☱12〕─1─貧困朝鮮人の日本への大移動開始。日本政府と朝鮮総督による移動阻止・密航取り締まり強化。大正9年~No.24No.25 @ ④ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 在日朝鮮人による三・一独立運動記念デモ。
 英親王李垠の婚礼式場爆破計画。
 首相官邸襲撃計画。
 東京大暴動計画。
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 朝鮮人テロリストによる反日テロが、日本や朝鮮で続発していた。
 朝鮮総督府や日本政府は、朝鮮人テロリストと共産主義活動家らの反社会的活動に神経を尖らせていた。
 朝鮮人は、仕事を求めて日本へと渡った。
 戦後。日本は、朝鮮人貧困者の日本密航が非人道的な強制連行として国内外から批判された。
 日本の正確な資料による弁明は、全て否定された。
 日本は、朝鮮人テロリストの攻撃を受けていた。
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 李圭泰「1920年代の新聞によると、『自家放火』の事件が多い。いくら腹が立つからと言っても、自分の家に火をつけるほど『カッ』となる民族は韓国人の他にないかもしれない。……追い込まれると自虐的な方向で怒りを表す」(『韓国人の情緒構造』)
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 1920年 日本政府は、財政負担を減らす為に、「皇族降下準則」を制定して皇族の数を減らす事を決定した。大正天皇は、立憲君主として、憲法の規定に従って政府や国会が裁決した法案を裁可した。
 朝鮮総督府は、福沢諭吉が提唱する漢字ハングル混成文を普及させる為に、初めて本格的朝鮮語辞典を完成させ、そして刊行した。
 朝鮮人児童に、朝鮮語を国語として、日本語を共通語として教えた。
 朝鮮語を禁止して日本語のみを教えるには、朝鮮在住の日本人は極少数にすぎなかった。
 朝鮮総督府は、1920年にハングル新聞の創刊を許可した。
 ハングルには、中国語同様に国際的近代用語がなかった為に、和製漢字を広めた。
 現代日本人以上に、昔の日本人の語彙は尽きる事ないほど無尽蔵にあった。
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 朝鮮総督府は、西洋人に評判が悪かった、朝鮮の伝統的刑罰を緩和し、日本人では考えられないような残虐な処刑を廃止した。
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 日本の産業界は、製品を作れば高く売れてボロ儲けできるというるというバブルに沸いていた。
 GNP年次成長率は、14年から19年までに28.5%という驚異的数字を出していた。
 製造業は、注文に製造が間に合わない為により多くの労働者を必要としたが、日本人青年は徴兵されて戦場に送られていた為に、徴兵制がない朝鮮人青年を雇う事にした。
 日本人は一等国民として徴兵が義務付けられていたが、朝鮮人は二等国民として徴兵の義務がなかった。
 朝鮮人は兵士に志願したが、日本軍は採用条件を厳しくして意図的に排除していた。
 日本企業は、日本語などの初等教育を受け、日本人に対して偏見がなく協調性がある朝鮮人青年と雇用契約を交わして日本に連れて来た。正規の手続きを踏んで日本に就職した朝鮮人は、日本に渡航した全体の27%にすぎなかった。
 残りの朝鮮人は、日本に行けば働き口があり大金が稼げると聞き、行き先も就職先もなく、不法密航に近かった。
 不法上陸であり、流暢に日本語が話せなかった為に日本人との交際を避け、特殊技能もなった為に真面な職業には就けず、先に日本に来ていた不逞朝鮮人の口利きで低賃金で単純労働の仕事を見付けた。
 朝鮮人は自分が儲ける事だけを考えて、嘘を教える事を恥とも思わず、同胞を裏切る事も罪とは感じなかった。
 金振九「内地渡航朝鮮人は、両班の使用人、前科者並びに犯罪逃亡者その他の低級者が大多数」
 日本語を覚える気がなかった為に朝鮮人だけで固まり日本人とは付き合わず、噂で聞いた賃金ではなかった上に、日本人から差別されているという不満を募らせて反日感情を募らせていった。
 戦後不況に陥った日本企業は、日本人労働者を救済する為に、雇用契約がハッキリしない朝鮮人労働者を優先的に解雇した。雇用契約がハッキリしている朝鮮人従業員には、然るべき保証を行い、正規の退職金を払って帰国させるか、失業しない様に別の仕事を紹介した。
 解雇された朝鮮人労働者は、不当解雇に激怒して、日本人の差別的仕打ちを恨んで反日運動に参加していった。
 朝鮮独立派テロリスト集団は、日本国内の反日朝鮮人を組織に引き込んでテロリストに仕立てるか、情報屋として利用した。
 日本に働きに来た朝鮮人の極僅かな者は親日的であったが、残りの大半が反日となった。
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 レーニンは、ドイツ革命の失敗を教訓として、反共産主義意識の強いヨーロッパでの革命を断念して、その矛先をアジアに向けた。
 日本の悲劇は、この時から始まる。
 レーニンは、20年頃から密使を日本に入国させ、密かに無政府主義者アナーキスト)の大杉栄や暁民共産党の近藤栄三らと接触して、天皇制度を打倒する暴力的共産主義革命を起こす為に多額の活動資金を与えた。
 日本人共産主義者は、ロシア共産党から資金援助を受け、ソ連の指示で日本を反天皇で変革しようとした。
 正常な国は、外国からの資金援助を得る者を利敵行為者として罰し、容赦なく国家反逆者として如何なる公職からも永久に追放した。
 例外は、国会議員で在日韓国人北朝鮮関係者から政治資金を提供され、官僚や文化人や学者や財界人で中国共産党人民解放軍系企業から豪勢な接待を受けても、罪とならない現代の日本だけである。
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 アメリカで、人種差別法案である第二次排日土地法が成立する。国務省極東部は、親中国派として、日本に対して譲歩する事に猛反対した。
 日本政府は、対米協調を国是として、対米感情の悪化を恐れ、受け容れられるものは我慢して受け容れる様に国民に訴えた。
 ポーランドは、ロシア帝国に奪われていた旧領を奪い返す為に、ソ連ウクライナを侵略した。
 バルト三国も、ソ連からの独立と領土拡大の為にソ連軍と戦い、国家の裏切り者である共産主義者を見付けしだい虐殺した。
 グルジア民族主義者は、ソ連からの独立の為に武装蜂起し、共産主義者を虐殺した。
 バチカンは、絶対神への信仰から反共産主義を表明し、各地で行われている対共産主義戦争を支持した。
 ソ連は、国際共産主義大義から、民族の独立を求める少数民族と宗教関係者を容赦なく虐殺し、「死と暴力」の恐怖支配を拡大した。
 共産主義が支配する地域では、例外なく大虐殺が行われた。
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 1月 国際連盟は、世界の恒久的平和を求める為に設立され、連盟規約を破った加盟国には経済制裁を課す事を決めた。
 アメリカ政府は、連合軍に一員として派兵していたアメリカ軍をシベリアから撤兵すると発表した。
 日本は、国際連盟規約に人種平等案を加えるように提案したが、アメリカやオーストラリアの猛反対で却下された。
 国際連盟規約20条「遅れた地域の民の福利厚生を図るのは使命である」
 オーストラリアは、ベルサイユ講和の最中に、国内の民族浄化として原住民の撲滅を進めていた。
 国際社会の批判が強くなるや、男を強制労働に狩り出して過労死させ、女は強姦して混血児を産ませた。
 隔離政策として、生まれた混血児は母親から強制的に引き離し、キリスト教修道院に預けて幼児の内に洗礼を授け、白人社会で下僕として養育した。
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 2月 ソ連は、モンゴルを傀儡化するや、5月に上海に日本を含む全アジアを共産化する為の活動拠点を設立した。
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 3月 戦後恐慌が起き、戦争景気で潤っていた企業の倒産が相次いで、日本人失業者が巷に溢れた。
 マルクス主義者は、労働組合を組織し、階級闘争史観で労働運動を活発にした。
 日本企業は、権利要求を拡大してくる労働組合との話し合いに辟易として、安い賃金で働く朝鮮人労働者の雇用を拡大させた。朝鮮人労働者が増える事によって、日本人労働者の解雇も急増した。
 各地の農村でも農民運動が盛んとなり、小作人組合が結成され、小作争議が頻発していた。
 東京で、三・一運動記念留学生デモが起きた。
 朝鮮人テロリストは、東京駅ホテルで親日派の閔元植を刺殺したが、英親王李垠の婚礼式場の爆破は失敗した。
 関東で、朝鮮人による事件が頻発し、日本の右翼や右派などの民族主義者との暴力抗争が発生していたといわれている。その裏には、天皇制度打倒の共産主義革命を起こそうとしていた、左翼や左派のマルクス主義者が暗躍していたとされている。
 独立運動は、満州、上海、ハワイ、カリフォルニア、メキシコなどのにも波及した。フィラデルフィアに、新たな臨時政府が樹立し、国際情勢を味方として日本との対話による平和的解決を拒否した。
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 日本皇室は、朝鮮との深い絆を築くべく李氏朝鮮王家を皇族に準ずる地位に引き上げる為に、王世子・李垠(イウン)と梨本宮守正王の第一王女・方子(まさこ)女王の結婚を認めた。
 これ以降。李氏朝鮮王家を軽蔑し差別する事は、皇室の権威を蔑ろにする不敬罪となった。
 日本政府も朝鮮総督府も、前年の3・1暴動(万歳事件)を反省して、融和策をとって朝鮮人を官吏や警察官に積極的に登用した。
 朝鮮人の官吏や警察官が日本人に代わって現場を仕切る事によって、朝鮮人の間での反日運動は沈静化した。
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 3月17日 間島事件。間島地方の琿春を拠点とする朝鮮独立軍は、活発に国境を越えて朝鮮内に攻勢を強めていた。美占や豊橋洞などの日本軍守備隊は、朝鮮独立軍の強襲を受けて300人以上の死傷者を出した。6月に入ると、さらなる攻勢にあって日本軍に被害が出た。
 総督府朝鮮軍は、間島地方の朝鮮独立軍を殲滅する為の討伐作戦を計画した。
 大韓民国臨時政府の北路軍政署総司令官である金佐鎮(キムジャジン)は、日本軍を撃破して数十人を殺害したが、抗日運動を盛り上げる為に1,000人以上を殺害したと吹聴した。
 朝鮮も、中国同様にその報告には信用性がなく、その大半が捏造の嘘報告であった。
 与えた損害も、受けた被害も、全てが水増しされた数字に過ぎなかった。
 金佐鎮は、満州朝鮮人と中国人が朝中連合を結成し抗日部隊として戦う事を訴えたが、朝鮮人嫌いの張作霖の弾圧にあって失敗した。
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 4月17日 神戸新聞は、逮捕した徐相漢や金成範らが密輸した爆弾で首相官邸襲撃を計画していたと報じた。
 この後。上海の朝鮮人反日テロリスト集団による日本人襲撃が、日本国内はおろか朝鮮や中国でも多発した。
 4月28日 宮中で、皇族格の李氏王家英親王李垠殿下(22)と梨本宮方子女王(18)の婚儀の儀が執り行われた。
 梨本宮伊觥子妃「重い使命を忘れない様に、そして、梨本宮家の名を汚さなぬよう務めて下さい、お幸せに」
 貞明皇后「日韓の契りに大きな働きをなされましたね。どうか末永くお幸せを祈ります」
 皇族待遇の李氏王朝家は、皇族や華族よりも裕福であった為に嫉妬され、陰で軽蔑だれていた。
 皇室は、両民族融和の為に李氏朝鮮王家に心配りをし、今回の結婚を推し進めてた。
 昭憲皇太后は、方子女王をいたく気に入り、将来、裕仁皇太子のお妃にと考えていた。
 朝鮮総督府は、特赦令を発し、一部の国事犯以外を釈放した。
 朝鮮人テロリストは、梨本宮方子の馬車に爆弾を投げかけたが爆発せず、暗殺は失敗した。英親王李垠と梨本宮方子女王の婚礼式場の爆破を計画し、共産主義者日本人の協力を得て準備に入った。
 日本皇族と李氏朝鮮王家の結婚が実現するや、内鮮一体として日本人と朝鮮人の結婚件数が増加した。
 日本政府は、朝鮮のインフラ整備の為に多額の国費を投じた。
 朝鮮総督府は、有能な朝鮮人総督府職員や警察官に積極的に雇用した。、 
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 5月 マルクス主義者は、日本最初のメーデーを行った。
 日本政府は、労働者の権利が拡大される傾向にある為に、国際世論に配慮して黙認した。
 気が弱い日本人は、外国人の目線を気にし、外国での評価に神経をすり減らしていた。
 5月 ニコライエフスク虐殺事件(尼港事件)。朝鮮人パルチザン数千人が、革命軍に参加し、侵略者日本軍と勇敢に戦っていた。彼等は、日本人と見れば容赦なく虐殺した。
 シベリアの日本軍は、敵軍の大軍に包囲されたが、援軍はあてにならなかった。
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 7月7日 萬朝報夕刊「鮮人女学生が傍聴席に紅一点」
 7月11日 萬朝報夕刊「不逞漢(ふていかん)徐相漢は懲役4年」 
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 8月頃から、国内外で反日派のよる爆弾、暗殺事件が多発し、満州との国境付近での積極的武力闘争を展開した。
 満州では、武装独立軍が抗日中国勢力と共闘を組んで日本軍と交戦を途切れる事なく続けた。
 独立闘争は次第に巧妙化して、反日組織は親日親睦団体を装い、反日派活動家は親日朝鮮人や日本人になりすまして、日本に潜入し反天皇派日本人やキリスト教徒日本人の支援を受けた。
 8月3日 朝鮮人テロリストは、平安南道警察庁舎を爆破し警察官二人を殺害したが、東洋拓殖会社の海州と長徳震の両支店や平壌警察署の爆破テロは失敗した。
 警察当局は、朝鮮武装独立団などによる新たな爆弾テロを警戒した。
 神戸新聞「不逞の徒と気脈を通じ内地に潜める魔の手 / 在京(京阪地区)鮮人七百余名中、上海仮政府に縁ある者2割」(大正9年8月27日)
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 9月14日 釜山警察署爆弾事件。釜山警察署が爆破され、署長が爆死した。
 9月25日 第一次琿春事件(間島事件)。日本軍は満州馬賊を買収して、琿春を襲撃した。
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 10月2日 第二次琿春事件。馬賊は、さらに犯行をエスカレートさせ、日本間島領事館琿春分館と日本人住宅を焼き払った。逃げ遅れた数人の日本人が殺害された。
 10月7日 国境を越えて間島地方を攻撃するには、奉勅命令が必要であった。斉藤総督は、出兵許可を求めた。
 日本政府は、朝鮮植民地支配を安定させ、日本人居留民の安全を守る為には、中国領間島への侵攻はやむを得ないとして閣議決定した。
 朝鮮軍は、計画通り8,000人の兵力を間島地方に派遣し、朝鮮人武装独立軍の軍事拠点とおぼしき69ヵ所の朝鮮人村を攻撃した。
 日本軍は、銃を持って抵抗する者や武器を持って逃走する者約3,400人を殺害した。戦闘中の事として、女子供でも容赦しなかった。
 日本軍の虐殺情報は、現地で布教活動に従事している宣教師によって、絶えず世界に伝えられていた。
 上海の独立系新聞は、侵略者・日本人の権利より抵抗者・朝鮮人の権利を優先して、日本軍の蛮行を報道して日本の越境攻撃を批判した。
 日本の軍事行動を支持し、弁護する報道機関はなかった。
 マーチン宣教師の目撃談「夜明けと共に日本兵の一隊は村をもれなく包囲し、谷の奧のほうに高く積まれたわらや穀物に放火し、村民一同に外に出る様に命じた。村民が外に出るや、父といわず子といわず、眼にふれるものはこれを射撃し、その半死のまま、打ち倒れる者には枯れ草を覆いかぶせ、識別もできないまでに焼いてしまった」(『現代史資料』)
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 10月20日 青山里戦闘。金佐鎮が率いた朝鮮独立軍3,600人は、白頭山東北の山麓にある和龍県三道溝の青山里で日本軍を包囲し攻撃した。
 日本軍は、朝鮮独立軍の猛攻を受け、11名の犠牲を出して敗走した。戦死した日本軍兵士は、靖国神社に軍神として祀られた。
 金佐鎮は、支援者の朝鮮人を引き連れてより安全なソ連領に移った。
 戦場を占拠していたのは、敗れた日本軍で、朝鮮独立軍は立ち去った。。
 ソ連革命軍は、国際主義の大義から民族主義を殲滅する為に、朝鮮独立軍を攻撃し、多くの朝鮮人を虐殺した。
 朝鮮独立軍は、ソ連革命軍に攻められて消滅した。
 ロシア人は、大国をあてにする朝鮮人を自主独立の為ならば戦争を厭わない好戦的な日本人と比べて馬鹿にし、下働きしかできないつまらない人間として軽蔑し差別していた。
 キリスト教徒日本人は、「国の為、社会の為」に死んだ人間を神として祀る靖国神社護国神社への参拝を拒否した。
 朝鮮人キリスト教徒は、その強烈な信仰心から、日本人が信仰する祖先信仰の神社への参拝を拒絶し、日本の神々を「倭鬼神」と憎悪し足蹴にして踏みにじり、神社破壊を行っていた。
 祖先を神として祀る神社を守る者は、天皇心神話を信じ、民族の物語を愛する日本民族日本人しかいなかった。
 歴史的事実として、普遍宗教は民族宗教の根絶を「神聖な使命」として実行していた。
 翌年4月1日に、朝鮮軍は間島方面からの撤兵を表明した。 
 間島派遣隊司令官「間島での不逞鮮人掃討作戦は成功して、平静が戻った」
 現代の中国と韓国・北朝鮮は、戦死した日本兵士を靖国神社で祀り公式参拝する事に猛反対している。
 張作霖満州には、朝鮮人を一人も入れさせない」
 満州では、限られた資源をめぐって、朝鮮人移住者と中国人(満州人・漢人)が争っていた。
 金佐鎮は、各地を放浪し、3年後に日本に帰順して農民となる事を条件に支度金を要求した。
 朝鮮総督府は、朝鮮人テロリストを信用せず申し出を拒否した。
 金佐鎮は、山賊となって各地を荒らし回った後、部下に殺害された。
 金佐鎮の息子・金斗漢は、残党を集めて反日的団体を組織して朝鮮人から搾取する日本人ヤクザ組織と縄張り抗争を繰り返し、独立後は民族の英雄として国会議員となった。
 金佐鎮は、金も弾薬も付き抗日ゲリラに疲れてた為に、田舎に帰って農夫になるべく朝鮮総督府に資金援助を頼んだ。
 朝鮮総督府は、金佐鎮の要求を拒絶し、朝鮮人の無神経なほどの脳天気が理解できなかった。
 罪を許された金佐鎮の孫である金乙東は、セヌリ党銀となり、その子供が反日派のタレントのソン・イルグクである。
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 11月11日 神戸又新日報は、逮捕された朝鮮人テロリスト崔濱武が東京で大規模な暴動を計画していたと報じた。
 日本人は、各新聞で、不逞朝鮮人の逮捕が全国で増えていると知るや、朝鮮人は何を考え何をするか分からない理解できない人間として不信感を高めた。
 朝鮮人テロリストが、李氏王族や日本の政府高官はおろか日本皇室さえも狙っているという噂が流れた。
 そうした不気味な朝鮮人への恐怖心が、関東大震災での朝鮮人惨殺を生んだ。
 11月30日 京都赤旗事件。社会主義者弾圧事件。50名以上社会主義者は、赤旗を振って除隊する友愛会京都支部長高山義三を出迎えた。
 警察隊は、赤旗を降ろさせる為に実力行使し、数人を治安維持法違反で逮捕した。
 昔の日本人は、忠良な臣民として、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)を国内外の敵から守ろうとした。
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 12月27日 密陽警察署爆弾事件。朝鮮人テロリストは、昨年の報復として、密陽警察署に爆弾を投げ込んだ。
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