🏹21〕 ─1─高麗王が弘安の役(第2回日本侵略戦争)を始めた。朝鮮半島の歴史は加害者の歴史。~No.67 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 鎌倉後期から室町前期にかけての前期倭寇は、対馬壱岐・北九州などの漁民が、高麗・蒙古・旧南宋襲来で高麗人・漢族中国人・蒙古人に家族・親族・仲間が虐殺された事に対する報復・復讐であった。
 室町後期から戦国時代にかけての後期倭寇は、朝鮮人・中国人・南蛮人による海賊で日本人には関係なかったが、大航海時代の東アジア史はおろか世界史にまで影響を与えた。
 倭寇(特に後期倭寇)は、西洋のバイキングと同様に世界史レベルで正しく評価すべきである。
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 高麗・蒙古・旧南宋連合軍は、鎌倉の武士団の猛攻で甚大な被害を出したとこで大嵐に襲われて壊滅した。
 日本の武士は、強かった。
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 日蓮の「立正安国論」と中国・朝鮮の日本侵略。
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 2022年2月号 Hanada「知己知彼  石平
 朝鮮半島こそ歴史の加害者
 『知己知彼』と題するこの連載は、いままで一貫して中国のことを取り上げて論じてきたが、今回は朝鮮半島の話をしよう。中国と並んで、この半島はまた日本にとっての厄介な『彼』の一つだからである。
 半島の二つの国、特に韓国は、いつもどこでも被害者面(づら)をして『謝罪』や『賠償』を求めてくる。いまや自国の牢獄にいる某女性大統領に至っては、『被害者の立場は千年不変』とまで宣言していた。彼らは未来永劫、『被害者』を扮して日本人を強請(ゆす)っていくつもりであろう。
 しかし半島の人々は、本当にどこまでも『歴史の被害者』だったのだろうか。実は、朝鮮半島と日本や中国など周辺国との歴史的関係性を詳しく調べると、実態はまったく違うことが分かる。長い歴史のなかでは、朝鮮半島の国々はむしろ『歴史の加害者』として周辺国に多大な迷惑をかけまくってきた。
 一例を挙げよう。朝鮮史上の三国時代(4世紀~5世紀)、半島で高句麗新羅百済が並立して覇権を争っていた。そのなかで経済力や軍事力がもっとも貧弱だった新羅は、仇敵の百済に勝つために中国の唐王朝に数回使節を派遣し、半島に派兵して一緒に百済を討つことを中国皇帝に懇願した。唐王朝はそれを聞き入れて半島に大軍を遣わし、新羅軍と連携して百済を挟み撃ちにして滅ぼした。
 いまになって、半島の人々はよく『われわれは歴史上いつも周辺国から侵略されて、たいへんな被害をうけた』と声高に主張するが、何のことはない。半島の国家は自らの意志で外国軍を半島に招き入れて、彼らに半島を『侵略』されただけの話である。百済新羅唐王朝連合軍によって攻め滅ぼされたあと、一部の遺臣たちは国の再興のために兵を挙げた。その時に彼らは日本に使者を派遣してきて、大和朝廷に対し、朝鮮半島に派兵して百済の再興を助けてくれるよう要請してきた。
 大和朝廷はそれを聞き入れて半島に派兵。白村江(はくすきのえ)で唐王朝の中国軍と激戦を展開した。結果は周知のとおり、日本軍は惨敗してほぼ全滅。百済の遺臣たちに半島の紛争に巻き込まれた結果、当時の日本と日本人は大きな被害を受けた。
 朝鮮半島が日本に多大な被害を与えた例は他にもある。鎌倉時代、文永・弘安の役という2度にわたる蒙古襲来には終始一貫、半島国家の高麗の助力と加勢があった。
 1回目の蒙古襲来である文永の役は、元朝皇帝のフビライが主導したことは歴史の事実だが、蒙古の属国となった高麗は戦艦の建造から軍用物資の調達にまで精を出し、蒙古の日本侵略戦争に全面的な協力した。そして約2万人の日本遠征軍が編成された時、金方慶(キムバンギョン)将軍率いる5,000人の高麗軍がそのなかに加わり、1万5,000人の高麗人が艦隊の舵取りや水手(かこ)として動員された。日本に対する侵略軍は事実上、蒙古・高麗連合軍であった。
 文永の役で日本征服が失敗に終わると、フビライは一時、日本への征伐を諦めようとした。しかしその時、フビライに日本征伐の再開を強く懇願したのは、高麗王朝25代目国王の忠烈王である。これは、李氏朝鮮時代に編纂された正史の『高麗史・忠烈王世家』にきちんと記されている史実である。フビライ忠烈王の懇願を聞き入れ、2回目の日本征伐戦争(弘安の役)が行われたが、その時、高麗軍は征伐軍の重要なる一翼を担(にな)ったと同時に、忠烈王は自ら『征伐日本行中書省』(日本遠征大本営)の『中書左丞』に就任して侵略軍の前線司令官を務めた。つまり弘安の役の蒙古襲来は、正確には『高麗・蒙古襲来』というべきのであって、高麗国王と高麗軍こそは、日本侵略の主役であった。
 彼らは、日本人に対してどのようなことをしたか。同時代に生きた日蓮は、高麗・蒙古連合軍が対馬で行った残虐行為について、『百姓等ハ男ヲハ或(あるい)ハ殺シ、或ハ生取ニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトオシテ船ニ結付』と記した。つまり侵略軍は、普通の百姓に対し、男は殺し、女は手の平を穿(うが)ち、数珠(じゅず)つなぎに貫き通して船壁に並べ立てたという。
 以上は、半島の高麗人が日本への侵略戦争に加担したり、それを主導したりした歴史であり、日本の民衆に対して残酷な虐殺を行った歴史である。このような厳然たる歴史の事実を前にしても、半島の人々は自分たちこそが『歴史の被害者』だと主張できるのか。
 いや、事実は決してそうではない。長い歴史のなかで、朝鮮半島の国々は日本を含めた周辺国を半島内の紛争に巻き込んで被害を与えたり、そして日本に対する侵略戦争にも加担した。彼らこそ、紛(まぎ)れもなく歴史の加害者であって、彼らこそがこの日本に対して謝罪と賠償を行うべきではないのか! 
 (詳細は、石平著『韓民族こそ歴史の加害者である』[飛鳥新社]をご参照いただきたい)」
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 2018年11月07日
 日刊SPA!PLUS 朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第2講:元寇、日本侵略の意図とその証拠」
 朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第2講:元寇、日本侵略の意図とその証拠」
 2『蒙古襲来絵詞』より
 北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのか。著作家の宇山卓栄氏はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出す。朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国だった。中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招いた、と宇山氏は説く。
 朝鮮は被害者か
 元寇に関し、朝鮮人モンゴル帝国の被害者であるとする見解があります。
 「蒙古襲来」とも言われるように、モンゴル人が大挙して押し寄せて来て、それに朝鮮人たちが仕方なく付き合わされたという捉え方が日本人の中にもあると思います。しかし、実態はそうではなく、朝鮮人も日本侵略の片棒を担いでいたのです。
 当時の朝鮮は高麗でした。高麗王の子の諶(しん、後の忠烈王)は1272年、自ら進んで、フビライ・ハンに日本を攻めるべきであることを以下のように、上奏しています。
 惟彼日本 未蒙聖化 故発詔 使継糴軍容 戦艦兵糧 方在所須。儻以此事委臣 勉尽心力 小助王師。
 惟(おも)んみるに彼の日本は、未だ(皇帝フビライの)聖なる感化を蒙(こうむ)らず。故に詔(みことのり)を発して、軍容を整え、継糴(けいてき、糧食を整えること)せしめんとせば、戦艦兵糧まさに須(みち)いる所あらん。もし此事(このこと)を以て、(皇帝が)臣(忠烈王のこと)に委(ゆだ)ねば、心力を尽し勉(つと)め、王師(皇帝のこと)を小助せん。
       —『高麗史』の「元宗十三年」の一部
 忠烈王の上奏文
 王子はこの上奏の2年後の1274年、父王の死により、王(第25代王、忠烈王)に即位します。そして、忠烈王文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)において、艦船を建造し、兵力と経費を積極的に元王朝に提供し、日本侵攻の主導的な役割を果たします。
 忠烈王の上奏文は高麗に日本侵略の意図があったことの何よりの証拠です。元を焚き付けた上での侵略ですから、「虎の威を借る狐」の如きものですが、狐であろうと何であろうと実際に、朝鮮兵はモンゴル兵とともに、日本に襲来し、乱暴狼藉を働いたわけですから、立派な侵略であることに違いありません。
 宇山卓栄(うやま たくえい)
 著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。
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 2018年12月11日
 日刊SPA!PLUS 朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第7講:日本侵略を利用した高麗王」
 北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのか。著作家の宇山卓栄氏はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出す。朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国だった。中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招いた、と宇山氏は説く。
 忠烈王元寇
 忠烈王は剛腕で有能な人物でした。フビライの信頼を得て、自らの影響力を最大限、発揮しようと画策します。
 1274年10月の文永の役で、元軍・高麗軍は対馬壱岐を侵略し、博多に上陸しましたが、武士の抵抗があり、戦闘1日で撤退します。なぜ、すぐに撤退したのか、その理由はよくわかっていません。
 元寇は2回とも暴風雨によって、元軍が被害受けたとされますが、第2回の弘安の役の時に暴風雨があったのは事実ですが、第1回の文永の役の時には、暴風雨はなかったとする見方が学界では有力視されています。「神風」に護られる「神国日本」というのはつくられたイメージに過ぎません。
 高麗を統治する忠烈王
 忠烈王文永の役の敗因を、モンゴル軍と高麗軍の指揮系統の未整備に伴う混乱と捉えました。
 忠烈王はこれを是正するため、高麗軍の将軍をモンゴル軍の指揮系統の中の正式な指揮官(万戸職など)と認め、モンゴル正規軍としての役割を果たさせるべきことを上奏しています。忠烈王は高麗軍の地位向上を狙ったのです。フビライはこれを認めました。
 さらに、忠烈王は高麗軍を一元的にコントロールするため、高麗軍統轄の権限を自分に与えてほしいと上奏します。フビライはこれも認め、忠烈王を「征東行省」の丞相に任命します。「征東行省」とは前述のように、モンゴルが設置した高麗統治府です。
 「征東行省」の丞相は高麗の統治権を一切任されています。丞相となった忠烈王は自分の服臣たちを政治的要職に就け、また軍の指揮官たちを自ら選定し、事実上の王直属軍を編成します。
 忠烈王元王朝の日本侵略を自らの王権強化のための材料として最大限利用したのです。その意味において、忠烈王は政治的に大きな成果を挙げました。以後も朝鮮の王や為政者たちは忠烈王を模範として、「虎の威を借る狐」を演じていくことになります。
 14世紀に編纂されたモンゴルの歴史書『集史』には以下のようにあります。
 「(忠烈王)はフビライに寵愛された王と知られているが、実際には王ではなかった」
          ラシード・ウッディーン『集史』、フビライ・ハン紀
 宇山卓栄(うやま たくえい)
 著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「忠烈王」の解説
 忠烈王 ちゅうれつおう
 Ch'ungryǒl-wang
 [生]高宗23(1236).2.
 [没]忠烈王34(1308).7.
 朝鮮,高麗の第 25代の王 (在位 1274~1308) 。諱はきょ。古諱はじん,しゅん。元宗の長子。元宗1 (1260) 年元に行き,特進上柱国東安公に封じられ,同 12年再び元に行き,元の世祖フビライ・ハンの娘忽都魯掲里迷失 (くとるけりみし) 公主と結婚。同 15年6月元宗の死により帰国,即位した。同年 10月元軍の日本遠征に協力したが,失敗に終り (文永の役) ,さらに忠烈王7 (81) 年再び日本を攻めて失敗した (弘安の役) 。忠烈王は十数回も元に行き,元の勢力を背景に権臣たちを押えて王権は安定したが元の圧迫に苦しみ,また太子 (忠宣王) との不和で苦しんだ。王の時代には元の官制,学問,風俗,習慣が流入したが,特に朱子学は有名。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 忠烈王(ちゅうれつおう、1236年4月3日 - 1308年7月30日)は第25代高麗王(在位1274年 - 1298年、復位1298年 - 1308年)。
 第24代高麗王元宗の子。諱は昛、初名は諶、賰、諡号は忠烈景孝大王。1260年に太子(世子)となり、1271年6月に元に婚姻の許諾を得て、クビライの公主忽都魯掲里迷失(クトゥルク=ケルミシュ)を娶り、翌年に帰国。再び元に戻り、元宗死後に再び帰国し、王位についた。
 文永の役弘安の役においては元に日本侵攻を進言し、兵力と経費を提供する とともに毎年元に莫大な貢物、人員等を頻繁に送り忠義を示した。これにより国内経済は疲弊し、これを憂いた臣下によって廃位となったが元の力により復位した。この後更に親元政策を貫き、胡服辮髪の令(1278年)を出すほか、以降の王は元の宮廷で育ち、忠宣王は「益知礼普花」(イジリブカ)、忠粛王は「阿剌忒訥失里」(アラトナシリ)、忠恵王は「普塔失里」(ブダシリ)というモンゴル風の名を持っている。
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 日本の歴史は事実・現実であり、中国の歴史は善悪二元論二項対立論イデオロギーであり、朝鮮・韓国の歴史はご都合主義で作られたポエムである。
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 日本が関わった対外戦争の多くは、朝鮮が日本を大国との絶望的な戦争に巻き込むべく行った陰謀であった。
 つまり、朝鮮は加害者であって被害者ではない。
 日本天皇・日本国・日本民族の悲劇・不幸は、朝鮮の加害者に味方する日本人が何時の時代でも日本国内に存在していた事である。
 朝鮮や中国は、強欲で野心家の反天皇反民族反日的日本人達に大金や美女を与え利権や地位を保証するなどのエサで味方につけ操っていた。
 その構図は、現代日本でも変わりなく存在する。
 それが、親中国派・媚中派、親韓国派、親北朝鮮派と呼ばれる日本人達で、左翼・左派・ネットサハや右翼・右派・ネットウハに関係なく、保守派からリベラル派・革新派にまで広く存在する。
 彼らは、日本天皇・日本国・日本民族にとって「獅子身中の虫」である。
 彼らによって、将来、民族神話の正統性による宗教的血統世襲の男系父系天皇国家日本は消滅する危険性が出ていた。
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 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の発展の為に持てる知識や技術を出して働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の為だけに仕事をした。
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 大国に睨まれた小国が生き残り戦略は、大国と敵対する中程度国を反対側に作って騒ぎ立て、そして時折大国をけしかけて中程度国を侵略させるが、けっして大国が中程度国を滅ぼして領土にしないように妨害する事である。
 小国が取るべき態度は、大国に泣き付く苛められる被害者の立場である。
 朝鮮は小国で、大国が大陸帝国である中国とロシアで、中程度国が日本であった。
 それ故に、古代から日本の安全は絶えず朝鮮の陰険・陰湿な策謀で脅かされていた。
 つまり、歴史的事実として、日本は被害者であって、加害者ではない。
 そして、憐れで惨めな朝鮮の小国としての悲哀には同情の念を禁じ得ない。
 悪く言えば、「不様」の一言である。
 そして、日本にとっていい迷惑であり、居ても居なくても如何でもいい隣人・隣国である。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)蘇我馬子の命を受けて第32代崇峻天皇を暗殺した。 
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げるが捕まる。
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 668年~780年 新羅朝貢の為の日本に遣新羅使を派遣し、遣日本使が30回以上。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本の子供約300人を捕らえ忠烈王に戦利品として献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
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 1419年 応永の外寇李氏朝鮮軍による対馬侵略。
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🗻17〕─1─日本に「建国記念日」が存在しない本当の理由。~No.58 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ヤマト大王家、天皇家、日本国は、古代豪族達が平和と安定、安全と発展を希望して自然に生まれ支配領域を争わず静かに広めていったのでありのであって、武力で日本を占領した征服王朝ではなかった。
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 ヤマト王権ヤマト大王は、建国宣言の詔を発していない。
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 ヤマト王国の建国は、世界の古代文明で滅亡した古代王国同様に神話が根拠になっていた。
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 2021年12月27日 MicrosoftNews プレジデントオンライン「日本に「建国記念日」が存在しない本当の理由【2020年BEST5】
 © PRESIDENT Online ※写真はイメージです
 2020年(1~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。教養部門の第4位は――。(初公開日:2020年2月11日)2月11日は「建国記念の日」であり、「建国記念日」ではない。東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏は「明治政府は初代・神武天皇の『即位日』を建国記念日に決めたが、史料的な裏付けはなく、戦後廃止された。復活を望む保守派は、みんなを納得させる苦肉の策として『の』を挿入した。いわば『配慮の結晶』なのです」という——。
 ※本稿は、本郷和人『空白の日本史』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
 「の」から紐解く“空白の日本史”
 2月11日の「建国記念の日」。この日は、日本の建国を祝う祭日として、明治6年1873年に定められました。当時は「紀元節」といっていました。世界各国で「建国記念日」は存在しますが、なぜ現在の日本では「建国記念“の”日」と称されるのか。
 その背景にある「皇紀の虚偽」を紐(ひも)解くことで、新たな「歴史史料の空白」を検証してみたいと思います。
 まず、この「建国記念の日」ができた当時、明治政府は日本が万世一系(ばんせいいっけい)の天皇を頂点にした統治国家であることを、強烈にアピ―ルをしようと考えていました。当時の日本は、近代国家として誕生したばかり。
 そのため、明治政府は、国内外に向けて、海外にはない日本のオリジナリティや存在感を示すため、日本という国が、長年に渡って天皇家というひとつの系譜に連なる血筋が治めていることを、最大限利用しようとしたのです。
 「エンペラー」の称号を得た明治政府の猛アピール
 こうした明治政府の活動が功を奏し、現在でも日本の天皇は、海外では「皇帝(Emperor)」という称号を得ています。たとえば、英国王室のエリザベス女王の称号でさえも「女王(Queen)」であって、「皇后(Empress)」ではない。世界有数の伝統を誇る王室でさえも、「King/Queen」と呼ばれるなか、日本の皇室は「Emperor/Empress」という特別な称号を使用することが認められています。
 明治時代には、エチオピア王室も「Emperor/Empress」の呼称が使われていたそうですが、現時点では世界中でこの呼称が使われているのは、日本の皇室だけ。これは、明治政府が世界中に「日本の天皇家万世一系である」と訴えた主張が、見事に影響していると言えるのでしょう。
 諸説ありますが、少なくとも26代の継体天皇(450?-531年)以降は、天皇家は一つの血筋でつながっているのだと考えられています。それだけとってみても、世界一古い王家であることは、間違いありません。英国王室以外のヨーロッパ王室の血統は、古くとも18~19世紀前後のナポレオン戦争くらいから始まったものが大半です。
 国内外で利用された皇室の“伝統”
 欧州の王室は、1800年代ごろに外国から来た人が、王となるケースが多い。そう考えると、日本の皇室がいかに古く、歴史と伝統を持っているかという話は、外国に向けて発信してもたいへんに誇らしいものです。また、この主張は、国外だけではなく、国内に向けても、明治政府が中央集権国家を作る上での大きな武器になりました。
 「天皇家は世界でも類を見ないほどに、古く、伝統がある。長い間、日本を見守ってきた天皇のために、国民が力を集めて頑張ろう」
 こうした、非常にわかりやすいスローガンがうまく作用し、明治政府によって、日本という国はひとつの国へとまとめられていきました。この例を見てもわかるように、「我が国には長い歴史がある」と主張することは、国内外に強い影響力をもたらします。
 紀元前660年が「元年」になったワケ
 現在の日本では、元号や西暦が使われていますが、明治時代に正式に採用されたのが、「皇紀」という暦(こよみ)でした。
 「皇紀」とは、神武天皇が最初に即位した年を元年とした暦のこと。紀元前660年を元年として数えられており、東京五輪が開催される2020年は皇紀2680年にあたります。なぜ、紀元前660年が神武天皇即位の年になったのかというと、そこには少し複雑な経緯があります。
 まず、古来から日本の暦は「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」を表す十干(じっかん)、「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」を表す十二支を組み合わせた、十干十二支で表していました。
 そして、両者を組み合わせた数字である60(10×12÷2)が、一つの周期になります。60歳を「還暦」と称するのは、60年という周期が一度巡ることで、また「暦が還る」から。そして、還暦の人に真っ赤なちゃんちゃんこを贈るのは、「赤子に戻って、もう一度人生を生まれ直すから」だと言われています。
 中国由来の「十干十二支」
 さて、十干十二支には様々な組み合わせがありますが、その中の58番目の組み合わせである「辛酉(かのととり)」は革命の年とされています。これは、中国由来の考え方で、漢の時代に生まれた儒教の考え方をまとめた書物『緯書(いしょ)』で唱えられた予言「讖緯(しんい)説」に由来するものです。
 「讖緯説」によれば、60年に1回の辛酉の年には、何かしら革命が起こる。さらに、60年が21回続いたときの辛酉の年には、ただの革命ではなく、とてつもない大革命が起こると言われていた。60年×21回ということは、1260年に1回のペースで大革命が起こるという計算になります。
 その説に基づき、明治初頭の歴史学者たちは「前回、大革命が起こった辛酉の年はいつだったのか」を検証します。そして、「聖徳太子がいた頃に起きた辛酉が、大革命の年だろう」と結論づけたのです。なぜ、聖徳太子がいた頃に、大革命が起きたとされたのか。その理由は、当時の日本では、日本の基礎を作ったのは聖徳太子だと考えられていたからです。
 近年の研究では「聖徳太子は本当にいたのか?」という論争もある上、日本という国の基礎ができたのは、天智天皇天武天皇の時代だと考えられています。ただ、明治当初、彼は、十七カ条の憲法や官位十二階の制定、遣隋使の派遣、仏教の普及などに貢献し、日本の基礎を作った人物として、非常に重要視されていました。
 「皇紀」を生んだ辛酉大革命という思想
 だからこそ、「聖徳太子がいた時代こそ、日本という国ができた年である。日本ができた年こそ、辛酉の大革命が起こった年である。では、そのもう一つ前の辛酉の大革命の年とは何だ? 聖徳太子クラスの人物の関与ということであれば、こここそが、神武天皇が即位した年次であるに違いない」と、明治の歴史学者たちは考えた。
 わかりやすく言うと、1回目の辛酉の大革命では神武天皇の即位があり、その1260年後となる2回目の辛酉の大革命で、聖徳太子が国を作った。そう当時の研究者たちが結論づけた結果、神武天皇即位を原点とした「皇紀」が誕生しました。逆に言えば、この辛酉大革命という思想を受け入れていなかったら、皇紀というものは生まれなかったとも言えます。
 その結果、紀元前660年1月1日こそが日本建国の日になりました。ただ、これは太陰暦の日付なので、太陽暦に直すと2月11日です。そこで、明治6年となる1873年に、2月11日を「紀元節」とし、日本の建国記念日として定めました。
 「この日を本当に日本の建国記念日としてよいのか」
戦前は紀元節に盛大なお祝いをしていたのですが、戦後になると、より冷静な考えが広まり、「この日を本当に日本の建国記念日としてよいのか」という疑問が浮かんできます。先に挙げたように、文献史料は何もないので、当然立証できない。GHQの意向もあり、戦後しばらくの間、建国記念日は日本から消えました。
 ところが、1950年代初頭、日本の国力が勢いを増したことで、日本に再び建国記念日を復活させようという動きが始まります。アメリカの独立記念日(7月4日)や、韓国が日本の統治から離脱した日を祝う光復節(8月15日)のように、世界各国にその国の誕生日があり、それなりにお祝いをしている。ならば、日本にも国の誕生日があっていいだろう、と。
 ただ、いざ日にちを決めるとなると、右派と左派の間で、かなり大きな論争が繰り広げられることになります。右派としては、「紀元節」に則(のっと)って、以前と同じ2月11日を推薦する。でも、左派側は、「2月11日が建国記念日である科学的根拠がない」として猛反対する。
 たしかに、紀元前660年に神武天皇が存在したという話自体が、まったくの神話世界の中の話であるため、何の根拠もない。こうした主張については、右派側も認めざるを得ません。
 「の」は大人の配慮の結晶だった
 神話の世界の話を「これぞ、日本の歴史」だと主張することは、さすがに近代国家では通用しません。そこで、苦肉の策として生まれたのが「建国記念の日」です。つまり、「建国記念日」とは言わず、「建国記念“の”日」とすることで、日本の建国をお祝いする日にしよう。それならみんなが納得できるのではないか。そんな事情で、「建国記念日」の間に、「の」という一文字が入ります。この「の」はいわば、大人の配慮の結晶だったと言えるでしょう。
 そして、こうした苦心の末、1966年、安倍晋三首相の祖父・岸信介の弟である佐藤栄作内閣の下で、「建国記念の日」が制定されました。
 時に「日本は神の国だ」と言い出す政治家がいますが、日本の皇室が、神の子孫だというのはあくまで神話の中のお話で、科学的根拠はまったくありません。ただ、26代の継体天皇以降は、現代に至るまで血がつながっていることは、間違いない。紀元前660年ではないにせよ、それでも世界的に見たら群を抜いて古い王家であることは、きちんと僕たち日本人は踏まえておいたほうがよいのではないでしょうか。
 もちろん「古いものが優れているわけではない」という議論も当然上がってきますが、長ければ長いほど伝統は育まれますし、時の積み重ねは重いものです。皇室に関する新たな議論が出るたびに、そこは冷静に話し合っていくべきではないかと僕は考えます。
ーーーーーー本郷 和人(ほんごう・かずと) 東京大学史料編纂所教授 1960年、東京都生まれ。文学博士。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日本中世政治史、古文書学。『大日本史料 第五編』の編纂を担当。著書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日本史』(朝日新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『考える日本史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数。 ーーーーー」
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 日本の歴史には2つあって、民族の伝承・宗教によるローカルな神話物語とアフリカを源流とする科学的根拠によるグローバルな人類史である。
 神話物語と人類史の2つを持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
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 日本人とは、たまたま偶然に流れ着いて日本列島に住み着いた人間の総称であって人種や民族に関係なく、特定の民族つまり日本民族の事ではない。
 よって、日本人が海外に出て他国に住みはじめれば日本人ではなくなる。
 日本人とは、生まれ現れ、死んで消える、自己主張が苦手で、自我が希薄で、個性が弱く、見える形での姿を持っていても存在感が乏しく影が薄く、空気みたいな、淡い人間の事である。
 色即是空・空即是色、日本人そのものが「一切皆空」なのである。
 つまり、日本人を問うても空しいだけで、それ故に日本人論は無意味である。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血の雑種である。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ民族は、ヤポネシア人・縄文人にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいた人々が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 琉球民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 日本列島には、血が汚れていない単一の純血種はいない。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ウィキペディア
 建国記念日とは、文字通り「建国を記念する日(祝日)」である。何をもって建国の日付とするかは、国家により異なる。
 日本では実際の建国日が明確でないため、建国神話をもとに建国を祝う日を定めている。すなわち、日本神話の登場人物で古事記日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日(紀元前660年1月1日 (旧暦))より、その即位月日を明治期に新暦で推定した2月11日を「建国記念の日」とした。
 法律で定められた「建国記念日」(祝日)がない国家としてはイギリスが挙げられるが、伝統的にイングランド守護聖人・聖ジョージを記念したゲオルギオスの日(St. George's Day、4月23日)が宗教的な国家の日である。
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 建国記念の日は、日本の国民の祝日の一つ。祝日法により存在は定められたが、祝日法ではなく政令で定められた日付は2月11日。1966年(昭和41年)制定。
 制定
 世界で「建国記念日」を法律で定めて祝日とする国家は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。日本では、建国の日が明確ではないが、建国をしのぶ日として法律に基づき「建国記念の日」が定められた。日付は政令に基づき、建国神話(日本神話)を基に日本建国日とされている旧紀元節と同じ日にされた。
 2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀によれば辛酉年春正月、庚辰朔、すなわち、1月1日 (旧暦)(『日本書紀』卷第三、神武紀 「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」)とあり、その月日を明治に入り、グレゴリオ暦での具体的な日付として推定したものである。
 1872年(明治5年)11月15日太政官布告第344号「神武天皇御即位祝日例年御祭典」によって、旧暦1月1日に当たる1月29日が祝日とされた。翌1873年明治6年)1月4日太政官布告第1号「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」によって、神武天皇即位日という名称となり、1月29日に諸式典が斎行された。同年3月7日太政官布告第91号「神武天皇御即位日ヲ紀元節ト称ス」によって、紀元節という名称に改称された。同年7月20日太政官布告第258号によって、紀元節の日付は2月11日に改められ、翌1874年(明治7年)2月11日から適用された。 この紀元節は1948年(昭和23年)にいちど廃止されたものの、改めて1966年(昭和41年)に「建国記念の日」として国民の祝日となり、その翌年から適用された。
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 建国記念の日
 読み方:けんこくきねんのひ
 同義語:紀元節
 建国記念の日のイメージ画像
 2月11日は「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966年に「建国記念の日」に定められました。
 意味・目的建国を記念する日
 神武天皇が即位した日を日本の建国された日として祝うこと(紀元節〔きげんせつ〕)は、戦後占領軍の意向で祝日ではなくなりました。しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることとなりました。その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。そして、1966年に国民の祝日に認められ、翌年から適用されました。
 「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだと言います。
 起源・歴史紀元節から記念日へ
 日本の起源を祝日にしようという動きは、明治時代、神武天皇(初代天皇)即位の初日を日本の紀元(歴史が始まる最初の日)としたことから始まります。この、日本の紀元の日を「紀元節」といいます。紀元節は全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていました。しかし戦後になり「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止されました。しかしその後テレビ局が行ったアンケート調査により、全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいるということがわかりました。その結果、1966年になり建国記念の日に関する提案が承認され、翌年1967年から適用されることとなりました。建国記念の日が成立するまでには「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」など専門家による多くの議論があったようです。
 行事建国は神話の中に
 建国記念の日は特別な行事は特にありません。ですので、この休日に日本の歴史を勉強してみることも面白いかもしれません。
 日本書記では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、初代天皇になった神武天皇であると書かれています。イワレビノミコト(神武天皇?)は、現在の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、そこから2月11日を「建国記念の日」に定めたという説もあります。しかし、歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として位置づけられているようです。
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🛶14¦─1─樺太アイヌ強制移住を広める日本人達の後ろに中国共産党と北朝鮮の陰。~No.41No.42No.43 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族は、日本列島に住んでいた先住民・日本土人の子孫である。
   ・   ・   ・   
 日本列島に住む日本民族アイヌ民族琉球民族の三民族は、数万年前の石器時代に日本列島に流れ着き定住した先住民・日本土人の共通の子孫である。
 三民族が同居する日本国は、血筋からすれば単一民族国家であるが、文化・宗教・言語からすると多民族国家である。
   ・   ・   ・   
 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を狙っている。
 中国軍は、日本に対する復讐戦に勝利する為に軍備を増強している。
 中国共産党は、反天皇反民族反日本なアイヌ人活動家・アイヌ独立派と琉球人活動家・琉球独立派に工作員を送り支援している。
 日本人の親中国派・媚中派は、中国共産党に忖度し、中国共産党に機嫌を取るように、中国の利益の為に日本の国益を毀損している。
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 日本国内には、反天皇反民族反日本的日本人が高学歴な知的エリートや進歩的インテリに多く存在する。
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 2022年1月号 WiLL「樺太アイヌ 強制移住のウソ  大高未貴
 『稚内樺太記念館』の年表には『強制移住』のシールが。なぜ──?
 もう一つの歴史戦
 慰安婦問題の欺瞞を、一次資料をもとに解説した『赤い水曜日』の著者、韓国の国史教科書研究所所長の金炳憲氏は『慰安婦問題は国際詐欺劇』と断罪している。史実や慰安婦証言の信憑性の検証もおざなりに、日本政府が何度も謝罪を繰り返した結果、現在進行形でドイツなどに慰安婦像が建てられ続けているのだ。
 徴用工問題も。いわゆる〝徴用工〟と呼ばれる人々は朝鮮半島から志願してやってきたにもかかわらず、〝強制連行された〟として訴訟が起こされ、9月末に韓国の地裁が、差し押さえられた三菱重工業の資産を売却するよう命じるなど事態は深刻の度を増している。
 2015年、日本の外務省の佐藤地ユネスコ大使は、ユネスコ世界遺産委員会において『(端島{はしま}など、一部の産業施設で)過去1940年代に韓国人などが〝自分の意思に反して(against their will)〟動員され、〝強制的な労働(forced to work)〟させられたことがあった』と発言し、河野洋平氏同様、韓国や反日活動家たちに言質(げんち)を取られてしまった。
 日本と朝鮮半島・中国における過去の歴史問題において、一番大事な論点が〝強制〟という文言だ。朝日新聞が〝強制〟などといった広義の解釈を入れてから、問題は悪化の一途をたどっている。
 在サハリン韓国人問題、慰安婦問題、徴用工問題に次いで、いわゆる活動家らが用意しているとみられる戦後補償の一つが〝エンチュウ(樺太アイヌ強制移住問題〟だ。
 それまで日本は単一民族国家だったが、2008年、アイヌを先住民と日本政府が認めてしまった結果、アイヌには莫大な予算が拠出されている。
 ……
 ともあれ、樺太アイヌ強制移住プロパガンダの背景に迫りたい。
 きっかけは北海道元道議会議員の小野寺まさる氏がチャンネル桜北海道で『稚内市樺太記念館』の年表にシールが貼られていたと指摘したことによる。『移住』から『強制移住』と、史実と異なることが上書きされていたのだ。ほかにも『樺太アイヌ強制移住』について朝日新聞が旗振り役を務め報道していることを知り、妙な胸騒ぎを覚え、稚内に飛んだ。
 史実から言えば、明治8年(1875)の樺太・千島列島交換条約によって、樺太アイヌは日露どちらかへの帰属を自らの意思で決定せねばならなくなり、樺太アイヌは日本国民になるか、ロシア国民になるかを自由意思で選択した結果、樺太アイヌは日本国民になることを望んで宗谷に来たのだ。
 そのことは樺太・千島列島交換条約第4条にも記されている。
 《樺太島及びクルリ島に在る土人は現に住する所に永住し且其儘(かつそのまま)現領主の臣民たるの権なし故に若し其自己の政府の臣民足らんことを欲すれば其居住の地を去り其領主に属する土地に趣くべし。又其儘在来し地に永住を願はば其の籍を改むべし。各政府は土人去就決心の為め此条約附録を右土人に達する日より3ヵ月の猶予を与へ置くべし》
 つまり、日本政府が権力を行使して樺太アイヌの人々を無理矢理移住させたわけではなく、ロシア国民になれば、彼らはそのまま樺太の地に残ることができたのだ。
 では、本人の意思がいつの間に、それに反して〝強制〟になったのか。
 結論から述べれば、『本人の意思』で日本を選択し、日本にやってきたのなら何の補償も得られない。ところが〝強制移住〟させられたと偽れば、補償金が発生する可能性もある。その証拠に《アイヌ有識者懇 補償・教育 要望相次ぐ》《サハリンから道内に強制的に移住させられた樺太アイヌの子孫の田澤守さん(樺太アイヌ協会会長)は強制移住の謝罪と補償を求めた》(北海道新聞/2008年10月14日付)という記事や、《アイヌ民族の権利保障を市民団体が冊子政策提案へ》という題した記事(朝日新聞/2018年4月21日付)で、田澤氏の『少数者に寄り添った政策を進めて欲しい』というコメントも報じられている。
 では、一体誰が歴史を書き換えたのか。『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』(展転社)の著者・的場光昭氏はこう断言する。
 『樺太アイヌ強制移住というか強制移住というのを最初に言い出したのは、恵泉女子学園大学の教授・上村英明氏です。彼はアイヌ琉球の人々を先住民族だといって国連を舞台にロビー活動をしている市民外交センター共同代表です。琉球(沖縄)、アイヌモシリ(北海道)の独立、つまり国家分断工作ですよ。先住民として認めさせるために、三つの強制移住をでっち上げました。一つは樺太アイヌ強制移住。それからアイヌの子どもたちの親から引き離しと東京への強制移住。そしてもうひとつが千島列島アイヌ色丹島(しこたんとう)への強制移住。これはいずれも嘘、でっち上げです』
 一方、水面下でアイヌ政策に不都合な真実は、行政が廃棄処分していたことも発覚した。
 的場 『私は一次資料を古本などで収集しています。たとえば「蝦夷風俗彙纂(いさん)」前編後編とありますが、実はこれ、北海道虻田(あぶた)町の図書館で廃棄処分されていたものです。本の後ろに廃棄のスタンプが押してありますでしょ?
 この本は今、アイヌの歴史を捏造している連中にとって不都合な真実がたくさん書かれています。要するに、明治15年(1882)にこの開拓使アイヌに対して、どういう政策が必要かということで、アイヌの実態を知るために江戸期のアイヌ文献をたくさん抜粋しています。こういう貴重なものが破棄処分になっているのですよ』
 樺太記念会館の見解
 樺太アイヌ強制移住のでっち上げとは、どういうものだったのか。
 ……
 まともにとり合ってもらえないことが伝わってきて、サジを投げたくもなったが、この問題は私的なものではなく、日本の未来を担う子供たちにかかわる問題である。
 この先どう教育すべきか、政治的な利害関係を含む大人の都合で改竄された北海道の歴史を、子供たちに伝えていくことが許されるのか。教育委員会も真摯に考え、答えを出してほしいと切に願い、三度目の質問状を送った。
 2冊の本
 S教育部長の2回目の回答において、気になる点があった。
 〝強制移住〟の論拠として、『稚内100年史』(1978年発行)と『対雁(ついしかり)の碑(いしぶみ)』(樺太アイヌ史研究会編/1992年発行)の2冊を挙げていたのだ。そこで草速、目を通したのだが、啞然とした。これらの本は『強制移住』が虚偽だということを間接的に証明するものだったからだ。
 まず『稚内100年史』だが、《1875年、樺太・千島列島交換条約にもとづいて、日本移住を求める樺太アイヌ841人が北海道に移住することになて》とあった。確かに宗谷から対雁には『強制移住』と表記されているが、この件については、的場氏が〝強制移住ではない〟と一次資料をもとに丁寧な分析に基づいて断言しているので、紙面の都合上、詳しい説明は省略する。
 次に『対雁の碑』だ。執筆者は石井清治氏、田崎勇氏、豊川重雄氏。1971年、北海道ウタリ協会石狩支部結成大会で議長を務めたのが豊川氏。その後、クリスチャンセンターで再開された大会の議長が石川氏だとある。この本の正直な感想を述べれば、学術研究の成果物というより、いわゆる活動家の主張が綴られたものと言っても過言ではなかろう。にもかかわず、教育委員会がこのような記述内容に問題のある書籍を、年表記述の書き換えの根拠にしていることに驚きを禁じ得ない。
 ……
 などと、著者らが歴史戦の延長線上に〝樺太アイヌ強制移住〟という文言を強引に仕込んだことが見て取れなくもない。ちなみに『対雁の碑』が出版された前年の91年には、朝日新聞慰安婦報道大キャンペーンが始まっている。
 資料が示す事実
 ともあれ『対雁の碑』の冒頭から〝強制移住〟でないことが明白にわかる記述がある。
 1979年(昭和54)11月11日に対雁で行われた第1回樺太移住殉難者慰霊前夜祭の実行委員会の河村三郎代表の挨拶を紹介しているのだが、『明治8年に日ロの間で締結された樺太千島交換条約によって、865名の樺太人がこの対雁の地に移住し開拓にあたりました(略)』とある。つまり河村氏は〝強制移住〟などとは言っていないのだ。
 また同書には、ご丁寧にも〝強制移住〟でないことが一目瞭然の資料も紹介されている。
 たとえば、1875年の樺太・千島交換条約の際、《此時政府に於いては樺太土人を伴うべからずと内訓(ないくん)せしも、長谷部・堀両判官は成るべく之を伴はんと欲し、土人中にも是非移住を望むものあり、寄って八百四十一名伴侶(はんりょ)来れり》とある。
 つまり、樺太人、自ら移住を望んだことが明記されている。
 ……
 他にもこんな事例が紹介されている。『日本人と一緒に北海道に行きたいと云った(樺太アイヌ)』に対し、時の明治政府、黒田清隆開拓使長官の言葉はこうであった。
 《然(しか)らば、来ようと思ふものは連れて来よう。イヤだといふものは其儘に置かう》(『あいぬ物語』山辺安之助)
 また、『北海道殖民状況報文』の《従来該当ノ土人ニシテ我皇化ヲ慕ヒ我国管轄ノ民タランコトヲ請ヒ其郷地オ望見シ得ラルベキ地方ヘ移住センコトヲ願ウ者ノミ其願ヲ許ス》といった記述も紹介している。
 つまり、当時の政府は、強制移住どころか樺太アイヌの移住を推奨していなかったことが明白である。
 ところが、著者らは《これらの資料・文献で見る限りではピウスツキーや高倉新一郎の『日本人に誘われて』とする以外は、アイヌの希望による移住のように書かれている》などと、〝アイヌの希望〟をそうでなかったかのように誘導するため〝窮迫した移転〟だの、憶測を書き連ねているが、〝強制移住〟を立証できてはいない。
 アイヌ共和国?
 このような文脈で、白を黒に塗る替えるべく捻(ひね)り出された詭弁が《樺太アイヌの人たちのまったくあずかり知らぬところでふたつの国家による『国境』確定によって、彼らは永い間住み慣れた故郷を捨て日本への移住する者、ロシア流刑民との紛争、流刑囚徒や兵士の暴行迫害にあいながらもなお故郷を捨てがたく樺太に残った者(略)》という記述である。
 まさにこの詭弁こそ、S教育部長からの2回に及ぶ回答と同じであったことは失笑せざるを得ない。
 ……
 1次資料たり得る数々の文献からも、樺太アイヌの北海道への移住が自由意思によるものであったことは疑うべくもない事実であり、『樺太アイヌの人たちのまったくあずかり知らぬところ』などという実に乱暴な理由付けに、一体だれが、『はい、そうですか』と首を縦に振るだろうか。
 その詭弁の証拠に『対雁の碑』の著者らはこんな言い訳を入れている。
 ……
 などと心境を吐露しているのだ。つまり換言すれば、『強制移住を証明できる資料が見当たらなかったが、我々の推測(憶測?)、推察をもって強制移住と判断した』ということではなかろうか。
 また、あとがきにはこうある。
 《私たち(執筆者3名※注大高)が初めて会したのは、1990年の6月5日のことでした。そのメモをみると、樺太アイヌ強制移住史をまとめるにあたって目標が次のように書かれています。
・この強制移住は日本近現代史における重大な民族問題であると位置付ける。
強制移住という悲惨と苦難の歴史ではあるが、樺太アイヌの民族の尊厳が貫かれるような歴史像をめざす》
 そして、結びに《いま問題となっている北方4島にしても、これを国連の統治に移し、各地のアイヌから希望を募り、ここにアイヌ共和国をつくる──突飛な夢物語だろうか。(略)アイヌ新法やアイヌの主張に対し、今ここで和人が応えるべき時が来ていると切に思うのである》とある。
 つまり、最初から結論ありきの活動家によるプロパガンダと言っても過言ではなく、歴史検証には到底及ばない本ではなかろうか。
 ……この先もまだ、このような本を根拠に年表記述書き換えを正当化しようと試みるのなら、いずれ北海道には彼らが主張するような〝アイヌ共和国〟ができるだろう。アイヌの主張に応じて謝罪と倍賞をしていく覚悟があるのか、改めて問いたい。
 朝日新聞ですら報道を正す
 ……
 中国化する日本の大学
 年表改竄問題とは別に、もう一つ改竄問題が、的場氏の指摘により浮上した。
 前述した『新撰北海道史』に、アイヌの集団の写真が掲載されており、『明治8年、樺太、千島交換条約後、樺太土人八百数十人帰化を望み(略)』という説明が添えられているが、北海道の中学生全員と全国の中学校に各一冊ずつ配布されている『アイヌ民族:歴史と現在』という冊子にも同様の写真が掲載されており、なんと、その説明文が《江別に強制移住させられた樺太アイヌの人たち》と書き換えられていたのだ。
 的場氏によれば、
 『「アイヌ民族:歴史と現在」は北海道の中学二年生全員に配られています。さらに全国で約1万の中学校にも配布されていますので、合計10万冊を超えた部数が配られているわけです。この写真はウポポイの国立アイヌ民族博物館をはじめ全道の博物館に置かれて来観者に無料で頒布(はんぷ)されてている小冊子「アイヌ民族~歴史と文化」にも掲載され、同じ説明がなされています』
 という。
 私は早速、中学生用の『アイヌ民族:歴史と現在』を入手したが、呆れるほかなかった。指導のポイントにはこうある。
 《北海道が日本の一部にされたのは、先住民族であるアイヌ民族の理解を得たものではない。(小学校では日本とロシアの関係まで示すのは難しいが)まさしく『アイヌ民族にことわりなく、一方的に日本の一部にした』ものであることを理解させたい》
 『アイヌ民族:歴史と現在』の事情について詳しい小野寺氏に話をうかがった。
 小野寺『私はこのような「捏造された歴史」がいくつも書かれている副読本でアイヌに関する教育が行われているのは大問題だと思い、2011年から何度かにわたり道議会で記述の再検証並びに訂正要求をしたのですが、冊子を発行した公益財団法人アイヌ民族文化財団が、訂正は〝アイヌ差別〟だと騒ぎ立て、朝日新聞北海道新聞も加勢した結果、いまだに修正されていません。実に嘆かわしい。ともあれ過剰なウポポイPRを筆頭に、これから北海道に展開されるアイヌ関連施設の請負い工事も国土交通省の管轄です。アイヌ・キャンペーンの根深さは想像を絶します。「アイヌ民族:歴史と現在」には最後のページに執筆者が並んでいますが、一人もアイヌの専門家がいないのは大問題です。しかも委員長である阿部一司公益者団法人北海道アイヌ協会元副理事長は、北朝鮮の主体(チュチェ)思想研究会の主要メンバーであることが判明しています』
 北朝鮮の影響がアイヌ・キャンペーンにも絡んでいるのだろうか。それとともに、中国による〝赤い侵略阻止〟も喫緊の課題である。
 ……
 一部のアイヌ関係者は、〝アイヌ自治区〟を声高に叫んでいる。2020年7月に白老でおーぷんしたウポポイ(民族共生象徴空間)には『民族共生』という言葉が入っているが、中国は弾圧しているウイグルチベット南モンゴルのことを『民族共生』と称している。その欺瞞を再認識すべきだろう。
 未来の子供たちのためにも
 樺太アイヌ問題は、冒頭でも書いたように、徴用工問題とも深くかかわっている。
 徴用工問題に関わっている活動家や弁護士は、自著の中でお決まりの表現をする。歴史研究家の竹内康人氏が編著した『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』(神戸学生青年センター出版)には、
 《北海道炭礦汽船アイヌモシリで植民地開発を狙った企業ですが、北海道各地の炭鉱に数万人の朝鮮人を連行しています》
 とある。
 ……
 彼ら思惑通りに事が進めば、いずれ日本地図から北海道という文字が消え、〝アイヌモシリ(北海道)〟という文字が浮かび上がるだろうか。実際に一部のアイヌの活動家たちはアイヌ自治権を主張し、『和人は借地料を支払え』と叫んでいる。
 ……
 稚内は日本の最北の防人(さきもり)の地として様々な歴史的なドラマを乗り越えながら、国防の要衝であり続けてきた。歴史の改竄は内憂外患、放っておけば内に秘めたる安全保障の脅威ともなり得る。
 どうか稚内教育委員会は、先人たちが遺してくれた誇りある歴史を子供たちに伝えるために襟(えり)を正していただきたい。」
   ・   ・   ・   
 日本人にも善人もいれば悪人もいる。
 日本人の中に「自分は悪人であって善人ではない」という自責の念が異常なほど強い人がいて、彼らは日本人全員が自分と同じ悪人だと信じ込み、自分が善人になるためには日本人全員に正義の鉄槌を下して罰する必要があると確信して行動している。
 その結果、日本が消滅しても構わないと確信している。
   ・   ・   ・   
 石器人(日本土人)・縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部まで、西は朝鮮半島南部、日本海を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と軽蔑し差別していた。
   ・   ・   ・   
 アイヌ民族は、縄文人にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいた人々が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ民族は、弥生時代古墳時代の稲作文化で日本から切り離された。
 揚子江流域から伝わった稲作農耕は、東北までで北海道には普及しなかった。
   ・   ・   ・   
 琉球民族は、日本土人縄文人揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 琉球民族は、縄文時代に発生した九州大地殻変動で日本から切り離された。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、日本土人(石器人)、縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人はわずかながらでも血の繋がりがあった。 琉球民族は、台湾や揚子江流域に住んでいた漢族との血のつながりがあった。
 アイヌ民族は、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人との血の繋がりが全くといって良いほどない別種・異種のアジア人であった。
   ・   ・   ・   
 日本にとって、古代から中国や朝鮮はいつ侵略してくるか分からない油断できない敵であったが、近世から交流を始めた琉球アイヌが日本を侵略してくる敵の味方になるか日本の味方になるのか分からなかった。
 琉球の先にいた敵とは中国であり、アイヌの先にいた敵とはロシアであった。
 日本が伸るか反るかの戦争をして敵の侵略を撃破して生き残る為には、琉球アイヌの気持ちなど忖度している暇がなかった。
 何故なら、日本はローカルな弱小軍事国家であり、中国とロシアはグローバルな超軍事大国であったからである。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は昔に日本人と違って歴史が嫌いである。
 現代の高学歴な知的エリートや進歩的インテリには歴史が理解できない者が多々いる。
 現代の小学校から大学に至る全ての歴史教育現場では、政治的イデオロギー的な目的で歴史力・歴史理解力無能者を量産している。
   ・   ・   ・   
 敗戦後。日本を占領したGHQは、戦前日本の積極的自衛戦争を証明する公文書・書籍を日本人のマルクス主義者やキリスト教徒の協力を得て焚書処分とし、言論統制で禁止・弾圧した。
 戦前の日本を好意的に評価する書籍の焚書処分と言論の禁止・弾圧は、現代においても行われている。
 目的は、日本民族の歴史の完全抹消である。
   ・   ・   ・   
 日本は世界で信用され、日本人は世界で愛されている、はウソである。
 何故なら、世界から見れば日本人はアフリカ人同様に奴隷だからでる。
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 現代日本の学校における歴史教育の目的とは、天皇を中心とした民族の歴史を破壊し、国際的反天皇反日本日勢力からの指示に従って改竄・捏造・歪曲した記述を学童・学生に疑問を抱かず丸暗記させ高得点を与える洗脳教育である。
 その傾向は、グローバルな知的エリートや進歩的インテリを育てる超難関の有名な進学校に強く、その成果として歴史が理解できない日本人が増えている。
 現代日本では、「賢者は歴史から学ぶ」はウソである。
 日本の歴史に影響を与えている歴史の常識・定説は、マルクス主義史観、共産主義史観、左翼史観、キリスト教史観、儒教史観、リベラル史観、科学進歩史観そして右翼史観、保守史観、黒幕陰謀史観など玉石混淆、雑多に存在する。
 日本の歴史は、自由で、多種多様である。
   ・   ・   ・   
 天皇神話における「八紘一宇」とは。大家族主義の事でである。
 日本人とは、血縁による人種・民族の事ではなく、地縁として日本列島に住む全ての人々の事であり、宗教、思想、イデオロギーなどは一切関係ない。
   ・   ・   ・   
 アイヌ人は、地政学的に、戦争が不可避な日本とロシアの間の蝦夷地・北方領土4島・千島列島・樺太に広く住んでいた。
   ・   ・   ・   
 ロシアは、日本・徳川幕府との戦争に備えて、千島列島に広く住んでいたアイヌ人やその他の島民をカムチャツカ半島強制移住させて地上から消し去った。
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 明治新政府は、ロシアとの戦争に備えて、日本領になる土地に住む全てのアイヌ人達に対して、日本国籍かロシア国籍の二者択一を強要し、日本国籍を選択したアイヌ人を日本臣民になる事を強制し、天皇と日本国への忠誠を押し付けた。
   ・   ・   ・   
 日本人となったアイヌ人達は、国民の重い義務として徴兵が課せられ、日本軍兵士として日露戦争など日本が行う積極的自衛戦争に狩り出された。
   ・   ・   ・   
 明治政府は、新参者のアイヌ人達を土人法で保護した。
 が、偏見と差別が好きな日本人達は、アイヌ人達を文明・文化を持たない野蛮人と貶し人権を無視して非人道的な扱いをして優越感に浸って喜んでいた。
   ・   ・   ・   
 明治時代の蝦夷地・北海道開拓とは、ロシアの軍事侵略に備える為の自給自足の防衛陣地施設が主目的であった。
 弱小国の日本にとって、アイヌ人達が、日本の味方として戦友となって共に戦ってくれるのか、超軍事大国ロシアの味方について日本を攻撃してくるか、であった。
 日本は、ロシアより総人口が少なく兵士の数も少ない為に、天皇と日本国を守る為に兵士として戦ってくれる人が一人でも多くほしかった。
 温暖な日本列島で編成した弱小軍隊しか持っていなかった明治の日本軍は、ロシアとの戦場となる極寒の寒冷地に強いアイヌ人に期待を掛けた。
   ・   ・   ・    
 歴史的事実として、アイヌ人が中立の立場に立ち、戦争を嫌い平和を愛して、戦争になっても日本にもロシアにも味方しない、などという事は「絶対に」あり得なかった。
 それは、ロシアのアジア侵略という歴史の現実を見れば明らかである。
   ・   ・   ・   
 日本の開国・幕末・明治維新戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事力による軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
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 日本の総人口は、江戸開府の1600年頃では約1,200万人~1,800万人で明治5(1872)年には約3,295万人(琉球人とアイヌ人を除く)に増加していた。
 人口増加は、慢性的な乳幼児死亡率が高い中で起きていた。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻す為にムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
   ・   ・   ・   
 西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷であった。
 バチカンローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
 宣教師達は、日本人を救う為に布教活動を行い、多くの日本人をキリシタンに改宗させた。
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🛶13¦─1─アイヌ人は、北海道アイヌ自治区建設の為に北朝鮮の主体思想を学ぶ。~No.38No.39No.40 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人は、縄文人の子孫である。
 倭人日本民族日本人が琉球人・アイヌ人と違うのは、大陸や半島から逃げてきた弥生系渡来人や倭族が縄文人と乱婚して混血の雑種性を濃くした事である。
 琉球人・アイヌ人は、先住民族ではなく先住民である。
   ・   ・   ・   
 中国共産党北太平洋北極海の両航路を独占する為に、北海道アイヌ自治区建設と琉球独立国樹立を支援し、北海道の土地を爆買いし、反日教育を施した中国人移民を大量に日本に送り込もうとしている。
 日本のグローバル化を目指す日本人の中には、日本国民同様の権利である参政権と官僚登用を外国人移民にも与えるべきだと訴えている。
 彼らは、外国人移民に国民の権利を与えても、民族の義務である天皇敬意・憲法遵守・愛国・忠誠・国防などを求めてはいない。
 日本人の中には、中国共産党新帝国主義新植民地主義)である一帯一路構想・AIIB体制に参加する事を希望する者がいる。
 彼にとって追及すべきは最優先課題は、個である自分だけの利益・金儲けである。
   ・   ・   ・   
 日本国内には、日本分断・日本分割・日本解体・日本分離を使命とする狂信的日本人による反天皇反日的組織が存在する。
 それは、ユダヤ人の陰謀といったくだらない戯言ではなく。
 そうした反天皇反日的日本人は、高学歴出身知的エリートに多く、教育やメディアなどの業界に潜んでいる。
 現皇室は、明治天皇昭和天皇の遺志を継いで親ユダヤ派として各種の差別に反対している。
   ・   ・   ・   
 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を狙い、日本国内に中国人居住区・チャイナタウン建設を画策している。
   ・   ・   ・   
 日本に定住した帰化人と住み着いた渡来人は別人である。
 日本天皇への忠誠心と日本国への愛国心に対して、帰化人は誓ったが、渡来人は曖昧もしくは拒否した。
   ・   ・   ・   
 2019年12月号 WiLL「日本分断工作か
 なぜアイヌが学ぶ北朝鮮の『主体思想』  大高未貴
 アイヌ新法成立の裏に隠れたあるシナリオとは──
 日本分断工作
 ……
 実は日本でも沖縄→大阪→官邸→北海道における〝日本分断〟工作が
 ここで本題に入る前に、アイヌ利権について簡単に説明しておく。
 2009年、小野寺まさる氏が北海道議会議員だった時に自身のHPに掲載した文章を引用させていただく。小野寺氏はアイヌ協会の不正資金流用について、議会で追及してきた稀有(けう)な議員だ。
 『道の政策において「アイヌ人」を認定する基準はありません。アイヌ協会が認めればアイヌ人として認定されます。戸籍も何も関係ありません。そして、もしアイヌ人として認められれば、驚くほどの補助が国や道から受けられます。ここに不正や利権が生まれるのです。(略)またアイヌの方々への大学生への就学資金の貸付制度についても質問をしました。この貸付制度は名ばかりの制度で、実際にはお金を返還する必要がない「いい加減な制度」でした。というのも、この貸付金を返還したのは989人の中で1人のみで、変換を免除した額は24億円以上にもなるのです。中には、年間約100万円を13年間もらい続けた者がいた事実も判明しました。(略)これらの制度は一部のアイヌ協会の役員やその親戚・知人などの利用が多く、本当に大学に就学資金の貸付を必要としている方々が、この制度を利用できない仕組みになっていたのです。情報を握った一部の人たちだけがこの制度を利用していた訳です。(略)かなりの時間を割き、アイヌ協会に関して調査をしましたが、調べれば調べるほど「一部のアイヌ人と一部の政治家や勢力が〝アイヌ施策〟を利用し、税金を搾取している」ということが解りました』(小野寺まさるHPより)
 小野寺氏いわく、これも氷山の一角でまだまだ不正流用はたくさんあるという。にもかかわらず、こういった問題が未解決のまま、日本政府が今年、アイヌ関連事業に予算をつけているのは解せないと思うのは私だけではあるまい。
 ……
 優雅なアイヌ民族文化財
 ……
 平和運動の名のもとに
 かねて、アイヌ協会には主体思想関係者が入り込んでいると、一部の有識者たちから指摘されてきた。小野寺氏も2011年12月に道議会で追及している。
 小野寺『札幌で主体思想について、アイヌ協会が講座を開いているという認識でおりますが、詳しい内容をお聞かせください』
 アイヌ政策推進室参事『正確な情報は得ておりませんが、ある資料によると9月29日に札幌で開催されたと承知しております』
 小野寺『その主催した団体の名前を教えてください』
 アイヌ政策推進室室長『インターネットの資料によりますと、その資料の下の方の記載では「日本キムイルソン主義研究会」という名称が記載されています』
 という言質(げんち)をとっている。また、主体思想に詳しい篠原常一郎氏が『アイヌ政策の根幹はこの本に書かれています』と教えてくれた、尾上健一氏の著書『自主の道』(五月書房)には驚愕の実態が記されていた。日本を『自主化する』、つまり、主体思想化するための戦略として多くの課題が示されているが、そのトップスリーを紹介する。
 『民族と民衆の自主権を実現するための闘争で定義される重要なものは、第一にアイヌ民族復権を実現すること、第二に、労働者階級の闘争を発展させること、第三に、沖縄の自治、自立を達成すること(以下略)』
 『ここで日本を自主化するたたかいとアイヌ運動との連携を整理するならば、第一にアイヌの民族的自主権を確立するための闘争は日本を自主化するたたかいの重要な構成部分であるということです。いいかえるならば日本を自主化するためのたたかいは少数民族であるアイヌ民族の自主権を確立するための闘争をぬきにしては考えられないというとです』
 さらに、同著には、
 『アイヌ問題の解決は日本を自主化する重要な動力である。アイヌ民族の自主権を実現するためには、それを条文化した憲法の改正、ないしは新しい法律の制定が不可避となる。「北海道旧土人保護法」は廃棄されなければならない。国会にアイヌの代表が進出しなければならない』
 ともある。実際に2019年4月19日、アイヌ民族を法律上初めて『先住民族』と位置づけたアイヌ新法が参議院本会議で可決され成立。『北海道旧土人保護法』は1997年アイヌ文化振興法施行に伴い、鈴木宗男氏が旗振り役をして廃止に。アイヌの代表である萱野茂氏は1994年から98年まで参議院議員を務めている。驚くべきことに、1987年に書かれた主体思想の指南書(『自主の道』)通りに日本のアイヌ政策が進行しているのだ。また、アイヌを『先住民族』にするため、当然のことながら北海道における歴史改竄も着々と進んでいる。ちなみに前述した東京・亀有のアイヌイベントについてだが、単なる日本の地方都市の伝統文化紹介といったものとは次元が異なることを指摘しておく。
 尾上氏が一貫して主張していることは、自治区云々の前にアイヌ舞踊やアイヌ語の普及など文化攻略を重視すべきだという点である。例えば主体思想の雑誌『自主の道119号』(2013年12月)には『アイヌの民族の伝統・文化を受け継いで生きる』という記事もある。
 別記事では埼玉県比企郡で教職員組合自治労主体思想関係者が連携し、〝平和運動〟の名のもとに、アイヌ民族を取り上げ、アイヌ伝統楽器講習会やトークショーなどを開催したことにも触れている。当時はこのイベントを開催するにあたり、宣伝などの苦労話も書かれているが、今年に入ってからは日本政府の予算もつき、一部は電通がPRを担っているのだから、主体思想関係者の笑いは止まらないであろう。
 菅官房長官の見解
 ……
 杉田議員の話を補足する。07年に国連で『アイヌ民族の権利に関する国際連合宣言』が出され、『アイヌの民族の権利確立を考える議員の会』代表の元自民党衆議院議員今津寛氏や鈴木宗男氏らが旗振り役を担い、08年6月6日『アイヌ民族先住民族とすることを求める決議案』が衆参両院において全会一致で可決している。両氏の功罪について、正鵠(せいこく)を射た論評を紹介する。
 『鈴木宗男今津寛衆議院議員が論拠としてよくあげていたのが花崎皋平著「静かな大地 松浦武四郎アイヌ民族」(岩波書店)である。彼は著作において、アイヌの困窮は松前藩や幕府の支配が及ばないところで行われる悪党商人の横行と、統制が及ばずに野放しにされた資本主義経済、そしてアイヌ部落内も身分制度アイヌの惨状をまねいたことを厳しく糾弾している。(略)これが両氏によって〝和人=加害者〟〝アイヌ=被害者〟という構図で国会に持ち込まれ、わが国の歴史にとりかえしのつかない、しかも全く史実に基づかない汚点を刻んだ』(『科学的〝アイヌ先住民族〟否定論』 的場光昭
 同著は、『全会一致』は十分な議論の機会も与えられないまま、ゲリラ的に進められ、詐欺に等しいやり口だったこと、鈴木氏や今津氏が先を急いだ当時の政局にからむ打算の裏事情に触れている。
 北海道自治区化計画
 菅官房長官は、アイヌが先住民だと認めつつ、アイヌ自治区は認めないという。よく考えてみれば、これは矛盾してはいないだろうか。アイヌ先住民族認定はアイヌ自治区確立のための布石なのだ。
 その証拠に尾上健一氏はこう書いている。
 『多くのアイヌ民族が住んでいる北海道を特別自治区にするということも重要でしょう。(略)いわゆる北海道の歴史というのは100年しかなく、それ以前の歴史はアイヌの歴史です。しかし、北海道を特別自治区にするという課題はいますぐに成熟した政治課題にはなっていません。このような政治的課題に先行するのが「アイヌ民族に関する法律」を制定していく課題です』(『自主の道』 尾上健一)
 自治区の危険性については、小野寺氏が重要なことに触れている(2019年10月3日、『チャンネル桜 北海道』の放送において)
 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(国連総会第61会期/2007年9月13日)の中に軍事活動に関する規約があり、その内容は、
 『第30条 軍事活動の禁止
 ①関連する公共の利益によって正当化されるか、もしくは当該の先住民族による自由な合意または要請のある場合を除いて、先住民族の土地または領域で軍事活動は行われない。
 ②国家は、彼(彼)女らの土地や領域を軍事活動で使用する前に、適切な手続き、特にその代表機関を通じて、該当民族と効果的な協議を行う』
 というものだ。
 主体思想が浸透した北海道自治区化計画は着々と進んでいる。
 菅官房長官自治区を否定したが、朝鮮半島や中国の対日侵略戦略は十数年から100年単位の長期的な視点で実行されている。この先、現政権が力を失い、悪夢の民主党のような政権が甦(よみがえ)ったとしたら、〝アイヌ先住民族北海道特別自治区制定〟を行う危険性がないと一体誰が保証できるのだろう。
 万が一、自治区に認定されてしまったら、自衛隊が『アイヌ自治区』などと示された地域に駐屯できないという事態に及んでしまう危険性はないのか。
 もちろん、これは杞憂(きゆう)にすぎないのかもしれないが、それほどの不安を抱かせる問題なのだ。
 同じ過ちを繰り返すのか
 現に慰安婦問題だって90年代初頭に日韓の反日活動家と朝日新聞が火付け役を担って展開されたプロパガンダだが、日韓合意を経たにもかかわず、海外の慰安婦少女像も増え続け、現在進行形で収束の気配はない。
 慰安婦問題の失敗は最初に先手必勝で史実と証拠を武器に闘わなかったことで、慰安婦証言の十分な検証も怠ったまま『ここで日本が謝罪してくれれば、韓国は未来永劫歴史問題に触れないでおく』などといった韓国政府の口車にのせられた日本政府の責任は否めない。
 なぜ同じ過ちを繰り返すのだろうか。しかもアイヌ・キャンペーンは慰安婦問題よりも事態が深刻だ。なぜなら安全保障に関わる要因を秘めているからだ。
 中国が異常な興味を示し、あからさまに北の工作が見え隠れするアイヌ政策を、日本政府が進めようとするのはなぜだろうか。
 私見を述べさせていただく。アイヌ利権はもしや朝鮮半島南北統一における間接的な資金援助に通底しているのではないかという疑念だ。長年、慰安婦問題を研究してきているが、〝サハリン残留韓国人帰還問題─慰安婦問題─戦時労働者問題(徴用工)〟と順を追って用意されてきた歴史問題には、将来的な日朝国交回復時における戦後補償が絡んでいることを気付かされた。
 間接的な資金援助?
 1965年に締結された日韓基本条約では、日本は韓国と戦争などしていなかったので、〝戦後補償〟ではなく〝経済協力〟として、日本は韓国に総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)を拠出している。
 この時、韓国側は請求権を放棄しているにもかかわず、文政権は『個人請求権は消えていない』などと詭弁を弄(ろう)し、国際条約を反故(ほご)にしようとしている。実際に、北朝鮮の対日戦略も一貫して、この点にこだわり続けている。
 その腹は経済協力より戦後補償の方が金額も吊り上げられるし、日本に対してより優位な交渉に挑めるからであろう。
 ……
 〝経済協力〟か〝戦後補償〟か、今後も日本政府と朝鮮半島の熾烈な交渉、駆け引きの展開が予想されるが、その合い間を塗ってアイヌ利権の一部が朝鮮半島統一資金として流用される可能性はないだろうか。
 ちなみにアイヌ先住民族と認定される流れをつくったのは外務省だ。外務省は公式的にも国連の場でも〝日本に特定の民族はいない〟と主張してきたにもかかわず、急に外務省の国連局が1991年に国連の場で〝アイヌ少数民族〟と発言をして以降、日本は他民族国家となった。
 91年といえば、慰安婦報道ビッグバンの時期が92年、翌年は河野談話が出されている。なんらかの因果関係があるように思えてならない。
 ……
 『アイヌ同和利権の二の舞ではないか?』と指摘する人もいる。同和利権事業は02年に時限立法により終わりを迎えているが、約15兆円もの公金が投じられていた。、あた、現北海道知事も推進している苫小牧のカジノ誘致にともない、水面下で香港を隠れ蓑にして中国企業の暗躍なども噂されている。
 アイヌ新法成立により、これから全国展開されるアイヌ・キャンペーンの背後に隠されたシナリオ。……」
   ・   ・   ・   
 中国・韓国・北朝鮮との歴史問題、歴史戦争の震源地は、日本国内にある。
 反天皇反日的日本人が、天皇や日本国が不利で反日外国勢力が有利なような、捏造・歪曲・改竄したニセの歴史的情報を大量に流し続けている。
 彼らは、キリスト教徒や共産主義者マルクス主義者)の中に巧みに潜んでいる。
   ・   ・   ・    
 中国共産党は、結党以来の反日派敵日派であって知日派ではない。
 中国軍の正統性は、抗日戦争で日本軍に勝利した事であって、ファシスト中国(中国国民党)に勝利した事ではない。
   ・   ・   ・   
 日本が国連至上主義を貫くのであれば、そう遠くない将来、北海道アイヌ自治区琉球独立国を認める事になる。
   ・   ・   ・   
 日本人は、特別でも特殊でもないし、優秀でもなければ賢くもない、優(やさ)しくもない。
 それ以上に、自分は自分・他人は他人と分ける冷血・薄情・非情・冷徹である。
 最も最優先にすべく大事とは、自分の利益・金儲けだけで、それ以外は二の次三の次で、どうでもいい事である。
   ・   ・   ・   
 現代日本人は、事実に基づいた歴史が嫌いで、自分が見たい作り話の時代劇を好む。
 そして、日本文明・日本文化・伝統文化の表層を触れもせず眺めて解ったと自慢するだけで、内層・深層・古層まで踏み込んでその深淵を理解する気はなかった。
 それ以前に、現代日本人は武士・サムライでもないし庶民(百姓や町人)でもない。
   ・   ・   ・   
 現代日本人の歴史力では、自分達の血の繋がった祖先である日本民族日本人はおろか琉球人、部落民アイヌ人、倭人朝鮮半島帰化人、弥生系渡来人、縄文人は理解できない。
 彼らは自分が生きる現代のみが重要であって、祖先が生きてきた過去など無価値であり、子孫が生きる将来など無意味であった。
   ・   ・   ・   
 日本の近代化とは、ロシアから日本を武力で守る事であった。
 世界は、国際世論は、これを戦争犯罪、侵略犯罪と認定している。
   ・   ・   ・   
 江戸幕府は、北から侵略して来たロシアから日本を守る為に蝦夷地と北方領土4島を日本固有の領土と宣言した。
 明治政府は、アイヌ人がロシアに協力しないようにする為に日本国民と認定し、北海道防衛の為に屯田兵を配置した。
 日本は、ロシアとの戦争に備えて軍事国家へと暴走し、その過程でアイヌ人は否応なく呑み込まれていった。
 アイヌ人の悲劇は、日本がロシアの侵略から天皇と国を守る為に戦争をした事で、もし日本がロシアの侵略に抵抗せず、ロシア人を支配者・ご主人様として受け入れていれば起きなかった。
 ロシアとの戦争勝利は、日本にとって幸運だったがアイヌにとって不幸であった。 
   ・   ・   ・   
 現代。日本分断・日本解体の為に、中国共産党・中国軍がロシア・ソ連共産主義勢力に代わって北海道のアイヌ社会に浸透し始めている。
 国連などの国際機関は、アイヌ人・琉球人は先住民族であり、部落民同様に差別や迫害や弾圧などの非人道的不当な扱いを受けている被害者であると認め、日本を非難し、彼らの人権を回復させ権利を与えるべきだと求めている。
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 日本にとっての深刻な問題は、日本がロシア・中国・朝鮮などの敵に攻め込まれた時、アイヌ人・琉球人・部落民天皇や日本国を守る為に命を犠牲にして戦うかどうかであった。
 日本民族日本人であれば例外なくカミカゼ特攻、万歳突撃、玉砕などで、天皇と国、故郷と家族を守る為に死力を尽くして戦った。
 靖国神社に祀られた戦死の大半は、戦闘死ではなく、餓死か病死であった。
 多分、戦後教育を受けた優秀な現代日本人の多くは暴力を嫌い、平和の為に、戦わず、抵抗せず、外国の侵略者に土下座して命乞いの為に平伏す可能性が高い。
 その傾向は、高学歴出身知的エリート達に多い。
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 熱狂的天皇主義者は、身分が低い、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、軽蔑された芸能の民(歌舞伎役者・傀儡師・大道芸人ら)、蔑視された賤民(非人・穢多・河原者ら)、差別された部落民(山の民・川の民・海の民ら)らであった。
 何故なら、彼らは毎日東から昇り西に沈む太陽を拝んでいたからである。
 日本の太陽とは、天皇・皇室の祖先である最高神の女性神天照大神の事である。
 日本民族のローカルな宗教・信仰は、数万年前の縄文時代の母性崇拝・女性崇拝から変わらない。
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 何故、日本民族日本人がロシアの侵略を恐れたのか、それは1945年8月9月のロシア人共産主義者反日朝鮮人・敵日派中国人らが満州南樺太・朝鮮北部で起こした数万人~十数万人の日本人避難民(主に女性や子供)大虐殺を見れば明らかである。
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 生き残っているアイヌ人は日本の蝦夷地(北海道)アイヌだけで、千島列島アイヌ樺太アイヌカムチャツカ半島アイヌそしてオホーツク海沿岸に散らばって生きていたであろう沿岸アイヌは死滅して今はいない。
 その意味で、アイヌ人が生き残り国際社会で少数民族として認定されたのは、日本が「北海道旧土人保護法」で保護してきた御陰である。
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 縄文人は、日本列島を中心に、南は沖縄、北は北方領土四島・千島列島・カムチャツカ半島、西は朝鮮半島南部に住み着き、日本海を主要航路として小舟で移動していた。
 縄文人は、中国大陸や朝鮮半島の地獄の様な弱肉強食社会から逃げ出した弱者、或いは負けた敗北者であった。
 縄文人は、ひ弱な・気弱・脆弱で競う事や争い事を嫌った。
 それ故に、縄文時代は平穏で平和な時代であった。
 日本民族日本人と黄河文明の子孫である中国人・朝鮮人とは、別人のようなアジア人である。
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 日本における多数派と少数派を明確に別けるのが天皇に対する念いである。
 天皇に対する親しみを感じるのが多数派であり、天皇に対して親しみ感じないのが少数派である。
 だが、日本人における割合の実数は、天皇に崇敬の抱く日本人は2割で、天皇に嫌悪する日本人が3割で、無関心・無興味が5割である。
 5割の無関心・無興味な日本人が、空気につられて天皇を何となく支持しているに過ぎず、いつ何時、天皇批判に傾くか分からないのが現実である。
 それは、世論調査を知れば分かる。
 現代日本人は、必ずしも、本心から、天皇・皇族・皇室を必要としていない。
 その証拠が、7割近い女系天皇女性天皇擁立と女系宮家創設の支持率である。
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 中国共産党・中国軍は、反日派敵日派で、日本をアメリカから引き離して支配下に置く為に、琉球独立派、アイヌ分離派を支援している。
 日本征服という中国共産党の陰謀に加担する反天皇反日的反米派日本人が少なからず存在し、護憲派・反自衛隊派・人権派・反米派・反戦平和活動家などに潜り込んで暗躍している。
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🛶11¦─2─アイヌ施策の在り方は? 「帰属意識育む環境を」「欠かせぬ反省と先住権」。~No.32No.33No.34 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
 2020年2月23日 産経新聞「【日本の議論】アイヌ施策の在り方は? 「帰属意識育む環境を」「欠かせぬ反省と先住権」
 整備が進む「ウポポイ」。アイヌ語で「大勢で歌うこと」を意味する=令和元年11月、北海道白老町国土交通省提供)
 昨年5月施行のアイヌ施策推進法などでアイヌ文化の復興拠点と位置づけられ、国立博物館や慰霊施設などで構成する「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が4月24日、北海道白老町(しらおいちょう)に開業する。市町村のアイヌ文化継承や産業振興事業への交付金を柱とする同法は、アイヌを初めて先住民族と明記した一方、先住権を認めていない点などで議論がある。北海道大アイヌ・先住民研究センター長の常本照樹氏と参院議員の紙智子氏に聞いた。
 常本氏「帰属意識育む環境必要」
 --アイヌ施策推進法は、土地や資源などに関する先住民の権利を認めていない
 「例えば土地の権利を認めた場合、誰に返すのか。権利を有する主体としてのアイヌを、集団や個人として特定するのは現時点では難しい。しかし、文化を共有する集団としてのアイヌ民族は存在する。国民一般に関わる法律で、アイヌの人々を先住民族と位置付けたことには大きな意義がある」
 --同法は地域振興が柱だ
 「施策として重要なのは、文化伝承や観光、産業振興などの事業に充てる交付金だ。市町村から事業を受託する団体の構成員は、アイヌが中心になるだろうが、アイヌに限る必要はない。アイヌであるかどうかを問わず一緒に文化を振興することが、民族共生につながる。集団や個人を特定できないという消極的理由だけではない」
 --なぜ特定が難しいのか
 「例えば、アメリカでは先住民の部族が準主権国家として憲法に位置付けられている。先住民族のみを対象とする特別議席や優先的雇用といった政策であっても憲法に違反しない。合衆国は部族と土地の取得に関する条約を結んだ際などに、部族の構成員リストを入手してきた。先住民とは原則として部族の構成員を意味し、各部族はこのリストに遡(さかのぼ)ることで構成員を特定できるが、日本ではこのリストに相当するものがない」
 --道内外の大学が保管するアイヌの人たちの遺骨がウポポイの慰霊施設に集約される
 「世代を経て、子孫は何人もいる。国も大学も遺骨をお返ししたいと願っているが、個人に返還する場合も地域の場合も、どなたにお返しすれば最も適切なのかの判断に時間を要してきた。最初に手を挙げた方にお渡しすれば済むという問題ではないのではないか」
 --ウポポイはアイヌの観光利用だという批判もある
 「アイヌを知らせる手段として観光を捉えるべきだ。民主主義国である以上、アイヌ政策を進めるには国民の理解が必要。アメリカなど人口に占める割合が2%前後と先住民の存在感がある国でさえ、先住民族政策に他の国民から不満が出るが、アイヌは0・03%程度。理解促進に全力を尽くす必要がある」
 --文化振興を図る理由は
 「国民の多数派は幼い頃から自らの文化に親しみ、自分が何者かという帰属意識を育てることができる。そうした環境がアイヌの場合は損なわれており、その原因をつくった国には解決する責務がある。推進法は、どの文化に即して生きていくかをアイヌ自ら選択できる環境整備のための法律だ」(寺田理恵)
つねもと・てるき 昭和30年、北海道出身。北海道大大学院博士課程修了。法学博士。専門は憲法学。同大大学院教授。平成21年から政府のアイヌ政策推進会議委員、23年から同会議の政策推進作業部会長も務めている。
   ◇   
 紙氏「欠かせぬ反省と先住権」
 --ウポポイ活用の在り方は
 「アイヌの尊厳を守り、文化の異なる民族の共生を尊重し歴史や文化を学び伝え、振興を図るナショナルセンターという位置づけは大事。アイヌの人たちの意向を生かし趣旨通り運営されるべきだ」
 --観光利用に偏る懸念は
 「明治政府が同化政策アイヌの人たちを先住地から追い出し、権利を取り上げた歴史を偽らずに展示し、反省することが大切。差別されてアイヌだと名乗れず、そっとしてほしいという人がいる背景が理解されるようにしないといけない。自然の恵みに感謝し自然と共生するアイヌ民族の考えや風習も伝えるようにすべきだ」
 --アイヌ施策推進法の評価は
 「私たちは日本の法律で初めてアイヌ先住民族だと書き込んだ点を重要と考え、賛成した。ただ、先住権についてはほとんど盛り込まれず不十分で、発展させていくための議論が必要。法律では『アイヌの人々』と表現したが、アイヌの人たちが求めている言葉は『アイヌ民族』。課題は多い」
 --地域振興が施策の柱だ
 「アイヌの人たちの意向を反映した自治体の計画に交付金が出されることが大事。アイヌと関係のないところに資金を使ってはならず、相当丁寧にやる必要がある」
 --アイヌの認定で課題は
 「誰がアイヌで、アイヌでないかの調査は難しさがある。自治体の調査に応じない人もいるので、信頼関係を基にアイヌの人たちに確認するしかないかもしれない」
 --土地の権利など先住権を認めると国家の分断を招かないか
 「アイヌの『聖地』へのダム建設の差し止めを求めた訴訟の判決で札幌地裁は1997(平成9)年、アイヌ民族先住民族と認め、文化享有権が(個人を尊重する)憲法13条で保障されていると判断したが、それによって分断されたかといえばそうではない。ビルが建つ札幌の土地などを元に戻すのは大変だが、何ができるかを全く議論しなくていいわけではない。例えば、アイヌの人たちにはサケを儀式だけでなく生業として取りたいとの思いが強い。もっと取れるように調整できるのではないか」
 --遺骨の扱いの在り方は
 「遺骨を取り戻す運動は、先住民族の権利獲得の中核をなすものだとの指摘があるが、アイヌ政策推進会議で示されたガイドラインでは返還の決定権は遺骨を持っている大学にあり、アイヌ側にないことが問題とされている。また、慰霊施設に移して終わりではなく、アイヌの人たちが求めるように対応すべき。アイヌの風習では亡くなった人は土に戻り、祈りなどはしない。施設で勝手なことをやってはいけない」(村山雅弥)
   ◇   
 かみ・ともこ 昭和30年、北海道出身。北海道女子短大卒。平成13年の参院選比例代表で初当選、現在4期目。共産党常任幹部会委員、党農林・漁民局長。超党派の「アイヌ政策を推進する議員の会」に参加している。
   ◇   
【記者の目】最大の課題は関心の低さ
 アイヌが創作の世界で脚光を浴びている。アイヌの少女が活躍する漫画「ゴールデンカムイ」がヒットし、樺太アイヌを主人公とする川越宗一さんの小説「熱源」が直木賞を受賞した。アイヌへの関心が高まっているのだろうか。
 アイヌ文化に触れる機会があるのは北海道の魅力の一つだ。だが、道の調査によると、ウポポイは道外での認知度が極めて低い。
 昨秋、アイヌの男性が先住民族の権利だとして道の許可なしにサケを捕獲し、道警の取り調べを受けた。先住権がアイヌ施策推進法に盛り込まれていないことへの批判がある一方、先住権を認めれば優遇策になると反発する意見もある。
 推進法の施行を機に先住権をめぐる論争が顕在化しつつある中、法の内容はほとんど知られていない。アイヌ施策を進める上での最大の課題は、国民の関心の低さだろう。(寺田理恵)」
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🛶11¦─1─安倍政権とアイヌ新法とアイヌ人先住民族認定。アイヌ協会とカジノ構想、アイヌ利権。〜No.29No.30No.31 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
 現代日本では、日本民族日本人は多数派で、アイヌ人、琉球人は少数派である。
 将来の日本では、外国人移民、中国人移民が新たな住人となり彼らは少数民族・少数派になる。
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 現代日本歴史教育は、日本人を重犯罪者として追い込む目的で悪意に満ちた嘘、捏造、歪曲で改竄されている。
   ・   ・   ・   
 北海道や北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島には、日本人の祖先である縄文人が住んでいた。
   ・   ・   ・   
 2019年5月28日 産経新聞北方領土に竪穴住居跡 100軒発見「奇跡的」
 北方領土国後島を24~27日の日程で訪れていた学術交流訪問団が27日、同島で続縄文時代の竪穴住居跡約100軒を見つけたと発表した。古いもので約2300年前のものという。訪問団の団長で北海道博物館の右代啓視研究部長は「これまでの調査でこれだけ多くの遺跡が見つかるのは初めてで、奇跡的」と話した。
 学術交流事業には、道内の博物館や資料館の学芸員らが参加した。竪穴住居は深いもので1・5メートルで、形状からほとんどを続縄文時代のものと推定した。かつては海だった場所に砂丘ができ、そこに竪穴住居の集落が形成されたとみている。
 また島内では他に、17~18世紀のものとみられるアイヌ民族のとりで「チャシ」も数カ所見つかった。周辺にはアイヌの集落「アイヌコタン」があったと考えられるという。」
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 2019年4月号 WiLL「アイヌ新法──どんだけ危険か 藤井厳喜/砂澤陣
 『アイヌといえば熊』の誤解
 藤井 『アイヌ政策』なるものが、2018年末から急速に拡大し始めているようですね。一般にはほとんど知られていないと思いますが。
 砂澤 そうなんですよ。『アイヌ政策総合担当大臣』というポストが突如誕生し、国交相石井啓一氏(公明党)が就任。さらに、アイヌ新法が3月の通常国会で成立する可能性が高く、非常に危険です。
 藤井 アイヌ新法は官房長官主導で進められていますが、アイヌ民族を『先住民族』と明記するとか──。でも、砂澤さんは『アイヌ民族』という存在に対して、かねて疑義を呈してこられましたね。
 砂澤 私自身、いわゆるアイヌの血を引いていますが、おかしいと思うことがたくさんある。自著『北海道が危ない!』(育鵬社)でも、いろいろ取り上げました。たとえば、『アイヌといえば熊』というイメージが強いですが、有名な木彫りの熊がアイヌ民族の伝統工芸品というのは、まっかなウソです。
 実は、徳川義親(1886年~1976年/尾張徳川家第19代当主)が1921年~22年に、スイス・ベルンを旅行した際、民芸品の木彫りの熊を購入。北海道八雲町に入植した旧尾張藩士の連中が『徳川農場』を始めていたのですが、冬季は雪に閉ざされ何もできない。そこで、義親が『木彫りの熊をつくって、売ったらいい』と提案したのがきっかけになったのです。
 藤井 元来のアイヌの伝統工芸ではまったくないわけですね。
 砂澤 そうなんですよ。アイヌ民族の伝統的信仰を表す言葉、『カムイ』(アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のこと)も和語が由来です。
 藤井 『神』という言葉からですよね。
 砂澤 アイヌも沖縄も歴史をたどれば同じ日本人です。ところが、これまで別の〝民族〟としてとらえられてきました。アイヌには『文化保護』の名目で生活支援政策がたくさんあります。日本国民として福祉を受けられるにもかかわらず、それとは別枠の予算として聖域的に存在している。
 しかも、その予算を利用して『アイヌは侵略され、迫害されてきた』という一方的、かつ歪(ゆが)んだプロパガンダを国内外で頻繁(ひんぱん)に普及定着させているのです。日本人はアイヌに対して神秘的なイメージを持っていますが、そのイメージをうまく利用しながら、『和人はアイヌ人を虐(しいた)げてきたし、今も虐げている』と喧伝しています。
 藤井 大人気の漫画『ゴールデンカムイ』(野田サトル集英社)も、アイヌの歪んだイメージを伝えるためにひと役買っています。
 砂澤 はい。『ゴールデンカムイ』は娯楽本としては面白く、よく書き込まれているとは思いますが、監修や資料提供で、アイヌ利権の中軸である北海道アイヌ協会(以下、アイヌ協会)やアイム利権関係者が多数かかわっています。『ゴールデンカムイ』のヒットに便乗し副読本のようなものも多数出版されており、プロパガンダ的漫画になってしまっています。
 自国の歴史をしっかり振り返り、『アイヌとはなんだろう?』と考えれば、自ずと 『日本人とはなんだろう?』という問いに行きつくと思います。その時にアイヌの生活支援政策は本当に必要なのか、そのことを根本的に見直すきっかけになるはずです。
 アイヌという幻想
 藤井 砂澤説で、もっとも根源的な部分は、実は単一の『アイヌ民族』は存在しないということでしょう。定義がそもそもないから、アイム協会が際限なく拡大解釈している。
 砂澤 『広辞苑』で『民族』を引くと『文化や出自を共有することからくる親近感を核にして歴史的に形成された、共通の帰属意識をもつ人々の集団。特に言語を共有することが重視され、宗教や生業形態が民族的な伝統となることも多い』と定義されています。果たして、アイヌがこの定義に当てはまるのか疑問です。
 藤井 単一の『アイヌ民族』が東北から北海道にかけて存在し、単一の文化があったのか。たとえば、王のよな存在がいたり、共通の言語や宗教的祭祀が行われていれば、これは実体のある一つの民族だと認めることができます。でも、アイヌにおいては、単一の実体がありません。
 砂澤 北海道内では大きく分けて7つほどの部族が存在しており。言葉や風習も各々違っていたのです。東北以北、北海道、千島・樺太という広大な地域に、文字を持たない人々が点在していました。しかも、現代のような通信手段がない中で、統一した言語と社会習慣を持てたかと言えば、まず不可能でしょう。季節ごとに流動的に移動することも考えると、なおさら『民族』と定義できる基礎がなにもないことがわかります。
 藤井 『アイヌ民族』そのものが幻想である──砂澤さんの指摘は、歴史を踏まえると、まったくその通りです。
 砂澤 そういう意味で、アイヌは『民族』ではなく『部族』(一定の地域に住み、共通の言語・宗教などを持つ共同体で、民族の構成単位をなしているもの)と定義されることが一番穏当ではないでしょうか。また『アイヌ』は自称ではありません。関東以北の少数部族を十把一絡(じゅっぱひとから)げ『アイヌ』と呼称したのです。
 藤井 現在のいわゆるアイヌの人口は約1万数千人といわれていますね。
 砂澤 和人側は利便性で『アイヌ』と呼んでいただけです。旧土人保護法(日本政府が、いわゆるアイヌを含む北海道の土着民保護を名目に制定した法律/1899年制定)によって土地がもらえたために、初めて仲間意識を持つことができました。
 この時点でも国の調査が行われましたが、混交によってアイヌと和人の区別がつかないという報告が残されています。
 藤井 いわゆる『アイヌ』と言われる人たちは、明治に入ると『自分たちも文明開化の波に乗りたい』と考え、その意向を政府が酌み、旧土人保護法ができたと聞いています。『土人』という言葉は誤解を招きそうですが、アイヌだけを指していません。北海道の土着の人たち、つまり『土着民』のことを意味します。その人たちが開拓しやすいように土地を開放したり、船舶や猟銃、農具を供与するための法律でした。
 砂澤 旧土人保護法が制定される前は、千島列島の少数部族は、北海道のアイヌとは別の系譜だったのです。
 確実に存在していた少数部族の文化も『アイヌ』であると、ひと括(くく)りにするのは文化的侵略に等しい。つまり、アイヌが和人に『アイヌ文化を侵略された』と主張していることと同様のことを、アイヌ側もしているのです。
 藤井 刺繍(ししゅう)一つにしても針がないから、和人との交易で購入していたというんでしょう。
 アイヌ縄文人は同じ?
 砂澤 物々交換に依存していたことをみると、『アイヌ文化』というよりも、半和風文化であり、なおかつ、日本の中で特色のある文化だったととらえることが健全ではないでしょうか。『入れ墨の文化も奪われた』と言っていますが、幼児に対して入れることが好ましくないと思われたから、明治政府が禁止したためです。
 風呂に入らないので、入れ墨の傷で破傷風や皮膚病を発症することも多かった。それと風習のせいか、もともと女性軽視がひどかったのです。女性は家畜同様に売り買いされていました。
 『自然を愛し、平和とともに暮らしてきた』というイメージは、『ユーカラ』(アイヌに伝わる叙事詩の総称)を読んでも、まったくそんな要素はありません。時代の流れとともに、それがいいと思う文物であれば、積極的に取り入れてきました。和人との混交の中で誕生した文化・風習があることを見逃すべきではありません。
 藤井 今年のセンター試験『日本史・B』では、故・萱野茂氏(日本のアイヌ文化研究者/元民主党国会議員)が登場し、『地名は、アイヌ先住民族であるあかしを大地に刻んでいる』と述べていると紹介されました。
 砂澤 萱野氏はさまざまな意味でアイヌ利権の典型と言える人物です。彼が書いた『アイヌ語辞典』も『辞典』と呼べるものかどうか。
 全土に地名をつけるほど、アイヌが勢力を持っていたわけではありません。それに日本人が北海道を侵略したと言うなら、もともと住んでいた人たちの地名を奪ったと思います。『北海道』の名づけ親と言われる、松浦武四郎(探検家/1818年~88年)は、殿様に『願わくばアイヌ語を取り入れた地名をつけてほしい』と進言しています。
 『アイヌ語の地名だ』と騒いでいるクセに、『意味がわからない』『どうして、こんな名前がついているんだ?』と言うアイヌの人たちがたくさんいます。それを無理やりパッチワークのように貼り合わせているのが、今のアイヌ語であり、アイヌ文化なのです。
 藤井 怖いのは、縄文人アイヌを結びつけて、『アイヌ縄文人』であると位置づけようとしている点ですね。
 砂澤 行政側も『日本人のルーツの前にアイヌがいたんだぞ』と、変な刷り込みをしようと躍起になっています。今、万物に宿る神と祖先に感謝をささげるアイヌ民族の儀式『カムイノミ』が、『縄文の聖地』の一つとされる岩手県一関市の祭畤(まつるべ)地区で執り行われたりしています。
 アイヌ側から『儀式をやらせてください』と言われやら、行政はまず断ることができません。断れば『何でやらせないんだ』と言ってくるに決まっています。そうなると、どんどん儀式をする場所が増えていき、『縄文=アイヌ』という図式が確立されていく。『アイヌ民族』の存在が、確かなものになってしまいます。
 シャクシャインの史実
 藤井 誤った歴史観に立ったフェイクな歴史が完成する──シャクシャイン(1606年~69年)の嘘もあるんでしょう。
 砂澤 シャクシャイン松前藩の侵略に対して抵抗を示した。アイヌの英雄として語られています。しかし、実際のところは、シャクシャインは自分の縄張り争いや権力争いで他の部族と戦っていたのです。あまりに長い間抗争を繰り返したので、見かねた松前藩が仲裁に入っているほどですよ。それで休戦になったのですが、シャクシャインはその約束を破り、敵側を攻めた。
 藤井 砂金の利権争いが発端だったと言いますが。
 砂澤 はい。それで襲われた側の部族が、松前藩に助けを求めに行きますが、助けを求めに行った者たちが途中病死したと言われており、それをシャクシャインが『あいつらは松前藩に毒を盛られたんだ、お前らも俺に加担しないと松前に殺されるぞ』と唆(そそのか)し、乱を起こしたのです。
 藤井 いわゆる『シャクシャインの戦い』(1669年)ですね。
 砂澤 松前藩自体は乏(とぼ)しい武力しかなく、圧倒的にシャクシャインの方が武力も勢力も大きかったのです。
 藤井 先ほどの松前藩に毒を盛られて死んだという話は・・・。
 砂澤 『騙し討ちで殺された』と言っていますけれど、下剋上や裏切り行為が横行していた時代ですし、時代背景を考えると今日の価値観で見るのは無理ではありませんか。
 シャクシャインが和人に勇敢に対抗したというヒーロー像について語る前に、シャクシャインは非武装の民間人を300人近く虐殺している、という史実も含めて見なければ不公平でしょう。彼は『アイヌ民族』の象徴のためつくられ、デフォルメされた人物であり、アイヌのために立ち上がったヒーローではまったくありません。
 藤井 ウィリアム・テルみたいに物語化していますね。シャクシャインの娘は和人と結婚しているでしょう。
 砂澤 アイヌの人たちは率先して和人と結婚しています。女性は、物々交換で外に出される可能性が高かったため、和人と結婚すれば、定住生活を送ることができました。
 藤井 DNAを調べても、アイヌの人たちはモンゴロイド系であり、文化的にも日本民族の一部であることはハッキリしているのではないでしょうか。
 砂澤 一時期、松前藩は、アイヌが和人と混交することを禁じていました。しかし、混交はどんどん進行していきました。そうやって受け入れてきた事実を忘れて『奪われた、奪われた』と叫んでいます。しかし、時代の流れの中で淘汰(とうた)された、もしくは近代化を率先して受け入れたというのが真実でしょう。
 文化保護の名目で税金を使い、アイム関連の人たちが頻繁に海外に行っています。世界で迫害された少数民族とともに、『私たちも同じです』と、ものすごい勢いで自前の歴史を流布しています。
 藤井 米国やカナダのいわゆるインディアン(原住民)のところに行ってアピールしているそうですね。
 砂澤 そうやって印象操作してしまうのです。私が『北海道が危ない!』を上梓したとき驚いたことがありました。海外在住の日本人から、『アイヌの活動には危惧していた。この本を読んで、あの人たちが言っていることは間違っていることがわかった』と連絡をくれたほどですから。
 優遇措置のおかしさ
 藤井 旧土人保護法は、むしろアイヌ優遇政策だったと言えませんか。
 砂澤 その通り、過保護な法律だったと思います。戊辰戦争で官軍に加担したのに、冷遇され北海道に左遷された人たちや、災害でしかたなく北海道に入植せざるを得なかった苦労人からすると、途轍もない待遇だったと思います。それでアイヌ人の人たちに対して、ねじれた差別意識を持ったのかもしれません。
 そして現代でも、たとえば、大学に行くために、一律で月7~8万円が給付されます。大学卒業後も年収が300万円以下であれば返済しなくていい。
 藤井 20代前半であれば、年収300万円以下がいいところではありませんか。
 砂澤 以前は年収585万円以下が対象でした。
 藤井 20代前半でそれだけ稼いでいる人間がどれだけいるんですか!
 砂澤 たとえば、放送大学に入学したと手続きし、あとは指摘されるまで10年以上、黙って給付金をもらう。しかも、そのお金を何に使っているか推察すれば、パチンコや借金返済、アイヌ活動資金など。
 藤井 誰もがそうとは言えないまでも、免許や車検、家の購入など、すべての面において優遇措置があるそうですね。
 砂澤 そうです。そして、当然のごとく不正も横行しています。1982年度から2007年度までの利用者986人のうち、卒業後にきちんと返済したのは、わずか一人だけです。こんな制度なのだから、ほかの多数の人たちが『まずいだろう』と自浄力を働かせるべきです。ところが、どうも機能していま。せん
 本でアイヌの優遇措置のおかしさを訴えたところ、アイヌ系の人たちから『余計なことを言うな』と圧力をかけられました。
 でも、何百年前の生活様式を持ち出して、いつまでも優遇政策を要求するのはおかしいですよ。
 藤井 国連の『先住民族の権利に関する国際連合宣言』(2007年採択)は特に法的拘束力はありません。確かに世界を見渡すと、オーストラリアのアボリジニーや、米国のネイティブアメリカンは歴史的に大きな迫害を受けてきた。翻(ひるがえ)って言えば、『先住民族の権利』とは、ここ500年にわたる欧州系白人の植民地支配の被害者の権利を意味しています。
 じゃあ、日本の先住民は誰か。ほかならぬ、我々『日本人』でしょう。その一部が『アイヌ』です。『先住民族決議』を採択するなら、『俺たちが先住民』と日本人は主張すればいいのです。
 それをまるで『にほんじんは白人のような悪行を重ねた』と解釈されている。大誤解ではありませんか。我々の祖先は欧米の植民地にならないよう、一所懸命、国づくりに励んで近代化したのですから。
 誰でもアイヌ
 砂澤 国連も日本のアイヌ史を把握しているわけではありません。国連の一方的な決議を、日本に持ち帰って地元の政治家に押しつける。政治家が自国の歴史をしっかり認識していないから、まともな対応ができていません。
 藤井 日本人も国連幻想が根強くあるから、国連から指摘を受けると、いたずらに動揺してしまう。でも、国連人権理事会にしても何しても調査能力はほとんどありません。言った者勝ちの世界です。欠席裁判です。
 私に言わせれば、『国連が言っているからインチキの可能性が高い』と。国内で問題化できなかった人たちが、海外に行って騒ぐ──これは慰安婦問題と同じ構造です。海外の権威を借りて、日本を攻撃する。日本政府は抗弁しないで『ごもっとも』と言ってきたたために、何十年も慰安婦問題や南京問題で脅かされるハメになっているのです。
 砂澤 北海道白老(しろおい)町では、今、国立アイヌ民族博物館が2020年開設に向けて、着々と準備中です。そこと韓国の戦争記念館やチャイナの南京虐殺記念館が連動していく可能性があります。
 藤井 恐ろしいことです。日本の間接侵略の拠点になるかもしれない。その先に待っているのは何か──日本政府が介在できないような治外法権空間が北海道の中にできる。
 砂澤 アイヌ新法が成立して制度が拡大すればするほど、一国の中に二つの制度があるのと同じことになります。
 藤井 そもそも『アイヌ民族』の定義なんて存在しませんから、アイヌと言われる人たちと結婚した外国人、そして生まれた子供もアイヌと認定されます。
 在日中国人や在日韓国人でもアイヌ認定されるかもしれない。
 砂澤 ネズミ講方式で増えていきますよ。沖縄の左翼もアイヌと共闘態勢を何十年も取っています。沖縄が独立や土地の返還、言語を復活させろとか騒いでいますけれど、その運動にプラスアルファした要求を必ず国にしてくるはずです。
 アイヌの前例があるから『沖縄は別』と政府が対応できるかといったら、できるはずがありません。さらに中央には土木利権に絡んでいる人たちがたくさんいるので、加速度的にこの件は悪化するでしょう。
 藤井 アイヌ利権という格好の利権があり、さらに、その権利の旨みを狙う別の団体も入り込んできているわけです。
 チャイナや北朝鮮も虎視眈々と侵略を狙っています。
 砂澤 アイヌ協会の人たちの一部が、東京や沖縄で行われている『主体(チュチェ)思想勉強会』に参加しています(チュチェ思想国際研究所のサイトなどより)。
 藤井 アイヌ北朝鮮主体思想に、一体何の関係があるんですか。
 カジノ構想
 砂澤、また、北海道の15の市町村が中国の各都市と友好・姉妹都市提携をしています。工作員を入れているようなものでしょう。
 藤井 手控える都市のほうが増えているのに。しかもチャイナは北海道の土地をどんどん買い占めているわけですから。
 砂澤 『北海道新聞』は日中記者協定をいまだに忠実に守っているのか、中国を批判する記事が、ほとんど言っていいほど出てこないですよ。
 藤井 今、北海道は、カジノを誘致しようとしていますね。
 砂澤 町おこしの一環でしょう。苫小牧(とまこまい)市、釧路市、後志(しりべし)管内留寿都(るすつ)村の三ヵ所が候補に挙がっています。苫小牧だと、白老(しらおい)の国立アイヌ民族博物館が近くにありますから、さまざまな利権が絡みそうです。
 7~8年前、アイヌが海外交流で、ネイティブアメリカン(〝インディアン〟)と接触したときに、カジノ構想を持ち掛けられ、それ以来の関係です。
 藤井 〝インディアン〟の居留地はひどいところです。彼らが住んでいた豊かな土地は、白人がすべて奪い取り、不毛の土地を彼らにあてがった。狩猟採集生活が中心ですけれど、それもままならないほどだった。
 そこでカジノをつくり、その売り上げを彼らに分配しようということになったのです。その方法論でもって、北海道のカジノにもネイティブアメリカン系の会社がすでに入り込んでいるそうです。彼らとアイヌは同じ境遇にあると考えているのです。カジノを運営するとなれば、ノウハウがないから海外資本が入らざるを得ない。
 砂澤 アイヌ新法で正当な主張だと言われたら、つくらざるを得なくなります。
 藤井 私は『アングラマネー』(幻冬舎)という本を書いていますが、カジノは不正なお金が集まるところで、マネーロンダリングするためにあるようなものです。そのメリットがなければ流行りません。
 マカオのカジノが流行ったのは、賄賂で私腹を肥やした連中が来るからです。たとえば、私がチャイナの悪い商人だとしましょう。福建省の省長を抱き込むため、カジノを利用するのです。ポーカーで勝負し、わざと負け、省長を勝たせる。胴元を経由して、省長のポケットにお金が入ります。そうやって賄賂を合法化しているのです。
 日本でもカジノを開いたら、必ず悪い人間が寄ってくる。売春や違法薬物も横行するでしょう。そもそもラスベガスはマフィアが仕切っています。
 河野談話に似て危険
 砂澤 とにかくにも、この流れが続けば、2020年の東京五輪開会式の演出の目玉としてアイヌを先頭にして登場させるのではないか。
 藤井 世界に向けてイメージ操作をしようとしています。天皇陛下に謝罪させ、問題を永久化させる目論見もあるのではないか。慰安婦問題に似ていますが、どれほど謝罪をしても受け入れてくれません。未来永劫、日本人は奴隷のように仕えなければならない。一人1億円の補償金を要求する動きもあるようです。
 砂澤 総理が任命し、陛下が認証しているわけですから、この時点で陛下が巻き込まれています。
 藤井 『アイヌ新法』は、今国会で通してはいけない。そのうち、問題がいろいろ噴出してくるでしょうから、再審議、取りやめとなればいいのですが。
 日本人は、一度、談話や法律が制定されると、金科玉条のごとく縛られてしまう。日本人のクソ真面目な欠点が出てしまうのです。
 砂澤 権威は無謬(むびゅう)であると思い込んでいるのでしょう。
 藤井 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世も、過去2,000年間にカトリック教会が犯した罪を認めています。ましてや、政治家が間違えるのは当たり前です。河野談話にしても、未来永劫拘束される必要はありません。日韓慰安婦合意にしても、その内容に未来永劫拘束されるのかと言えば、決してそんなことはありません。韓国側は、すでに拘束されていないじゃないですか。
 河野洋平さんは当時、事実を知らなくて、あの談話を発表した。今の我が政府の見解はこちらです──と、主張すればいい。憲法も同じです。
 砂澤 昭和20年代から40年代くらいまで、アイヌ協会は事実上休眠状態でした。旧土人保護法もほとんど活用されていません。
 そこで、政府側が『アイヌへの補償はもう十分ではないか』と言い出したら、いきなりアイヌ協会は『いや、そんなことはない』と言い出したのです。じゃ、休眠していた時間は何だったのでしょうか。
 藤井 利権がなくなるとわかったら、突然目覚めたわけですね。
 砂澤 帯広にもアイヌの団体がありましたが、『我々の役目は終わった。みな、自立した生活も送れるようになった。土人保護法の恩恵を受ける必要もない』と解散しています。独立心を持った人たちがたくさんいたのです。
 保護法に絡んで活動している人たちは、自立を拒んでいると言ってもいい。それに『アイヌ』と銘打って活動している人たちは『反日』感情を持った集団になっているのです。利権の恩恵を受けたいがためです。
 藤井 差別を拡大再生産して、利権の貪(むさぼ)っているのではないでしょうか。現在、アイヌ協会は何人いますか。
 砂澤 北海道だけで約1,200人弱です。個人会員と世帯会員を合わせて、そのくらいと推定できます。
 とにかく、アイヌ利権のカサブタをいくら外しても、すぐそこに絆創膏(ばんそうこう)を貼られてしまう。アイヌ利権の中心にいる人間が、国の政策室に行き、『まだ政策が足りない』と訴えています。『日本人って何?』と考えれば、『アイヌ民族はいない』という結論に簡単にたどり着けます。
 でも、誤った考えからなかなか抜け出せそうとしない人が多くいる。『差別されたアイヌは可哀そうだ』という視点に立つほうが心地よいのでしょう。
 藤井 戦後のリベラル教育による悪しき影響でしょう。『差別されていたと自己主張する人たちは無条件に保護しなければいけない』という考え方です。本当に差別があったのかどうかを検証しない。
 要するに偽善ですよ。自分がいい格好したいだけ。私はこんな人類愛にあふれた優しい人で、それを認めないのは悪い人だと、そういうポーズを取りたいのです。
 砂澤 朝日新聞の『声』欄と一緒ですね。政治家の多くは『アイヌ新法』は観光政策や地域振興政策の一環と安易に考えているようですが、そうではありません。国民の中に差別をつくり上げ、国民を分断する恐ろしい法案です。
 『アイヌ新法』推進の人々の中には、天皇陛下の謝罪を要求する者もいます。決して通してはならない法案です。」
   ・   ・   ・   
 3月27日 産経新聞 iRONNA「 朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない
 山岡鉄秀(AJCN代表)
 2018年、私はケント・ギルバートさんとともに朝日新聞を追及し、その結果を『朝日新聞との対決全記録』という一冊の本にまとめた。
 われわれが当初追及したのは、朝日新聞が英語版でひそかに続ける「慰安婦強制連行プロパガンダ」だった。2014年8月、朝日は吉田清治証言に基づく「虚報」を撤回して謝罪した。ところが、iRONNAでも指摘したように、英語版では「強制連行と性奴隷化」を想起させる表現を使い続けていたからだ。(Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II. 第二次世界大戦前と最中、日本兵に性行為を強要された慰安婦
 朝日新聞はわれわれの問いかけに対し、「慰安婦とされた女性の訴えは人によって、あるいは時期や場所、戦況によって大きなばらつきがあり、個々の状況全体を総合して具体的に説明するのは困難です」と回答した。「慰安婦の多様性」を認めながらも、前述の画一的な表現を改めることは拒否したのである。
 その後、同様の表現を使用していた英字紙ジャパン・タイムズが編集方針を改め、そのような表現を今後は使用しないと宣言した。しかし、朝日新聞はわれわれとの交信で自己矛盾を露呈しながらも、方針変更についてはかたくなに拒否した。

 そんな朝日新聞は、まるでウルトラセブンに追い詰められ、隠密行動を放棄した宇宙人が巨大化して街を破壊するような行為に打って出てきた。いよいよその暴力性を隠す気も無くしたようだ。最新の例を二つ挙げよう。
 韓国が慰安婦に関する日韓合意を事実上破棄したことを受けて、朝日新聞は「慰安婦財団、残したものは」という記事を掲載した。これは日韓合意を受けて韓国側が設立した「和解・癒やし財団」の活動を振り返る記事だが、慰安婦に関する説明が添えられている。そこには次のような記述がある。

 戦時中、日本軍の関与の下でつくられた慰安所で、朝鮮半島出身の女性が将兵の性の相手を強いられた。
(筆者注:強いられた=forced to provide sex)
慰安婦財団、残したものは」2019.01.28 朝日新聞東京本社版朝刊 6ページ

 われわれの追及の過程で、朝日新聞が虚報を撤回したことを認めた記事を、利用者が特定のウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」などを使用して検索できないようにしていたことが発覚した。朝日新聞慰安婦問題に関してはもはや逃げ隠れせず、日本語の世界でも「強制性」を事実として流布することを決めたようである。どんなことをしてでも、日本と日本人を貶(おとし)めたい朝日新聞の執念が感じ取れる。
 しかし、日本語版では無難な記事を書きながら、英語版で徹底的に日本を貶めるという、朝日新聞の作戦は終了していない。先般閣議決定された、いわゆる「アイヌ新法案」をめぐる記事の日本語版と英語版の齟齬(そご)には驚きを禁じ得なかった。
ここで、2019年2月18日に朝日新聞デジタルで配信された日本語記事を紹介する。
 先住民族の明記評価 自治体「格差」懸念も
 アイヌ新法案 閣議決定
 国のアイヌ政策の基本となるアイヌ新法案が15日、閣議決定された。アイヌ民族を「先住民族」と明記し、差別禁止やアイヌ文化にかかわる特例措置などを盛り込んだ。法案を評価する声が聞かれる一方、自治体により「格差」が生じると心配する声もある。政府は今国会の成立を目指す。
 次に英語版を見てみよう。英語表記と和訳を併記する。こちらは一足早く2月6日に配信されている。

 Bill finally recognizes Ainu as indigenous people of Japan
 (法案はついにアイヌを日本の先住民だと認める)
 After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally to be recognized as indigenous under legislation to be submitted to the ordinary Diet session. 
 (アイヌの文化をほぼ壊滅させた1世紀以上にも及ぶ強制的な同化政策と差別の果てに、ついにアイヌ民族を法的に先住民族と認める法案が通常国会に提出される)

 このすさまじい違いは何を意味するか。
 この表現では、日本政府が今回の「アイヌ新法」でアイヌを先住民と正式に認めることが、「アイヌ侵略史観」まで公式に認めたと受け取られかねない。「そんなつもりはない」と日本政府が言っても、明確に説明(立論)しなければ、自動的にそうなる。これに朝日新聞が食らいつかないはずがない。それが前述の英語記事につながるわけだ。
 日本政府は、アイヌを正式に先住民と認め、さらに手厚く支援することで国際社会の心証が良くなることを期待しているのだろうか。ひょっとしたら、人気漫画『ゴールデンカムイ』のイメージを利用して観光資源になることまで考えているのかもしれない。
 2018年12月末、いつの間にか「アイヌ担当大臣」という新たなポストが設置され、公明党石井啓一国土交通相が指名されたことを知らない人も多いだろう。そして2020年4月には北海道白老町の8600平方メートルの敷地に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園がオープンする予定だ。このように、東京五輪に合わせて海外向けの情報発信が急ピッチで進んでいることもあまり知られていない。
 このすさまじい違いは何を意味するか。
 この表現では、日本政府が今回の「アイヌ新法」でアイヌを先住民と正式に認めることが、「アイヌ侵略史観」まで公式に認めたと受け取られかねない。「そんなつもりはない」と日本政府が言っても、明確に説明(立論)しなければ、自動的にそうなる。これに朝日新聞が食らいつかないはずがない。それが前述の英語記事につながるわけだ。
 日本政府は、アイヌを正式に先住民と認め、さらに手厚く支援することで国際社会の心証が良くなることを期待しているのだろうか。ひょっとしたら、人気漫画『ゴールデンカムイ』のイメージを利用して観光資源になることまで考えているのかもしれない。
 2018年12月末、いつの間にか「アイヌ担当大臣」という新たなポストが設置され、公明党石井啓一国土交通相が指名されたことを知らない人も多いだろう。そして2020年4月には北海道白老町の8600平方メートルの敷地に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園がオープンする予定だ。このように、東京五輪に合わせて海外向けの情報発信が急ピッチで進んでいることもあまり知られていない。」
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 倭人日本民族)・琉球人・アイヌ人は、南方系海洋民及び揚子江流域民の縄文人を同じ祖先とする同種同根である。
 黄河流域の大陸民系草原民を祖先とする中国人(漢族)・朝鮮人は、倭人日本民族)・琉球人・アイヌ人とは祖先を同じくしない異種異根である。
 倭人とは、奈良中央政権であるヤマト王権の住人である。
 琉球人やアイヌ人は、南九州の隼人・熊襲、北関東の上毛人、北陸の越人などと同様に地方の一部族にすぎない。
   ・   ・   ・   
 弱者や少数派の権利を掲げて、アイヌ利権に群がり、国民が貧困化し財政赤字に苦しむ日本国から国費を不正に奪って儲ける人々を人権派市民と呼ぶ。
 国連人権委員会などの国際機関は、人権派市民の言い分を正当として、日本政府に弱者・少数派の権利を守る事を勧告している。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、日本列島の外で誕生し、海を越えて日本列島に上陸して侵略し、先住民族を虐殺して占領し、先住民族を支配し奴隷化した、好戦的で血に飢えた残忍無比の狂信的な戦闘民族ではない。
   ・   ・   ・   
 少数派の民族主権による分離独立論。アイヌ人の北海道独立論。琉球人の琉球(沖縄)独立論。
 そして、将来、日本各地で起きるであろう中国人移民による自治権参政権、役人(官僚)登用権などの諸権利が要求され、日本の主権を廃した中国人住人による治外法権地域の創設である。
 アイヌ利権とカジノ利権に群がる人間達。
 日本国内に、日本を解体・崩壊・消滅させようとしている反天皇反日的日本人が蠢いている。
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 江戸時代。徳川幕府は、日本人を堕落から救うべく、売春は許したが博打とアヘン(麻薬)は許さなかった。
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 軍国日本は、ロシア・ソ連共産主義勢力からの侵略から天皇と母国と民族を守る為に、国防の最前線で生活するアイヌ人達への差別を抑え現地で保護し優遇していた。
 何故なら、アイヌ人が日本を憎んで侵略者に味方すれば、日本は一瞬にして滅ぼされ、全ての日本人が征服者の奴隷にされるからである。
 日本民族日本人にとってアイヌ人や琉球人はそういう存在である以上、友人どころか戦友としなければならなかった。
   ・   ・   ・   
 世界には、中世時代から日本を分解消滅させようと目論む反天皇反日派国際勢力が存在する。
 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されているとは、真っ赤な嘘である。
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 日本分割崩壊陰謀論
 日本民族日本人の少子高齢化による人口激減。
 中国資本による土地購入や日本企業買収。
 日本で急増する中国人移民。
 アイヌ人の一部は、中国人移民を通じて中国共産党に接近している。
 北海道の教育現場には、高学歴出身マルクス主義者が人権派教師として入り込んでいる。
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 南方海洋民・揚子江沿岸民の子孫である縄文人は、南は琉球・台湾・揚子江沿岸、北は蝦夷地(北海道)・北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島樺太、西は朝鮮半島南部に広く住み、舟で日本海を主航路にして往来していた。
 日本海は、縄文人のみが利用する内海であった。
 韓国が主張する、大陸草原民・黄河流域民の子孫である朝鮮人の東海など存在しなかった。
   ・   ・   ・   
 北方系森林民は、シベリアからベーリング海に達し、東と南に分かれて移動を続けた。
 南行した一派は、カムチャツカ半島を下り千島列島・北方領土4島・北海道から日本列島に移り住み定住し、先住民である南方海洋民と乱婚して縄文人となった。
 東行した一派は、ベーリング海で二つを渡り、或いはアリューシャン列島を伝って北アメリカ大陸に上陸し、そして中南米大陸に広く定住した。
 北米大陸ネイティブ・アメリカン(インディアン)も中南米大陸のインディオも、血筋的に縄文人と繋がっているが、混血の雑種である縄文人とは違って混じりけナシの純血種である。
 人類の大移動は、この時点で終了した。
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 阪本要一「欧米人と比べて、日本人はエネルギーを少しでもたくさん脂肪として蓄えようとする『倹約遺伝子』を高頻度に持っているとされています。氷河期に、ユーラシア大陸から日本列島へ辿り着いた人々が草木の根を食べて生き抜いてこられた一因とされる遺伝子で、いわば現代人は飢餓に耐え抜いたエリートですが、結果として食の欧米化の影響で内臓脂肪を多く蓄えることとなった。ですから、肥満が招く三大疾患、糖尿病・高血圧・脂質異常症高脂血症)を発症する可能性が高い傾向にあります」
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 アイヌ人とは、古代に関東以北に住み、弥生人との乱婚を避け、中央・ヤマト王権天皇・日本国・日本民族日本人)への従属を拒否した誇り高い蝦夷の一部族である。
 アイヌ人の祖先は、東北や関東まで広く住み、弥生人を受け入れた地域では乱婚で混血化が進み弥生人化して消えた。
 日本の文化・宗教・言語は、乱婚による混血化で西から東へ、そして北へと広がっていった。
 それが、日本天皇による日本統一物語であるが、遠く離れた琉球と稲作不可能地の蝦夷地が統一される事なく放置された。
   ・   ・   ・   
 アイヌ人は、日本民族琉球人と同様に縄文人から分かれた兄弟であり、分かれた原因は大陸から移住してきた渡来人との乱婚による混血による。
 日本民族は乱婚によってよって弥生人に変貌し、最も混血度が濃く、雑種性が強かった。
 弥生人は、海洋民の縄文人から航海術を受け継いで琉球人やアイヌ人との交易を続けていた。
 農耕漁労の弥生人は、稲作可能な琉球に定住し琉球人と乱婚を続けたが、稲作不可能な蝦夷地には定住せずアイヌ人との乱婚は少なかった。
 だが、アイヌ人の中に少なからず和人(日本人)の血が混じり、純血のアイヌ人は存在しない。
   ・   ・   ・   
 弥生人は、新たな渡来人と乱婚し混血を繰り返して倭人となり、中華・インド・中央アジアから文化・宗教など多くのモノを取り入れて日本民族日本人に発展した。
   ・   ・   ・   
 鎌倉時代以前から。和人(日本人)は、蝦夷地・北方領土4島・千島列島を行き来しアイヌ人と交易し、中には定住して生活を共にしていた。
 千島列島や樺太に住むアイヌ人やそれ以外の先住民達は、大陸の沿海州カムチャツカ半島と交易を行っていた。
 アイヌ人は朝鮮人より自由人であった。
 大陸と交易していたアイヌ人も、縄文人の特色を強く残していた。
 アイヌ人は、平和を愛する部族ではなく果敢に戦う戦闘部族でもある。
 樺太アイヌ人は、侵略してきたモンゴル軍を撃退し、沿海州に攻め込んだ。
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 人類はアフリカに誕生し、人口増加と人口減少を繰り返しながら地球上に生活圏を広めて、白色人種・黄色人種・褐色人種・黒色人種に分かれ、数多くの民族を生み出していった。
 人類の膨張が生活圏を狭め始めるや、生き残る為の人種間抗争が勃発し、優秀民族による劣等民族の殲滅が起き始めた。
 それが、文明発展史観による人類史である。
 ローカルがグローバルに進歩し、グローバルがローカルに退歩する。
   ・   ・   ・   
 明治新政府は、ロシアの侵略から日本を守る為には北海道や北方領土4島のアイヌ人を味方に付ける必要があり、旧土人保護法でアイヌ人達を日本人の北海道入植者や屯田兵以上に優遇した。
 日本人のアイヌ差別意識はこうして生まれた。
   ・   ・   ・   
 北海道では、日本民族日本人が多数派で、アイヌ人と中国人移民が少数派である。
 現代の日本は、少数派が優位で、多数派が劣位であり、その為に多数派は不利益になる事を承知で少数派の意見を可能な限り聞かねばならない。
 日本を衰退させる元凶は、行政に蔓延る、責任回避、問題先送り、事勿れ主義などの小役人意識である。 
   ・   ・   ・   
 日本民族琉球人は、文化として文字を持ち、経済として貨幣を使用していた。
 アイヌ人は、文字を持たず、貨幣を使用していなかった。
 文字を持ち、貨幣を使うには、それに価値を与える一つの権威が必要であった。
 その価値を、日本民族は神聖な家系による天皇=帝(みかど)に求め、琉球人は中華帝国・中華皇帝に求めた。
 アイヌには、アイヌに共同体意識を持たせる思いとしての自然崇拝があったが、アイヌを1つにまとめる目に見えた実体を持った存在がなかった。
 世界には、文字を持たなくても高度で優れた文明や文化が存在していた。
   ・   ・   ・   
 倭人とは、中国人や朝鮮人が日本人を侮蔑を込めて読んだ排他的差別用語である。
 縄文人弥生人は、日本人が祖先を呼んだ区別である。
 縄文人縄文文化は、人類学及び地球文明学の専門用語として認められている。
   ・   ・   ・   
 移民者は、新たな少数民族を生み、先住民との間にトラブルを引き起こす。
 歴史的実例が、南北アメリカ大陸と中国に於ける少数民族ジェノサイドである。
   ・   ・   ・   
 現代日本人は、真実の歴史より偶像に近い時代劇・時代小説を好む。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史には、国の神話と民族の物語とホモ・サピエンスの先史学(考古学・人類学)という3つがある。
 現代の日本の歴史では、如何にしてホモ・サピエンスから日本人が生まれたかという科学的足跡が教えら、非科学的な国の建国神話や民族の誕生物語は削除されている。
 つまり、高得点を取って入試に合格する、進級する為だけの暗記用歴史である。
 高学歴出身知的エリートは、受験・試験用歴史には強い。
 科学に弱い低学歴の日本人、昔なら、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、賤民(非人・えた)、部落民(山の民・海の民・川の民)などの下層民は、勤皇派、尊皇派として国の神話や民族の物語を好み科学的なホモ・サピエンスの歴史には興味も関心もなかった。
   ・   ・   ・   
 現代の高学歴出身知的エリートは、日本国語を正確に読む事ができず、外国語の語彙を理解しても日本の歴史用語である「悪人」や「土人」の意味が理解できない。
   ・   ・   ・    
 マルクス主義日本人(共産主義日本人)は、反宗教無神論者であり、反天皇反日的日本人であり、そして高学歴出身知的エリートである。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史は、共産主義者からのマルクス主義史観の階級闘争史、西洋からのキリスト教史観の原罪史、近隣諸国からの日本人極悪非道史観の重犯罪史で毒されている。
 それ故に、中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易、ロシア人共産主義者による日本人(主に女性や子供)逃避者虐殺、中国人暴徒による一般日本人(主に女性や子供)虐殺、キリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇・皇族殺害失敗事件は、教えない。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史は、1980年代までは被害者の歴史であったが、1980年代後半からは加害者の歴史にかわった。
 日本の歴史を改悪したのは、最初はアメリカと日本人共産主義者であり、後は中国共産党・韓国・北朝鮮と反天皇反日的日本人である。
   ・   ・   ・   
 人類の歴史、特に西洋史・中華史(中国史朝鮮史)の真実は改竄・捏造・歪曲で塗り固められ、記述には嘘が多く、現実に起きていた事実が歴史の闇に葬られている。
 事実に基づく人類の歴史とは、殺し合いと奪い合いによる暴力と死に彩られた流血の歴史である。
 それは、移動の自由がある開放的な大陸で多く、逃げ場のない閉鎖的な島では少ない。
 奴隷は、大陸に存在したが、島には存在しない。
   ・   ・   ・

🛶10¦─1─野党統一候補は、地方主権から北海道の独立を宣言した。新しい民族としてのアイヌ人と中国人移民。~No.26No.27No.28 * 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 北海道に、日本民族以外に新たな少数民族であるアイヌ人と中国人移民が誕生する。
 日本は、単一民族国から多数民族国になり、多文化共生社会に変貌していく。
 将来、少数民族は民族主権を主張し、日本からの自主独立・分離自立を求める可能性が高い。
   ・   ・   ・  
 日教組北海道教職員組合は、中国共産党北朝鮮と友好関係にあり、「日本の国益より両国の利益に貢献している」という噂がある。
   ・   ・   ・   
 2019年4月号 WiLL「怖(こわ)ッ!●●●●(引き用者が意図的に個人名を塗りつぶす)が『もう一度悪夢を見せてやろう』 永田二郎
 〝悪夢〟と呼ばわりされた旧民主党政権──国民はナルホドそうだったなァとナットクするばかり・・・
 『悪夢』発言の真意
 『悪夢のような民主党政権を繰り返してはならない』
 ……
 10年前の『悪夢』
 安倍の発言をきっかけに、各メディアは民主党が政権を担ったことで起きた様々な事象を振り返った。すると、平素は野党に甘い大手メディアですら、民主党政権時代の混乱と停滞に触れざるを得なかった。よく引き合いに出されたのが、政権を取る寸前の民主党が国民にばら撒いたビラだった。
 『ガソリン代を25円安くします!』『高速道路を無料にします』『2万6,000円の子ども手当を支給します!』と、バラ色の社会を約束するビラをばら撒いて政権を取った民主党だったが、ビラの政策は結局ただの一つも完全実施されず、『公約詐欺』と揶揄された。
 そして政権を取った後も、鳩山首相が『(普天間基地の移設先は)最低でも沖縄県外』と言いながら、ダッチロールの末に結局辺野古移設を閣議決定海上保安庁の巡視船に体当たりした中国人船長に罰を与えず釈放し、韓国に朝鮮王室儀軌(ぎき)を返還 するなど弱腰外交を続けたが、卑屈な姿勢は却って中韓の増長を招いただけだった。
 司令塔なき経済政策は、1ドル80円を切る円高と長期の株価低迷になす術もなかった。そして東日本大震災での欺瞞と虚飾に満ちた菅政権の対応が決定打となり、有権者民主党政権に無能の烙印を押したからこそ、政権は崩壊したのだ。未熟な民主党によってもたらされた、経済・外交・社会保障・危機管理といったあらゆる分野の惨劇とソドムを忘れろというのは無理な話である。
 言論人が忘れてはならないのが、政治を語る土壌まで腐敗が進んだことだ。『マニフェスト』という言葉は、浮ついた民主党政治家に乱用され弄(もてあそ)ばれた挙句、掲げた政策のほとんどが実現されぬまま打ち捨てられた。マニフェストという言葉には、軽薄な政治家と裏切りのイメージだけがこびりつき、もはや誰も使わない忌み語に成り下がった。現在の新しい民主主義の中で重要な概念を背負うはずだった言葉が、悪夢の民主党政権によって、無残に葬り去られたのである。こうしてみると、有形無形の国家の資産を破壊し続けた民主党政権時代を『悪夢』と表現しても言い過ぎではないだろう。しかし本当の問題は、3年2ヵ月の国家破壊劇が単なる未熟と無能によってもたらされたわくではなく、しかも悪夢の火種が今なお消えていないところにある。
 『北海道』『沖縄』独立宣言
 産経新聞の阿比留瑠伊比(あびるるい)記者は、左翼勢力から『ネトウヨの親玉』のように思われているが、実はニーチェを愛し、政治を深く哲学的に観察する稀有な記者である。民主党政権当時、官邸担当だった阿比留が執筆した本のタイトルは、ズバリ『政権交代の悪夢』(新潮新書)。今回新聞やテレビがなぞった民主党政権の軌跡は、8年前にこの本の中で阿比留があますことなく描き切っていた。さらに彼は、今回安倍の脳裏にあった一番深刻な悪夢の構造についても、しっかり言及していた。
 『(民主党は)国民との約束だったはずの衆院選マニフェストはなし崩しに放棄した。その一方でマニフェストからはあえて外し、国民の目から隠した永住外国人への地方参政権付与や選択的夫婦別姓制度の導入などは、水面下でしつこく狙い続けている』
 阿比留が示唆した大きな闇は、いま我々のすぐそばに迫っている。この正体に迫るキーワードこそ、最近になって飛び出した『二つの独立宣言』だ。
 安倍の悪夢発言の2日前、唐突な独立宣言が飛び出したのは北の大地・北海道だった。
 ●●●●民主党幹事長の政治資金規正法違反事件で逮捕された経験のある、民主党の元衆議院議員石川知裕が、北海道知事選挙への出馬会見の場で、北海道独立宣言をぶち上げた。
 独立宣言について石川は、『北海道はデンマークと同等の規模を持つ』と述べたが、これでは全く説明になっていない。規模だけなら東京圏や関西圏も世界有数の先進国となり得る。なぜ北海道が中央から独立する必要があるのか。沖縄のような基地問題があるわけでもなく、目立った分離活動も起きていなかった北海道で、唐突に『独立』という言葉が使われたことにとまどう道民の声は少なくなかった。
 ところが、近年の道内情勢をつぶさに見ると、今回の『独立宣言』は一気にきな臭さを増す。中国系資本による土地の大量購入や、アイヌ新法を巡る不穏な噂など、内外からの静かな侵略の魔の手が北海道には迫っているのだ。もともと固有の左翼勢力が跋扈する土地柄だけに、舵取りを誤れば一気に不安定化しかねない。しかも石川は不気味な独立宣言を引っさげて、出馬会見早々野党統一候補の座を手にした。この電光石火の早業には、石川の『親分』、●●●●の暗躍が噂されている。
 一方、最新の著書で『沖縄独立論』をぶち上げたのが▲▲(引き用者が意図的に個人名を塗りつぶす)だ。沖縄で長年にわたり、中国共産党の毒牙にかかった売国奴政治家らによる独立論が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。そんな沖縄に、本土では輝きを失いつつある▲▲が、新たな独立論を引っさげて殴り込みをかけたのだ。さらに▲▲は2月4日、驚くべき発言をした。
 『先の大戦後、国連は侵略かどうか判定した。日本は敗戦国ですから敗戦の結果として、侵略だったということはしっかり受け止めなければいけません。多大な苦痛と損害を周辺国に与えたことも事実ですから』
 保守政治家と見做されていた▲▲が唐突に左旋回。その背景にちらつくのも、●●の影だ。
 2月7日、●●は▲▲が司会を務めるインターネット番組に主演し、▲▲に秋波を送った。
 『決断してもらったらいい。やるなら全野党をまとめるリーダーだ』
 ●●はかつて細川護熙鳩山由紀夫を担いで二度の政権交代を成し遂げた。『選挙の顔となる傀儡政治家を野党連合に担がせる』というのが●●の勝ちパターンである。今回は、▲▲こそ担がれるリーダーの最有力候補なのだ。
 ●●は年明け以降、共産党を含む野党各党に『最低でも統一名簿。一つになったら相乗効果で投票率も上がる』とハッパをかけ、虎視眈々と3匹目のドジョウを狙っている。左寄りの野党共闘を束ねる●●が自分に白羽の矢を立ててくれたことへの▲▲なりの返礼が、沖縄独立論と侵略発言だったのだ。
 しかし、中国が領土的野心をあらわにし、日韓関係が最悪の状態にある中、▲▲の言動は内容的にもタイミング的にも、敵国を利する売国行為だ。
 参院選まで半年を切ったタイミングで、唐突に飛び出した二つの独立宣言。この背景に●●がいることを疑う者は、永田町には一人もいないだろう。
 もちろん、こうした●●の手口はもう手垢がつき過ぎていて、大きなうねりを起こすとみる関係者は少ない。ただ、野党を糾合するモメンタムとして、●●が『独立宣言』というコンセプトを選択したことは注目に値する。そして、そのルーツを慎重に追いかけていくと、民主党政権の唱えた『地方主権』という危険な概念にたどり着く。
 『地方主権』という革命論
 2009年11月、発足間もない鳩山内閣は『地域主権戦略会議』の設置を閣議決定した。政権奪取後わずか2ヵ月という早業であり、周到に用意し最優先で取り組んだことがわかる。民主党政権にとっての最重要政策だったんである。
 もちろん自民党政権下でも、疲弊する地方へのカンフル剤として中央からの財源移譲や道州制など様々な構造改革が立案され、これらの政策の理念は『地方分権』と呼ばれた。これに対し民主党は『地方主権』と名付けた。一見よく似た言葉だが、その概念は全く異なる。そして、そこにこそ悪夢の本質が潜んでいる。
 地方主権という言葉に恐るべき野望を注入したのが、法政大学名誉教授を務めた松下圭一(1929~2015)だ。
 革新美濃部都政で、『地方自治体が生活に必要な環境を提供する』という『シビル・ミニマム政策』を企画・立案した松下圭一は、その後『大衆国家論』を唱えるなど、リベラル系政治学者の中でも異端とされた人物だ。異端と呼ばれたのは、松下の理論が、冷戦終結後多くの左翼系政治学者が諦めた、弁証法的革命論への異常な執着に彩られていたからだ。
 冷戦が終わると、共産主義陣営は次々と崩壊し資本主義陣営に取り込まれていった。この過程で、プロレタリア革命の主役であるはずだった『労働者』が資本主義国家の『国民』として取り込まれていくことが、松下はどうしても許せなかったのだ。そこで『労働者は国家に取り込まれたのではなく、「大衆」として国家の中に分け入って、内部から崩壊せしめる』という、パラダイムシフトを提唱したのだ。
 まるで木造家屋を食い荒らすシロアリのような国家破壊理論を提唱した松下を師と仰いだのが、仙谷由人枝野幸男菅直人松井孝治である。民主党政権の屋台骨を支えた面々だった。
 仙谷由人は、松下の著書を枕元に置いて年中読んでいると述べた。菅直人は、所信表明演説で、自らの政治の原点は松下の著書『市民自治の思想』だと言い切った。これら民主党政権幹部に共通するのが、革命を阻んだ『国家なるもの』、例えば天皇制、日の丸・君が代自衛隊を徹底的に憎む姿勢である。この意味で、仙谷が自衛隊を『暴力装置』と呼んだのは、極めて象徴的である。
 そして逆に、日本を弱くし、薄め分裂させるものを志向する。外国人参政権夫婦別姓ジェンダーフリー。8年前に阿比留が看破した、民主党のこうしたリベラル政策への執着は、日本人と外国人の境を曖昧にし、社会の基本単位である家族の形を曖昧し、男女の区別を曖昧にする、いわば『国壊活動』だったからこそなのだ。中でも究極の国家破壊方法が『地方主権』だった。国家に帰属する主権を、順次地方に移譲し、最終的に中央の権限をゼロにすることを意味する。すなわち行き着く先は『地方の独立』であり、その時に日本という国家は完全に消滅する。
 当時政権中枢の頭脳とまで言われたある議員は、ごく限られた内輪の席で、私に対して驚くべきことを述べた。
 『最終的には、衆議院300選挙区に全ての権限を譲渡したい。外交も徴税も防衛も、全てを移すんだ。そして日本列島は300の小国が独立して存在する』
 この異様なプランがひとつずつ実行に移されるにつれ、国旗・国歌、自衛隊天皇制といった、彼らが忌み嫌う日本の象徴や国の守護神が、次々と矮小化され価値を失っていく。そして、魂を抜かれた日本という国は、早晩失血死するしか道はなくなるのだ。
 民主党政権は、華々しいマニフェストと軽薄なパフォーマンスに彩られ、政権運営の軸のようなものが見えにくかったが、実はそうした烏合の衆の陰に隠れるようにして、国家破壊主義者が民主党の基幹政策を作り上げていたのだ。
 政権運営が稚拙だっただけでなく、はっきりとした目的意識を持った真のゲリラ集団が総理官邸に陣取っていたからこそ、3年3ヵ月という短期間でこの国の有形無形の資産を非常に効率的に破壊することができたともいえる。
 世界プロレタリア革命で実行されるはずだった国家破壊を、『地方主権』という代替手段で完遂させようとした集団こそが、『悪夢の民主党政権』の正体である。そして当時の『地方主権』という悪魔が、今や『独立宣言』と名前を変え、ゾンビのように甦ってきたのだ。
 理念なき解体業者
 ……
 『もう一度悪夢を見せてやろう』
 ……この発言からもわかるように、自らが真の日本人ではなく、日本国の敵であると図らずも自白しているところにある。東大に落ち、司法試験にも受からなかった劣等感を暗い闘志に転換している矮小な人間だ。
 その証拠に、●●は政権交代を唱える一方で、政権奪取後の国家運営については何のビジョンもしめしていない。そもそも共産党と国民民主党が同衾(どうきん)するのだから、天皇制や原発など根本政策で折り合えるはずもない。そんな合従連衡は、国民に害悪だけを垂れ流す野合であることは、歴史が何度も証明している。
 所詮、●●●●は薄汚い国家解体業者に過ぎない。そして解体工事の発注者、すなわち『日本という国を破壊する』という赤いミッションのプロデューサーは、実は別の場所にいるのである」

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 国連は、日本に対して、アイヌなどの少数民族を認めるよう勧告している。
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 日本は、多民族多宗教多言語多文化共生社会を目指す。
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 人類の歴史とは、一つの大きな集合体にまとまろうとするグローバルな歴史であり、ローカルな民族が消滅・絶滅・死滅していく歴史である。
 日本民族はローカルである為にグローバルな潮流にのみ込まれ、内部から崩壊し、消滅・絶滅・死滅する。
 グローバルな歴史では、数多くのローカルな民族が消滅・絶滅・死滅している。
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 ローカルな日本民族は、グローバルな潮流にのまれて消滅・絶滅・死滅する定めである。
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 2019年4月号 WiLL「大江健三郎がいたら気が狂うんじゃないか 石原慎太郎亀井静香
 侵略する中国
 ……
 亀井 それでも中国は侮れない。日本列島をすべて買い占めることができるほどの財力があるし、実際に北海道や東京の土地を相当購入している。地主は中国人という現実が目前に迫りつつある。
 石原 早く法律をつくって規制すべきだ。
 亀井 つくる気配もない。
 石原 亀ちゃん、安倍君にアドバイスしてkyれよ。
 亀井 日本は中国の土地を買うこうとができないだろう。だったら、中国も日本の土地が買えないという取り決めにすればいい。でも、日本がモタモタと手を拱(こまぬ)いている間、中国人はどんどん日本の土地を買い占めている。
 石原 僕が住んでいる地域では、季節によって、奥さんが家の前の落ち葉を掃除している姿をよく見かける。ところが、こういう習慣は中国人にはない。平気で家の前に物を捨てる。
 たとえば、中国人が多く住んでいる池袋のマンションでは、自分の部屋の前に生ごみを捨てるそうだ。隣に住む日本人が辟易(へきえき)し、注意しても一切改めようとしない。だから、日本人は嫌がって別のところに引っ越してしまう。そしたら、マンション1棟がすべて中国人になってしまうとか。
 亀井 中国資本は日本のマスコミにも侵食しつつあるかもしれない。社員などで採用しているようだが。しかも『日中記者交換協定』という中国にとって一方的に有利な報道協定を結んでいるため、記者の取材活動や執筆活動が大幅に制限されている現状があるようだ。
 石原 アナウンサーやタレントの中には、日本語を話せる中国人が多いな。
 亀井 いや、中国の侵略は本当に恐ろしい。」
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 2019年3月11日 産経新聞尖閣周辺に中国船、機関砲を搭載か
 尖閣諸島=平成23年10月、沖縄県石垣市鈴木健児撮影)
 尖閣諸島沖縄県石垣市)周辺の領海外側にある接続水域で11日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは4日以来。
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。巡視船が領海に近づかないよう警告した。」
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 ウィキペディア
日本教職員組合(略称:日教組)、英語:Japan Teachers' Union、略称:JTU)は、日本の教員・学校職員による労働組合の連合体である。教職員組合としては日本最大であり、日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、教育インターナショナル(EI)に加盟している。また、かつては旧社会党共産党、2018年現在は立憲民主党および社会民主党の支持団体の一つであり、両党に組織内候補を輩出している。2016年秋時点の組織率は23.6%である。
 日教組の関係した活動に関する論議
 ゆとり教育の推進
 日教組は、「ゆとり教育」の提唱者であるとされている。
 1972年、日教組が「学校5日制」「ゆとりある教育」を提起。
 2007年、安倍内閣ゆとり教育の見直しが着手されはじめたが、日教組は、「ゆとり教育を推進すべき」という考えを変えていない。
 日教組系の単組の関係した活動に関する論議
 日教組北朝鮮
 日教組は支持政党である日本社会党朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美してきた。
 北朝鮮による日本人拉致問題への対応
 北朝鮮および朝鮮総聯の教職員との交流
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 北海道教職員組合(略称:北教組)は、北海道の公立小学校、公立中学校、高等学校、特別支援学校、幼稚園に勤務する教職員で結成する労働組合(職員団体)である。
 日本教職員組合日教組)、日本労働組合総連合会北海道連合会(連合北海道)に加盟している。
 竹島問題に関して
 2008年11月28日に機関紙「北教」で、「竹島問題は韓国の主張が正しく、島根県などが竹島の領有権を求める行為は、日本の侵略・植民地支配を正当化する不当極まりないものである」などと主張したとして、拓殖大学教授の下條正男は「竹島が韓国の領土で日本の領土でないという歴史的見解を示せ」という趣旨の公開質問状を示して批判した。また、維新政党・新風とともに、北教組の竹島問題に関する見解など4項目からなる公開質問状を送付した。
 国旗国歌の反対
 2010年3月4日付けの産経新聞にて 、北教組日高支部において国旗・国歌の入学式や卒業式への実施に「『日の丸君が代』強制に反対するとりくみについて」という取り組みマニュアルを配布していたことが報じられた。これに対し川端達夫文部科学大臣は学習指導要領から国旗国歌を大事にと指導しており、北海道教育委員会と連携して公務員である教職員への指導すると述べた。また、北教組日高支部が国会で北教組のヤミ専従を批判した議員を呼び捨てにして批判する文書を配布していた、自民党馳浩議員は2010年3月17日の衆議院文部科学委員会でこの文書について「こういうのを蛙の面に小便というんです」と評した。
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 北海道とは、北から侵略してくるロシア・ソ連共産主義勢力から日本を守る最前線であった。
 日本は、江戸時代後期から、ロシアの侵略から日本を守るべく北海道・北方領土開発を行っていた。
 天皇・皇室を命を捨てて守ったのが、下級武士、庶民(百姓や町人)、賤民や部落民達であった。
 最大の懸案事項は、人口の少なく武力を持たないアイヌが独力で局外中立を維持できない以上、味方になるか敵になるかであった。
 日本にとって、アイヌは朝鮮と同じ立ち位置にあった。
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 日本国内外で、日本分離崩壊消滅させようと活動する反天皇反日勢力が存在する。
 国内外の日本分離崩壊消滅させる動きに協力する、日本のメディアや日本人が存在する。
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 日本は、古代から敵日反日勢力に包囲され、いつ侵略されるか分からない状況に置かれていた。
 現代日本にとって最強にして最悪な相手が、中国共産党である。
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 中国共産党の対日戦略で、北海道をチベット化、東ウイグル化、内モンゴル化する。
 中国による静かな侵略の手口とは、中国系資本による土地の大量購入と大量の中国人移民である。
 中国人移民とは、意図的に作り出す新たな少数民族である。
 北海道に中国人移民が大量に移住し土地を購入して定着すれば、北海道は日本人・中国人移民・アイヌ人が住み着く多民族多文化共生社会となる。
 もし、中国人移民がアイヌ人に味方して日本と対立したとき、日本は北海道を日本領として守り切れるのか。
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 中国の基本戦略は、敵の中に利益を持って味方を作り、彼らを使って内部から破壊・崩壊させる事である。
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 日本民族日本人とアイヌ人・琉球人の祖先は同じ縄文人で同種同根であるが、中国人・朝鮮人は祖先が違う異種異根である。
 少子高齢化による人口激減により、北海道の人口は減り始めている。
 日本の、男子の精子劣化、女子の卵子老化、生殖機能の退化、繁殖能力の衰退。
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 高学歴出身知的エリートの右左、政権与党や野党に関係なく、全ての保守派やリベラル派・革新派・エセ保守派・護憲派人権派そしてメディア関係者や学者・教育者において例外なく劣化している。
 つまり、グローバルな高度の学識や知識はあっても、ローカルな地域に根差した素朴な教養がない。
 外国人(主に中国人・韓国人・北朝鮮人)からの違法な政治献金接待費が、密かに政治家や官僚に流れている。
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 高学歴出身知的エリートの中には、日本を本気で守ろうという意思を持たない者がいる。
 彼らが目指すものとは、国益・公益ではなく私益・個人益のみである。
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 日本国内には、日本を分割崩壊させようとする反天皇反日的日本人が存在する。
 少子高齢化による日本民族日本人の激減で、増加する外国人移民(主に中国人移民)は何れは地域の多数派となる。
 その傾向は、地域で始まっている。
 最後の砦が、帰化人に認められている参政権と役人(官僚)登用を渡来人(永住外国人)までに与えるかどうかである。
 帰化を拒否する渡来人に参政権や役人(官僚)登用を認めれば、日本国は消滅する。
 地域の多数派となった外国人移民が、参政権と役人(官僚)登用を手にすれば、其処は日本ではなくなる。
 そして、地方主権が認められれば渡来人地域は、多数派の渡来人の希望で日本から独立する。
 日本の分離崩壊消滅を食い止めているのが、国家主権・中央主権であり、神話の血統と歴史の皇統を正統とする天皇制度だある。
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 帰化とは、天皇への忠誠と日本国を守る事を誓って日本国籍を得る事である。
 渡来とは、天皇への忠誠を誓わず、日本国を守る事を拒否する事である。
 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇と皇族を殺そうと付け狙っていた。
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 日本の歴史において、渡来人による反天皇反日本の叛乱はあった。
 平安時代初期までの日本は、多文化共生社会として、朝鮮半島からの難民を無条件で受け入れていた。
 が、渡来人は天皇と日本国の恩を裏切っていた。
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