🎌5〕─1─日本の天皇継承と世界の帝位・王位継承の違い。~No.23No.24No.25 * 

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   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の天皇継承は血縁・氏の論理である。
 世界の帝位・王位継承は地縁・家の論理である。
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 日本天皇家・皇室を、血筋の男系から血筋の違う女系に替えようとする日本人の意図は?
 血統・血筋と皇統との分離とは?
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 日本天皇家を断絶させ、日本天皇制度を廃絶させようとする勢力が、国内外に今も根強く存在する。
 日本天皇制度、天皇家、皇室を護持するか廃止するかは、日本民族日本人の問題である。
 要らないと思えば捨てれば良い。
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 宗教の王権神授説であれば、絶対神が承認し、キリスト教会が戴冠式を執り行えば、フランス人でもイギリス国王に即位できる。
 政治の社会契約説であれば、憲法・議会・国民と君臣の契約を結べばドイツ人でもイギリス国王に即位できる。
 王権神授説や社会契約説では、特殊な血統・血筋や特別の家系・王統は関係ないし、国籍も男系女系も一切問題とはされない。
 イギリス国王は、立憲君主制の君主である。
 イギリス国王に即位する条件は、合法的な正当性であって、絶対的な正統性ではない。
 イギリス国王は、国民によって追放されるか処刑され、別人・別の家・別の一族に取り換えられる。
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 天帝・天が定めた「徳」規定を備えていれば、モンゴル人・ウイグル人チベット人など異民族でも中華皇帝・天子に即位できた。
 漢民族の中国皇帝は、秦、漢、宋、明のみで、隋、唐、金、遼、元、清は遊牧民族であった。
 漢族でも、秦、漢、宋、明の王朝には血の繋がりはない赤の他人である。
 中華皇帝・天子は、放伐禅譲易姓革命で即位し、前王朝で虐殺を行い、前王族と忠臣を根絶やしにした。
 朝鮮各王朝は、中華帝国・中華皇帝を手本とした。
 中華皇帝や朝鮮国王の即位は、儒教価値観による相対的正当性であって絶対的正統性ではない。
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 2017年10月号 WiLL「皇室は磯野家ではない   藤森馨
 皇室は『氏の論理』であり、庶民間の『家の論理』とはここが違う!
 『女性宮家』という文言
 『天皇の退位等に関する皇室典範特例法』が成立した。昨年、天皇陛下が譲位の御言葉を発せられたことから、今回の『特例法』の成立となった。
 江戸時代の光格天皇以来、200年間天皇の譲位は行われず、今後の先例ともなるので慎重に審議が重ねられてきた。しかし、この特例法案の成立にともない、衆参両院の委員会では皇位の安定的な継承を図るためとして『女性宮家』などを検討する付帯決議が採択された。
 昨年、陛下の御言葉が報道された直後、神道学者の高森明勅氏が『陛下の「ご譲位」をどう受け止めるべきか』と題された論考を発表した(『月刊Hanada』2016年9月)。そこには、御譲位に関する個人的見解と陛下の真摯な御姿勢に関する感想が述べられているが、看過することのできない点がある。
 それは『女性宮家』の創設に関する提言である。今回の付帯決議と同根の由々しき問題である。
 『宮家の跡取りはほとんど女子ですよね。その方たちが結婚して家を出ていかれたら、間違いなく宮家はなくなります。そう考えれば、婿をとる女性宮家もあっていいように思います。・・・(旧宮家の)条件が揃えば、その選択肢があってもいい』
 という萩生田光一内閣官房副長官の発言を受けて、高森氏は、
 『典範の改正を行うのであれば、皇室の存続そのものに直接かかわる方面に全く手をつけないことは考えにくいだろう。とくに内親王のなかには、数年のうちにご結婚なさっても早すぎないご年齢に達しておられる方もいらっしゃるのだから、いつまでも先送りはできないはずだ』
 と述べている。
 これは、男子がいない場合にその家の娘に婿をとって継がせるという庶民間の『家の論理』であり、たとえ遠い傍系の親族からでも必ず皇統に連なる方(男系)を天皇に仰ぐという『氏(うじ)の論理』で貫徹されてきた古来の皇位継承をまったく無視した発言で、容認できるものではない。
 『氏の論理』と『家の論理』
 氏の論理とは、始祖(しそ)が何をしたのかが問題になる。皇統でいえば、始祖天照大神の系譜に連なる初代神武天皇の血筋をひいた子孫が跡を継いでいくということいなる。もちろん、父親の系譜を継いでいくのだが、継承の論理がいきなり始祖神まで還るのである。父親がこの職業だからその息子が継ぐということではない。
 例えば、古代においては大伴氏や物部氏、そして大中臣(おおなかとみ)氏等の豪族も、この氏の論理で『氏の代表者=氏上(うじがみ)』を決定してきた。中世以降の権力者をみても、足利家や徳川家の継承は、さかのぼればみな尊氏、家康の血筋をひいているものが継いでいく氏の論理で貫かれている。
 これは皇室の系図を見てもわかる。天武天皇の系統が称徳天皇まで続くが、その後はずいぶんと飛んで白壁王である光仁天皇となり、今度は天智天皇の系統があとを継いでいくようになっている。このように父子一系とはなっていないのが氏の継承形態なのである。
 一方『家の論理』とは、その家が所有している領地や仕事などを継いでいくために行われてきた中世以降に生まれたものである。たとえば、その家に女子しかいない場合、わざわざ父系の親戚を選んでその跡目を継がせるという必要はなく、家職を継承させるためには、特別厳格に出自を問うことはしないで婿養子をとるのである。武家や町人、農民などでは当たり前に行われてきた習慣である。
 しかし皇位継承は、跡取りの息子のいない越後屋が、番頭を入婿(いりむこ)にして家を継がせればいいといった習慣と同断に論ずべきものではない。
 これは、秋篠宮家の眞子(まこ)内親王殿下のご婚約のときに騒がれた『女性宮家創設』』問題と軌を一にする危うい論理である。皇統とはまったく関係のない男子が皇室(女性宮家)に婿入りし、その子孫が皇位を継いでいくなどということは歴史上なく、あってはならないことである。こうなっては皇室の安定化を図るどころではない。皇位の権威を失わせ、皇統を断絶・破壊する火種となる。
 皇室は磯野家ではない
 江戸から明治初期の桂宮(かつらのみや)家最後の当主が淑子(すみこ)内親王という女性だったことを『女性宮家』の歴史的事例とする議論もあるが、宮家の財産管理のため、独身の内親王が跡を継いだということで、未婚のまま薨去(こうきょ)され桂宮家は断絶している。女性の皇族がはじめから当主となって興した宮家は歴史上存在しない。
 平安時代末期以降、皇統に連なる女性に『女院(じょいん、皇太后や皇后、内親王などに宣下される)』という称号があったが、すべて一代で断絶している。皇室領(土地財産)を守るための身分であって、皇統を守るための役割はない。しかも、いずれも未婚である。
 すなわち内親王宣下を受けた女院は結婚してはならいのである。もし結婚して子供が生まれると財産が分散してしまうことになり、また皇位継承争いの火種にもなりかねないからである。つまり歴史的に見れば、『女性宮家を作れ』という人たちは内親王の方々に過酷な要求をしていることになる。
 また、マスコミが『天皇御一家』という言葉を使うことがあるが、皇統の歴史からみておかしな表現である。これは『家の論理』の発想にすぎない。サザエさんの『磯野家』を例にみてみよう。波平・フネがいて、サザエさんがいて、マサオさんが婿さんで、カツオ、ワカメ、タラちゃんがいる。磯野家を継いでいくのは・・・。
 皇統を考えるときに、このサザエさん一家をイメージしてはダメなのである。親戚の伯叔父さんやいとこやはとこが何人もいて、その方々が当主になることがある。つまり皇統にとって『皇室の藩屏(はんぺい。守護するもの)』と位置付けられてきた宮家の存在が重要なのである。
 実際に皇位の継承は宮家に支えられて行われてきた。かつての世襲親王家(伏見宮有栖川宮{ありすがわのみや}、桂宮閑院宮{かんいんのみや})は、天皇の猶子(ゆうし、養子)となり、親王宣下(皇族の子女に親王内親王の地位を与えること)を受けて代々宮家を世襲し、皇室をお守りしていきたのである。伏見宮家からは後花園天皇有栖川宮からは後西天皇閑院宮家からは光格天皇が誕生している。
 ところが戦後、GHQによる皇室改革によって11宮家が臣籍降下となり、直宮家(じきみやけ、昭和天皇弟宮3家)だけとなった。そして現在、皇族は18名、そのうち女性が14名。男性は皇太子徳仁(なるひと)親王秋篠宮文仁(ふみひと)親王悠仁(ひさひと)親王今上天皇の弟宮の常陸宮正仁(まさひと)親王の4方だけである。
 そこで、皇統の行く末が案じられるようになり、皇位継承について正当性からかけ離れた議論まで行われるようになった。
 男系皇統を守るための女帝
 歴史をさかのぼれば古代の皇位継承は、大化の改新以前と以後とでは大きく異なっている。17代履中天皇以降、皇位は兄弟で継承され、世代交代の際に皇嗣(こうし)が立てられ、次世代へと継承されてきた。
 そして大化の改新以後は、天智天皇が定めたといわれる『不改常典(あらたむるまじきつねののり)』に依拠し、天武天皇以降はその直系子孫による継承が原則となった。
 天智天皇崩御後におきた壬申の乱によって、皇位継承が危機的状況となった。このとき天武天皇と皇后の持統天皇は『直系相続』という方法でこの困難を乗り切ろうとしたのである。当初跡継ぎであった草壁皇子は夭折(ようせつ)したが、皇子と後の元明天皇との間に生まれた軽皇子(かるのみこ、後の文武天皇)が即位するまで、皇位を安泰にしておくために持統天皇が女帝として即位したのである。
 元明天皇の場合も同様で、孫である首皇子(おびとのみこ、後の聖武天皇)に安寧に皇位を継承させるために即位した。またその後の元正天皇も、甥である聖武天皇の即位をつつがなく行わせるようにと即位したのである。
 『中継ぎの天皇』という言葉があるが、女帝はいずれも、みずから進んでなったというより、皇位継承を無事に行えるよう、こうするしかなかったと考えるのが妥当である。
 近年の研究では、持統天皇以降の女帝は、当時、制度として不十分であった皇太子制を補完するために即位したとされている。聖武天皇の後の孝謙天皇も、基王(もといおう)の早逝(そうせい)のため男系皇嗣がいなかったため皇太子となり、やがて即位した。孝謙天皇退位後は、男子の後継者がいなかったため、天武天皇に連なる淳仁天皇が即位した。しかし、これもうまくいかず、もう一度、称徳天皇が立たれた(重祚{ちょうそ})。
 これらの歴史的事実を見てみても、皇位継承をいかに円滑に行うかということを考えた結果として女帝が即位したのである。つまり、皇統は男子によって継承されるのが原則であって、女帝の即位はノーマルな状態ではないというのである。
 逆にいえば、女帝がいなくなった時代は皇太子制がしっかりしている証ともいえる。
 ところが、『女性宮家』提唱者はかねてより、親王・諸王の範囲や継嗣(けいし)を定めた『養老令』の『継嗣令』第1条を、女帝の存在や女帝の系統による皇統の継承を容認した規定と解釈している」
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 世界の女系を認めた王国・王朝では、王女の夫・婿の実家は王位を簒奪して新たな王家を創設したり、女系を正統理由として王国に対して継承戦争を仕掛ける事があった。
 女系は、血筋を断絶させ、皇位・王位の流動性を生み出し、王家・王朝の交代に発展する。
 女系継承によって、ドイツ人がイギリス国王やスペイン国王に即位できた。
 イギリス王国とフランス王国との戦争、イギリス王国とスペイン王国との戦争は、女系相続・女系継承が原因であった。
 多国間戦争に発展したオーストリア継承戦争も、元は女系相続が原因であった。
 女系継承・女系相続は、世界戦争に発展する危険性があった。
 女王時代が輝いているのはその為である。
 女系継承・女系相続は、王家の断絶、王位の廃止、王国・王朝の滅亡につながる。
 歴史的事実として、女系女王が即位するとその王家・王朝が終わる事が多い。
 つまり、滅ぼしたい王家・王朝は男系から女系に代える事である。
 実体の王家・王朝の血筋が代わっても、表面的な王国は変わらない。
 つまり、服を着る人間が変わっても、服は服である。
 イギリス国王の衣服と王冠は、イギリス人であろうが、ドイツ人であろうが、スペイン人であろうが変わる事はない。
 それが、大陸における王侯貴族の世界常識である。
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 天皇制度が、政治・政治権力あるいは宗教・宗教権威であれば制度的に滅びたであろうし、滅びる定めにある。
 が、道徳・良心・志・心という精神であれば、日本民族日本人と共に存在する。
 日本民族日本人が死滅・絶滅した時、天皇制度も消滅する。
 天皇制度が廃止された時、日本民族日本人はこの世界・この世から消える。
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 天皇制度とは、強者・勝者・福者の制度ではなく弱者・敗者・貧者の制度で、弱者・敗者・貧者に寄り添い慰め癒やし励まし、そして「天皇の不徳」を詫びる心の制度である。
 天皇制度は、弱者・敗者・貧者の論理で動いている。
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 天皇制度は、キリスト教とは折り合いを事ができるが、マルクス主義共産主義とは水と油の如く決して折り合う事ができない。
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 氏の論理における日本天皇・皇室・皇族とは、伊勢神宮(祭神・天照大神)・橿原神宮(かしはらじんぐう、祭神・神武天皇)・近江神宮(祭神・天智天皇)・平安神宮(祭神・桓武天皇孝明天皇)・明治神宮(祭神・明治天皇)の子孫である、天照大神の血を正統に引く筋目正しい氏子の事である。
 天皇の宗教とは、民族宗教氏神・祖先神の人神信仰である。
 天皇制度の正統性が民族宗教氏神・祖先神の人神信仰で担保されている以上、天照大神高天原天津神)系血筋を正統に引く氏子しか即位できない。
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 天皇・皇族・皇室、天皇位・天皇制度の正統性は、祖先神である女性神天照大神の血統・血筋である事である。
 天照大神の直系に連なる血統・血筋を受け継がない者は、天皇に即位でできない。
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 日本天皇は、国民の人気投票で選ばれるスター的政治家ではないし、人種・民族・部族・出身階級に関係なく枢機卿等によってコンクラーベで選ばれるローマ教皇でもない。
 日本天皇は、神聖な日本中心神話・天孫降臨神話によって存在するのであって、俗欲な民主主義的手法で選ばれて存在するわけではない。
 だが、しょせん、天皇制度・国體もある意図を持って人為的に創られた制度に過ぎない。
 人が創った制度は、人が壊す事ができる。
 つまり、天皇制度・国體も潰す事はいとも簡単な事である。
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 しょせん、宗教は気の弱い人間の作り話であり、天地創造絶対神多神教の神も、如何なる神も存在しない。
 その意味において、見た目でハッキリ区別・差別できる類白色人種群(コーカソイド)、類黄色人種群(モンゴロイド)、類黒色人種群(ネグロイド)の三大人種群は存在するが、その中の民族は曖昧である。
 ただし、血筋・血統で区別・差別できる部族・氏族は存在する。
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 日本民族日本人は、南方系海洋民、揚子江流域民、南方系海洋民と揚子江流域民の混血、北方系草原の民、黄河流域民、北方系草原の民と黄河流域民の混血などが、日本列島に流れつき、あるいは逃げて来た人々の子孫である。
 つまり、雑種であり、混血である。
 戦って勝つた勇敢な開拓者ではなく、戦って負けた気の弱い逃亡者である。
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 日本民族日本人は、天照大神の血筋・皇統に道徳・良心・志・心の源泉を見出していた。
 日本民族日本人にとっての天皇制度とは、俗の穢れに染まった政治・政治権力や宗教・宗教権威ではなく、穢してはならない聖なる御霊の泉であり、湧き出る浄い水とは道徳・良心・志・心・精神を諭す御言葉・言霊であった。
 つまり、御霊信仰と言霊信仰である。
 故に、天皇制度とは聖泉の如く神聖不可侵なのである。
 天皇の発する詔は、最高最良で最も尊き「言霊」であった。
 故に、日本民族日本人は雑念を一切捨て去り純な心で頭を垂れて詔を拝聴した。
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 天皇制度は、日本人を奴隷とする中世キリスト教の宗教侵略を防ぎ、日本人を人民とするマルクス主義共産主義イデオロギー浸透を防いだ。
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 キリスト教マルクス主義共産主義も、天皇制度の破壊者であった。
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 中世キリスト教会の宣教師は、戦国時代に日本人を奴隷で輸出する手続き事務を行って手数料を稼ぎ、キリシタン保護として徳川幕府初期は傭兵・移民として東南アジアなどへと移住させていた。
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 マルクス主義者・共産主義者は、人種・民族・部族に関係なく反革命派・反対派・政敵を人民の敵として虐殺していた。
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 日本の歴史とは、国體・天皇位・天皇制度、天皇家・皇室・宮家、皇族を守る為に戦った日本民族日本人の物語である。
 それ故に、国體・天皇位・天皇制度が廃止され、天皇家・皇室・宮家がなくなり皇族がいなくなれば、約2000年続いてきた単一日本民族日本人の物語は終わる。
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 もし、日本国民日本人の総意が、天皇制度・天皇・皇室・皇族は入らないと本気で考えれば、廃止・廃絶・消滅させればいい。
 外国人移民の急増で日本国籍取得者日本人(日本国民日本人)が多数派となり日本民族日本人が少数派になれば、何れはそうなるだろうが。
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 外国人移民推進派とは、ある意味、天皇制度廃止論者である。
 外国人移民を受け入れるべきだという外国の知日派は、ハッキリ言って天皇制度廃絶論者である。



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