🗻7〕─1─大国主命と少彦名神。国譲り神話。ニニギノミコトと天壌無窮の神勅。天孫降臨神話。弥生式畑作社会と松。~No.29No.30No.31 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本は、古来、農村と漁村は仲が悪く、何故か対立していた。
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 南方から南九州を経て大和に来た倭人王権は、朝鮮系出雲王朝を滅ぼした。
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 荒ぶる神であるスサノオは、高天原を追放されて新羅の曽尸茂梨に降り立ったが、朝鮮は住みやすい土地ではないとして嫌って日本に渡り、出雲に上陸した。
 倭国の人間は、疫病神や天災の神など禍の神は蕃神として、全て大陸・半島から海を渡ってくる恐怖した。
 自然災害をもたらす異国の神をキチンと祀って邪心を浄めると、霊験あらたかな善神となって恩恵をもたらしてくれると信じられていた。
 日本の宗教は、多神教で、節操が無いほどに柔軟性に富んでいた。
 スサノオの日本上陸神話は、高度な製鉄技術を持った集団が日本に移住した事を表している言われている。
 日本神話は、日本と朝鮮の友好ではなく、朝鮮に対する恐怖心が綴られている。
 その日本神話は、朝鮮半島の古代神話ではなく、南方諸地域神話の影響を深く受けていた。
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 大国主命は、少彦名神と力を合わせて日本の国土を創造した。
 大国主命は、山から落ちてきた赤く燃える岩で全身火傷で死んだ。
 悲しんだ母神は、天界に上ってムスビの神に助けを懇願した。
 ムスビの神は、赤貝と蛤(うむきがい)の海貝の女神を遣わして大国主命を甦らした。
 大地は、大国主命の死と蘇生によって天上の火を獲得した。
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 国譲り神話とは、南方海民系天孫族ヤマト王権が出雲や筑紫などの土着諸王権を武力で侵略し、列島を統一して建設した国家の正統性を神話化したものである。
 もし、朝鮮系出雲王朝か朝鮮系筑紫王朝か海神系越王朝など別の王朝が列島を統一すれば、その王朝の数だけの建国神話が誕生した。
 「天つ神・天孫族天照大神が国つ神・出雲族大国主命から葦原中つ国の支配権を譲るように迫った」事を、とやかく言った所で無意味である。
 もし、『古事記』や『日本書紀』の現天皇家による日本統一を美化した建国神話を否定し、別の、それこそ朝鮮系渡来人王朝の建国神話を作るべきであったというのだろうか。
 世界中で、国家成立と国家の正統性を持たせる為の神話が有り、人類は宗教的神話を必要とした。
 武甕槌神(たけみかつちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)は、大国主神に再度訊ね、武甕槌神稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫った。。
 大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言った。
 二人の息子である、事代主神(ことしろぬしのかみ)は国譲りに承諾したが、健御名方神(たけみなかたのかみ)は反対した。
 武甕槌神は、力競べで健御名方神を破り国譲りを成功させた。
 ヤマト王権は、各地の諸王権から武力で国土を奪い取って、日本を強引に統一した。
 敗れた健御名方神は、諏訪まで逃げ、その地に引き籠もって諏訪神社の祭神になった。
 高天原高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、国を譲ってもらう為の条件として、冥界の支配と大社(おおやしろ)を造成して海を行き来する高橋、浮き橋、天の鳥船を造る事を提案した。
 大国主命は、大穴持命(おおなもちのみこと)に「私が支配していた国は、天神の子に統治権を譲ろう。しかし、八雲たつ出雲の国だけは自分が鎮座する神領として、垣根のように青い山で取り囲み、心霊の宿る玉を置いて国を守ろう」といって、根の国に下った。
 ヤマト王権は、倭国をヤマト式まつりごと(政治と文化と宗教)で画一化する為に、天照大神(女性神)を最高神とする祭祀・信仰を広め異色な文化圏を消し去った。
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 出雲大社は、ヤマト王権の許可を得て、神が住む天上界に上る為の巨大神殿を造営した。
 『古事記』「皇孫の天御巣(あめのみす)の壮大な宮殿と同じようなに、地底の岩根まで宮柱を深く埋め、高天原に千木の届くほど高い屋根をもった建物を建てましょう」
 本殿は、数本の巨木を柱として約50メートルの高で木造で造られた。
 縄文時代とは巨木文化で、巨大木柱による建造物を造っていた。
 巨木は、自然の霊力で育った霊木である。
 巨木を自然エネルギーが満ちている大地深く掘って差し込み、巨木を天の気が満ちている天空に立て、天と地をつなぎ、自然の大地エネルギーと天空の気を拝殿に集めて祭祀を行う。
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 ヤマト王権は、大国主命の霊験の強さを恐れ、出雲との戦いを避け共存、共生する道を選んだ。
 大国主命は、天皇の守り神となりヤマトを守護すると宣言した。
 ヤマト王権は、大国主命を祀る大神神社大和国の一宮と認証した。
 全国に、ヤマト王権と敵対した出雲系の神々を祀る神社が造営された。
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 怨霊信仰の日本では、滅ぼした敵に対して名誉や贈り物を追贈し、殺すた敵を神として神社に祀った。
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 出雲王朝の宝器は、朝鮮で広く使われていた馬の鈴を原型とした銅鐸である。
 倭人が作ったヤマト王権の宝器は、銅鏡(カガミ)と銅剣(ツルギ)であった。
 ヤマト王権は、出雲王朝を滅ぼして、須佐之男命の権威を吸収し、敵であった大国主命の怨霊を鎮 鎮魂する為に、日本最大の社殿を持った出雲大社を建てた。
 日本神道は、滅ぼした敵の霊魂が怨霊として祟る事を恐れて神に祭り上げ、上級な格式ある神社に祀る事で封じ込めた。
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 縄文人倭人そして出雲人や大和人は、勾玉の霊力は海から授かると信仰していた。
 海からあらわれた霊力は見た目は小さいが、秘めたる霊力は国生みをおこなう程の強大にして強力であると崇め、大津波を起こして全てを呑み込んで攫っていく凶暴さを兼ね備えていると恐れた。
 それが、日本独自の、海の向こうから静かに「あらわれ」我が身にいつの間にか宿りし「和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)・奇魂(くしみたま)」の三種一体信仰である。
 日本の霊力信仰は、自然とつながり、国生みの力を秘めている。
 その神話は、出雲大社の境内にヒッソリと存在する。
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 神社の原型は、3世紀後半の古墳時代に確立され、南方系海洋民の自然信仰が強くた反映されていた。
 朝鮮の宗教観はもちろんユダヤ教の信仰などは一切無関係で、日本独自の自然宗教である。
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 鏡を祭具として使用する女巫女の祭祀は、中国の揚子江流域あたりから九州に伝播して来た。
 九州の弥生系豪族らは、新たに大陸から伝来した鏡を使った女巫女の「鬼道」を部落統合に利用し、弥生の大乱を鎮め、地域に平和と安定をもたらす為に女巫女を「連合王」に祭り上げた。
 祭祀用の鏡は、初期は中国の後漢から輸入したが、後に製法を学んび独自で作った。
 鏡は、太陽の光も月の明かりも炎の温もりも反射して世界を明るくすると共に、人はもちろん全てのモノをありのままに包み込んで映し出す事から、神聖視された。
 女巫女は、連合諸国の平和と発展、ムラ人の豊作と幸福を、神鏡を使って神懸かり的な呪術を行った。
 連合諸国の住民とは、最古層の縄文人である南方系海民と列島と半島を行き来していた弥生人である半島経由の揚子江・南方系海民との混血児である。
 つまり、倭人種倭族倭人である。
 大陸系草原民を祖先とする古朝鮮との関係は薄い。
 日本の文化・宗教圏は、幾つもの血が混じり合って生まれた倭人によって生み出されていた。
 神鏡を最高の霊力を持った呪具として用いる女性的祭祀集団は、縄文的海・神奈備山信仰と縄文・弥生混合的勾玉・鉄剣信仰を取り入れながら、東進してナラのヤマトに入り、大国主命が鎮座する三輪山麓に落ち着いた。
 新来の女性的祭祀集団は、ナラの地で古くから住んでいた葛城氏などの豪族を信仰や武力で従わせてヤマト王権の原型を造った。
 ヤマト王権の祭祀は、信仰と精神の神霊世界に神聖不可侵の秩序をもたらせる為に、神鏡・宝剣・勾玉を一体とする日本独自の神話を編み出した。
 後の。日本書紀古事記につながる天孫降臨神話である。
 日本神道の三位一体は多神教による相対的神性であり、一神教ユダヤ教キリスト教における絶対的神性に基づく三位一体とは縁もゆかりもない、全くの別物である。
 古神道は変化の激しい海と山の宗教であり、ユダヤ教は変化の乏しい砂漠とオアシスの宗教である。
 天孫降臨神話は、八紘一宇の大家族主義で最少量の流血で地上を一つにまとめる創作神話であって、武力で夷狄を討ち滅ぼし屈服させ従属させて統一する建国神話ではない。
 日本書紀古事記ヤマト王権によって意図的に書かれた以上、正史として正しいとは限らない。
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 小野善一朗「ラフカディオ・ハーン小泉八雲)は、やがて西洋の科学文明が行き詰まった時、それを救うものは、日本人の本質そのものである『我々の祖先とともにある』という思想であると預言しています(近藤敬吾先生『祖先崇拝の信仰』参照)。即ちハーンは、 『われわれの死者がわれわれの身近におり、われわれのすることをなんでも見ており、われわれの考えることを何でも知っており、われわれの口に言うことばをなでも聞いており、われわれに同情をよせてくれ、あるいは、われわれを怒ったり、助けてくれたり、われわれから助けをうけるを喜んだり、われわれを愛してくれたり、われわれに愛を求めたりするという絶対の確信が、われわれの心に突然起きるようなことがあったとしたら、おそらく、われわれの人生観や義務の観念は、きっと大きな変化を生ずるにちがいない』(小泉八雲著『東の国から・心』恒文社) と述べながら、『ところで、極東人のばあいは、死者が自分の身のまわりにしじゅういるという考えは、数千年にもわたる長い間の信念なのであって、かれらは毎日、死者に物を言いかけているし、なんとかして死者にしあわせを与えようとつとめている』(同書)と述べています」(『古事記の「こころ」』 P.213・214 ペリカン社)
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 天皇とは、大和言葉で「すめらみこと」や「すめらぎ」という。
 それは、連綿と続く世界最古の王朝である事の証明である。
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 保田与重郎「(天皇制度における)水に身を委ねた米作りこそ循環の理の根源に叶うものだから、必ず変動なく子々孫々に一貫するだろう、考えた時の理念が万世一系の思想である」
 今年収穫した稲は、昨年収穫した稲を種として育った稲であり、今年の稲は来年の種稲となる。
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 折口信夫「(天皇霊とは)天皇の権威の根源となるもの。天皇天皇たらしめる根拠であり……天皇の御身体ばかりでは未だ天皇ではなく、天皇霊がついてはじめて天皇と申し上げられる」
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 万世系第一の天照大神は、高天原から葦原の中つ国(日本)に降る孫のニニギノミコトに「天壌無窮の神勅」を与えた。
 皇祖とは、天照大神ニニギノミコトの曾孫である初代神武天皇である。故に、皇統は女性神天照大神を源泉としている。
 故に、「人」である万世一系男系天皇(直系長子相続)は「神の裔」である。
 天照大神との神話的血縁を断絶した皇室には、皇胤・皇裔としての正統性は存在しない。
 日本国・倭国は、万世一系男系天皇(直系長子相続)と共に生き、そして約2700年という時を助け合いながら歩んで来た。
 神の裔である天皇日本民族は一体で有り、天皇神話と日本民族史も切り離す事は不可能である。
 日本民族日本人は、神の子孫としてその血を引く万世一系男系天皇(直系長子相続)を愛し、そして約2700年間125代絶やすことなく守って来た。
 こうした日本民族日本人を、俗に、天皇教徒日本人という。
 それは、氏神・祖先信仰としての現人神信仰で守られていた。
 国内外の反日本派日本人は、万世一系男系天皇(直系長子相続)を憎悪し抹殺しようとしている。当然の事ながら、彼らは万世一系男系天皇(直系長子相続)の権威を証明する神話・物語を、日本の歴史から抹消しようとしている。
 日本的なモノや「まごころ」を否定する日本人は、正真正銘の日本人ではない。
 日本人の様に見えても、日本語を話しても、日本人らしく振る舞っても、決して島国生まれの気弱な日本人ではない。
 伝統を持った日本民族の日本人ではなく、単なる、地球の僻地に生まれ生きる生物学的人間にすぎない。
 つまり、地球市民日本人である。
 そうした日本人もどきの彼らには、日本文明も、日本文化も、日本神道も、日本的なもの全て一切合切が無縁な人間である。
 天皇教を否定する日本人は、断じて先祖を共有する日本民族日本人ではないし、古代日本人の叡智を受け継ぐ生粋の日本人ではない。
 エセ日本人である彼らが、真顔で話す日本観・日本人像は、真っ赤な嘘であり、悪意に満ちた戯言である。信用するに値しないし、信用するべきではない。
 反宗教無神論の反天皇派日本人は、日本が中国となり、日本人が中国人になる事にも反対はしない。そればかりか、積極的に賛成したいる。
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 日本天皇は、農耕共同体の首長として、皇室祭祀の一部として農耕祭祀を執り行っていた。
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 島国日本は、天皇中心の天孫降臨神話による大八洲豊葦原の瑞穂の国である。
 皇祖・天照大神は、葦原中つ国を統治するニニギノミコトに「天壌無窮の神勅」を与えた。
 ここに、神道の稲神話が誕生した。
 稲を中心とした五穀神話は、天皇心神話に基ずくものである以上、高天原からもたらされたコメの命と神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)の神性は不可分である。
 天照大神から授かったコメの神命を失うとき、日本文明の根幹である祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)も消滅する。
 農耕漁労民族である日本人は、皇祖皇宗からの命・心・志を受け継ぐ万世一系男系天皇(直系長子相続)と共に生きてきた。
 日本民族日本人の「絆」とは、ここに有るのであり、ここ以外には存在しない。
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 三大神勅 (西野神社 社務日誌)
≪天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅≫
 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋之瑞穂(ちいほあきのみづほ)の国(くに)は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。宜(よろ)しく爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と無窮(きはまりな)かるべし。
 【口語訳】 豊に生い茂るあの瑞々しい聖なる国は、これ我が子孫が代々治めるべき地である。我が子よ、行って治めなさい。さあ、お行きなさい。お前達のその王たる御位は、天地と共に永遠に栄える事でありましょう。
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≪宝鏡奉斎(ほうきょうほうでん)の神勅≫
 吾(あ)が兒(みこ)、此(こ)の寶鏡(かがみ)を視(み)まさむこと、當(まさ)に吾(あ)れを視(み)るがごとくすべし。與(とも)に床(ゆか)を同(おな)じくし、殿(との)を共(とも)にして、齋鏡(いはひのかがみ)と為(な)す可(べ)し。
 【口語訳】 我が子よ、この鏡をご覧になる事は、私を見るのと同じであると考えよ。この鏡をお前の住む宮殿内に安置し、お祭りをなすときの神鏡にしなさい。
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≪齋庭の稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅≫
 吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す齋庭(ゆにわ)の穂(ほ)を以(も)て、亦(また)吾(あ)が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし。
 【口語訳】 私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、また、我が子に授ける事としよう。
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 日本民族日本人は、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)の祈りの中にある。
 だが。祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)の祈りは、ローマ教皇などの普遍宗教の宗教家同様に、過酷な祈りの環境条件下で全人類の平和と幸福と安寧、更に自然への感謝を一心で祈っている。
 神道では、自然崇拝としてヒトと自然は一心同体で不分離とされ、生き物全てが相互補完共生関係で一蓮托生の運命共同体であるとされている。
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 日本の「和(なごみ)の文化」は、人と人はもちろん、地域と地域、国と国、さらに大自然と人との間にも存在する。
 大自然を神として畏れ敬い、調和を重んじ、負担をかけないように心掛けた。
 人は、大自然の恵みで生かされている身である事を自覚して、大自然を大切にした。
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 イースター島 「モアイ」とは、ラパヌイ語で「未来に生きる」という意味。
 イースター島での伝説。「イースター島の祖先は、遙か昔に日本から船でやって来た日本人である」
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 稲は2種類あり、アフリカ産グラベリマ種とアジア産サティバ種である。
 サティバ種は、紀元前7000年から6000年頃にヒマラヤ山麓付近で栽培されていた。
 サティバ種は、ジャポニカ米とインディカ米の2種がある。
 焼き畑による陸稲種系ジャポニカ米が、紀元前4000年から3000年頃に、朝鮮経由ではなく南島経由で日本の縄文後期にもたらされた。
 水田による稲作は、縄文晩期に、揚子江流域から日本列島に伝えられた。
 それから、100年の間に瀬戸内海沿岸から近畿一円に伝播し、同時に耕作技術も伝えられていった。
 コメは日本の主食となり、日本独自の稲作文化を生み出した。
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 日本民族日本人の心の支えは、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)の存在であった。
 そして。日本民族の命の糧は、天皇家の皇祖・天照大神から賜った稲穂である。
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 水田稲作が普及・定着したのは江戸時代の大開墾・新田開発からで、中世・室町時代までは畑作の比率が高かった。
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 日本民族にとって、「稲」とは「命の根」である。
 コメとは、自然神・祖先神の命を宿した神聖なものある。
 日本人は、秋収穫の時に自然神や祖先神の命を宿してたわわに実った稲に感謝し、食事する時に自然神・祖先神の命にお礼を込めて「頂きます」と声を出してたべた。
 ゆえに、自然神・祖先神の命を宿した全ての食べ物を粗末にしない様に「もったいない」とした。
 「もったいない」の精神は、自然神や祖先神の命を宿して生まれてこれた事に対して感謝の気持ちである。
 日本の日常生活は、自然神・祖先神の命に感謝を捧げる事で成り立っている。
 花も、木も、草さえも、生きるモノすべてに自然神・祖先神の命が宿っている。
 日本民族は、その自然神・祖先神の命を頂いて生きている。
 ゆえに、自然神・祖先神の命が満ちている自然を大事にして守ってきた。
 日本民族にとって、自然神・祖先神の命で育つ全てもモノが貴かった。
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 『いただきます』
 「たなつもの百(もも)の木草も天照す日の大神のめぐみえてこそ」
 草木を育ててくれた太陽の神天照大神の恵みに感謝し、草木の命を頂く事に感謝する。 
 『ごちそうさま』
 「朝よそに物くふごとくに豊受けの神のめぐみを思へ世の人」
 食事する事に、食べ物を与えてくれる豊受大御神の恵みに感謝する。
 人間は、草木の命を頂きながら生かされる事を感謝し、感謝して食べた。
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 ダニエル・アルドリッチアメリカ・パデュー大学准教授)「生活を復元する力
 被災後の生活再建に大事なのは政府でも保険会社でもなく、人間のネットワークではないか、と考え始めたのです。
……
 社会科学では、こういう人のつながりをソーシャル・キャピタル社会関係資本。他人への信頼に基づく人間関係の豊かな社会)と呼びます。……
 デモや騒動など社会運動の発生件数が多く、投票率が高い区域ほど、人口の回復が早かった事がわかりました。……
 地域の為に一緒に抗議したりする社会運動は、人のつながりを強くするきっかけになります。……
 つまり、被災後の人口の回復に大きな影響を与えるのはソーシャル・キャピタルだ、という私の仮説が時代を問わず、国を問わず、データで裏付けられたといえます。……
 人のつながり、信頼感が強いほど、集団として課題を乗り越えやすくなります。……
 一カ所に長く暮らせば、その土地と人々への愛着が生まれ、地元の課題に一緒に取り組む経験も増えます。地域社会への信頼感も強まっていく。そういうもの全体がソーシャル・キャピタルを育み、レジリエンス(復元力)のある、災害に強い街をつくるのです。……
 (レジリエンスとは)被災によって奪われた日々の暮らし、日常生活のリズムを、集団としていち早く取り戻す能力の事です。それは必ずしも住宅や道路の再建とイコールではない。神戸でも震災を生き延びたのに、孤独死した方々が大勢あられました。特にお年寄りにとっては、安全で暖かい復興住宅に住めば日常生活が戻る、という事は必ずしもならない。『日常』とは毎日顔を合わせる友人であり、散歩の途中で座るベンチであり、孫を連れて行く行事なのです。……
 山を削り、セメントを流し込み、ビルを建てている間はいいのです。仕事はないより、あった方がいいのですから。でも事業が終わったとき、村は以前よりレジリエンスのある村になっているでしょうか。伝統産業が衰退するのは放置しながら、高い防波堤や立派な橋をつくって、それが『戻ろう』と思わせる決め手になるでしょうか。……
 東日本震災の被災地を何度も歩いて驚いたのが、予算でも計画の立案でも、現場が中央の官僚に縛られている構図です。目の前の問題を解決するには、時にはルールを緩める柔軟性も必要なのに、中央の硬直した官僚主義が現場の判断を拒んでいる。町や村の将来は、もっと住民の選択に委ねられるべきです。……
 配慮が足りないと思います。入居も元のコミュニティー単位で入れるべきだと、あれほど指摘されたのに、抽選で決めたところが多かった。……
 復興事業というのは途上国への開発援助とそっくりだと感じました。従来の援助は道路や橋といったインフラ整備に予算をつぎ込み、『さあ経済発展して』というパターンだったのですが、何十年たってもうまくいかなかった。個々人の技術を育てるトレーニングや、地域に信頼感を育む環境がなかったからです。もっと地元の人に投資すべきだったと、援助関係者は気付いています。……
 日本にとって巨大地震は、『もしかしたら』ではなく、『いつ』襲ってくるのかという問題です。公共事業に大金をつぎ込むという。古くさい手法だけで対応できるでしょうか。……」(朝日新聞 2013年4月20日)
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 2010年 FAO(国際連合食糧農業機関)は、統計の結果として、地球上の陸地には地球全体の約1割にわたる約40億3,000万㌶の森林があると公表した。
 だが。1万年前には62億㌶の森林が地球上にあったが、現代までに農地、牧畜、燃料にする為の乱伐、環境破壊による砂漠化などで35%が失われた。
 今も、1時間で東京ドーム約127個分の森林が消失している。
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 日本の森林率は67%で、世界の森林率は29.6%。
 森林率が60%以上なのは、23ヵ国のみである。
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 鉱物・石油・石炭・食糧は、重要な戦略物質であると共に有力な武器である。そして、戦争は金・札束で行われる。
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 左翼・左派のマルクス主義者は、反宗教無神論者ゆえに、食べ物などを与えてくれる自然に敬意を払い神として祀る八百万神社や祖先を神として祀る氏神神社を否定し、祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度を廃止しようとしている。
 科学至上主義の彼等にとって、食べ物は五大栄養素と味覚に過ぎず、血と肉体は素粒子の塊であり、命は原子核の回りを廻る電子の動きにすぎない。
 死は電子が完全に停止した状態の事であり、屍体は腐り行く物体にすぎない。
 宗教的尊厳がないだけに、命への宗教的畏怖の念もなければ、霊魂への宗教的畏敬の想いも絶無である。
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 「まだ使えるモノ、食べられるモノを捨てては『もったいない』」
 「生きとし生けるモノの御陰で、人間も生きている」
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 国技である相撲は、古事記日本書紀にも登場する神事で、日本独自の宗教に関わる伝統文化である。
 奉納相撲の場合、相手の祭神は女神の天照大神である以上、土俵には女性を近づけないし、土俵に上げる事はない。
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 2016年3月11日号 週刊朝日司馬遼太郎の言葉 この国のかたち──『松』
 司馬遼太郎『それにしても日本は松だられで、つまりは吉祥だらけということになるのだが、これは稲だらけの国ということとかかわりがある』
 ……
 〈腐葉土を好む照葉樹は、山や松原が掃除されればされるほど、消えてゆく。つまりは、松こそ弥生式農耕の典型的風景だという〉
 松は大昔から日本をおおっていたわけではなく、縄文時代の森の主役は照葉樹だった。クスノキ、ナラ、シイなどで、紀元前3世紀ほどに入った弥生式農耕が広がるにつれ、松の多い景色に変わっていった。
 『古事記』には、日本武尊尾張の浜辺の一本松に剣を掛け忘れた話がある。帰り道でそのまま松の枝に掛けられたままで見つかり、感激した日本武尊は、松がひとりの人間であるかのように、こういった。
 『なあ一つ松よ、あなたが人なら、太刀を佩かせ、りっぱな衣装をつけさせたものを。──』
 日本武尊は、伝説的な英雄。各地の反乱分子を討伐したことより、稲作文化を広めたことに功績があったのかもしれない。
 〈松を擬人化するほどの思いを寄せているのは、わすれた剣がそこにあったという以上に、松がみことの属する弥生式農耕社会の象徴だからでもあったろう〉
   ◇   ◇   
 『松は、村や岬の目印しにもなった。関ノ五本松とか、三本松、夫婦松というのは、植物の域を越えて、人格化あるいは神格化されている』」






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