〖目次〗貼り付ける記事:日本編。戦国・江戸・近世。 令和6年8月版。

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 貼り付ける記事:日本編は、天皇神話・民族中心神話及び血筋・血統の家世襲による皇国史観であり愛国心が目的である。

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 日本を襲う国際陰謀論、文化マルクス主義者・リベラル左派の陰謀、中国共産党の陰謀、レーニンの亡霊。
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 ソ連コミンテルンの27年テーズ、32年テーゼ。
 日本国内に潜む、反宗教無神論・反天皇反民族反日マルクス主義エセ保守。

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 15世紀の人口、オスマン帝国約1,800万人。日本約1,500万人。 
2019-02-10
⚔44)─1─徳川時代の近世日本は世界7大帝国の1つの強国であった。~No.175No.176No.177・ 

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2023-08-12
⚔8)─1─日本民族の歴史とは、庶民の歴史で銭の歴史であった。〜No.31No.32 

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日本人の平均寿命
 縄文・旧石器時代は15歳前後。
 弥生時代は18~28歳。
 古墳時代は25歳前後。
 飛鳥・奈良時代が28~33歳。
 平安時代は30歳~40歳。。
 室町時代は15歳前後。
 鎌倉時代は24歳。
 安土桃山時代は30歳。
 江戸時代は32~44歳。
 明治時代は44歳前後。
 大正時代は43歳。
 昭和10年は男性46.92歳 女性49.63歳。
 戦時中は31歳。

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 鎌倉時代から明治時代までの約700年間、日本は正統性権威の天皇・朝廷・公家と正当生権力の将軍・幕府・武士による「一国二制度」の時代であった。
 東アジアの中華世界では、日本の一国二制度は特異であった。

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 西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷もしくは人間以下の家畜、自由に殺してかまわない獣であった。
 バチカンローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
 つまり、中世キリスト教会は日本人奴隷交易を「神の御名」によって容認・公認していた。
 心ある善意な宣教師達は、全知全能の神から与えられた「神聖な使命」として、日本人を奴隷から救う為に積極的に布教活動を行い、数十万人の日本人をキリシタンに改宗して「神に愛される自由人」に引き上げていた。
 それが、中世キリスト教会が説く「隣人愛の信仰」であり唯一絶対神の御言葉である「福音による救済・恩寵・奇蹟」であった。
 豊臣秀吉徳川家康江戸幕府は、その事実を知り、日本人奴隷交易を禁止する為に元凶となっているキリスト教邪教として禁教とし、非人道的なキリシタン弾圧をおこなった。
 が、その歴史的事実がハッキリしているにもかかわず、現代日本歴史教育は「日本人奴隷交易」を否定する事なく黙認している。

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 徳川時代、江戸経済はオランダを通じて西洋中心の世界経済に繋がっていた。

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 武士道の「―といふは死ぬ事と見付けたり」とは、祖先の体面を維持し自分の名を守る為ならば命をも犠牲にする「死の本能(タナトス)」であったが、自暴自棄的なネクロフィリア(屍姦・死への希求)ではなく信念によるバイオフィリア(生への希求)であった。

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 日本とくに日本民族では、マルクス主義共産主義無政府主義による人民革命は起きない。
 もし人民革命が起きるとすれば、日本人から日本民族が消滅もしくは少数派となり外国移民の日本国民に入れ替わるもしくは多数派になったときである。
 何故なら、マルクス主義共産主義無政府主義とは反宗教無神論・反天皇反民族反日本だからである。
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 庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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 戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
 武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
 日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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 日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
 町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などに陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
 町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
 百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
 百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
 合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
 百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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 武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
 乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
 日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
 一説によると、日本人奴隷として輸出した人数は、ポルトガル商人が5万人以上で、スペイン商人は不明である。
 これが、南蛮貿易に隠された暗黒史である。
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 反権力・反権威・反体制的な庶民は、社会秩序に反逆する野伏せりや悪党であり、そして天皇を命を捨ててでも守ろうとした勤王派・尊皇派であった。
 その代表的人物が、楠木正成であった。
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 現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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 日本人は、悪人、罪人である。
 故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。

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2024-01-28
⚔21)─3─戦国時代、人口の9割は“農民”!乱世に翻弄される「影の主役」の生活とは。乱取り。~No.92 
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2022-05-30
🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ② 
 日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教イスラム教の絶対神でもない。
 お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
 日本民族は、お天道様崇拝者である。
 お天道様とは、天皇家の祖先神である女性神天照大神である。
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 トライイット
 ホーム社会中学社会中学歴史江戸時代武士による支配
 中学歴史
 身分別の人口の割合 幕末のごろ
 総人口約3,200万人
 百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
 江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
 一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
 その次に多いのが7%の 武士 です。
 3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
 町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
 そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
 公家・神官・僧侶、その他1.5%。
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 江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
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 現代日本人が憧れ持て囃す武士道は、江戸時代後期、ロシアの軍事侵略危機までは存在しなかった。
 武士道は、明治時代の近代化によって、外敵の侵略から天皇・国・民族、宗教・文化を守る為に民族主義愛国心の中から生まれた。

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 儒教易姓革命禅譲放伐)と天命思想(受命思想)を、中国と朝鮮は無条件で受け入れ、日本は換骨奪胎して受け入れた。
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 天皇易姓革命と天命思想から守ったのは、伝統文化である、天孫降臨記紀神話古事記日本書紀)、民族の神話物語と庶民物語であった。
 天皇は天命思想を引き受け、庶民は易姓革命を拒否した。
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 天命思想とは有徳、徳治の事で、人徳と陰徳を体現したのは第45代聖武天皇光明皇后であった。
 日本風天命思想は、天皇の御威光、皇道主義である。

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 2023年7月7日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「日本とは、日本人とは」なんだろう…全国すみずみまで歩いて見えた「日本人の本当の姿」
 『忘れられた日本人』で知られる民俗学者宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 
 「宮本の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が2刷重版出来、話題となっている。
 【写真】女性の「エロ話」は何を意味しているか? 日本人が知らない真実
 ※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。
 「心」の民俗学と「もの」の民俗学
 人文科学の諸領域は「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」という命題を追究するものだと私は理解している。歴史学社会学も、人類学も民俗学も、究極の目的は、こうした命題を明らかにしていくことに間違いないだろう。
 またそれは、人文科学にとどまらず、社会科学でも、自然科学でも目的とされていることなのではないか。そしてその目的に至る方法や対象の違いによって、学問の性格が異なってくる。
 民俗学もまた「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」を追究してきた学問である。ほかの学問でもそうだが、追究しようとする「私たち」がどこまでを含むのかも大きな問題になる。学問領域によっては「人間」「人類」、あるいは「生物全般」を含む場合もあるかもしれない。
 柳田国男(1875~1962)は20世紀の日本列島に住む日本人を「私たち」とあらかじめ措定して民俗学をはじめた。
 そして「私たち」の起原(どこから)、定義(なにもの)、未来(どこへ)を追究・探求する際、柳田は「心」を手がかりにし、「心」の解明によって明らかにできると考えたのだ。
 そのとき「心」を構成する資料は、民間伝承、民間信仰から得られるものだと考えたのである。この柳田の直観、あるいは思想が「日本民俗学」の発端となり、「日本民俗学」の性格を決定づけたのである。
 これに対して宮本常一(1907~1981)は「もの」を民俗学の入り口にした。たとえば生産活動などに用いてきた「民具」を調べることで、私たちの生活史をたどることができると考えた。そして民俗学における伝承調査を、「もの」への注目に寄せていくことで、私たちの「心」にも到達できると考えたのだった。
 フィールドワークから実践へ
 日本の民俗学は柳田によって開かれ、同世代の折口信夫(1887~1953)、南方熊楠(1867~1941)らによって発展していった。
 彼らのあと有力な財界人でもある渋沢敬三(1896~1963)が独自の立場から後進を支援、指導し、そのなかで最も精力的な活動を展開したのが宮本常一である。
 宮本は日本列島をすみずみまで歩き、多くの人びとから夥しい数の話を聞いた。民俗学はもちろん、人類学や社会学でもフィールドワークは調査研究の重要な手法だが、宮本のそれはほかの調査者たちとどのように違うのか。宮本は自身のフィールドワークをふまえてこんなふうに記している(「あるいて来た道」『民俗学への道』著作集版より要約)。
 さまざまな差が見られる村の風物には、それぞれの歴史と理由をもち、私たちの生活意識の表現でないものはない。このような村里の風物に接することにより、私たちはそのなかに含まれた意味を汲みとらなければいけない。自分の知っている世界だけが世界のすべてではない。知らない世界、考えのおよばない世界が、そのかなたに無限にかくれている。村に入り、民家の人たちと言葉を交わすことによって、表現せられる物象の底に潜む生活意識と文化を知ることができる――。
 ここで宮本は、「世界」という言葉を使っているが、「世間」という言葉を用いることも多い。「世間」は宮本が、その民俗学の対象とした人びとが暮らす社会を指し示すのにふさわしい言葉であり、そこから読み取れることは少なくない。
 宮本は、見て、歩き、聞くことにより、列島各地の歴史や事情に精通し、農業、漁業、林業等の実状を把握するとともに問題点を明らかにしていった。そしてそれは、個別の共同体がどのような産業によって潤っていくかを、共同体の成員とともに具体的に考えていくことだった。またいっぽうで、調査される側の「迷惑」についてもきわめて意識的だった。
 宮本の民俗学がほかの民俗学者民俗学と際立って違うのは、フィールドワークの成果が実践に結びついていったことである。
 戦中・戦後の大阪府下での農村指導をはじめ、新潟県山古志村(現・長岡市)、同県佐渡の宿根木などでは、民俗文化財をどのように生かしていくのかを考えて、いわゆる「地域おこし」(町おこし、村おこし)の先駆的な活動をおこなった。
 また、瀬戸内海に浮かぶ山口県周防大島で生まれた宮本は、「離島」が抱える本土との格差を埋めるために尽力し、民俗学者としての説得力と粘り強い活動により離島振興法を成立に導いている。
 畑中 章宏(作家)
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 7月7日 YAHOO!JAPANニュース GLOBE+「女装して敵を討ったヤマトタケル 多様だった日本の「性」を変えたもの 三橋順子さん
 三橋順子さん=2023年4月14日、東京都新宿区、中川竜児撮影
 日本には古代から、多様な性があった――。トランスジェンダー明治大学非常勤講師の三橋順子さん(ジェンダー論)は歴史をひもとき、そう伝えている。その歴史はどう変わっていったのか、いま必要なことは何なのか、語ってもらった。(中川竜児=GLOBE編集部員)
 【歴史画】女装して九州の豪族を討ったヤマトタケル
――著書などで日本の性の多様性を紹介しています。
 国際学会などで話すとき、「日本は建国神話の英雄に女装者がいます」と必ず紹介します。「古事記」でヤマトタケルが女装して九州の豪族を討つエピソードですね。皆さんとても驚きます。
 【みつはし・じゅんこ】
 1955年生まれ。トランスジェンダーの歴史など性社会・文化史を研究している。著書に「女装と日本人」、「新宿 『性なる街』の歴史地理」、「歴史の中の多様な『性』」など。
 能や歌舞伎にも異性装は欠かせません。男でもあり女でもあるという双性を持つ(性別を越境する)者は、通常と異なる力を持つと考えられたのです。
 武士階層の「衆道」、江戸時代の陰間(女装で接客する少年)など男色(男性間の性愛)もありました。タイやインドにも男女二元論におさまらない性のあり方が根づいていました。
 日本が大きく変わるのは明治以降。異性装や同性愛をタブーとするキリスト教に基づく価値観や医学が入り、富国強兵を目指す政府は戸籍で男女を二元化しました。でも、それはわずか150年前のことです。
――キリスト教の影響ということですが、性的マイノリティーの権利擁護を進めているのは欧米の方ですね。
 欧米社会はキリスト教の影響をより強く受けています。イングランドで同性愛行為が犯罪でなくなったのは1967年ですから。ただ、あちらには抑圧や弾圧に抗して人権を勝ち取った歴史もあります。日本に欠けている部分です。多様な性があった伝統に、国際的な人権規範をうまく「接ぎ木」することが必要です。
 重要なのは法整備です。2015年に渋谷区と世田谷区が同性パートナーシップ制度を導入しました。各種調査によれば、今、制度を取り入れた自治体は約300、カバーする人口は日本の7割です。同性婚訴訟でも注目すべき判決が出ています。政治が対応しなければなりません。
 LGBT理解増進法は修正のたびに悪くなりました。マイノリティーへの「理解増進」を目的とする法律に、マジョリティーへの配慮をことさら条文として付加するなど、内容には不満も問題もありますが、日本で初めて性的マイノリティー全体に関係する法になります。「不当な差別はあってはならない」との理念に即し、当事者のために運用されるよう注視していきたい。
――社会の変化についてはいかがでしょうか。
 企業は変わってきました。特に外資系の場合、本国で性的マイノリティーの従業員に対する障壁を解消すれば、日本の支社もならう。保険会社なども、外資系が同性カップル向けの商品を出せば、日本の会社も対抗上、出さざるを得ない。日本国内だけで完結している企業はまだまだ頭が固いですが、国際的な標準を無視しては生き残れない時代です。競争力を失ってしまう。
 色々な人種や民族、宗教の人がいる。そして色々なジェンダーセクシュアリティーの人がいる。多様性こそが豊かさで、力や面白さを生み出すのです。

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 民族を分けるのは、集団としての言語・文化・伝統・習慣・風習ではなく、共同体を一つにまとめる宗教であった。
 日本民族をまとめる宗教とは、天皇心神話である。
 天皇への畏敬・敬愛・崇敬そして忠誠が、ある者は日本民族帰化系日本人で、ない者は日本民族ではなく渡来系日本人である。
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 日本民族の、自然崇拝宗教は数万年前の石器時代縄文時代まで遡り、女性神天皇神話は数千年前の弥生時代古墳時代に成立していた。
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 日本民族の正統性は、絶対不変にして唯一絶対の天孫降臨神話=天皇神話であり、信仰宗教・啓示信仰における王権神授説・皇帝神権説ではなく、ましてや書き換え自由な人民との社会契約論でも特定イデオロギーによる憲法や法律でもない。
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 インド仏教教祖の釈迦の生没年は、紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。
 ユダヤ教は、紀元前4世頃に発展したと言われている。
 キリスト教は、イエス・キリストが紀元前4年頃から始めた。
 イスラム教教祖のマホメットは、570~632年まで生きていた。
 中華儒教孔子は、紀元前551~同479年に生きていた。
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 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
 極左組織フランクフルト学派の哲学者達は、1930年代後半にアメリカに亡命した。

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 保守には、正統保守とエセ保守があり、両者の違いは、GHQのリベラル派ユダヤ人ニューディーラーと日本人共産主義者によって公職を追放された20万人以上の正統保守と占領政策に協力した敗戦利得であるエセ保守であった。
 リベラル派ユダヤ人ニューディーラーとは、反宗教無神論・反天皇反民族反日本である。

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 日本民族は現実主義者として、空想的虚飾的巧言を弄する啓示宗教や教条的主義主張を敬遠し、本質的な価値観を言霊まで示す自然崇拝と哲学や思想を理解できるように受け入れていた。
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 日本民族は、人としての自分の心情・人の及ばない自然の現象・人の成す物事の事情から目をそらさず、森羅万象の「本質」を見詰め見極め、その根底のさらなる深層に流れている「価値観」を八百万の神と崇め、価値観を世の中で生きる上での原動力として社会を変えながら生きていた。
 根底に流れる価値観とは、過去・現在・未来に途切れる事なく受け継がれて来た命・心・志、精神・気概、自分が死んでも終わる事のない消える事のない「永遠の生命、永劫の魂・霊魂」であった。
 命は死を迎えて終わっても、輪廻転生として、生まれ変わり・生き変わり、蘇る・甦る、魂は残り続け、その源泉・源流は高天原からの神話物語であった。
 神代から人代に続く絆の根底に流れる価値観とは、多種で多様で多元で雑多で、同調もなければバッシングもなく、正義感もない、そして差別も偏見も意地悪もいじめもない。
 日本民族の伝統文化は、その事を忘れない為に伝承・継承されてきた。
 民族文化は、縄文文化を正統に受け継いでいる。
 民族文化の正統性は縄文文化で、縄文文化は日本文化・琉球文化・アイヌ文化に引き継がれている。
 縄文文化は、日本列島に住む日本民族琉球民族アイヌ民族の3民族の固有の文化である。
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 歴史的事実として、日本社会の変革は破壊的イノベーションと改善的リノベーションで起きていた。
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 日本を支えた支柱は、武力の政治権力、経済力の宗教権威、文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 政治権力と宗教権威は「ウシハク」であり、天皇の御威光は「シラス」と「祓(はらえ)」であった。
 日本の国柄、国體の真髄そして日本民族の本質と価値観は、合理的正当ではなく神話的正統な天皇の御威光である。
 武力の政治権力は、江戸中期までは中国の儒教価値観で、明治以降は西洋の近代価値観であった。
 経済力の宗教権威は、明治まではインドの仏教価値観で、明治以降は西洋のキリスト教価値観であった。
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 日本の伝統統治は、天皇の「シラス」行為と民族の「ウシハク」行為が共存する「君民共治」であった。
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 西田哲学「場所的論理と宗教的世界観」を読む シラス主義とウシハク主義
 浅井進三郎/著
 著作者浅井進三郎/著
 メーカー名/出版社名東京図書出版
 出版年月2020年10月
 ISBNコード978-4-86641-324-2
 (4-86641-324-7)
 頁数・縦310P 19cm
 分類人文/哲学・思想 /哲学・思想一般

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 江戸時代の夜這い、不倫・寝取り、托卵は伝統的性文化であった。
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 不倫・夜這い・寝取り・托卵の主導権は女性が持っていて、女性かその気がなければ不成立であり、男性が女性の気持ちを無視して強引に性行為をすれば犯罪とされた。
 つまり、不倫・夜這い・寝取り・托卵が成立する条件は、男女同権か女尊男卑であって、男尊女卑ではない。
 作法に従わず掟を破れば、男は村八分の制裁を受けるか、最悪はムラから追放された。
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 戦国武士の性行為(セックス)には、女性との異性行為、男性との同性行為、動物との獣姦の3種類があった。

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 紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
 日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
 
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 昔から、日本にはハーメルンの笛や滅びの笛を吹く教養ある日本人が一定数存在していた。
 が、庶民と言わっる教養が低い大半の日本人は哲学・思想・イデオロギーがなく宗教が理解できない為に深く考える事が苦手で、単純思考から権威ある発言を盲信して、甘い言葉に酔って皆と一緒に我を忘れて踊り狂うという気質があった。
 付和雷同同調圧力が日本人の特徴である。
 世の中を扇動する日本人は、悪人ではなく、自分が発言し行動している情報・発言は間違いない・正しい・真実と信じきっている善人である。
 日本人の不幸は、お人好しすぎて、人を疑う事をしない為に欺されやすく、扇動者の情報・発言は世の為、人の為になると信じ切ってしまう事である。 
 付和雷同同調圧力で見事に踊らされた実例が、ダイオキシン騒動、エイズ・パニック、福島原発事故放射能汚染騒動、コロナ騒ぎなどである。
 現代日本ハーメルンの笛や滅びの笛を吹くのはマスコミ・メディアであり、国民の間に拡散し混乱を引き起こしているのがインターネット情報である。

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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・野伏せり・悪党、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海女、海人})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 少数の高学歴出身の裕福資産家・AI強者 vs. 多数の低学歴出身の貧困労働者・AI弱者。

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 天皇のご威光(国體・国柄)、皇道主義、民族主義、神話物語、八紘一宇 vs. マルキシズム共産主義社会主義)、ボルシェビキレーニン主義スターリニズムマオイスト毛沢東主義)、ファシズム、ナチズム。
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 天皇の御威光とは、庶民を「大御宝」と念う天皇の御稜威、大御心である。
 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達が行った、ヒトラースターリンから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民を助け保護したのも、差別反対・弱者救済・貧困愛護そして儒教的徳以上の神話的道理(本質的価値観)に命を賭ける天皇の御威光であった。
 日本の国際的信頼性や外交・金融・文化的信用度を、保証できるのは数千年の歴史を持つ正統な天皇の御威光のみである。
 天皇の御威光は「穏やかな祀りと祈り」として、日本国や日本民族だけではなく世界の平和と安寧、人類の幸福と繁栄をも対象とした、それが「八紘一宇」であった。
 歴代天皇の中で、それを深く考え実行したのが昭和天皇であった。
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 天皇の御威光が誕生したのは7世紀初頭の第33代推古天皇(女帝)御代であり、生んだのは聖徳太子である。

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 現代の日本は歴史のない社会である。
 日本の歴史は、昔は神話・物語・天皇・民族・宗教・文明・文化・伝統・その他つまり生と死、命、魂・霊魂の生命力ある歴史であったが、現代では生物としての人類・人間を科学で分析する無味無臭・無味乾燥で生命力なき歴史である。
 現代の日本人が学ぶ歴史教育とは、試験合格用のキリスト教西暦・天皇元号と科学的な統計数字・分析数字の記録を丸暗記するだけの死んだ歴史である。
 そこには、生きるヒントを与える生きた歴史はない。
 それが、反宗教無神論と反天皇反民族反日本の戦後民主主義教育における歴史教育である。
 日本を歴史のある社会と歴史のない社会に分断したのが、1980年代頃で、それは当時の日本人が自ら選択した結果であって、誰かに強要されたわけでもなく、如何なる陰謀説も存在しなかった。
 まして、戦後レジームなど無関係であった。

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 正常で真っ当な人間であれば、死にたいとは思わないし、他人を傷付け、ましてや他人を殺そうとはしない。
 日本民族の歴史とは、生きたいと切に思い、生きる事を諦めず、生き抜く為に立ち止まらず、目の前の苦難から逃げず我が身に引き受け、自助・共助で悪戦苦闘しながら耐えて努力して前に歩んできた活きた物語である。
 日本の歴史とは、恵と災害をもたらす自然の中で神と人と動植物が棲み分けしながら共に生きる相互補完共生の物語である。
 日本民族とはそうした人々である。

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 良い日本人は2割、悪い日本人は3割、良くも悪くもなく信念を持たず同調圧力付和雷同的に流される日本人は5割。
 右翼・右派・ネットウハと左翼・左派・ネットサハは、悪い日本人である。
 戦後民主主義教育で、そうした日本人が急増した。
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 日本人は、惻隠の情を持ち心優しく親切である、はウソである。
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 日本人は、いい事もしたが悪い事もした。
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 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、はウソである。
 日本は世界で信用されていない、日本人は世界で嫌われている、は本当である。
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 日本人は賢く優れいている、はウソである。
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 自慢して自惚れる日本人は、醜悪なほどに愚かである。
 日本人は、しょせん、猿マネである。
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 日本人は、過度に褒めるとバカになり、おだて持ち上げると調子に乗って図々しくなる。
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 日本人の本性は、論より証拠、百聞は一見にしかず、現代日本人を見ていればわかる。
 その代表的な現代日本人とは、高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、親中国派・媚中派である。
 現代の日本人と昔の日本人とは別人のような日本人である。
 現代の日本人は、武士や庶民でもなければ、武士や庶民の子孫でもない。
 現代日本には、民族的な武士や庶民は存在しない。
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 マルクス主義系マイノリティ・ファシズム

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 近代日本の主敵は、白人キリスト教のロシアとロシア人であった。
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 徳川幕府は、アイヌ人が住む蝦夷地、北方領土を日本の固有領土として統治し守っていた。
 ロシアは、千島列島を南下していたが樺太には進出していなかった。
 第119代光格天皇(在位1779~1817)。
 1785(天明5)年 老中・田沼意次は、ロシアの侵略を警戒して蝦夷地探索隊を派遣した。
 1789(寛政元)年 徳川幕府は、アイヌの蜂起クナシリ・メナシの戦いの背後にロシアが策謀していると疑い警戒した。
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 1792(寛政4)年 老中・松平定信の寛政日露交渉。
 水戸学による攘夷運動の始まり、神国日本意識と攘夷気運が全国に伝播した。
 日本民族民族主義の誕生、創作された皇国史観愛国主義軍国主義政策の採択、軍国日本への暴走。
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 1806(文化3)年 文化露寇。ロシア軍艦による北方領土蝦夷地・樺太における海賊行為。
 YAHOO!JAPANニュース 2017年1月12日 THE PAGE「ロシア帝国が日本を攻撃した「文化露寇」 択捉島神社に安置された大砲の姿
 紗那神社と古砲(千島連盟提供)
 終戦から70年以上経過しましたが、いまだに解決していないのが、不法占拠されたままとなっている北方領土の問題です。終戦直後の1945(昭和20)年8月28日から同9月5日にかけて、旧ソ連軍の侵攻により、北方4島が占領されました。北方領土で暮らしていた人たちは、その後自力脱出したり、残された人たちは、旧ソ連兵とその家族らとの混住生活を強いられた後、1947~48(昭和22~23)年にかけて、強制的に島を追われ、樺太を経由して日本本土へ送還させられます。
 島で撮影された写真の大半は旧ソ連に没収されました。しかし、元島民でつくる千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)は自力で脱出できた島民が命がけで持ち出した写真を中心に約560点を収集。古くなり、劣化したものも多くなってきたことから、平成24年度デジタル化して保存する作業を行いました。千島連盟は「集まった写真は人物を写したものが多いですが、背景などから、島の当時の様子を知る大切な資料と考え、大切に保存しています」と話します。人々の表情や景色、風習…。一枚一枚の写真に、元島民が生き生きと暮らしていた証があります。
 今回、千島連盟からそれらの貴重な写真の提供を受けました。
 1800年ごろから、ヨーロッパ列強による日本接近が始まります。特に、通商を求めたロシア船が蝦夷地や根室など日本北方にたびたび現れるようになりました。将軍家斉の治世だった文化3ー4(1806ー1807)年には、ロシア帝国の外交使節ニコライ・レザノフが部下に命じ、日本の北方拠点を攻撃させたいわゆる「文化露寇」が発生します。
 中でも、択捉島の中心地、紗那(しゃな)は、ロシア側からの銃撃や艦砲攻撃にさらされ、警護していた津軽南部藩兵士が撤退。紗那の幕府会所は、ロシア兵が倉庫の米や美術品、武器などを略奪後、放火し、焼失します。責任者だった箱館奉行支配調役下役・戸田又太夫は撤退中に自刃しました。
 この事件は、幕府が鎖国体制の維持と、海防強化に努めるきっかけになります。このロシアによる襲撃事件から間もない文政年間に造られたとされる大砲を安置した紗那神社の写真が残っていました。」
 1807(文化4)年 徳川幕府は、蝦夷地防衛の為に東北諸藩に派兵を命じた。
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 日本の積極的自衛戦争戦略はこの時から始まった。
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 フランスやプロイセンなど西洋列強は、北太平洋航路を独占する為に蝦夷地(北海道)を植民地にするべく動いていた。
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 徳川幕府は、ロシアなどのキリスト教国の軍事侵略・宗教侵略から日本を守る為に伊能忠敬に日本地図作成を命じた。
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 徳川幕府は、戦争をしても日本を守るという覚悟の積極的平和主義から近代海軍を建設するべくオランダから蒸気軍艦を購入し、旗本・御家人を近代軍隊に改編する為に蘭学者達に命じて西洋軍隊を参考にして軍制改革や人材育成を進めた。
 各藩も、西洋諸国から競って軍艦を購入・建造していた。
 幕末日本は、海軍国として29隻の蒸気軍艦を所有していた。
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 日本の近代化の目的は、対外戦争を戦う為の軍国主義化であった。
 日本の開国・幕末・明治維新戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
 日本をロシアから救ったのは、戦争も辞さずのイギリスの軍事力・海軍力であった。
 軍事を否定し信用しない国家・国民・民族には、現実世界で生きる資格はなかった。
 熱狂的天皇主義者(現代の右翼・右派・ネットウハ、一部の保守派とは無関係)である尊皇派・勤皇派による攘夷運動は、間違った愛国主義民族主義ではなく、正しい軍国主義国粋主義・好戦主義、正義の戦争・聖戦であった。
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 神国日本を守る為の攘夷対象は、軍事侵略を企むロシアと宗教侵略を繰り返すキリスト教であった。
 徳川幕府の外交方針である経教分離の原則を受け入れて交易を行っていたオランダは、キリスト教布教をしない事を受け入れていただけに排除すべき攘夷の対象ではなかった。
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 ロシアの日本侵略は、ヨーロッパ戦争と連動していた。
 1729年~1796年 ロシア女帝エカテリーナ2世(ドイツ人将軍の娘)。
 ロシアの海外戦略は、1,ウクライナ黒海バルカン半島への領土拡大、2,アラスカ・北米大陸の開拓、3,日本との交易であった。
 1789年(~99年) フランス革命
 1796年~1815年 ナポレオン戦争
 1812年 ナポレオンのモスクワ遠征。
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 1689年 ネルチンスク条約ロシア帝国清王朝は、国境線を外興安嶺(スタノヴォイ山脈)とアルグン川(アムール川上流)を結ぶ線に定めます。
 1858年アイグン条約。ロシアは、アムール川(中国名は黒竜江)以北のシベリアの地を強引に割譲させロシア領とした。
 1860年 北京条約。ロシアは、アロー戦争に介入し英仏連合軍が北京を占領した所で講和を斡旋し、その見返りとしてウスリー川以東の沿海州を獲得し沿海州の南端の地にウラジオストクを建設した。
 ロシアは、不当な手段で手に入れた領土は戦争に負けて奪われない限り返還する事はなかった。
 ウラジオストクは冬でも凍らない不凍港で、日本海を南下して中国、朝鮮、日本への侵出を手に入れたが、目障りなのはウラジオストクにある樺太が日本の勢力圏にある事であった。
 ロシアは、樺太を自国領にする為にロシア人の軍人や囚人を上陸させて、反日的先住民を味方につけ日本人や親日派アイヌ人に対する暴力事件を頻発させた。
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 明治8(1875)年 樺太・千島交換条約明治新政府は、ロシアとの戦争を避ける為に樺太問題を解決すべくロシア領千島との交換条約を結んだ。
 日本側の戦略的利点は、ロシア海軍ウラジオストク樺太日本海内に封じ込め、宗谷海峡津軽海峡対馬海峡を抑えてしまえば太平洋への航路を遮断する事ができた。
 ロシアの対アジア政策とは、限られた軍団と艦隊による日本海支配であって、大軍団と大艦隊による日本侵略ではなかった。
 日本海を手に入れる為に、陸軍は満州から遼東半島朝鮮半島に軍事要塞都市を建設して防衛軍団を配備し、海軍は対馬樺太を手に入れ旅順・対馬ウラジオストクを軍港要塞都市として守備艦隊を配置する、であった。
 1891(明治24)年 ロシアはシベリア鉄道敷設工事を始めた。
 文久元年の農奴解放以来、ロシアの農村は余剰労働力を抱えていた。農民の不満の高まりは、ロシアにとって命取りになる。そこで、鉄道沿線のシベリアへ、農民の入植を促進するのが最大の目的であった。
 日本は、シベリア鉄道は軍事目的と見なして警戒し、ロシアとの戦争に備えて軍国主義政策を採用し、強権を持って国民生活を犠牲にして軍拡を進めた。
 イギリスは、上海・香港の中国利権をロシアから守る為に日本に接近した。
 日露戦争は不可避となり、開戦のその時が刻々と迫っていた。
 日本の戦争は、領土拡大の帝国主義侵略戦争ではなく祖国防衛の民族主義自衛戦争であった。
 明治33(1900)年7~8月 江東六十四屯虐殺(黒竜江アムール川の悲劇)。
 8月2日から3日 黒龍江・アイグン事件。ロシア軍兵士約2,000人は清国人移住者約2万5,000人を大虐殺した。
 日本人は、ロシア人の蛮行に恐怖し激怒し復讐を誓った。
 軍事力のない国は、如何に道理や信義があろうとも被害者として滅び滅亡する。
 その事実を知っていた近代国家日本は、軍国主義政策を採用して国力(経済力・軍事力=民力)強化に努めた。
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 弱小国日本にとって、強大国ロシアとの日露戦争は避ける事ができない戦争であった。

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 日本には、大航海時代の中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易(被害者として)と日本軍部・陸軍・A級戦犯によるポーランドユダヤ人難民(数万人)をホロコーストから守ったという人道貢献(実行者として)を世界記憶遺産に申請する資格・権利がある。
 これは、日本国家ではなく、生きている日本民族日本人としての責務である。
 日本人奴隷交易とA級戦犯の人道貢献には、その事実を証明する・裏付ける公文書・古文書・キリスト教会報告書など歴史的証拠が国内外に数多く残っている。
 もし、日本の申請が認められないというのならば、ユネスコとイコモスによる世界遺産世界文化遺産・世界記憶遺産には存在意義はない、無意味・無価値という事である。
 日本人奴隷交易の責任の一端は、乱取りで捕らえた日本人を奴隷として外国人に売った日本人にもある。
 A級戦犯が有罪となって見せしめ的リンチ縛り首で処刑にされた罪状は、政治家・官僚・軍人として戦争を始めた平和に対する罪であって、拷問・虐待・惨殺・虐殺を行った人道に対する罪ではなかった。

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 武士は、敵が自分より強者・巨大で戦えば必ず負けると分かっている絶望的状況にあっても、体面・名誉・プライドの為に戦うと決断したら「勝敗は時の運」と思い定め、死を覚悟し、「肉を斬らして骨を斬る」の捨て身の戦いを「正々堂々」と奇策や奇兵を駆使しておこなった。
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 日本の戦争史において、小国・少勢・小部隊・弱者・不利な者が大国・多勢・大軍・強者・有利な者に対して行う、油断を突く・虚を突くという奇襲・騙し討ち・不意打ち・夜襲は卑劣な戦術ではなく道理にかなった戦術である。
 日本軍が戦った対外戦争である、日清戦争日露戦争、シベリア出兵そして満州事変、日中戦争、太平洋戦争はすべてそうといえた。

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 鎖国下の江戸時代、日本の文化はあるがままでの共存と共生であり、日本の生き方は身の回りでの絆と繋がりであり、日本の生活は目の前の地産地消であった。
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 鎖国政策とは、中国や東南アジアから疫病を入れない水際政策であったが、それでもコレラ、ペスト、梅毒、インフルエンザなど日本にはなかった伝染病が侵入して大流行を引き起こしていた。
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 対中国・対朝鮮交易は、富をもたらしたが同時に疫病を引き入れる事になった。

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 日本の総人口は、江戸開府の1600年頃では約1,200万人~1,800万人で明治5(1872)年には約3,295万人(琉球人とアイヌ人を除く)に増加していた。
 人口増加は、慢性的な乳幼児死亡率が高い中で起きていた。
 江戸時代の人口増加を支えていたのは、伝統を伝承する継続的リノベーションと一新する破壊的イノベーションであった。
 江戸時代は人口が微増して、人生50年といわれ、年齢的人口構成は若者が多く老人が少なかった。
 平均寿命は30歳前後と言われ、14~15歳で元服(成人)し家督を継いで出仕し役職について働いた。
 早ければ30歳で、遅くとも40~50歳で隠居して一線から退いた。

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 徳川幕府は、ロシアの軍事侵略から戦争をしてでも蝦夷地・北方領土南樺太を防衛する為に東北諸藩に出兵を命じた。
 東北諸藩は、戦争を覚悟して約4,000人を蝦夷地・北方領土南樺太に送って防衛任務に当たった。
 尊王攘夷派は、神国日本と蝦夷地や北方領土をロシアの軍事侵略から守る為に北に向かっていた。
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 徳川幕府内の開国・国防派は、ロシアの軍事侵略から日本を守る為に清国(中国)や朝鮮との三国軍事同盟を模索していた。
 戦争を嫌う現代の日本人には考えられない事を、江戸時代の日本人は戦争をする為に考えていた。
 古代から朝鮮や中国の侵略で苦しめられた長州などの北九州・中国地方の日本人達は、敵である朝鮮や中国を攻め取ってロシアに対抗すべきだと主張していた。
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 明治日本にとって国家存亡の危機とは、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略であり、ロシアが侵略してきた時に隣国の清国(中国)と朝鮮が日本に味方してくれるのかロシアに協力して敵になるかであった。
 が、清国(中国)と朝鮮は日本の淡い期待を裏切ってロシアに味方したのである。
 日本の大陸侵略政策とは安全保障が最優先課題で、北のら侵略してくるロシア・ソ連共産主義勢力に対抗する為に、敵対する中国と朝鮮から反日・敵日・侮日勢力を武力で追放して友好に変え親日・知日の政権を樹立して攻守軍事同盟を結ぶ事であった。
 その意味に於いて、日本の対外戦争は全て積極的自衛戦争であった。

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 江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大約2万6,800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
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 日本とロシアの真ん中に住んでいるアイヌ人は、日本に味方するか、ロシアに味方するか、第三者として傍観者になるかを強制された。
 千島アイヌ人は、ロシア人によって地上から消された。
 樺太アイヌ人は、ロシアに残留組・多数派と日本への移住組・少数派に分かれた。
 蝦夷アイヌ人は、日本・和人に味方して侵略者ロシアと戦って多くの犠牲者を出していた。
 反天皇反日本人(和人)を主張する一部の現代アイヌ人の祖先が、どこのアイヌ人なのかいまいち分からない。
 歴史的事実として、アイヌ民族日本民族琉球民族と同じ縄文人(日本土人)の直系子孫である。

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 明治維新とは、ロシアの軍事侵略から如何にして神国日本を守るかという体制選択であった。
 伝統的な徳川将軍家を中心とした諸国・諸藩連合の地方分権体制か、革新的な天皇を中心として一国中央集権体制かである。
 佐幕派は前者であり倒幕派は後者であった。
 つまり、日本の生き残りを賭けた、佐幕派の継続的変革リノベーションか倒幕派の破壊的新生イノベーションかの選択戦争であった。
 何れにせよ、世界が大きく激変する時代において、戦争を避ける話し合いによる外交での継続的変革リノベーションには未来はなく滅亡し、戦争を覚悟した外交での破壊的イノベーションのみが未来で生き残る正解の選択であった。。
 それは、現代でも変わる事のない普遍的大原則である。
 日本の近代的軍国主義政策は、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、そして最も恐ろしいマルクス主義共産主義イデオロギー侵略が原因であった。
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 日本民族は、個人主義集団主義を車の両輪として生きてきた。
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 江戸時代の封建体制は個人主義で、明治の近代体制は集団主義である。
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 日本の歴史で、個人主義時代は平和な時代で、集団主義時代は戦争の時代であった。
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 明治維新戊辰戦争とは、徳川幕府による個人主義体制か明治新政府による集団主義体制かの体制選択内戦であった。
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 弱小国日本、財政赤字で破綻していた明治新政府の国際的信用の根拠は、天皇の存在であった。
 天皇の存在で、近代日本は普通の国家として世界に受け入れられた。
 それが、天皇国家元首としての統治権であった。
 欧米列強は、殺しのプロである武士集団ではなく、日本民族の主権者であり祭祀王の天皇の存在ゆえに日本を侵略しなかった。
 そこが、日本国とムガル帝国の違いである。
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 ムガル帝国はいとも簡単に内部崩壊で滅亡し、インドはイギリスの植民地となり、インド人はイギリス人の奴隷となった。
 日本が教訓として学ぶべきは、清王朝の中国ではなくムガル帝国のインドであった。

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 日清戦争は、世界を巻き込んだ第ゼロ次世界大戦の日露戦争の前哨戦であった。
 日露戦争は、日本にとって江戸後期・徳川幕府当時から避けられない、何時かは戦わねばならない「やむなき戦争」であった。
 日本の近代化・軍国主義化とは、弱小国家から中程度国家にまで発展させ、世界的大帝国であるロシアと日露戦争に勝つ為であった。
 三国干渉による臥薪嘗胆とは、そうした意味があった。
 世界の常識からして、日本がロシアに勝つなど誰も想像いていなかった。
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 歴史的事実として、数万年前の石器時代縄文時代から日本民族は戦争・殺し合いが嫌いで、他人と争う事、競う事、比べる事が苦手な民族であった。
 つまり、「人は人、自分は自分、他人は他人」、「分相応の生き方」という事である。
 
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 明治から昭和初期までに起こした戦争は、領土拡大の侵略戦争ではなく、現人神天皇、神国日本、神仏の子孫である日本民族を、外敵である夷狄(ロシア・中国・朝鮮)の軍事力と邪教キリスト教)の信仰力から守る為の積極的自衛戦争であった。
 が、現代日本はおろか、中国、韓国・朝鮮、ロシアを含む全ての国々、国際世論は、日本を血に飢えた邪悪・凶悪・残忍な戦争犯罪者と認定・断定している。
 それが、東京裁判史観=自虐史観=日本人凶悪・残虐・極悪・非道の重犯罪人史観である。
 日本民族が最も恐れたのは、石器時代縄文時代から数万年かけて先祖が護ってきた日本らしさ・日本の国柄・日本の有り様を根底から消滅させる意図を見せていた信仰宗教のキリスト教マルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 が、現代日本歴史教育に深刻な影響をもたらしているのが、そのキリスト教マルクス主義共産主義である。
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 現代の日本人は歴史が嫌いで、昔の日本人とは違って民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、現実に起きていた歴史的事実を認めない。
 高学歴のマルクス主義者の中に、残忍な殺人者であるレーニンを信奉する日本人が多数存在する。
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 レーニンは、搾取されている貧しき人民を解放する為には世界の共産主義化しかないとの信念から、日中戦争と日米英蘭戦争(太平洋戦争)をプロデュースし、中国共産党日本共産党ディレクションした。
 スターリンは、屈辱的日露戦争敗北の復讐としてレーニンの対日陰謀を実行し、ピョートル1世(大帝)の日本征服の夢を叶えるべく北海道と北方領土4島を武力で強奪しようとした。
 中国共産党は、レーニンスターリンの指示に従って軍国日本を対米戦争に追い込むべく、中国在住の日本人を虐殺していた。
 当時の日本人は、戦争を嫌い争う事を避ける現代の日本人とは違い、中国人の非人道的残虐行為に激怒し、惨殺された日本人の復讐・報復を政府や軍部に求めた。
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 中国人による日本人虐殺事件は、第1回南京事件満州ピクニック惨殺事件、済南事件、通州事件、その他など中国各地で数多き発生していた。
 日本人は激怒して「暴支膺懲」に暴走した。
 日本国内では、中国人に対する偏見・差別・嫌がらせの事例はあっても、暴行・殺害、強姦、強奪といった刑事事件はなかった。
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 日本人の共産主義者無政府主義者は、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に人道貢献と平和貢献をおこなった昭和天皇を惨殺するべく付け狙っていた。
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 軍国日本は、戦場で人を殺す戦争犯罪をおこなったが、同時に、戦場で自己犠牲で人を助けるという人道貢献や平和貢献をおこなっていた。
 東京裁判は、国際法の正義で、戦争犯罪者と同時に人道貢献や平和貢献をおこなったA級戦犯の陸軍軍人・政治家・官僚を見せしめ的縛り首で殺し、遺灰は遺族に引き渡さずゴミのように尊厳を否定して海に捨てた。
 それが、靖国神社問題である。
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 戦後の日本共産党を再建したのは、少数の日本人幹部ではなく、朝鮮人共産主義者達で、暴力革命の資金や武器はソ連中国共産党から提供されていた。

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 現代日本における政治家・官僚・学者・教育者には、新井白石に匹敵する見識と博識を持った日本人はいない。
 つまり、現代の日本人は民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、ローカルな民族神話・崇拝宗教が嫌いであり、日本民族の歴史に対する理解がない。
 それは、グローバル志向の高学歴な知的エリートや進歩的インテリに顕著である。
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 天皇の存在意義とは、国内においては国家と国民統合の象徴であり、国外においては日本国と日本民族の信用の源泉である。
 日本円貨の信用も、日本の国家、政府、日銀、国民ではなく天皇である。
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 国際社会において、国家が国家として認められ、国民が国民として認められるには、正当性を持った不動の信用がなければならない。
 国家が、納税者の国民と税収を得る領土と税金を使う統治組織・政府機構を持っていても、安心して国交を開くにたる信用を保証する正当性な根拠がなければ、国際社会は相手を真面な国家とは認めずならず者集団・犯罪者組織として対等な仲間とは認めなかった。
 代表例が、イスラムスンナ派イスラム国(IS)である。
 国民の信用の根拠をそこで生活している人間である事と主張しても、国際社会は認めない。
 国際社会が戦争や災害で逃げ出してきた他国の難民を受け入れて助けるのは、信用とは別次元の話である。
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 日本国憲法が、日本国と日本国民の国際的信用を保証してはいない。
 そもそも、日本国憲法を保証しているのは天皇である以上、正統な天皇の承認なくし日本国憲法の正当性はない。
 日本において、数万年の石器時代縄文時代及び数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた歴史・伝統・文化・宗教における天皇の正統性は、1946年成立のキリスト教マルクス主義共産主義によって書かれた日本国憲法の正当性の上位にある。
 戦後民主主義教育を受けた日本国民や外国人日本国籍保有者が、日本国憲法における国民主権で自分達が日本国の国際的信用を責任を持って保証すると宣言した所で認められない。
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 明治維新が成功し、国際社会で財政破綻している明治新政府が認められたのは、天皇の存在が国際的な信用を保証していたあらである。
 もし、天皇の信用がなければ、日本はムガル帝国のように滅亡していた。
 国際社会は、ムガル皇帝の信用がインド国家とインド国民を保証しないと裁定を下した為に、正統なムガル帝国国際法及び世界ルールに従って滅ぼされた。
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 国際社会、世界は、信用が保証されていない相手・国家・国民に対して、悪人であろうが善人であろうが、世の為人の為に、世界の為に人類の為に、如何によい事を数多く行ったとしても、非情で、残酷で、苛酷で、えげつなかった。
 国際社会から国家の信用が停止され剥奪された、チベット宗教国家は反宗教無神論中国共産党に侵略されチベット人は虐殺されて消滅し、ハワイ民族王国はアメリカに併呑されハワイ王家は廃止させアメリカの一州に編入されて地球上から消えた。

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 明治政府は政治の近代化とは宗教の排除であるとして、近代の西洋哲学と啓蒙思想そして儒教を利用して宗教統制・宗教弾圧を行い、国民の廃仏毀釈を黙認し行政の神社合祀を断行した。
 廃仏毀釈の原因となった神仏分離令は、明治元(1868)年に発せら、仏教寺院が持っていた広大な境内と荘園が没収された。
 国家神道は宗教ではなく、神への信仰ではなく神社での拝礼のみであった。
 神道国教化政策の一環として、明治元(1868)年に神仏分離令を発して「廃仏毀釈」が起きた。
 明治39(1906)年 一町村一社を原則に統廃合を行う「神社合祀令」を出し、3年間で全国各地で4万社もの神社が取り壊され、大正2年頃には19万社から12万社にまで激減した。
 廃止された神社の神域は、国庫に納められるか民間に売却され、神の御所として護られていた自然は乱開発で破壊された。
 儒教は、マルクス主義と同様に反宗教無神論であり、宗教弾圧であった。
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 明治後期から大正期にかけて自然主義文学運動が起き、近代の西洋哲学と啓蒙思想キリスト教マルクス主義共産主義が加わり民族の歴史を攻撃排除した。

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 古代日本は、地獄の中華世界・弱肉強食の半島社会の中にあって、倭国(獣国)の自主独立を確立し、倭人(野蛮人)の生存権を護持する為に、ヤマト大王ヤマト王権によって統一されるしか選択肢がなかった。
 もし、日本統一をヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国がしなければ、地方の王・王国が日本を統一した。
 日本が天皇家・皇室の元で統一国家に成れなければ、中世東南アジア世界のような小国家群による無秩序で無法なカオス地帯となったか、朝鮮のような中華帝国奴隷国家に成り下がるか、流刑地・台湾のような汚れた化外の孤島として捨てられるか、何れにしてもそこには現代の日本は存在しない。
 そして、歴史・伝統・文化・神話宗教・自然崇拝を共有する日本民族は生まれなかった。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷による日本統一を望まない日本人が、高学歴のエセ保守・リベラル・革新(進歩)・過激の中に存在する。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷は、大陸の中華帝国と半島の諸王国の軍事侵略から日本を守る為に人工的に作られたムラ的システムである。

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 日本民族とは、天皇主義者であり、日本主義者であった。
 中華世界を「敬して遠ざける」「付かず離れず」とする異質な自国中心主義で、中国や朝鮮と同じ道を歩かず、大陸や半島の虐殺と略奪の地獄様な戦乱の影響を完全排除していた。
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 日本民族は、庶民・地方諸王国・外国人移民による「天皇の弑逆(しいぎゃく)」を許さなかったが、天皇に対して暴君となり暴力で暴走させない為に『日本書紀』に第25代武烈天皇を暴君として記して皇室に対する教訓とした。
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 天皇の君民共治は、価値相対主義であり、日本を進化・進歩させ、平和と繁栄に貢献していた。
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 天皇の君民共治は辺境の相互補完共生ムラ的運命共同体で、中国や朝鮮には存在しなかった。
 君とは神聖不可侵にして唯一無二の御一人神聖国家最高権威で、民とは取り替え可能な複数雑多の多数人俗世国家最高権力である。
 俗世国家最高権力とは、政治・軍事・経済そして宗教の欲深い独裁である。
 神聖国家最高権威の最優先事項は、国民を最大最高の宝物と考え、社会的な不安定要因を減少させ、民族を豊かに安全に安心して暮らせるようにする事である。
 神聖国家最高権威の根源的本質的価値観とは、世界と人類をも包み込む八紘一宇の心である。
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 君民共治とは、天皇と庶民の徹底した役割分担による棲み分けであった。
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 神聖国家最高権威は、「過去」の自然・神話・宗教の大義から庶民の独裁を許さない。
 俗世国家最高権力は、「現在」の法度・法律・憲法の正義から天皇の暴君を認めない。
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 神聖国家最高権威とは、中央のヤマト大王、日本天皇=天つ神で、日本を統一した。
 俗世国家最高権力とは、地方の国王=国つ神で、天下を統一した。
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 神聖国家最高権威は、歴史から求められた価値観による不変の宿命である。
 俗世国家最高権力は、時代から求められた価値観による可動の運命であった。
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 天皇の君民共治を支えたのは、言霊文化である和心の和歌(短歌)、艶歌(演歌)、俳句であって、漢魂の漢詩ではなかった。
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 冲方丁「悪意に対抗するための健(すこ)やかな言葉を少しでも多く世の中に残したい。当然のことですが、人びとがいがみ合うのではなく、助け合う社会のほうがいいというメッセージを繰り返し訴え続けるしかありません」

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 2023年6月10日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「なぜ秋篠宮家に集中するのか バッシングの核は「思想」より「特権」への感情」
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 2023年6月11日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「宮家なのに“世俗的な上昇志向”に見えた 国民が皇室に求める「無垢」と「高潔」とは〈AERA
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 つまり、象徴天皇制における皇室の権威とは、一般社会での権力関係から離れ、国民に寄り添うことによって完成する。・・・その心象に寄り添う姿勢を見せるからこそ、国民は天皇・皇室を象徴として認め、かつ尊敬する。無垢で高潔であるほど、国民はそこにオーセンティシティー(正統性)を見いだすという構図がある」
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 1980年代以降の現代日本人には、昔の日本人ほどの天皇家・皇室に対する無条件崇敬心はなく、むしろ国民主権で見下している。
 その証拠が、女性・女系天皇即位を支持する国民が80%以上いる事である。

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 皇室と福祉
 三笠宮家の彬子さま「父はよく、『皇族というのは国民の中に自ら入って行って、国民の求めることをするのが仕事だ』と言っておられました」
 三笠宮妃百合子さま、100歳の誕生日「孫や曾孫の成長を楽しみに」

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