👪16〕─4・F─人間は劣等だからこそ発達した。甘やかしや罰・説教は子供をダメにする。~No.90 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 アドラーの『嫌われる勇気』を読む現代日本の進歩的インテリの多くは、上辺だけでその本質を理解していない。
   ・   ・   ・   
 2024年6月7日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「「どうせ自分なんて」が口癖の人たちへ…アドラーが説く、今日の人間社会は「すべて劣等感から生まれた」ということ
 「劣等感は健康の証」。アドラーはそう言い切る(写真:Follow Focus/Shutterstock)
 「どうせムリ」「私にはできない」……。ついついネガティブワードが口をついてしまう、そんな劣等感に悩む人に知ってほしいのが、心理学三大巨頭の一人・アドラーの言葉だ。劣等感は「悪」なのか。「劣等コンプレックス」とは何が違うのか。長年、アドラー心理学を研究・普及してきた岩井俊憲氏が、アドラーの言葉をわかりやすく「超訳」してお伝えする。
 【写真】「劣等感は健康の証」。アドラーはそう言い切る
 (*)本稿は『超訳 アドラーの言葉』(アルフレッド・アドラー著、岩井俊憲編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・再編集したものです。
 【関連】アドラー心理学:「自己中心的」な子どもに共通する親の子育て…アドラーが説く「甘やかされた子」「憎まれた子」に欠ける共同体感覚
■ 人間は劣等だからこそ発達した
 自然界にあまたいる生物のなかで、人間は「劣等」な生き物だ。体も大きくなければ、強い角も牙もない。圧倒的に速く走れるわけでもない。そして「劣等」であるがゆえに、「不足している」「安全ではない」という意識を人間は常にもっている。
 その意識が常にあるからこそ、環境に適応し、安全に生きる状況を作り出すために、外敵に備えておくことや対策をしておく方法などを考えだしたのだ。
 この人間を環境に適応させ、安全な場所をつくる能力をもちえたのは、人間の「精神」という器官が発達したからである。
 『人間知の心理学』
■ 人間の社会文化のすべては劣等感から生まれた
 「劣等感」は、異常ではない。むしろ、人間が進化していくにあたって、重要な要素だ。
 例えば、科学の進歩は人間が「未知のことを知りたい」「将来が不安だから備えておきたい」という願望があるからこそ成り立つ。
 この欲望があり、科学の進歩があるからこそ、種としての人間の運命を改善してきているのだ。だから、人間の社会、文化のすべては、劣等感から生まれるともいえる。
 『人生の意味の心理学 上』
■ 劣等感があるから向上心をもつ
 劣等感を抱き、「不完全である」「弱い」「安全ではない」からこそ、人は目標を設定するものだ。
 生まれてすぐの頃であっても、主張し、親の注目を自分に向けようとし、親からのケアを強いる傾向がある。赤ん坊のこの行為は、人の「認められようと努力する」という行為の最初の兆候ともいえる。
 人は、劣等感に刺激されて向上心をもつ。成長したいと願い、そしてそのために努力しようとする。
 『人間知の心理学』
■ 劣等感は健康の証
 劣等感があることは、病気ではない。あなたが今日あるのは、劣等感のおかげだといってもいい。
 むしろ劣等感をもつのは健康で健全であることの証でもある。あなたが努力を重ねて今日まで成長できた刺激になっていたことに気づいてほしい。
 『生きるために大切なこと』
■ 劣等感が問題になるとき
 誰もが劣等感をもっている。だから劣等感自体には問題はない。むしろ健全で建設的な向上心につながるきっかけになるものだ。
 劣等感が問題とされるのは、劣等感から生まれた無力感があまりに大きすぎる場合だ。大きすぎて向上心まで殺してしまうと病的なものになる。
 『生きるために大切なこと』
■ 理想に向かって向上する
 「理想の状態になりたい」「向上したい」と願うこと。これこそが、人間の行動のすべての動機づけの源になっている。
 この願いが、人間が生きるうえでの一本の太い線になっていて、下から上へ、マイナスからプラスへ、敗北から勝利へと導かれるように行動することになる。
 そして、「理想の状態になりたい」「向上したい」という願いを、「他の人も幸せにする」「他の人も豊かにする」という方法で行動する人こそが、最も人生の課題を真の意味で克服できるといえる。
 『人生の意味の心理学 上』
■ 劣等感が強すぎると劣等コンプレックスになる
 劣等コンプレックスや優越コンプレックスについている「コンプレックス」という言葉は、「極端に強い」という意味にすぎない。
 劣等感が強すぎるときに「劣等コンプレックス」になり、「もっと向上したい」「人より優れた状態にいたい」という気持ちがあまりに強いときに「優越コンプレックス」になる。
 そうとらえると、「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」という相反するかのような二つの感覚が、一人の人間の中に存在するのも理解できるだろう。
 『生きるために大切なこと』
■ 劣等コンプレックスの定義とは
 劣等コンプレックスには、はっきりとした定義がある。
 劣等コンプレックスとは、その人がいまいる環境にうまく適応できていないとき、あるいは、解決する準備のできていない問題がふりかかってきたときに表れるものだ。
 そして、「私には解決できない」という確信を強調するものだ。
 『人生の意味の心理学 上』
■ 人生における非建設的な感情
 劣等コンプレックスと優越コンプレックスには、共通点がある。
 どちらも、人生において非建設的な感情なのだ。
 『生きるために大切なこと』
■ 見栄や自惚れの正体
 優越コンプレックスとは、ただの見栄や自惚れ、思い上がりだ。人生において非建設的な方向に向かわせる原因となる。
 優越コンプレックスで得られるのは、偽物の満足感であり、偽物の成功だ。
 『生きるために大切なこと』
■ 劣等感を克服するには
 劣等感は、社会で生きるための教育やトレーニングを受けてこなかったことと強い関連がある。社会に適応できないことから劣等感は生まれる。
 だから劣等感を克服するには、社会で生きる教育やトレーニングを受ける必要があるのだ。
 『生きるために大切なこと』
 →もっと読みたいアドラーの言葉
 アルフレッド・アドラー/岩井 俊憲
   ・   ・   ・   
 5月31日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「「自己中心的」な子どもに共通する親の子育て…アドラーが説く「甘やかされた子」「憎まれた子」に欠ける共同体感覚
 子育てに悩む親に知ってほしい、心理学三大巨頭の一人・アドラーの言葉
 アルフレッド・アドラー
 岩井 俊憲
 甘やかしてもダメ、罰や説教もダメ…では、どうすべき?(写真:fizkes/Shutterstock)
 「子どもが言うことを聞かない」「どう子どもに接すればいいかわからない」。そんな子育てに悩む親に知ってほしいのが、心理学三大巨頭の一人・アドラーの言葉だ。子育てにおいて親は何を重視し、何を子どもに伝えるべきなのか。長年、アドラー心理学を研究・普及してきた岩井俊憲氏が、アドラーの言葉をわかりやすく「超訳」してお伝えする。
 (*)本稿は『超訳 アドラーの言葉』(アルフレッド・アドラー著、岩井俊憲編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・再編集したものです。
 【関連】アドラー心理学:「どうせ自分なんて」が口癖の人たちへ…アドラーが説く、今日の人間社会は「すべて劣等感から生まれた」ということ
 親は「信頼できる他者がいる」ことを示せ
 親の一番初めにする大きな仕事は、自分の子どもに「信頼できる他者がいる」という経験を与えることだ。
 のちに親はこの信頼感を、家族、友人、学校、地域社会、人間社会というように、子どもがいる社会のすべてを包み込むまでに大きく広げていかなければならない。
 もし、親がこの最初の大仕事に失敗してしまったら─すなわち、子どもの関心や愛情、協力を得ることに失敗したなら─その子どもは共同体感覚や仲間とつながっている気持ちをもつことが難しくなるだろう。
 どんな子どもであっても、本来、「他者に関心をもつ能力」はもっている。けれども、この能力は、育てて鍛えていかなければいけない能力だ。それができないと、子どもの成長に大きな弊害が出るだろう。
 『人生の意味の心理学 上』
 アルフレッド・アドラー(写真:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ)
 甘やかされた子どもの特徴
 甘やかされた子どもたちも、憎まれたタイプの子どもたちも、みんな共同体感覚をもっていない。他の人に関心をもっていないのだ。
 甘やかされて育つと、「自分の幸せ」にしか関心をもてなくなる。憎まれて育つと、「仲間がいる」ことを知らない。「仲間の存在」を経験したことがないからだ。その結果、自己中心的な関心だけが育っていく。
 だが、これらの傾向は、けっして生まれつきのものではない。生まれてから数年の経験から学んだことなのだ。
 これらの問題の根底にあるのは、子どもたちが「共同体(社会や家庭)」に属しておらず、受け入れられてないと感じてしまうことから起こりえる。
 「社会の一員である」という意識も、このような状態では子どもの中に育たない。
 『教育困難な子どもたち』
 甘やかされた子どもは好かれない
 子どもは、いつだって輪(組織や社会)からはずれることで注目を集めようとする。したがって、甘やかされた子どもが学校では同級生から好かれないというのは本当のことだ。
 からかわれたりして、子どもっぽい、自立していないなどと思われる。
 小学校であっても、すでに子どもたちの間には「共同体を求め、結びつきを求める」傾向が見てとれる。これは、見逃すことのできない、絶対的な人間の習性・能力といえる。
 『教育困難な子どもたち』
 「社会の一員」であるように育てる
 家庭や学校の役割は、子どもたちが、社会の一員として働くことのできる人間であるよう、人類の一人として貢献できるような人間であるよう教育することである。
 こうした家庭や学校で育ったとき、子どもは勇気をもち続けることができ、人生の課題がふりかかってきたとしても安心感をもって、他者にもメリットがあるような建設的な解決策を見出すことができる人間になるのである。
 『人生の意味の心理学 下』
 子どもの成長のバロメーターとは
 「共同体感覚」は、正常な成長を遂げているかどうかをみるのに、重要な手がかりだ。
 共同体感覚を失ってしまう経験は、子どもの精神の成長にとって、恐ろしいほどの悪影響になる。共同体感覚は、子どもの成長にとって、正常であるかどうかのバロメーターなのだ。
 『子どもの教育』
 学校は家庭と社会を結ぶ架け橋
 「学校」とは、「家庭」と「社会」を結ぶ架け橋といえる。
 そう考えると、この少年が社会に出たときの姿が想像できるのではないか。
 社会は学校のように甘くない。自分ばかりがチヤホヤされることもない。家では、いい子で学校の成績もよかったとしても、社会に出ると役に立たなくなる人がいる。社会に出て役に立たない人というのは、メンタルを病み、精神疾患で完全に病気になってしまうような人だ。そういう人を見てびっくりする人は多い。
 彼は、家庭や学校で贔屓され、うまくいっていたがために本来の気質やライフスタイルの原型が隠れてしまっていたのだろう。
 それが大人になり、社会に出て、困難にぶつかったときに原型が表に現れ、それが意外な形だったためにまわりの人が驚くにすぎない。
 『生きるために大切なこと』
 体罰はしてはいけない
 あらゆる体罰に対して、私は反対の立場をとることを知っていただきたい。
 私は、相手に変化を促すときも、その子の児童期初期の状況を知ろうとし、「説明」や「説得」を用いる。私とは逆のやり方、つまり子どもを叩いたりして、どんないい結果が得られるというのか。
 この子が学校で失敗したからといって、それが彼を叩く正当な理由にはけっしてならない。この子が文字を読めなかったのは適切な教育を受けてこなかったからであり、彼を叩いたとしても教育効果は望めない。この子が「失敗したら叩かれる」と学ぶだけで、不快な状況から逃げるために、学校をズル休みするといったような学習しか生まれない。
 「叩く」という状況を、子どもの視点から見てみるといい。そうすれば、これは「つらい、苦しい」という感情を増やすだけだということがわかるだろう。
 『アドラーのケース・セミナー』
 罰や説教は子どもにとってよくない
 子どものライフスタイル形成を考えたときに、重要なことを指摘しておきたい。
 「罰を与える」「叱る」「説教する」という方法は、子どもにとっていい影響はないということだ。
 「どこを変える必要があるのか」という点を、子どもはもちろん大人もわかっていないなら、いくら叱っても何も成果はない。
 「なぜ叱られたのか」「どこを変えるべきか」などを理解できない子どもは、ずる賢くなり、臆病になるだけだ。その子のライフスタイルの原型は、罰や叱ることでは変えられない。
 その子の中では、すでに、「ものごとの意味づけ」「どのように受け取るか」といった認識のクセ・方法ができ上がっていて、そのクセ・方法を通して、「罰を受けた」「叱られた」という経験を受け止めるからだ。
 まずは、原型、根底にあるライフスタイルを理解しないと、何も変えることはできない。
 『生きるために大切なこと』
 →もっと読みたいアドラーの言葉
   ・   ・   ・