🎊2〕─3─日本の天皇は男系。世界の皇帝・国王は男系女系の両系。〜No.4 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・  
 日本天皇は、神話である。
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 日本は男系天皇、世界は男系女系の両系皇帝・国王。
 世界は、女系を排除し男系のみが即位する世襲天皇が理解できない。
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 日本国憲法は、国民の総意として天皇の存在を認めている。
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 日本天皇とは、祀り・祭りで祈りながら、対立と争いを鎮めて平和もたらし、敵意・憎悪・嫌悪・嫉妬などを祓い清めて安寧を与える存在である。
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 日本の皇室は、同民族和合・融合王朝で、なるべく武力を使わなず、話し合いや姻戚による穏健・穏便な統合で、全ての住民を臣下・臣民として受け入れ、人々を職業別の階層で区別した。
 世界の王家・帝室は、異民族征服・統一王朝で、武力で暴力的に建国し、征服地の住民に超えられない階級を押し付け、差別で社会秩序を維持し、下層階級を奴隷として使役した。
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 神道と仏教は、血と死を穢れとして恐れた。
 キリスト教ユダヤ教イスラム教と儒教は、聖の正統と俗の正当を貫く為ならば血と死を忌避するどころか奨励した。
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 古代日本で発展した地域は、朝鮮半島との交易ができる日本沿海の北九州と出雲であった。
 ヤマト王権は、困り果てた豪族達が談合してつくった寄り合い政権であって、強い意識を持った強力な連合政権ではなった。
 縄文人の子孫である倭人(古日本民族)は、弥生系渡来人によって引き起こされた弥生の大乱に辟易し、大乱を鎮め、殺し合う事止めようとした。
 ヤマト(奈良)を中心とした畿内地方の有力豪族達は、平和を取り戻し、安寧な世の中にするべく、寄り集まり、話し合いで、唯一人の統治者を決め、その人物に大王位を授けた。
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 黎明期は混乱し、安定して落ち着くまでには長い年月がかかる。
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 大王位を新設した初期は、野心的な有力豪族達は自分こそが大王に相応しいとして争いを起こし、幾人かの大王が生まれては消えた。
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 有力豪族達は大王位を巡る争いを封じ込める為に、合議して大王位を選挙制や能力制ではなく世襲制で繋ぐ事にした。
 選挙制(共和制)では、多数決で決める為に、多数派と複数の少数派とに四分五裂となり、大王位を巡る派閥闘争が生まれる危険がり、決まってからも遺恨が凝りとなって残る恐れがあり、それを避ける為には反対派・敵対派は根絶やしにする必要があった。
 例えば、共産主義マルクス主義)・ファシズム・ナチズムなどの全体主義体制。全体主義体制で女性の指導者はいない。
 ローマ・カトリック教会は、選挙制で教皇を選んでいる。教皇は男性のみで女性はいないし、枢機卿大司教・大司祭などにも女性はいない。
 能力制(独裁制専制君主制)では、弱肉強食の実力主義となり、猿山の老いたボスザルに対して2番手・3番手の若いオスザルが挑戦して争いが絶えなくなる恐れがあったた。その為に、挑戦しそうな相手は根絶やしにした。
 例えば、中華帝国。中華皇帝は、則天武后以外は全て男性であった。
 世襲制封建制)は、特殊な血統・血筋を正統とする特定の家系・一族・家が大王位を独占の為に争いは起きづらい、と考えた。
 選挙制も能力制も、男性優先で、女性は如何なる権利も与えられず男性の所有物とされた。
 ヤマト大王家以外の如何なる勢力から簒奪者を出さない事、
 争い・戦いの原因になる、赤の他人の僭主・ニセ大王・自称大王を認めない事である。
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 宗教や哲学・思想・主義主張の世界では、男性上位・女性下位、男尊女卑が常識であった。
 女性蔑視の最たるのが儒教であった。
 宗教における主神は男性神が大半で、女性神は男性神の下に置かれた。
 哲学・思想・主義主張が説く人間とは、男性であって女性ではない。
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 大王世襲家は、有力豪族の中でも野心を抱くことがなさそうな領地が狭く領民が少ない弱小豪族から選ばれ、俗世な政治権力を弱め神聖な宗教権威をたかめ、神聖不可侵な中立な存在として政治や争いの場から遠ざけた。
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 政治権力を独占したい有力豪族達にとって、積極的に自己主張する強いリーダーの大王は扱いづらいとして嫌い、消極的で自己主張しない大人しく真面目な大王を好み擁立した。
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 大王に祭り上げられた家系・一族・家には、宗教的神秘的な霊力があるとされた。
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 政治・軍事・外交は、有力豪族達が合議で決め、最後に大王が裁可した。 
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 有力豪族達は、大王家の私有財産を認めたが私兵・軍隊を持つ事を認めなかった。
 神輿の住人は、ただ担がれて生きていればよく、自分で歩く事はない、と言う事で。
 贅沢を与えたが、それ以外の人権や自由など一切合切を認めなかった。
 その為、大王家は自分の身を守る難攻不落の城壁で囲まれ、手勢が守る堅牢な宮殿・御殿を造る事ができなかった。
 それが、無防備な京都御所である。
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中華思想を渡来し、同時に中華帝国や半島諸王朝からの侵略を恐れたヤマト王権倭国の独立を守るべく、半島諸王の上に立ち中華皇帝と並び立つ存在として天皇位と日本国名を宣言し、日本独自の暦(元号)を宣布した。
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 神聖不可侵の根拠とされたのが、長江文明の流れを汲む高天原神話・天孫降臨神話・日本中心神話であった。
 天皇の正統性は、最高神である女性神天照大神伊勢神宮)からの特殊な血筋を受け継ぐ特別な家系・一族・家とされた。
 祖先神である天皇霊を祀れるのは、正統な血筋を引いた子孫だけである。
 子孫は世襲制であって、選挙制や能力制で選ばれた他人ではない。
 日本の八百万の神々の正統性は、ただ一つの天皇神話に由来し、現天皇・皇室があってこそ存在する。
 現天皇・皇室がなくなったら、日本民族が信仰してきた八百万の神々は消えてなくなる。
 つまり、反宗教無神論共産主義マルクス主義)が使命とする「神殺し」である。
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 天皇世襲制の正統性とは、皇統と血統は天照大神に繋がる血筋であった。
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 血統には、男系と女系がある。
 女系では、皇女の、嫁ぎ先の豪族が女系を根拠に継承権を要求すれば争いの元になり、婿になった有力豪族が自分の子供を大王に即位さ外戚として政治権力を持つ他の有力豪族や危険性があった。
 赤の他人の血を、神聖不可侵の血筋に混入させる事は混乱・争い・戦いの原因になる為に避けねばならなかった。
 もし、女系継承権を認めれば、外戚となった他の豪族が同じように女系を根拠に継承権を要求して争いを起こす危険性があった。
 ゆえに、外戚の力を抑える為に女系は継承権から排除され、皇室を出て有力豪族に嫁いだ皇女から継承権と皇籍を剥奪して臣下とした。
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 継承権を持つ皇族は、男系だけであった。
 が、男系でも皇族家・宮家が複数存在し、それら全ての皇子・皇女に継承権を認めれば争いの元になる。
 そこで、継承権を持つ少数の親王内親王と持たない多数の皇子・皇女に分けた。
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 男系親王家でも兄弟が生まれる以上、骨肉の争いとして親王内親王による継承権問題で争いが起きる可能性があった。
 天皇継承は、兄弟継承から実子継承に代わっていった。
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 皇位継承権問題が最終的に解決したのは、南北朝の争乱を鎮めた室町幕府になってからである。
 万世一系男系天皇(直系長子相続)制度が定まるまでに、約1000年もの気が遠くなるような長い時間が必要であった。
 祖先達は、民族と国に平和と安寧をもたらす為には天皇を残す事が最優先として、血を流し、命を犠牲にした。
 故に、生きた伝統文化=古代文明・古代文化なのである。
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 祖先達は、皇位継承を単純に簡潔に一本化する事が争いを起こさない秘訣だと自分達の経験から、叡智の結晶として神聖不可侵の万世一系男系天皇(直系長子相続)制度を生み出した。
 ゆえに、天皇位とは、政治制度や宗教制度ではなく家族制度として守られてきた。
 その根拠は、祖先神・氏神の人神崇拝である。
 祖先神・氏神の人神崇拝は、ローカルな家族内宗教であって、民族宗教や国家宗教ではなく普遍宗教でもない。
 最高神である女性神天照大神を祀れるには、正統な直系家族のみであり、それは男系でって女系ではない。
 祖先神・氏神の人神崇拝とは、血縁内信仰であって、血縁外信仰ではない。
 故に、日本神道には神への崇拝はあっても神への信仰はない。
 日本民族日本人は、天皇を神の裔として崇拝したのであって、神として信仰したわけではない。
 現人神とは、民族固有の伝統文化である。
 これは日本独自の象徴君主制度で、他に類例はない。
 だが、近代的天皇制度への変更の為に、明治天皇ドイツ帝国皇帝を、昭和天皇はイギリス国王を手本として見習った。
 日本のグローバル化の始まりである。
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 皇室か更なる開かれた皇室になる為に、は西洋の王族のように外国人との結婚を考える必要がある。
 天皇の実母は、民間人はもちろん外国人がなった先例がある。
 桓武天皇の母親は、百済帰化人の子孫である髙野新笠である。
 将来、内親王や皇女が外国人男性と結婚してもおかしくはない。
 戦前に、宮家の皇女が満州国皇帝の弟殿下や朝鮮国王と結婚した先例がある。
 もし、女系相続を認めれば外国人男性との間に生まれた子供が天皇に即位するかもしれない。
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 日本の近代化は、北から侵略してくるロシアから如何にして日本国を防衛するかが緊急課題であった。
 いつの時代でも、日本の変化は周辺諸国の日本侵略という東アジア情勢・国際情勢が原因で起きていた。
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 日本の幸運は、中華帝国や朝鮮諸王朝が、皇位継承や渡来人反乱などに軍事介入してこなかった事である。
 何故か、日本民族が一丸となって日本天皇と日本国を守り、日本天皇と日本国を敵国に売るような裏切り・利敵行為をしなかったからである。
 ただし、古代・奈良時代までは、自分が日本を統治者になる為に日本天皇と日本国を中華帝国や朝鮮諸王朝に売り渡して反乱を起こした反天皇反日的日本人が幾人もいた。
 日本が最も恐れたのは、そうした内部・国内に潜んで暗躍する反天皇反日的日本人であった。
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 何故、日本が和合・融合王朝=天皇制度を築いたのか。
 それは、中国や朝鮮を外敵として認識し、外敵の侵略という危機意識を持ったからである。
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 天皇世襲制において、私有資産は女性相続であった。
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 日本には、俗世の私欲強欲な政治権力、宗教権威、神聖な無私無欲な天皇の御威光が三竦(すく)みとして存在していた。
 天皇の御威光とは、貧しき庶民、差別された芸能の民・部落民、虐げられた賤民など下層民達の心の支え、精神の拠り所であった。
 それ故に、命も要らぬ・金も要らぬ・地位も要らぬ、名誉だけ授けてくれればそれだけで本望・本懐として、天皇・皇族・皇室を命を捨てて守ってきたのが下層民達であった。
 下層民達にとって天皇・皇室は、心であり志であり気概であった。
 差別され迫害されていたとはいえ、昔の賤民・部落民と現代の部落民・同和・部落解放同盟とは別の日本人である。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺しようとつけ狙っていた。
 事実、日本を歴史には昭和天皇殺害失敗事件や皇族殺害未遂事件が数多く存在する。
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 数百万人、数千万人、それ以上の日本民族日本人が、現在の万世一系男系天皇制度を安定させる為に命を捧げた。
 それは戦前まで約2000年間受け継がれ、命を捧げた祖先達の念の象徴が靖国神社である。
 だから、祖先の念いを知る日本民族日本人は戦場で「天皇陛下バンザイ!」と叫んで死んでいった。
 現代日本現代日本人から、そうした祖先の念い・心・志・気概が急速に消えうせつつある。
 その証拠が、靖国神社問題である。
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 昭和天皇は、平和主義者であり人道主義者として、数々の歴史的人道貢献に関与した。
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 日本国憲法の隠れた意図は、天皇制度の廃絶、天皇・皇室の消滅である。
 その為に、皇室典範日本国憲法の下に置き、直系宮家以外の皇族から皇籍を剥奪して皇室から追放し、皇室の私有財産を没収して皇室を国家予算の一部に組み込んだ。
 護憲派はその為に活動している。
 戦後教育は、隠された意図を実現させる為に、日本民族日本人から天皇への好意的意識を消し去り、むしろ憎悪と敵意あるいは無関心を子供達に植え付ける為に行われてきた。
 それが、有りもしない天皇の戦争責任や戦争犯罪であり、日本民族日本人は生まれながらにして好戦的で人殺しを好む邪悪で凶暴な重犯罪人間だ、である。
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 万世一系男系天皇を倒そうとする善意の仮面かぶった悪意の勢力は国内外に存在し、現代ではジェンダー平等・男女同権・女性権利向上・人権擁護などである。
 そうした反天皇勢力が目指しているのが、女系天皇女性天皇の擁立と女系宮家の創設である。
 ジェンダー平等・男女同権・女性権利向上・人権擁護に対して、日本・天皇・皇室は鈍感であり、世界・王家は敏感である。
 レディー・ファーストやウーマンリブは、世界では関心が高いが、日本では無関心である。
 日本は、男尊女卑・家父長・男性絶対で女性の地位は低く、社会や会社で男性に比べて差別され冷遇されている。
 日本人女性は、日本人男性よりもはるかに賢くて優れている。
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 現代日本で70%以上の世論・民意は、多分歴史を知った上で女系相続を認め、女系天皇の即位と女系宮家の創設を支持している。
 現代日本人が求める天皇像は、小綺麗に飾られた人形であり、自分が思い描く理想像であって、伝統的天皇の存続を本心から望んでいるわけではない。
 それが分かるのが、SNSやLINEなどの呟きである。
 そして、昭和天皇肖像画御真影を燃やしその灰を踏めつける行為を芸術表現と容認している。
 この傾向は、高得点を取った優秀な高学歴出身知的エリート達に多い。
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 国際的反天皇反日勢力は、国連など国際機関の場で天皇を窮地に追い込む活動を活発化させている。
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 人間や生物に寿命があるように、国家や民族にも寿命がある。
 今、日本天皇家・日本国・日本民族の寿命が尽きようとしているのかもしらい。
 その寿命を終わらせようとしているのが、日本国民日本人であるといえるのかもしれない。
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 悪人は甘い言葉を囁き、善人は厳しい忠告をする。
 悪人は、自分は悪人ではなく、善人であり友人だとにこやかに微笑みながら優しく語りかけてくる。
 その意味で、日本には悪人が増えている。
 その証拠が、オレオレ詐欺、あおり運転、イジメ・意地悪・嫌がらせ、虐待などの急増である。
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 2019年11月1日号 週刊朝日「令和時代の新しい象徴天皇とは?
 キーワードは多様性と国際性
 世界が注目する、新天皇が即位を内外に宣言する。『即位礼正殿の儀』。令和時代の新しい『象徴天皇』の姿?待ったなしの皇位継承権問題と皇室典範改正の行方、靖国神社との距離は?米国の天皇制研究第一人者のケネス・ルオフ氏が特別寄稿した。
 多様性の進展と国家の統一
 ……
 信頼できる統計学者によると、控えめに見積もっても、日本の人口はこれから数十年のあいだに33%減少しそうだ。
 ……
 だが、すべからく日本人は次の現実に直面することになるだろう。まず、日本の出生率が突然劇的に上向きになって、人口減少問題が解決されることは絶対にあり得ない。人口減少はすでに生じており、その度合いはまさに年を追うごとに大きくなっている。したがって、劇的に人口減少と、そのもたらす結果を緩和するには移民を受けいれるるほかないだろう。
 日本社会の多様性はエキサイティングで、さまざまな人に利益をもたらしうる。たとえば日本では、障がい者が公共施設にアクセスできるようインフラが整備されたりして、全般的になにもかも便利になろうとしている。日本がより住みやすい場所になりつつあるのは、たしかではないだろうか。
 同時に、多様性のなかから統一性を築くには、さらなる努力やこれまでとは異なる戦略が求められる。日本の象徴天皇制は日本独特のものと思われがちだが、世界の象徴君主制(イギリスやスペイン、オランダ、その他)とさほど変わらない。だいじなのは皇室をグローバルな脈絡でとらえることだ。象徴王室をもつどの国民国家でも、王室の最大の役割は国家の統一を維持するよう努めることとされる。徳仁天皇は日本の多様性に応じて国家の統一を維持していくには新たなアプローチが必要だと指摘している。な根記入れる外国人を含め、次第に多様化する人びとのなかで統一性を構築するために、天皇と皇后は新たな象徴的行動を追求するとみてようだろう」
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  WEB歴史街道
 日本史において、天皇はいかなる存在だったか【古代~応仁の乱編】
 2019年05月23日 公開
 河合敦(歴史研究家)
 天皇という存在を読み解く鍵は、激動の時代にこそあるのでは?
 現在発売中の月刊誌『歴史街道』6月号では、『「天皇と日本史」の謎』という特集を組み、天皇が戦乱といかに向き合ったかを探っている。しかし、「天皇と日本史というと、少し難しそう…」という方のために、これだけは押さえておきたい天皇と日本史の関係について、歴史研究家の河合敦氏に解説していただこう。まずは、古代から応仁の乱ごろまでをご紹介します。
 河合敦 Kawai Atsushi
 歴史研究家。昭和40年(1965)、東京都生まれ。第17回郷土史研究賞優秀賞、 第6回NTTトーク大賞優秀賞を受賞。高校の日本史教師を経て、現在、多摩大学客員教授。 著書に『読めばすっきり! よくわかる天皇家の歴史』など、近著に『旅する歴史家』 『テーマ別で読むと驚くほどよくわかる日本史』がある。
 「大王」から「天皇」へ
 災害等の被災地をお見舞いする皇族の方々の姿を見て、天皇という存在を身近に感じる方も多いでしょう。
 また、「令和」という新たな時代を迎え、天皇について考える人もいることでしょう。
しかし、「日本人にとって天皇という存在がいかなるものなのか」と問われると、答えに窮してしまう人は少なくないはずです。
 ある面で、日本史は天皇の歴史と言ってもいいかもしれません。天皇は政治的な実権を握り続けたわけではありませんが、天皇なくして、日本の為政者は権力を維持できなかったからです。
 ここでは、天皇という存在を考えるヒントとして、「天皇と日本史」の流れを解説していきましょう。
 まず3世紀後半あたりに、現在の奈良県にあたる大和地方を中心とする畿内政治勢力によって、ヤマト政権(大和朝廷倭王権)が成立し、四世紀中頃までには東北地方中部まで、勢力を広げたと考えられます。
 ヤマト政権は近畿地方を中心とする豪族たちの連合政権で、そのリーダーが「大王(おおきみ)」、のちの天皇となります。大王については様々な説があり、呪術を掌る司祭者的存在として豪族に擁立されたとも、当初は複数の豪族が交代で大王を務めたともいわれます。
 やがて、全国を平定していく中で、天皇は司祭者から、武人的な性格へと変化していきました。古墳の副葬品から、それが窺えるのです。
 現在の歴史学の世界では、『日本書紀』『古事記』の記述をすべて史実とするのは難しいとされ、神武天皇から始まる歴代天皇も、どこからが実在の人物とするかは、様々な議論があり、定まっていません。
 いずれにしても、古代において天皇が強大な権力を持っていたかというと、そうではありません。七世紀前半頃までは、地方を平定していきつつも、そのまま地方豪族に民の支配を任せているからです。豪族を強力に支配するというより、豪族の上に立つ象徴的な存在だったといえるかもしれません。
 しかし大化元年(645)の大化改新を機に、天皇の権力は徐々に強まっていきます。
中国に隋・唐という強大な中央集権国家が成立したことで、「侵略され支配を受けるのでは」という危機感が国内に高まり、唐のように天皇を中心とした中央集権化を進めようという動きが出てくるのです。
 その中で特筆すべきは、天武元年(672)の壬申の乱でしょう。大海人皇子(のちの天武天皇)が武力によって近江朝を倒し、強大な権力を手にしたことで、中央集権化が急に進んでいくこととなるのです。
 皇族を上位とする新たな氏姓制度である八色の姓の制定、豪族の私有民を禁じ所有地の一部を公収する公地公民、富本銭という貨幣の鋳造、国史の編纂事業も開始されました。
天皇」の称号や「日本」の国号も、天武の時代に用いられるようになったといわれます。
様々な見方がありますが、この天武の時代に、日本は大きく動き出したと位置づけられるのではないでしょうか。
 天武の後は、天皇の権力が比較的強い時代が続きます。とくに桓武天皇平城天皇嵯峨天皇など、平安初期の天皇は、強い権限をもって、親政を行ないました。
 一方で、奈良時代から藤原氏(北家)の力が強まり、平安中期になると、天皇外戚(母方の親戚)の地位を独占するようになります。
 その結果、9世紀後半から、藤原氏の当主が外戚として摂政や関白となり、天皇を奉じて政治を主宰する摂関政治を始めます。これは、平安時代の通い婚という結婚制度が関係しています。貴族の夫婦は同居せず、天皇の皇子らも母方の家で育てられました。
 これによって、天皇摂関家の影響下に置かれ、あまり表に出なくなり、朝廷の象徴的な存在となっていくのです。
 武士の台頭と皇統の分裂
 摂関政治は、11世紀後半、転機を迎えます。治暦4年(1068)、170年ぶりに摂関家外戚としない後三条天皇が即位。後三条摂関家に遠慮なく政治を行なったため、事実上、摂関政治は終焉しました。
 後三条が在位わずか五年で世を去ると、その第一皇子・白河天皇が即位します。
すると白河は、応徳3年(1086)、僅か8歳の我が子・堀河天皇に譲位。ところが慣例を破り、白河は上皇となっても権力を手放しませんでした。
 自らの御所に財産を管理する院庁を開き、朝廷の太政官国司などに院宣上皇の命令文)をくだし、有能な近臣を集めて政務に大きく関与するようになったのです。
 これが院政で、以降、鳥羽、後白河、後鳥羽にいたるまで、約百年間続くことになります。
 白河は、異母弟の輔仁親王に皇統を渡したくなかったために、この異例の政治形態で権力を握り続けたと考えられます。
 また白河は、武勇にすぐれた武士を引き立てて、北面の武士という親衛隊を組織しました。このような軍事力を持ったことも、院政を可能にした一因ではないでしょうか。
 北面の武士の中には、平清盛の祖父・平正盛もいて、やがて院政下で力を蓄えた平家が、台頭することとなります。
 そして、保元の乱平治の乱を経ることで、武士の世となり、平家を倒した源氏によって、初の武家政権である鎌倉幕府が樹立されるのです。ただし、幕府の支配は当初、西国にまで及んでおらず、朝廷と幕府で権力を二分するかたちでした。
 この関係を大きく変えたのが、承久3年(1221)の承久の乱です。この戦いに敗れた後鳥羽上皇は配流され、以後、朝廷は幕府の介入を受けるようになり、実質的に天皇も幕府の意向で決まる状態になりました。ここに、天皇は政治的な権力を失うことになります。
 もっとも、権力は失っても、天皇の権威は失われたわけではありません。幕府は政権維持のために、源氏の血統が3代で途絶えてしまうと、摂関家、そして天皇の血筋に連なる 人物を、将軍に祀り上げ続けました。
 鎌倉中期、天皇家を二分する出来事が起きます。文永9年(1272)、後嵯峨法皇が亡くなった後、天皇家持明院統大覚寺統に分裂して、皇位をめぐって争うようになります。これが後に、南北朝の争乱にも関わっていくのです。
 簒奪の危機、そして財政逼迫へ
 文保2年(1318)、大覚寺統後醍醐天皇が即位します。やがて親政を始めた後醍醐は、倒幕を目指すようになりました。これは当時、朱子学が日本に入ってきたことが影響したとの説もあります。
 朱子学には「君臣の名分を正して、絶対王権を確立する」、「覇者ではなく王者が政治をとるべき」という考えがあります。これを突き詰めると、「天皇が直接、国政を見るべき」との結論にいたります。
 実際にそのように思ったかはわかりませんが、ともかく後醍醐は執念で幕府を崩壊にいたらしめ、元弘3年(1333)、建武の新政を始めました。
 ところが、政権は僅か2年で、足利尊氏の離反を招きます。あまりに独裁的な手法により、武家だけでなく公家からも反発され、尊氏による室町幕府樹立へと繫がっていくのです。
 尊氏が京都を占領し、持明院統光明天皇を擁立すると、後醍醐は吉野に逃れて南朝を開きました。こうして南北朝時代を迎えますが、元中9年(1392)、室町幕府の3代将軍・足利義満の手によって、合一されます。
 これは天皇家にとって大きな出来事ですが、新たな危機が迫っていました。
 足利義満は長男の義持を将軍とし、さらに次男の義嗣を天皇にして、自身は公武の上に君臨し、天皇家を簒奪しようとしたとの説があるからです。
 しかし応永15年(1408)、義満が急死。後を継いだ四代将軍・義持にはまったく簒奪の意志はなく、しかも、朝廷の政務を後小松天皇と公家たちに一任しました。
 こうして危機を脱したかに見える天皇家ですが、応仁元年(1467)に応仁の乱が起きると、京都の市街地が焦土となり、大変なことになりました。
 当時の朝廷は、幕府の保護をうけているような状況でしたが、乱によって幕府は衰退し、貴族も地方に避難してしまいます。
 これによって朝廷の財政は逼迫し、明応9年(1500)に後土御門天皇が亡くなった際には、43日後に、ようやく葬儀が執り行なわれるほどでした。
 さらに言えば、その後の後柏原天皇即位式を挙行できたのは、何と、天皇になってから22年目のこと。この頃が、天皇家にとって、一番大変な時期だったといえるかもしれません。
 ※本稿は、歴史街道2019年6月号特集『「天皇と日本史」の謎』より、一部を抜粋、編集したものです。

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 日本人は歴史が好きである、はウソである。
 現代日本人は歴史が嫌いである、は本当である。
 その傾向は、グローバルを志向する高学歴出身知的エリートに多い。
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 グローバルは、世界を単一化・画一化・同一化する為に、多種多様なローカルを消滅させていく。
 人類史・世界史・大陸史において、数多くのローカルが滅亡に追い込まれた。
 日本は、ローカルであってグローバルではない。
 アジアのグローバルには、中華=中国とインドの2つが存在し、アジアはその2つにの何れかに属する事で存在していた。
 日本は、その2つのグローバルから距離を置き、2つのグローバルから利用できるものは取り入れ、利用できないものは敬して遠ざけて排除してきた。
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 日本天皇は、有りと有らゆる争いを止め、対立やいがみ合いを解消させ、憎しみを鎮める為に生まれた存在である。
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 天皇とは、天皇家の世帯主であり、皇室の家長であり、皇族に繋がる一族の族長であり、祖先神・氏神の祭祀を執り行うである。
 つまり、身内であって他人ではない。
 それが、男系と女系に違いである。
 女系とは、他家に嫁いだ者であって、真の身内ではない。
 女系天皇を認めるという事は、身内でもない者を世帯主・家長・族長・総神主・氏子代表にする事である。
 そこに、制度としての正当性はあっても、家族・身内としての正統性はない。
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 国民世論の過半数以上が、理(ことわり)を理解した上で、天皇の存在を認め、女系天皇即位・女系宮家新設を認めている。
 男系派は少数派で、女系派は多数派である。
 日本国憲法は、国民の総意として天皇の存在を認めている。
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 現代日本は、家・家庭・家族に何らの価値を持たない。
 家族であっても他人として、祖父母・父母・私・夫婦・子供・孫は細切れとなって、助け合わず・依存せず・頼らず、自分以外を切り捨て、個々銘々で自分勝手に生きようとしている。
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 世界史において、宗教は異端者や異教徒に対する殺戮を繰り返したが、それ以上に共産主義者マルクス主義)は宗教や民族、女性や子供に関係なく大虐殺を行っていた。
 日本における、キリスト教徒は1%であるが、共産主義マルクス主義に同調する日本人が数百万人存在する。
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 日本文明は、揚子江流域で栄えた長江文明少数民族)の後継であって、黄河流域で興り中華世界を征服した黄河文明(漢族系中国人・朝鮮人)とは違う。
 日本文明は、日本天皇を生み出し、独自の元号と度量衡を定めた。
 中華文明は、中華皇帝を即位させ、世界共通の元号と度量衡を定めそして広めた。
 朝鮮は、中華帝国内国家としてを、無条件で中華文明を受け入れた。
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 日本列島は、中国大陸や朝鮮半島で弱肉強食の生存競争に負けた弱者や政争・戦争などで敗れた敗北者が難民として逃げ込んできていた逃避地であった。
 日本天皇大和朝廷・日本国は、そうした避難者や難民を大量に受け入れていた。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人の祖先は縄文人である。
 縄文人は、南方系海洋民(釣り針・素潜り文化)、揚子江流域民(長江文明水田稲作文化)、北方系山野民(縫い針文化)、西方遊牧民黄河文明・麦作・遊牧)が日本列島に流れ着き・漂着して、乱婚を繰り返してきた混血の雑種民族である。
 縄文人は、日本列島を中心として、南は琉球(沖縄)、北は北方領土四島・千島列島・カムチャツカ半島樺太、西は朝鮮半島南部に広く住み、日本海を主要航路として舟で移動していた。
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 日本が朝鮮半島で戦争をしたのは、領土拡大の侵略戦争ではなく、半島南部に住んでいた同胞・倭族を北からの侵略から守る為の自衛戦争であった。
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 日本の朝鮮半島・中国大陸における戦争は、遺伝子・DNAに組み込まれた生存競争の戦いである。
 つまり、古代に繰り広げられた、北の黄河文明・麦作遊牧文化の侵略に対する南の長江文明水田稲作文化の防衛戦争であった。
 中国文明である黄河文明・麦作遊牧文化は、領土拡大の強欲さを持っていたし、現代においてもその傾向を強く持っている。
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 世界は、世襲制ではなく、多様性で開放的である。
 世界の皇帝や王侯に即位できるのは、血の繋がった自国民だけではなく血の繋がらない他国民でも可能である。
 国を動かすリーダーとして人格や才能に優れた人が求められ、血筋や家柄が良くても無能な人間は排除された。
 その意味で、民衆はリーダーを国内外から選んだ。
 現イギリス王家の祖先は、ドイツ人である。
 他国民が皇帝や王侯に即位できる正当な根拠は、武力で征服するか、女系相続として婿養子に入る事である。
 スペイン国王には、ドイツ人が即位した。
 ロシア帝国の女帝は、ドイツ人であった。
 現スウェーデン国王の祖先は、フランス人である。
 多神教国家インドの初代皇帝は、一神教プロテスタントイギリス国教会)のイギリス王国ヴィクトリア女王であった。
 メキシコ帝国皇帝は、スペイン人からフランス人に代わった。
 歴代中国帝国で、秦、漢、宋、明は黄河流域漢族が樹立した中国王朝であったが、それ以外の王朝は西方系か北方系の異民族族が侵略し樹立した征服王朝である。
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 日本は、世襲制で、一様性で閉鎖的である。
 日本の天皇が世界の非常識である理由は、皇室は征服者ではなかった事、女系相続を廃除し万世一系男系天皇(長子相続)を死守してきたからである。
 万世一系男系天皇の正統性は、特殊な血統・血筋を正統な相続とする特別な家系に限定したからである。
 特殊な血統・血筋の正統とは、高天原神話・天孫降臨神話・日本中心神話に基づく、最高神である天照大神伊勢神宮)の正しく血を引く事である。
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 日本天皇家・皇室は、外国から侵略してきた征服王朝ではない。
 日本天皇家・皇室のルーツは、弥生時代より古い縄文時代に遡る。
 日本民族日本人のルーツは、琉球人やアイヌ人同様に縄文人である。
 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人の宗教は、縄文人の宗教から受け継がれている。
 その代表的な祭祀が、皇室祭祀である。
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 世界の皇帝や王侯は、絶対神・神からの王権神授説・帝王神権説あるいは契約説を正統性としている。
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 宗教を持った国の元首である大統領、首相、総統は、例外なく神に誓って就任している。
 宗教を持たない反宗教無神論共産主義マルクス主義)の共和国は、権力闘争・政治闘争に勝ち上がって元首の座に就任し、神を抹殺した。
 それ故に、共産主義マルクス主義)共和国では大虐殺が絶えない。
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 日本では天皇が神聖不可侵として不動不変の存在であったお陰で、世界で起きていた宗教や哲学・思想・主義主張による陰惨で地獄の様な大虐殺は起きなかった。
 天皇の下で、民族・国民は臣民として平等であり、国土(領土・領海・領空)は一つであった。
 日本民族・日本国民は他国の奴隷ではなく、国土は他国の所有物ではなかった。
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 日本天皇位には、政治・武力・経済力・宗教力を排除し、特殊な血統・血筋を正統な相続とする特別な家系である以上、同じ日本人であっても他国の人間であっても即位できない。
 天皇を嫌う日本人や反天皇反日的日本人は、誰でも天皇に即位できないのは、法の前の平等に違反し、人権を無視する行為であると訴え。
 即位の条件を、閉ざされた血統・血筋という正統性から、万民に開かれた皇統を正当性に変更を求めている。
 日本国憲法が目指す最終的天皇像とは、神話に基ずく血筋・血統の正統性ではなく生物科学的な皇統を正当性とする事である。
 それが、「国民の総意」である。
 国民が天皇はいらないと言えば、天皇は消えてなくなる。
 天皇は要らないと言う日本人は、日本民族固有の歴史・伝統・文化・宗教・習慣・慣習・風習そして日本国語に一切価値を見出さない人間である。
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