- 作者:金 文吉
- 発売日: 1998/06/22
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
朝鮮半島の人口は、2,112万5,827人中、日本人は56万1,384人であった。
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*昭和大凶作そして日本の悲劇の始まり
1934年・35年(昭和9・10年) 北日本で障害型冷害が発生して大凶作となり、農村経済は大打撃を受けた。零細農家や小規模農家は、一年に一回の農作物の収穫で生計を得ていただけに、収入の手段を失って地獄の様な悲惨な状況に追い込まれた。
都市の投資家は、借金苦に喘いでいる農民から、二束三文で農地を買い叩いて不在地主となった。地方の農地が生産緑地としてではなく投機の対象となった為に、農地が切り売りされて農村は荒廃した。
政府は、不況下にある都市産業の復興を優先し、多額の政治献金を行う投資家の便宜をはかって、農村救済費を小規模に止めた。
農民は、娘を女郎屋に売ったり、猫の額ほどの農地を売却したりして、都市金融業者から借り入れた借金の返済に充てた。利息分は何とか払えても、高金利の元金は返済できなかった。無慈悲的な借金取り立てに苦慮した農民は、人生に失望して一家心中するか、生きる為に夜逃げをした。逃亡農民は、都市の同和地区・部落に流れ込んで低賃金労働者として生計を立てるか、反日的大陸に入植して武器を持つことなく不毛の大地の開墾に悪戦苦闘した。
都市住民は、同和地区・部落に住む最下層の住民を駄目人間として軽蔑し、その身の上に同情するどころか嫌悪感を抱いて差別した。
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軍部は、強兵の供給地である農村の崩壊に危機感を感じ、農村救済に力を入れない政党政府への不満を募らせた。軍部は、小作人や零細農家を自立させ、中規模もしくは大規模な農家に育成するべく、農村の余剰人口(数百万人)を満州に入植させる計画を立てた。それが、悪名高い満州開拓団計画である。ゆえに、日本は農村型ファシズムともいわれる。
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朝鮮総督府の統計によると、朝鮮人の内地渡航への出願は1934年に約30万人であったが、総督府は約17万人に「諭止(ゆし、諭{さと」し止められた)」した。
1935年には出願者約29万人に対して19万人が、日本行きを望んでいたが阻止された。
その為、朝鮮人密航仲介団は、1930年代頃から大金を取って朝鮮人を日本へ密航させていた。
日本や朝鮮の新聞は、朝鮮人密航仲介団の犯罪記事を書き立てた。
朝鮮総督府や日本国内の憲兵隊や特高警察は、共産主義者や朝鮮人テロリストが密航仲介団と手を組む事を警戒していた。
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*昭和天皇暗殺の為に大同団結する朝鮮人テロリスト
1934年 韓徳銖(ハン・ドクス)は、在日朝鮮人労働者のストライキを指導し為に、十数回に渡り逮捕された。
日本人にとって、朝鮮人労働者は使い勝手の悪い隣人であった為に、朝鮮人への嫌悪が差別を生んだ。
貧しい朝鮮半島から豊かな日本へ、仕事を求めて移住する朝鮮人が後を絶たず、都市部の貧民街・部落の住人が朝鮮人移住者によって増えていった。
1月20日 大阪朝日新聞「多数の小作人を農地に安住させ」
1月23日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「ふるさと恋し 名門くずれの麗人」
3月1日 上海臨時政府は、義烈団や韓国独立党などの諸勢力を一本化する為に、南京で対日戦線統一同盟大会を開催した。義烈団や韓人愛国団などのテロ組織も、協力してテロ攻撃を実行する事に合意した。
その頃、日本在住の朝鮮人は50万人を越えていた。当然の事ながら、不法上陸者数は不明であった。そして、日本人の半額という低賃金を武器に、下層階級日本人労働者の職場を奪っていた。
3月22日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「警官も舌を巻いた新手の密航法」
朝鮮人密航者は、日本人の精神異常者になりすまし、自分は元帥だ大臣だと騒いで日本に密入国しようとた。
3月27日 大阪朝日新聞「火田民の巣を大農村と化する 10万町に亙る北朝開拓地 篤農家本位に払い下げる」
4月27日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「華やかな夢を追う 麗人美容師」
4月30日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「おのが春を嘆く」
6月2日 神戸新聞「醜業に強いられ 鮮女逃げ出す」
6月27日 神戸新聞(夕刊)「白昼・裸女群像 実は鮮人の海女達」
9月1日 総督府は、全ての学校に対して、朝鮮人学生を「天皇の臣民」として鍛え上げる為に軍事教練の実施を命じた。
9月19日 大阪朝日新聞「小作農泣かせの不良舎音を一掃」
アサヒグラフは。「漢江河畔麗人あり」という特集記事で李氏朝鮮時代からの妓生を紹介した。
「妓生の料金は第一時間が1円50銭、次に1円20銭、どうです、お安いですか」
遊郭街で営業している娼婦の料金は、高くて1円であった。
戦時中の日本陸軍兵士の月給は、二等兵で7円50銭、軍曹で30円、大将で300円であった。
戦場に出た慰安婦の報酬は、兵士20〜30分で1円50銭、下士官30〜40分で3円、将校30〜40分で5円。
慰安婦の月収入は、1944年には一人約750円であったといわれている。
11月15日 福岡日日新聞 「口車に乗った嘆きの新婚旅行」
11月22日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「憧れの内地へ、が生む密航の悲劇」
11月29日 福岡日日新聞「鮮人を密航させ濡手に粟の儲け」
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*近代教育を受けた朝鮮人が、第一線に立った。
1935(昭和10)年以降 朝鮮人は、道会議員や府議会の議員の選挙で朝鮮人を当選さ、約80%が朝鮮人であった。
現場の教員や警察官も大半が朝鮮人であった。
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*左翼・左派のマルクス主義者による天皇制度打倒への本格始動
1935年 コミンテルンは、都市知識エリート層を支持母体とする日本共産党に対して再度、天皇制度の打倒と天皇に関する全ての抹消を命じた。神社など天皇につながりのある宗教施設と皇室に関係する文化・芸術・芸能も、全て破壊の対象とされた。それが、35年テーゼである。
マルクス主義者は、天皇崇拝者の多い農村を切り捨て、反天皇意識の強い都市知的エリート層を中心として共産主義革命を起こそうとしていた。彼等は、都市労働者によるロシア革命を模倣しようとしたのである。
警察当局は、ユダヤ系国際金融資本と関係があるとの噂がある、神道系大本教を不敬罪で弾圧した。
大宅壮一は、単身、満州国の馬賊社会に飛び込み、満州人の実態を調べて『改造』に「間島匪賊地帯の最前線を行く」を発表して、軍部が主張する「王道楽土」「五族協和」のまやかしを世間に知らしめた。
大宅壮一「ジャーナリズムは商売の一種」「売り物になるものを書け」「プロは金にならぬ仕事はやらない」
ジャーナリストは、事実・現実を唯一の武器として歪曲せず捏造せずありのままに伝え、それを見極める為に誰からも助けられ事を覚悟して命を犠牲にし現場に赴く。
命を捨てる野次馬根性、尽きる事のない好奇心が、真のジャーナリストのあり方である。
在日朝鮮人マルクス主義者は、朝鮮独立と反天皇を掲げての日本共産党員となった。
3月19日 大阪毎日新聞(山口版)「6年間に密航周旋で30万円捲(ま)きあぐ」
8月1日 李垠殿下は、歩兵大佐に進級して宇都宮59連隊長となり、方子妃と玖王子を伴って宇都宮に赴任した。
李垠殿下は、連隊長として、給料の安い若手将校達を官舎に呼んで食事を振る舞った。
方子妃は、連隊長夫人として、将校婦人会の会長を務めて官舎に彼女達を誘って会食した。
日本人将兵達は、李垠連隊長に忠誠を誓い、その命令に為たがって規律正しく行動していた。
8月10日 大阪毎日新聞(福岡版)「飛行機で密航 向学心に燃ゆ朝鮮の1青年」
8月24日 福岡日日新聞「他人の戸籍謄本を用いて密航」
9月 総督府は、朝鮮人学生を日本人以上の日本人に仕立て上げる為の精神修行の一環として、各学校に神社参拝を行うように通達した。
国家神道による、宗教弾圧の始まりである。
キリスト教徒は、絶対神への信仰から、国旗「日の丸」と国歌「君が代」を現人神・天皇につながる宗教性の強いモノとして嫌悪した。
9月10日 大阪毎日新聞(北九州版)「警察官憲を悩ます密航船Xの正体」
10月22日 福岡日日新聞(夕刊)「密航鮮人50名」
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*反天皇を掲げる共産主義者への容赦なき弾圧
1936年 警察は朝鮮に於ける世論調査を行った。
日本からの、独立を希望8.1%、独立をすべき11%、独立を断念32.6%、独立は意味がない48.3%。
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日本軍は、朝鮮人志願兵に武器を与え軍事教練を施し、徴兵された日本人兵士との混成部隊で戦場に送り出していた。
朝鮮のキリスト教会は、朝鮮人志願兵への慰問袋に反戦と反天皇反日のビラを隠して渡した。
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中国各地で、日本人を殺害する成都事件などの暗殺テロが頻発し、同時に放火と略奪を伴った反日暴動も多発していた。
略奪は、大陸に住む者の生存本能である。特に、中国人はその本能が旺盛である。
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軍部は、平和を希望する大元帥・昭和天皇を廃帝し、大陸での軍事行動に賛成する皇族を即位させようとしていた。
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朝鮮総督府文部部は、日本人と朝鮮人を平等に扱うという「一視同人」の原則から、朝鮮人が日本姓名を名乗れる様に戸籍法を改正した。警務部は、治安上の問題から、朝鮮人が日本姓名を名乗る事に反対していた。
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2月26日 二・二六事件。反乱部隊内の左派系若手将校は、皇居を占領し、昭和天皇を拉致する計画を立てていた。そして、マルクス主義的革命軍事政権樹立の詔勅を得ようとした。昭和天皇が憲法を遵守して要求を拒否すれば、強制退位させるか暗殺して、昭和維新の理想に共鳴する左翼的皇族を擁立しようとした。同事件は、ソ連の隠謀という説があった。
昭和天皇は、青年将校らの心情を汲んで穏便に処理しようとする軍部に対して激怒し、断固として叛徒の鎮圧を命じた。それでも事なかれ主義的に曖昧に事態収拾しようとした為、自ら近衛師団を率いて征討に向かうと激しい勢いで決断を下した。
軍部は、粛軍を実施して統帥を回復し、天皇中心の国體至上論を主張する極右の皇道派を中央から排除した。同時に、軍隊内の思想弾圧を行い反天皇のマルクス主義者を逮捕して軍法会議にかけた。
天皇制ファシズム体制を整える為に、軍隊内の皇族軍人を担いだ。皇族軍人は、軍部の強硬論に同調し、「国體護持」目的とした軍部の暴走に協力した。
昭和天皇「皇族その他にも戦争論多く、平和論は少なくて苦しかった」(『独白録』)
右翼・右派などの国粋主義者や軍国主義者は、血に飢えた悪鬼の如く「天皇の命令」を騙って日本を破滅的戦争へと導き、自己満足の為に「国益」と称して多くの国民を戦火に放り込んで焼き殺した。
サミュエル・ジョンソン「愛国心とは、ならず者達の最後の避難場所である」
2月27日 李垠殿下は、反乱軍鎮圧の命を受け、28日に宇都宮59連隊の一部である混成大隊を直率して上京し、2月29日0時30分に新宿駅に到着した。
靖国神社境内に集結し、九段のホテルを接収して本部を構え反乱軍を鎮圧すべく対峙した。
3月15日 東亜日報は、世にもおぞましい記事を掲載した。
それは、朝鮮が中国化している事を如実に証明する残虐行為であった。
大阪毎日新聞(北九州版)「娘まで売って密航
二組の朝鮮人密航団47名が14日門司水陸両署に逮捕された。……この密航団は20歳から50歳までの貧農ばかりで、家財を売ったり、娘を身売りした金で、密航料12円ないし16円をつくり渡航したもの……」
3月20日 福岡日日新聞「密航鮮人と判る」
6月6日 大阪毎日新聞(山口版)「18回に亘り六百人を密航さす」
6月10日 大阪毎日新聞(北九州版)「捕まえた密航船に警察の悩み」
7月 コム=アカデミー事件。講座派学者を一斉に検挙した。
8月 ベルリン五輪。マラソン日本代表として出場した孫基禎(ソンキテイ)は、マラソン競技でアジア人初の金メダルを獲得した。
ヒトラーは、表彰式で、じきじうきに記念として月桂樹の苗木を送った。
ヒトラーの月桂樹は、ソウルの養正高等学校の校庭に植樹された。2014年現在、孫基禎記念公園として整備され一般に開放されている。
韓国には、ヒトラー及びナチス・ドイツ所縁の物が存在している。
9月26日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「数年間に二千人世話し1万数千円捲(ま)きあぐ」
10月23日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「密航ブローカーで2万数千円捲きあぐ」
11月25日 日本は、ナチス・ドイツの中国への武器輸出を停止させる為に防共協定を結んだ。ナチス・ドイツは、中国からのレアメタルを確保する為に、軍需物資を他国名義として香港に陸揚げして抗日中国軍に届けた。香港を植民地とするイギリスは、事実を知りながら黙認した。
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- 作者:小田 全宏
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: 単行本