☱11〕─1─3・1独立暴動(万歳事件)。上海のフランス租界で大韓民国臨時政府樹立。斉藤実総督暗殺テロ未遂事件。大正8年。~No.20No.21 @ 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 上海の大韓民国臨時政府は、シベリア出兵と米騒動の最中で斉藤実総督暗殺テロ未遂事件を起こした。
 日本人は朝鮮人暴徒への恐怖心を思い出した。
   ・   ・   ・   
 朝鮮は、国際社会から、自立できない国家あるいは自主性のない民族として見捨てられ切り捨てられた。
   ・   ・   ・   
 アレン・アイルランド(植民地政策の研究者)「誠実で人間味溢れる総督達、その中でも1919年以来朝鮮総督府総督に就任していてる斉藤子爵ほど、この表現に相応しい人物はいない」
 「1910年に日本が大韓帝国を併合した当時、半島の人々の生活実態が極めて悲惨だったというのは事実である」
 「過去500年にわたってほぼ絶える間もなく朝鮮王朝を特徴付けてきた愚かさと腐敗……王朝の残虐な行為と汚職に塗れた体制」
   ・   ・   ・   
*万歳(マンセー)事件 (三・一独立運動。3・1事件)
 東京帝大や京都帝大などの左翼・左派系教授やマルクス主義信奉者の学生らは、自由な討論が保証された学内から、朝鮮人に同情して武断政治を批判していた。
 日本によって特権を奪われた没落両班は、民衆を焚き付けてパゴダ公園で太極旗を振らせ、市内を「独立万歳!」と叫ばせてデモ行進させた。
 更に、半島全土でデモへの参加は朝鮮民族の義務で有り、デモに参加しない者は裏切り者、売国奴との檄文を出した。
 暴徒化した朝鮮人は、弱い日本人を襲撃し、下校する日本人学童に暴力を振るい、日本人女性を強姦し輪姦した。
 日本人住民は、朝鮮人暴徒から日本人子女を守る為に自警団を組織して、過剰反応を起こしてデモ隊と衝突した。
 過激化した朝鮮人暴徒は、日本人の商店や家を襲撃して略奪を繰り返し、郵便局や警察署を焼き払った。
 姜在彦「(三・一独立運動レジスタンス)これは大きく二つの段階に分ける事ができます。まず準備段階、ある日突然に起こったものではなく、周到な準備が行われています。1919年1月頃から準備されています」
   ・   ・   ・   
 朝鮮人は、事大主義から、日韓合邦によって日本が時の支配者と見るや親日的となって、キリスト教への関心をなくした。
 朝鮮キリスト教会は、朝鮮をキリスト教国にする為に下層民を庇護して信者を拡大させていたのに、日本統治に替わって思うように改宗者を得られなくなって聖なる使命が果たせなくなったので、反日組織に接近して独立運動を支援した。
 朝鮮人は、学校で近代教育を受け、外国資本の会社で働き生活が豊かになるや、野蛮な日本人の風下に立たされている事に不満を持ち始め、日本からの独立を求め始めて反日組織を結成した。
   ・   ・   ・   
 第7代台湾総督明石元次郎大将は、台湾人を人的資源と活用する為に、日本国内と同等の近代的教育を普及させる「台湾教育令」を発布した。
 1945年時点までに、初等教育における就学率は92%に達し、向学心の或る者には更なに高等教育への道が開かれていた。
 現地民の民度を上げる教育政策は欧米列強の植民地では考えられない事で、日本の植民地支配は世界の非常識の連続であった。
 欧米列強は自国の植民地支配を守る為に、植民地人を日本人に差別なく同化させる皇民化政策を潰す必要があった。
 植民地政策の世界常識は、現地人の教育を制限する愚民化政策であった。
 オランダの植民地であったインドネシアでは、植民地支配に協力する名誉インドネシア人のみにオランダ語での教育を受ける権利を与えた。
 インドネシアにおける就学率は3%程度で、他国の植民地でも同程度の教育レベルであった。
 蔡焜燦「日本は台湾の近代化の為に一生懸命でした。なにせ台北の下水道施設などは内地よりも早かったぐらいです。衛生管理を徹底する事によって伝染病などを一掃しました。それから教育などはあらゆる身分の人が受けられるよう、金を与えてまで就学を奨励しております。こういった事が今日の台湾発展の基礎となっているんです。とにかく良い事は良い。我々台湾人はそう受け止めています」
 日本に植民地政策で、朝鮮は反日となり、台湾は親日となった。
 許文龍「私も日本人として生まれ、学徒として動員されました。大東亜戦争は今でも間違っていないと思っているんです。唯一の間違いは戦争に敗けた事です。私はかって日本人であった事を誇りに思っていますが、逆に日本の方々は誇りを持っていないんですね。どうか皆さん、過去に対して正当な評価と自信を持って下さい」(1999年5月22日)
   ・   ・   ・   
 英字新聞「独立新聞」社長徐載粥(ソジョビル)は、抗日運動を金銭的に支援する為に在米朝鮮人から金を集めて送金した。
   ・   ・   ・   
 1919年1月頃 反日朝鮮人は、怪しまれないように京城市内の金物屋で大量の小刀を購入し、独立デモの為に計画的に準備を始めた。
 3月1日 天道教キリスト教、仏教の宗教関係者29名は、非暴力無抵抗を貫く為に料亭・泰和館に集まって独立宣言文を読み上げ、総督府警務総監部へ居場所を通報した。 憲兵隊は、急行して、その場にいた全員逮捕した。
 日本で誕生した天道教は、朝鮮に戻るや布教活動を行い瞬く間に100万人以上の信者を得た。
 天道教教祖孫秉熙は、初代大統領になる事を考えて独立宣言書を書き上げたが、独立後の政府樹立と国家運営といった構想はまとまってはいなかった。
 ただ。騒いで、暴れ回れば、日本は朝鮮人の熱気に感動して独立を承認してくれると安易に思い込んでいた。
 その多くは、政治的宗教的目的のない同調者で、何か面白い馬鹿騒ぎが始まると聞きつけて参加しただけであった。
 運動に参加した両班崩れや儒学者・漢学者は、公益・公共の為ではなく私利私欲の功利的な打算から反日運動を煽り、そして暴動から内戦に発展させようとした。
 キリスト教会も、朝鮮での信者獲得の為には日本が邪魔であるとして三・一独立運動に参加した。
 午後1時頃。京城のパゴダ公園に、4,000人以上の学生や市民が詰めかけ、独立宣言書が読み上げられるのを固唾を飲んで待ち望んでいた。興奮した群衆に、宗教関係者が憲兵隊に逮捕されたとの情報がもたらされるや、激怒して威嚇デモを行う為に公園を出て行った。運動を指導したのは、キリスト教系学校の生徒であった。
 「火病」という民族性から、感情が激昂すれば暴動を起こし、暴走して流血事件を引き起こしやすかった。つまり、感情に流され冷静さを失いやすい性格の為に、自分を殺して従順に従うという非暴力無抵抗は馴染まなかった。
 デモ隊は、市内を「万歳」を叫びながら行進し、さらに多くの学生や市民が参加して大群衆に膨れ上がった。
 デモの熱気でトランス状態に入っている群衆は、「万歳」を叫びながらソウルの街中を彷徨うに行進した。
 同じ頃。高宗の葬儀に参加する為に京城に来ていた白い服を着た弔問客数千人も、「日本人による毒殺説」を信じてデモ隊に参加した。
 この日だけのデモ隊数は、最大60万人に達した。
「同胞が苦慮しているなか、傍観するのは民族の敵だ」
 「傍観している者は、後日、親日派とともに逮捕して粛清される」
 独立派は、アメリカやフランスなどの領事館に押し寄せ、外国の支持を得る為に独立宣言書を手渡した。
 一部が暴徒化して、日本人商店や親日朝鮮人商店を襲撃し、逃げ遅れた日本人居留民や親日朝鮮人に襲いかかり瀕死の重傷を負わせた。
 総督府は、日本人居留民の生命と財産を守り、治安を回復し、秩序を取り戻す為に、騎馬警官隊にデモ隊鎮圧を命じた。
 同時に、学生が独立運動の中心的役割をなしていた為に、京城の全学校に対して騒動が沈静化するまで休校とし、学生を学生寮に閉じ込めるか帰郷させる様に命じた。
 当局は、デモ隊は国外の反日勢力の後押しのもと、反天皇神道キリスト教会の支援を受けていると疑っていた。
 朝鮮軍(平時編制2個師団・約2万人)は、出動命令を受けるや、デモ隊を威嚇する様に見える所で兵士を移動させた。
 熱気だけで望みが叶えられると安易に考えていたデモ隊は、警察官の強制排除にあってパニック状態に陥って大混乱となり、見物していた群衆も自制心を失って大乱闘になった。
 朝鮮人による混乱の中で、多くの負傷者が出た。
 朝鮮人達は、責任は自制心を失って大乱闘を起こした自分達ではなく、過剰な警備を行った日本人にあると決め付け、反日感情を煽った。
 朝鮮人の自制心を失って泣き叫ぶのは民族的気質であり、瞬時に冷静さを失いヒステリーを起こして叫き散らして大混乱を起こすのは民族的特徴である。
 だが、反日感情だけは忘れる事なく、さらに憎悪へと増幅された。
 騒動は、午後11頃までに収束した。
 崔麟「公園でデモを起こし『万歳!万歳!』と叫べば、日本が独立を認めてくれると考えた」 「独立後にどの様な政府を運営していくかという事は、一切考えていなかった」
 3月2日 警察隊(半数以上が朝鮮人)と憲兵隊(合計1万4,000人内朝鮮人8,000人以上)は、京城市内で、昨日のデモ行進に参加した学生や市民を大量に逮捕した。
 朝鮮人憲兵補助員は、日本人憲兵よりも権力を行使する職務には異常なほどに熱心であり、日本人より暴力を振るう事に異常なほど快感を感じていた。
 日本人はおどおどと気弱であったが、朝鮮人は堂々として気が強かった。
 3月3日 高宗の葬儀が、純宗、英親王、義親王ら王族と貴族が参列してしめやかに執り行われた。弔問客は、全土から集まり6,000人を越えたといわれている。
 総督府は、暴動の再発を恐れて警戒した。
 3月4日 平安南道の成川で、独立派に指導された群衆が憲兵隊分遺所を急襲し、そこにいた隊員を負傷させた。憲兵隊は、発砲し反撃した。暴動は、死者25名と負傷者23名をだして敗走した。
 3月5日 弔問客でごった返す京城駅で、「高宗は日本人によって毒殺された」という噂が流れて反日デモが再度行った。
 日本人移住者の間で、小学校からの帰宅途中の日本人学童が暴行を受けたり、日本人女性が強姦や輪姦された、などの噂が流れた。
 日本人移住者は、朝鮮人ならやりかねないとして噂を信じ、朝鮮総督府や警察及び憲兵隊が反日デモの警備で手が回らない為に、自分達の身は自分達で守るとして自警団を組織して街中を巡回した。
 京城市内を、朝鮮総督府が暴力で弾圧しているというデマが流れて、朝鮮人は激昂して同胞を日本人官憲から救えと息巻いた。
 総督府は、警官隊を投入して、暴動を鎮圧し、80名近くを逮捕した。
 マルクス主義者日本人とキリスト教徒日本人は、国家元首にして祭祀王の天皇を打倒する為に秘かに朝鮮独立運動を支援し、国内に潜伏する朝鮮人テロリストを官憲の探索から匿った。
 3月9日 京城朝鮮人は、先の流血デモを繰り返さない為に暴力的抗議を止めて一斉に商店を閉めて無言の抗議をした。
 弔問客は、郷里に帰るや同様の独立運動を起こした為に、運動は半島全体に拡大した。
 反日暴動は地方に広がり、朝鮮人暴徒は駐在所や郵便局や日本人商店を襲撃して放火し、日本人移住者に暴行を加えて重軽傷を負わせた。
 朝鮮総督府は、混乱が内戦に発展する事を恐れて武力鎮圧を命じた。
 総督府の強硬政策によって、流血を伴った反日闘争に発展した。
 平安南道の寧遠で、暴徒は憲兵隊分遺所を襲い、日本人憲兵1名を負傷させた。暴徒は、憲兵隊の反撃を受け、死者15名、負傷者3名、逮捕者30名を出して逃走した。
 惨殺された日本人警察は、耳と鼻を削がれ、陰部を切断され、屍体は唾や小便を掛けられ、足蹴にされ、引きずられるという辱めを受けていた。
 その残虐行為は、中国人に通じる処がある。
 長谷川好道総督は、暴動鎮圧の為に駐屯部隊を各地に派遣し、原敬首相に対して軍隊と憲兵隊の増派を要請した。
 田中義一陸相は、反日独立運動を鎮圧する為に、日本軍6大隊と憲兵隊の増派を決定した。だが、シベリアに主力部隊を派兵し、国内でも共産主義者無政府主義者らによる反天皇活動に警戒して、朝鮮への増援を出す余力は少なかった。
   ・   ・   ・   
 朝鮮総督府は、反日暴動を拡大させない為に3・1独立運動の指導者の懐柔を行った。
 指導者の大半が、暴動を指揮する事なく朝鮮総督府に自首し、反日から親日への転向を誓った。
 朝鮮総督府は、転向組を学力・能力に応じて要職に就けた。
   ・   ・   ・   
 3月29日 並川事件。
   ・   ・   ・   
 4月1日 上海の朝鮮独立派(テロリスト集団)は、日本からの独立を宣言し、大韓民国臨時政府を樹立した。
 長谷川総督は、朝鮮軍司令官宇都宮太郎中将の名で、暴徒には断然容赦なく強硬手段を用いて、速やかに鎮圧する様に命じた。
 片野次雄「5月末までの三ヵ月間のあいだに、218郡中212郡で1,542回の集会がもたれ、実に総202万3,098人もが参加していた。そのなかから、死者7,509名、負傷者1万5,961名、逮捕者4万6,948名という途方もない大量の犠牲者がでていた」(『1910ー2010 日韓併合』P.161・162)
   ・   ・   ・  
 朝鮮総督府は、キリスト教会に影響されやすい国際世論に配慮し、暴動の実態を調査して、朝鮮人の被害者は553人と報告した。
 国際世論は、日本の暴動鎮圧に対する批判を控えた。
   ・   ・   ・   
 カリフォルニアの新聞サクラメント・ビー紙やフレスノ・ビー紙やモデスト・ビー紙を経営するアイルランドアメリカ人のV・S・マックラチー、日本統治下の京城(ソウル)を訪れていた。朝鮮人独立運動に感動して親朝鮮派となり、帰国して、「カリフォルニア移民を考える合同委員会」を組織して排日活動に参加し、亡命朝鮮人等を支援した。
   ・   ・   ・   
 長谷川好道は、朝鮮人にも貴族院選挙の投票権を与える冪だと書いた。
 大日本帝国は、日本国内の朝鮮人男子に、年齢と住居に関する必要条件を満たせていれば日本人同様の選挙権を与えた。
   ・   ・   ・   
朝鮮人テロリストによるテロルの幕開け
 4月10日 上海のフランス租界で、大韓民国臨時政府(上海臨時政府)の樹立が宣言された。臨時政府高官の多くは、キリスト教会の支援を受ける為に改宗した。抗日独立軍として光復軍を創設し、将校に正規の軍事教育を受けさせる為に、ソ連軍人教官が教える黄浦軍官学校などに派遣した。
 李承晩は、後に、日本から独立する方便として国際連盟委任統治領にする様に、アメリカに依頼した。
 孫文蒋介石は、政府として反日的臨時政府を正式に承認し、秘かに朝鮮人テロリストを物心両面で支援した。
 フランス領事オルドンや租界警察は、フランス租界は治外法権にあるとして、日本への協力を拒否した。
 日本側は、フランスの協力が得られない為に、極秘に諜報員をフランス租界内に潜入させて臨時政府の全容を探った。
 4月15日 堤岩里事件。日本軍と憲兵隊は、各地の村を焼き払い、反日派として暴動に関係したとして多くの村人を虐殺していた。翌日。アメリカ領事館員と宣教師が、惨殺現場を検分し、日本側の蛮行を怒りをもって報告した。月末には、イギリス総領事代理とキリスト教関係者らが調査に入って、虐殺が事実であったと報告した。
 長谷川総督は、事実を隠蔽しようとしたが、隠しきれないとして原敬首相に報告した。
 ウエルチやエルデマンら宣教師達は、原敬首相を訪問して、朝鮮に於ける日本軍の非人道的蛮行を訴えた。
 日本政府は、キリスト教会を中心とした外圧に屈して、長谷川好道総督を更迭した。
 三・一事件の被害。
 参加した朝鮮人は、約200万人。
 朝鮮総督公式報告書(6月20日)。治安出動した警察は、暴動鎮圧を行い、朝鮮人553人を殺害し、1,409人を負傷させた。 
 朝鮮人暴徒は、日本人数人と親日派朝鮮人500人以上を猟奇的に虐殺し、1,400人以上を負傷させた。
 後日。天皇の大権の一つである「司法権」を任された日本の裁判所は、「菊の御紋」を戴き「天皇の名」によって、検挙された約1万人の内約4,000人を証拠不十分として無罪放免とし、起訴された残りの約6,000人には懲役3年から10年の判決を下した。後に、ほとんどが恩赦で減刑された。世界常識的な、死刑や無期懲役といった極刑は一人もいなかった。
 反日運動の指導者であった李光洙崔南善は、後に親日派として日本の植民地支配に協力した。
 大日本帝国憲法第57条「司法権天皇の名に於て法律に依り裁判所之を行う」
 アメリ連邦議会は、日本軍が朝鮮人キリスト教徒を虐殺している事に対して、日本の非人道行動を非難し、政府に制裁行動を勧告すべきかどうかの集中審議を行った。
   ・   ・   ・   
 5月4日 五・四運動。北京などの学生3,000人以上が排日暴動を起こし、親日派政府高官や日本と取引する中国人商人を襲撃した。そして、北京政府に反日政策を取るように圧力をかけた。
中国の宣教師は、反日運動を支持した。
 敵日派学生連合会は、市民や労働者に排日ストライキを呼びかけ、各地で日本人追放と日本製品ボイコットを過激に展開した。
 革命政権も、北京政府を窮地に追い込むべく外交の敗北を激しく非難し、学生や市民の支持を拡大する為に侮日プロパガンダを行った。
 中国の反日派学生や一般市民らは、マルクス主義者の指導の下で暴徒化し、各都市で日本人居留民に暴行を加えた。
 中国在住の日本人は、狂暴化した中国人暴徒の中で、無防備な状態におかれて命の危険に晒されていた。
 北京政府は、中国の発展は日本との友好関係が重要であるとして親日政策をとっていたが、市民の排日運動に屈して親日派を中枢から追放して反日政策を採用した。
 中国政府は口先で日本人居留民の安全を保証したが、現場の中国人官憲はむしろ反日暴動を煽っていた。中国人は、自分に有利とならない約束は守る気はなかった。よって、中国人官憲は政府の命令を実行するつもりはなかった。
 日本政府は、「内政不干渉」の原則という諸外国との約束に従って、在留邦人の生命財産保護を中国側に一任していた。政府高官は、同じアジア人として、真摯に話し合えば全てが上手く解決できると確信していた。
 日本軍部も、天皇の「外交の大権」に従って、同胞がどれだけ被害を受けようとも、中国側の誠意を信頼した。
 愛国を唱える中国人暴徒は、侵略を受ける者の正当防衛として、抵抗しない非武装の日本人居留民への暴行を激化させた。
 一部の過激な日本軍将校は、同胞を守る為の軍事行動を意見具申したが、軍上層部は対中協調外交という政府方針に従って却下した。軍部は、同胞の犠牲者を幾人出そうとも、涙を呑んで隠忍自重した。
 日本人の不幸は、問題を平和的に話し合って解決しようとした事にある。
 日本の悲劇は、相手の気持ちに理解を示しながらの対話外交に固執した事による。
 日本のは、中国での協力者を失い、大陸における発言力を弱めた。
 日本経済も、日本製品ボイコットの拡大で対中貿易は大打撃を被った。
 貿易立国の日本は、中国市場から閉め出されて甚大なる被害を被り、戦争景気で湧いていた日本経済の前途に暗い影を落とした。
 アメリカは、アジアで日本が影響力を付ける事は経済的にも国防的にも不利益になるとして、日本封じ込める為の対日包囲網の構築に乗り出した。
 アメリカのユダヤ系国際金融資本は、表向き日本資本に協力しながら、裏では日本を中国から追放する為に上海のイギリス系国際金融資本と協力していた。 
 反日朝鮮人は、アメリカの日本包囲網に着目し、反天皇反日活動の資金を得る為にキリスト教会の仲介で彼等に接近するべくアメリカに亡命した。
 反天皇派は、多くがキリスト教に改宗し、少数派は反宗教無神論マルクス主義になった。
 8月12日 原敬首相は、朝鮮総督天皇の信任が篤い穏健派の斉藤実海軍大将を起用した。総督府は、朝鮮人の慰撫に努める為に、朝鮮支配を武断政治から文化政治に転換した。
 日本の配慮は、裏目に出て世の笑い種にされた。
 日本人は、相手に好かれる為に、生真面目に相手への配慮に心を砕いた。
   ・   ・   ・   
 9月2日 斉藤実朝鮮総督爆殺未遂事件。
 朝鮮総督・斉藤実は、朝鮮人を啓蒙の為にハングル・漢字混じりの新聞・雑誌の発行を許可した。
 朝鮮人テロリストは、京城の南大門駅で、斉藤実朝鮮総督が乗る馬車に爆弾が投げつけて殺害しようとしたが、失敗した。
 爆弾は炸裂して、出迎えにきていた新任政務総監水野錬太郎と満鉄理事は負傷し、大阪朝日新聞記者と大阪毎日新聞記者が死亡し、37名の日本人や朝鮮人の一般市民に死傷者を出した。
 だが、斉藤実総督は無傷で暗殺テロは失敗した。
 朝鮮人テロリストは、幾千万人の同胞を犠牲にしようとも、独立を勝ち取るための必要悪として無視した。日本支配を維持する為に、押し付けられた偽物の治安を崩壊させ、暴動や叛乱を起こす為なら如何なる手段も厭わなかった。
 日本軍部は、国際連盟規約の条項に「人種差別撤廃」を盛り込むように提案していた手前、そして天皇が無用な流血を嫌ってい為に、強硬手段が取れなかった。
 日本の唯一の信条は、愚直にも約束は何があっても守るという事である。「敵に欺かれても、自分から狂言を弄して騙し約束を破らない」、それが日本人の古武士的真心である。
 斉藤実総督は、両民族の和解を希望する大正天皇の意思に従い、自分を殺害しようとした爆弾テロに目を瞑り、朝鮮民族を抑圧してきた武断政治を廃止して懐柔策としてに文化政治に始めた。
 朝鮮総督府は、日本人官吏に対して朝鮮語の習得を命じた。
 朝鮮人官吏優遇策として、現場の警察組織を再編するべく大量の朝鮮人を採用した。
 朝鮮の治安を、朝鮮人に任せるべく武器を与えた。
 朝鮮人テロリスト姜宇奎は、義士として、そのテロ行為を称賛し後世に伝える為にソウル駅広場に銅像が建てられた。
   ・   ・   ・   
 満州には、150万人以上の朝鮮人が移住していた。反日派の拠点である間島地域には、数千人の朝鮮独立軍が駐屯し、越境しては日本軍と銃撃戦を起こしていた。
 朝鮮各地における独立運動爆弾テロ事件。多数の親日派朝鮮人と朝鮮在住の日本人が、襲撃され負傷した。
 海外の独立派朝鮮人は、満州、上海、ハワイ、カリフォルニア、フィラデルフィア、メキシコ、フランスなど世界各地で反天皇反日デモを行った。満州では、中国人共産主義ゲリラと協力して非武装の日本人入植者を襲撃して虐殺した。彼らは、全ての日本人を大陸や半島から追い出す為に、略奪や放火などの惨殺行為を繰り返していた。
 日本が行う全ての対朝鮮宥和政策は、全て裏目に出て朝鮮人の反感を買った。日本の善意は、朝鮮人にとって陰険な悪意でしかなかったのである。
 1907〜44年迄に日本は、半島に対して現代の価値で63兆円を公金として出資し、それ以外のインフラ整備を含めれば100兆円以上で、個人投資資産は4兆9,000億円であった。
 反日派は、日本側の懐柔策を弱腰と嘲笑い、満州の間島と沿海州地域に数多くの独立運動機関を結成してテロなどの抗日武装闘争を活発化させた。
 各組織は、自分の組織が主導権を取ると主張して譲らず、敵対する組織の幹部に対して暗殺や暴力を繰り返していた為に、反日共同戦線を張る事ができずにいた。
 朝鮮人テロリストは、相手が日本人であろうと朝鮮人であろうとも、夥しい血を流す事に快感を感じていた。
 10月 首相官邸襲撃未遂事件。
 10月19日 東京で大韓民国愛国婦人会が結成され、上海などの国外の愛国婦人会と協力して外国に住む朝鮮人民族意識を覚醒するべく、民族教育運動を強化した。
 11月 東京で、独立派朝鮮人グループは集会を開き、過激派は「天皇暗殺爆弾テロ」を含む武装闘争を主張して、多くの支持を得た。朝鮮人テロリストは、自らの事を誇らしげに、アジアを日本の侵略から開放する「平和の戦士」と称した。テロリストは、標的とする日本人を殺す為には、同胞であろうと外国人であろうと、女性であろうと子供であろうと、巻き添えにして爆弾テロを実行した。
 日本人共産主義者無政府主義者社会主義者そしてキリスト教徒は、反天皇反日爆弾テロに手を貸した。
 東京の朝鮮YMCA会館は、反天皇反神社のテロ活動拠点であった。
 11月9日 過激な反日派は、満州吉林省でテロ組織「義烈団」を結成し、爆弾や銃を秘かに朝鮮に運び込んだ。
 釜山警察署と密陽警察署は、密偵を使って不逞朝鮮人のアジトを強襲し、居合わせた活動家達を逮捕し、多数の武器を押収した。警察当局は、独立運動が新たな段階に入り、不逞朝鮮人が無差別テロを本格化したとして警戒した。
 逮捕された不逞朝鮮人達は、「武器を不当に所持していただけで、テロに使用していない」として、懲役8年を最高に有期刑の判決を受けた。
 義親王は、上海の反日派組織と合流する為に、日本の監視を逃れて国外逃亡を図った。だが、中国領安東で逮捕され、身柄は朝鮮に送られた。総督府は、朝鮮に置いておくのは危険であるとして、日本国内に移して監禁状態に置いた。
   ・   ・   ・   
 『独立宣言全文』
 「我々はここに我が朝鮮国が独立国である事、及び朝鮮人が自由民である事を宣言する。これをもって世界万邦に告げ、人類平等の大義を克明し、これをもって子孫万代に教え、民族自存の正当なる権利を永遠に有せしむるものである。半万年の歴史の権利によってこれを宣言し、二千万民衆の忠誠を合わせてこれを明らかにし、民族の恒久一筋の自由の発展の為にこれを主張し、人類の良心の発露にもとづいた世界改造の大機運に順応し、並進させる為にこれを提起するものである。これは天の明命、時代の大勢、全人類の共存同生の権利の正当な発動である。天下の何ものといえどもこれを抑制する事はできない。旧時代の遺物である侵略主義、強権主義の犠牲となって、有史以来幾千年を重ね、はじめて異民族による箝制の痛苦を嘗めてからここに10年が過ぎた。彼らは我が生存の権利をどれほど剥奪したであろうか。精神上の発展にどれほど障礙となったであろうか。民族の尊厳と栄光をどれほど毀損したであろうか。新鋭と独創によって世界文化の大潮流に寄与、裨補(ひほ)できる機縁を我等はどれほど遺失したであろうか。
 ああ旧来の抑鬱を宣揚せんとすれば、時下の苦痛を擺脱せんとすれば、将来の脅威を芟除せんとすれば、民族的良心と国家的廉義の圧縮、銷残とを興起、伸長せんとすれば、各個人の人格の正当な発達を遂げんとすれば、憐れむべき子弟たちに苦恥的な財産を遺与せざらんとすれば、子々孫々永久、完全な慶福を尊迎せんとすれば、その最大急務は民族の独立を確実なものにする事にある。二千万人民のおのおのが方寸の刃を懐にし、人類の通性と時代の良心が正義の軍と人道の干戈とをもって援護する今日、吾人が進んで取ればどんな強権でも挫けないものがあろうか。退いて事をなせばどんな志であれ、のばせない志があろうか。
 丙子修好条規以来、種々の金石の盟約を偽ったとして、日本の信のない事を咎めようとするものではない。学者は講壇で、政治家は実際において、我が祖宗の世業を植民地的なものとみなし、我が文化民族を野蛮人なみに遇し、もっぱら征服者の快楽を貪っている。我が久遠の社会の基礎と卓越した民族の心理とを無視するものとして、日本の少義を責めんとするものではない。自己を策励するのに急な我々には、他人を懲弁する暇はない。今日我々がなさねばならない事は、ただ自己の建設だけである。決して他を破壊するものではない。厳粛な良心の命令によって自家の新運命を開拓しようとするものである。決して旧怨および一時的な感情によって他を嫉逐、排斥するものではない。旧思想、旧勢力に束縛され日本の為政者の功名心の犠牲となっている、不自然でまた不合理な錯誤状態を改善、匡正して、自然でまた合理的な正経の大源に帰そうとするものである。当初から民族的な要求として出されたものではない両国併合の結果が、畢竟、姑息的威圧と差別的不平等と統計数字上の虚飾のもとで、利害相反する両民族間に永遠に和合する事のできない怨恨の溝を、ますます深くさせている今日までの実績をみよ。勇明、果敢をもって旧来の誤りを正し、真正なる理解と同情とを基本とする友好の新局面を打開する事が、彼我の間に禍いを遠ざけ、祝福をもたらす捷径である事を明知すべきではないか。憤りを含み怨みを抱いている二千万の民を、威力をもって拘束する事は、ただに東洋永遠の平和を保障するゆえんでないだけでなく、これによって、東洋安危の主軸である4億の中国人民の日本に対する危懼と猜疑とをますます濃厚にさせ、その結果として東洋全局の共倒れ、同時に滅亡の悲運を招くであろう事は明らかである。今日我が朝鮮の独立は朝鮮人をして正当なる生活の繁栄を遂げさせると同時に、日本をして邪道より出でて東洋の支持者としての重責を全うさせるものであり、中国をして夢寐にも忘れえない不安や恐怖から脱出させるものである。また東洋の平和を重要な一部とする世界の平和、人類の幸福に必要なる階梯となさしめるものである。これがどうして区々とした感情の問題であろうか。
 ああ、新天地は眼前に展開せられた。威力の時代は去り道義の時代がきた。過去の全世紀にわたって錬磨され、長く養われてきた人道的精神は、まさに新文明の曙光を人類の歴史に投射しはじめた。新春は世界にめぐりきて、万物の回蘇をうながしつつある。凍氷、寒雪に呼吸を閉蟄していたのが一時の勢いであるとすれば、和風、暖陽に気脈を振るいのばすこともまた一時の勢いである。天地の復運に際し、世界変潮に乗じた我々は何らの躊躇もなく、何らの忌憚する事もない。我が固有の自由権を護り、旺盛に生きる楽しみを享けられるよう、我が自足の独創力を発揮して春風に満ちた大界に民族的精華を結紐すべきである。
 我々はここに奮起した。良心は我々とともにあり、真理は我々とともに進む。男女老少の別なく陰鬱な古巣から活発に起来して、万民群衆とともに欣快なる復活を成し遂げようとするものである。千百世の祖霊は我等を蔭ながらたすけ、全世界の気運は、我等を外から護っている。着手がすなわち成功である。ただ前方の光明に向かって邁進するだけである。
   公 約 3 章
 一、今日我々のこの挙は、正義、人道、生存、尊栄のためにする民族的要求すなわち自由の精神を発揮するものであって、決して排他的感情に逸走してはならない。
 一、最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当なる意思を快く発表せよ。
 一、一切の行動はもっとも秩序を尊重し、我々への主張と態度をしてあくまで光明正大にせよ。
 朝鮮建国4252年3月1日
  朝鮮民族代表(孫秉煕ほか32名の署名略)」
   ・   ・   ・   




   ・   ・   ・