☵22〕─1─韓国映画「軍艦島」の嘘。韓国の徴用工像設置運動。ヤクザと在日。~No.215No.216No.217No.218 @ 

軍艦島入門

軍艦島入門

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2017年2月8日 産経ニュース「【歴史戦】「軍艦島は地獄島…」韓国映画・絵本が強制徴用の少年炭鉱員を捏造 憤る元島民たち「嘘を暴く」
 元住民達が訪問した端島軍艦島)=1月7日、長崎市(田北真樹子撮影)
 「1945年、日帝占領期、われわれはそこを地獄島と呼んだ」
 こんな宣伝文句がつけられた韓国映画のポスターが1月下旬に公開された。映画の題名は『軍艦島』(監督・柳昇完)。「強制徴用」された朝鮮人たちが「生命を賭して脱出を試みる」という映画だ。
 あわせて公表された映画の予告編では、海底炭鉱で腰すら伸ばせないような場所で体を縮ませたまま採掘作業をする朝鮮人少年たち、ガス爆発の危険にさらされながら作業する人たちの姿が映り、そして「ここの出来事を記憶する朝鮮人たちは一人たりとも残してはいけない」という日本語のせりふが流れる。今夏公開予定という。
慰安婦の次は…
 映画だけではない。昨年韓国では児童用絵本『軍艦島−恥ずかしい世界文化遺産』(尹ムニョン作、ウリ教育)も刊行された。
 「戦争を引き起こし狂気の沙汰であった日本は、朝鮮半島から幼い少年たちまで強制的に日本に連行したのです。(中略)目的地も告げられずセドリ(主人公の少年の名前)が連れて行かれた場所は、まさに地獄の島『軍艦島』でした」
 映画同様、ここでも「地獄島」という言葉が使われている。絵本では「幼い少年たちが地下1000メートルにまで降りて、日本が戦争の資源として使う石炭を掘らなければならなかったのです」と記している。  
 少年たちが鉄格子の檻に収容されている様子も描かれている。
 「少年たちはまさに死の恐怖の中で日々を耐えなければなりませんでした」
 鉄格子の檻の外壁にはハングルで「お母さん、会いたいよー」「おなかがすいたよ ふるさとに帰りたいよー」と書かれている。
 首都大学東京名誉教授、鄭大均シンクタンク「日本戦略研究フォーラム」の時事論考で「戦時期の日本の炭鉱にあどけない『朝鮮人少年坑夫』など存在しなかったことは関係者なら誰でも知っている」と批判した。
 鄭は絵本になぜ朝鮮人少年が登場するかを次のように分析する。
 「絵本が出た2016年に関係している。朝鮮人慰安婦が『少女像』として脚光を浴びていた時代であり『朝鮮人少年坑夫』はその『少年版』なのだろう」
 戦後、長らく忘れられた存在だった「軍艦島」として知られる端島(はしま)に世界の注目が集まったのは、端島炭坑長崎市)など「明治日本の産業革命遺産」が15年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産として登録されることが決まったからだ。
 韓国は官民を挙げて阻止に動いた。映画や絵本はその運動の一環だ。こうした「事実と違うことには反論しなければならない」と立ち上がったのが元島民たちだった。
 「事実と違う」
 1月7日朝。長崎港から約19キロの沖合にある端島に8人の元島民が上陸した。一時雨との予報も出ていたが、空は晴れ上がり、波もほとんどなく、“里帰り”を歓迎しているかのようだった。
 「死ぬ気で来たよ」
 宮崎県在住の元坑内員で朝鮮半島出身者や中国人とも働いた松本栄(88)は冗談を言いながら、娘たちに脇を抱えられながらゆっくり下船すると、眼前に広がる風景に目を細めた。
 軍艦島は面積約6万3000平方メートル。南北に約480メートル、東西に約160メートル、周囲約1200メートルという東京ドームの約1.3個分ほどの大きさの島だ。最初の竪坑建設に着手した1869(明治2)年から、1974(昭和49)年に閉山するまで多くの人が生活した。
 最盛期の人口は約5300人。小さい島の限られた空間を埋めるように日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建設された。当時の東京の人口密度の9倍だったという。
 有刺鉄線はなかった
 閉山から43年。建物の多くは朽ち、崩壊していた。松本は「この辺には何があったかな」と、時折つぶやきながらゆっくりと島内を歩いた。
 松本が他の元島民らとともに立ち止まった場所があった。かつて中国人労働者が生活していた建物があったという場所の前だ。今は空き地になっている。
 「中国人は100人ぐらいしかいなかった」「ここに200人の中国人が入る家屋があったというが、そんなに多くの人は入らないよ」「1部屋に入るのはせいぜい10人ぐらいだった」
 中国人労働者を閉じ込めるために有刺鉄線が敷かれていたという話もあるが、松本は「有刺鉄線はなかった」と話す。
 朝鮮半島出身者の子供は日本人の子供と同じように学校に通い、机を並べて勉強した。アパート内には朝鮮半島から来た家族も多く入居していたという。
 そのうち、元島民の一人が島の上にある真っ白な灯台を指さした。
 「戦前、端島不夜城のように明るかったから灯台なんて必要なかった」
 だが、韓国で出版された児童用絵本『軍艦島−恥ずかしい世界文化遺産』には、灯台から3本の光を発している絵が描かれている。「絵本は明らかに事実と違う」と元島民たちは口々に反論した。
 録画で記憶を残す
 端島を訪問した元島民たちは長崎市内のホテルでほかの元島民らと合流し会合を開いた。出席者からは故郷である端島が国内外にゆがめて伝えられていることへの憤りの声が相次いだ。
 「端島について書かれた本を読むと端島が(ナチス・ドイツによる)アウシュビッツ収容所と同一だと書いてあり、頭にきた。本に書いてある嘘を暴いて、これが真実であると国内外に言わなければいけない」
 「朝鮮人労働者が虐待されたという話ばかり。欺瞞と虚偽と誇張に塗り込まれた記事が横行していることに憤りを感じる」
 「日本は事実を明確にして反論しなければいけない。慰安婦問題もそうだが、日本は事なかれ主義できたが、もう少し毅然と事実を明らかにして言うべきことは言うという姿勢で臨んでいきたい」
 「韓国では端島を『監獄島』『地獄島』と言っているそうだが、われわれはそんなところに住んだ覚えはない。日本で重い罪を犯して無期懲役を受けた者が軍艦島に来ていると書かれているが、私たちは違う」
 真実を伝えるには、端島で生まれ育った自分たちが口を開くしかない。こうした思いに突き動かされた元島民たちは「真実の歴史を追求する端島島民の会」を1月23日に設立した。
 当時のことを記憶する元島民たちの証言を動画で記録するなどして、後世に「正しい端島の歴史」を伝える考えだ。
 炭鉱労働者たちの証言記録を集めている内閣官房参与加藤康子は会合で「皆さんの一次証言や一次資料が何よりも一番重要な真実を語る。それをそのままの形で残していきたい」と述べ、元島民や家族に協力を求めた。
 =敬称略 (有元隆志、田北真樹子)
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【用語解説】朝鮮人徴用
 端島など「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界文化遺産登録をめぐり、韓国側は「強制労働」という言葉を盛り込もうとした。だが、徴用は国民徴用令に基づいており、当時の国際法上違法ではなかった。そもそも請求権問題は、1965年の日韓請求権協定で最終的に完全に解決済みである。ただ、日本側は韓国に配慮し「朝鮮半島などから多くの人が意思に反して連れてこられ、厳しい環境で労働を強いられた」と表明した。」
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 2月9日 産経ニュース「【歴史戦】「歴史的事実を基にしている」 韓国映画軍艦島」の監督が本紙報道に反論
 1月7日、端島軍艦島)に上陸する元島民ら=長崎市(田北真樹子撮影)
 【ソウル=名村隆寛】「軍艦島」の名で知られる長崎県端島を、韓国映画軍艦島」(柳昇完=リュ・スンワン=監督)が「地獄島」と呼び描いていることを、事実とは異なるとの元島民の言葉とともに報じた産経新聞(8日付)の記事に対し、柳監督が韓国メディアの取材で反論した。
 MBCテレビの番組で柳氏は「取材した人々がいる。数多くの証言集を通じ、本当に事実だというしかない資料がある」と強調した。映画のセットなどについては、「徹底的に(時代)考証に基づいている」とも述べた。
 柳氏は「強制徴用された朝鮮人400人余りが集団脱出するという内容はわれわれが創作した」としつつも、「地下1000メートルの炭坑で作業をし、人権蹂躙(じゅうりん)された生活を送るなどの内容は、歴史的事実を基にしている」と語った。
 さらに「端島世界文化遺産に登録された以上、表面的な面だけでなく島の歴史を世界の人々が知るべきではないか」と主張した。」
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 4月27日 産経ニュース「日本大使館前に徴用工像設置を計画
 2月28日、ソウルで労働者像(左)の設置を訴える市民団体(聯合=共同)
 【ソウル=名村隆寛】韓国の市民団体がソウルの日本大使館前に違法に設置された慰安婦像の横に、日本の朝鮮半島統治時代に「強制された」という徴用工の像を設置する計画を進めている。
 計画しているのは「日帝強占期被害者全国遺族連合会」で、「亡父らを徴用し、奴隷化し、人権を蹂躙(じゅうりん)しても謝罪や補償、反省がない日本をこれ以上許せない」としている。「元徴用工の名誉回復と歴史の清算」が目的だという。設置される像は高さ2メートルほどで、慰安婦像よりも大きい。28日に記者会見し、詳細を発表する。
 韓国では釜山でも、日本総領事館前に違法設置された慰安婦像に加え、来年5月の設置を目指して徴用工像を設置する計画が労働組合によって検討、進められている。こちらは日本政府に謝罪と賠償を求めるのが目的という。」
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 7月16日 産経ニュース「【編集局から】あきれた「軍艦島」に関する韓国発のフェイクニュース
 「軍艦島端島)」
 先日、韓国のMBCテレビから国連教育科学文化機関(ユネスコ世界遺産に登録された「軍艦島」(長崎県、正式には端島)について取材を受けました。同テレビをはじめ韓国内でよく使われる黒ずんだ労働者が立っている写真は、北海道の新聞に掲載された道路工事現場の日本人で朝鮮人は写っていない。狭い場所で男性が横になって掘っている写真も筑豊の炭坑(福岡県)だと説明しました。
 案の定、番組ではそれらは省かれました。織り込み済みでしたが、それでも取材に応じたのは一人でも多く韓国の人に「事実」を知ってもらいたかったからです。
 米ニューヨークのタイムズスクエアの電光掲示板では7月上旬に「軍艦島は地獄島」との広告が流れました。そこに映っていたのはMBCテレビに間違いと指摘した写真でした。世界にばらまかれるフェイクニュース(偽記事)にはこれからも反論します。(編集総務 有元隆志)」
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 7月21日・28日号 週刊ポスト「『3つの山口組抗争』で〝台風の目〟とった男の履歴に辿る──
 『ヤクザと在日』
 任侠団体山口組代表 織田絆誠(よしのり)の告白
 父はステゴロで名を馳せた在日ヤクザ。
 自身は大物在日ヤクザ・柳川次郎を源流とする組からのし上がった──
 6代目山口組から分裂した神戸山口組からさらに分裂。『任侠団体山口組』というユニークな名前を掲げ、〝3つの山口抗争〟を引き起こした男には、『在日』というルーツがあった。ヤクザ取材の第一人者が、彼に『ヤクザと在日』の新時代を見る。
   *   
 4月30日に神戸山口組から分裂し、『任侠団体山口組』を結成し織田絆誠代表(50歳、以下敬称略)は依然、暴力団業界の『台風の目』だ。神戸山口組では若頭代行をつとめ、山健組では副組長に上った実力者である。
 山健組から3分の1の勢力を引き連れ、神戸山口組の直参とも語らって今回、新団体を立ち上げた。直系組が55団体。大勢力である。
 ……
 織田のモットーは『ヤクザはヤクザらしく』。ヤクザなんだから服装は自由、黒服を強制しない。組員は安い会費で生活に余裕を持ち、せいぜいおしゃれを楽しみ、社会貢献せよ、という。
 織田が口舌の徒でないことはこれまでの経歴が語っている。喧嘩、抗争はめっぽう強い。論理的で、業界きっての雄弁家。聞く者をして奮い立たせるアジテーターであることは、6代目山口組と対立するさなか、全国遊説して神戸山口組の結束を強めたことで証明済みといっていい。
 彼はヤクザ、暴力団が社会から排除されず、認められるためには社会的な有用性を示さなければならないと考えている。具体的には不良外国人グループや半グレ集団の排除、善導であり、海外在留邦人の警護などである。
 暴力団は国民が『反社会的組織』でないと認めたとき、山口組3代目・田岡一雄の時代のように、営む『正業』が認められると考える。
 だが、織田は在日朝鮮人3世(本名は金禎紀)であり、ネットなどには『なぜ在日が日本の治安向上に努力などと言い出すのか』といった声もアップされている。
 暴力団業界に在日が多いのは事実。現在、暴対法に基づく『指定暴力団』は22団体を数えるが、そのうち代表が在日である組織は5団体に及ぶ。約23%。総人口に占める在日韓国・朝鮮人の割合は2%以下とされるから、10倍以上の密度である。もともとヤクザ組織は一般企業や役所に就職できず、『ヤクザにしかなれない』人の生計の途となった側面があり、伝統的に在日韓国・朝鮮人被差別部落出身者を排除しない。過去にも柳川組・柳川次郎こと梁元錫や東声会・町井久之こと鄭健永など、一世を風靡した在日ヤクザは多い。
 織田自身もこう言う。
 『子供ながらに、ヤクザの世界は人種差別がないと信じて、この世界に飛びこみました』
 以下、織田をモデルケースに、在日とヤクザの関係を探ってみよう。
 祖父は済州島から
 戦前、織田の祖父である金燕西が朝鮮半島の南に浮かぶ済州島から合格した法科大で受講しようと大阪に来住した。彼は弁護士を志望したが、事業面に進んだ。
 後に『大阪府協和会』の副会長になり、大阪・淀川区で軍需工場を営むなど『親日派』として名をなした。
 『協和会』は日本の朝鮮支配の時代、内務省や警察を中心とした統制機関で、1936年、厚生省は全国各府県に協和会をつくり、39年、中央協和会を創設した。
 45年(昭和20年)空襲で淀川の工場は灰燼に帰し、祖父は全財産を失った。その子供は通名を『織田新一』といい、敗戦後のどさくさ時にヤクザになった。
 子である織田が語る。
 『敗戦の焼け野原。父親は自暴自棄もあったんでしょうけど、幼少で早くも世の中をなめたんでしょう。当時としては恵まれていて柔道やボクシングも習い。梅田の阪神百貨店裏(通称「阪神裏」)にそのころ西日本で一番大きなヤミ市があった。父親はそこで顔を利かし、ステゴロ(素手での喧嘩)ではナンバーワンといわれた。そこでの兄弟分が酒梅組傘下の張本正来組長です』
 織田には5つ上に姉、2つ上に兄がいる。2人ともに堅気だが、姉は男まさりで気性が激しく、織田が服役中、組を預かって西成で賭場を開くなど、『織田のねえ(姐ではなく姉)』といわれたほど、父親は人がいいばかりで稼ぎがない『懲役太郎』。短期刑が多かったが、よく服役した。母親は子供を食べさせねばならず、夜ホステスをして帰りは深夜に及んだ。姉が織田の親代わりになったという。
 織田が語る。
  『父親は怒ると怖い。殴り殴った上、男なら泣くなという。だけど父親からも目一杯愛情をもらいました。男とは、人生とは、と教わり、笑われるかもしれないけど、喧嘩の仕方や警察の取り調べられたときの心構えも教わった。後にヤクザになる自分にとっては、恵まれていたかもしれません』
 どういう教えだったのか。
 『実例を言うてましたね。昔、大阪府警は取り調べが荒っぽかった。取調中に暴行する。そういう場合は「中途半端な真似するな」と怒鳴り、取調室の扉のガラスに自分から頭を突っ込む。血だらけになると、相手はパッと引く。こいつは普通のヤクザと違うなと思われる。
 子供時代、バカやらかす自分でそれを実践しました。取調中に暴行を受け、父親の話を思い出して、「中途半端にやるなー」と叫んで、自分で自分の頬を右手で殴りに殴った。腫れ上がり、目がふさがるほど殴ったら、取調官は「止めろ。もう分かった、もうええ」と。これも父親の教育ですね。気迫は本気であれば出る。それがハッタリだと見透かされる。
 父親も喧嘩、ストリートファイターをやっとったんです。知らないもん同士がぶつかり、こいつ、やるか、となる。そういうとき、人の心理は知らないものを大きく見て、こいつは修羅場をくぐってるんじゃないか、強いのではと感じてしまう。しかし、これは錯覚なんや言うてました。
 相手も同じなんや。向こうもこちらを知らない。知らない者同士は互いに相手を大きく思ってしまう。そこを乗り越えろ。サシでやったら実際は強くなかったと何度も体験した。気で飲まれたらあかん、と』
 きわめて実践的な教えに思える。
 強制労働と慰安婦問題について
 織田は18歳のとき、父親の服役で前出の酒梅組系張本組に預けられる。2年後、張本組の若頭補佐や若頭まで抜擢されるが、『山口組と喧嘩するな』が不文律の酒梅組に嫌気が差し、指を詰めて脱退、一本どっこになった。
 88年、四代目山口組の直系組長だった倉本組・倉本広文から盃をもらい、倉本組の若衆になったが、倉本広文は幼時から織田の憧れの対象だった。
 倉本はもともと〝殺しの軍団〟柳川組の出で、58年柳川組が、管理売春をシノギにする酒梅組系鬼頭組と抗争した際、組事務所に殴り込んだ8人のうちの1人だった。
 ……
 在日ヤクザの柳川次郎が初代を率いた柳川組は山口組の直系組の1つで、二次団体でありながら、警察庁により全国広域5大暴力団の1つに指定され、昭和40年代、集中的な取り締まりを受けて解散した。
 倉本はその後、宅見組に拾われ、副組長に抜擢され、5代目山口組では若頭補佐の1人になった。
 織田は倉本の下で『織田興業』を結成し、倉本組の幹部へと昇進していった。が、90年、山口組と波谷組が抗争した『山波抗争』が起きると、組員2人をして波谷組系平澤組幹部を銃撃させ、事件の首謀者として逮捕、懲役12年の刑で福島刑務所に服役、そこで山健組の井上邦雄組長と知り合うわけだ。
 織田は在日3世として典型的なヤクザの道をたどる。彼はギクシャクしている日韓関係をどう考えているのか。
 『自分も壁に突き当たったとき、自分は一体何者だと思いました。刑務所にいるとき、本を差し入れてもらい、勉強したんです。と同時に、自分の記憶をたどって、じいさん、ばあさん、両親のこと、時系列で合わせて考えていく。と、なるほどなと見えてきたものがあります。
 戦前の強制連行、密入国慰安婦ヘイトスピーチが今、拡散されてますが、あそこには嘘、ねつ造もあるし、過大にこう大きくして見せたりしてますけど、自分なりになんぼか調べました。
 実際のところ、朝鮮人の強制連行はパーセンテージでいうと、微々たるもの。肉体労働者の数が足りなくて、多少あったと思います。従軍慰安婦については、同じようなことが世界中であった、そういう時代やった、そうしないとご飯を食べられなかった人もいたと思もいます。
 その中でいわゆる女郎屋の女衒も関係していたんでしょう。それは日本国内でもあった話で、女を無理やりとか騙したとか、悪い人間もおったでしょうけど、全体でいうと、需要と供給の中で、各国で同じようなことがあったと思います。残念だけど仕方なかったことじゃないかと、思いますね。まあ戦争が生んだ悲劇の1環じゃないかと。
 だから、そこで在日側からする恨みつらみはよくない、と。あんまり敏感に反応することじゃなく、もっとこう世界全体を見てほしい。在日の若い子らに言いたいのは、ありのままに受け止めてほしいということです』
 新世代の在日ヤクザ
 本国の韓国人とは異なり、『恨(ハン)』の文化から離れている気配だ。織田は『韓国は生みの親、日本は育ての親』という。
 『どちらも大事だが、どちらかいうと、私らは韓国語もしゃべれない。日本に育ててもらったことに感謝し、育ての親に親孝行する。これのどこが悪いのか、と。
 自分も50の歳になってようやく1つの答えが出ました。これを発信して今、頭を壁にぶつけている若い世代に伝えたい。恨み、つらみはよくない、と。1世、2世は確かにいわれない差別を受けた。
 が、日本という国にお世話になり続けたのも事実です。恨み、つらみを逆転して感謝に変えたとき、清々しい気持ちになれる。在日が日本人とともに日本国民のために、命がけでがんばろうというのは男として、1人の人間として、全然恥ずかしいことじゃない』
 任侠団体山口組のメンバーは9割以上が日本人、同組に所属替えした旧山健組メンバーも9割以上が日本人である。ヤクザや前科、前歴がある者は本人が望んでも日本に帰化できない。が、在日3世になると、同化が進み、意識や考えがほとんど日本人と区別できない。ヤクザの世界も同様のようだ。
 若い世代では今まで差別を経験したことがないという在日韓国人もいる。全部が全部、差別がなくなったとは思いようがないが、山口組では現在の6代目まで組長は日本人。執行部に在日が名を出す程度だ。任侠団体山口組が徐々に主流を形成し、初めて在日の組長誕生となる可能性もある」
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 7月20日 産経ニュース「【歴史戦】徴用工像を在済州日本総領事館前に 韓国の市民団体 ソウル、釜山に続き10月に設置
 韓国・釜山の日本総領事館前の路上に設置された慰安婦像(名村隆寛撮影)
 【ソウル=名村隆寛】韓国南部・済州(チェジュ)島の在済州日本総領事館前に、日本の朝鮮半島統治時代に「強制された」という徴用工の像を設置する計画を、韓国の市民団体が20日、発表した。
 計画を進めるのは「済州地域日帝強制徴用労働者像建立推進委員会」。聯合ニュースによると、同委員会はこの日、済州道議会で行った会の発足を兼ねた記者会見で、今年10月中旬ごろに総領事館前の公園に像を設置する方針を表明した。像の管理条例の制定に向けた運動も展開するという。
 徴用工像は4月に別の団体が、ソウルの日本大使館や釜山(プサン)の日本総領事館の前に、日本による朝鮮半島統治からの解放記念日にあたる8月15日に設置することを発表している。
 大使館と釜山の総領事館の前では、外国公館前での侮辱行為を禁じたウィーン条約に反し、慰安婦像が撤去されず放置された状態だ。慰安婦問題をめぐる日韓合意の精神にも反しており、日本政府は韓国政府に撤去を要求してきた。
 徴用工像の設置もウィーン条約に違反する行為で、済州も加われば、在韓国の日本公館すべての前に国際条約に反した像が置かれることになる。」
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 7月31日 産経ニュース「パリで「軍艦島」試写会 韓国配給元、国際世論訴え
 韓国映画軍艦島」のパンフレット 
 太平洋戦争中に長崎市端島炭坑で働いた朝鮮半島出身者の脱出劇を描いた韓国映画軍艦島」の配給会社、CJエンターテインメントは31日、同作品の試写会をパリで28日に開いたと明らかにした。聯合ニュースが伝えた。
 CJ側は、端島朝鮮半島出身者が徴用された歴史に「国際社会の関心を促したい」とした。
 端島炭坑を含む「明治日本の産業革命遺産」は2015年、国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)の世界文化遺産に登録。日本政府は韓国側の主張を踏まえ、一部遺産に徴用の歴史を説明する措置を取ると約束し、韓国政府は「速やかな履行」を求めている。
 試写会ではユネスコ加盟各国の関係者らも観賞。映画は監督が歴史から着想を得て製作し、創作したストーリーも含まれるが、CJ側は「隠された歴史を全世界に知らせるためパリで開いた」と説明している。(共同)」
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 8月18日 産経ニュース「【歴史戦】「映画には想像が多い」「日本人は遺体を送還しよくやった」 元徴用工が映画「軍艦島」の虚偽指摘
 韓国映画軍艦島」のパンフレット 
 【ソウル=名村隆寛】「軍艦島」の通称で知られる長崎市端島炭坑を舞台にした韓国映画軍艦島」(柳昇完(リュ・スンワン)監督)が韓国で上映中だが、軍艦島で実際に徴用工として働いたという韓国人男性が韓国メディアに対し、映画の内容が実際とは異なり誇張されていると指摘している。
 問題を指摘したのはチェ・チャンソプ氏(87)。チェ氏を取材した韓国日報(電子版)によると、チェ氏は先月26日、韓国政府の招待を受け、元徴用工や遺族50人余りとともに「軍艦島」を鑑賞した。
 チェ氏は鑑賞後、「映画には想像が付け足されているようだ」と語った。その例として、映画に登場する楽団長の娘を挙げ、「あんな幼い少女を軍艦島では見たことがなかった」と述べた。この指摘に、記事では「強制徴用が始まった後、連れて来られた朝鮮人はほとんどが少年だった」との説明が加えられていた。
 一方、米軍の爆撃で死亡した朝鮮人の死体を一カ所に集め燃やす場面について、チェ氏は事実と違うと否定。「端島で働いていて亡くなった人は多かったが、日本人はその遺体をちゃんと弔って、韓国に送還していた。それだけは実に善良によくやった」と回顧した。
 また、映画では朝鮮人徴用工らが力を合わせて、管理する日本人らと戦い脱出を敢行する場面があるが、チェ氏は「全く不可能だ」と断言した。
 チェ氏は「映画はもう少し淡泊であるべきだった」「日本人がしたことをそのままに、韓国人もしたことをそのままに映画にすべきだった」と不満を語った。
 多額の制作費をかけ鳴り物入りで7月末に封切られた「軍艦島」。公開当初こそ関心を集めたが、現在は観客動員数が伸びず苦戦を強いられているという。」
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 8月19日 産経ニュース「【歴史戦】端島の旧島民らが韓国映画軍艦島」に反論声明文 「フィクションとことわれば許されるのか」
 韓国映画軍艦島」のパンフレット 
 長崎市端島炭坑を舞台にした韓国映画軍艦島」の上映を受け、旧島民やその子孫などからなる「真実の歴史を追求する端島島民の会」は18日までに、端島に関する事実関係を記し、映画の内容に反論する声明文を出した。声明文は「フィクションとさえ断れば、事実と全くかけ離れた虚構を映画にすることは許されるのか」として映画を非難するとともに、「一部の過激な活動家や運動家が日韓両国や両国民が敵対するように扇動する妄動」への適正な対応を求めている。
 声明文は15日付で李俊揆駐日韓国大使と呉公太在日本大韓民国民団のほか、報道機関向けに発表された。
 映画は憲兵による朝鮮人への暴行を描くが、声明文は「警察官が2人ほど駐在していただけ」と反論。朝鮮人労働者には家族連れもおり、子供は日本人と一緒に学校で学び、「働かされていたということはない」と証言する。
 また、朝鮮人労働者が地下1000メートルの坑道での労働を強いられたとするが、同会は「坑道は地下710メートルを超えていたにとどまる。送風機が備えられており、坑道内は意外に過ごしやすく、水飲み場もあり、少なくとも灼熱の環境などではなかった」と説明する。
2 このほか、多くの朝鮮人労働者が殺されたこともなく、米軍による空襲も昭和20年7月31日の1度だけで、発電所などの施設が空爆されたと反論した。
 同会は声明文で「両者が敵対関係ではなく、友好関係を築き、共に協力して、後世に端島に関する正しい記録を残していけるよう尽力したいと考えている」と訴えている。」
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 生きる為に祖国を捨て他国に移住した者は、その国では異物として差別され虐められ辛酸を舐めながら地べたを這いずり回って生きるのが定め出る。
 問題は、差別され虐められ辛酸を舐めながらどう生きるかである。
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 アメリカ、カナダ、オーストラリアなどには宗教由来白人至上主義が根強く存在し、日本人、アフリカ系アメリカ人ユダヤ人、ネイティブ・アメリカ人(インディアン)などは激しい差別にあっていた。
 日本人には軍国日本が、ユダヤ人には国際金融資本が、それぞれバックにいた。
 ネイティブ・アメリカ人は、不毛な居留地に封じ込められていた。
 アフリカ系アメリカ人(黒人)は、命の危険を伴う差別を受けていた。
   ・   ・   ・   
 世界に蔓延していた人種・民族差別は、暴行や惨殺を日常的に伴っていた。
   ・   ・   ・   
 アメリカ、ルーズベルトは、反日強硬派として、対独戦に参戦する為に軍国日本を戦争へと追い込んでいった。
 軍国日本は、アメリカとの戦争を何とかして回避しようとしたが、如何なる妥協案も拒絶され、戦争以外に手段がなくなりやむを得ず戦争を決断した。
 ルーズベルトアメリカは戦争を望み、昭和天皇と軍国日本は平和を望んでいた。
 戦争を望んだ者は戦争の英雄と讃えられ、平和を望んだ者は戦争の犯罪者として処刑された。
 大国は戦争を好み、小国は平和を好む。
 軍国日本は、死活問題である食糧・資源・石油の安定輸入をアメリカに依存していた。
   ・   ・   ・   
 人間の尊厳を守る為に人権と自由を求めて「たたかう」必要があるが、如何に「たたかう」かであった。
 日系アメリカ人やアフリカ系アメリカ人の様に、良きアメリカ人と認めてもらう為に国家に忠誠を誓い、アメリカ兵士となって戦場に立ち命を投げ出して戦ったか。
 日系アメリカ人は二世部隊として、アフリカ系アメリカ人アメリカ兵士として、アメリカ国家・アメリカ軍の理不尽な命令にも文句1つ言わず、従順に従って絶望的な戦闘を続けた。
 ネイティブ・アメリカンの様に、侵略者・侵入者・強奪者から父祖の大地と伝統文化及び民族宗教を守る為に死を覚悟して戦ったか。
 親日派在日朝鮮人や在日台湾人の様に、良き日本人になるべく日本人と共に戦場に出て戦ったか。
 反日在日朝鮮人朝鮮人テロリスト)は、日本人になる事を拒絶し、自分の利益の為に、国籍がある日本に反旗を掲げて闘ったか。
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 昭和16年頃、日本国内には200万人以上の朝鮮人が生活していた。
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 「一旦緩急あれば」、アメリカの犯罪組織であるマフィアやギャング団であっても、アメリカ国籍・市民権を持つ国民の義務として、国家の命令に従って軍隊に入り兵士として戦場に出て戦った。
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 親日派帰化人であり、反日派は渡来人である。
 親日派は、志願兵や軍属となって日本軍と行動を共にして、敵と戦い死亡した。
 反日派は、志願兵にも軍属にもならず、徴用工として戦闘に関係ないと所で地獄の様な重労働をしながら生き延びた。
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 太平洋戦争時代を扱った韓国反日抵抗映画『軍艦島』。
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 軍国日本は、日本国籍を持つ朝鮮人を信じ切る事ができなかった。
 何故なら、反日派・独立派・朝鮮人テロリストが、昭和天皇と皇族の暗殺を計画し殺害する機会を狙っているからである。
 その不信感から、日本国籍朝鮮人を戦友として背中を負かす事に不安があったからである。
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 男性も女性も関係なく、老人から子供に至るまで全ての日本民族日本人が、一億総玉砕・全滅を覚悟して戦っていた。
 戦友として共に戦えない朝鮮人は、日本人のように兵士にするのではなく、戦場から遠く離れた後方で徴用工や女子挺身隊として活用した。
 戦場に放り込まれた日本民族日本人は、老若男女、死を覚悟して全員が一丸となって戦った。
 何故か、それは日本国籍を持つ国民の義務であったからである。
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 日本国籍を持つ朝鮮人は、海外では日本人同様の権利と日本国の保護が与えられていたが、命を賭けて日本天皇と日本国を守る兵役の義務は免除されていた。
 朝鮮人の徴用工とは、兵役免除の事である。
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 諸外国は、日本国籍朝鮮人を日本人として扱った。
 日本国内で差別されていた朝鮮人は、世界では日本人としての権利を持ち差別される事はなかった。
 日本国は、海外で生活する日本国籍所有者は、日本民族日本人であろうと、台湾人であろうと、朝鮮人であろうと、全員を日本国民・天皇の臣民として差別する事なく保護した。
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 日本民族日本人は忠良な臣民として、日本天皇昭和天皇、日本国及び日本民族、そして家族を守る為に、カミカゼ特攻や万突撃などで死体の山を築き、死体を山野に晒していた。
 それが、「海ゆかば」である。
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 日本人は死に、朝鮮人は生きた。
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 絶望的戦争を続けている軍国日本にとっての不安材料は、日本国内にいる200万人以上と朝鮮半島の約3,000万人の朝鮮人の動向であった。 
 朝鮮人は、味方なのか、敵なのか。
 朝鮮人には、昭和天皇暗殺失敗や軍司令官爆殺など数多くのテロ事件を起こした前科があったので、おいそれとは信用できなかった。
 それでも信用できる親日派朝鮮人に武器を与えて、朝鮮半島の治安を任せた。
 絶望的状況に追い込まれた日本は、反日派を排除して、親日派を頼った。
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 死ぬ運命から解放された日本人は、戦争に参加せず、戦闘からに逃げ回って生き残った朝鮮人への言葉にならない怒りを感じていた。
 或いは、息子・夫・父親を兵士に獲られ戦争で失った家族にとって、同い年でありながらのほほんと生きてきた朝鮮人への吐き気が出る程の憎悪・嫌悪がとめどもなく沸き起こっていた。
 こうして、日本人の朝鮮人への差別は激しさを増した。
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 日本人は、命を的に共に戦う親日派帰化人を戦友として温かく接したが、命を大事に安全地帯へ逃げて金儲けをする反日派・渡来人を軽蔑し差別し冷たく突き放した。
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 悲惨な例が、朝鮮人テロリストや日本人共産主義者らによる破壊工作に恐怖して起きた関東大震災における在日朝鮮人殺害と大杉栄惨殺である。
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 治安維持法は、昭和天皇や皇族、政府高官や軍人を暗殺しようとする朝鮮人テロリストや日本人共産主義者、社会秩序を破壊して国家を混乱させ日本国を崩壊させようとする反体制派、反権力者、無政府主義者、狂信的宗教関係者を取り締まる為に必要な悪法であった。
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 日本天皇と日本国の為に戦死した親日派帰化人の朝鮮人は台湾人同様に、全員、靖国神社の祭神として祀り、日本民族日本人はもちろん昭和天皇・皇族に至るまで深々と頭を垂れ、命を犠牲にしてくれた事に対して感謝し、勇猛果敢に戦った事という功績を顕彰し、その恩を子々孫々まで忘れない事を誓った。
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 国際世論は、差別され虐待された反日派に同情して日本を激しく非難し、反日派の人権や自由の保障と差別・虐待に対する被害賠償支払いを強く求めている。
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 在日韓国・朝鮮人被差別部落出身者からヤクザになる者が多いのは、日本人が持つ心のドス黒い暗部、薄情・冷淡が原因である。
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 明治までの、部落民である非人・エタ・乞食などの賤民や貧困の下層民達、山の民・川の民・海の民の下郎こそが、日本天皇・皇室の真の守護者であった。
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 現代日本を、「日本人とは素晴らしい」という吐き気が出るような醜悪でおぞましい虚像が居座っている。
 日本人などはさして優秀でもないし、特に取り立てて見るとこもない平凡、凡庸な人間である。
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 2015年10月17日 産経ニュース「韓国メディア「腹立たしいが反論は困難」 文春“ベトナム韓国軍慰安所”報道
 韓国軍慰安所の存在をスクープした週刊文春のリポート
 韓国軍がベトナム戦争中に、サイゴン(現ホーチミン)に「慰安所」を設けていた−という「週刊文春」のスクープ記事の余波が、韓国国内で広がっている。同国メディアが、朴槿恵(パク・クネ)政権に対し、軍による慰安所運営の実態を調査するよう注文をつけたのだ。自国の恥部を、明らかにできるのか。(夕刊フジ
 「週刊文春の『韓国軍トルコ風呂』報道、腹立たしいが反論は困難…」
 ハンギョレ新聞(日本語電子版)は4月25日、こんな神妙なタイトルの記事を掲載した。問題としたのは、同誌4月2日付春の特大号に掲載された、TBSの山口敬之ワシントン支局長(当時)による衝撃リポートだ。
 文春記事は、山口氏が米国で発見した公文書に「韓国軍による韓国兵専用の慰安所」の存在が明示されていたという内容で、これを裏づける元米軍海兵隊幹部の証言なども盛り込まれている。
 朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心(強制連行)は崩壊している。それでも、韓国が「解決」を求め続けていることを念頭に、山口氏は「もし韓国政府がこの問題を黙殺したり、調査もせず否定したりするなら、彼らこそ都合の悪い事実に背を向け、歴史を直視しない国家であることを、国際社会に対して自ら証明することになる」とリポートを結んでいる。
 ハンギョレは「腹立たしくはあるが反論しにくい主張だ」と指摘し、韓国政府に対して「慰安所の運営・管理に軍当局がどこまで介入したのかなどを明らかにするための調査と後続措置に乗り出さなければならない」と促しているのだ。
 夕刊フジで「新・悪韓論」を連載する、ジャーナリストの室谷克実氏が背景を分析する。
 「私の知る限り、文春報道を取り上げた韓国メディアはハンギョレだけだ。同紙は韓国内では左派メディアと位置づけられており、軍に対して批判的な報道が目立つ。『アンチ軍』の立場から文春のスクープに飛びついたのだろう。一方、他の韓国メディアの中には『軍と対立したくない』という空気が強く、ハンギョレの報道を追いかける可能性は低い」
 ハンギョレはこれまでにも、韓国の恥部といえる、韓国軍によるベトナム民間人虐殺疑惑や、「基地村女性」「洋公主(ヤンコンジュ)」などと呼ばれた米軍慰安婦の問題を取り上げてきた。
 今回の報道が、政府や軍への本格的追及につながるとは考えにくい。ただ、報道がなければ「韓国の人々は、軍の慰安所に言及した公文書の存在を全く知らされなかった」(室谷氏)だけに、その意義は大きいといえそうだ。」


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〈写真記録〉筑豊・軍艦島―朝鮮人強制連行、その後

〈写真記録〉筑豊・軍艦島―朝鮮人強制連行、その後

  • 作者:林 えいだい
  • 発売日: 2010/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
朝鮮人徴用工の手記

朝鮮人徴用工の手記