🎍7〕─2─謎に満ちた古代日本の王権争奪戦を考察! 古代日本列島各地の王の序列とは?~No.18 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 ムラ運命同共同体の衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
   ・   ・   ・   
 2023年8月3日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「謎に満ちた古代日本の王権争奪戦を考察! 古代日本列島各地の王の序列とは?
 日本列島周辺の地図の角度を変えたもの。こうしてみると、日本列島と朝鮮半島、そして大陸との距離感がよくわかる。
 縄文人が穏やかに暮らしていた日本列島に弥生人がやってきた。そして各地に小王国を築いて、それらが大王(だいおう/おおきみ)に統合されて古墳時代の国家が造られていく。しかし、大王権を握ったのは日本列島で成り上がっただけの王家だったのだろうか?
■王を頂点とする組織が渡来してきたのではないか
 本格的な稲作とともに弥生文化を携えた渡来人(とらいじん)が日本列島にやって来たと考えられています。もちろんそれは一度にやってきたわけではありません。何百年もの間に少しずつ海を渡ってきたのでしょう。
 異説はありますが、通説では中国南部に始まった稲作文化が朝鮮半島に伝わり、そして九州に渡来した人々が日本列島に広がって弥生時代が始まったとされています。
 ところで、神話に登場する神々の仕事を大雑把に参考にすると、国つ神(くにつかみ)が日本列島に国を創り、そこに天つ神(あまつかみ/天孫族)の使者が何度もやって来てついに武力を誇示して国を譲らせます。多少の抵抗はあったものの、天つ神が日本列島の支配権を獲得するというストーリーです。ただ、国つ神も天つ神と祖は同族であるようにも記されていますし、交流もあったと読み取れます。
 そして神武東征(じんむとうせい)の時に、神武一族も饒速日(にぎはやひ)一族も同じ天つ神の子孫だということが判明します。その時の証言に「天つ神には子が非常に多く一族も多いのである」とあります。
 『古事記』と『日本書紀』の神話部分を読んだ方はお分かりだと思いますが、国つ神と天つ神は同根であるとしか思えません。神話を人間界の記憶だったと仮定して置き換えると、早い時代に渡来して日本列島に住み着いた人たちがいて、その後、最新の武器や文化を持った新な渡来人が支配者に納まったというストーリーに見えてきます。
 さらに想像を膨らませると、人間集団が個々に渡来して集落を営んで、よーいドンで大王権を取り合った、もしくは競争して勝ち残った一族が大王となったのだろうかという疑問が私にはわき上がります。
 渡来する前の故地(こち)での位付け(くらいづけ)が最初からあったのではないかと思えてきます。
 「倭国大乱(わこくたいらん)」と聞くと、対等の集団が大いに争ったと思えますが、各地から渡来してきた開拓集団の中には、故地ですでに大きな力と秩序を持っていた集団があったのではなかったでしょうか? すでに確立していた王族と臣従する集団が組織的に渡来してきた、つまり圧倒的な組織力をもったグループもいくつかあったのではなかったでしょうか?
 大和王権が各地を取り込む時に「言向和平(ことむけやわ)」することを第一の手段としていたという記述があります。もちろん武力を背景にしていますし、武力を以て制圧する話もありますが、各地に前方後円墳という特異な墳墓を同盟の証として造営させ、銅鏡を下賜(かし)して地方王に支配権を保証するという次の古墳時代の価値観は、大和の大王に故地とつながる大きな権威と卓越した技術力があったとしか考えられません。そしてそれは、渡来以前の故地で確立されている権威ではなかったかと思うのです。このように、根拠は薄くとも豊かな妄想で楽しむのも、実に安上がりな歴史遊びの魅力だと思いますよ!
 柏木 宏之
   ・   ・   ・   

 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・野伏せり・悪党、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
   ・   ・   ・   
 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
   ・   ・   ・   
 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
   ・   ・   ・   
 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
   ・   ・   ・   
 少数の高学歴出身の裕福資産家・AI強者 vs. 多数の低学歴出身の貧困労働者・AI弱者。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ② 
 日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教イスラム教の絶対神でもない。
 お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
 日本民族は、お天道様崇拝者である。
 お天道様とは、皇室の祖先神である女性神天照大神の事である。
   ・   ・   ・   
 日本を支えた支柱は、武力の政治権力、経済力の宗教権威、文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 政治権力と宗教権威は「ウシハク」であり、天皇の御威光は「シラス」と「祓(はらえ)」であった。
 日本の国柄、国體の真髄そして日本民族の本質と価値観は、合理的正当ではなく神話的正統な天皇の御威光である。
 武力の政治権力は、江戸中期までは中国の儒教価値観で、明治以降は西洋の近代価値観であった。
 経済力の宗教権威は、明治まではインドの仏教価値観で、明治以降は西洋のキリスト教価値観であった。
   ・   ・   ・   
 日本の伝統統治は、天皇の「シラス」行為と民族の「ウシハク」行為が共存する「君民共治」であった。
   ・   ・   ・   
 西田哲学「場所的論理と宗教的世界観」を読む シラス主義とウシハク主義
 浅井進三郎/著
 著作者浅井進三郎/著
 メーカー名/出版社名東京図書出版
 出版年月2020年10月
 ISBNコード978-4-86641-324-2
 (4-86641-324-7)
 頁数・縦310P 19cm
 分類人文/哲学・思想 /哲学・思想一般

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

 日本民族とは、天皇主義者であり、日本主義者であった。
 中華世界を「敬して遠ざける」「付かず離れず」とする異質な自国中心主義で、中国や朝鮮と同じ道を歩かず、大陸や半島の虐殺と略奪の地獄様な戦乱の影響を完全排除していた。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、庶民・地方諸王国・外国人移民による「天皇の弑逆(しいぎゃく)」を許さなかったが、天皇に対して暴君となり暴力で暴走させない為に『日本書紀』に第25代武烈天皇を暴君として記して教訓とした。
   ・   ・   ・   
 天皇の君民共治は、価値相対主義であり、日本を進化・進歩させ、平和と繁栄に貢献していた。
   ・   ・   ・   
 天皇の君民共治は辺境の相互補完共生ムラ的運命共同体で、中国や朝鮮には存在しなかった。
 君とは神聖不可侵にして唯一無二の御一人神聖国家最高権威で、民とは取り替え可能な複数雑多の多数人俗世国家最高権力である。
 俗世国家最高権力とは、政治・軍事・経済そして宗教の欲深い独裁である。
 神聖国家最高権威の最優先事項は、国民を最大最高の宝物と考え、社会的な不安定要因を減少させ、民族を豊かに安全に安心して暮らせるようにする事である。
 神聖国家最高権威の根源的本質的価値観とは、世界と人類をも包み込む八紘一宇の心である。
   ・   ・   ・   
 君民共治とは、天皇と庶民の徹底した役割分担による棲み分けであった。
   ・   ・   ・   
 神聖国家最高権威は、「過去」の自然・神話・宗教の大義から庶民の独裁を許さない。
 俗世国家最高権力は、「現在」の法度・法律・憲法の正義から天皇の暴君を認めない。
   ・   ・   ・   
 神聖国家最高権威とは、中央のヤマト大王、日本天皇=天つ神で、日本を統一した。
 俗世国家最高権力とは、地方の国王=国つ神で、天下を統一した。
   ・   ・   ・   
 神聖国家最高権威は、歴史から求められた価値観による不変の宿命である。
 俗世国家最高権力は、時代から求められた価値観による可動の運命であった。
   ・   ・   ・   
 天皇の君民共治を支えたのは、言霊文化である和心の和歌(短歌)、艶歌(演歌)、俳句であって、漢魂の漢詩ではなかった。
   ・   ・   ・   
 冲方丁「悪意に対抗するための健(すこ)やかな言葉を少しでも多く世の中に残したい。当然のことですが、人びとがいがみ合うのではなく、助け合う社会のほうがいいというメッセージを繰り返し訴え続けるしかありません」

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

 儒教易姓革命禅譲放伐)と天命思想(受命思想)を、中国と朝鮮は無条件で受け入れ、日本は換骨奪胎して受け入れた。
 天皇易姓革命と天命思想から守ったのは、伝統文化である、天孫降臨記紀神話古事記日本書紀)と民族の神話物語、庶民物語であった。
 天皇は天命思想を引き受け、庶民は易姓革命を拒否した。
   ・   ・   ・   
 天命思想とは有徳、徳治の事で、人徳と陰徳を体現したのは第45代聖武天皇光明皇后であった。
 日本風天命思想は、天皇の御威光、皇道主義である。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

 2023年7月7日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「日本」は必ずしも「ヤマト」ではなかった…じつはあいまいな「国名」の実態 日本文化の核心
 松岡 正剛  
 日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する!
 *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
 © 現代ビジネス
 「静かなもの」と「荒々しいもの」
 私は相撲が好きです。ラジオ時代の栃若(栃錦若乃花)のころからずっと見てきました。何がいいかといえば、仕切りまでの「長い静」のあとに軍配が返って「瞬時の動」が激動するのがいい。これは日本です。
 呼び出しが扇を開いて東西の四股名を呼ぶと、力士は土俵に上がって口を漱ぎ、塩をまいて、蹲踞の姿勢で相手と見合う。行司も「見合って」と声をかける。こういう静かな仕切りを何度か繰り返しながら、行司の軍配が返った瞬間に、激しい突き押しが始まり、荒々しい凝縮がおこります。わずか数秒の荒々しさのために、数分、ときには控えから数えると十数分の淡々たるハコビがあるのです。
 ひるがえって、そもそも日本文化には、茶の湯や生け花や地歌舞のようにとても静かなものと、ナマハゲや山伏の修行やダンジリ祭りのように荒々しいものが共存しています。歌舞伎にも「世話物」があるとともに「荒事」がある。『暫』『鳴神』『勧進帳』『助六』などの歌舞伎十八番はすべて荒事です。市川団十郎家のおハコ(御家芸)ですが、上方の坂田藤十郎家のおハコは「和事」です。
 お能には静かで深遠な神能があるとともに、修羅物とか鬼能といわれる激しいものがあり、世阿弥が発明した複式夢幻能では、これらが巧みに配されて途中の「移り舞」のところで切り替わります。象徴的には「神」と「鬼」が互いに入れ替わる瞬間があるのです。「静」と「動」は一対なのです。デュアルなのです。
 私は和事のような静かなものも、荒事のような荒々しいものも、どちらも大好きで、この徹底した二つが併存してきたところが日本文化のいいところだと思っています。
 もちろんどんな国の文化や芸能にもソフトなものがあれば、ハードなものがあります。クラシック音楽やジャズなどでも、ダンスやパフォーマンスでもそうなっています。それはそうなのですが、日本では、この「和」と「荒」との併存が、日本の精神やルーツと深く関係しているのです。
 「和」と「ヤマト」と「日本」
 聖徳太子は「和を以て貴しと為す」(以和為貴)というふうに十七条憲法に書きました。もとは孔子の弟子の有若が「礼の用は和を貴しとなす。先王の道もこれを美となす」と言ったことにもとづきます。
 この「和」は争わないことや調和を保つことで、漢字の「和」という一文字には「やわらか」「なごみ」「むつむ」と意味があります。一方、和風建築や和様書や和式トイレや和算の「和」は日本風という意味です。こちらは日本を「大和」と呼称したところから派生します。大和はヤマトです。この大和という言い方には、すでにして「和」が起動していました。
 それでは、なぜヤマトが日本になり、日本はヤマトなのでしょうか。日本朝廷はなぜヤマト朝廷になったのでしょうか。
 現在の日本の国号はいうまでもなく「日本」です。憲法日本国憲法、政府は日本政府、中央銀行日本銀行、国語は日本語。そんなことはいまさらながらのことのようですが、必ずしもそうとは言えません。戦前までは「大日本帝国」でしたし、徳川時代はあまり「日本国」を名のらず、好んで「秋津島」とか「扶桑の国」と言っていた。
 英語表記は「Japan」です。他国語での呼び方は綴りが少しずつちがいますが、だいたいは似ている。フランス語ではジャポン、ドイツ語ではヤーパン、スペイン語ではハポン、イタリア語ではジャッポーネ、ロシア語ではヤポーニア。いずれも一四世紀初頭のヴェネツィア共和国マルコ・ポーロが中国語で交わされていた“Cipangu”をイタリア語ふうに報告したのをベースに、大航海時代に日本のことをポルトガル語で「ジパング」(Xipangu/Zipang)と発音表記したりしたことにもとづきます。
 中国はいまではジャパンのチャイニーズ読みでジーペンと言っていますが、古代中国では「倭」と名付けていたのです。ちなみに韓国ではニッポンのコリアン読みのイルポンです。このように日本は必ずしもヤマトではなかったのです。
 国号や国名はナショナル・アイデンティティをあらわすと思われているけれど、実はけっこう任意なところがあります。それは各国とて同じです。イギリスとUK、アメリカとUSAみたいなものです。「大和」と「日本」は併存しているのかというと、まあ、そうです。ただしそれが日本国に定着するまでには、それなりの紆余曲折がありました。
 さらに連載記事<じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」>では、「稲・鉄・漢字」という黒船が日本に与えた影響について詳しく語ります。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 
 古代日本は、地獄の中華世界・弱肉強食の半島社会の中にあって、倭国(獣国)の自主独立を確立し、倭人(野蛮人)の生存権を護持する為に、ヤマト大王ヤマト王権によって統一されるしか選択肢がなかった。
 もし、日本統一をヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国がしなければ、地方の王・王国が日本を統一した。
 日本が天皇家・皇室の元で統一国家に成れなければ、中世東南アジア世界のような小国家群による無秩序で無法なカオス地帯となったか、朝鮮のような中華帝国奴隷国家に成り下がるか、流刑地・台湾のような汚れた化外の孤島として捨てられるか、何れにしてもそこには現代の日本は存在しない。
 そして、歴史・伝統・文化・神話宗教・自然崇拝を共有する日本民族は生まれなかった。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷による日本統一を望まない日本人が、高学歴のエセ保守・リベラル・革新(進歩)・過激の中に存在する。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷は、大陸の中華帝国と半島の諸王国の軍事侵略から日本を守る為に人工的に作られたムラ的システムである。
 ムラ的システムのコアになっていた価値観は、数万年前の旧石器時代縄文時代に自然発生的に生まれ、数千年前の弥生時代古墳時代天皇と一体化された。
   ・   ・   ・   
 反宗教無神論・反天皇反民族反日のリベラル・革新・エセ保守、左派・過激派は、ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国、日本天皇平安京朝廷の価値観による統一国家を否定するが、当時の日本国内や反日敵日の中華世界・朝鮮半島社会など国外の事実に基ずく現実を見据えた国家社会を提示いていない。
 つまり、彼らは超リアルな価値観など見えていない。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

 2023年6月10日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「なぜ秋篠宮家に集中するのか バッシングの核は「思想」より「特権」への感情」
   ・   ・   ・   
 2023年6月11日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「宮家なのに“世俗的な上昇志向”に見えた 国民が皇室に求める「無垢」と「高潔」とは〈AERA
 ・・・。
 つまり、象徴天皇制における皇室の権威とは、一般社会での権力関係から離れ、国民に寄り添うことによって完成する。・・・その心象に寄り添う姿勢を見せるからこそ、国民は天皇・皇室を象徴として認め、かつ尊敬する。無垢で高潔であるほど、国民はそこにオーセンティシティー(正統性)を見いだすという構図がある」
   ・   ・   ・   
 1980年代以降の現代日本人には、昔の日本人ほどの天皇家・皇室に対する無条件崇敬心はなく、むしろ国民主権で見下している。
 その証拠が、女性・女系天皇即位を支持する国民が80%以上いる事である。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。 
  ・  ・  
 天皇は、宮中祭祀として、最高神の女神・天照大神と第一代天皇神武天皇の皇祖と第二代天皇以降の歴代天皇の皇宗に対して、正統性の世襲で受け継いできた一子相伝の秘儀で我が身の事よりも「国安から民安から」と数千年前の弥生時代古墳時代から祈られて来られた。
  ・  ・  
 紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性世襲男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
 日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
 ゆえに、日本民族日本人は天皇・皇族・皇室、国體=天皇制度を守る為ならば死を厭わず、武器を取って戦った。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

 天皇のご威光(国體・国柄)、皇道主義、民族主義、神話物語、八紘一宇 vs. マルキシズム共産主義社会主義)、ボルシェビキレーニン主義スターリニズムマオイスト毛沢東主義)、ファシズム、ナチズム。
   ・   ・   ・   
 天皇の御威光とは、庶民を「大御宝」と念う天皇の御稜威、大御心である。
 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達が行った、ヒトラースターリンから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民を助け保護したのも、差別反対・弱者救済・貧困愛護そして儒教的徳以上の神話的道理(本質的価値観)に命を賭ける天皇の御威光であった。
 日本の国際的信頼性や外交・金融・文化的信用度を、保証できるのは数千年の歴史を持つ正統な天皇の御威光のみである。
 天皇の御威光は「穏やかな祀りと祈り」として、日本国や日本民族だけではなく世界の平和と安寧、人類の幸福と繁栄をも対象とした、それが「八紘一宇」であった。
 歴代天皇の中で、それを深く考え実行したのが昭和天皇であった。
   ・   ・   ・   
 天皇の御威光が誕生したのは7世紀初頭の第33代推古天皇(女帝)御代であり、生んだのは聖徳太子である。

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・ 

 皇室の血族優先(ネポティズム)は、血縁・地縁による依怙ひいき、縁故、身びいきとは違う。
   ・   ・   ・   
 中国・朝鮮は、公・忠より私・孝を優先する一族・家族中心の宗族主義で、公然と賄賂による不正が蔓延る依怙ひいき、縁故、身びいきである。
 楊逸「王朝時代の中国は、『家国』意識が強かった。漢王朝は『劉家天下』、唐王朝は『李家天下』と、国土と人民も皇帝家の『私有物』という考え方でした。」

 ・・・ *  *  *  *  * ・・・