☷36〕─1─南海トラフ大震災や東京大震災で中国人や韓国人・朝鮮人の虐殺事件が起きる危険性。~No.91No.92 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 一度ある事は二度あり、二度ある事は三度を起きる。
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 グローバル派エセ保守や過激なリベラル左派は、1,000万人外国人移民(主に中国人移民)計画を推進している。
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 日本弁護士連合会
 関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺人権救済申立事件(勧告)
 内閣総理大臣宛勧告
 2003年8月25日
 政府に対して、関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺は軍隊あるいは虚偽事実の伝達などの国の行為に誘発された自警団により行われたものであるとして、謝罪と真相究明などを勧告した事例。
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 2023年6月24日 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「「無念さ一緒に考えて」 中国人虐殺の現場案内、東京
 多くの中国人労働者が虐殺された現場近くの植え込みに花を手向け、黙とうする林伯耀さん(左端)ら=24日午後、東京都江東区
 1923年9月の関東大震災で多くの中国人が虐殺された史実を知ってもらおうと、市民団体が東京都内の虐殺現場を案内する催しが、24日開かれた。案内した在日中国人2世の林伯耀さん(84)=神戸市=は、不況で中国人労働者への恨みがあったと解説。「恐怖の中で襲われた同胞の無念さを、一緒に考えてください」と呼びかけた。
 工場が集中し、中国人労働者の宿舎が多かった大島町(現・江東区)の周辺では400人以上が殺された。
 当時は広場だった「江東区東大島文化センター」を訪れた林さんらは、近くの道路の植え込みに花を手向けて黙とう。軍隊や警察、民衆が中国人労働者をこの広場に集めて殺したという。
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 日本の地獄のような自然災害地における新たな「トロッコ問題」
 歴史的事実として、日本人にとって、親日派の台湾人は友人・知人、親友・戦友であったが、反日派の大陸系中国人と半島人は敵であった。
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 数千年の歴史的事実として、日本は被害者であり、中国人と朝鮮人は加害者であった。
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 現代日本で反中国や反韓国反北朝鮮感情が堪えきれないほど増加した時、将来起きるであろう数十万人が死亡し数千万人が被災者になる南海トラフ大震災や東京大震災が起きたら大正関東大震災のような人種差別的虐殺事件が発生する危険がり、その時の日本人に虐殺される中国人や韓国人・朝鮮人の犠牲者は数万人か十数万人になる恐れがある。
 敵天皇敵日本の中国共産党や韓国・北朝鮮が行っている反日キャンペーンがエスカレートすれば、日本人による中国人や韓国人・朝鮮人虐殺事件は必ず起きる。
 何故なら、日本人とは追い詰められた「窮鼠猫を噛む」的な人間性を持っているからで、大陸や半島に対して日本から仕掛けた歴史的事実はなかった。
 その動機は、偏見と軽蔑で見下す差別ではなく、彼等によって天皇が殺されるかもしれないという「恐怖」であった。
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 関東大震災は、日本だけの自然災害ではなく、世界史的な地球規模の大災害であった。
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 大正6(1917)年 ロシア革命
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 大正7(1918)年 スペイン風邪パンデミック
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 大正7~11(1918~22)年 シベリア出兵。
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 レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党日本共産党など極東アジア共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
 つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
 中国共産党は、レーニンの陰謀を完成させる為に暗躍していた。
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 大正12(1923)年9月1日 関東大震災
 日本人の共産主義無政府主義者テロリストと上海系キリスト教朝鮮人テロリストは、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)を暗殺し民族国家日本を滅ぼすべく、悲惨な関東に潜伏し、地獄と化した被災地で暴力的人民革命の機会を狙っていた。
 マルクス主義共産主義は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本であった。
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 大正13(1924)年1月5日 朝鮮人テロリスト集団の義烈団による二重橋爆弾事件。
 アメリカ・キリスト教原理主義者は、反日天皇過激派として日本・朝鮮・中国のアジアで布教活動を続け、中国国民党ファシスト中国)の親米派宋子文(そう しぶん)や親ソ派蒋介石らを支援していた。
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 現代の日本には、大正時代の関東大震災当時の日本以上に中国や韓国・北朝鮮への偏見と嫌悪・憎悪が増えている。
 現代の日本人は昔の日本人とは別人のような日本人である。
 南海トラフ大震災や東京大震災で数十万人が死亡し約百万人が負傷し1,000万人が避難者となった時、中国や韓国・北朝鮮への偏見と嫌悪・憎悪を抱いた人種差別的日本人が自制心を失って暴徒と化す危険性がある。
 そして、中国共産党は対日報復戦の為に「被災した中国人を日本人暴徒から救う」事を大義名分として中国軍を派兵し、日本を占領し支配する危険性がある。
 それは同時に、震災崩壊の日本では共産主義無政府主義のリベラル左派や媚中派エセ保守によるの被災地革命(敗戦革命)が起きる可能性がある。
 それが、日本の歴史ではなく世界の歴史である。
 1,000兆円以上の国家赤字を抱える日本には、数百兆円とされる復興予算はない。
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 中国共産党は、日本から尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を強奪しようとている。
 中国軍は、日本に対する復讐戦・報復戦として日本侵略計画を練り、軍備を増強している。
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 2023年6月日 週刊金曜日オンライン 人権 【タグ】#関東大震災100年「関東大震災100年、朝鮮人・中国人虐殺追悼大会開催へ
 小川直樹・編集部
 5月11日の記者会見で思いを述べる映画監督の呉充功さん。(撮影/小川直樹)
 関東大震災から100年となる今年、震災直後に関東各地で起きた朝鮮人・中国人虐殺の真相を究明し、国家の責任を問い、後世に伝えようとする動きが始まった。学識者やジャーナリストらによる実行委員会が9月1日前後、東京などで追悼大会などを行なう。
 実行委は5月11日、東京都内で記者会見して概要を説明した。文化人や市民活動家ら約200人の呼びかけ人が集まり、差別反対などに取り組む80以上のグループが賛同団体になっているという。
 まず8月31日、「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」を、東京都文京区春日の文京シビックホールで午後6時半から開く。約1800人収容の大ホールを会場にし、特別報告や追悼演奏のほか、朝鮮半島と中国から来日する犠牲者遺族の思いを聞くという。
 追悼大会に続き、9月2日に東京・永田町の国会正門前で午後7時から「国会前キャンドル集会」を開く。3日午後5時半からは、国内外の研究者や弁護士らによる「国際交流シンポジウム」を、在日大韓基督教会川崎教会(川崎市川崎区桜本)で開く。
 地震発生後の混乱の中、朝鮮人が「井戸に毒を投げ入れた」「来襲する」などの流言飛語が飛び交い、日本に住んでいた多くの朝鮮人や中国人らが自警団や官憲などに殺害された。内務省警保局が朝鮮人放火を断定し、地方長官などに取り締まりを命じる通達を出したことも、混乱に拍車をかけた。
 内閣府の中央防災会議が2008年にまとめた関東大震災の報告書では、朝鮮人・中国人らの犠牲者数を「震災による死者数(約10万5000人)の1~数パーセント」と公表。「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく」と結んだ。
 しかし以後の政府は、虐殺の事実や犠牲者数に関して、野党国会議員が何度も出した質問主意書に対し「調査した限りでは、政府内にそれらの事実関係を把握することのできる記録が見当たらないことから、お答えすることは困難である」と判で押したように答弁書で繰り返し記している。
 差別・偏見は今も残る
 5月11日の記者会見で、岩波書店の岡本厚・前社長は「100年経ってもなおこの歴史認識なのか、忸怩たる思いだ。政府の歴史認識は1970、80年代よりも後戻りしている。正しい歴史を知らずして未来は語れない」と憤る。
 ジャーナリストの安田浩一さんは「今も自然災害が起きるたび、ネット上では荒唐無稽なデマが飛び交う。多くは外国人の犯罪を示唆するものだ。100年前の記憶は薄れたわけでなく、リニューアルを重ね、差別と偏見が根強く残されている」と指摘した。
 在日中国人2世の林伯耀さんの父親は震災当時、東京にいて警察に保護を求め、命を落とさなかった。その恐怖体験を聞いてきた林さんは「今、嫌中国や中国脅威論があおりたてられ、戦争機運が起こっている。日本政府は100年前の虐殺の反省をせず、なかったことにする。100年前の問題に日本社会は真摯に向き合い、犠牲者の尊厳や名誉の回復をしなければならない」と強調した。
 朝鮮人虐殺をテーマにした作品制作を手がけ、追悼行事の呼びかけ人となっている映画監督の呉充功さんは「殺された朝鮮人たちの遺族には何の知らせもなく、遺骨も返されなかった。朝鮮人犠牲者の名簿は今もなく、世の中に存在しない人間にされた。死者に対する冒涜だ。遺族一人の人生、犠牲者一人の人生から関東大震災を見てほしい」と訴えた。
 5月23日の参議院内閣委員会で、杉尾秀哉議員(立憲民主党)が朝鮮人・中国人虐殺について、政府の認識や、過去の関係記録を調査する考えはあるのか、質問した。谷公一・防災担当大臣は「政府として調査した限り、政府内に事実関係を把握することができる記録が見当たらなかったことから、ご指摘の対応を取ることは困難」と、従来の答弁書と同じ言葉を何度も繰り返し、調査する考えはないと述べた。
 (『週刊金曜日』2023年6月2日号)
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 関東大震災中国人虐殺事件とは、1923年9月1日に発生した関東大震災による混乱の中で発生した中国人の虐殺事件である。日本の軍隊や警察、民衆等により、主に出稼などのために中国から日本に来ていた中国人労働者らが東京府南葛飾郡大島町で無差別に虐殺された。惨殺された人の数は今日判明しているだけで少なくとも600人以上。
 事件発覚の経緯
 虐殺されたのは主に温州出身の労働者達[2]。当時上海港では温州同郷会が船が着く度に帰国者を出迎え、四明公所や温州会館で寛がせた後、船を用意して故郷の温州へ無料送還していた。
 1923年10月12日、山城丸が上海港に入港。この日、山城丸から多数の怪我人が降りてきたため港は大騒ぎとなる。重症者は四明公所に運び込まれ手当を受けた。彼らの口から、主として大島町での労働者集団惨殺の模様、更には王希天の習志野での幽禁とその後の行方不明について語られた。
 この船には王希天の親友で同じく留学生だった王兆澄が労働者に変装して乗っていた。船中で労働者達の受難状況を調査していた王兆澄は、上陸後すぐに新聞社に連絡して、その日の内に記者会見を開催。上海の新聞が一斉に報道した事から事件が発覚した。
 当時の中国国内では、隣国日本で発生した大震災に対しカンパを募って義捐金を送っていたが、突然の「いわれなき日本の殺人行為」により世論が大きく変わったという。
 研究史
 関東大震災下の中国人虐殺を主題として最初に取り上げた研究は、松岡文平の「関東大震災と在日中国人」及び「もう一つの虐殺事件—関東大震災と在日中国人」(ともに1972年)で、当時の報道などを利用して丹念に追究を行い、大島町における集団殺害と王希天事件とを見出した。松岡はさらに中国側の史料も利用して「関東大震災下の中国人虐殺事件について」(1974年)を発表している。
 前後して『歴史評論』1973年10月号に掲載された小川博司の「関東大震災と中国人労働者虐殺事件」は、主に中国側の史料に依拠して分析を行った。小川によれば、中国側の認識する虐殺の背景には、対華21カ条要求に対する経済絶交運動などの抵抗へのうらみ、中国人労働者の移入制限に対する抵抗への暴力的な見せしめがあげられているという。
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 2023年4月4日 MicrosoftStartニュース NHK「南海トラフ巨大地震 被害想定見直しへ 最新研究や対策ふまえ
 最悪の場合、死者が32万人を超えるなどと想定されている南海トラフ巨大地震
 公表から10年余りがたった被害想定を見直すことになり、国のワーキンググループの初会合が開かれました。
 見直しの背景には各地で防災対策が大きく進んだ一方、人口減少や高齢化が進み都市部で超高層ビルが相次いで建設されるなど、新たな課題も出てきていることがあります。
 初会合には地震や防災の専門家17人が参加し耐震化や避難施設の整備、訓練などの取り組みの進捗のほか、各地で建設が相次ぐ高層ビルや高齢化・過疎化など社会の状況を踏まえて、新たな課題や影響についての議論を進めることを確認しました。
 国は今年度末までに死者を8割、全壊する建物を半分ほどに減らすなどとする「減災目標」を基本計画で定めていて、ワーキンググループなどでの検討結果をもとに来年春をめどに計画を見直す方針です。
 ワーキンググループのとりまとめ役を務める名古屋大学の福和伸夫名誉教授は「高齢化や少子化、インフラの老朽化が進んだり、建物が高層化して長周期地震動の対策が出てきたりと、この10年間で社会の状況が変わっている。地震が連動して起きるというシナリオもある中で南海トラフ巨大地震が起きた際に社会をどう維持していくかや今後、何に取り組むべきかなど議論を尽くしていきたい」と話していました。
 また、来年春までに死者の数を8割減らすなどとした国の「減災目標」について、福和名誉教授は達成は難しいとの見方を示した上で「津波による被害は相当減っていると感じる。南海トラフ地震は国家の将来に関わる災害でもあり、これをきっかけに課題をあぶり出し、議論することは国にとってプラスになる」と話していました。
 Q1.南海トラフの巨大地震とは?
 静岡県駿河湾から九州の日向灘にかけてのプレート境界で発生する地震で、政府の地震調査委員会によると今後30年以内にマグニチュード8から9クラスの巨大地震が発生する確率は「70%から80%」とされています。
 Q2.最大でどのくらいの揺れや津波が?
 最大クラスの地震が起きた場合、東日本と西日本の広い範囲が激しい揺れに襲われ、震度6弱以上の激しい揺れは24の府県で想定され、名古屋市の一部や静岡市和歌山市徳島市宮崎市などでは震度7の非常に激しい揺れが想定されています。
 また沿岸部では最大で30メートルを超える巨大津波が押し寄せると想定されています。
 Q3.どんな被害が想定される?
 最悪の場合、関東から九州にかけての30都府県で死者が出ると想定されています。
建物の倒壊や津波などによる死者は32万3000人、けが人は62万3000人にのぼるとされます。
 さらに揺れや火災、津波などで238万棟余りの建物が全壊したり焼失したりすると推計されています。
 避難者の数も最大で950万人にのぼると想定されています。
 Q4.被害を減らすための対策は?
 国は2014年に公表した基本計画の中で、今年度末までの10年間で死者数をおよそ8割減らし、全壊する建物も半分ほどに減らすという「減災目標」を定めています。
 これをもとに沿岸部の自治体などでは地震の揺れや津波への対策を進め、2021年4月時点で防災対策の「推進地域」に指定されている市町村で435基の津波避難タワーが整備されています。
 Q5.想定見直しなぜ今?
 想定の公表から10年余りがたち、最新の研究成果や社会の情勢にあわせて防災対策を確認し、被害の軽減に向けて更新していくためです。
ワーキンググループではこの10年あまりで得られた最新の研究成果に加えて、被害が想定されている地域で建設が進む「津波避難タワー」など施設の整備の状況や避難訓練などハード・ソフト両面の対策の効果を新たな被害想定に反映させることにしています。
 進む人口減少や高齢化
 総務省によりますと、日本の人口はこの10年で減少を続けていて65歳以上が占める割合も過去最も高くなっています。
 人口の減少率が大きく財政力が弱いことから「過疎地域」に指定されている市町村は2022年4月の時点で885の市町村となり、初めて全国の半数を超えました。
 この中には高知県徳島県和歌山県など南海トラフ地震で甚大な被害が想定されている地域も多く、自治体からは「財政状況が厳しく十分なハード対策ができない」とか「人口減少と高齢化で住民どうしの助けあいが困難になってきている」などという声があがっています。
 増加する超高層ビル対策
 一方、大阪や東京などの都市部を中心にタワーマンション超高層ビルが増加するなど新しい課題も出てきています。
 国土交通省によりますと高さ60メートルを超える超高層ビルは全国に数千棟あり、都内では200メートルを超えるオフィスビルの建設も相次いで予定されています。
 南海トラフ巨大地震では超高層ビルをゆっくりと大きく揺らす「長周期地震動」が発生して、固定していない家具の転倒によるけが人や、エレベーターの停止、閉じ込めなどが起きるおそれがあり、専門家は超高層ビルの防災対策がさらに重要になっていると指摘しています。
 デジタル化の進展への対応
 この10年でデジタル技術も大きく進展しました。
 防災の分野でも、SNSや衛星画像などで得られたデータから被災の状況を把握する取り組みや、携帯電話の位置情報などから最寄りの避難所をAI=人工知能を使って知らせる実験など、デジタル技術を活用する動きが広がっています。
 こうした状況を踏まえ、ワーキンググループでは最新のデジタル技術を取り込んだ防災対策についても検討する予定です。
 「半割れ」への対応も
 南海トラフ地震をめぐっては、2019年から「南海トラフ地震臨時情報」という新しい防災情報の運用も始まっています。
 巨大地震の発生の可能性がふだんと比べ高まったと評価された場合に国が発表するもので、南海トラフ震源域の東側と西側が時間を空けてずれ動く「半割れ」ケースなどが想定されています。
 最初の地震のあと、2回目に備えるため被災地の支援や復旧が大きく遅れるおそれもあり、この情報が出されたことを見すえた対策も検討される見通しです。
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 質問主意書
 第190回国会(常会)
 質問主意書
 質問第一三一号
 関東大震災時の朝鮮人、中国人等虐殺事件に関する質問主意書
 右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
    平成二十八年五月二十七日
  田城 郁   

 参議院議長 山崎 正昭 殿
 関東大震災時の朝鮮人、中国人等虐殺事件に関する質問主意書
 一九二三年九月一日の関東大震災時には、朝鮮人、中国人及び日本人が虐殺される事件が起きた。この事件については既に多くの歴史研究の蓄積があり、朝鮮人についての流言蜚語の伝播や、朝鮮人、中国人等の虐殺に官民が関わっていたことが裏付けられている。
 一九九九年十二月、日本弁護士連合会人権擁護委員会は、朝鮮人虐殺事件の目撃者からの人権救済の申立を受け、朝鮮人、中国人等虐殺事件について調査した。そして、その調査結果をふまえて、二〇〇三年八月二十五日に「関東大震災人権救済申立事件調査報告書」及び「勧告書」(日弁連総第三十九号二〇〇三年八月二十五日)を小泉純一郎内閣総理大臣に提出し、日本政府に被害者遺族への謝罪及び真相究明を行うよう勧告した。しかし、現在まで日本政府からこの勧告に対する回答が示されていない。
 この調査報告書によれば、申立をした目撃者は関東大震災発生当時から日本に在住する在日朝鮮人であり、申立人の父の知人が関東大震災直後に虐殺され、あるいは、朝鮮人の遺体が残酷な仕打ちを受けているのを見て深く傷ついた経験から申立に至ったという。この申立の趣旨は、
 「一 関東大震災時の朝鮮人虐殺は「集団虐殺」であり、重大な人権侵害であることを明らかにせよ。
 二 朝鮮人虐殺は、外国人虐殺であるから、国際法により外国人(他民族)に対する集団虐殺行為としての責任があることを明らかにせよ。
 三 集団虐殺の加害責任者を日本の国内法により処罰しなかった日本政府の責任をあきらかにせよ。
 四 日本政府は、虐殺の責任をみとめ、謝罪せよ。在日朝鮮人、在日外国人に対する集団虐殺の再発防止措置をとれ。」というものである。
 日本弁護士連合会人権擁護委員会は、申立を受けて事件に関する諸資料を検証し、
 一 関東大震災時の戒厳令施行の目的が騒擾その他の犯罪行為を予防・鎮圧する治安行動的な対応であったこと
 二 軍隊による朝鮮人及び中国人の虐殺が起こったこと、これらの事件は裁判にも軍法会議にもかからなかったこと
 三 国は千葉県の東京海軍無線電信所船橋送信所からの無線電信等を通じて、朝鮮人が放火・爆弾所持・投擲・井戸への毒物投入等を行っているとの誤った事実認識及び「周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加え」るべきであるという虚偽事実(流言)の広範な流布を行ったこと、それから埼玉県の事例に見られるように、県庁が各町村を通じて民間人に自警団を組織させ警戒態勢を取らせたこと、そのことが民間人による朝鮮人虐殺(いわゆる自警団事件)を引き起こした要因となったこと等を事実として確認し、日本政府へ左の勧告を行った。
 「一 国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。
 二 国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。」
 なお、前記の調査報告書は、右の結論を日本政府が履行すべき理由として、「軍隊による国の直接的な虐殺行為はもとより、内務省警保局をはじめとする国の機関自らが、朝鮮人が「不逞行為」によって震災の被害を拡大しているとの認識を全国に伝播し、各方面に自警の措置をよびかけ、民衆に殺人・暴行の動機付けをした責任は重大である。しかるに国はその責任をあきらかにせず、謝罪もしていない。そればかりか、国として虐殺の実態や原因についての調査もしていない。虐殺の規模、深刻さにかんがみると、長期にわたるその不作為の責任は重大であるといわなければならない。国のこれら亡くなられた被害者やその遺族に与えた人権侵害行為の責任は、八十年の経過により消滅するものではなく、事実を調査し、事件の内容を明らかにし、謝罪すべきである。」と述べている。
 また、同調査報告書は、在日外国人に対する排外的な言動が強まる現状を憂慮し、「予測できない大きな事件や災害が起きたとき、今の日本でも流言飛語などの影響で在日外国人に不当な民族差別と嫌悪感、排斥的感情を引き起こす可能性があることを自戒すべきである。事件発生八十周年の今こそ、国が事件発生の原因を事実に即して究明すべくただちに調査に着手すること、事件発生にかかわる重大な責任をみとめて謝罪すること、そのことを通じてかかる重大なあやまちを再発させないとの決意を内外に明らかにすべきときである」と指摘している。
 その後、内閣府中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」における第三期報告書中の「一九二三関東大震災報告書」(第二編、平成二十一年三月)も、結論部分において「軍隊や警察、新聞も一時は流言の伝達に寄与し、混乱を増幅した。軍、官は事態の把握後に流言取締りに転じた」(二百二十四頁)と記している。たとえば、百五十九頁から始まる「(四)船橋送信所問題」では、同送信所からの虚偽事実の流布について「公電の中に、朝鮮人暴動の流言を事実と誤認した内容のものも含まれていた」(百六十頁)ことが書かれており、二百六頁から始まる「第二節 殺傷事件の発生」においても、「特に三日までは軍や警察による朝鮮人殺傷が発生していたこと」(二百七頁)が明記されている。
 以上のように、関東大震災人権救済申立事件調査報告書で確認された朝鮮人、中国人等の虐殺事件については、内閣総理大臣をはじめとする全閣僚が構成員である中央防災会議においても、政府の機関たる軍隊が朝鮮人、中国人等の虐殺事件に関与していたことが歴史的な事実として書かれている。
 以上のような事実認定があるにもかかわらず、これまで日本政府は流言蜚語の伝播や虐殺に政府自身が関与したことを公的に認めず、政府自身による虐殺の被害について調査を行うことはなかった。それは、一九二三年九月五日に臨時震災救護事務局警備部に政府の関係者が集まり「朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事実を極力捜査し、肯定に努むること」、「風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来得る限り肯定することに努むること」(詳細は、山田昭次「関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後-虐殺の国家責任と民衆責任」創史社二〇一一年参照)という方針を決定したことに表れているように、朝鮮人が暴動を起こしたという流言を流し、虐殺にも関与した国家の責任を隠すためであった。
 在日外国人に対する差別煽動(いわゆるヘイト・スピーチ等)や暴力等の人権侵害を許さない国の姿勢を示すことがますます重要となっている現在において、過去の重大な人権侵害を二度と繰り返さないという真摯な反省の上に立って政治の責任を果たすことが求められている。
 以上のことを前提として、以下質問する。
 一 政府は、関東大震災時における朝鮮人、中国人等の虐殺事件に日本政府が関与したことを事実として認定するか。
 二 日本弁護士連合会の「関東大震災人権救済申立事件調査報告書」及び「勧告書」(日弁連総第三十九号二〇〇三年八月二十五日)は、どの機関が受理し、内容を精査したのか。そしてその「勧告書」への対応をどうするかについてどのような検討を加え、回答しないという結論に至ったのか説明を求める。
 三 中央防災会議の「一九二三関東大震災報告書」(第二編、平成二十一年三月)は、「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく。その上で、流言の発生、そして自然災害とテロの混同が現在も生じ得る事態であることを認識する必要がある」(二百二十四頁)としている。今次の熊本地震においても「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などのデマがネット上にあふれたことが伝えられている。政府としてあらためてこの中央防災会議の報告書に耳を傾け、同報告書の指摘事項に真摯に対応すべきと考えるが、その意思はあるか。
  右質問する。
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 東京新聞
 「朝鮮・中国人虐殺主導を認めよ」 関東大震災から100年、学者ら政府に賠償求める 「日本は責任逃れてきた」
 2023年4月9日 12時00分
 1923年9月1日の関東大震災から今年で100年。死者・行方不明者は10万5000人に上り、混乱のさなかに朝鮮人だけでなく中国人も、軍や警察、自警団によって虐殺された。学者や弁護士、ジャーナリストらでつくる「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺百年犠牲者追悼大会実行委員会」は政府に事実を認め、賠償することを求めている。来月には東京都内で記者会見を開く予定だ。 (大杉はるか)
◆「放火」「井戸に毒」 戒厳令下でデマ広がり
 内務省警保局から各地方長官に送られた電信の記録を示す林伯耀さん
 「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺を主導したのは日本政府という事実と責任を認め、国家として犠牲者に謝罪し賠償すべきだ」
 同実行委の世話人で、「関東大震災中国人受難者を追悼する会」共同代表の林伯耀りんはくようさんが話す。
 大震災では戒厳令下で「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」といったデマが広まり、植民地支配下にあった朝鮮人とともに、中国人も虐殺された。内閣府中央防災会議の2008年の報告書は「殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害に遭った。加害者の形態は官憲によるものから、官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様」とし、犠牲者は「震災による死者数の1〜数%」と推計している。
 林さんが「虐殺を主導したのは日本政府」と考える根拠の1つは、内務省警保局が9月3日に海軍船橋送信所に「朝鮮人は各地に放火し、爆弾を所持し、放火する者あり。厳重なる取り締まりを加えられたし」との電文を持っていき、各地方長官に送られたことだ。政府が流言を否定せず、虐殺を容認する空気がつくられた。
◆中国人虐殺は最大750人 「意図的に殺している」
 2018年9月11日、王希天氏が虐殺された東京都江東区の逆井橋近くの現場を訪れ追悼する遺族ら=木野村間一郎氏撮影・提供
 中国人の虐殺は、目撃者から直接聞くなどして調査した高校教諭仁木ふみ子さん(故人)らの研究があり、日弁連も2003年、被害者は最大750人との報告書をまとめている。それらによると、特に大きな被害を出したのが大島町(現東京都江東区大島)で起きた虐殺。同町に住んでいた浙江省温州市出身の中国人労働者らがターゲットになり、支援していた「僑日共済会」の王希天会長も軍に殺害されたという。
 なぜ中国人労働者が狙われたのか。林さんは「震災前から日本の官憲や日本人労働者との間に緊張関係があった」と指摘する。日本は1920年に不況に陥り、中国人の入国制限や強制送還が始まっていた。「当時の日本政府の文書には朝鮮人と間違えたという『誤殺』の文字があるが、中国人独自の服装をしており、誤殺とは認められない。意図的に殺している」
 林さんの父親は13年、福建省福清から来日。東京で呉服の行商人をしていたが、震災発生で「中国人も襲われる」と感じ、同居人らと警視庁に保護を求めた。通行証を発行され、難を逃れたという。
◆認めない政府に怒り「いつかまた世相が問題起こす」
 虐殺はその後中国側も知ることとなり、国際問題となる。23年11月に外務省条約局が中国人虐殺問題に関して国家の責任を調査した文書には「暴動の行為が外国人に対し行われた場合は、官憲に身体財産の安全を確保する義務があると推定され、国家に賠償責任がある」と書かれている。中国側の調査団派遣などを受け、日本政府が24年5月に「支那人傷害事件慰藉いしゃ金20万円責任支出の決定」をした記録や、交渉が中断し支払われなかった記録も残っている。
 にもかかわらず、日本政府はこの問題を公式に認めていない。野党議員が2015年以降、質問主意書で繰り返し聞いているが、「事実関係を把握できる記録が見当たらず、お答えは困難」と回答している。
 林さんは、中国人虐殺の事実を認めない日本政府に「怒りを覚える」と話す。「嫌朝鮮、嫌中国という今の日本の世相が、いつかまたこのような問題を起こすのでは」。温州市を中心とした被害者の遺族会約250人は2014年、政府に要望書を提出。国家としての責任と事実を認め、謝罪と賠償を行うこと、次世代に事実を伝え教訓とすることなどを求めている。
◆バイデン氏は100年前の虐殺現場訪問 小池知事は…
 海外では100年前の虐殺事件に向き合った国のトップもいる。1921年に白人暴徒による黒人虐殺事件が起きたオクラホマ州タルサ市を、バイデン米大統領が2021年に訪問。推定300人の被害者を追悼し「あまりにも長い間、歴史は闇に覆われていたが、なかったことにはできない」と強調。「良いことも悪いこともすべてを知るべきだ。それが偉大な国家のすることだ」と続け、「ここで起きたことは憎しみとテロであり、今日でも存在している」とも語った。
 日本はどうか。朝鮮人虐殺すら否定する保守系団体は19年、東京都墨田区で開かれた犠牲者追悼式の近くで「犯人は不逞ふてい朝鮮人朝鮮人コリアンだったのです」などと発言。都は翌年、ヘイトスピーチ認定をしたが、小池百合子都知事は17年以降、この式典への追悼文送付をやめている。
 20年には川崎市ふれあい館に「在日韓国人をこの世から抹殺しよう」と書かれたはがきが届く事件があった。21年には、名古屋韓国学校京都府宇治市のウトロ地区の家屋などに放火する憎悪犯罪ヘイトクライム)も起きた。
 中国人に対しても、20年に東京都港区の街宣活動で「支那人を叩たたき出せ」「鬼畜支那人を叩き出せ」との言動があり、東京都がヘイトスピーチと認定している。
◆事実を認めないことは「セカンドレイプと同じ」
 関東大震災犠牲者のために中国から贈られた「幽冥鐘」の前で追悼する中国人犠牲者遺族ら。中国人の追悼碑はまだない=2015年9月5日、東京都墨田区横網町公園で(木野村間一郎氏撮影・提供)
 こうした動きをどう考えたらいいのか。東京造形大の前田朗名誉教授(人権論)は「この10年ほど、国際的には歴史的事実の否認や隠蔽いんぺい、忘却を巡る問題が議論されている」と話す。前田氏によると、ラテンアメリカ軍事独裁政権による弾圧や、欧州諸国のアフリカ植民地支配など、重大人権侵害の歴史論争で形成されてきたのが「真実の権利」だ。「被害者や遺族、コミュニティーの知る権利を出発点とし、国家全体で記憶にとどめるべきだ」という考えを基本としている。
 すでに30カ国以上で、歴史の否定や称揚が犯罪化されており、「アウシュビッツの噓うそ」とも呼ばれるホロコーストの否定論争にも決着はついているという。前田氏は「被害者のコミュニティーにとって、自分たちの歴史はアイデンティティー。公然と否定することは民族の尊厳に対する攻撃という議論が欧州では広がっている」と続ける。
 関東大震災時に起きた朝鮮人・中国人の虐殺を、前田氏は「ジェノサイド」(集団破壊を意図して行われる暴力的行為)と位置付ける。「日本でも重大な人権侵害の事実を公然と否定することは犯罪化できた方が良い」との考えを示した上で、こう続ける。「日本では、あいまいにし責任を逃れてきた。事実を認めないことは、被害者を改めて傷つけるセカンドレイプと同じ。国際社会における日本の名誉ある地位が損なわれている」
 一橋大の田中宏名誉教授(日本アジア関係史)は「ブッシュ米大統領は1990年以降、太平洋戦争時の日系人強制収容を謝罪し、補償金も払って歴史の清算をした。ソ連ゴルバチョフ大統領は91年、来日時にハバロフスク郊外に立ち寄り、シベリア抑留犠牲者の墓に献花している」と指摘。被害者と向き合わない日本政府の姿勢は「理解できない」とし、「歴史への向き合い方では、相手の立場で見るということが大事だ」と語った。
◆デスクメモ
 写真の「幽冥鐘」があるのは、関東大震災と東京空襲の遺骨が眠る東京都慰霊堂がある横網町公園内。都慰霊協会のサイトによれば、震災の甚大な被害を知った中国の仏教関係者が来日して慰問を行い、外相らに寄贈を申し出た。日中関係がぎくしゃくする今こそ、訪れたい場所だ。(本)
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   ・   ・   ・   
 関東大震災と中国人虐殺事件
 今井清一/著
 四六判 上製 216頁 ISBN 978-4-86085-136-1
 (本体2200円+税) (2020.1)
 資料の改ざん、事実の隠蔽。
 あったことがなかったことにされる日本、本当は何が起こっていたのか?
関東大地震は、1923(大正12)年9月1日の正午に始まり、東京・横浜を中心とする首都圏を襲い、その直後にその近くを震源とする例外的に大きな余震が続いた。両市の下町を初めとして無数の密集家屋が倒壊し、大火となって荒れ狂った。東京市の場合、3日朝まで燃え続けた。震災全体の死者・行方不明者は10万5千余人にのぼった。
 戒厳令が布告される中で、朝鮮人が蜂起し井戸に毒を入れたり放火したという流言が広がり、中国人もあやしいとされ、背後には社会主義者が糸を引いているなどの尾ひれもつけられた。
 数千人にのぼるとされる朝鮮人と数百人に及ぶ中国人が虐殺され、社会主義者労働運動家も殺された。日本の敗戦まではこれらの事件の報道は厳しく禁圧され、戦後にこうした禁圧が解かれた後になっても、解明の歩みは遅々としており、今でもかなりの日本人にとってふれたくない事件とされている。政府も事実を明確に発表してはいない。
本書では的確な資料が比較的存在している中国人虐殺事件に的をしぼり、多角的に考察した。
 記録、資料から事実を明らかにする
 本書は、1923年の関東大震災に際して起こった中国人虐殺事件を扱うが、その背景として少なくとも日清戦争以来の日中関係の変遷があることを指摘する。さらに当時の日本政府は、独立国である中華民国の国民を虐殺したことが重大な外交問題になることを危惧して、事実を隠蔽し記録を改竄しただけでなく公表を禁止した。現代の政治問題にも通じるこうした政府の対応を、本書は、戦後発掘された記録、資料に基づいて明らかにする。
本書刊行の今日的意味
 40年以上前に執筆された本書冒頭の論文は刊行当時は、何ということなく読み過ごされてきたと思われるが、現在再読するとき内容の今日的意味に注目せざるを得ない。すなわち中国人虐殺の事実を隠蔽する方針を決めていく生々しい過程を読むと、その後の大戦中の大本営発表や、終戦時の公文書焼却、そして今日の政治問題であるモリカケ問題・桜を見る会の問題まで、日本政府の事実を事実として受け止めて立ち向かうことができない危険な体質が今日までまっすぐ継続していることを明確に認識することができる。本書は刊行に際してこの問題に関して自覚的に再構成され、また新たに執筆されている。
■目次
 まえがき
 Ⅰ 大島町事件・王希天事件と日本政府の対応
 はじめに/亀戸の中国人虐殺事件と王希天の殺害/政府中枢の対応
 Ⅱ 関東大震災下の中国人虐殺事件が明らかにされるまで
 民間人による真相究明の動きと当局の対応/久保野日記公開と米国作成の「日本外務省文書マイクロフィルム」/市民の手による事件の掘り起こし/東アジアの国際情勢
 Ⅲ 内田康哉臨時首相と戒厳令布告
 震災直後の内田康哉と伊東巳代治/戒厳令と虐殺の拡大/第四七議会における虐殺批判とその結末
 Ⅳ 大杉栄らの「骨なし」民衆葬と「斬首陰部露出」写真
 大震災四〇周年から七〇周年へ/大杉栄らの「骨なし」葬儀と有島武郎のカンパ/亀戸の「斬首陰部露出」写真と横山代議士・平沼法相の問答/『偕行社記事』と小樽高商軍事教練事件
 Ⅴ 震災下虐殺事件の国内的国際的背景
 山崎今朝弥の『地震憲兵・火事・巡査』/真相を隠すための弁明、アリバイ工作/日中労働者の仕事の奪い合い
 Ⅵ 小村家の系図から見た日中関係の変遷
 前橋で教育を受けた宰相鈴木貫太郎/飫肥(現日南市)の小村寿太郎記念館訪問と満州義軍の人びと/「ポーツマスの埋め合わせを北京でするやの感」/日露戦争での袁世凱の対日協力と北京日清会議での応酬/パリ講和会議と外交の変貌/小村俊三郎と佐分利貞夫/秘密とされた外交文書の公開
 あとがき
 年表/索引引
   ・   ・   ・   
 国際人権NGO反差別国際運動
 人種差別 部落・ダリット スリランカの平和 先住民族 マイノリティ女性 IMADRと国連
 差別と人種主義をなくすために
 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺百年
 林 伯耀
 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺百年犠牲者追悼大会実行委員会(準備会)事務局
 来年、2023年9月は、多くの朝鮮人・中国人が虐殺されて百年になる。日本社会総体がこの歴史に誠実に向き合い、犠牲者の尊厳の回復につとめねばならない。
 何が行われたのか
 虐殺は官憲主導でおこなわれ、民衆がそれに積極的に呼応した。早くも地震の起きた9月1日午後には「朝鮮人が放火をした」、「朝鮮人が暴動を起こす」等の流言飛語を警察官が触れ回ったという記録が多く残されている。9月2日、「戒厳令」が布告され、軍隊が出動した。午後には治安当局中枢部の内務省警保局が「朝鮮人が暴動を起こした」と認定して、その情報をすぐに近県の行政・警察に伝えるとともに全国に流す措置をとった。翌3日朝8時15分、「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火する者あり、…鮮人の行動に対して厳密なる取り締まりを加えられたし」との電文が内務省警保局長名で船橋海軍送信所から各地方長官宛に送られている。かくして、各地に在郷軍人会らを中心に自警団が組織され、その数は関東地方だけでも3000余あったという。軍隊、警察、及び自警団を中心とする民衆によって多くの朝鮮人、中国人が虐殺された。また日本の社会主義者や労働運動の活動家や、朝鮮人、中国人と間違われた一部日本人民衆も虐殺された。
 虐殺された朝鮮人の数は当時の上海の大韓民国臨時政府の12月5日付けの機関紙「独立新聞」に発表された調査報告書によれば6000人以上である。調査したのは、留学生を中心とする在日朝鮮人で、「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」として調査したものである。中国政府は調査団を派遣し、加害者の処罰、被害者への賠償、中国人の身の安全を要求した。虐殺された中国人については、当時の中華民国駐日公使館による中華民国僑民被害調査表及び日本に調査団として派遣された王正廷等の被害調査表及び上海の温州同郷会等の調査表によれば、受傷者を含めてその被害者総数はおよそ800名に達する。明らかに日本国内で起きた他民族大量虐殺事件(ジェノサイド)である。
 官憲主導で行われた朝鮮人・中国人大量虐殺事件は、政府の隠蔽工作と責任回避に終始した。軍警による虐殺の責任は問わず、一部自警団員のみへの問題にならない数の立件と形式的裁判によって事件の真相はうやむやにされた。帝国議会での問題提起はあったが、政府は「目下調査中」と言って逃げ切った、今日に至るも誠意ある説明はない。
 戒厳令で戦時体制に入った軍隊や警察、更に国家主義と排外主義の虜となった民衆にとっては、当時の日本の植民地政策と侵略に反抗した朝鮮人、中国人は、敵であり殲滅の対象とされた。1919年の朝鮮独立万歳運動、中国の五四運動等は、日本社会に朝鮮人、中国人に対する恐怖心と憎悪を掻き立てた。中国人労働者については震災前からの日本政府による中国人労働者に対する労働禁止、強制送還等の中国人排斥政策が、仕事を奪われたという日本人労働者の敵愾心を煽り、虐殺の御旗となった。現江東区大島町で起きた大島町中国人集団虐殺事件は、生活と労働の権利を守る中国人労働者に対する人夫頭、警察、在郷軍人、日本人労働者による計画的な報復であった。当時の中国政府は多くの中国人労働者や留学生の虐殺の事実を知って日本政府に対して強く抗議し、①加害者の処罰と公表、②被害者への賠償、③在日中国人の安全の保証を求めた。更に臨時国務総理まで務めたことのある王正廷を団長にして調査団を日本に派遣した。しかし、日本政府は徹底して隠蔽工作に終始した。震災一年前に中国人の生活と労働の権利を擁護するために組織された僑日共済会の責任者、王希天は、大島町での中国人労働者の被害調査と救援にあたっていたが、9月12日軍により「反日頭目」として密殺された。日本政府は中国政府の抗議に対して「行方不明」と言って嘘を通した。中国政府の度重なる抗議に、翌年5月、清浦奎吾内閣は持ち回り閣議で中国人被害者への慰謝料として20万円の支払いを決定したが、実行されていない。
 戦後、在日朝鮮人を中心に、この虐殺事件が何度も提起され、その真相究明、責任の所在が問われたが、日本社会がそれと正面から向き合うことはなかった。
 責任を不問にした延長線上にあるもの
 虐殺事件の責任が不問にされてきたことは、あたかもそれが社会によって肯定され、当時の政府の行為が正当化されてきたかのような印象を与える。事実、このような状況が、日本政府と、今日までの日本社会の底辺深くに他民族排斥:他民族蔑視の根を広げてきた大きな原因の一つと言えるだろう。それはまた、今日、各地で日常化して、ますます攻撃的になっているヘイトスピーチヘイトクライムに繋がってきたと考えられる。かつての植民地や中国、アジアで多くの女性を性奴隷として連行し傷つけたことについて、日本政府は誠実に対応することはない。中国や朝鮮半島から強制連行されて来た人々の尊厳を回復する要求も拒絶し続けている。朝鮮学校授業料無償化除外問題は日本政府の偏見と差別的言い分が司法によって肯定され、在日の若者たちの心を傷つけている。入管収容所は、今や日本政府から「不法」滞在と判断された行き場のない人たちの刑務所にさま変わりしている。多くの外国人が、人間を人間として扱わない入管当局の非人道的な処置で命を落としている。2020年1月4日、川崎市ふれあい館に「在日韓国人をこの世から抹殺しよう、生き残りがいたら残酷に殺しに行こう」との年賀はがきが届いた。2021年7月から8月にかけて、韓国民団・愛知、名古屋韓国学校京都府ウトロのコリアン集住地区の民家など在日コリアンに関係する施設・住居などへの連続放火事件が発生している。他民族への差別的動機に基づく犯罪・ヘイトクライムが後を絶たない。一世紀前に大量の朝鮮人・中国人の迫害虐殺を主導した官憲とそれに呼応した民衆の他民族排外・蔑視の思想は今日更に根を深くして生き続けている。
 悲劇の再演を許さない
 二十一世紀は過去の帝国主義植民地主義負の遺産清算する時代に入ったと言われる。2001年に南アフリカで開催されたダーバン会議(「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界会議」)では、「植民地時代の奴隷制は人道に対する罪であった」と認定され、「奴隷制、大西洋越え奴隷取引、アパルトヘイト、ジェノサイド等の悲劇の犠牲者への謝罪と尊厳の回復、及び補償の道義的義務が認められた」。国連加盟国である日本も道義的義務がある。
 日本国内で一世紀前に起きた他民族大量虐殺事件ジェノサイドもまた人類史の一つの教訓としてその真相が明らかにされ、世界史の中に正しく位置づけられねばならない。その罪過は、国際人道法、国際人権規範に従って清算されるべきであろう。
 百年は一つの歴史の区切りである。官憲の主導下に、軍隊、警察、民衆によって敢行された他民族大量虐殺事件ジェノサイドと、今こそ日本社会総体が歴史の事実に誠実に向き合い、犠牲者の尊厳の回復に努めねばならない。真の共生社会の実現のためにも、その作業は容易ではないが、どれだけ時間がかかろうとも続けられねばならない。
 さあ、百年前に、あの恐怖の排外主義の嵐の中で、急に襲ってきた竹槍で、鉄棒で、鳶口で、銃剣で虐殺されていった全ての犠牲者の魂の前に、我々は深く静かにこうべをたれよう!彼らを襲った恐怖。彼らが受けた苦痛と無念、彼らの行き場のない怒り、彼らの絶望的な悲しみとふるえた鼓動を我々のものにしよう!
 そして誓うのだ。二度とこのような悲劇の再演を許さないと!
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