☷20〕─3─韓国人ジャーナリストが米紙に寄稿文「憎めと教えられた国日本」。~No.60 

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 2023年5月7日 YAHOO!JAPANニュース クーリエ・ジャポン「韓国人ジャーナリストが米紙に寄稿「憎めと教えられた国、日本を私は愛している」
 ソウル市内に設置されている「徴用工の像」 Photo by Kim Jae-Hwan / SOPA Images / Sipa USA
 韓国生まれのジャーナリストが米紙「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した。韓国はもう徴用工や慰安婦の問題から前に進むべきだ、日本統治時代にこだわり続ける不健全な感情を捨てるべきだと綴る。
 【画像】徴用工、慰安婦…「反日の洗脳」から解かれ、「日本の美と文明」を愛でよ
 1990年代初め、韓国で少年時代を過ごしていた私は、母から全60巻の伝記シリーズをもらった。その半分は、ブッダリンカーンキュリー夫人など世界の偉人で、残りの半分は韓国人だった。
 そうした韓国人の大半にはある共通点があった。彼らは、日本に抵抗したことで知られる人たちだった。
 私は母に、なぜもっと他の理由で記憶されるべき韓国人がいないのか聞いてみた。答えはこうだった。
 「日本との戦いこそが韓国の歴史だからでしょう」
 韓国人は何十年もの間、日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代(1910~1945年)から前に進めずにいる。日本による強引な占領、労働者の強制徴用、「慰安婦」と呼ばれた性奴隷──これらの事柄がまるで国を挙げた洗脳のように繰り返し唱えられてきた。
 だが、こうした不健全な感情はもう手放すべき時に来ている。韓国は日本と多くを共有している。両国とも近代民主主義国家であり、目覚ましい経済成長を遂げ、米国の同盟国だ。そしてどちらの国にも、中国という大きな脅威が迫っている。
 私たちが学校で教えられたこと
 私が韓国で育った頃、学校では、4世紀以上も前に日本の侵略を退けた李舜臣(イ・スンシン)将軍が、まるで昨日の英雄かのように称賛されていた。韓国の発展が遅れているのは、日本統治時代の略奪や破壊行為のせいだと言われていた。
 韓国からすれば、戦時中の残虐行為を美化するような教科書が日本の学校で使われていたり、戦犯がまつられている靖国神社を政治家が参拝したりするなど、日本側に歴史への反省が見られないことも反日感情を煽った。
 植民地から独立した多くの国と同じように、韓国の国民感情はたびたび葛藤していた。
 1990年代初め、直訳すると『日本には何もない』というタイトルの本が韓国で出版された。日本の国家としての欠点が延々と並べられた同作はベストセラーになった。その直後、ベストセラーがもう一つ誕生した。対照的に『日本には何かがある』と題したその本は、より寛容な視点から書かれていた。
 いま韓国の保守政権を率いる尹錫悦大統領は、変化の必要性を認識している。片方の目を中国(と北朝鮮)に向けながら、日本に歩み寄ろうと努力しているのだ。
 尹政権は3月、第二次世界大戦中に強制徴用された韓国人労働者への賠償をめぐる数十年来の問題の妥協案を提示した(韓国最高裁が日本企業に命じた賠償金を韓国政府傘下の財団が代わりに支払うという)。
 尹はこの提案後、すぐに日本への公式訪問に踏み切った。韓国大統領の訪日は実に12年ぶりで、岸田文雄首相との夕食会ではビールを飲み交わした。
 日本に憧れてはいけない空気
 私の初めての海外旅行は1992年、行き先は日本だった。知り合いの誰もが、お土産にソニーウォークマン東芝の炊飯器など、当時人気の日本製品を欲しがったような時代だ。
 でも私たちは、日本に肯定的な発言はしないよう気をつけていた。韓国の政治家は長きにわたって反日路線で支持を集めており、日本への憧れを少しでもにおわせれば、売国奴のレッテルを貼られかねない(これを書いている今もそれを覚悟している)。
 1995年、韓国政府は鬱憤を晴らすように、ソウル中心部にそびえ立っていた旧朝鮮総督府──日本が朝鮮を統治するために設置した機関の建物の解体に着手した。建築的価値の高い建物が失われたのである。
 日本人が去った後、この建物は政府庁舎となり、のちに博物館として公開された。子供だった私はその中を歩き回り、韓国の歴史や芸術の素晴らしい展示物に魅了された。なぜ跡形もなく取り壊さなければならないのか、さっぱり理解できなかった。
 だが、こうした植民地時代の名残は、「根絶やし」にしなければならないのだと教えられた。まるでそれがゴキブリであるかのように。
 Se-Woong Koo
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