👪16〕─4・D─アドラー心理学が考えた「人生で幸福になる成る為に大切なもの」。~No.90 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2024年4月23日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「人生の目標」などなくても幸福になれる! 哲学者が考えた「成功よりも大切なもの」
 岸見 一郎
 人生のあらゆるところにある悩みの種。仕事、人間関係、生き方や老後、恋愛に至るまで、誰もが悩みを抱えて生きている。
 哲学者で、アドラー心理学を研究する岸見一郎氏の新刊『泣きたい日の人生相談』は、2016年に始まったクーリエ・ジャポンの人気企画「25歳からの哲学入門」から厳選した30のお悩みに、岸見氏が「哲学」で答える。
 「人生の目標は何か」と聞かれたら、あなたは答えられるだろうか。なんとなく生きてきてしまっていたり、同じ場所で足踏みをしているように感じていたり。そんなふうに目標を見失った中で幸福になるためには何が必要なのだろうか。
 【本記事は『泣きたい日の人生相談』から抜粋編集してお届けする。】
 歳だけ重ねていくことが不安
 Q 特に情熱を傾けるものもなく、これといった人生の目標もありません。このまま歳だけを重ねていくことに不安を感じています。
ふと気がつくと、周りは続々と結婚して子どもを授かり、順風満帆な家庭を築いている。高い目標をかかげて、キャリアアップに邁進している人たちもいる。一方で、自分はどうだろう。夢中になれる何かがあるわけでもなく、時間だけがどんどん過ぎていってしまうとしたら?
 A 情熱を傾けるものがなくても、ひとかどの人物にならなくてもいい。はっきりいえば、人生の目標はなくてもいいのです。
 そもそも、「このまま歳だけを重ねる」という生き方ができるのか自体が疑問です。なぜなら、歳「だけ」を重ねることができるとすれば、歳以外のことは何も変わらないという意味だからです。しかし、実際は他のことも変わります。
 まずは、自分を取り巻く環境です。
 今の時代は、一つの同じ会社に定年まで勤めるよりも、転職する人が多いです。転職するつもりがなかったとしても、会社そのものが倒産することもあります。
 次に、自分自身も、歳だけを重ねることはできません。
 高校生の時に、担任の教師が同級生の書いた作文を取り上げて講評したことがありました。彼はその作文で、「今日も無為に過ごした」と書いたのです。それに対する先生の批評は「本当に無為に過ごせるとしたら、たいしたものだ」というものでした。人間は無意味に時間を過ごすことなどできない、ということです。
 たしかにその通りです。生きることは動くこと、そして変化することです。生きている限り、変化しないということはありません。
 哲学者の森有正は、パリのノートル・ダム寺院の裏手の公園に植えられたマロニエ若木が成長していく様子とセーヌ川を遡る伝馬船について、エッセイの中でこう書いています。
 「ノートル・ダムの苗木は知らぬ間に数倍に成長している。つい今しがた眺めていたのろのろと遡る伝馬船は、気のつかないうちに上流の視界の彼方に消えてしまう。それは実に深い印象を私に残す。それはまことに見れども飽かぬ眺めである。私の内部の何かがそれに呼応するからである」(『旅の空の下で』)
 © 現代ビジネス
 毎日見ていると木の成長は見えません。しかし、不断に成長し、いつの間にか大きくなっていきます。セーヌ川を遡る伝馬船も同じです。森は「飽かぬ眺め」といっていますが、毎日慌ただしく生きている人は、自分の内部でゆっくり変化していくものと呼応するものがないので、「ゆっくり動くもの」には注意が向かないのかもしれません。
 歳を重ねていくこと以外のことは「変化しない」のではなく、「変化が見えない」のです。森は、この見えない変化を「変貌」と呼んでいます。何か新しいことを経験しなくても、経験したことは変貌し続けます。
 大人には、もはや子どもの時のように日々新しいことを学び、昨日できなかったことが今日できるようになるというような「めざましい成長」はないかもしれませんが、変貌することはできるのです。
 ドイツの詩人リルケは、手紙にこう書いています。
 「木は樹液を無理に押し出すことなく、春の嵐のなかに平然と立ち、夏はこないのではないかと不安になることはありません。しかし、夏は必ずきます。あたかも目の前には永遠があるかのように静かにゆったり構えている忍耐強い人々のところにだけは」(Rilke, Briefe an einen jungen Dichter)
 相談者が「木」と違うのは、歳だけを重ねていくことに不安を感じているということです。なぜ、不安になるのでしょうか。
 それは、静かにゆったりと構えていないからです。もしも不安を感じずに生きようとするならば、「あたかも目の前には永遠があるかの如く」先のことを考えなければいいのです。
 © 現代ビジネス
 「このまま歳を重ねる」人生で幸せ
 第三に、今はその「変化」が見えていないのかもしれません。
 相談者は、これからただ「歳を重ねていく」ことができるような平穏な人生を送れると思っているようです。しかし生きていくうえで避けることのできない変化が、必ずしもよいものというわけではありません。もちろん、それが悪いものとも限りません。
 相談者が心配しているのは、「このままではいけない」と考えているからでしょう。そしてそう思っているのは、世間的によしとされるような生き方を現在、自分がしていないからなのでしょう。
 情熱など持たなくても、ひとかどの人物にならなくても、これといった人生の目標がなくてもいいと私は考えています。相談者のいう「これといった人生の目標」が、何を指しているのかはわかりませんが「結婚する」「昇進する」ということならば、それは「成功」の目標です。
 哲学者の三木清は、成功を「一般的」なものだと考えています。多くの人は人生で成功したいと思う。いい学校に入り、いい会社に入り、昇進し、家族を持つ、ということです。就職活動をしている大学生は、皆同じ格好をしています。「就職」という成功を得るためには、他の人と違ってはいけないのです。
 一方で「幸福」は、成功とは違い「各人においてオリジナル」なものです。ですから、幸福でありたい人は、他人と同じである必要はありません。そして、成功を目指す人にとっては、まったく理解できない人生を生きます。
 相談者は成功を目標にしていなくても、幸せでありたいと思っているはずです。不幸になりたい人間はいないのです。
 三木は、成功と幸福を対比しています。彼によれば、幸福は人生の中で上位にある目標です。そして、成功は幸福であるための手段です。ただし、成功すれば幸福になるかどうかは、自明ではありません。成功と幸福はまったく違うものなので、成功しても幸福ではないと感じている人は多いように思います。
 さらに三木は、成功が「過程」であるのに対して幸福は「存在」だといっています。これは、何かを達成しなければ成功しないが、幸福は何も達成しなくても、幸福で「ある」という意味です。そのように考えれば、「このまま歳を重ねていく」人生であっても幸せであることができます。
 仕事についていえば、人は働くために生きているのではなく、幸福であるために働いています。ですから、仕事が嫌だったり、生きがいを見出せなかったりするのは、本来おかしいことなのです。
 今は我慢して働いているけれども、お金を貯めて、あれこれしたいと考えている人は多いかもしれません。しかし、楽しみを先延ばしにしなくても、生きがいを感じ、幸福であることは「今」できるのです。もしも仕事が嫌いではなく、我慢して働いているのでなければ、それは「幸福である」ということです。
 © 現代ビジネス
 以上のことを踏まえて、可能であれば「情熱を傾ける」というほどでなくても、時が経つのも忘れてしまう「何か」を持つことができればいいかもしれません。この相談者に何かしてみたいことが見つかるといいですね。
   ・   ・   ・