🦉5〕─1─日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由。~No.8No.9No10 

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 2022年11月29日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由
 和田秀樹
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 写真はイメージです Photo:PIXTA
大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。
 ※本稿は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)の一部を抜粋・編集したものです
 偉くなってしまえば論文を書かなくてよくなるという問題
 大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。
 一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。どのような職種であれ、ビジネスパーソンは成果を求められます。しかし大学教授は、偉くなりさえすれば成果など必要なくなります。
 論文の本数も、自分の研究室のメンバーが書いたものに名を連ねるだけでなんとかなります。まったく書かない教授も珍しくありません。論文の本数が少なかろうとクビの心配はないのですから、定年まで楽に過ごせます。
 ちなみに、理化学研究所などの研究者は、発表した論文の本数が評価の対象になります。評価が低ければ、職を失うことにもなります。研究者にとってはハードですが、大学のようなぬるま湯とは大違いです。
 なぜ大学では、こうした決まりが設けられていないのでしょうか。それは、ぬるま湯でいてほしい人たちがいるからです。
 ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも
 教授たちだけではありません。ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも存在します。文科省厚労省などの官僚たちです。
 彼らは在任中や退官後に大学教授として再就職することをあてにしています。つまり、天下りです。官僚の天下り国家公務員法で禁止されていますが、今も数々の抜け道があり、とりわけ大学は大きな受け皿となっています。「公募に応じて」という体裁をとりながら、実は前職の力にものを言わせて、論文を一本も書かずに教授に収まるわけです。
 そんな彼らにとって、天下り先がハードな環境になるのはもっとも避けたいところ。将来の自分の首を絞めるような決まり事をつくるはずがないのです。
 この思惑がある限り、大学のぬるま湯環境は変わらないでしょう。逆に言えば、大学への天下り規制が強化されれば、日本の研究環境も少しは向上するかもしれません。
 研究者のやる気をなくす大学のシステム
 もう一つ、研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。
 日本の大学教授は、成果を出そうと出すまいと、大学から一定額の給与が支払われます。
 他方、アメリカの大学教授の場合は、自力で稼いでくるシステムです。大学からもらう給与もありますが、日本に比べるときわめて低額です。ですから彼らは行政や企業に掛け合って、「グラント(研究費)」を集めます。
 受け取ったグラントをどう使うかは教授の自由です。10のうち8を研究資金にして2割を報酬にしてもいいし、7:3でも6:4でも、好きに決められます。
 グラントが集められるかどうかは、教授およびその研究室が結果を出しているか、もしくは有望であるかによって決まります。成果や実績、研究内容の持つ意義やポテンシャルなどを認めてもらえない限り資金は得られず、研究も続けられないし、生活も成り立ちません。研究者は自分の業績をもとに営業活動をし、研究室を運営していく「経営者」とも言えます。研究室にいい人材を集めるための努力も欠かせません。
 対して、給与をもらっている日本の大学教授は「従業員」の立場ですが、業績にかかわらず給与が出るので、一般のビジネスパーソンよりも楽です。やる気のない人ほど嬉しい環境とも言えます。
 逆に言えば、やる気のある人にとっては、恵まれた環境ではありません。と言うのも、研究の成果が報酬に直結しづらいシステムだからです。アメリカと違い、研究費は研究以外のことには使えません。研究の成果が出ても、それが商品化されてお金になるまで、報酬にはなりません。研究のほとんどは、お金を生み出すに至らなかったり、至ったとしても途方もない時間がかかりますから、やりがいにはいま一つ結びつきません。
 もちろん、モチベーションの源はお金だけではありません。報酬など気にせず、意義ある研究や発見のために邁進(まいしん)するのも一つの姿勢です。ところが日本の学界は、研究の価値を正当に評価する意識も希薄なのです。iPS細胞のような「特大ホームラン」でもない限り、さほど注目されることもありません。そうしたなかで、もともとやる気のある研究者でも、徐々にやる気を失っていくのです。」
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