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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
現代日本の政治的エリートや進歩的インテリ達は、欧米の名作を原書で読んでも日本の現代訳の古典を読まない、まして俳句はおろか和歌を詠まない。
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『土佐日記』
原文
①男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。
②それの年の十二月の二十日余り一日の日の戌の時に、門出す。③そのよし、いささかにものに書きつく。
現代語訳
①男も書くという日記というものを、女〔の私〕も書いてみようと思って、書くのである。
②ある年の十二月二十一日の午後八時ごろに、出発する。③そのときのことを、少しばかりものに書きしるす。
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刀剣ワールド
土佐日記 /ホームメイト
「土佐日記」(とさにっき)は、平安時代の935年(承平5年)、「紀貫之」(きのつらゆき)によって書かれた日記体の紀行文。土佐国(とさのくに:現在の高知県)から平安京(へいあんきょう:京都府京都市)まで、55日をかけての船旅のなかで繰り広げられた、笑いあり・涙あり・驚きありの様々な人間模様を、駄洒落や和歌も用いつつ、軽妙につづっています。この日記は、紀貫之の実体験がベースとなっていますが、最大の特徴は、「男も書くらしい日記というものを、女もしてみようと思って書く」(現代語訳)という書き出しで分かるように、男性である紀貫之が女性のフリをして書いた物であること。そこには、時代背景が大きく影響していたのです。
目次
「土佐日記」が生まれた背景
土佐日記は女流文学の先駆者
「土佐日記」が生まれた背景
著者・紀貫之とは
紀貫之(百人一首)
紀貫之は、最初の「勅撰和歌集」(ちょくせんわかしゅう:天皇・上皇の命により編纂された歌集)である、「古今和歌集」(こきんわかしゅう)の中心的な撰者としても知られる人物。
紀貫之の生没年は明確ではありませんが、古今和歌集編纂時は、30代の働き盛りの頃と考えられています。
「土佐日記」はそこから随分とときを経て、紀貫之が歌人として地歩を固めた70代あるいは、80歳くらいになっていた頃に書いた物だとされます。古今和歌集と土佐日記は、表舞台に出た時期に違いがあるものの、どちらにも共通する特徴があるのです。それは、「かな文学」の成立と発展に大きく寄与したことでした。
使われ方が明確に分かれていた「漢字」と「かな」
もともと固有の文字を持たなかった日本では、中国から漢字が導入されてより、公式文書はすべて漢文で書かれるようになりました。そして、9世紀に入り「かな文字」が使われ始めます。
かな文字のうち、ひらがなは6世紀頃から漢字の「万葉がな」(まんようがな:漢字が持つ意味に関係なく、その音だけを借りて言葉を書き記したもの)を崩して書くうちに誕生。
カタカナは、読みにくい漢文を読むための補助記号として、漢字の一部だけを使う形で生まれました。例えば、漢字の「仁」を崩したものがひらがなの「に」で、カタカナの「二」は仁の右半分を使ったものです。
特にひらがなは、かな文学と言われる「和歌」・「物語」を書くために特化し、日本人の細やかな感情を書き表すことができるようになったという点で、日本史上において画期的な発明と言えます。しかし、公式文書にひらがながすぐに採用されることはなく、和歌や手紙など私的な文書でしか使用されていませんでした。
かな文字が公に認められた古今和歌集の成立
913~914年(延喜13~14年)頃に成立したとされる古今和歌集は、第60代「醍醐天皇」(だいごてんのう)の命により編纂された、公的な意味を持つ和歌集。かな文字が公(おおやけ)に認められた最初の文学であり、かな文字の発展に大きく寄与しました。
しかし、そのあとも依然として漢字は公的な場面で男性によって用いられ、ひらがなは主に私的な場面や女性によって使われる文字として育ちます。平安時代、貴族社会においても「漢字の本を読む女性は変である」と言った常識がまかり通るなど、文字を巡る男女の区分もしっかりと存在していたのです。
土佐日記は女流文学の先駆者
男が書く日記を「女」のフリをして書いた土佐日記
そこに登場したのが、すでに還暦を超えた紀貫之が記した土佐日記。この時代、「日記」というものは男性が書くもので、かつ日記の文体は漢文が常識。ではなぜ、紀貫之はわざわざ女性のフリをして日記を書いたのでしょうか。
一説には、年を重ねて和歌の名手となった紀貫之は、和歌以外の文章をひらがなで書くために、あえて女性のフリをして書いたと考えられています。 そもそも当時の平安貴族の男性が書く日記は、自らのことを書くのではなく、世情や朝廷のことを書くのが一般的。
それに反して土佐日記の内容は、紀貫之自身が実際に地方長官として土佐へ着任して任期を終えたのち、土佐から平安京まで帰る旅程での経験をもとに、書かれています。見方を変えると、日記の形をしたひとりの女性が書くひらがなによる小説とも言えます。
土佐日記のあと、「蜻蛉日記」(かげろうにっき:藤原道綱[ふじわらのみちつな]の母による著)や、「和泉式部日記」(いずみしきぶにっき)、「紫式部日記」(むらさきしきぶにっき)、「更級日記」(さらしなにっき:菅原孝標[すがわらのたかすえ]の娘の著)など、女性による日記文学が次々と誕生します。
そして「紫式部」の「源氏物語」、「清少納言」(せいしょうなごん)の「枕草子」といった、1,000年にわたって読み継がれる女流文学が世に出されていきました。紀貫之の土佐日記は、これらの女流文学を大きく先導したとも考えられているのです。
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2024年3月29日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「谷崎潤一郎はなぜ「女手の日本文学者」なのか...「漢字」と「ひらがな」が紡ぎ出す、日本語の表現世界
谷崎潤一郎(1951年撮影) 角川書店「昭和文学全集31巻(1954年2月発行)」より
<「ひらがな語=女手」に魅せられた谷崎潤一郎だが、「男手」の漏れを隠すことはできなかった...。書家・石川九楊が谷崎の書から読み解く、文学の世界>
書家・石川九楊が錚々たる文士たちの書の筆蹟の尋常ならざる謎のような筆蝕(書きぶり)を敢えて「悪」と表現し、読み解いた『悪筆論──一枚の書は何を語るか-書体と文体』(芸術新聞社)より「両性具有の──谷崎潤一郎『春琴抄』」を一部抜粋。
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日本語とともに
谷崎潤一郎の書:「細雪」『墨59号』(芸術新聞社)/『悪筆論──一枚の書は何を語るか-書体と文体』(芸術新聞社) 365頁より
日本語は漢字語=男手とひらがな語=女手の混合言語であり、男と女の区別が不断に避けられない特異な言語である。
もっとも欧州の言語に男性詞と女性詞の区別、また漢字語にも女偏の多数の女性詞があるように、人間にとって、最初の、もっとも区別しやすく、根源的な差異の認識は、男か女かであったようだ。
ヒトとして同じであるはずなのに異なっていて、その違いを越えて人間として一体化しようとする文化的営為こそが、人類史であると言っていいかもしれない。
人間としての同一性と、男、女としての異質性──その矛盾を孕みつつ、そこに大いなる劇(ドラマ)を生産しつつ、人類史はつくられてきた。
日本語は、男=漢字語と女=ひらなが語の二重の言語の混合体であって音と訓──すなわち男と女が併列し、男詩(うた)=漢詩と女詩(うた)=和歌(さらには俳句)という二つの詩型、また男文=漢文と女文=和文という二つの文型を有する。
後者は、自然の性愛たる「四季」と、人間の四季たる「性愛」の表現を繊細かつ厖大に蓄積してきた。
西欧の「声」の単線言語学に洗脳され、まったくもって不毛な「国字国語論争」に明け暮れた近代の文学、言語学者とは異なり、実践的に日本語の文章を創造する谷崎は、漢字語とひらがな語の表現世界の違いの厄介さに耐え、これをふりさばいて創作しつづけた。
自ら告白するように、谷崎の主題はいきおいひらがな語=女語の世界に誘われていく。その中から『春琴抄』も『卍』も生まれた。『文章読本』では執拗に文字(漢字とひらがな)について突き詰めた。
谷崎潤一郎の書:「茅淳の海の鯛を思はす伊豆の海にとれたる鰹めしませ吾妹」『墨59号』(芸術新聞社)/『悪筆論──一枚の書は何を語るか-書体と文体』(芸術新聞社) 362頁より
谷崎の女と男の性をテーマとする物語は、ひらがな語=女手と漢字語=男手の混合、交雑する日本語の構造自体が強(し)いた物語が、女手寄りに具現した姿と言っていい。
その意味において谷崎は傑出した「女手の日本文学者」であった。だが、その日本語は西欧語に開かれることなく、自閉状態にとどまった。
谷崎文学は、男手(男)と女手(女)の世界つまりは漢字かな交じり文に迷い込んだ挙句につくり上げられた世界である。
それゆえ、必然的に『源氏物語』の現代語訳に取り組んだ。だが、男手の漏れ来る谷崎の書の姿を見るかぎり、平安上代様の女手を思慕する味の筆画が連続する書を残した与謝野晶子訳のほうが、『源氏物語』の世界の真に近いだろうと想像されるのである。
※谷崎潤一郎の引用した小説『春琴抄』は『谷崎潤一郎全集第13巻』、『文章読本』は『谷崎潤一郎全集第21巻』、『卍』は『谷崎潤一郎全集第11巻』、「詩と文字と」は『谷崎潤一郎全集第22巻』(すべて中央公論社)による
石川九楊(Kyuyo Ishikawa)
1945年福井県生まれ。京都大学法学部卒業。書家。京都精華大学名誉教授。 著書に『書の終焉──近現代史論』(同朋舎出版、サントリー学芸賞受賞)、『近代書史』(名古屋大学出版会、大佛次郎賞受賞)、『日本書史』(名古屋大学出版会、毎日出版文化賞受賞)、『中國書史』(京都大学学術出版会)。『筆蝕の構造』(筑摩書房)、『石川九楊の書道入門』(芸術新聞社)、『日本語とはどういう言語か』(中央公論新社)、『河東碧梧桐──表現の永続革命』(文藝春秋)ほか多数。『石川九楊著作集』(全一二巻、ミネルヴァ書房)を刊行。
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