衛部の柳京副部長が『5人ぐらいを帰す』と密約を交わし、あとは犯人である北朝鮮が勝手に被害者を選んで、曽我さんを含め5人を揃えたというのがインテリジェンスの分析である。
 田中局長の主導下で小泉総理は『一時帰国だけ』という言葉を喪(うしな)うような約束まで北朝鮮にしていたという怖ろしい事実もある。
 ……
 18年前に何が起きたか
 ……
 西暦2002年の10月、5人が羽田空港へ帰国されたときのこと。
 家族会の代表として出迎えた横田滋さんは、自らの娘は取り残されているのに、こころの底の喜びを穏やかなお顔いっぱいに表して、抱きあう他の家族を見つめておられた。それが、きょう起きたことのように忘れられない。
 そしてその前月、小泉訪朝の当日のことだ。
 横田滋さんと早紀江さん、有本明弘さんと嘉代子さんら取り残された拉致被害者の家族を、政府は外務省の飯倉公館に集め、小泉内閣で長く官房長官を務めていた福田康夫代議士(のち総理)が、北朝鮮から言い渡された死亡や未入国といった勝手な言い分をそのまま何の検証もすることなく、家族に言い渡したのだった。
 日本の政治史に残る恥ずべき、国民を国民とも思わないような冷たい仕打ちであった。
 めぐみさんは自殺したと言い渡され、滋さんや早紀江さんが精確な情報を問うと、福田官房長はほとんど答えず『だから亡くなっていますから』という答えぶりだったという。
 その直後、むごいことに家族会の記者会見が開かれ、滋さんは悲痛苦に耐えようとするあまり、いつも穏やかな顔が真っ赤に染まり、言葉がしゃくり上げるように血の涙で千切れて、うしろから早紀江さんが滋さんをかばって『めぐみは本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと思うことで私は頑張ってまいります』と仰って涙を零(こぼ)されたこともまた、今日たった今に目撃している悲しみと苦しみとしか思えない。
 政治家への嫌悪感
 ……
 前述のとおり、田中さんは、北朝鮮の高官X(エックス)、現在では国家安全保衛部の柳京副部長と判明している人物と国会の意思などまったく何も関係なく自分の判断で接触し、交渉し、妥協し、『たった5人を一時帰国させるだけで日本がおよそ1兆円の現金を米ドルで北朝鮮に払う』という趣旨の密約を交わしていた。
 この密約を諒解したのは小泉総理だけであり、小泉さんは他の議員の意見などまるで聞かない総理だったから、余計に国会議員の関与する余地はなかった。それなのに、まるで関与しているかのような顔で座っている国会議員が許せなかったのだ。
 こうやって北朝鮮によって、いわば拉致事件が人質ビジネスに姿を変え、1兆円が小泉総理から支払われるのを待つことになった。
 ところが日本の『世論』という北朝鮮からみれば姿なきもののためにご破算となった。
 ……」
   ・   ・   ・   
 2020年8月号 WiLL「横田さん一家を悲しませた朝日社説と政治家の実名
 阿比留瑠比
 拉致を否定してきた人間が『申し訳ない』とは、どの口が言うのか
 拉致解決を遠ざけてきた犯人
 ……
 産経新聞は1980年の『アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?』という記事を皮切りに、いち早く北朝鮮の拉致関与を疑ってきました。その一方で、他の新聞・テレビ局はダンマリを決め込んでいた。
 かつて日本社会において、北朝鮮批判はタブーに等しかった。一つの例として、国名の表記が挙げられます。産経新聞が開き直って『北朝鮮』と書き始める前まで、各紙は揃って『朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)』と表記していました。『北朝鮮』と省略すると、朝鮮総連から抗議が来るからです。
 北朝鮮を批判的に報じてきた産経新聞の社屋に、朝鮮総連の人たちが押し寄せることもあった。
 ……
 どの口が言っているのか
 社会党の政治家たちも、拉致問題解決を懸命に妨害してきました。
 2002年に帰国を果たした地村保志さんの父親・保さんは、社会党党首だった土井たか子氏に『拉致などない』と言われたことを証言しています。社会党議員が拉致被害者の家族から拉致問題解決の請願や陳情を受けると、その情報を北朝鮮に知らせていたと囁(ささや)かれている。
 菅氏は首相時代、拉致被害者家族との懇談会で、『万が一の時に北朝鮮における拉致被害者をいかに救出できるか。いろいろと考えておかなければいけない』『救出に直接、自衛隊が出ていって、向こうの国の中を通って行動できるか』と、北朝鮮への自衛隊の出動をほのめかしたことがある。しかし案の定、周囲には『オレが本気でそんなことを考えているとおもうか?』ともらしていたそうです。
 人間として失格
 今の野党の源流となる勢力が拉致問題解決を阻んでいた一方、政府や自民党も決して問題解決に積極的ではなかった。
 1999年、外務省アジア局長に内定していた槙田邦彦氏が、『たった10人のことで日朝正常化が止まっていいのか。拉致にこだわり、国交正常化が上手く行かないのは国益に反する』と発言したことがあります。私が別の外務省幹部に取材したところ、『河野洋平外相(当時)が日頃から話していることを代弁しているにすぎません』と告げられました。前述した朝日新聞の社説の論調に似ていますが、外務省も自民党幹部も所詮、朝日新聞と同じような認識だったのです。
 小泉政権時代にも、『拉致はもういいだろう。テレビで扱っても視聴率は取れないよ』と平気で言ってのける自民党の大物議員がいました。
 小泉訪朝時、官房長官を務めた福田康夫元首相も、拉致問題に消極的でした。有本恵子さんについて記者に尋ねられ、『北朝鮮拉致事件ではない』と言ったことがあります。有本さんを拉致したのは赤軍派八尾恵氏ですが、主体(チュチェ)思想を信奉していた彼らは当然、北朝鮮と一体となって動いていた。福田氏は詭弁を弄してまで北朝鮮をかばおうとしたのです。
 小泉訪朝後、福田氏は拉致被害者家族を呼び出し、『あなたの子供はなくなっています』と、被害者の安否について北朝鮮の発表をそのまま伝えた。他の家族の方が『何だその言い方は!』と怒ると、『あなたな子供は生きているんだから、いいじゃないですか』と。政治以前に人間として失格です。
 お前が言うな
 ……
 タブーの時代を経て
 2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)との初会談で、北朝鮮金正日総書記が拉致の事実を認めました。ようやく日本人が北朝鮮の悪事を知ることになりましたが、あまりにも時間がかかりすぎた。誤った歴史認識に基づく朝鮮半島への贖罪意識なのか無関心なのか、日本人は拉致被害者家族に冷たく接してきたのです。
 1998年、横田滋さんは家族会を結成し代表に就任した。それ以来、早紀江さんとともに全国を回り、署名活動や講演を重ねてきました。めぐみさんを取り返す為に立ち上がった横田家の苦労は、想像を絶するものだったでしょう。横田夫婦がビラ配りを始めた頃は、ビラを受け取らないどころか、叩き落とす人すらいた。
 そんな〝冬の時代〟にあっても、横田夫婦を支えていたのが安倍首相にほかなりません。
 ……
 安倍首相は、父の安倍晋太郎元外相の秘書官時代から拉致問題に取り組んできました。当時のメディアも政治家も、ほとんど誰も拉致自体を信じず、相手にしないような時代だった。……
 小渕恵三政権時代、当時の野中広務官房長官(当時)と鈴木宗男官房副長官(同上)が、『北朝鮮を批判して跳びはねて安倍はけしからん』と放しているのを目撃したことがあります。票にも金にもならない拉致問題は、政治家にとって〝うまみ〟がありません。むしろ、北朝鮮とつながりのある野党政治家から睨まれ、自民党幹部から煙たがられる。
 実際、安倍首相は当選同期の中で政府のポストに就くのは最も遅かった。それでも安倍首相は政治家人生をかけて拉致問題に取り組んできたのです。
 ……
 安倍首相は何もやっていないと簡単に言い切る人がいますが、……。
 ……
 安倍・トランプの本
 ……
 小泉初訪が実現した背景には、ブッシュ政権による強い圧力がありました。北朝鮮をイランとイラクに並べて『悪の枢軸』と名指しし、金融・経済制裁を発動した。追い詰められて日本に泣きついた格好です。武力で拉致被害者を奪還するという選択肢を持たない日本は、米国をはじめ世界各国を巻き込んで北が動かざるを得ない状況をつくるしかない。
 拉致問題を解決して国交正常化を果たした暁(あかつき)には、日本が巨額の資金援助を行う用意があるということも、トランプ政権を通じてすでに伝えてあります。 
 北朝鮮にとって、まとまった金の援助は日本しか期待できません。韓国の経済状況は良いとは言えず、1兆円規模の支援は難しい。日本は韓国との国交正常化にともない莫大な経済支援を行った前例があるので、金正恩も同額かそれ以上を狙っているのだと思います。
 ……
 戦後日本の象徴
 …… 
 若者層への啓発として政府がつくったアニメーションビデオ『めぐみ』を学校に配ろうとしても、韓国人・朝鮮人差別につながるという理由にもつかない理由で、生徒に見せない学校がたくさんあります。
 様々な妨害がありながら、それでも次の世代にバトンを渡し、北朝鮮の国家犯罪を糾弾しなければなりません」
   ・   ・    ・  
 日本赤軍中核派革マル派など暴力革命を目指した過激派反天皇反日的日本人達が起こしたテロ事件の陰が、亡霊の如く現代日本に存在している。
 左翼・左派・ネットサは、国民の権利や生命財産を犠牲にしても「権力に抵抗する」事が正義であるとするDNA・遺伝子、心・志を正統に受け継いでいる。
   ・   ・   ・   
 日本の野党は、日本人に見捨てられて消滅した日本社会党のDNA・遺伝子、心・志を色濃く継承している。
 保守党である自民党の中にも、馴れ合いの55年体制を維持していた関係で日本社会党の怨霊が存在し、それが親中国派・媚中派、親韓国派、親北朝鮮派、親ロシア派などに潜り込んでいる。
   ・   ・   ・    
 現代の自民党は、拉致被害者とその家族を見捨てた昔の自民党を総括せず、拉致事件を解決しまいとしたDNA・遺伝子を僅かながらに現在も引き継いでいる。
   ・   ・   ・    
 2020年現在においても、北朝鮮が行った国家犯罪の日本人拉致事件解決には非協力的な日本人が少なからず存在する。
 そうした勢力に北朝鮮主体思想が浸透している。
 彼らは、日本人拉致被害者救出による事件解決より日朝正常化を優先すべきだと主張している。
 その言動は、戦時中の連合軍首脳部の「ナチス・ドイツとの戦争に勝利すればユダヤ問題(ホロコーストの虐殺)は解決する」という発言ににている。
   ・   ・   ・   
 日本のメディア・報道機関が、日本人の権利や生命財産を守る味方、守護者とは限らず、その逆で、権利を害し、生命を見捨てる、切り捨てる存在である事もある。
   ・   ・   ・   
 日本人拉致事件を生み出した張本人は、お人好しの自民党政権であった。
 日本人拉致事件を食い止めず、拉致された日本人の救出を妨害し見殺しにしたのは、無責任な野党とメディア・報道機関であった。
 つまり、国家権力である政府も議会も、政治家も官僚も、守るべき日本人・日本国民を助ける事なく切り捨てたのである。
 そして、メディア・報道機関も同罪であり、左翼・左派・ネットサハもやはり同罪である。
 彼等は口では真顔で「人助け」といっても、実際は人を助けない。
 それは、現代においても変わりはない。
   ・   ・   ・   
 現代日本では日本人拉致事件を解決するには、日朝国交を回復し、植民地支配を謝罪し、戦争賠償金を支払い、経済支援を行い、北朝鮮の為に行動するべきだと、本気で主張する日本人が少なからず存在する。
   ・   ・   ・   
 現代日本には、醜悪で無責任な綺麗事、人を貶めるような現実にあり得ない理想を強制する様な言動が渦巻いている。
   ・   ・   ・   
 現代日本人は、キリスト教価値観から、右の頬を打たれたら屈辱や敵意を抱かず抵抗も報復も復讐もせずにこやかに喜んで左頬を殴って貰う為に差し出す。
 現代日本人の最大の関心事は、「自分一人が殺されない」事で、あとは殺されようが拉致されようが構わないと割り切っている。
   ・   ・   ・   

☴18〕─3─韓国人男性とフィリピン人女性の混血児コピノ。フィリピンで韓国人殺人事件が増加している。~No.83 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 韓国人男性とベトナム人女性との混血児ライダイハンは、1,500人~3万人。
 韓国人男性とフィリピン人女性との混血児コピノは、2014年時点で3万人でなおも増加中である。
 ライダイハンもコピノも、韓国人父親に捨てられた私生児である。
 ベトナムやフィリピンでは、混血児は汚れた血を持った穢らわしい存在で住民の恥さらしとされ、軽蔑され差別され虐めな生活を強いられていた。
   ・   ・   ・   
 韓国人・朝鮮人は、中国人同様に肉食系で性欲が強く繁殖能力が高く、混血児を数多く生み出す。
 対して、日本民族日本人は草食系で性欲が弱く繁殖能力は低く、混血児を生み事は少ない。
 日本軍は明治時代の台湾出兵以来数多くの海外で戦い、その度に一部の日本人兵士は地元人女性に対して性犯罪を行ったが混血児はあまり産まれなかった。
 日本人兵士は、地元人女性を強姦するより結婚し、帰国せず戦地に残り土着し、妻の生家の家業である農業や漁業を継ぎ貧しいながらも家族を養った。
   ・   ・   ・   
 反日派韓国組織は、韓国政府からの活動資金支援を受けて、フィリピン各地で従軍慰安婦像設置運動を展開している。
 日本の市民団体は、この運動を支援している。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 コピノ(Kopino)は韓国の男性とフィリピンの現地女性の間で生まれた2世をフィリピンで言う言葉である。コリアン(Korean)とフィリピノ(Philipino)の合成語である。
 2008年12月時点で、コピノは韓国人が多く居住しているマニラ首都圏(メトロ・マニラ)のケソンだけで1500人内外がいると把握されており、2012年基準で2万人との推定や、ウォールストリートジャーナルによれば2014年時点で3万人にも膨れ上がっていると報じられている。
 社会問題
 韓国男性がフィリピン女性を妊娠させ出産となっても、ほとんどの場合韓国へ帰国をしたり、認知や支援をしないため、コピノの大半は貧困で教育もろくに受けられず、汚物のたまった掘っ立て小屋で粉ミルクすらまともに摂取できない最底辺の生活を余儀なくされている。
 フィリピンにはコピノのほかにも先進国の外国人との混血児がいるが、これらの国の社会福祉団体は混血児を体系的に支援し、母親への職業訓練も行っている。現地でコピノ支援活動を行うモク・チンヒョクク東方社会福祉会理事は「何よりも父親の態度が違う。米国人や日本人の父親は子どもの存在を知ると、養育費を送ったり自国に連れて行ったりするケースが少なくとも半分を占める」と語っている。一方、韓国人の父親のほとんどは子どもの存在を知らないか、または否定をするという。
 コピノが増加している要因として、韓国人の買春旅行、短期語学留学生の無責任な振る舞い、加えてフィリピンでは1930年以来堕胎が違法化され、しかも大部分が避妊と堕胎を許容しないカトリック信者である点も理由に挙げられる。
 フィリピンの観光客全体のうち韓国人の比率は23.6%(2011年)と最も高い割合を占める。旅行業界関係者は「木曜日や金曜日のフィリピン行き飛行機はほとんど満席だ」と語っており、これらの観光客の行先地は、おおよそ昼にはゴルフ場、夜には歓楽街と決まっている。短期語学研修生たちも英語を早く習うと、フィリピン女性と同居し子供まで産んで、無分別に韓国に帰る場合も少なくない。僑民団体関係者は「フィリピン女性たちは、特に避妊を要求せず、カトリックの影響と費用の問題で中絶もしない」とし、「フィリピンを訪れた男性たちはフィリピンに自分の2世がいるかも知れないと考えて見なければならないだろう」と語っている。
 米国や外国に比べて物価と教育費が安く、1対1の英語教育が可能で、英語研修地として脚光を浴びているフィリピンに、短期の語学研修に行く韓国学生たちは、2007年現在で年に4万名にも達している。この中の一部学生たちの度を越えた不法・不道徳行為は社会的問題を惹起するだけでなく、韓国への印象すら悪化させている。最も大きな問題は不法買春で、中にはフィリピン女性たちに変態的性行為を要求するだけでなく、暴力を振るうなど加虐的行為も行う者もいた。
 また、フィリピン語学研修関連カフェにおいて、語学研修に行って来た学生の中の一部が、夜文化という交流会を作り、自分と付き合ったり性的関係をもったフィリピン女性たちを写真を使って晒し者にするという事件もあった。
 このような醜態によって、韓国人を見るフィリピン人たちの視線は日増しに厳しくなっており、嫌韓感情の高まりの一因ともなっている。
 2010年に入ってから数年で1万人から3万人に急増している。フィリピンは、韓国人にとって人気のある旅行先であり、フィリピンを訪れた外国人470万人のうち25%が韓国人である。フィリピンでは、韓国が熱心に問題提起している慰安婦問題と同様、韓国人がフィリピン女性を性的搾取する加害者になりつつあると批判する報道もある。一部、韓国人の父に認知されて引き取られ、韓国で育つコピノも存在するが、排他的な社会風土の中で貧しい国の女性との混血児ということで差別を受けることが多い。
   ・   ・   ・   
 YAHOO JAPAN!ニュース
 フィリピンで続出する韓国人殺人事件…その背景に潜む韓国の“不都合な真実
慎武宏 | ライター/スポーツソウル日本版編集長
 2017/1/29(日) 7:39
 フィリピンのドゥテルテ大統領(写真:ロイター/アフロ)
 「あなた方の同胞の死に対して謝罪する」「そのようなことが起きたことは非常に遺憾」 「殺人犯は最高刑を受けることになるだろう」
 これはフィリピン警察庁が最近発表した韓国人拉致・殺害事件に対する、ドゥテルテ大統領の言葉。フィリピン在住の韓国人事業家が現地警察に拉致され、警察庁舎で殺された事件だ。フィリピン検察はこの事件の容疑者として、警察官2人を含めた7人を起訴している。
 このショッキングなニュースは韓国でも注目を集めており、韓国ネット民たちは「早くフィリピンを旅行禁止国家に指定するべき」「韓国にいるフィリピン不法滞在者を一刻も早く捕らえて送還しろ」「フィリピンには短期旅行でも行かないほうがいい。国全体が腐っていると見るべき」「フィリピンでの韓国人殺害のニュースはもう10年もやっている。未だに行く人の理解ができない」などと書き込んでいる。
 今回の事件は警察官が関係しているだけに深刻だが、そもそもフィリピンは韓国人にとって危険な国と言えるかもしれない。
 それは数字に表れている。2013年~2015年にかけて、海外で殺害された韓国人は計79人に上るのだが、そのうちフィリピンで殺された韓国人が31人。全体の40%がフィリピンで被害に遭っているのだ。2016年も計9件の殺害事件が起こっており、犯人のうち4人は元・現職警察官というのだから驚かざるを得ない。
 韓国人被害者が増えているのは、“金銭トラブル”が主な原因と分析されている。
 (参考記事:ここ3年間で31人も!! フィリピンで韓国人の殺害事件が急増するワケ)
 が、問題はそれほど単純ではなさそうだ。というのも、前出の韓国ネット民のコメントにも書かれていたが、それでもフィリピンを訪れる韓国人旅行者が多いからだ。しかも韓国文化研究院が発表した「2012年国民旅行の実態調査」によると、50代以上の海外旅行者数は3年余りで40%以上も増加したという。
 ある韓国メディアは、その理由をこう報じていた。
 「50代中年男性が中心となっている東南アジアのゴルフ旅行は、すでに“海外遠征買春ツアー”と同じような扱いを受けている。そのなかでもフィリピンは韓国の中年男性たちに圧倒的な人気を誇る」
 最近では中年ばかりでなく若者も多いようで、2015年8月にはフィリピン人女性を買春したという韓国人男性207人が検挙される衝撃の事態も起こっている。
 (参考記事:買春目的でフィリピンに訪れた韓国人男性207人が検挙の衝撃!!)
 混血児“コピーノ”の問題も注目されており、もしこういった実状がフィリピンで起こっている悲劇の遠因だとしたら、韓国側にも自らの素行を省みなければならない部分もあるのではないだろうか。
 韓国では年々増加する旅行者数が増加していることから、“年間2000万人出国時代”と表現されてもいるが、一方で韓国を訪れる外国人観光客も増加の一途を辿っている。
 2012年に初めて1000万人を突破したことを皮切りに、2014年には1420万人に。2015年こそ微減(1323万人)したが、昨年は1724万人と過去最高を記録した。
 詳しい統計を見ると、中国人観光客が約600万人(2015年)から800万人(2016年)、フィリピン人も33万人から45万人と大幅に増えていることがわかる。ただ、このような現象が今後も続くとは思えない。
 『韓国経済』によると、韓国の「格安パッケージツアー」を経験した外国人観光客のほとんどが「二度と韓国に行きたくない」と答えたというのだ。
 さらに、残念なことに韓国では外国人観光客、とりわけ女性観光客のトラブルが増えているという。オーストラリアでは、これまで「女性観光客にとって危ない国」ランキングのトップはインドだったが、最近は韓国の名が挙がるようになってしまった。
 (参考記事:外国人女性の被害続々…“女性観光客にとって危ない国”に落ちた韓国)
 今回の件でフィリピンを非難する声は大きく、それは当然ともいえるが、海外旅行に出る人や訪韓する外国人が増えている今だからこそ、その国の国民性が問われているような気もする。二度と悲劇が起きないようにフィリピン当局はもちろんのこと、韓国側も努力するべきことがあるのではないだろうか。
 慎武宏
 ライター/スポーツソウル日本版編集長
 1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(大韓サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)に記者登録されており、現在は韓国の有名スポーツ新聞『スポーツソウル』日本支社長も務めている。
   ・   ・   ・   
 産経WEST 
 2016.1.17 16:05
 韓国人連続殺害 なぜ韓国人はフィリピンで襲われるのか?
 フィリピンで起きている韓国人連続殺害事件が韓国社会に波紋を広げている。2015年に殺害された韓国人は計11人に上り、2013年から2015年10月の3年足らずで31人が殺されている。なぜ、韓国人はフィリピンで殺害されるのか。韓国政府も対策に乗り出しているが、今のところ思うような成果は挙っていないようだ。
 2015年12月20日、フィリピン中部のマラル市で建設業を営む50代の韓国人男性が同居していた女性と宿舎の寝室にいたところを4人組の男に襲われた。男たちは金品を奪って車で逃走しようとしたが、1人の男が宿舎に引き返し、韓国人男性に銃弾を放って殺害した。
 ■女子留学生も殺害
 2015年10月2日にはフィリピンのマニラ近郊に住む50代男性と40代女性の韓国系夫婦が自宅で銃撃されて死んでいるのが見つかった。現地の警察は外部から自宅に侵入した形跡がないことから、顔見知りによる犯行の可能性があるとみているという。
 犯罪の対象となる韓国人も現地で事業に携わる企業家や移住した人などさまざまだ。2014年3月にはマニラで20代半ばの女子留学生が拉致される事件が発生した。女子留学生は約1カ月後に遺体で見つかり、韓国社会に衝撃を与えた。女子留学生は友人に会うためにタクシーに乗って移動していたところを拉致された。
 ■わずか3年で8倍増
 韓国外務省がまとめた資料によると、2013年に海外で韓国人を標的とした犯罪が最も多かったのがフィリピンで780件に上る。2010年には94件だったのが、2013年には8倍以上にもなったことになる。ちなみに2012年では中国が759件と最も多く、フィリピンは628件だった。
 殺人に絞ってみてもフィリピンで韓国人を対象にした事件が多発していることが分かる。2013年から2015年にかけて海外で殺害された韓国人は79人だが、そのうちフィリピンで殺された韓国人は31人で全体の約40%にもなる。
 フィリピンに滞在する韓国人は約9万人で、年間の訪問客も2011年には約85万人だったのが、今では100万人を超えている。フィリピンは英語が通じて、物価も比較的安いため、社会の第一線を退いた後、移住先に選ぼうとする韓国人は多いという。
 ■「韓国人は裕福」
 では、韓国人はなぜ標的になるのか。フィリピンでは韓流ブームなどの浸透で、「韓国人は裕福だ」という印象が強い。つまり、金目当てだ。
 また、現地では対韓感情があまりよくないケースもあるという。買春目的でフィリピンを訪れる中高年男性もいるほか、海外ということもあって高圧的な態度で接することがあり、反発を招く。また、フィリピンでは海外に出稼ぎに行く労働者の送金が経済を支える柱の一つとなっているが、外国人労働者として韓国で働いているうちに、印象が悪化。そのうち帰国してしまい、嫌韓感情がぬぐい去れないままになっていることもあるという。
 ■警官装って近づく
 フィリピンは銃が比較的、容易に入手できる「銃社会」であることに加えて、拉致などの手口が非常に巧妙化している。中には警察を装って近づいてくるケースもある。
 2014年8月にマニラで起きたケースでは40代の韓国人が街頭でタバコをくわえたところ、警官の服を着たフィリピン人男性が「公共の場所でタバコを吸った。警察署に連れて行く」といって、この韓国人を車の中に連れ込んで金品を奪った。被害に遭った韓国人は、車が信号で停まった機会をつかまえて車外に逃げ出したという。
 フィリピンで発生した韓国人を狙った犯罪を取材した韓国メディアの担当者は「フィリピンには日本人や中国人もいるのに、韓国人をうまく見分けて犯罪の標的にしている」と感想を漏らしている。
 フィリピンで起きる韓国人殺害事件の多くは金銭トラブルが原因と考えられており、韓国政府はフィリピン政府や警察当局に対して、韓国人の安全対策強化を申し入れている。
 ■コリアンデスク設置
 韓国政府は2014年4月にフィリピンに職員を派遣し、フィリピン警察で韓国人関連の事件を担当する「コリアンデスク」の設置を支援するなど対策を取っている。また、韓国外務省の担当者は総領事館の追加設置を検討することを明らかにしている。
 しかし、事件は後を絶たない。こうした中、現地の韓国人が食堂や事務所を多く構えているマニラのマラテ地区では自警組織を編成し、専用の派出所を設けるなど自衛に乗り出している。
   ・   ・   ・   

☵46〕─3─日本、拡大G7の韓国参加に反対 対中、北朝鮮外交に懸念。~No.390 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2020年6月28日06:00 msnニュース KYODONEWS 共同通信社
日本、拡大G7の韓国参加に反対 対中、北朝鮮外交に懸念
 © KYODONEWS G7の拡大構想
 トランプ米大統領が5月に表明した先進7カ国首脳会議(G7サミット)拡大構想を巡り、日本政府高官が米政府に対し、韓国の参加に反対する考えを伝えていたことが27日、分かった。中国や北朝鮮への外交姿勢がG7と異なると懸念を示し、枠組みの維持を求めた。米側は「トランプ氏が最終判断する」と応じた。複数の日米外交筋が明らかにした。韓国政府はG7参加を歓迎しており、反発は必至だ。
 日本側の対応にはアジアから唯一G7に参加する外交的優位を守る思惑もある。安倍晋三首相の意向を踏まえたとみられる。歴史問題などで対立する日韓関係の冷却化を進める可能性がある。」
   ・   ・   ・   

☵18〕─1─慰安婦問題で日本人の精神解放を。元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦。~No.146No.147No.148 ⑪ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2020年6月28日10:00 産経新聞「【新聞に喝!】日本人の「精神奴隷」化に終止符を 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦
 韓国・大邱で記者会見する元慰安婦の李容洙さん=5月25日(共同)
 5月25日、韓国の大邱(テグ)で元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)さんが記者会見し、「正義連に対し『30年間も利用され、だまされてきた』と強調。元慰安婦を『性奴隷』と主張し、旧日本軍による被害を訴える運動のやり方にも『どうして私が性奴隷なのか。とんでもない話だ』と怒りをあらわにした」という(5月26日、朝日新聞朝刊)。
 「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)の後継団体である正義連または「正義記憶連帯」とは、正式名称を「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」という。
 20年前の平成12年の年末に、東京の九段会館などで「女性国際戦犯法廷」と呼ばれる裁判劇が開催された。こちらも正式名称があり、「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」という。
 実はこの裁判劇は、慰安婦救済のために開催されたものではない。慰安婦問題を口実にして、戦犯にならなかった昭和天皇に、戦争犯罪人の汚名を着せるために開かれたものである。つまり「戦犯」とは、昭和天皇のことなのだ。そして予定通り、昭和天皇を有罪と判決して終了した。
 したがって、裁判劇を立案し実行した人たちの歴史観は、「東京裁判不十分史観」あるいは「東京裁判でもまだ足りない史観」と呼ぶべきものである。そしてこの裁判劇には、新聞では朝日新聞、放送ではNHKが深く関与していた。
 現在の世界には、本物の性奴隷と言うべき人々が存在する。2018年のノーベル平和賞を受賞した、「イスラム国」(IS)に拉致されて悲惨な体験を強いられたイラクのヤジディ教徒の女性のような人々である。つまり、慰安婦を性奴隷と呼ぶことは、本物の性奴隷の人々に対するこの上ない冒涜(ぼうとく)に他ならない。
 昭和天皇慰安婦との組み合わせは、昨年の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」でも、執念深く再現された。それに対する批判は、現在、大村秀章知事に対するリコール運動を誕生させている。日本は慰安婦問題によって完全な冤罪(えんざい)をでっち上げられ、その汚名に苦しみ続けている。
 性奴隷という言葉は慰安婦問題のキーワードであり、それによって、日本人は精神奴隷にさせられているのである。ついに、元慰安婦の人間が性奴隷であったことを完全に否定した。それなのに、日本人はいつまで精神奴隷という悲惨な境遇を甘受し続けるつもりなのか。
  ◇   
 【プロフィル】酒井信彦(さかい・のぶひこ) 昭和18年、川崎市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂(へんさん)所で『大日本史料』の編纂に従事。」
   ・   ・   ・