🛶14¦─1─樺太アイヌ強制移住を広める日本人達の後ろに中国共産党と北朝鮮の陰。~No.41No.42No.43 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族は、日本列島に住んでいた先住民・日本土人の子孫である。
   ・   ・   ・   
 日本列島に住む日本民族アイヌ民族琉球民族の三民族は、数万年前の石器時代に日本列島に流れ着き定住した先住民・日本土人の共通の子孫である。
 三民族が同居する日本国は、血筋からすれば単一民族国家であるが、文化・宗教・言語からすると多民族国家である。
   ・   ・   ・   
 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を狙っている。
 中国軍は、日本に対する復讐戦に勝利する為に軍備を増強している。
 中国共産党は、反天皇反民族反日本なアイヌ人活動家・アイヌ独立派と琉球人活動家・琉球独立派に工作員を送り支援している。
 日本人の親中国派・媚中派は、中国共産党に忖度し、中国共産党に機嫌を取るように、中国の利益の為に日本の国益を毀損している。
   ・   ・   ・   
 日本国内には、反天皇反民族反日本的日本人が高学歴な知的エリートや進歩的インテリに多く存在する。
   ・   ・   ・   
 2022年1月号 WiLL「樺太アイヌ 強制移住のウソ  大高未貴
 『稚内樺太記念館』の年表には『強制移住』のシールが。なぜ──?
 もう一つの歴史戦
 慰安婦問題の欺瞞を、一次資料をもとに解説した『赤い水曜日』の著者、韓国の国史教科書研究所所長の金炳憲氏は『慰安婦問題は国際詐欺劇』と断罪している。史実や慰安婦証言の信憑性の検証もおざなりに、日本政府が何度も謝罪を繰り返した結果、現在進行形でドイツなどに慰安婦像が建てられ続けているのだ。
 徴用工問題も。いわゆる〝徴用工〟と呼ばれる人々は朝鮮半島から志願してやってきたにもかかわらず、〝強制連行された〟として訴訟が起こされ、9月末に韓国の地裁が、差し押さえられた三菱重工業の資産を売却するよう命じるなど事態は深刻の度を増している。
 2015年、日本の外務省の佐藤地ユネスコ大使は、ユネスコ世界遺産委員会において『(端島{はしま}など、一部の産業施設で)過去1940年代に韓国人などが〝自分の意思に反して(against their will)〟動員され、〝強制的な労働(forced to work)〟させられたことがあった』と発言し、河野洋平氏同様、韓国や反日活動家たちに言質(げんち)を取られてしまった。
 日本と朝鮮半島・中国における過去の歴史問題において、一番大事な論点が〝強制〟という文言だ。朝日新聞が〝強制〟などといった広義の解釈を入れてから、問題は悪化の一途をたどっている。
 在サハリン韓国人問題、慰安婦問題、徴用工問題に次いで、いわゆる活動家らが用意しているとみられる戦後補償の一つが〝エンチュウ(樺太アイヌ強制移住問題〟だ。
 それまで日本は単一民族国家だったが、2008年、アイヌを先住民と日本政府が認めてしまった結果、アイヌには莫大な予算が拠出されている。
 ……
 ともあれ、樺太アイヌ強制移住プロパガンダの背景に迫りたい。
 きっかけは北海道元道議会議員の小野寺まさる氏がチャンネル桜北海道で『稚内市樺太記念館』の年表にシールが貼られていたと指摘したことによる。『移住』から『強制移住』と、史実と異なることが上書きされていたのだ。ほかにも『樺太アイヌ強制移住』について朝日新聞が旗振り役を務め報道していることを知り、妙な胸騒ぎを覚え、稚内に飛んだ。
 史実から言えば、明治8年(1875)の樺太・千島列島交換条約によって、樺太アイヌは日露どちらかへの帰属を自らの意思で決定せねばならなくなり、樺太アイヌは日本国民になるか、ロシア国民になるかを自由意思で選択した結果、樺太アイヌは日本国民になることを望んで宗谷に来たのだ。
 そのことは樺太・千島列島交換条約第4条にも記されている。
 《樺太島及びクルリ島に在る土人は現に住する所に永住し且其儘(かつそのまま)現領主の臣民たるの権なし故に若し其自己の政府の臣民足らんことを欲すれば其居住の地を去り其領主に属する土地に趣くべし。又其儘在来し地に永住を願はば其の籍を改むべし。各政府は土人去就決心の為め此条約附録を右土人に達する日より3ヵ月の猶予を与へ置くべし》
 つまり、日本政府が権力を行使して樺太アイヌの人々を無理矢理移住させたわけではなく、ロシア国民になれば、彼らはそのまま樺太の地に残ることができたのだ。
 では、本人の意思がいつの間に、それに反して〝強制〟になったのか。
 結論から述べれば、『本人の意思』で日本を選択し、日本にやってきたのなら何の補償も得られない。ところが〝強制移住〟させられたと偽れば、補償金が発生する可能性もある。その証拠に《アイヌ有識者懇 補償・教育 要望相次ぐ》《サハリンから道内に強制的に移住させられた樺太アイヌの子孫の田澤守さん(樺太アイヌ協会会長)は強制移住の謝罪と補償を求めた》(北海道新聞/2008年10月14日付)という記事や、《アイヌ民族の権利保障を市民団体が冊子政策提案へ》という題した記事(朝日新聞/2018年4月21日付)で、田澤氏の『少数者に寄り添った政策を進めて欲しい』というコメントも報じられている。
 では、一体誰が歴史を書き換えたのか。『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』(展転社)の著者・的場光昭氏はこう断言する。
 『樺太アイヌ強制移住というか強制移住というのを最初に言い出したのは、恵泉女子学園大学の教授・上村英明氏です。彼はアイヌ琉球の人々を先住民族だといって国連を舞台にロビー活動をしている市民外交センター共同代表です。琉球(沖縄)、アイヌモシリ(北海道)の独立、つまり国家分断工作ですよ。先住民として認めさせるために、三つの強制移住をでっち上げました。一つは樺太アイヌ強制移住。それからアイヌの子どもたちの親から引き離しと東京への強制移住。そしてもうひとつが千島列島アイヌ色丹島(しこたんとう)への強制移住。これはいずれも嘘、でっち上げです』
 一方、水面下でアイヌ政策に不都合な真実は、行政が廃棄処分していたことも発覚した。
 的場 『私は一次資料を古本などで収集しています。たとえば「蝦夷風俗彙纂(いさん)」前編後編とありますが、実はこれ、北海道虻田(あぶた)町の図書館で廃棄処分されていたものです。本の後ろに廃棄のスタンプが押してありますでしょ?
 この本は今、アイヌの歴史を捏造している連中にとって不都合な真実がたくさん書かれています。要するに、明治15年(1882)にこの開拓使アイヌに対して、どういう政策が必要かということで、アイヌの実態を知るために江戸期のアイヌ文献をたくさん抜粋しています。こういう貴重なものが破棄処分になっているのですよ』
 樺太記念会館の見解
 樺太アイヌ強制移住のでっち上げとは、どういうものだったのか。
 ……
 まともにとり合ってもらえないことが伝わってきて、サジを投げたくもなったが、この問題は私的なものではなく、日本の未来を担う子供たちにかかわる問題である。
 この先どう教育すべきか、政治的な利害関係を含む大人の都合で改竄された北海道の歴史を、子供たちに伝えていくことが許されるのか。教育委員会も真摯に考え、答えを出してほしいと切に願い、三度目の質問状を送った。
 2冊の本
 S教育部長の2回目の回答において、気になる点があった。
 〝強制移住〟の論拠として、『稚内100年史』(1978年発行)と『対雁(ついしかり)の碑(いしぶみ)』(樺太アイヌ史研究会編/1992年発行)の2冊を挙げていたのだ。そこで草速、目を通したのだが、啞然とした。これらの本は『強制移住』が虚偽だということを間接的に証明するものだったからだ。
 まず『稚内100年史』だが、《1875年、樺太・千島列島交換条約にもとづいて、日本移住を求める樺太アイヌ841人が北海道に移住することになて》とあった。確かに宗谷から対雁には『強制移住』と表記されているが、この件については、的場氏が〝強制移住ではない〟と一次資料をもとに丁寧な分析に基づいて断言しているので、紙面の都合上、詳しい説明は省略する。
 次に『対雁の碑』だ。執筆者は石井清治氏、田崎勇氏、豊川重雄氏。1971年、北海道ウタリ協会石狩支部結成大会で議長を務めたのが豊川氏。その後、クリスチャンセンターで再開された大会の議長が石川氏だとある。この本の正直な感想を述べれば、学術研究の成果物というより、いわゆる活動家の主張が綴られたものと言っても過言ではなかろう。にもかかわず、教育委員会がこのような記述内容に問題のある書籍を、年表記述の書き換えの根拠にしていることに驚きを禁じ得ない。
 ……
 などと、著者らが歴史戦の延長線上に〝樺太アイヌ強制移住〟という文言を強引に仕込んだことが見て取れなくもない。ちなみに『対雁の碑』が出版された前年の91年には、朝日新聞慰安婦報道大キャンペーンが始まっている。
 資料が示す事実
 ともあれ『対雁の碑』の冒頭から〝強制移住〟でないことが明白にわかる記述がある。
 1979年(昭和54)11月11日に対雁で行われた第1回樺太移住殉難者慰霊前夜祭の実行委員会の河村三郎代表の挨拶を紹介しているのだが、『明治8年に日ロの間で締結された樺太千島交換条約によって、865名の樺太人がこの対雁の地に移住し開拓にあたりました(略)』とある。つまり河村氏は〝強制移住〟などとは言っていないのだ。
 また同書には、ご丁寧にも〝強制移住〟でないことが一目瞭然の資料も紹介されている。
 たとえば、1875年の樺太・千島交換条約の際、《此時政府に於いては樺太土人を伴うべからずと内訓(ないくん)せしも、長谷部・堀両判官は成るべく之を伴はんと欲し、土人中にも是非移住を望むものあり、寄って八百四十一名伴侶(はんりょ)来れり》とある。
 つまり、樺太人、自ら移住を望んだことが明記されている。
 ……
 他にもこんな事例が紹介されている。『日本人と一緒に北海道に行きたいと云った(樺太アイヌ)』に対し、時の明治政府、黒田清隆開拓使長官の言葉はこうであった。
 《然(しか)らば、来ようと思ふものは連れて来よう。イヤだといふものは其儘に置かう》(『あいぬ物語』山辺安之助)
 また、『北海道殖民状況報文』の《従来該当ノ土人ニシテ我皇化ヲ慕ヒ我国管轄ノ民タランコトヲ請ヒ其郷地オ望見シ得ラルベキ地方ヘ移住センコトヲ願ウ者ノミ其願ヲ許ス》といった記述も紹介している。
 つまり、当時の政府は、強制移住どころか樺太アイヌの移住を推奨していなかったことが明白である。
 ところが、著者らは《これらの資料・文献で見る限りではピウスツキーや高倉新一郎の『日本人に誘われて』とする以外は、アイヌの希望による移住のように書かれている》などと、〝アイヌの希望〟をそうでなかったかのように誘導するため〝窮迫した移転〟だの、憶測を書き連ねているが、〝強制移住〟を立証できてはいない。
 アイヌ共和国?
 このような文脈で、白を黒に塗る替えるべく捻(ひね)り出された詭弁が《樺太アイヌの人たちのまったくあずかり知らぬところでふたつの国家による『国境』確定によって、彼らは永い間住み慣れた故郷を捨て日本への移住する者、ロシア流刑民との紛争、流刑囚徒や兵士の暴行迫害にあいながらもなお故郷を捨てがたく樺太に残った者(略)》という記述である。
 まさにこの詭弁こそ、S教育部長からの2回に及ぶ回答と同じであったことは失笑せざるを得ない。
 ……
 1次資料たり得る数々の文献からも、樺太アイヌの北海道への移住が自由意思によるものであったことは疑うべくもない事実であり、『樺太アイヌの人たちのまったくあずかり知らぬところ』などという実に乱暴な理由付けに、一体だれが、『はい、そうですか』と首を縦に振るだろうか。
 その詭弁の証拠に『対雁の碑』の著者らはこんな言い訳を入れている。
 ……
 などと心境を吐露しているのだ。つまり換言すれば、『強制移住を証明できる資料が見当たらなかったが、我々の推測(憶測?)、推察をもって強制移住と判断した』ということではなかろうか。
 また、あとがきにはこうある。
 《私たち(執筆者3名※注大高)が初めて会したのは、1990年の6月5日のことでした。そのメモをみると、樺太アイヌ強制移住史をまとめるにあたって目標が次のように書かれています。
・この強制移住は日本近現代史における重大な民族問題であると位置付ける。
強制移住という悲惨と苦難の歴史ではあるが、樺太アイヌの民族の尊厳が貫かれるような歴史像をめざす》
 そして、結びに《いま問題となっている北方4島にしても、これを国連の統治に移し、各地のアイヌから希望を募り、ここにアイヌ共和国をつくる──突飛な夢物語だろうか。(略)アイヌ新法やアイヌの主張に対し、今ここで和人が応えるべき時が来ていると切に思うのである》とある。
 つまり、最初から結論ありきの活動家によるプロパガンダと言っても過言ではなく、歴史検証には到底及ばない本ではなかろうか。
 ……この先もまだ、このような本を根拠に年表記述書き換えを正当化しようと試みるのなら、いずれ北海道には彼らが主張するような〝アイヌ共和国〟ができるだろう。アイヌの主張に応じて謝罪と倍賞をしていく覚悟があるのか、改めて問いたい。
 朝日新聞ですら報道を正す
 ……
 中国化する日本の大学
 年表改竄問題とは別に、もう一つ改竄問題が、的場氏の指摘により浮上した。
 前述した『新撰北海道史』に、アイヌの集団の写真が掲載されており、『明治8年、樺太、千島交換条約後、樺太土人八百数十人帰化を望み(略)』という説明が添えられているが、北海道の中学生全員と全国の中学校に各一冊ずつ配布されている『アイヌ民族:歴史と現在』という冊子にも同様の写真が掲載されており、なんと、その説明文が《江別に強制移住させられた樺太アイヌの人たち》と書き換えられていたのだ。
 的場氏によれば、
 『「アイヌ民族:歴史と現在」は北海道の中学二年生全員に配られています。さらに全国で約1万の中学校にも配布されていますので、合計10万冊を超えた部数が配られているわけです。この写真はウポポイの国立アイヌ民族博物館をはじめ全道の博物館に置かれて来観者に無料で頒布(はんぷ)されてている小冊子「アイヌ民族~歴史と文化」にも掲載され、同じ説明がなされています』
 という。
 私は早速、中学生用の『アイヌ民族:歴史と現在』を入手したが、呆れるほかなかった。指導のポイントにはこうある。
 《北海道が日本の一部にされたのは、先住民族であるアイヌ民族の理解を得たものではない。(小学校では日本とロシアの関係まで示すのは難しいが)まさしく『アイヌ民族にことわりなく、一方的に日本の一部にした』ものであることを理解させたい》
 『アイヌ民族:歴史と現在』の事情について詳しい小野寺氏に話をうかがった。
 小野寺『私はこのような「捏造された歴史」がいくつも書かれている副読本でアイヌに関する教育が行われているのは大問題だと思い、2011年から何度かにわたり道議会で記述の再検証並びに訂正要求をしたのですが、冊子を発行した公益財団法人アイヌ民族文化財団が、訂正は〝アイヌ差別〟だと騒ぎ立て、朝日新聞北海道新聞も加勢した結果、いまだに修正されていません。実に嘆かわしい。ともあれ過剰なウポポイPRを筆頭に、これから北海道に展開されるアイヌ関連施設の請負い工事も国土交通省の管轄です。アイヌ・キャンペーンの根深さは想像を絶します。「アイヌ民族:歴史と現在」には最後のページに執筆者が並んでいますが、一人もアイヌの専門家がいないのは大問題です。しかも委員長である阿部一司公益者団法人北海道アイヌ協会元副理事長は、北朝鮮の主体(チュチェ)思想研究会の主要メンバーであることが判明しています』
 北朝鮮の影響がアイヌ・キャンペーンにも絡んでいるのだろうか。それとともに、中国による〝赤い侵略阻止〟も喫緊の課題である。
 ……
 一部のアイヌ関係者は、〝アイヌ自治区〟を声高に叫んでいる。2020年7月に白老でおーぷんしたウポポイ(民族共生象徴空間)には『民族共生』という言葉が入っているが、中国は弾圧しているウイグルチベット南モンゴルのことを『民族共生』と称している。その欺瞞を再認識すべきだろう。
 未来の子供たちのためにも
 樺太アイヌ問題は、冒頭でも書いたように、徴用工問題とも深くかかわっている。
 徴用工問題に関わっている活動家や弁護士は、自著の中でお決まりの表現をする。歴史研究家の竹内康人氏が編著した『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』(神戸学生青年センター出版)には、
 《北海道炭礦汽船アイヌモシリで植民地開発を狙った企業ですが、北海道各地の炭鉱に数万人の朝鮮人を連行しています》
 とある。
 ……
 彼ら思惑通りに事が進めば、いずれ日本地図から北海道という文字が消え、〝アイヌモシリ(北海道)〟という文字が浮かび上がるだろうか。実際に一部のアイヌの活動家たちはアイヌ自治権を主張し、『和人は借地料を支払え』と叫んでいる。
 ……
 稚内は日本の最北の防人(さきもり)の地として様々な歴史的なドラマを乗り越えながら、国防の要衝であり続けてきた。歴史の改竄は内憂外患、放っておけば内に秘めたる安全保障の脅威ともなり得る。
 どうか稚内教育委員会は、先人たちが遺してくれた誇りある歴史を子供たちに伝えるために襟(えり)を正していただきたい。」
   ・   ・   ・   
 日本人にも善人もいれば悪人もいる。
 日本人の中に「自分は悪人であって善人ではない」という自責の念が異常なほど強い人がいて、彼らは日本人全員が自分と同じ悪人だと信じ込み、自分が善人になるためには日本人全員に正義の鉄槌を下して罰する必要があると確信して行動している。
 その結果、日本が消滅しても構わないと確信している。
   ・   ・   ・   
 石器人(日本土人)・縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部まで、西は朝鮮半島南部、日本海を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と軽蔑し差別していた。
   ・   ・   ・   
 アイヌ民族は、縄文人にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいた人々が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ民族は、弥生時代古墳時代の稲作文化で日本から切り離された。
 揚子江流域から伝わった稲作農耕は、東北までで北海道には普及しなかった。
   ・   ・   ・   
 琉球民族は、日本土人縄文人揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 琉球民族は、縄文時代に発生した九州大地殻変動で日本から切り離された。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、日本土人(石器人)、縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人はわずかながらでも血の繋がりがあった。 琉球民族は、台湾や揚子江流域に住んでいた漢族との血のつながりがあった。
 アイヌ民族は、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人との血の繋がりが全くといって良いほどない別種・異種のアジア人であった。
   ・   ・   ・   
 日本にとって、古代から中国や朝鮮はいつ侵略してくるか分からない油断できない敵であったが、近世から交流を始めた琉球アイヌが日本を侵略してくる敵の味方になるか日本の味方になるのか分からなかった。
 琉球の先にいた敵とは中国であり、アイヌの先にいた敵とはロシアであった。
 日本が伸るか反るかの戦争をして敵の侵略を撃破して生き残る為には、琉球アイヌの気持ちなど忖度している暇がなかった。
 何故なら、日本はローカルな弱小軍事国家であり、中国とロシアはグローバルな超軍事大国であったからである。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は昔に日本人と違って歴史が嫌いである。
 現代の高学歴な知的エリートや進歩的インテリには歴史が理解できない者が多々いる。
 現代の小学校から大学に至る全ての歴史教育現場では、政治的イデオロギー的な目的で歴史力・歴史理解力無能者を量産している。
   ・   ・   ・   
 敗戦後。日本を占領したGHQは、戦前日本の積極的自衛戦争を証明する公文書・書籍を日本人のマルクス主義者やキリスト教徒の協力を得て焚書処分とし、言論統制で禁止・弾圧した。
 戦前の日本を好意的に評価する書籍の焚書処分と言論の禁止・弾圧は、現代においても行われている。
 目的は、日本民族の歴史の完全抹消である。
   ・   ・   ・   
 日本は世界で信用され、日本人は世界で愛されている、はウソである。
 何故なら、世界から見れば日本人はアフリカ人同様に奴隷だからでる。
   ・   ・   ・   
 現代日本の学校における歴史教育の目的とは、天皇を中心とした民族の歴史を破壊し、国際的反天皇反日本日勢力からの指示に従って改竄・捏造・歪曲した記述を学童・学生に疑問を抱かず丸暗記させ高得点を与える洗脳教育である。
 その傾向は、グローバルな知的エリートや進歩的インテリを育てる超難関の有名な進学校に強く、その成果として歴史が理解できない日本人が増えている。
 現代日本では、「賢者は歴史から学ぶ」はウソである。
 日本の歴史に影響を与えている歴史の常識・定説は、マルクス主義史観、共産主義史観、左翼史観、キリスト教史観、儒教史観、リベラル史観、科学進歩史観そして右翼史観、保守史観、黒幕陰謀史観など玉石混淆、雑多に存在する。
 日本の歴史は、自由で、多種多様である。
   ・   ・   ・   
 天皇神話における「八紘一宇」とは。大家族主義の事でである。
 日本人とは、血縁による人種・民族の事ではなく、地縁として日本列島に住む全ての人々の事であり、宗教、思想、イデオロギーなどは一切関係ない。
   ・   ・   ・   
 アイヌ人は、地政学的に、戦争が不可避な日本とロシアの間の蝦夷地・北方領土4島・千島列島・樺太に広く住んでいた。
   ・   ・   ・   
 ロシアは、日本・徳川幕府との戦争に備えて、千島列島に広く住んでいたアイヌ人やその他の島民をカムチャツカ半島強制移住させて地上から消し去った。
   ・   ・   ・   
 明治新政府は、ロシアとの戦争に備えて、日本領になる土地に住む全てのアイヌ人達に対して、日本国籍かロシア国籍の二者択一を強要し、日本国籍を選択したアイヌ人を日本臣民になる事を強制し、天皇と日本国への忠誠を押し付けた。
   ・   ・   ・   
 日本人となったアイヌ人達は、国民の重い義務として徴兵が課せられ、日本軍兵士として日露戦争など日本が行う積極的自衛戦争に狩り出された。
   ・   ・   ・   
 明治政府は、新参者のアイヌ人達を土人法で保護した。
 が、偏見と差別が好きな日本人達は、アイヌ人達を文明・文化を持たない野蛮人と貶し人権を無視して非人道的な扱いをして優越感に浸って喜んでいた。
   ・   ・   ・   
 明治時代の蝦夷地・北海道開拓とは、ロシアの軍事侵略に備える為の自給自足の防衛陣地施設が主目的であった。
 弱小国の日本にとって、アイヌ人達が、日本の味方として戦友となって共に戦ってくれるのか、超軍事大国ロシアの味方について日本を攻撃してくるか、であった。
 日本は、ロシアより総人口が少なく兵士の数も少ない為に、天皇と日本国を守る為に兵士として戦ってくれる人が一人でも多くほしかった。
 温暖な日本列島で編成した弱小軍隊しか持っていなかった明治の日本軍は、ロシアとの戦場となる極寒の寒冷地に強いアイヌ人に期待を掛けた。
   ・   ・   ・    
 歴史的事実として、アイヌ人が中立の立場に立ち、戦争を嫌い平和を愛して、戦争になっても日本にもロシアにも味方しない、などという事は「絶対に」あり得なかった。
 それは、ロシアのアジア侵略という歴史の現実を見れば明らかである。
   ・   ・   ・   
 日本の開国・幕末・明治維新戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事力による軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
   ・   ・   ・   
 日本の総人口は、江戸開府の1600年頃では約1,200万人~1,800万人で明治5(1872)年には約3,295万人(琉球人とアイヌ人を除く)に増加していた。
 人口増加は、慢性的な乳幼児死亡率が高い中で起きていた。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻す為にムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
   ・   ・   ・   
 西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷であった。
 バチカンローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
 宣教師達は、日本人を救う為に布教活動を行い、多くの日本人をキリシタンに改宗させた。
   ・   ・   ・