🛶4〕─2─9世紀末。北海道に共存した古アイヌ文化と古代オホーツク文化。~No.9 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年1月27日号 週刊文春「東洋美術逍遥 橋本麻里
 日本最北の地の、古代の暮らしを紹介 
 『オホーツク文化──あなたの知らない古代──』
 大学の非常勤講師として日本美術史の授業を担当していた時、講義は旧石器時代から始めていた。当時日本列島を闊歩していた人々の認識に『日本』や『美術』という枠組みはなくとも、『目的に添った機能を備えた道具』から『見て感じるためだけのオブジェ』までのグラデーションを持った人工物をつくる、という原点まで遡らないと、その後の話がしにくいからだ。
 だがその通史の中でも、列島の北方についての知見は、我ながら手薄だったのが恥ずかしい。アイヌの文化までは何とか取り繕うことができても、『オホーツク文化』と言われたら、たいていの人は、口を噤(つぐ)まざるを得ない。
 まず基本的な前提として、日本人の起源をめぐる定説となっている。人類学者の埴原和郎氏が提唱した『二重構造モデル』について触れておこう。旧石器時代、東南アジアから日本列島へ渡来した人々が縄文人との間で混血を繰り返し、現在の日本列島に暮らす集団の基礎ができた、というものだ。北海道にも縄文人たち(本州の縄文人とDNAの上でも大きな違いはない)が暮らしていたが、やがて本州に渡来人が増え、農耕社会(弥生時代)となった後も、北海道では狩猟・漁労・採集の暮らしが続いていた。これを北海道独自の時代区分として、続縄文時代(紀元前3世紀頃~紀元後7世紀頃)と呼ぶ。そんな縄文以来の人や文化が継承されていた北海道に、稲作を伝えた渡来人とはまったく別の『異民族』がやってくるのは5世紀。本州では巨大古墳が築かれている時代である。
 オホーツク文化の担い手、すなわち現在のアムール河下流域の人々に近い形質を持つ集団は、5~11世紀(北海道では9世紀末)まで、アムール河からサハリン、北海道のオホーツク海沿岸、千島列島にいたる広大な領域で活動した。海獣や漁労を生業とし、動物、特にクマを対象として儀礼の痕跡が数多く見られることから、12~13世紀以降に登場するアイヌ文化との間の繋がりも想像される(今のところ直接的な関係を示す証拠は見つかっていない)。
 そんな、未知なる北方の古代の姿を紹介するのが、この展覧会だ。住居奧に祭壇のごとく積み上げ、儀礼を行ったと覚しき動物の骨──もっとも多く見られるのはクマの頭骨だ。あるいは首輪と引き綱のような頸城が見てとれる(飼育していた?)、角製の仔グマの彫像。シャーマンのようにも、半跏思惟(はんかしい)のポーズをとる仏像のようにも見える。海獣の牙製婦人像。そして大陸と本州、双方との交流を窺わせる貨幣や刀剣などの遺物。彼らが何を祈り、どのように生きてきたのか。学校で『日本史』として学んだ範囲を遥かに超えた広がる、列島の歴史と文化の多様性を、その目で確かめてほしい。
 〔大阪府立近つ飛鳥博物館 特別展示室にて3月13日まで〕」
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 人類は、アフリカ大陸で誕生して移動して地球上に生活圏を広げてきた。
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 北方系のアイヌ民族アイヌ人は、西方系の漢族中国人や韓国人・朝鮮人とは異種異族と言っても良いほど縁が薄く、それに比べて南方系の日本民族・日本人とは同種同族と言っても良いほど近い。
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 アイヌ人が、日本民族と遺伝子情報が異なる血の繋がりのない純粋な古代オホーツク文化民族なら、アイヌ民族は日本を侵略し先住民であった日本民族の祖先を征服した侵略者である。
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 古代オホーツク文化は、ユーラシア大陸北東の北方系山野民文化とユーラシア大陸東沿岸の南方系海洋民文化が含まれている。
 南方系海洋民とは、日本の石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)の事である。
 古代オホーツク文化とは、オホーツク海を中心としてシベリア、カムチャッカ半島、千島列島・北方領土樺太蝦夷地(北海道)に幾つも誕生した文化の総称で一つではない。
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 日本民族の祖先である縄文人は、手漕ぎの丸木舟で北米大陸西北海岸まで移動していた。
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 蝦夷地(北海道)・北方領土先住民族とは、数万年前の石器時代縄文時代から住んでいた日本民族の祖先である石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)である。
 アイヌ人が日本の歴史、人類の歴史に姿を現すのは、飛鳥時代(592年~)あるいは奈良時代(710年~)以降である。
 つまり、アイヌ民族アイヌ人の歴史は日本民族日本人の歴史よりも新しい。
 日本の石器人(ヤポネシア人)は、揚子江流域で水稲農耕と素潜り漁労の長江文明を生んだ海洋・河川の民の子孫であった。
 アイヌ文化は、日本文化よりもさらに新しい。
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 中国共産党、韓国・北朝鮮、アイム独立派、国連の少数民族関連委員会、その他の国や地域が、アイヌ民族日本民族とは血の繋がらない別種の少数民族とするなら、アイヌ民族は先住民であった日本民族の祖先である縄文人(日本土人)の土地を奪った侵略者・征服者という事になる。
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 縄文人であるヤポネシア人・石器人、日本土人、は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部まで、西は朝鮮半島南部、日本海を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と軽蔑していた。
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 日本民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいた人々が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 琉球民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 日本人と言っても、血の繋がった日本民族と血の繋がらない日本国民とは違う。
 帰化人は心や志・精神・思いなどで深く繋がっているが、渡来人には如何なる繋がりもない。
 それ故に、日本民族帰化人を友・仲間・身内として受け入れたが、渡来人は他人として差別し排除して遠ざけた。
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