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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本は世界で信用され、日本人は世界で愛されている、は嘘である。
アジアやアフリカで、親日知日が減り、親中や親韓国が増えている。
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2023年1月13日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「「ベトナム人は親日で韓国嫌い」は本当か? 現地に行くと分かる意外な状況
ベトナム南部の経済都市ホーチミン(出所:Pixabay)
(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授)
ベトナムは韓国が結構好きである。「親日の国」と言われていることを否定するつもりなど毛頭ない。だが、肌感覚としては、ベトナムでは日本よりも韓国の方が存在感を増しつつあるような気がする。
【本記事の写真】天然の入り江を利用したベトナム・ヴィンハイの港
この年末年始に現地に滞在している間、私はずっとそう思っていた。
10年前に初めて行ったときには、もうこの国には来ないだろうと思っていた。知り合いもいるし、東南アジアを少しは見ておくのも必要だろうという、そんな小さな義務感に背中を押されて訪れただけだった。
ところが、ベトナムにすっかりはまってしまったのである。それまでテレビや出版物で知っていたものとはまた違う魅力を発見したからだ。その後、1年に一度、そのうち二度も足を運ぶようになり、ノービザで滞在できる15日間をフルに使って短期滞在を繰り返してきた。
■「オッパ、オッパ」と話しかけられた
最後に行ったのは2019年の1月だった。それからほぼ4年の歳月が流れて、ようやくまたベトナムの土を踏むことができた。
今回のベトナム滞在では、ちょっとした違和感が私に付きまとい続けていた。ホーチミン空港でタクシーに乗るなり、運転手から「韓国人か?」と聞かれたのだ。東南アジアで日本人と韓国人の見分けがつく人は、なかなかいない。
今回のホーチミン滞在では、チョロンと呼ばれるチャイナタウンにホテルを取った。多くの観光客が泊まるホーチミン市の中心部から30分ほどかかるが、2日目に訪れる予定の田舎町に向かうバスの始発乗り場がすぐ近い。フランスのマルグリット・デュラスが自伝的小説『愛人』(L'amant)で華僑の青年と結ばれた連れ込み宿があったところだ。私の泊まったところもそうなのかはしらないが、宿泊料金だけでなく、休憩の値段まで看板に書かれていた。近くに大きな市場もあるせいか、雑然としてごった返している。
その宿のオーナーも、私が日本人であるのを知って、「へぇー、日本人なんだ」と不思議そうに眺めるのだ。理由を聞いてみると、日本人観光客はあまり戻ってきていないからだという。
また、ダラットという高山リゾート地での滞在中に、夫婦で営んでいる庶民的な店で食事したときも、奥さんが「オッパ、オッパ」と私に話しかけて笑っている。外国語は話せないが、「お兄さん」という意味の韓国語のこの単語は知っているというのだ。そして私のことを韓国人だと思い込んでいた。「いや、私は日本人なんですよ」と打ち明けると、「あら、ハズレちゃったわね」と大笑いしていた。
■ベトナム人は本当に反韓感情が強いのか?
ベトナムと韓国の関係というと、2000年代には韓国農村部の男性とベトナム人女性との結婚で少なからぬトラブルが発生し、日本でも詳しく報じられている。また、さらに時代をさかのぼれば、ベトナム戦争での韓国軍による良民虐殺や、その時に韓国兵と現地女性との間に生まれた混血児であるライダイハンの問題がよく取沙汰される。去年の秋には『韓国軍はベトナムで何をしたか』(村山康文著、小学館新書)というルポが出されたばかりだ。
そのせいか、ベトナム人は反韓感情を持っていると思い込んでいる日本人が今も少なくない。もちろんこうした「事実」を知ることも重要であるし、ベトナムを旅していても韓国に対する否定的な感情を露わにされることもないわけではない。でも、そうした嫌韓・反韓感情は、ベトナムにおける対韓感情のごく一部に過ぎない。
最初にベトナムを旅行したとき乗った市内のバスは、韓国で使われていたバスの中古が利用されていた。降りるときに押すボタンには、ハングルが書かれていた。アイスを買おうと店に入ると、半分ほどは韓国のアイスで、しかも、パッケージまで韓国とおなじく、ハングルで表示されている。
いや、それどころか、そうした日常の中に韓国モノが入り込んでいる比率は当時よりアップしたと言った方がよい。1月5日の報道によると、韓国での去年の貿易黒字国は、ベトナムが第1位になった。
もう7年ほど前だろうか、ベトナム戦争時代に韓国軍が拠点を置いたクイニョンの街中を歩いていた時のことだ。突然、若い女性に声をかけられた。私の着ていたハングルの書かれたTシャツに反応したのだ。その女性とは今でもやり取りがある。ちなみに、海岸の美しいこの街から20キロほど離れたところに、良民虐殺の現場があり、記念碑が建てられている。しかし、私が出会った現地の人たちは、そんなことを気にもかけていないようなのだ。
ベトナムと韓国が抱える歴史問題の背景については、『戦争記憶の政治学:韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』(伊藤正子著、平凡社)などを参照していただきたい。その出版からさらに10年の歳月が流れた今、サムスンをはじめとする韓国企業がこぞってベトナムに進出している。ベトナム・韓国間の政治経済の交流は深まっているのだ。
ベトナムの空港で印象的なのは、サムスンの大型ディスプレイに日立のコマーシャルが映し出されていることだ。日本と肩を並べる、あるいはそれ以上と言えるほどに、韓国企業はベトナムに進出している。
でも、それ以上に一般のベトナム人が実感するのは、ベトナムに押し寄せてくる韓国人観光客の数であろう。
正確な数値を把握しているわけではない。ただ、今回私が訪ねたところでも、車体にハングルが書かれた観光バスは何台も見たが、日本語でツアー名の書かれたバスは1台も見かけなかった。街中を歩いていても、韓国人はどこででも見かけるのに、日本人はほとんど見当たらない。しかも年末年始なのだ。
■硬直して、しぼんでいってしまう日本社会
そんな時に、ショッキングなネットニュースを1月2日に目にした。「海外に行かなくても十分? パスポート保有率19%の日本」(ABEMA TIMES)というタイトルのニュースだ。19%という数字も衝撃的だが、旅行業界専門紙、航空新聞社のデータを辿ってみると、日本人のパスポート保有率は年々下落している。実際に海外旅行に行く人は、それよりも低いのだ。
海外旅行に行くと、テレビや雑誌、旅行ガイドで紹介されている以上のことを見聞できる。私も今執筆中の本で、丸々1章をベトナム文化の紹介に充てている。ベトナム旅行がなければ、あり得なかったことだ。
あるいはこんな体験もある。ベトナムのヴィンハイに、天然の入り江を利用した港がある。その港の写真の美しさに惹かれて、足を運んでみた。ところが港はプラスチックごみで溢れていた。悪臭が漂う中、愕然としながら歩いていた私は地球環境について思いを巡らせた。急速に経済が発展するなか、国民の意識をどう変えていくのだろうか。よその国の問題といえばそれまでだが、その発展に日本も貢献しているのだ。ならば、日本社会はベトナムに何ができるのだろうか。
そうしたことは、日本にいるだけでは思いも及ばないだろう。それどころか、井の中の蛙が増えてしまい、世界の変化から隔絶されてしまう。
コロナ禍が終息しつつあるなか、海外に出ようという機運が高まっている韓国社会で暮らしていると、日本社会はこのまま硬直して、しぼんでいってしまうのではないかと危惧されてならない。
私は文学者だが、本で知るのと現地で見るのとは違っている。どちらも必要なのだ。そのことだけは最後に強調しておきたい。
平井 敏晴
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