- 作者:豊田 隆雄
- 発売日: 2015/02/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本軍は、ロシア軍の復讐戦を恐れた。
戦争で疲弊した日本軍は戒厳令に従って国内暴動を鎮圧した。
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高宗は、ロシア帝国やアメリカを利用して日本を滅ぼす為に告げ口的密使外交を行っていた。
反日派朝鮮人は、激戦で疲弊した日本軍を後ろから攻撃するべく、愛国心に燃える若者を集めて義兵蜂起を急いでいた。
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貧困に苦しむ下層階級の朝鮮人は、同時に身分や地域や家系など各種の差別で虐げられていた為に、国境を越えて満州に逃亡していた。だが、中国は民族差別で朝鮮人を人間以下の奴隷として扱っていた。
桂・ハリマン間満州鉄道に関する予備協定覚書。1905年10月12日
伊藤博文や桂太郎首相らは、戦争によって莫大な戦費を借金し、財政は破綻状態で南満州鉄道経営の資金がなかった為に、潤沢なアメリカ資本(実体はユダヤ系国際金融資本)からの投資を期待してハリマンからの日米共同経営案に同意した。
軍部は、ロシア軍に勝ったとは言え、兵員と弾薬不足におちいっていた。ロシア帝国が、シベリア鉄道を全線開通させて兵員と軍需物資の輸送能力を向上させ、満州に100万人近い大部隊を集中させたとき、ロシア軍は名誉回復の為に復讐戦に出るのではないかと警戒した。第二次日露戦争に備えて、朝鮮半島の軍事基地を急ぎ、大韓国帝国政府に圧力をかけて反日派朝鮮勢力の弾圧を行った。
小村外相は、アメリカ資本は日本資本以上に資金力があり、アメリカ人は日本人以上に豪腕の経営能力がある為に、最終的には南満州鉄道は乗っ取られるとして反対した。国際社会で宗教的人種差別主義がまかり通っている以上、気の弱い日本人は小間使いとして、白人優先主義者のアメリカ人共同経営者に奴隷の如くかしずく結果になると警戒した。
アメリカの満州市場進出戦略は、日本の門戸開放拒否によって挫折した。
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10月28日 日本政府は、日清戦争や日露戦争で敵方に日本側の情報を流し、日本軍をたびたび窮地に追い込んだ大韓帝国の処分案を決定した。大任である特命全権大使に、枢密院議長の要職にある伊藤博文に大命が下った。
伊藤博文(束荷神社)は、小作人出身ではあったが、長州閥の重鎮として四次にわたって内閣の首班を務めた元老であった。
陸軍を牛耳る長州閥は、日本防衛の為に、朝鮮駐屯兵力を最終的に16万人以上とする増強案を計画していた。
長州出身者は、対馬事件や長崎事件の屈辱的な顛末を目の当たりにた自分の経験から、朝鮮処分に異常なほどの情熱を持って行動していた。
近代化途上にある弱小国日本は、自国中心の安全保障戦略から、自国民の生命財産を守る為に、国外に強固な防波堤を築く必要を痛感していた。
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11月9日 伊藤博文特派大使一行は、日本資本で開通した京釜鉄道に乗車して漢城に到着した。伊藤代表団を迎えたのは、林権助日本公使と龍山地区に駐屯する日本軍兵士であった。
伊藤博文は、貞洞の旧ソンタク邸であるソンタク・ホテルに落ち着いた。
大韓政府は、伊藤博文が女にだらしのない好色家である事から、宮廷官女から絶世の美女を選び出して、その宿泊所に秘かに送り込んだ。
11月10日 伊藤博文は、林権助公使らを引き連れて慶運宮におもむき、高宗と謁見した。伊藤博文は、外交権を奪い統監府を設置するという強硬な条約文案を手渡し、5日後までに返答を求めた。
この後。大韓政府は、日本の保護国化を目的とした脅迫的条約文案を受け入れか、拒否するかで激論を交わした。
11月16日 大韓政府は、協議末に全会一致で拒否すると決めた。続いて、高宗皇帝臨席の御前会議でも独立国家として断固拒絶する事を確認した。
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高宗「朝鮮は昔から中国の藩属として内治外交を委ねていた。今回の保護国化は中国から日本へと変わるだけであり、外交権の喪失くらいはやむを得ないのではないか」
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11月17日 第二次日韓協約。日本は、全国力を消耗して辛くも勝利を収めたが、余力のあるロシア帝国が親露派朝鮮人の手引きで復讐戦を仕掛けてくる事を恐れていた。
日本の安全保障は、如何に朝鮮の親露派を押さえ込むかにかかっていた。
日本は、反日謀略外交ができないように外交権を奪う為に大韓帝国を保護国化する事を決定した。
伊藤博文と林権助公使は、大韓政府の全閣僚を集め強圧的に条約文案を受託する様に脅迫した。
伊藤博文「貴大臣は本案を拒否し、日本と断交せんとの意志か!余は我が天皇陛下の使命を奉じてこの任にある。諸君に愚弄せられて黙するものではない!」
5名の閣僚は、恫喝に恐怖して、条約文案の一部を修正すれば受け入れると返答した。
残りの3名は、反日派として、日本の脅迫に屈しては国家は滅亡し、民族は日本人の奴隷になりさがり、祖先に申し訳ないとして拒否した。
同深夜。多数決に従って条文は承認されたが、首班の参政大臣が反対した為に条約ではなく格下の協約とされた。第二次日韓協約の成立により、大韓帝国は日本の保護国となり外交権は消滅した。
宮廷内で、極秘に進められていた交渉は国民に洩れていた。
日本は、反日的外交を封じ込める為に軍事と外交の行政を監理・監督する名目で、大韓皇帝の下に統監を置き内閣に優越する権限を認めさせた。
日本は、朝鮮の自主独立とロシア帝国などの欧米列強の侵攻からアジアを防衛する友邦となる事を期待してきたが、事ここに至ってはもはや対等な友好善隣の関係を認めなかった。
モーガン駐韓公使(セオドア・ルーズベルトへの報告)「日本は、韓国に対し完全保護を強圧している」
セオドア・ルーズベルトは、駐米公使高原小太郎の要請を受け、親韓国派の反対を押し切って漢城のアメリカ公使館の撤収を決定した。
大韓帝国は、米韓条約にもとずき日本の侵略行為を訴えた。
アメリカは、国内の風紀紊乱を正せない朝鮮を見限り、その訴えを却下した。太平洋における海軍力がいまだ貧弱な為に、日本との関係を悪化させるつもりはなく、アメリカの利権を侵害しない限り日本の朝鮮政策に反対するつもりはなかった。
日本は、大韓帝国の外交権を制限し、大韓皇室を監督し反日行動を監視する為に、日本公使館に代わって統監府を設置した。
イギリスは、アジアの植民地確保の為には、戦争を誘発させる謀略外交を繰り返してきた大韓帝国を沈黙させる必要があると判断した。
アメリカも、満州進出の為には、混乱の原因である郄宗の反日行動を封じ込める必要を認めた。
欧米列強はもちろん清国も、大韓帝国政府には統治能力はないと認め、朝鮮の管理を日本に委ねた。
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大韓皇室内部では、日本を倒す為にロシア軍の再来を期待した。
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反日派朝鮮人民は、日本が押し付けてきた条約は屈辱であるとして、大漢門の前で反日抗議集会を開き、全道的な反対運動に拡大しようとした。
日本の憲兵隊は、ロシア帝国に軍事行動を起こす隙を与えない為に、暴力的に反日集会を解散させた。
大韓帝国政府は、対日融和外交方針から、国内に広がった反日運動を鎮圧しようとしたが、一部では暴動に発展して治安が悪化した。
閔妃の甥である侍従武官長の閔永煥や前議政の趙秉世らは、日本の横暴に抗議して自決した。
高宗は、反日暴動の盛り上がり利用して日本に制限された主権を回復する為に、政府に内緒で伝統的密使派遣外交を行った。
李完用は、最初は反日強硬派であったが、高宗ら腐敗堕落しきった守旧派では朝鮮は近代化どころか滅亡するとの危機感から、親日派に転じて日本との協調を推進した。
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*反日派朝鮮人による義兵蜂起。
11月18日 反日派市民達は、慶運宮の正門前広場を埋め尽くし、日本との友好は「悪」であるとして協約破棄を求めて慟哭した。協約の破棄を求める市民の座り込みはその後もあとが絶えなかった。
特に、儒教を金科玉条とする両班ら知識エリート階級は、伝統的儒教価値観を守るた為に猛反対した。
大韓政府と日本軍は、反日暴動に発展する事を恐れて警戒を強めた。
アメリカやイギリスなどの諸外国は、外交権を失った大韓帝国から公使館を引き揚げ、日本政府の許可を得て領事館を漢城などに残した。
ルーズベルト「もはや、朝鮮は国家の態をなしていない……私は日本が韓国を手に入れるところを見たい。日本はロシアに対する歯止めの役割を果たす事になる」
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11月20日 反日派の皇城新聞や大韓毎日申報(社長イギリス人)などは、協定の不当性を訴え、日本人の横暴を激しい口調で書き立てた。
日本側の侵略意図が全土に知れ渡るや、民衆は日本への怒りを露わにした。
各地のキリスト教会は、政治化して、反日のミサを行い、信者に自主独立を呼びかけた。
狂信的民族主義者数人は、協約に賛成した5名の閣僚(乙巳五賊)の暗殺を計画したが、密告によって全員が逮捕され、激しい拷問を受けた。
高宗は、韓米修好通商条規に従い、アメリカに日本の横暴を訴え、日本に強要された協約を破棄する為の救援を求めた。
親韓派の前大韓駐在公使アーレンやアメリカ人記者ハルバートらは、日本人による朝鮮人への差別を憤っていただけに、高宗の密書が大統領や国務長官に届く様に協力した。
ルーズベルト大統領は、日本の保護国となった大韓帝国を独立国と認めず、外交権を持たない高宗からの書簡を持った密使との面会を拒絶した。
ルーズベルト大統領は、けっして親日派ではなかったが、この時点で日本との関係を悪化させる事は国益に有害であると判断した。
豪快を好むルーズベルトは、個人として、戦争をする勇気もなく、全滅覚悟で死力を尽くして戦って国を救う気概もなく、影に隠れてコソコソと大国の間を廻って自国を守ろうとする行動を姑息として嫌った。
ルート国務長官は、桂・タフト協定に従って高宗からの密書を無視した。
高宗の、アメリカの軍事力を利用して日本を追い出すという謀略は、ルーズベルトの個人的性格で失敗した。
だが、奪われた朝鮮の独立を取り返す為に協力してくれる大国は必ずあると信じ、諦める事なく、アメリカ、フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国などの大国に密書を送った。
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11月30日 侍従武官長兼陸軍副将閔泳煥や前参政の洪万植が憤死するや、各地でも憂国の士による憤死が続出した。
過激な反日義兵団は、各地で日本軍や親日派政府に対して武装蜂起した。
後期義兵闘争(〜14年)。
独立運動は、愛国心による反日暴動であって、尊王の志による国王復辟の復古運動ではなかった。
元議政府賛政の崔益鉉は、門下生や高名を慕って集まった愛国の志士と共に挙兵した。
日本の圧力を受けた大韓帝国は、政府軍に義兵団の鎮圧を命じた。
崔益鉉は、鎮圧に出動して来た政府軍兵士を説得して味方に引き入れ、地方の役所を襲撃して勢力を広めた。
「同じ同胞が殺し合うのは愚かな事で、殺すべきは侵略者の日本人である」
日本軍は、政府軍による鎮圧は不可能と判断して部隊を派遣し、親日派の協力を得て義兵団を追い詰め崔益鉉と幹部13名を逮捕した。
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日本軍部は、朝鮮の動乱によってロシア軍が復讐戦に出る事警戒した。
反日派朝鮮人は、ロシア軍が味方し援軍を送ってくる事期待した。
ロシア帝国は、アメリカ同様に陰険に暗躍する朝鮮を嫌悪し、堂々と戦った軍国日本に敬意を払って干渉しなかった。
中国や朝鮮は、日本の大陸侵略であると非難した。
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12月22日 日本は、清国との間で「満州に関する日清条約」と「秘密条項」を締結した。
清国は、日本に対抗するには大国化しつつあるアメリカを利用すべきと判断して、アメリカに接近した。但し、有利な状況になるまで、見せ掛けとして日本との友好関係を演出する為に満州善後条約(日清間満州に関する条約)を締結した。それは、「敵を欺く為には味方を欺く」という戦略であった。
清国は、密かに、日本から遼東半島を含む関東州租借権と南満州鉄道などの在満権益全てを没収し、アメリカ資本に多額で売却する交渉を始めようとしていた。
大韓国帝国も、日本を追い出す為にアメリカを利用しようとしていた。
東アジア諸国は、国際信義として不当であっても締結した条約や協定を順守する意識はなく、国益を全ての上に優先しようとした。つまり、日本との如何なる約束も守る気はなく、日本を窮地に追い込む為に破棄する機会を狙っていた。
ドイツ帝国は、華北に植民地を拡大するべくアメリカに接近し、清国を加えた三ヵ国提携である米独清協商案を模索した。
清国の指導部は、表向きはにこやかに日本との友好を見せ掛けながら、裏では欧米列強の軍事力で日本を大陸から追放する為の陰謀を巡らしていた。
大韓国帝国でも、日本に従う振りを見せながら同じ様な謀略が行われていた。
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アメリカは、日本をアジア・太平洋地域での優先的仮想敵国と認定し、何時かは海上覇権をめぐって戦わねばならない海軍国家として戦略計画立案に取り掛かった。
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- 作者:姜 在彦
- 発売日: 2012/02/10
- メディア: 文庫