💦3〕─1─韓国のウリジナルとはあったら良いなという架空の創作物語。~No.5No.6No.7 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ウリジナルは、民族の文化に自信がない為に始まった。
 独自の民族文化が少ない為に、無理して増やそうとしている。
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 全ての日本文化の起源が韓国という真っ赤な嘘。
 朝鮮の文化は中国の真似事で独自の文化はあまりない。
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 日本民族は、南方系海洋人を古層とする雑種混血民族である。
 朝鮮・韓民族は、北方系草原人を祖先とする純血種に近い民族である。
 日本文化は海洋人的であり、朝鮮・韓文化は草原人的である。
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 漢族や北方遊牧民の子孫が南下して朝鮮半島に攻め込んでくるまで住んでいた先住民は、日本列島から渡来した縄文人倭人であった。
 縄文文化が、古朝鮮文化であった。
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・縄文顔と弥生顔の違い
顔の特徴|縄文系  |弥生系
・顔形 |四角・長方形  |丸い・楕円形
・彫り |立体的  |平坦
・眉  |太い・濃い・直線|細い・薄い・半円
・髭  |濃い・多い |薄い・少ない
・まぶた|二重  |一重
・頬骨 |小さい  |大きい
・耳たぶ|大きい・福耳  |小さい・貧乏耳
・鼻  |広い・高い |狭い・低い
・唇  |厚い  |薄い
・歯  |小さい  |大きい
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 日本に於ける美男美女は朝鮮半島系で、ダサい日本人は南方系である。
 高度に洗練された知性的日本人は、朝鮮半島系である。
 国際的な文化、知識や教養に近かったのは、朝鮮半島であって日本列島ではなかった。
 日本列島は、世界の果て、地の果て、海の彼方に「孤独」に浮かんでいた。
 日本列島の先には、海以外に何もなかった。
 日本は、朝鮮に比べて見劣りしていた。
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 2015年5月4日 産経ニュース「【野口裕之の軍事情勢】
 韓国の「国歌機密」 作曲者は親日、「不都合な歴史」を封印
 サッカー・ワールドカップ日韓大会での韓国代表の試合前に、「愛国歌」を斉唱する韓国サポーターたち。この国歌には韓国にとって「不都合な歴史」が刻まれている=2002年6月25日、大阪市生野区(大西正純撮影)
 韓国では国歌演奏・斉唱中のブーイングは許されるが、ストレッチは処罰対象となるようだ。韓国プロバスケットボールチーム所属の外国人選手が3月、韓国国歌《愛国歌(エグッカ)》の演奏中にストレッチをしていた行為が引き金で懲戒処分=解雇に処された。が、2013年に韓国で開催されたサッカーの東アジアカップでは《君が代》斉唱時、スタンドを揺るがすブーイングの嵐が起きた。自国国歌への非礼に激憤する一方で、他国国歌を侮辱できる品性と常識の欠落は、日本の国辱ではなく韓国の国辱。恥ずかしいと感ずる感性が育まれぬ社会の幼児性は哀れだ。
 独自性に乏しい文化や経済・産業を国際的に認知させるべく、自らを褒め、他者をおとしめる手口だろうが、それではますます国際で埋没してしまう。あるいは「君が代起源は韓国」であるからして、ブーイングは勝手し放題とでも言うのか。神道や武士道にはじまり柔・剣道、茶道や和歌・俳句、歌舞伎や折り紙、すし、果ては日本語まで「韓国発祥」と、大まじめでホラを吹く内は児戯で済まされる? しかし「君が代起源説」が、韓国にとり“爆弾”に成り得る危険を理解できていない。愛国歌は、日本に学び、日本を理解する人物によって創られたのだ。自らの劣等感を払拭せんと、もがけばもがくほど「歴史の軽さ」が暴露される。「日本離れ」する韓国の誕生を願っている
 作曲者は親日という史実
 韓国語で「われわれの」を意味する「ウリ」とオリジナルをかけて呼ぶ「ウリジナル」には、すっかり慣れているつもりの小欄も、2009年の韓国紙報道には仰天した。れっきとした大学総長が、以下の主旨を主張したのだった。
 《日本に上陸した朝鮮人・金(キム)氏が王国を造った。キム氏が日本の覇者=天皇となる。すなわち、キム家の世=君が代が始まる。皇統をたたえる歌は金家をたたえる歌であるので、君が代は朝鮮渡来と言ってよい》
 あえて反論する必要もない詐話とはいえ、せめて「大日本帝國による韓国人従軍慰安婦の強制連行」の如く、一部欧米人を欺せる程度の工夫は欲しかった。その点、愛国歌制定の歴史は動かしようのない史実だ。
 作曲者は名門中の名門、ウィーン交響楽団やベルリン交響楽団の指揮者を務めた安益泰(アン・イクテ)氏(1906〜65年)。1921年に来日して旧制中学入学。後、東京高等音楽学院(現国立音楽大学)で学んだ。さらに米国やオーストリアハンガリーで研鑽を積み、35〜36年ごろ愛国歌を作曲。48年の韓国建国の際、国歌に制定された。
 ところが《満州国建国十周年記念音楽会=42年》で安氏が、自ら作曲した祝典曲を、自らベルリン放送交響楽団を指揮して披露したシーンのフィルムが2006年発見される。当然韓国の“文化”に従い、安氏は親日韓国人を指弾するブラックリスト親日人名事典》に「日本の植民地支配(史実は併合)への協力者」として掲載された。
 「不詳」とされた作詞者
 フィルム発見と批判報道は韓国自身を追い詰めた。この国の「間の悪さ」を絵に描いたように。祝典曲は愛国歌のメロディーの一部にウリ二つ。日本が事実上建国した満州国と、日韓併合(1910年)で日本となった韓国の、関係楽曲が似ていても違和感はまったくない−などと言ってはいけない。歴史には「都合」も「不都合」もなく、唯唯史実のみ存在するはずなのだが、韓国人は「不都合な歴史」に凄まじい衝撃を受けるのだ。
 作曲者のみならず「不詳」とされてきた作詞者の存在も「不都合な歴史」に加わりそうだ。2000年代に入り、次々と尹致昊(ユン・チホ)(日本名・伊東致昊(ちこう))氏(1865〜1945年)だと特定する新事実が明らかになっているためだ。尹氏は日韓併合当初は独立運動家だったが、覚醒したことで「親日派」の烙印を押された開明的人物。決定的証拠は、朝鮮戦争(1950〜53年休戦)後の1954年、韓国が米国の知識人にPR用資料として無料配布した英文の小冊子《韓国入門》で、掲載された愛国歌の譜面上に、作詞は尹氏、作曲は安氏と明記されていた。《韓国入門》は、当時の李承晩大統領(1875〜1965年)の米国人顧問や駐米韓国大使館文化広報センター長らが中心に編集しており、政府刊行物といっていい。また、歌詞をしたためた尹氏の署名入り原本も、遺族が尹氏が留学していた米国の大学に寄贈。古くより原本の存在は知られていた。
 「不都合な歴史」を封印
 実は55年、政府の国史編纂委員会が審議し、11対2で尹氏を有力としたが「満場一致ではない」とする不可解な理由で「作詞者不詳」となった。「尹に決まれば国歌変更へのうねりが起きると懸念した李大統領の指示」と観測する韓国人専門家もおり、「不都合な歴史」を封印したかったに違いない。
 他に、米国赤十字社が52年に刊行した《国歌集》なども見つかり、尹説は相当有力になっているが、決着は不透明。尹説に反対する勢力は「韓民族独立の父」とあがめられている独立運動家を作詞者だと主張する。「あってはならぬ=不都合な歴史」が葬り去られ、後釜に「あるべき歴史」が据えられる韓国文化を忘れてはなるまい。
 ところで、4月29日は先帝(昭和天皇)陛下がお生まれになった《天長節=昭和の日》であった。昭和7(1932)年のこの日、上海で行われた天長節祝賀会で、壇上に在った重光葵(まもる)公使(後の外務相/1887〜1957年)らに、朝鮮人テロリストが爆弾を投げ付ける。だが、右脚を失った重光を含め、居並ぶ帝國陸海軍の将軍らは誰も動かなかった。「国歌斉唱中だった」からだ。
 現在はブーイング、戦前はテロの標的となった君が代は、韓国人が「君が代韓国起源説」を信じていない証左である。
 自国は無論、他国の建国史や国歌さえ捏造する韓国の情念は不気味だが、わが国左翼の「無国籍ブリ」も理解不能。今春の卒業式で国歌斉唱を実施した日本の国立大学は、86大学中たった14大学だった。
 国歌に命懸けで敬意を払い、書斎に掲揚した日章旗を毎朝礼拝していた重光が知ったら何と思うだろうか…。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)」






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