☴36〕─7─近代技術が、日本で根付いて発達し、朝鮮・中国で根付かなかった、その原因とは。2016年12月。~No.207No.208No.209 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 正統派儒教朱子学)と科挙が中華世界(中国・朝鮮)から無気力・活力を奪い、技術・技能を蔑み、発展・進歩の芽を摘んだ。
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 現代日本は、殺傷能力の高い強力な武器を持って、祖国と民族、天皇家・皇室・天皇制度、民族特有の文化・伝統・宗教・言語・習慣・風土などを守る事を拒絶する第九条の平和憲法墨守する事で、あらゆる面で、至る所で、南宋化し始めている。
 非武装、非暴力、無抵抗で反戦平和を主張する日本人が目指す理想とする平和国家像は、武器を持って女性や子供を守らず助けず逃げた南宋である。
 侵略してきた中国共産党軍に対して抵抗せず、武器を捨て、戦車の前で中国人兵士と酒を飲み、談笑して友好を深めると語る日本人とは、平然と同胞である日本人、女子供でも見殺しにする日本人である。
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 1130年〜1200年 南宋儒学者朱熹朱子)は、南宋が辿った蛮族に征服されたという屈辱の歴史を鑑として、他人に寛容であった孔子孟子儒教(旧儒教)を、排他的で独善的で不寛容な新儒教朱子学」に改変した。
 自分以外の思想を異端として排除した。
 多方面で世界との交流を積極的に行ってきた唐以来の穏やかな民族性は、全ての異民族を教養なき野蛮人と軽蔑して見下す尊皇攘夷思想で非寛容な民族に変異した。
 後に。異民族のモンゴル族は、中国を侵略し征服して元王朝を樹立するや、反モンゴル勢力を撲滅する為に密告や誣告を奨励した。
 漢族の団結心を打ち砕く為に、証拠が有ろうが無かろうが、真実か嘘かも関係なく、疑わしいとされた者は全て容赦なく罰し、訴えた者には褒美を与えた。
 漢民族の他人を絶対信用しない性格は、こうして形成された。
 日本人は、中国人を孔子孟子の時代のままの漢族と信じているが、それは全く違い性格の漢族である。
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 2016年12月16日号 週刊ポスト「逆説の日本史 井沢元彦
 近現代史を考察するための序論
 近現代史を歪める人々編 その21
 歴代韓国大統領が性懲りも無く不正を繰り返す明らかな『原因』
 この2016年冬の時点で多くの韓国人は、なぜ韓国では歴代大統領の不正事件が続くのか、暗澹たる気持ちで日々を送っているはずである。おそらく何故ウリナリ(わが祖国)はこんな状態が続くのか、その原因を知りたいと思っているはずである。
 もちろん、それはおそらく韓国人自身も薄々気がついていると思うが、韓国特有の文化および政治風土に原因がある。
 しかし、こういう言い方をすると心優しいお人好しの日本人の中には『つい最近の日本だって富山市議会議員による大量不正事件があったし、かつてはロッキード事件で一国の総理大臣が逮捕されたり、アメリカだってニクソン大統領(当時)が関与したとされるウォーターゲート事件があったし、今回の大統領選で候補だったヒラリー・クリントンもメール問題で不正を取り沙汰された』などと相対化しようとする。こういうことを言う人はそれが公平で誠実な態度だと思っている。なるほど御立派な姿勢と申し上げたいところだが、残念ながら私はそれは間違いだと思う。こんなふうに思っている人に私は是非質問したいのは『あなたは韓国で日本に原爆を落とすという小説が100万部も売れるベストセラーになり、映画化された作品もヒットしたことを知っていますか?』である。
 おそらく知らないであろう。これはその人の責任ではない。むしろマスコミの責任である。この小説は韓国の片隅で誰かがこっそり書いたというのとまるで違う。大ベストセラーになり映画もヒットしている。北朝鮮のような閉ざされた国家の話しではない。それを隣国の日本では多くの人がほとんど知らないというのは、それ自体大問題である。日本のマスコミの質というのがいかに低レベルかということである。特に、日本は唯一の被爆国であるのに、その国を毒ガスでもなく細菌兵器でもなく原爆で攻撃するストーリーというのは極めて深い悪意の現われである。そんな隣国への悪意に満ちた小説が、繰り返すがベストセラーになりヒット映画になるのが現代の韓国である。もちろん子供のころから執拗に叩き込まれる反日教育のたまものである。韓国はそういう国であることを、われわれはもっと認識すべきである。
 それなのに広島市長や長崎市長は、あるいは核廃絶を唱える朝日新聞を代表するマスコミは、私の知る限りこうした韓国の動向を批判しないどころかまともに報道すらしない。
 そういうことを韓国側が改めない限りhs友好的な映画祭なども本来はできないはずなのである。ほとんどの日本のマスコミは韓国の真実を報道することに及び腰になっていると言わざるを得ない。
 ……
 ではその原因は何か?
 朱子学である。韓国という国家、韓国人という民族ほど朱子学の蝕まれている民族はない。
 もっとも、この言葉を韓国人が聞けば、笑い出すか怒り出すだろう。つまり、そんなことはあり得ないという反応である。実は、そこのところも含めて全部が朱子学の悪影響なのである。朱子学は『亡国の学問』だと私は確信しているが、朱子学は民族に真実の歴史を忘れさせてしまうという、とんでもない副作用もある。
……
 しかし、ここで韓国人についてもう一度考えて欲しいのは、歴代大統領が執拗なまでに同じ轍(てつ)を踏むのは朱子学の影響としか考えられない以上、当然他の分野にもその影響は強く及んでいるに違いないということだ。大統領の自殺をもってしても朱子学の『ルール』に歯止めをかけられないことが、この呪縛がいかに強いかを示している。それがファミリー汚職に限ってだけ強い影響を与えるというのは、論理的に考えらたらあり得ないことはわかるはずである。
 このことを実は私は、日本人には『逆説の日本史 幕末年代編』を通して何度も説いたところである。
 徳川家康朱子学を日本の武士の基本教養にした結果、神道と合体した朱子学天皇の権威を高め日本国民を外敵に対して一致団結させるとい効果はあったのだが、『朱子学の毒』にも日本人はかなりやられた。
 その典型が鳥居耀蔵(とりいようぞう)という儒学者の家に生まれたとんでもない男である。鳥居は蘭学者渡辺崋山や伊豆韮山(にらやま)代官の江川太郎左衛門が、日本を外国の侵略から守るために当の外国から最新の知識や技術を取り入れようと奮闘していた時、この行動を憎んでことごとく邪魔をし彼らを抹殺しようとした。もし鳥居らが勝っていれば日本の明治維新は無かったかもしれない。これは冗談ではない。鳥居のような朱子学者しか官僚になれなかった清国(中国)で、清国は結局近代化できずに滅んだではないか。
 では鳥居に愛国心はないのかと言えば、ここが恐ろしいところだが大いにあるのだ。それなのになぜ結果的に日本を救う道である近代化を妨害するのかといえば、まず『祖法(そほう)』という考え方があるからだ。祖先の決めたルールのことである。朱子学においてもっとも大切なのは親に対する『孝』である。これがすべての基本だが、その『孝』を絶対化すると祖先の決めたことは絶対正しいくそれを変えることは祖先に対する批判であるから絶対に慎むべきだという考え方になる。たとえば外国軍は雨の中でも撃つ連発銃で攻めてくる。ならばこちらも相手のやり方を学んで、雨の中では使えない単発の火縄銃を連発銃に改良すべきであろう。ところがそれは『祖法』に反すると許さないのが朱子学のやり方だ。
 朱子学とは『インテリのヒステリー』
 そしてもう一つ、朱子学には大きな欠点がある。外国のものはすべて野蛮だと決めつける偏見である。これは紀元前に始まった孔子孟子儒教には無い。朱子学の極めて大きな特徴だ。私に言わせれば孔孟の儒教朱子が始めた儒教朱子学)はまったく違う。
 西洋社会では早くからこの点に気がついていて、孔孟の儒教を『Confucianism』(直訳すれば『孔子主義』)と呼ぶのに対し朱子学を『Neo−Confucianism』と呼ぶ。もっとも彼らはConfucianismとNeo−Confucianismを精神や物質のとらえ方という哲学的な要素で区別するが、私はもっと歴史的な見方をする。最近流行の犯罪者に対するプロファイリング的見方と言っていい。これは既に『逆説の世界史』においては第一巻『古代エジプト中華帝国の興廃』で詳細に分析したところだから、既読の読者にとっては繰り返しになってしまうが、『逆接の日本史』だけの読者もいるからここはもう一度説明しておこう。
 朱子学とは歴史的に見れば『インテリのヒステリー』である。
 朱子南宋に生まれた。南宋と言うのは漢民族の建てた国の中でも、中国史上もっとも弱体であった。それまでは宋として中原(ちゅうげん)を支配していたのだが、平和に溺れ軍備を怠った結果、金という遊牧民族の国家に中原を奪われ南へ逃げて南宋となった。しかも、その際、皇族を始めとする漢民族の女性の多くは捕虜となり金の本国に連れ去られ文字どうりの性奴隷にされた。彼女たちの中には人妻や少女もいたという。しかし男たちは南に逃げるだけで、金に対して彼女たちを奪還するどころか何の報復もできなかった。その屈辱の中で朱子は生まれ育ったのである。
 南宋の民は激しく外国を憎むようになった。当然だが、彼らに敗れたのは自分たちが軍備を怠ったためでもあったが、そのことを反省せず悪いことはすべて外国の『野蛮人』に責任を転嫁した。また地獄の苦しみから逃れるために、現実を無視し机上の空論をもてはやすようになった。テレビドラマ風に言えば、妻娘が外国に拉致され娼婦にされてしまったことまでわかっているのに、取り戻す手段は無いという状態である。この情況で朱子は酒に溺れる代わりに、それを飲めば現実を忘れプライドが満たされる朱子学という『毒酒』を作った。
 以上のような前提を踏まえてもらえば次の文章の深い意味が明確にわかるはずだ。
 
 『宋学(たとえば朱子学)が、国をほろぼした』と、敗戦直後、病床の中国学者の君山(くんざん)狩野直喜博士(1868〜1947)が、旧主筋の細川護貞氏に言ったそうである。……
 君山の昭和イメージをあえて我流に解説すると、まず朱子学宋学)は空論だという。また、日本人の空論好きは宋学かあきているという。……
 理非を越えた宗教的な性格がつよく、いわば大義名分というべきもので、また王統が正統か非正統かをやかましく言い、さらには異民族をのろった。……
 宋学は、危機環境のなかでおこった。このため過度に尊王を説き、大義名分論という色めがねで歴史を観、また異民族(夷)を攘(うちはら)うという情熱に高い価値を置いた。要するに学問というより、正義体系(イデオロギー)であった。
(『この国のかたち 三』 司馬遼太郎著 文藝春秋刊より一部抜粋)

 朱子学の害毒はこれにとどまらない」
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 日本の儒教は、本家本元の中国や朝鮮の朱子学に基づいた正統派儒教とは異なる異端の儒教である。
 同じ聖書を聖典とするキリスト教でも、大きくカトリック系とプロテスタント系と東方正教会系に分かれ、細かく分ければ数限りない。
 儒教も同様に、論語など限られた教典があっても、それを読み解く聖人賢者によって数生多くの教派が生まれた。
 同じ儒教と言っても、日本儒教と中国儒教・朝鮮儒教は異なる。
 大陸では、自派の絶対価値観を基にして正統性を主張し、他派を異端として糾弾して弾圧・迫害し、異端を根絶する為に皆殺しを繰り返した。
 日本は、絶対価値観ではなく相対的価値観で動いていた為に、正統派も異端派もなく共存して存在した。
 寛容な日本と不寛容の大陸の違いは、自然風土にあった。
 自然災害多発地帯では、他者を完全排除する絶対価値観では生き残れず、お互いの存在を受け入れて認め、自分の足らざるとところをお互いに補完しあって共存しなければ助からなかった。
 外来の優れたモノで自然災害多発地帯の日本に役に立ちそうなモノは取り入れ、そのままでは役立たなければ役に立ちそうに作り替えるや組み立て直し、それでも役立たなければ惜しげも無く捨て去る。
 価値観を相対化でき多様性に富み柔軟性のあった仏教、道教は、すんなり受け入れられた。
 絶対的にこだわる儒教の改編に手こずたが、何とか変質させて受け入れた。
 キリスト教は、どうにも骨抜きにできず拒絶した。
 自然災害多発地帯で生まれたのが、多神教の日本神道であり、相対的価値観を神聖不可侵性として保持した天皇制度である。
 儒教の絶対的価値観は、自然災害多発地帯には通用しなかった。
 キリスト教などの絶対神も、多発する自然災害では無力であり、惨めな姿を晒すだけであった。
 海洋民である日本民族日本人は、生命財産に甚大な影響を与える自然災害多発列島に上陸して住み着き、数万年間、幾度となく襲来した絶滅の危機の中を生き抜いてきた。
 そこでは、儒教の絶対的価値観もキリスト教絶対神も無用の長物であった。
 全てを破壊し奪い去るような自然災害に対して、まず第一にすべきは自分の命は自分で守る事。
 とにかく全速力で走って逃げる。
 一目散に駆けている時、親兄弟が逃げ遅れて、障害を持った弱者であっても決して助けない。
 その覚悟がなければ、自然災害多発地帯の日本列島では生きられない。
 そうした非人道的な非情な生き方を、「やむおえない」事であると受け入れてくれる宗教や思想:哲学のみが受け入れられた。
 非人道的な非情な生き方を押し付けてくる自然災害であるだけに、自然災害がない穏やかな時は、無類の「お人好し」となり、騙され裏切られても障害のある弱者の言う事を聞き無条件で手を貸して助け面倒を見た。




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朱子学化する日本近代

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この国のかたち(一) (文春文庫)

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朱子学と陽明学 (ちくま学芸文庫)

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  • 作者:小島 毅
  • 発売日: 2013/09/10
  • メディア: 文庫