🌋11〕─1─水田稲作。揚子江河口流域から日本へ直接温帯ジャポニカをもたらした人々。軟水と日本米。硬水と紅茶。~No.32No.33No.34 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 大開墾・新田開発の江戸時代までは、水田稲作よりも畑作稲の比率が高かった。
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 南方系海洋民と揚子江河口流域民の混血児が、日本に水田稲作揚子江文明をもたらした。
 揚子江文明は華南の山岳地域で生き残っている少数民族の祖先の文明で、中原で生まれた漢族の黄河文明とは別系統の文明である。
 揚子江文明は、黄河文明に侵略されて滅ぼされた。
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 2016年 古代史15の新説「遺伝子解析と考古学  中田 力
 稲作の江南から日本への直接渡来を証明するなど、遺伝子解析の成果は、考古学や歴史学からも注目されている。
 遺伝子工学の基礎
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 生命のいとなみは、受精から始まる
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 ミトコンドリアよは細胞の中でエネルギーを作る器官であるが、原始の世界で細胞質に入り込んで共生したような器官であり、ミトコンドリア自身のDNAを持っている。
 卵子は細胞として完全な形をしており、その中にミトコンドリアを持つ。しかし、精子は核に存在する遺伝子情報だけを卵子に伝達する役割を持ち、成熟すると核が頭、残りの部分は尻尾と変形する。そして、受精後に卵子の細胞質に入り込むのは精子の頭部だけ、つまりは、染色体を持つ核だけである。結果として、男女を問わず、ミトコンドリアはすべて母親から受け取るのである。
 もちろん、息子にも母親からミトコンドリアは受け継がれるが、次の代には受け継がれない。ただし、娘からはまた次の代へと受け継がれるのである。男子が途絶えない限りY染色体が父系の情報を永遠に伝達するように、女子が途絶えない限りミトコンドリアDNAは母系の情報を永遠に伝達するのである。
 分子人類学
 人類はアフリカで誕生した。そして、全世界に分布した。このアフリカ単一起源説(……)は、現在、科学的に確定したものとして扱われている。
 アフリカに登場した人類最初の男性(『旧約聖書』の記載を採って、Y染色体アダムと呼ばれている)に初めて人類のY染色体が登場した。14から20万年前の出来事である。そして、全世界の男性が同じY染色体を受け継いだ。人種を問わず、すべての男性は同じY染色体を持っているのである。
 しかし、何十万年おいう長い間に、Y染色体には多くの多型が生まれた。その起こり方を統計的に処理することにより、Y染色体をグループ分けすることができる。それをハプロタイプ解析という。長年の間に蓄積されてきた遺伝子の揺れを追いかけるのであるが、Y染色体ハプロタイプ解析により、アフリカを出発した人類がどのように世界に分布して行ったのかが詳細に追跡されている。……
 女系家族の追跡はミトコンドリアDNAのハプロタイプ解析で行われる。Y染色体アダムズのように、アフリカに最初に現れた女性はミトコンドリア・イブと呼ばれることが多い。
 ミトコンドリアDNAのハプロタイプ解析でも人類の大移動を追跡することは可能である。しかし、社会学的に女性は一人の男との家系にとどまることが多く、母系家系の追跡は途絶える可能性が高い。その家系に女が生まれなければ、そこで断絶するからである。その反面、男は多くの女性と子をなすことが多く、男系家系の追跡は容易である。したがって、アフリカで誕生した人類がどのようにして世界に分散して行ったかの研究には、Y染色体ハプロタイプによる追跡がきわめて有効であった。
 現在、東アジアで圧倒的多数を占めるハプロタイプはOである。二度目の拡散により到達したグループである。先住であったCとDのグループは追いやられるように東アジア辺縁に散在しているが、Cグループが主体をなす国家としてモンゴルが存在する。
 日本は他のアジアの諸国と違い、Oグループが絶対多数を占めない国家である。主にDグループとOグループとが共存している。Dが縄文人、Oが弥生人を表していると考えられているが、アイヌ男性のYハプロタイプが圧倒的にDグループで占められており、沖縄の男性にもDグループが多い。Oグループの男性が占めている割合は九州に高く、本州でも西高東低の分布を示すことから、先住民であった縄文人の土地に弥生人が渡来したことが理解される。
 稲作の始まりによりそれまで狩猟中心であった日本の人口が急速に増加したことと合わせると、弥生文化の到来が日本という国家の確立を促したことは明白である。それでも、稲作に縄文人が多く参加していた形跡も含め、現在までDとOのハプロタイプを持つ男性がほとんど同数存在することは、後着民族が先着民族を征服、排除を徹底しなかったことを物語っている。日本という国家が、調和を重んじた人々によって作られたことの証である。
 近年、Y染色体ハプロタイプ解析は詳細をきわめ、同じハプロタイプをさらに細かに分類する細分技術(……)と呼ばれるサブグループの解析が進められている。それによると、弥生人とされるOグループの主体はO1b2(旧O2b)で、同じ祖先を持つO1のグループの中で、現在の上海付近に展開するO1a(旧O1)、更に南に展開したO1b1(旧O2a)とは異なり、山東方面に展開するサブグループの子孫であることが理解されている。
 O1(旧O1およぶO2)のサブグループ、特にO1b(旧O2)は稲作の民であった可能性が高く、現在、中国大陸において絶対多数を占めるO2(旧O3)とは比較的初期の頃分離したと考えられている。
 O1b2(旧O2b)の主体は日本と韓国に存在するが、さらに詳細な細分枝の解析で、日本の弥生人の主体をO1b2a1aとして、韓国のO1b2a1bと分離可能であるとする学者もいるが、O1b2a1まで共通の祖先を持つことを考えれば『学問的な遊び』の感も拭えない。同様に、縄文人の主体と考えられるDグループは、現在、D1b(旧D2)と分類されている。
 弥生人O1b2(旧D1b)も縄文人D1b(旧D2)も、ともにそのほとんどが中国本土を離れている。彼らの民族移動と日本建国に関する考察は、拙著を参照されたい。
 もう一つの遺伝子解析
 遺伝子解析はイネについても行われている。日本の水田で作られているイネ、温帯ジャポニカの遺伝子解析である。
 温帯ジャポニカは長江(揚子江)の中流、彭頭山(ほうとうざん)付近、現在の湖南(こなん)省北西部に生まれ、長江河口、現在の上海付近のデルタ地帯に広まったとされている。そして、この地方で栽培されているイネの60パーセント近くにはRMー1bと呼ばれる遺伝子が存在するのだが、日本で栽培されているイネ、特に、九州から本州南部にかけて栽培されているイネの多くもこの遺伝子を持つ。
 ところが、韓半島で栽培されているイネはこの遺伝子が見つからないのである。佐藤洋一郎氏によって明らかにされた、このRMー1b遺伝子を持つ温帯ジャポニカの分布は、日本に弥生をもたらした水田稲作が、韓半島を経由せず、直接、長江河口付近から伝わった技術であることを証明している。
 弥生と呼ばれる時代は、温帯ジャポニカを持った弥生人の渡来によりもたらされた。そして、その人々は、中国北部から韓半島という北周りのルートではなく、上海地方から直接海を渡って日本の九州に到達した人々である可能性が高い。言い換えれば、日本の弥生時代の幕開けはRMー1b遺伝子を持ったイネとと共に上海付近から九州に渡来したO1b2(旧O2b)の人々によってなされたのである。
 線形思考の弊害
 Y染色体ハプロタイプ解析は、人類がアフリカを出発した7万年前頃から2度目の拡散が行われた4万年前の人類の移動に関する情報を与えてくれる。人類学によってはもちろんのこと、文化人類学歴史学、考古学、等々、人類の移動と文化の形成の過程が重要な役割を果たす学問体系できわめて画期的なことであった。
 問題は、それが、複雑系の範疇(はんちゅう)に属すことである。
 複雑系とは系に影響を与える因子が無数に存在し、その行動パターンが非線形を示すものをいう。非線形とは『重ね合わせの原理が働かないもの』、言い換えれば、1+1が2とはならないものを表し、還元論も適応できない系(科学的解析の対象とするもの)をいう。基本的に、我々が扱うすべてのものが複雑系に属すると考えても大きな間違いではない。
 ハプロタイプ解析は、正しく使えば革命的な情報である半面、複雑系非線形解析を与えやすく、間違った認識をもたらす可能性も、故意に悪用される可能性も、非常に高い方法論なのである。
 Y染色体ハプロタイプ解析は人種の違いを表すものでも、また、それぞれの民族を作り上げる遺伝子プールを決定するものでもない。ましてや、それぞれの人間の能力を決定することなどありえない。Y染色体の持つ遺伝情報は無視できる程度のものであり、ほとんどの遺伝子情報は常染色体にある。
 同じY染色体ハプロタイプを持っていても、人種さえ異なることもある。O1a(旧O1)でマダガスカルに到達したグループは、東洋人ではなく黒人である。その反面、違ったY染色体ハプロタイプを持った男性であっても、驚くほど遺伝学的に一致した存在でもある可能性も高い。
 建国時であれば区別は可能であったろうが、2000年の時を経た現在、日本国内におけるY染色体ハプロタイプによる分類は意味を持たない。弥生系のO1a2(旧O2b)を持っていてもその遺伝子情報はほとんどが縄文系、縄文系のD1b(旧D2)を持っていてもその遺伝子情報はほとんどが弥生系である男性はいくらでも存在するのである。
 それでもなお、複雑系科学を正しく理解していない人たち、驚くことには、ハプロタイプ解析を行う専門家と呼ばれる遺伝子工学の科学者たちの中にさえも、まるで、ハプロタイプ人間性が決まるかでもあるような根拠のない主張をする人々がいる。面白おかしく伝えるバラエティー番組は仕方ないとしても、それに乗っていかにも真実であるかのごとく振る舞う似非(えせ)科学者の存在に閉口する。
 民族浄化と称した大量虐殺の歴史は、ドイツのヒットラークロアチアの虐殺集団ウスタシャなど、いまだに記憶に新しい。ハプロタイプ解析は、彼らが根本的な間違いを犯したことを示しているのだが、それを理解せず、まったく反対の結論を主張して、同じような愚行を煽る発言をする人間が存在することは脅威である。
 なぜか家系図摸造が絶えない東洋において、ハプロタイプ解析はさらなる標的となった。
 もともとゴシップの対象になりやすい有名家系ではあるが、自身の出身をなぞることで自身の祖先を高尚化しようとする人々による風評被害に喘いでいる。新手の家系図摸造のようなものである。インターネット上に流れる有名家系の解析結果は、本人が認識している場合か、もしくは、正式な論文として発表されていない限り、そのほとんどが眉唾である。
 科学を適切に用いるかその悪用を図るかは、個々の人間の持つモラルにかかっている。考古学にきわめて有益な方法論を与える遺伝子解析の技術が、逆説的に影を落とすことなく、新しい光となることを願う限りである」
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 2016年11月21日 産経ニュース「国内最古、縄文−弥生期の畑跡を発見 愛媛大
 松山市の文京遺跡から見つかった国内最古の畑跡(愛媛大提供)
 松山市の文京遺跡で、縄文時代晩期末−弥生時代前期初頭(紀元前700〜紀元前500年)の畑跡が見つかり、21日、愛媛大埋蔵文化財調査室が発表した。弥生時代前期前半の庄・蔵本遺跡(徳島市)や筋違遺跡(三重県松阪市)より1世紀余り古く、国内最古の畑跡という。
 日本列島では既に縄文時代晩期末の水田跡は見つかっているが、縄文晩期−弥生前期の農耕の様子を知る手掛かりになるという。
 同調査室によると、南北は約6〜7メートル、東西の長さは不明だが、小規模な畑という。栽培した作物は分かっていない。
 畑跡では、上下の層と比べ作物由来とみられる有機質の量が多いことや、地表の表面に人為的に掘ったとみられる小さな穴も複数確認された。木製のすきで耕していたとみられ、泥の層が無いことから、水田でなく畑と判断した。畝は作らない平らな畑だった。
 川へ緩やかに落ち込むくぼ地を利用しており、水を得やすい場所を選び畑作をしていた可能性があるという。
 調査を担当した愛媛大の三吉秀充講師は「畑で作物をどの程度、どうやって作っていたのか。穴の痕跡などから実際の作業工程も明らかにしていきたい」と話した。」
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 2017年2月号 新潮45「人間関係愚痴話 曽野綾子
 未熟と喧騒
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 私も時々外国(それも主にアフリカ)へ行く時、おみやげとして日本の米を持って行き、向こうの修道院で炊く。もちろんインスタント味噌汁、たくあん、コンブの佃煮のようんなささやかなおかずは持参する。シスターたちはもちろん『夢のようにおかしい』と言ってくれるけれど、私は決してその言葉に騙されてはいない。どれほど気をつけても、外国で炊いた日本米は、私たちが食べる白米のご飯の味とは、似て非なるものである。
 その理由は見ずにある。日本のお米は、軟水で炊かないと私たちの納得する味にならない。
 水は偉大なものだ。日本の水は、お米をおいしくし、その水で顔や髪を洗うだけで、髪を柔らかくし、肌をつるつるにしてくれる。
 その代わり紅茶は、イギリスの硬水で淹れないと、ほんものの味にならない。『日本の水では、まずおいしい紅茶は諦めるんですな』と言った人さえいる」
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