🗾24〕─1─2万1000年前の足跡から「最終氷期極大期」に人類が北アメリカにいた。~No.110 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年10月6日16時1分 MicrosoftStartニュース HUFFPOST「人間の2万1000年前の足跡から「最終氷期極大期」に人類が北アメリカにいた可能性大に
 岩に残る、2万年以上まえの人間の足跡――新たな調査が示したものとは
Satoko Yasuda 安田 聡子
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 アメリカ・ニューメキシコ州で見つかった人間の足跡の化石を調査した科学者らが、2万1000~2万3000年前に北アメリカに人類がいた可能性が高いと結論づけた。
 科学者らはこの化石から、最終氷期極大期に北アメリカに人間がいたことはほぼ間違いないとしている。
 科学者らが新たに調査
 岩の上に残る、人間の足の形をした化石――。
 この足跡はニューメキシコ州南部のホワイトサンズ国立公園で見つかったもので、アメリカ地質調査所の科学者らは2021年、この化石について2万1000~2万3000年前のものだとする研究結果を発表した。
 ホワイトサンズ国立公園で見つかった人間の足跡の化石U.S. Geological Survey (USGS)
 それまで、人類が北アメリカに到達したのは1万3000〜1万6000年前だという説が有力視されており、それを大幅に上回る2万1000~2万3000年という発見は、驚きを持って受け止められた。
 ただし、この2021年発表の調査は、正確さに対して疑問符もつけられた。
 この時の調査で、研究者らは足跡のある地層で見つかった水生植物「Ruppia cirrhosa(ネジリカワツルモ)」種子の放射性炭素から、化石の年代を推定した。
 しかし、ネジリカワツルモのような水生植物には海洋リザーバー効果があり、放射性炭素年代測定法では実際より古い年代を示すことがある。
 そのため、科学者らは新たに2つの方法を用いて、足跡のある地層の年代を調査した。
 ホワイトサンズ国立公園で調査をする、アメリカ地質調査所の科学者キャスリーン・スプリンガー氏とジェフ・ピガティ氏U.S. Geological Survey (USGS)
 その一つが、地層に残っていた針葉樹の花粉の化石を使って放射性炭素年代測定法を行うというもので、そのために約7万5000の花粉を採取したという。
 これに加え、石英などの鉱物の粒子が太陽光にさらされた時間から年代を測定する「光ルミネッセンス年代測定」も行った。
 その結果、両方の調査から足跡が2万1000~2万3000年前であることが推定されたと10月5日付のサイエンス誌で発表した。
 科学者のチームは、それぞれ3つの異なる調査結果がほぼ同じ年代を示したことで、足跡が2万1000~2万3000年前ではない確率はかなり低いと結論づけている。
 花粉を収集しながら地層を調査するジェフ・ピガティ氏U.S. Geological Survey (USGS)
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 1月8日 時事ドットコム「3万5700年前に地続きか ベーリング海峡氷期で海面低下―従来推定より大幅に遅く・国際チーム
 最終氷期に地続きだったベーリング海峡の推定図(米国立公園局提供)
 1994年の北極海航海で海底堆積物を採取した米沿岸警備隊砕氷船「ポーラー・シー」(同隊提供)
 ユーラシアと北米を隔てるベーリング海峡は、海面が低かった最終氷期には地続きだったことが知られるが、つながった時期は従来推定の約7万年前より大幅に遅く、3万5700年前だった可能性が高いことが分かった。米プリンストン大などの国際研究チームが北極海の海底堆積物を分析した成果で、7日までに米科学アカデミー紀要電子版に発表した。
 再び海峡となったのは1万3000~1万1000年前で、それまでにユーラシアの現生人類(ホモ・サピエンス)が北米に渡ったと考えられている。研究チームは「現生人類は海峡が地続きになってすぐに渡り始めたのではないか」との見方を示している。
 分析した海底堆積物は、米沿岸警備隊砕氷船が1994年に北極海を航海した際に、ベーリング海峡の北方3カ所で採取された。海水中の窒素にわずかに含まれる安定同位体の窒素15は、太平洋の方が北極海より比率が高く、同海峡では海流が太平洋から北極海流入している。研究チームは堆積物に含まれるプランクトンの窒素15について、4万6000年前以降の比率の推移を調べた。
 その結果、3万5700年前に太平洋から北極海への流れが止まり、海峡が地続きになったとみられることが判明。周囲に分厚い氷床が形成され、海面が下がる過程が急激に進んだ可能性が示された。
 太陽光を反射する氷床の形成と融解は、地域の気候や生態系に大きな影響を及ぼす。地球全体の気温の変動や海面の上下からでは局地的な氷床の消長を推定できないため、今回の成果は海峡周辺の過去の気候や環境を正確に把握するのに役立つという。
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 世界史の窓
 人類(ホモ=サピエンス)の拡散
 現生人類はアフリカを単一の起源の地として、16万年前~10万年前にかけて、アフリカを出て、現在までに地球上に広く拡散していったと考えられている。
 人類の拡散
 人類はすべて同一種
 地球上のあらゆるところに及んでいる人類は、すべて同一の種、つまりホモ=サピエンスである。現在はその起源は約20万年前のアフリカであると考えられている(アフリカ単一起源説参照)。アフリカに生まれたわれわれ現生人類の共通祖先の中の一集団が、およそ約16万年前から10万年前までに西アジアに入り、ユーラシア大陸全域に広がっていった。その一部で5万年~4万年頃に西アジアからヨーロッパにいたのがクロマニヨン人である。
 かれら人類の足跡はシベリアのツンドラ地帯に及び、一方では当時地続きであったインドシナ半島からインドネシアなどの島々に至るスンダランドにひろがった。5万年頃にはオセアニアに広がっていった。また地続きだったベーリング海峡を徒歩で渡り、1万4千年頃には新大陸に渡り、北アメリカ大陸の大氷床の縁辺を南下しておよそ1000年で南アメリカ大陸南端に至った。さらに3000年前には南太平洋のポリネシアなどの島々まで拡散した。このような「大拡散」はホモ=サピエンスの高度な環境適応能力、文化継承と発明能力の表れである。<海部陽介『人類がたどってきた道』2005 NHKブックス第7,9,11章>
 新大陸への人類拡散:
 ホモ=サピエンス(いわゆる新人=現生人類)はアフリカからおよそ10万年前からユーラシア大陸に「拡散」したが、さらにその一部は新大陸(北アメリカ・南アメリカの両大陸)におよそ約1万4千年前から1万3千年前ごろに到達した、と考えられている。この時期は最終氷期(現在の間氷期が終われば地球は再び氷期にはいることになっているので最終ではないが)にあたっており、特に2万1000年ごろには最寒冷期とよばれるピークで、夏の気温が10~15度下がったと考えられ、大量の水が氷として陸上に閉じこめられたため海水面が現在よりも100mも下がった。そのためユーラシア大陸北米大陸(現在のベーリング海峡)は陸続きであった。イギリスもヨーロッパ大陸と、日本もアジア大陸と、東南アジアの島々もインドシナ半島と地続きであった。このような時期に地続きになったベーリング海峡をわたって、モンゴロイド系のホモ=サピエンスが13500年頃までに北アメリカ大陸に入り、ほぼ1000年間に南米南端のフエゴ島まで拡散し、各地の自然環境に適応して生活するようになった。彼らがインディオ(インディアン)と言われる人々の祖先である。<海部陽介『人類がたどってきた道』2005 NHKブックス 第9章>
 オセアニアへの人類拡散
 オセアニアオーストラリア大陸ニューギニアと地続きでサフルランドという広大な大陸だった。しかし、東南アジアの陸地(スンダランド)との間には水路が横たわっていたことが動植物相の違いから判っている(19世紀の中頃の博物学者ウォーレスが発見したのでウォーレス線と言われている)。しかしホモ=サピエンスはカヌーなどを使って約5万年ほど前にこの大陸に入ってきたとらしく、その子孫がアボリジニーであると考えられている。さらにホモ=サピエンスは現在太平洋の島々にも及んでいが、彼らメラネシアミクロネシアポリネシアの人々はおよそ3000年前から1300年前までに東南アジアから大型カヌーで移り住んできたと考えられている。<海部陽介『人類がたどってきた道』2005 NHKブックス 第7章>
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