☲19〕─1─貧しい朝鮮人は日本企業の労務動員(徴用工)に志願して日本に渡った。昭和15年~No.56No.57No.58 @ ⑬ 

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 従軍慰安婦問題が証明するのは、軍国日本の非人道的犯罪ではなく、朝鮮人が自分達の娘を守らなかった事である。
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 韓国臨時政府と光復軍・朝鮮義勇隊、その他の反日武装組織は、朝鮮半島における朝鮮人慰安婦を見捨てた。
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 朝鮮は、日本の一部として、日本同様に戸籍、住民票、居住者情報等々が整備され、居住者の氏名や生年月日や家族構成までが全ての個人情報を、朝鮮人が働く地元の役場で管理されていた。
 地方の学校、役場、警察署における現場の人員の90%以上が、日本人ではなく朝鮮人であった。
 日本人上司は、どうでもいい事まで細かい法律を定め、微細なまで手抜かりがないように仕事の手順を決め、神経質過ぎて部下の朝鮮人達が辟易するほどに指導して仕事をさせていた。
 そうした中で、20万人の従軍慰安婦や200万人の強制連行が起きたと言われている。
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 助けようとしなければ抵抗もせず、ただただ、無力な幼児の様に泣き叫んで転げ回るしか能がなかった。
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 韓国臨時政府と光復軍・朝鮮義勇隊、その他の反日武装組織は、朝鮮半島における朝鮮人慰安婦を見捨てた。 
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*食料輸入の制限
 1939年から40年に、朝鮮半島は酷い凶作に襲われ、貧しい朝鮮人は日本企業の労務動員に志願して日本に渡った。
 1940年代 日本政府は、朝鮮人を産業における即戦力の人材に育て上げるべく、高額な血税を投じて朝鮮に国立大学1校と官立専門学校9校を建てた。
 朝鮮人には、日本人同様に世界レベルの高度な教育を受ける権利が与えられ、家計が苦しい有能な青年には日本政府が学費を肩代わりした。
 朝鮮は、日本政府のヒトとモノとカネによる巨額投資政策によって近代化が急速に進んだ。
 人口は、公衆保健思想の普及で安全な水が飲めるようになって伝染病予防と乳幼児死亡低下で、1910年の1,600万〜1,700万人から2,400万人に増加した。
 近代的高等教育を受けた専門家や技術者や熟練工が大勢育成され、強制的に徴兵されて戦地に送られた日本人労働者に代わって軍需産業などの戦時経済を下支えした。
 1,000万人近い有能な朝鮮人労働者が、日本や朝鮮の工場や炭鉱や農村などで働いて日本軍の戦争を支えた。
 朝鮮には、日本系資本の工場があったが民族系資本の産業が成長しなかった為に、朝鮮人は経済的理由で自発的に日本へ渡航した。
 現代韓国は、「渡航せざるを得ない様な環境をつくったのは、日本の植民地支配による」として、自発的移動を「広義的な強制」と認定し、犯罪的強制連行に加えた。
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 1940年 昭和天皇は、現皇室の創始者である天智天皇を祭神として祀る近江神宮を創建した。
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 朝鮮半島における、当時の16から21歳までの朝鮮人女性は125万人と言われている。
 「1943年から約2年間に、日本人の手によって125万人の内20万人が従軍慰安婦として強制連行された」として、2010年頃から欧米各地に従軍慰安婦の碑が建立された。
 朝鮮では、少女の強制連行に対する抵抗運動も阻止暴動も起きてはいなかった。
 そうした記録が、日本はおろか朝鮮にも、都市はおろか地方にすら、親日派はもちろん反日派の個人宅にも、ない。
 その時、朝鮮人はどうしていたのか? 朝鮮人は何をしていたのか?
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 朝鮮人とは、日本人の「我が子の為ならば命を捨てても守る」という親子の常識からして理解不能な人間達である。
 不思議と、現代日本はそうした親子の情の薄い朝鮮人の心情が分かるせいか、韓国人や北朝鮮人に同情する日本人が多数存在している。
 つまり、現代日本人にも「親子の情が薄れてきた」と言う事になる。
 事実。現代日本では、我が子を殺す親や、実の親を殺す子供や、祖父母を殺す孫などが急増している。
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 もし、強制連行で朝鮮人女性が従軍慰安婦にされた事が事実であれば、朝鮮人は人類史に於いて例を見ないほど、家族として情のない人間という事である。
 韓国や北朝鮮が、従軍慰安婦問題で日本を非難する事は、祖先が自分の娘を助けず見捨てた事を公言している事である。
 そして、日本人やアメリカ人など全ての国の人間が、従軍慰安婦問題で韓国人や朝鮮人を支援する事は、韓国人や朝鮮人には家族の情がないと認めるのと同じである。
 これほど醜悪でおぞましい事は、他にはない。
 国連やEU、そしてアメリカ、カナダ、オーストラリアなど数多くの国の議会が、この事実を承認している。
 世界で、日本だけが強制連行による従軍慰安婦はいなかったと公言し、朝鮮人は家族の情があったと証明しようとして悪戦苦闘している。 
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 朝鮮半島北部(現、北朝鮮地域)には、キリスト教の教会と宗教施設が2,000ヶ所以上あり、信者数は約25万人以上いた。
 軍国日本は、国體として祭祀王・天皇の宗教権威を否定しなければ宗教弾圧せず、信仰の自由を保障していた。
 北朝鮮は、全てのキリスト教関連施設を破壊し、宣教師や信者の多くを虐殺した。
 一部の信者は、見付からないように隠れて信仰を守った。
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 1月8日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「百十余名溺死(?)の密航船の正体判明」
 1月13日 東亜日報「増大する密航ブローカー」
 1月15日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「猟奇! 箱詰め密航」
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 2月 朝鮮総督府は、半年間の申請期間を設け創氏改名を実施した。
 満州朝鮮族は、中国人からの差別・迫害・弾圧を受けていた為に、日本人と同等の権利を持ち日本人として扱いを受けるべく、日本姓を名乗る創氏改名を要請した。
 2月17日 東亜日報「居昌労働者多数 内地鉱業地帯に向け出発
 慶尚南道居昌では、北朝鮮をはじめ、満州や日本に行く労働者が増えている昨今、今回は日本内地から直接人が来て、多数の労働者を募集。去る13日から3日間は、各所鉱業地帯に出発するというので、指定された某写真館と理髪業者の景気がとても良いというが、農作業に従事する働き手の不足が心配される」
 朝鮮人労働者は、深刻な労働者不足が発生している北海道と九州に引率されて行った。
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 3月 日本は、「日鮮一体化」の基本方針で朝鮮を近代化をするべく強引な同化政策を行っていた。
 公を否定する個優先の自己中心的な朝鮮人を日本国臣民にする為に、最大の弊害である儒教的単系父系親族制度の解体を急いだ。
 目に見える同化政策が、「創氏改名」である。
 2,000万人の朝鮮人は、金、李、朴、崔、鄭など286姓を名乗っていた。
 雑多な姓氏による複数系男女両系親族制度を持つ日本人には、朝鮮の伝統的単系父系親族制度を理解できなかったし、同姓の多さで個人の家族及び親族構成ができなかった。
 日本は、個人を特定しやすいように、伝統的氏族の姓とは別に家族としての日本式の氏(苗字)を新設して選択させる事にした。
 これが、創氏改名である。
 6ヶ月の申告期間中に、8割の朝鮮人が日本式氏(苗字)に改名して申告した。
 2割の者が朝鮮姓を守ったが、中には朝鮮姓と日本式氏を使い分ける者もいた。
 妻を夫の家族の一員とは認めない男女別姓を廃止し、夫婦同姓を導入して妻の法的地位を引き上げ、夫の所有物から妻を解放した。
 儒教価値観的男尊女卑意識を改めて女性差別を止めさた為に、朝鮮人女性の権利意識は強くなった。
 家庭から解放された女性の社会進出が徐々に進み、職業に就き、店を持つ事が可能となった。
 保守的朝鮮人は、妻が家の外に出て、家族以外の男達に混じって働く事は公序良俗に違反し、男性中心社会の堕落の元であるとして批判した。
 そもそも、教養ある真っ当な人間は汗水垂らして働くべきではないと確信していた。
 本貫が同じの男女は結婚できなかったのを改めて、遠縁であれば両人の希望であれば結婚を許した。
 また。正統家譜を守る為に禁止されていた、婿養子・異姓養子・夫婦養子も認めた。
 保守的朝鮮人は、伝統的親族制度が破壊されるとして猛反対した。
 3月6日 大阪朝日新聞中鮮版は、朝鮮総督府の「氏の創設は自由 強制と誤解するな」との注意を促す記事を掲載した。
 朝鮮総督府は、創氏改名が強制でない事を証明する為に、朝鮮名を持った朝鮮人を道庁や郡庁の幹部に登用した。
 3月10日 東亜日報「密航ブローカー五百余人依然各地で蠢動(しゅんどう)」
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 漢口の慰安所は、中国大陸で最大規模の慰安所で、従軍慰安婦が300人以上いて内8割以上が日本人女性で、残りが中国人や朝鮮人の女性であった。
 超売れっ子朝鮮人慰安婦は、朝鮮銀行に約3万円(現在の約4,000万円)を貯金していた。
 漢口の日本軍司令官は、日本軍兵士の慰問に体を張って協力してくれた事に感謝して表彰した。
 朝鮮人慰安婦「私達にこんなに良くして頂いて、優しくしていたいて本当にありがとう御座います。お陰様で沢山のお金が稼げて朝鮮にいる両親のもとに沢山仕送りもしています。本当に有り難いことです」
 日本軍軍医は、戦力低下を防ぐ為に慰安婦達の性病検査や健康管理に気を付けた。
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 満州国の総人口は約4,200万人で、建国当時は約3,000万人であったが、満州国と日本軍により治安回復によって、日本人以外に蒙古人、漢族、朝鮮人などが年平均100万人移り住んで増加をしていた。
 極貧の農業地帯であったが、日本からの資本投下で近代的な重工業地帯として目覚ましい発展を続けていた。
 関東軍は、対ソ戦略から傀儡国家・満州国の安定と発展に協力し、時には反近代的な儒教的考えしかしない政府高官達に威圧的に要求を押し付けた。
 後年。豊満ダムの視察に訪れたフィリピンの外相は、「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカの支配下で40年を経緯している。だが住民の生活向上に役立つものは一つも作っていない。満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのだ」
 持てる国であるアメリカやイギリスなどの欧米列強は、植民地に資本と技術を投入し、植民地住民を教育して、近代的産業地域に必要がなかった。
 持たざる国である日本は、何もない勢力圏から多くの物を得る為には無理をしてでも近代的重工業地帯にする必要があって、乏しい国家予算の中から巨額の開発資金として投入し、無学文盲の地元住民が最先端技術を使いこなせる様にする為に日本式高等教育を施した。
 満州国の安定と発展によって、周辺地域からの人口流入は止まらなかった。
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 ジョンストン『紫禁城の黄昏』「もし日本が、1904年から1905年にかけての日露戦争で、ロシア軍と戦い、これを撃ち破らなかったならば、遼東半島のみならず、満州全土も、そしてその名前までも、今日のロシアの一部となっていた事は、まったく疑う余地のない事実である」
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 5月19日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「密航防止の新取締り」
 日本政府と朝鮮総督府は、日本への密航者を根絶させる為に取締をり規制を強化したが、密航は途絶える事はなかった。
 国内の労働不足を解消する為に、1944年12月に内地渡航制限を廃止した。
 5月21日 刑事に成り済ましていた朝鮮人が、資産家の婦人を誘拐する事件が発生した。
 5月25日 李垠殿下は、留守第4師団長となる。
 5月28日 大阪朝日新聞(南鮮版)「朝鮮人坑夫の物凄い稼郄」
 日本企業は工場や炭坑などの現場の労働不足を補う為に、国内にいる朝鮮人労働者に対して高額賃金や優遇労働条件で募集していた。
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 6月2日 誘拐団による、農村の少女14名が連れ去り事件が起きた。
 6月25日 平壌警察署は、朝鮮人娼妓からあくどくピンハネする朝鮮人業者を逮捕し、娼妓の生活権を悪徳業差から守る為に自前制度を施行した。
 日本は、昔から遊女は社会の必要悪として見て見ぬ振りをしていたが、大陸の様な人身売買する性奴隷とする事を禁止していた。
 儒教の教養ある一部の朝鮮人は、金になるのなら、身分低い女性を誘拐して娼婦に売った。
 大陸に於いては、女性は人権がないモノでしかなかった。 
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 8月号 文芸首都「(金史良{キムサリヤン})玄界難密航」
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 8月6日 朝鮮人犯罪者による、中等学生への犯罪が多発した。特に、女生徒への嫌がらせが頻発し、誘拐未遂事件も起きていた。
 学校や警察は、登下校時に注意を呼びかけた。
 貧しい家庭では、食う為に少女らを朝鮮人女衒に売った。
 朝鮮人女衒は、少女らを日本軍の慰安施設の朝鮮人業者に転売した。
 日本軍や憲兵隊は、朝鮮人悪徳業者を厳しく取締り、朝鮮人女性達の健康管理や性病予防に力を入れた。
 金学順「貧困の為に40円で売られて養女にされ、キーセン修行『金儲けができる』と養父に連れられ中国に行き、養父と別れて慰安所に入れられた」
 戦後。河野談話は、こうした人身売買によって生まれた従軍慰安婦に日本軍が関与したと認めた。
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 9月11日 朝日新聞朝鮮版は、朝鮮の伝統文化である妓生の実状を「妓生の本場」として報道し、妓生養成学校と妓生の生活を紹介した。
 9月17日 韓国臨時政府は、朝鮮独立を目指す為に、国民党政権の臨時首都・重慶韓国光復軍を創設した。
 創軍宣言文「韓国と中国の独立を回復すべく共通の敵・日本帝國主義を打倒し、聯合国の一員として抗戦する」
 1年目の兵力は、300人を超えた。
 金九は、民族革命党の義勇隊に対抗する為に、38年に漢口で組織した朝鮮義勇隊を正規軍に格上げする許可を蒋介石から得て光復軍の成立式典を開いた。
 だが、新韓民主党など3党の協力が得られず名称だけの正規軍で、光復軍内部も意見が分裂してまとまりを欠いていた。
 金九は、光復軍をまともな軍隊にするべく、国民党政府に国民党軍の下部組織に編成する事を要請した。 
 国民党軍は、軍隊として体を成さない烏合の衆のような光復軍を加える事には猛反対した。
 9月22日 日本軍は、北部仏印に進駐し、北部の穀物生産地帯を占領した。
 9月25日 アメリカは、中国に2,500万ドルの借款供与を行い、抗日中国軍への支援を増加させた。
 アメリカの対日戦支援金は、ウォール街ユダヤ系国際金融資本が融資した。だが、その金は海を渡る事なく、アメリカ国内をめぐり、ユダヤ軍需産業ユダヤ系国際金融資本の支配下の産業に支払われた。
 世界大恐慌下で経営難にあった全産業に利益をもたらし、株を持つ全投資家に高額の配当金をもたらした。
 如何なる戦争においても、資金が必要であった。
 金は、敵味方に関係なく、勝ち負けにも関係なく、そして正義や悪に関係なく、国境を越えて投資に見合った利益を上げる事を最大の目的として動いていた。
 金は、膨大な戦争被害を出そうとも、儲かる所に流れ込んだ。
 戦争は、マネー・ゲームとして始まり、費用対効果で投資した以上の利益をむしり取って終わる。
 新約聖書(マルコによる福音書 第11章第17節)「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである』。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」
 9月27日 A級戦犯・松岡外相は、ナチス・ドイツの対中国財政支援を完全に停止させる為に、ファシスト・イタリアを加えて三国同盟を締結した。軍部は、外務省に抗日中国からナチスに関係するドイツ企業群の影響力を排除する様に希望した。だが、ナチス・ドイツの対中支援は翌41年7月まで続けられていた。
 ユダヤ人は、反ユダヤ主義ヒトラーと同盟を結んだ日本と昭和天皇を敵と認識し、経済封鎖を強めながら日本を窮地に追い込んで行った。そして、軍国日本を破壊し、昭和天皇ヒトラーと共に犯罪者として葬り去る為の謀略を仕掛けた。
 中国は、ナチス・ドイツからの財政支援を止められた為に、同盟国ソ連に軍事支援を求めた。ソ連は、求めに応じて抗日中国に莫大な軍事費と膨大な軍事物資を送った。その支援は、アメリカとイギリスのユダヤ系国際資本から出ていた。
 アメリカやカナダやオーストラリアは、経済制裁としてパン用小麦粉の対日輸出を減少させた。日本はパン用小麦が生産できなかった為に、外国依存度は100%であった。
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 11月7日 昭和天皇は、第38代天智天皇を祭神とする近江神宮を創建。天智天皇は、斉明女帝の意志を継いで百済再建の為に軍隊を朝鮮に派遣したが、白村江の海戦で大敗をきした。古代日本は、国防意識から、軍事大国・唐の侵略を食い止める為に、同盟国百済の再建に国運をかけていた。島国日本は、古代から、世界的植民地帝国・中国の侵略を警戒していた。
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 12月2日 李垠殿下は、陸軍中将に進級した。
 日本陸軍の中には、朝鮮人の高級将校が多数いて日本人兵士を率いていた。
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 15年暮れから、朝鮮義勇隊員の大半が中国共産党の支配地域に逃亡した為に、残りの義勇隊員は光復軍に編入された。
 新韓民主党など3党は、金元鳳の指導力が失われ民族革命党の力が弱まるや韓国独立党に従った。
 大韓民国臨時政府は金九の韓国独立党の下で統一され、光復軍も統一軍として再編された。
 が。国民党軍は、依然として光復軍を軍紀・軍律を遵守せず軍事訓練を受けていない集団と見なし、勝手な行動を起こして軍事作戦を妨害されては迷惑として大韓民国臨時政府の指揮権を取り上げて監視下に置いていた。
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 2014年5月12日 msn産経ニュース「朝鮮人部隊の石碑が完成 中国西安市、近く除幕[中国]
 中国外務省の華春瑩報道官は12日の記者会見で、陝西省西安市で日本の植民地支配に抵抗した朝鮮人部隊「光復軍」を記念する石碑が完成し、近く除幕すると明らかにした。
 日本からの反発を引き起こさないか問われると「国家も民族も個人も歴史を深く心に刻んでこそ、未来に向き合える」と強調した。
 石碑の設置は韓国の朴槿恵大統領が昨年6月に訪中した際、中国側に要請していた。中国は韓国側の提案を受け1月、朝鮮の独立運動家、安重根の記念館を黒竜江省ハルビン市に開いている。(共同)」
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 韓国歴史教科書『韓国2』「中日戦争が勃発すると大韓民国臨時政府の金九・金奎植・金元鳳・池天清らは、満州とシベリヤで抗戦していた独立軍と朝鮮義勇隊を編制して、祖国の独立のため抗日戦を展開した。
 そののち、臨時政府は中国国民党政府と一緒に重慶に移り、本土収復の為の臨戦態勢を整備し、全ての武装力量を光復軍として統合、訓練して独立を促進した。
 そして、太平洋戦争が起きると、光復軍を連合軍の一員として参戦させ様とする外交的努力を広げる一方、臨時政府の名でもって、対日宣戦布告をするに至った。
 この様にして、光復軍は連合軍と合同して対日抗戦を遂行した。特に、中国国民党政府との間に光復軍に関する協定を結んで共同訓練と作戦を広げる事になり、一部の光復軍はビルマ作戦まで派遣され、イギリス軍との連合作戦を遂行した。この様に、韓民族の軍隊は最後まで、あらゆる悪条件に耐えながら抗戦を継続遂行した」
 連合国は、大韓民国臨時政府朝鮮半島における正当な政権とは認めず、サンフランシスコ講和条約においも新たに誕生した東南アジア諸国と差別して署名国に加えなかった。
 連合軍は、約300人程度の光復軍を、軍規・軍律で統制され猛訓練を受けた正規軍とも、勇敢なレジスタンス或いはゲリラとも見なさず、日本軍との死闘の足手まといとして後方の雑用仕事のみを与えていた。
 世界戦史は、韓国が主張する光復軍の活躍を認めてはいない。





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