🏹54〕─1─応仁の乱の背景は「餓死寸前民衆」が「無責任幕府」にブチ切れて起きた。~No.170 

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 2023年10月7日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「現代と重なる「応仁の乱」の背景…「餓死寸前民衆」が「無責任幕府」にブチ切れて起きたこと
 15世紀後半の大乱、「応仁の乱」はなぜ起きたのか。
 その背景には、借金漬けで飢えに苦しむ百姓の怒りと、幕府を導く足利義政のあまりに無責任な放漫財政があった! 
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 ※本記事は川戸貴史『戦国大名の経済学』を抜粋・編集したものです。
 「借金漬け」の民衆が武装蜂起
 15世紀半ばになると、民衆(百姓)も参加した、領主層に対する武装蜂起が頻発した。
 彼らの要求は、いわゆる「徳政」、つまり借金や滞納した年貢の支払免除、質に入れた田地の返還であることが多かった。その日暮らしのような所得水準にあったに違いない彼らが「借金漬け」に陥っていたとすれば、すでに自らの生計を成り立たせるだけの生産はむずかしくなっていたことになる。
 彼らは代々田地を世襲して命を繋いできたのだから、かつてはそれで生計は成り立っていたに違いない。ところがこの時代、そうではなくなっていたのである。
 幕府の財政は粉砕される
 対する当時の権力はというと、余りにも無力であった。
 嘉吉元年(1441)に起きた、播磨・備前・美作(みまさか)の守護赤松満祐による将軍足利義教暗殺事件(嘉吉の乱、嘉吉の変)は、秩序を乱す下剋上の極みと評されるが、大きく幕府の基盤を揺るがした。
 幕府の財政には、守護らによる毎年の定額出資(守護出銭)が大きなウエイトを占めていたが、幕府から離反する守護が出はじめ、幕府の収入がきわめて不安定になったのだ。
 守護出銭は、正式な税として義務化されていたわけではなかった。幕府内での自らの地位を確保する手段として、守護は毎年支払っていた。したがって、幕府権力の弱体化は支払いへの意欲を低下させ、多くの守護が出銭を拒否した。
 かくして、守護への「善意の強制」によって構築されていた繊細な幕府財政は粉砕された。
 京都の土倉(金融業者)を襲撃
 比叡山延暦寺(GettyImages)
 他方、京都周辺では、次代将軍への代替わりをスローガンとした徳政要求の武装蜂起(一揆)が勃発していた。それらは京都へなだれ込み、債権者である土倉などの金融業者を襲撃した。こうして土倉らは、営業再建が困難になるほどの壊滅的な打撃を被った。
 土倉の多くは比叡山延暦寺(滋賀県大津市)と関係の深い自営業者だったので、その没落も幕府の財政には致命的だった。当時の幕府の財源は、上記、守護出銭に加えて彼ら土倉の営業税(土倉役)に大きく依存していたのである。
 土倉への打撃に加えて幕府が発した徳政が金融不安(貸し渋り金利上昇)を惹起した結果、公家や寺院の間では資金繰りに行き詰まって破産する者さえも出るようになった。
 こうして、京都の経済に依存する幕府の財政は急速に悪化していった。
 足利義政の無責任政治
 京都・鴨川(GettyImages)
 だが幕政トップの足利義政財政再建への意欲に乏しく、放漫財政を続けていた。その尻拭いを後に妻日野富子が担ったことは、ご存じの向きも多いだろう。この義政の無責任な態度もまた、混迷を招く要因となった。
 15世紀後半の幕府がこのようなありさまであったため、困難に直面した民衆を経済面で支援する政策を執ることはとうてい不可能であった。できたことといえば、大飢饉で京都へ流入した難民に細々と粥の施しをする程度、まさに焼け石に水である。
 寛正2(1461)年に深刻化した飢饉(寛正の大飢饉)では、周辺から難民が押し寄せたことも影響して、京都だけで数万人規模の餓死者を出したという記録が残っている。当時の京都の人口は10万人程度だったようなので、餓死者の数に多少の誇張はあるだろうが、鴨川には夥しい数の餓死者が浮かび、河原には遺体が無惨に積み置かれたという。
 民衆の幕府に対する絶望感たるや想像に難くない。
 幕府からの「政治的・経済的自立」
 経済面からみてみれば、農業生産の不調に加えて元来、脆弱であった幕府財政が危険水域に陥ったことが、応仁の乱の勃発につながったとみることもできるだろう。
 かくして、嘉吉以後は多くの守護たちが、あるいは幕府のくびきから脱却し、あるいはその保護を期待できなくなって、否応なしに政治的にも財政的にも自立する動きをあからさまにしていくことになる。
 応仁の乱は、守護自身が経済的自立を確立して、自らの意志で戦乱への参加を決定しうるようになったことを示す象徴的な戦争であったともいえるだろう。
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 兵士の装備一式70万円、捕虜の身代金20万~70万円……、川戸貴史『戦国大名の経済学』は戦国時代を「お金」で読み解きます! 
 川戸 貴史
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