🗾7〕─4・A─核ゲノム解析。縄文人は原初の東アジア人の一分派である。弥生の大乱。〜No.32No.33No.34 

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 金沢大学
 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
 登録日:2020年9月3日
 金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教東京大学コペンハーゲン大学,ダブリン大学などの国際共同研究グループは,古くから縄文遺跡として知られる伊川貝塚(※1)遺跡から出土した縄文人骨(IK002,※2)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し,アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り,ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにしました。
 アフリカで誕生したホモ・サピエンスが,ユーラシア大陸の東端までどのような経路(ルート)を通って到達したかは,いまだ明らかになっておらず,ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられています。東アジアに最初にたどり着いた人々は,考古遺物から北ルートを通ってきたと想定されてきましたが,最近のゲノム研究は,現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示しています。つまり,考古遺物から考えられてきた人類史とゲノム研究から考えられる人類史には矛盾がありますが,それについてこれまであまり議論されてきませんでした。
 そこで本研究グループはその矛盾の解決に向けて,IK002は日本列島にたどり着いた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫であるか,IK002は南ルートの子孫であり北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないかの2つを明らかにするためにIK002の詳細な全ゲノム解析を行いました。
 過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した結果,IK002だけではなく,現在の東アジア人や北東アジア人,アメリカ先住民も,南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示しました。そして,IK002は日本列島にたどり着いた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明しました。
 また,先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団とIK002の関係を分析した結果,本州縄文人であるIK002は,アイヌクラスターに含まれることが判明しました。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し,アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示しています。
 さらに,IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証しました。これまでの研究から,現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは,MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されています(Raghavan et al. 2014)。しかし,本解析では,現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず,IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されませんでした。つまり,北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は,IK002のゲノムで検出されませんでした。
 本研究により,日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が,約2万6千年前より以前に,東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることが明らかとなりました。つまり,縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し,ひいては,縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示しています。しかし,本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であるため,これらの結果はIK002という個体について言えることであり,全ての地域・時代の縄文人について言えるわけではありません。
 現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには,より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり,今後,高精度縄文人ゲノム解読を進めることによって,日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献することが期待されます。
 本研究成果は,2020年8月25日に国際学術誌『Communications Biology』のオンライン版に掲載されました。
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 生命誌ジャーナル 2015年間つむぐ
 縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く
 神澤秀明(国立科学博物館
 現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球に分かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解析から現代へとつながる歴史が見えてきた。
 目次
1.アフリカから日本列島へ、祖先の長い旅
2.縄文人ゲノム解析への挑戦
3.世界中の人との比較から見えてきた縄文人の独自性
4.私たち現代日本列島人3集団と縄文人の関係
 1.アフリカから日本列島へ、祖先の長い旅
 アフリカを起源にもつ私たちヒト(ホモ・サピエンス)は、およそ5~10万年前に故郷を出て世界中に拡散していった。出アフリカの時期とルートは現在も議論のあるところだが、一部の集団がおよそ4~5万年前に東アジアに進出したことは、化石の証拠などから明らかとなっている(図1)。このようなヒトの歴史を探る研究には、これまで人骨や土器などを発掘し観察する考古学と古人類学の手法が用いられてきたが、1980年代以降DNAから歴史を読み解く遺伝学的研究も盛んに行なわれるようになった。私たちヒトが100万年以上前にアフリカを出て世界に拡散した原人の子孫ではなく、およそ20万年前にアフリカで誕生した系統の子孫だという「アフリカ単一起源説」の証明も遺伝学的研究による成果の1つである。
 図1:アフリカから世界へ ヒトの拡散
 遺伝学的研究と化石証拠を重ねて、人類の歴史を探る研究が進んでいる。
 Scally and Durbin, Nature Reviews Genetics 13, 745-753 (2012)を参照し作成した。
 東アジアの中でも東端に位置している日本列島にも、およそ4万年前からヒトが住んでいたことが石器の記録からわかっている。文化的要素をもとに、最初にヒトが日本列島に住んでから16,000年前までを後期旧石器時代、16,000~3,000年前を縄文時代、3,000~1,700年前を弥生時代と呼ぶ。後期旧石器から縄文時代は狩猟採集による生活であったが、弥生時代に入ると大陸(北東アジア)から渡来民がやってきて水稲が伝来し、水稲耕作が始まった。弥生時代の開始に合わせて、これまでの彫りの深い顔立ちの縄文人とは明らかに異なる、平坦な顔立ちで高身長の人々(渡来系弥生人)が日本列島に現れ始めたことが化石からも明らかになっている(図2)。縄文人、渡来民と私たちはどのような関係にあるのだろう。
 図2:縄文人と渡来系弥生人
 縄文人(左)は彫りの深い顔立ちで、歯が小さい。渡来系弥生人(右)は平坦な顔立ちで歯が大きい。
 出土:縄文人 宮野貝塚弥生人 金隈遺跡 / 写真撮影:酒井孝芳
 2.縄文人ゲノム解析への挑戦
 現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて提唱された「二重構造説」がある(図3)。これは、縄文人と渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌ琉球の集団は、縄文人の遺伝要素を多く残すとしている。近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を支持する結果が得られている。(図4)しかし、これはあくまで現代人のDNAからの推定である。
 図3:日本列島人の成立ち「二重構造説」
 埴原和郎(人類学者)が多くの人骨を分析し、統計データに基づいて提唱した学説。埴原は縄文人の起源は東南アジアであると考えていた。
 図4:現代日本列島人と大陸の東アジア人の比較
 Jinam et al. Journal of Human Genetics 60, 565–571(2015)を参照し作成した。
 現在の日本列島人は本当に縄文人のDNAを受け継いでいるのか、そして、縄文人はいつ、どこから来たのかを直接知るために、1980年代から縄文人ミトコンドリアDNA解析が行なわれてきた。しかし、ミトコンドリアDNAは母系遺伝であり、ゲノムサイズも小さいので遺伝情報が限られている。私たちはより詳しい歴史を知りたいと考え、縄文人の核ゲノム解析に挑戦した。東京大学総合研究博物館に所蔵されているおよそ3,000年前の縄文人骨(福島県三貫地貝塚から出土)から大臼歯を取り出し、作業途中に実験者のDNAが混入しないよう細心の注意を払い、専用のクリーンルームでDNAを抽出した。配列を調べると大部分は死後に歯の内部に侵入したバクテリア真正細菌古細菌)などに由来すると思われるものだったが、わずか数%程度、縄文人に由来するであろうDNAが含まれていた(図5)。ここから、縄文人ゲノムの4%ほどを占める、1億塩基を越える配列データを得ることができた。これを現代人の配列と比較することで、縄文人の独自性と日本列島人の成立過程が見えてきた。
 図5:縄文人の歯からDNAを抽出
 縄文人のDNAがどれだけ含まれているかは、人骨が発掘された場所の環境や保存状態により大きく変わる。温度が高いとDNAの分解速度が早くなるので、寒い場所の方がDNAは残りやすい。
 3.世界の人々との比較で見えてきた縄文人の独自性
 近年、ゲノム研究ではヒトの遺伝学研究を促進するために様々な民族のゲノムを解読するプロジェクトが進んでおり、公共データベースに登録されている。これらのデータを用い、アフリカ、ヨーロッパの集団を含む世界中の人々と縄文人の核ゲノムを比較したところ、縄文人は東ユーラシアの集団と遺伝的に一番近いことがわかった(図6)。
 図6:世界中の集団と縄文人の比較
 これは、地理的関係から考えて予想通りの結果である。さらに東ユーラシアの集団にしぼっての比較により、現代日本列島人は大陸集団と比べてより縄文人に近縁であることがわかった(図7)。加えて、集団間で遺伝子が移動したかを調べる遺伝子流動(gene flow)解析をすることで、現代日本列島人が縄文人のDNAを受け継いでいることが証明できた。
 図7:東ユーラシアの集団と縄文人の比較
 この解析は公共データベースを活用したため、アイヌ琉球との比較は行なっていない。
 縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってきたのだろう。これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。形態的には東南アジア人に近いが、縄文人ミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは北東アジア人に近いという結果が出ていたのである。今回私たちが得た配列を現代人と比較したところ、縄文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった(図8)。
 図8:世界の現代人と縄文人の系統関係
 つまり縄文人は、これまで考えられていたより古い時代に他の東アジア人集団から孤立し、独自の進化をとげた集団である可能性が出てきたのである。縄文人がいつ、どこから日本列島にやってきたのかを知るためには、今後、多くの縄文人と他の地域の東アジア古代人の核ゲノムを解析することが必要である。
 4.私たち現代日本列島人3集団と縄文人の関係
 次に、現代の日本列島人3集団と縄文人との関係を見たところ、アイヌ琉球、本土日本人の順に縄文人の遺伝要素が強いことがわかった(図9)。二重構造説で指摘されていたことを、縄文人の核ゲノムを用いて直接的に証明した初めての成果である。
 図9:現代日本列島3集団と縄文人の比較
 ところで最近、アイヌの集団の形成には南シベリアのオホーツク文化人(5〜13世紀)が関与していることが、ミトコンドリアDNAの解析などから提唱されている。私たちの結果もそれを示唆しており、日本列島人の成立ちは単純な二重構造ではないこともわかってきた(図10)。これについては、今後オホーツク文化人の核ゲノム解析による証明が必要である。
 図10:縄文人の核ゲノム解析から見えてきた日本列島人の成立ち
 私たちはさらに縄文人核ゲノムの解析を進めており、最近では別の縄文人個体の核ゲノムの90%程度の解読に成功している。ただ、縄文時代は1万年以上と長く、文化圏も北海道から沖縄本島までと広いため、時期や地域を通して均質な集団であったとは考えにくい。今後多くの時期と地域を分析・比較して検証する予定である。
 縄文人は、狩猟採集と定住生活とを実現し、独自の文化を築きあげたことで世界からも注目されている。縄文人の核ゲノム研究はまだ始まったばかりだが、解析を積み上げていくことで彼らがどのような人々であったのかを知り、私たちの歴史を明らかにしていきたい。
 神澤秀明(かんざわ・ひであき)
 2009年新潟大学理学部卒業。2014年 総合研究大学院遺伝学専攻博士課程修了。博士(理学)。2014年より国立科学博物館 人類研究部研究員。第67回日本人類学会大会 若手会員大会発表賞受賞。
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 遺伝学電子博物館
 DNA人類進化学 ~ 5.日本人の起源
 日本人の起源
 集団間の近縁度をみる尺度として、塩基多様度のネット値(DA)というものを利用することができる。このDA値の理論的説明は難しくなるので省略するが、この値が大きいほど二集団間の遺伝距離は遠く、小さければ遺伝距離が近いと理解していただきたい*。
 * DAは以下の式で求めることができる。DA=DXY-(DX+DY)/2.これは集団Xと集団Yを比較した場合で、集団内の塩基多様度としてDXとDYが得られ、集団間の塩基多様度としてDXYが得られる。このDXYは、集団間での配列の総当たりの塩基置換数を計算したときの平均値である。
 図25に、八集団(アフリカ人、ヨーロッパ人、アメリカ先住民、アイヌ、中国人、琉球人、韓国人、本土日本人)において総当たりで計算したDAの値の分布を調べた。アフリカ人は、他のどの集団と比較しても大きな遺伝距離をもっている。これとは対照的に、東アジアの五集団は、それぞれの集団間の遺伝距離が非常に小さい。特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析でも、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなったのである。
 つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分かれ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌが最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。この系統樹で見られた主要な特徴は、従来のタンパク質多型や最近の核DNAの多型によって明らかにされた人類集団間の系統関係と大筋において一致する。
 日本の三集団(本土日本人、琉球人、アイヌ)と韓国人や中国人からなる二九三人の東アジア人における、ミトコンドリアDNAの塩基配列のデータの詳細な分析を通して、私は三つの日本人の集団の遺伝的背景を推理し、現在の日本人がどのようにして形成されたかを考察してきた。日本以外の東アジア集団の塩基配列のデータを得ることにより、現代日本人の成り立ちの歴史の洞察が可能となってきている。本土日本人は、縄文人という日本の先住民の子孫と考えられるアイヌ琉球人と、ある程度遺伝的に近い関係にあるものの、本土日本人における遺伝子プールの大部分は、弥生時代以後のアジア大陸からの渡来人に由来するものであった。したがってこの結果は、現代日本人の起源についての混血説を支持するものである。さらに、アイヌ琉球人は互いにある程度の遺伝的近縁性はあるが、弥生期の移住が始まったころには、別々の集団として存在していたと考えられる。
 人類集団全体の系統分析によって、東アジア人の集団間のより緊密な遺伝的関係が明らかになった。しかし、たとえばアイヌは、東アジアの集団では最初に枝分かれすることから独自な系統と考えられるが、その遺伝的な起源はいまだ明確ではない。今後、さらに多くの地理的なサンプリング―特に東南アジアやシベリア―をすることによって、私たちは新石器時代縄文人の現代における子孫としてのアイヌの系統的な位置付けをより深く理解することができ、日本人全体についてより明確なイメージを持てるようになるだろう。
 宝来聰著「DNA人類進化学」(岩波科学ライブラリー52)より引用
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 『最新科学で探る日本史』 宝島社 TJmook (無許可抜粋)
 「縄文人ゲノム解析で判明した縄文人の謎
 ゲノムの解析で明らかになる縄文人の謎
 約20万年前にアフリカ大陸に出現した現生人類は、何万年かけて地球全体に拡散した。その歴史の中で、日本列島に現生人類がやって来たのは約4万年前のこと。
 日本列島へやって来たルートとしては、シベリア経由と琉球列島経由、そして朝鮮半島経由の3つがある。そこから船を使ったり、陸続きで来たことは想像に難くない。この3つのルートでやって来た人びとが混ざり合って、日本人が形成されたのである。
 最初に日本に現生人類がやってきた4万年から1万6000年前が『後期旧石器時代』、1万6000年から3000年前が『縄文時代』、3000年から1700年前が『弥生時代』で、狩猟生活であった縄文時代に対し、弥生時代は農耕文化が普及した。
 縄文人弥生人が交わり日本人に近づいていく
 現在の日本人は、縄文人弥生時代やそれ以降に流入した渡来民が混ざり合って形成されているという説がある。その説を立証し、縄文人の由来を検証するためのミトコンドリアDNA解析が、1980年から行われている。
 ただ、ミトコンドリアDNA解析はゲノムサイズが小さく、遺伝情報が少ない。そのことから、国立遺伝学研究所を中心とした研究グループ、より詳しい歴史を知るため、東京大学研究博物館に所蔵されている縄文人の歯からDNAを抽出し、核ゲノム解析を行っている。その解析の結果、縄文人は大方の予想通り、東ユーラシアのアジア人と近いDNA配列を持っていることがわかった。さらに現代の日本人のDNA配列は、大陸の東ユーラシア人よりも縄文人のDNAに近いことも判明。つまり現代の日本人は、縄文時代以降に現れた渡来人より、縄文人の遺伝子を色濃く残しているのである。
 そして、その縄文人の由来の話は、東ユーラシア、つまり東アジアからの3つのルートの中で、東北アジア由来が多いのか、または東南アジア由来が多いのかという問題で数々の議論が交(か)わされてきている。
 ミトコンドリアDNAの解析から核DNAの解析へ
 日本の縄文人は容姿から判断すると、タイやインドネシアなどの東南アジア系に近いように見える。だが、現代日本人のDNAを用いた解析からは、シベリアやモンゴルなどの東北アジア由来のDNAにより近いとされてきた。
 ところが、国立遺伝学研究所による歯の核ゲノム解析で、実は北東アジア由来でも東南アジア由来でもなく、もっと古い東アジア共通の祖先に近いDNA配列を持つことが判明した。
 つまり、縄文人の祖先は人類が東アジアに到達し、東アジアのどこかで一定期間の進化を遂げたのちに日本列島にやって来たのではなく、人類が東アジアに到着した比較的初期に日本列島に渡って来て、独自の発展を遂げた可能性があるということだ。縄文人は、朝鮮半島を渡ってきた朝鮮半島由来の人間であるとか、シベリアを渡って来たから核ゲノム解析から見えてきた日本列島の人類の成り立ち由来の人間である、という単純な話ではないということになる。
 さて、現代人に話に戻ると、縄文時代のあと、弥生時代に北東アジアからやって来た渡来民がさらにミックスされて形成されていくわけだが、その比率にも当然興味がわいてくる。
 礼文島縄文人から全ゲノムの解析に成功!
 現在の日本人を琉球アイヌ、本土日本人に分けて分析してみると、縄文人の遺伝的要素が一番強いのはアイヌの70%近くあり、その次ぎが琉球で30%、最後に本土日本人がわずか10%だった。この結果は、虎移民との混血が本土では進み、南北ではあまり進まなかったことを証明するデータにもなり得る。
 また、縄文人の遺伝的要素が最も強いとされるアイヌは、南シベリアのオホーツク文化人の遺伝的要素が強いことが、ミトコンドリアDNA解析でわかっており、アイヌ縄文人に一番近い遺伝的要素を持っていながら、北方から流入してきた民族とも混じり合ってきたこともわかってきた。
 現代においても、海外からの人の流出入がある一定の場所に限られていることからもわかるように、法規制や領土の認知がなかった時代ならば大陸の各地から随時列島に渡って来たであろうことは想像に難くない。そこに住むことができる植生や気候があり、他民族との軋轢などないのであれば、移動を覚えた人類が移り住むという選択は自然な流れである。
 朝鮮半島やシベリア、琉球列島など、地理的に大陸が近い場所から人が渡来し、それらが逐一混血し合って現代日本人が形成されているという推測は、シンプルに考えれば当然といえば当然だ。
 ただ、これまでに縄文人ゲノム解析から得られた情報は、まだすべての謎を解くには充分とはいえない。縄文人の謎はまだ残されているのだ。
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 弥生時代   監修 篠田謙一
 DNAが解明する弥生時代の大量殺戮の謎
 発掘された倭国大乱の証拠
 鳥取市青谷町『青谷上寺地遺跡(あおやがみじちいせき)』は、弥生時代の中期~後期に栄えた集落遺跡。出土遺物から木製の容器類や管玉(くだたま)などの生産が行われていたことで知られる。1998年度から3年かけて行われた発掘では、多量の土器や木製品などの考古遺跡とともに、約5,300点の人骨が発掘された。
 これらの人骨は狭い領域に集団埋葬されたことや、多くの人骨に殺傷痕が認められること、泥湿地ゆえに遺物の保存状態がよく、中には脳が残っているものもあることなどから大きな注目を集めた。しかし、なぜこれだけの人数が殺されたのかなどは判明しておらず、依然として謎が多く残っている。
 近年、この人骨の詳細なDNA分析が行われた。その結果、殺された人びとの間に血縁関係はほとんどないことが判明。彼らがこの遺跡に居住した人々だったならば、多くの他人同士がまとめて殺傷されたということになる。そこから、青谷上寺地遺跡は多くの人々が流入や離散を繰り返している都市のような場所で、殺された人々は部族間の闘争ではなく、都市を襲った戦争の犠牲者だったことが明らかとなった。
 DNA分析によって遺伝譲歩が明らかになったことで、青谷上寺地遺跡は当時の混乱した社会状況を示す代表的な遺跡と考えられるようになった。
 ミトコンドリアDNAと核ゲノム分析の結果 調査では、最初に青谷上寺地遺跡から出土した人骨32体のミトコンドリアDNAを分析し、それぞれの個体の全塩基配列を決定。ミトコンドリアDNAは母系に遺伝するので、同じ配列を持つものは母系の血縁があることがわかるのである。
 その結果、母系の血縁がある可能性のある個体はわずか6体のみであった。つまり、全体の8割は『関係ない』ことが判明したのだ。
 現代日本人は、縄文人と大陸の集団の中間に位置する。つまりこれは、現代日本人が大陸集団と縄文人の混血であることを意味する。
 一方の青谷上寺地遺跡の人々だが、特定の領域に固まることはなく、広く現代日本人と同じ範囲の中に散らばって分布。これらの結果から、彼らは特定の血縁集団ではなく、この都市に集まった血縁関係のない人々であったことが明らかになった。そしてこの事実が、青谷上寺地遺跡の人々の死因が倭国大乱の争いだったことを示すものとなったのである。」
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 日本人は秀でたところを持った賢く優れた才能豊かな能力が高い人である、はウソである。
 実態は、褒められたところなどない才能乏しき有り触れた凡人であり、煩悩愚息の凡夫である。
 日本人を褒めて持ち上げる、一部の保守派や右翼・右派・ネットウヨクは嘘を繰り返している。
 日本が世界で信用され、日本人が世界で愛されている、はウソである。
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 ガラパゴス諸島に棲息するゾウガメやイグアナなどの陸上動物は、自然災害で中南米大陸から流れ着いた子孫である。
 絶海の孤島のゾウガメやイグアナは、厳しい自然環境で生存する為に独自の進化を遂げ、その結果として中南米大陸のゾウガメやイグアナとは違う生態系で生きている。
つまり、中南米大陸のゾウガメやイグアナとガラパゴス諸島のゾウガメやイグアナは、別種ではなく別系統である。
 ダーウィンは、ガラパゴス諸島のゾウガメやイグアナを研究して1859年に純粋に種の保存・種の生存としての進化論を導きだした。
 1883年 イギリスの遺伝学者ゴードンは、種の優劣を導き出す優生学・優生思想を提唱した。
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 中国共産党系の権威ある専門家・研究者・学者は平気で嘘を吐き、彼等の公式発言・研究発表は中国共産党の検閲で認められた事柄のみで、客観的科学的合理的な事実はもとより真実は少ない。
 日本国内に、中国共産党共産主義勢力に媚びを売る親中国派・媚中派が増えている。
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 東ユーラシアのアジア人(原初の東アジア人)は、定住して縄文人・東南アジア人・東北アジア人に分かれた。
 東北アジア人から、漢族中国人や朝鮮人が分かれ生まれた。
 つまり、アジア人といっても日本民族と中国人・朝鮮人は別系統のアジア人である。
 日本人と中国人・朝鮮人は、同種同文はウソであり、一衣帯水もウソである。
 中国人と朝鮮人は、同種同文や一衣帯水は本当である。
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 男系父系を遡ると縄文人に行きつくが、女系母系は遡ると何処に行きつくのか分からない、何処の馬の骨とも知れない。
 唯一ハッキリしている男系父系の一族が、万世一系天皇である。
 それ故に、神の裔なのである。
 国民世論の70%以上が、天皇即位条件として女系母系を支持し男系父系に反対して、伝統文化を捨てて変更する事を求めている。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力が乏しいか、もしくはない。 
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 現代の日本人と昔の日本人は違う日本人である。
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 日本民族と日本人とは違う人間である。
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 日本民族は、侵略者ではなく、征服民族ではなく、日本列島に住んでいた唯一の土着民族・先住民族である。
 日本民族琉球人・アイヌ人は、血の繋がった兄弟種・姉妹種つまり同種である。
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 中国人や朝鮮人は争い奪う事を生き甲斐にするに好戦的な人間なら、日本民族は争う事を嫌う非戦的な人々である。
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 日本民族は、人類史的に特異な、特殊な、国家、伝統、文化、宗教、言語、その他など広範囲な面で単一性が強い民族である。
 グローバル的高学歴の知的エリートや進歩的インテリは、日本民族の単一性を野蛮な未開として嫌悪し否定している。
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 縄文人は、南・北・西から日本列島に流れ着いた異人と見境なく乱婚を繰り返して生まれた血が汚れた混血の雑種民族である。
 流れ着いた異人とは、先取り精神のある才能溢れた勇気ある挑戦者・冒険者・開拓者ではなく、ただ偶然に好運に恵まれて運良く日本列島に漂着した何かの理由で故郷を追い出された・追放された、逃げ出した敗者である。
 縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷(北海道)・北方領土樺太・千島列島・カムチャツカ半島・北米北部太平洋岸、西は朝鮮半島南部に住み着き、手漕ぎ舟で日本海を主要航路として往来していた。
 弥生人は、縄文人揚子江黄河系半島系の異邦人(渡来人でも帰化人でもない)と乱婚して生まれた列島人である。
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 縄文人は、西日本で起きた数多くの巨大な自然災害で幾度も大量な犠牲者を出し絶滅の危機に襲われていた。
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 数万年間平和に生きていた縄文人に、弥生人は大陸・半島の「勝利は正義」の論理を持ち込み、奪い合う、殺し合うを日本列島に植え付けた。
 御霊・和魂・よき御魂・和の心で生きていた縄文人に、弥生人は怨霊・荒魂・悪い御魂・荒れた心を持ち込んだ。
 そして「弥生の大乱」が起き、殺戮が繰り返され、その結果として各地に軍事王国が生まれ乱立した。
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 渡来人と帰化人は違う。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒絶し、ヤマト王朝・日本国に対して暴動や反乱を繰り返していた。
 現代の日本人は、天皇に忠誠を誓い、粉骨砕身してヤマト王権・日本国の為に尽くした帰化人を「悪い人間」として切り捨てている。
 その証拠が、歴史教育から「帰化人」と言う用語が抹消されている。
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 日本文明は、長江文明の後継文明で、黄河文明の亜流文明ではない。
 好戦的な黄河文明は、揚子江流域を軍事侵略し長江文明を滅ぼし、暴力で長江文明人を不毛な南や西の山岳奥地へ東の海へと追放して肥沃な土地を強奪した。
 黄河流域民の北高南低という中原文化意識による揚子江流域民への偏見・差別はこうして生まれた。
 朝鮮人の日本人に対する偏見・差別も、黄河流域を中心とする中原文化意識が影響いている。
 中原文化意識が、後に儒教によって中華思想華夷秩序中華主義になり、越えてはならない上下関係・身分関係の差別階級を生みだした。
 中国共産党が提唱する「中華帝国の偉大な栄光」とはこの事である。
 それを拒絶し破壊したのが日本文明の天皇中心国家日本であった。
 中国共産党が「中華帝国の偉大な栄光」を取り戻す為には、戦争で日本に勝利するか、軍事力で日本を屈服させ朝貢国として支配し臣下の礼と忠誠を誓わせるしかない。
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 日本民族の祖先にとって中国大陸や朝鮮半島は、戦争が絶えない、殺し合いや奪い合うことが当然の様に行われる地獄であった。
 中国大陸や朝鮮半島を支配していたのは、「強者必勝・弱者必敗」の原則であった。
 弱者や敗者であった日本民族の祖先は、地獄の中国大陸や朝鮮半島を見捨てて争いのない平和な日本列島に逃げ込んだ。
 つまり、日本民族は生物の大原則である「弱肉強食」では生きられない弱者もしくは負けた敗者であった。
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 日本文化は、縄文文化を源として弥生文化に変化し、ナラ文化や隼人文化・出雲文化・吉備文化・尾張文化・越文化・毛野文化・蝦夷文化・その他など多種多様な文化が混じり合ってヤマト文化を生み出し、それが海の外かの大陸文化・半島文化・東南アジア文化そして西洋文化・その他の多種多様な文化を取り入れて現在に至っているが、完成を目指して変化を続け未成熟文化である。
 日本文化が未完成のままなのは、絶えず新しい何かを持って渡ってくる「客人神(まろうどがみ)」が原因である。
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 日本文化と親和性が強いのは、儒教の中国文化や朝鮮文化ではなく、仏教のインド文化である。
 日本民族が憧れるのは、東や南の海の彼方にある神の国常世の国とインド・ヒマラヤ・チベットガンダーラの仏の国であって、中国や朝鮮の聖人君主の国ではない。
 中国で憧れたのは非漢族の唐王朝南宋の一時期で、それ以外の時代・王朝は敬して遠ざけていた。
 まして、嘘八百で真実性が乏しく他人を軽蔑して見下す傲慢な朝鮮など高麗人参や陶器以外は嫌っていた。
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 日本文化の特徴は、絶対価値観で善悪・正邪・美醜など白黒をハッキリ区別して分離させず、相対価値観で曖昧な灰色の部分を大事にする事である。
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 日本の価値観は完成した価値観ではなく、絶えず新た価値観に影響され右往左往する定まりのない落ち着かない未完成価値観である。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の自然は、心癒やされるほどに豊で美しい。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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 日本を襲う全てを破壊する大地震と高さ15メートル以上の巨大津波と広範囲な埋め尽くす山体崩壊に、如何なる哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして宗教も無力で役に立たない。
 もし、唯一絶対神・全知全能の神・万物創造の神・愛と奇跡と恩寵の神がいるのなら、その中の一つでもなくす事ができれば信仰される。
 東日本大震災後。ローマ教皇は、テレビ中継で被災地に神の癒しを宣べ隣人愛の信仰の大切さを説いたが、被災少女の「何故、津波で死なねばならなかったのか?」という問いに絶句し答えられず、キリスト教会はテレビ中継を遮断・中止した。
 同じ意味で、哲学や思想は受容されても、主義主張(イデオロギー)は信用されなかった。
 故に、日本民族にとってキリスト教マルクス主義共産主義はいらなかった。
 日本に必要だったのは、日本神道・日本仏教(葬式仏教)・日本儒教論語儒教)であった。
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 日本民族は、民族中心神話・血の神話を源とする血筋・血統を正統する男系父系天皇が存在する事で、安心し落ち着く。
 日本の最高神は、女性神天照大神であり、天皇家・皇室の祖先神である。
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 自衛隊員は、被災地に入り被災者を救い犠牲者を収容し、昼夜兼行でよく働いた。
 アメリカ軍も、同盟国として「トモダチ作戦」で大量の救援物資を被災地に運んだ。
 その時、反日行動・敵日行動を止める事なく続けるロシア、中国共産党政府、韓国・北朝鮮を日本人は忘れない。
 その反対に、日本人は親日行動を行う台湾に感謝する。
 困った時に助けてくれる人が、本当の友・友人・親友・戦友である。
 現実のリベラル派・革新派そして一部の保守派による民主党政権は、中国共産党政府や韓国・北朝鮮を優遇し、台湾に冷淡であった。
 護憲派人権派、反自衛隊派、反戦平和団体、反米派・反安保派・反米軍基地、左翼・左派・ネットサハそして反天皇反日的日本人も同様であった。
 彼らにとって最優先すべきは、他人の命ではなく自分の主義主張(イデオロギー)であった。
 故に、主体性を持った一個の人間としてアメリカ軍や自衛隊に感謝しない。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
 日本は、異種異文の朝鮮や中国を差別して排除し、同種同文に近い琉球人とアイヌ人を同化させた。但し、特権を有していた高級知識階級の久米三十六姓は区別し差別した。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
 日本には、西洋的ボランティアがいない。
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 昔の日本は、人口微増の人生50年時代で、若者が多く老人が少なかった。
 現代の日本は、人口激減の人生100年時代で、老人が多く若者が少なく、年ごとに少子高齢化が加速していく。
 日本政府は、人口回復の為に外国人移民(主に中国人移民)1,000万人計画を進めている。
 現代日本は、世界だ第4位の移民大国になり、一番多いのが中国人移民で、次ぎに多いのが韓国人・朝鮮人の移民である。
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 正統な男系父系天皇を嫌い、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を消滅させようとする、左翼・左派・ネットサハ、日本共産党マルクス主義の高学歴知的インテリ(グローバルな進歩的知識人)などの反天皇反日的日本人達。
 彼らは、アイチトリエンナーレ2019での「昭和天皇肖像画写真を燃やし踏みつける映像」を表現の自由として擁護し、ジェンダーフリーで正当な女系母系天皇即位を目指している。
 国民世論は、それを支持している。
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 日本は、偏見・差別、蔑視、イジメ・嫌がらせ・意地悪などが多く、そして自粛警察などの陰湿陰険な同調圧力、場の空気が強いブラック社会である。
 北海道・東北地方に対する偏見・差別、蔑視。
 放射能関連での福島に対するイジメ・嫌がらせ・意地悪。
 口では真面らしく絆、繋がりを言うが、実際の行動はその正反対である。
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☴4〕─4─三菱重工爆破テロなどの実行犯を生み出した日本のメディア・報道機関。~No.14 

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 2021年3月11日号 週刊新潮「日本ルネッサンス 櫻井よしこ
 歴史捏造のNHKは朝日と同じだ
 慰安婦に関する嘘は、朝日新聞が喧伝した吉田清治という詐話師の捏造話が発端となって世界に広まった。戦時朝鮮人労働者h強制的に狩り出され、賃金も貰えない奴隷労働者だったという嘘は、NHKの報道が発端だったと言える。
 朝日新聞は2014年に、吉田清治に関する記事の全てを、間違いだったとして取り消した。地方NHKは、彼らの報じた長崎県端島、通称軍艦島を描いた『緑なき島』が今日まで続く徴用工問題の元凶となっているのにも拘わらず、訂正を拒み続けている。
 『緑なき島』は1955(昭和30)年に報じられた20分間のドキュメンタリーである。端島を含む明治産業革命遺産の研究における第一人者、加藤康子氏が66年前のドキュメンタリーの問題を指摘した。
 『炭鉱の坑内の映像はやらせをしています。それに合わせてナレーションの原稿もドラマチックに書いたのでしょう』
 ……
 『日本発の歴史捏造』
 ……
 NHKがやらせで報じたこの映像は韓国に伝わり、朝鮮人鉱夫がこのような形で酷使されたという『事実認定』へとつながっていった。その一例が韓国の国立歴史館に展示されている写真であろう。それは高さのない坑道で上半身裸の男性がうつぶせになって石炭を掘っている写真だ。朝鮮人がこんな形で奴隷労働させられたという象徴的な一葉だ。だが写真の男性は朝鮮人ではなく日本人だ。戦後、廃鉱になった炭鉱で盗掘しているのを、日本人の写真家が撮影したものであることが確認されている。そのベタ焼きも残っている。
 66年前のNHKの報道は、厳しい安全管理のルールが徹底されていた現実の炭鉱では明らかにあり得なかった嘘のイメージを作り出した。事実に反する内容であるにも拘わらず、それがドキュメンタリー映像として独り歩きを始めた。韓国が触発され、前述の裸で盗掘する男性の写真に飛びついた。写真はユネスコの明治産業遺産登録に反対する韓国側の運動の中で、ニューヨークのタイムズ・スクエア反日のスローガンと共に掲げられた。さらに2018年10月には、韓国大法院が彼らの云う徴用工問題で日本企業に賠償を命ずるとんでもない判決につながった。
 66年前NHKが報じた『緑なき島』のやらせ映像は、現在の問題に直結しているのである。『それだけではない』と指摘するのは麗澤大学客員教授西岡力氏だ。
 『1974年に三菱重工爆破事件が起きました。犯人たちは日本人ながら、大学時代に朴麗植氏の書いた「朝鮮人強制連行の記録」を学んで、日本が朝鮮人を酷い目に遭わせた、その日本企業に報復のテロをしなければならないと考えた。三菱重工がターゲットにされましたが、理由は朝鮮人戦時労働者を使っていたということです』
 爆破事件は74年8月30日。しかし、彼らは9月1日、関東大震災で『朝鮮人が虐殺された』とするその日に、復讐を企てていた。しかし日曜日でオフィス街の丸の内には人がいない。土曜もいない。そこで金曜日の8月30日が犯行日になった。
 『つまり犯人たちは日本企業が本当に朝鮮人に奴隷労働をさせたと信じ込んでしまった。そうした印象を強烈に与える映像をNHKがつくっていた。66年前から始まった日本発の嘘が語り継がれ、広がり、深刻化していった。慰安婦と同じ、日本発の歴史捏造なのです』(西原氏)
 〝悪者〟のイメージ
 ……
 加藤氏も島民もNHKの取材に応じたが、まともに取り上げてもらえず、反対に〝悪者〟のイメージで取り上げられた、と憤る。
 ……
 公共放送だからというのが理由らしいが、国益を損ない、日本人の名誉を傷つけるこんな虚偽放送を続けるNHKを許してはならないだろう。」
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 戦後の日本メディア・報道機関には、高学歴知的エリートで反米反安保・反天皇反日本・反宗教無神論マルクス主義者が多数存在し、彼らは、天皇と日本を貶める捏造・改竄・歪曲の報道を国内外に大量に垂れ流していた。
 彼らが言う、「世界で日本は信用され日本人は愛されている」はウソである。
 彼らは、親中国派・媚中派、韓国派・北朝鮮派として、中国共産党政府や韓国・北朝鮮に不都合な事実は「報道しない自由」で切り捨て、日本を貶めるウソの作り話は量産して「報道する自由」で取り上げた。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、戦前に昭和天皇や皇族を惨殺しようとつけ狙っていた。
 日本人共産主義テロリストは、戦後も戦前同様に戦前に昭和天皇や皇族を惨殺しようとつけ狙っていた。
 現代の過激派マルクス主義者も、今以て天皇や皇族を殺すべく狙っている。
 将来、外国人移民(主に中国人移民)が増えれば、この傾向は強まる。
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 昭和33(1958)年12月4日 新潟日赤センター爆破未遂事件。韓国政府は、在日朝鮮人の帰還事業を阻止するべく、在日義勇兵41人名、韓国軍予備役将校及び韓国警察試験合格者24名からなる送還阻止部隊(韓国人テロリスト部隊)を編成し、日本に潜入させている工作員と共同破壊作戦を立てた。
 攻撃目標。
 1,日本皇室と関係のある日本赤十字社の爆破。
 2,北送を推進する日本側要人の暗殺。
 3,新潟港と周囲の鉄道爆破。
 その他。
 韓国人テロリスト12名は、日本に潜入しようとして失敗し、日本海で遭難死した。
 警視庁は、在日朝鮮人が乗船する船舶の爆破計画があるという情報を得て、新潟日赤センターを爆破しようとした韓国人テロリスト2名を逮捕した。
 逮捕された韓国人テロリストは、「韓国代表部の三等書記官から命令された」との記者会見で話した。
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☱21〕─3・A─関東大震災、地震兵器、朝鮮人惨殺。日本人はデマ・流言飛語や陰謀論に弱い。~No.47No.48 

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 2021年3月11日号 週刊新潮「夏裘冬扇(KAKYU-TOSEN) 
 片山杜秀
 浜の真砂は尽きるとも世に流言の種は尽きまじ
 人工地震だ!某国が核兵器を太平洋プレートに仕込んで爆発させた!いや、用いられたのは原水爆でなく強力な電磁波だ!しかももしかして、やったのは某国ではなく日本政府かも?当座の問題から国民の目を逸らせるべく、自国に地震兵器を使ったかも?
 そんなデマが、2月13日深夜の福島県沖を震源とする最大震度6強の地震の直後、インターネット上を飛び交った。そう言えば、10年前の東日本大震災の折もそうだった。地震兵器が用いられたとの風説が流布し、それに加担した某県議会議員さえ居た。
 地震とデマの歴史を遡ろう。幕末の安政の大地震の際には、黒船が地震兵器を使ったと騒いだ者はさすがに居なかったかと思う。槍玉に上がったのは巨大鯰(なまず)だった。g、1923年の関東大震災になると、基本はもう今日と同じだ。科学万能の世の中、某国が地震を操る機械装置を秘密裏に開発し、東京を標的にしたとの噂が広がった。
 そのとき地震兵器の開発国と目されたのはどこか。私の知る限りでは二つ。あず米国だ。人工地震で東京と横浜を破壊し、間髪を入れずに米軍が太平洋岸から上陸して日本を占領しようとしている!そうはさせじと押っ取り刀で東京の下町の警察署に駆けつける市井の徒さえあったという。もうひとつはソ連だ。人工地震で日本の首都に混乱状態を作り出し、日本革命を起こそうとしている!こちらの説は米国以上に影響力を持った。地震兵器の話を信ずるかどうかはともかく、日本の社会主義者を操り、そのまた下で実働部隊になっている朝鮮人の労働者や学生が、東京や横浜で放火をして回っている!さらに井戸には毒を投げ入れている!このデマを真に受けた右翼や在郷軍人も多く、朝鮮人虐殺事件につながった。
 天の為せるわざの大地震を人間界の理屈で説明したくなる段階に既に一種の迷妄(めいもう)があり、その説明の内容が露わにするのは、言わば国民の深層心理である。デマや陰謀説の源には、何かに対する国民的な憤懣(ふんまん)や不安や恐怖があって、その何かとは関東大震災のときには米国とソ連朝鮮人だった。米国は太平洋の覇権獲得に野心満々。日系移民の迫害にも余念のない恐るべき大国。新興国ソ連は、日本の社会主義化を狙っていよう、物騒極まる隣国。朝鮮人は、第一次世界大戦後の不況から人件費を節約したい日本資本主義経済に、必要不可欠な低賃金労働者として、本土に大量に招き寄せられ、内地人は彼らに職を奪われると感じ、両者の剣呑(けんのん)な間柄になりがちだった。
 ならば、2月13日深夜以降のネット上の言説が明らかにした日本人の深層心理は?地震兵器の使用者と目されがちだった某国とは、管見の限りでは一番には中国であった。日清戦争以来の中国への優越心、アジアの第一等国としての地震が揺らいできたことへの不安の表れなのだろう。
 すると自国の政府が中国に負けず劣らず槍玉に上がったのは?日本国家が日本国民を裏切らないか。そんな不信感がデマの中に透けて見える。それをナショナル・アイデンティティの危機と言う。オリンピックとコロナの食い合せがよほど悪かったのでございましょうか。日本が壊れませぬように。」
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 世界中に様々な陰謀論まことしやかに囁かれ、ユダヤ人の陰謀や日本の陰謀(田中メモランダム)もその部類である。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義テロリスト同様に摂政宮裕仁皇太子(後の昭和天皇)を惨殺するべくつけ狙っていた。
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 大正3(1914)年6月~大正7(1918)年11月 第一次世界大戦
 大正7年~大正9(1920)年 スペイン風邪。世界人口の3割に当たる5億人が感染。そのうち2,000万人~4,500万人が死亡。
          人口   死者数  死亡率
 日本内地 5,600万人 45万人 0.8%
 朝鮮   1,730万人 23万人 1.4%
 台湾     365万人  5万人 1.3%
 大正7年~大正11(1922)年 シベリア出兵。
 大正8(1919)年 3・1暴動事件。万歳事件。朝鮮総督暗殺失敗事件。
 大正9(1920)年 尼港事件(ニコライエフスク港虐殺事件)。ロシア人共産主義者朝鮮人独立派、中国人暴徒らによる犯行。
 大正11年 日本を戦後不況が襲い、企業の倒産が続出し、巷に失業者が溢れた。
 大正12(1923)年9月 関東大震災朝鮮人惨殺事件。
 帝都東京の壊滅と大混乱は、天皇制度打倒と日本国転覆の暴力的共産主義人民革命を起こす好機であった。
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 中国大陸では、インフルエンザ以外にもペスト、コレラチフス赤痢などの致死率の高い伝染病が数多く蔓延し、夥しい人々が罹患して死亡し、広範囲が食糧不足になって数え切れないほどの餓死者が路上に放置する、生き地獄の世界であった。
 それは、魯迅の「狂人日記」や「阿Q正伝」の世界であった。
 日本は、中国の伝染病が日本に上陸して蔓延する事を恐れ警戒した。
 日本人は、朝鮮人や中国人を異なる文化・言語・宗教を持つ異種・異質で、一衣帯水の同類と見ていた。
   ・   ・   ・   
 明治までの日本は、近代科学を知らないだけに地震の原因は「ナマズ」の仕業と信じていた。
 近代科学の知識が知れわたった明治中期以降は、地震は自然現象・自然災害と理解された。
 近代兵器が普及してくると、地震地震兵器で人工的に起こす事ができるという噂が広がった。
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 大正5(1916)年 アインシュタインは一般性相対理論を完成させた。
 アインシュタインが来日すると、日本では西洋科学が大ブームとなり、大人をもちろん子供まで西洋科学に熱中した。
 西洋科学は、日本人の空想を自然の理を超えた非常識へと暴走させた。
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 日本人は、デマ・流言飛語と陰謀論に弱く信じ込む性格を持っている。
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 日本人には、反天皇反日感情の強いの韓国人が理解できないのは今も昔も同様ではあるが、特に昔の敵天皇敵日意識が強かった朝鮮人は理解不能であった。
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 ペストに襲われた中世ヨーロッパは、総人口の3分の1(約4,000万人)が犠牲となり、生き残った白人キリスト教徒は怒りをユダヤ人に向けた。
 ヨーロッパにペストを持つ込んだのは、モンゴル人であってユダヤ人ではなかった。
 白人キリスト教徒は、「ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んでいる」という噂を信じてユダヤ人を迫害し虐殺した。
 白人キリスト教徒にとってユダヤ人は、1000年以上、同じ国、同じ町、同じ地域に住んでいた、昔からの隣人、友人、知人、仲間で知らない相手ではなかった。
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 朝鮮は明治43(1910)年の日韓併合で日本の一部となり、朝鮮人日本国籍を取得して豊かな日本への民族大移動が始まった。
 昭和20(1940)年までの30年間で、日本に移住した日本国籍朝鮮人は200万人以上に達した。
 日本に移住した大半の朝鮮人は無学で技術を持たない貧困層で、日本で住み着いたのは家賃が低い低所得層地域(部落民地域)で、就いた職業は低賃金肉体労働であった。
 日本人の低学歴で低賃金肉体労働者にとって、朝鮮人労働者は自分たちの低賃金で仕事を奪っていく侵略者であった。
 日本人は、生活を脅かす様に急増する朝鮮人を偏見で見下し、軽蔑し、蔑視し、そして差別した。
 日本政府は、日本国内に異文化・異言語・異宗教・異習慣の朝鮮人移住者が急増する事で日本人との間で軋轢・衝突、暴力・犯罪が多発する為に、強権を持って朝鮮人の民族大移動を阻止しようとした。
 が、経営が苦しい日本企業は、人件費を減らす為に低賃金でよく働く朝鮮人労働者を求め、日本移住を希望する朝鮮人渡航費を出して不法上陸を手助けしていた。
   ・   ・   ・   
 大正時代から昭和前期にかけの日本の敵は、北のソ連コミンテルン・国際的共産主義勢力と東にアメリカであった。
 そして日本の、背後に中国共産党ファシスト中国(中国国民党)が銃口を向け、側面に朝鮮が刀を抜いて構えていた。
   ・   ・   ・   
 人種差別・宗教差別と言っても、白人キリスト教徒のユダヤ人迫害と日本人の朝鮮人差別は本質が異なる。
 白人キリスト教徒とユダヤ人は、異なる文化・宗教・生活習慣ではあっても、同じ言葉を話してお互いを理解していた。
 日本人にとって朝鮮人は、異なる文化・宗教・生活習慣であり、違う言葉を話してお互いが理解できなかった。
   ・   ・   ・   
 白人キリスト教徒は、中世キリスト教会の協力を得て日本人を奴隷として売り買いしていた。 
   ・   ・   ・   

☵54〕─1─韓国資本・中国資本による対馬の土地売買が不透明。~No.447No.448No.449No450No.451 

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 外国資本による国土購入を制限する法案に反対する親中国派・媚中派や親韓国派の政治家・官僚・学者そしてメディア関係者が少なからず存在している。
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 日本国内で行動している中国資本は、民間けいではなく、大半が中国共産党系か中国軍系である。
 中国共産党党員や中国軍軍人は、全ての中国企業や中国系日本企業に常駐して反共産党・反国家的言動がないか監視している。
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 2021年3月2日 MicrosoftNews 読売新聞「[深層NEWS]韓国に近い対馬、「土地売買が不透明」
 自民党佐藤正久外交部会長と東海大山田吉彦教授が2日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、外国資本による土地取得を巡る安全保障上の問題について議論した。
 政府は、自衛隊基地周辺などの土地買収に規制を加える法案の国会提出を目指している。佐藤氏は「重要施設の機能が阻害されないようにすることが大事だ。穴を埋めるために法律を作りたい」と意義を語った。山田氏は、韓国に近い長崎県対馬の現状について「土地売買が不透明になっている」と述べた。」
   ・   ・   ・   
 3月2日11:53 産経新聞「土地買収規制法案、閣議決定へ「最大限努力」 小此木領土相
 小此木八郎領土問題担当相は2日の記者会見で、自衛隊施設や原発など安全保障上重要な施設周辺などの土地買収や利用を規制強化する法案をめぐり、今月中旬までの閣議決定に向け「最大限努力していく」と述べた。
 過度な私権制限につながるとして公明党内で慎重論が拡大していることに関しては「最終調整をしている中で、さまざまな意見が出されている」と述べるにとどめた。
   ・   ・   ・   

☵22〕─6─軍艦島「朝鮮人少年虐待」描く韓国絵本 無関係資料から作画 作者認める。〜No.222  

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 2021年2月25日18:41 産経新聞《独自》軍艦島朝鮮人少年虐待」描く韓国絵本 無関係資料から作画 作者認める
 韓国の児童用絵本「軍艦島-恥ずかしい世界文化遺産
 長崎市端島炭坑(通称・軍艦島)で朝鮮人の少年徴用工が劣悪な環境で働かされていたとする韓国の児童用絵本の挿絵が、終戦直後の東京・品川の浮浪児や日中戦争時に中国の密偵を撮影した写真と酷似していることが25日、分かった。軍艦島の元島民らでつくる「真実の歴史を追求する端島島民の会」や産経新聞の調べで判明した。軍艦島とは無関係の写真を基に描いた事実とは異なる挿絵を使うことで、誤った印象を与えた可能性がある。
 絵本は尹ムニョン氏が文と絵を描き、2016年に韓国で出版社「ウリ教育」から発刊された「軍艦島-恥ずかしい世界文化遺産」。朝鮮人の少年が軍艦島に強制連行され、45度を超える暑さの中、連日12時間近く働かされたなどと日本の加害性を強調している。日本兵が少年をムチでたたき、朝鮮半島出身者とみられる人が逆さづりにされたシーンもある。
 問題の挿絵の一つは、10人以上の少年たちが裸でおりに閉じ込められ、鉄格子に寄りかかっている姿などを描いたもの。端島島民の会の調べによると、この挿絵は昭和52年出版の写真録「日本現代写真史 1945-1970」(平凡社)に収められた浮浪児の写真と構図が酷似している。21年に東京・品川で撮影され、「狩り込みで少年保護所に収容された浮浪児」との説明がある。
 さらに、朝鮮人の少年が日本兵から尋問されている絵も12年8月8日に従軍カメラマンが中国で撮影した写真と構図が重なる。この写真は52年出版の「1億人の昭和史10 不許可写真史」(毎日新聞社)に収録されており、「中国軍密偵を調べる憲兵隊 左側は現地採用の通訳」との説明書きがある。
 作者の尹氏は産経新聞の取材に対し、絵本は1983年に韓国で出版された「写真記録 日帝の侵略 韓国 中国」の写真を参考にしたとウリ教育を通じて回答し、軍艦島と無関係な資料を基にしたことを認めた。ウリ教育は「ストーリーはフィクションだ」と強調し、「韓国では写真を参考にイラストを描くことは許容されている」と述べた。
 元島民の中村陽一さん(82)は「無関係な写真を使って絵本を作るとは、どこまで端島をおとしめれば気が済むのか。絵本の回収、謝罪を求めたい」と強調した。
 軍艦島をめぐっては、平成27年の世界文化遺産登録に際し、韓国が官民挙げて反対した経緯がある。」
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☵17〕─2─韓国、国連人権理事会でまた慰安婦言及。~No.144No.145 ⑩ 

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 アメリカなど世界が成立に賛辞を送り支持した、慰安婦に関する日韓合意は跡形もなく消え去った。
 韓国は、隣国として、日本との友好関係・善隣関係、協力関係など本心から望んではいない。
 日本国内には、日本を国益より韓国に利益の為に活動するリベラル系・革新系・保守系親韓派が存在する。
 そして、彼らを支援するメディア・報道機関と学者・教育者達。
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 2021年24日07:20 産経新聞「韓国、国連人権理事会でまた慰安婦言及 外相から格下げ、配慮も?
 国連本部=アメリカ・ニューヨーク(宮川浩和撮影)
 韓国の崔鍾文第2外務次官は23日、国連人権理事会でビデオ演説し、慰安婦問題について「普遍的な人権問題として取り組まなければならない。紛争下でのこうした深刻な人権侵害の再発は防がなければならない」と訴えた。
 韓国は昨年まで3年連続で康京和外相がスイス西部ジュネーブの人権理会場で演説し、慰安婦問題に触れてきた。今回はオンライン形式にもかかわらず外相は登場せず、昨年同様、日本に対する直接的な批判もなく、日韓関係改善に向けた配慮も伺わせた。
 崔氏は、性的暴行は現代の紛争でも依然として戦略として用いられていると指摘。「性的暴行の被害者を忘れないことが決定的に重要だ」とした上で「第2次大戦中の、いわゆる『慰安婦』の被害者の痛ましい経験から、われわれや次の世代は貴重な教訓を学ばなければならない」と述べた。(共同)」
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 2月24日12:39 産経新聞「国連での慰安婦言及「受容できない」 加藤官房長官、韓国側に抗議
 記者会見する加藤官房長官=24日午前、首相官邸
 加藤勝信官房長官は24日の記者会見で、韓国の政府高官が国連人権理事会のビデオ演説で慰安婦問題に言及したことに不快感を示した。「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した平成27年の日韓合意に照らし、発言は全く受け入れられない」と述べた。駐ジュネーブ国際機関政府代表部の山崎和之大使から韓国側に抗議の申し入れをしたと明らかにした。」
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🛶15〕─2─日本人のアイヌ人蔑視・偏見・差別。~No.47No.48No.49 

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 日本は、差別、虐待、いじめ・嫌がらせ・意地悪のブラック社会である。
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 2016年2月27日 日本経済新聞アイヌ民族、差別・偏見「ある」7割 政府が意識調査
 政府は27日までに、北海道のアイヌ民族を対象とした意識調査の結果を公表した。差別や偏見が「ある」と答えた人の割合は72.1%で、「ない」は19.1%だった。アイヌの人たちを対象とした意識調査は初めて。
 「ある」と答えた人に複数回答で理由を聞いたところ「漠然と差別や偏見があるイメージがある」との回答が54.7%で最多。「家族・親族・友人・知人が差別を受けている」が51.4%、「差別を受けている具体的な話を聞いた」が51.2%で続いた。
自身が受けた差別の内容を聞いたところ「職場で不愉快な思いをさせられた」が53.8%、「近所や自治会などで疎外された」が17.7%だった。差別をなくすための方策について、8割以上の人が「アイヌ民族の歴史・文化の知識を深める学校教育」を挙げた。
 調査は内閣官房が昨年10月26日から11月20日、全国の成人男女のアイヌ民族1000人に調査票を郵送して実施。705人(70.5%)から回答を得た。」
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 2020年7月10日 朝日新聞デジタルアイヌ差別の歴史に持論 萩生田氏「価値観違いあった」
 閣議後の記者会見で話す萩生田光一文部科学相=2020年7月10日、東京都千代田区文科省、宮崎亮撮影
 北海道白老町で今月12日に開業する先住民族アイヌをテーマとする初の国立施設「民族共生象徴空間」(愛称ウポポイ)をめぐって、萩生田光一文部科学相は10日の閣議後会見で、アイヌの人々が受けてきた差別の歴史をどう伝えるのかと問われ、「原住民と、新しく開拓される皆さんの間で様々な価値観の違いがきっとあったのだと思う。それを差別という言葉でひとくくりにすることが、後世にアイヌ文化を伝承していくためにいいかどうかは、ちょっと私は考えるところがある」と述べた。
 さらに萩生田氏は「歴史に目隠しをするためにこの施設をつくったわけではない」と説明した上で、「仮に負の部分というか悲しい歴史があるとすれば、伝承いただける方が施設を通じて、お話ししていただいたり何か記録を残したりすることが大事だと思う。それは決して否定はしないし、目を背けるつもりもないけれど、せっかくの施設ですから、前向きにアイヌ文化の良さを広めていくことに努力したい」と語った。
 文化庁によると、ウポポイに整備された国立アイヌ民族博物館では、アイヌの人々への過去の同化政策や影響にも触れているという。
 アイヌの人々は、明治政府が進めた開拓で土地を追われ、同化政策により独自の文化も否定され、差別や貧困にあえいできた。昨年9月に閣議決定された政府のアイヌ施策の基本方針では「我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、我々は厳粛に受け止めなければならない」としている。(丸山ひかり)」
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 日本人は、自分より弱い者(金銭・貧富的、出自・家柄的、出身・地域的、社会的、肉体・才能的、その他)に対して差別、虐待、いじめ・嫌がらせ・意地悪を好む性根を持っている。
 つまり、ムラ根性としての排他的・閉鎖的な仲間外れ・村八分である。
 人間性を全面的に変えない限りなくならない。
 問題は、日本人の本質である。
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 日本社会はブラックで、アイヌ人だけではなく部落民(賤民)などへの差別、虐待、いじめ・嫌がらせは根強く存在している。
 学校での陰湿・陰険なイジメ・嫌がらせは減らず、それを苦にして自殺する子供も減らない。
 人を子供を自殺へと追いやっても、反省せず改善される事なく繰り返される。
 差別、虐待、いじめ・嫌がらせを悪化させているのが、日本人特有の同調圧力・場の空気である。
 悲惨な事件が繰り返されても、日本人は止めようとはしない、止めようとしても止まらない。
 日本には救いがないせいで、絶望して自殺する日本人が増える。
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 現代日本人は、乱取りで日本人を捕らえて白人キリスト教徒商人に奴隷として売った金儲けした日本人の子孫である。
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 日本人の本性は、薄情、冷血、非情である。
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 KAKEN
 部落差別とアイヌ民族差別の比較研究
 研究代表者 山本 敏貢 社団法人部落問題研究所, 研究員 (00113449)
 キーワード 未解放部落 / 同和行政 / 差別 / アイヌ民族 / 社会福祉
 研究概要
 同和地区もしくはアイヌ民族居住区とその周辺地域の生活水準、生活環境に見られる格差や隔離、隔絶された地域関係はわが国の近代化の中で意図的に作られたものである。とりわけアイヌ民族対策は「北海道旧土人保護法」に代表されるように、言語、宗教、習俗など民族的権利を否定し、北海道の先住者であるアイヌ民族に対し、北海道開拓移住者への同化を強いることを前提とした政策であった。
 他方同和対策は、格差是正という成果をあげつつも、一部に部落排外主義、部落第一主義の運動や行政により、同和地区内外住民の社会的交流を阻害するという弱的をのこしている。
 同和対策は、同和地区(未解放部落)の生活水準や生活環境に見られる低位性=国民的平均水準との格差と、それにともなう差別的偏見を早急になくすための特別な措置である。ウタリ福祉対策は同和対策と同様に格差是正や、政策対象者の社会的自立とりわけ社会の主権者としての民主的人格形成とともに、独自の課題として民族自立の保障を重要な課題とする。それらはいずれも個人の課題というよりも旧身分差別あるいは民族差別からの解放を保障しようとする地域社会そのものの課題である。その政策は地域福祉実践となって具体化されるべきてある。
 以上のことを同和対策事業については、和歌山、京都、奈良、滋賀県等の行政、運動関係資料の蒐集、関係者からの聞き取り調査により、ウタリ福祉対策については、北海道庁及び北海道ウタリ協会の各種調査報告書、行政関係資料の蒐集、アイヌ民族差別問題と取り組む関係者からの聞き取り調査により明らかにした。
 その研究成果は『部落差別とアイヌ民族差別の比較研究』としてまとめた。
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 アイヌ民族における複合差別の実態に関する研究
 研究課題 研究代表者
 横山 穰 北星学園大学, 社会福祉学部, 教授 (20244676)
 キーワード アイヌ民族 / 複合差別 / 教育現場 / ジェンダー / マイノリティ / 女性 / ソーシャルサポート
 研究概要
 本研究ではアイヌ民族における複合差別の実態について、特にアイヌ女性の被差別体験について明らかにすることが目的であった。とりわけ、差別を経験した場所について、小学校や中学校の義務教育階段において担任教師から差別的なことばや接し方をされ、ひいてはクラスメートからもアイヌであることから、軽蔑されたり、侮辱されたりするなど被差別の体験をしていることが明るみとなった。また、アイヌ差別の場所としては、職場もあげることができる。アイヌであるがゆえに、同僚や上司から差別的な扱いを受けたり、特にアイヌ女性の場合は、身体的な特徴で差別の目で見られたり、アイヌであることを指摘されたりするなど、屈辱的な体験をしたケースもあった。さらには、家庭においても、アイヌ女性が養子として親戚に育てられたりした場合であっても、アイヌではない子どもとは異なる差別的な処遇を受けたりした体験談もあった。アイヌ社会においては男性中心の社会的ヒエラルギーが存在していることも関係して、アイヌ女性のアイヌ社会における社会的地位はアイヌ男性のそれと比較して、必ずしも高いとはいえない。従って、アイヌ社会においてもアイヌ女性はアイヌ男性と比して、差別をより体験する機会が多く、さらに一般社会においては身体的特徴などの性差からして、より差別を体験し易いといえるのではないかと思われる。また、大きな問題点としては、より差別を体験し易いといえるのではないかと思われる。また、大きな問題点としては、教育現場において、教師が先導する形での差別を経験したケースが多々見られたことであった。いずれも学校で教師から差別的扱いを受けた女性は、その多くが50歳代から60歳代にかけてであったが、40歳代や30歳代においても、教育の場においてクラスメートからアイヌであることを理由に差別を体験したケースは少なくはなかった。
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 国際人権NGO反差別国際運動
 差別と人種主義をなくすためにIMADR
 アイヌ民族の歴史や言語、文化を学ぶ教育を
 阿部ユポ(あべ ゆぽ) (公社)北海道アイヌ協会副理事長
 私は、40歳になるまで、アイヌ民族として生きようということは全く思いもしませんでした。我が家には、日本人の家庭と同じように、神棚と仏壇があって、白馬にのった天皇陛下と皇族の写真が飾ってありました。近所の家へ行くと、お年寄りが集まってアイヌ語で話しているのをよく聞きましたが、私がそばを通るとピタッと会話を止めてしまいます。そういう中で育ってきて、アイヌと言うことを言ってはいけないアイヌ語を話してはいけない、という意識がずっと私の中にありました。親からも「アイヌのことなんか話すんじゃない。日本人として生きなさい」と言われていました。
 その頃和人の集落には電気がついていて、テレビもありました。しかし、アイヌコタンには、電気が来ていませんでした。経済的な格差はあっても差別はありませんでした。
 高校を卒業し、都会に出て働き始めると、それまで田舎では感じなかった差別的な視線を感じるようになりました。地域や、職場や、学校などで「あいつはどこどこの村の出身だ」「あいつはアイヌだ」と言う声が聞こえてくる。そして人の身体的特徴をあげ連ね、「あいつはアイヌだ、近づくな、話をするな」といったことが囁かれる。体毛が濃いという身体的特徴が気になって、銭湯に行く事が出来ない、海水浴に行くこともできない、といったことが起きてきました。30代の半ば頃に、部落解放運動の研究集会に参加し、はじめて差別とはどういうものかを教わりました。
 40歳になった頃です、和人の妻との間に初めての子どもが生まれました。子どもの産毛が濃かったものですから、妻が心配して、私には内緒で産婦人科の先生に「これは夫がアイヌだからですか」と聞いたそうです。先生はびっくりして「赤ちゃんはみんな、お母さんの胎内にいる間は柔毛で覆われているものです。まもなくきれいになくなります」と言われ、妻も安心したと後から聞かされました。アイヌが日本人から、体毛が濃いといった身体的特徴をとらえて差別を受けることは今でも続いています。特に若い女性には悩む人も多く、高額のお金をかけて脱毛処理を受ける人も多いと聞きます。現在もアイヌ民族は差別に苦しんでいるのです。
 1992年に、「アイヌの学校」という本が出版されました。この本には、アイヌに対する非常に差別的・侮辱的な表現がなされており、私は出版社に厳しく抗議しました。最初のうちは抗議も聞き入れられなかったのですが、やがて出版社の社長がやってきて、私たちの前に手をついて謝るのです。何故かと聞くと、社長は若い頃にアメリカやイギリスに留学していた時、「イエロウ・モンキー」と呼ばれて差別された経験があるというんですね。それ以来、差別は絶対にいけないと思い続けてきたそうです。差別がどんなに許しがたいものかというのは、自分が差別された経験がないとなかなか解らないものなのでしょう。
 明治以降、日本政府は北海道、樺太、千島列島の「アイヌ・モシリ」(人間の住む大地)を一方的に取り上げました。日本の国土面積の4分の1にあたる広大な土地を国有地に編入し、その後それを和人の開拓民・資本家に分け与えました。当時1万7千人いたアイヌ民族は、強制的に日本名をつけられ、戸籍を作成され日本国民に編入されたのです。アイヌ語を禁止し、宗教を禁止し、生業である狩猟・漁撈・採集を禁止し、強制同化政策強制移住をもってアイヌ民族の生活・文化は徹底的に破壊されました。そうした歴史を、今の日本人は教えられていない。
 これはアイヌ民族も同じです。若者たちも、この歴史を知れば、自分たちが何で差別されなければならないのかという怒りも湧くでしょう。歴史も知らされないで、アイデンティティアイヌ民族としての誇りを持てと言われても無理だと思います。アイヌ民族の歴史や言語、文化を学ぶ教育が必要不可欠だと思います。
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 法務省
 アイヌの人々に対する偏見や差別をなくそう
 アイヌ民族衣装 アイヌの人々は,固有の言語や伝統的な儀式・祭事,ユカラなどの多くの口承文芸等,独自の豊かな文化を持っていますが,近世以降のいわゆる同化政策等により,今日では,その文化の十分な保存・伝承が図られているとは言い難い状況にあります。特に,アイヌ語を理解し,アイヌの伝統等を担う人々の高齢化が進み,これらを次の世代に継承していく上での重要な基盤が失われつつあります。
 政府は,平成19年9月に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」や,平成21年7月の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」による報告を踏まえ,総合的かつ効果的なアイヌ政策を推進しています。令和元年5月に施行された「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」では,アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ,その誇りが尊重される社会を実現することを目的として,アイヌの人々への,アイヌであることを理由とした差別等の禁止やアイヌ政策を総合的かつ継続的に実施するための支援措置などが定められ,従来の文化振興や福祉政策に加え,地域振興,産業振興,観光振興を含めた施策を総合的かつ効果的に推進しています。
 法務省の人権擁護機関では,アイヌの人々に対する偏見・差別をなくし,アイヌの人々に対する理解と認識を深めるよう,人権啓発活動や人権相談,調査救済活動に取り組んでいます。
 (参考)アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(平成31年法律第16号)(抄)
  第4条 何人も,アイヌの人々に対して,アイヌであることを理由として,差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。
第6条 国民は,アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ,及びその誇りが尊重される社会の実現に寄与するよう努めるものとする。
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 鳥取市
 アイヌの人々の人権問題について
 更新日: 2018年4月20日
 1 現状と課題
国際連合総会で昭和40(1965)年に「人種差別撤廃条約」が採択され、平成7(1995)年に日本が加入しました。この条約では、人種、皮膚の色又は種族的出身を理由にする人間の差別は、人間の尊厳に対する侵害であり国際連合憲章の原則の否定、世界人権宣言に謳われている人権及び基本的自由の侵害、及び国家間の友好的かつ平和的な関係に対する障害及び諸国民の間の平和及び安全をも害するものとして非難されなければならないとしました。
 アイヌの人々に関する課題解決にあたっては、この条約の主旨が根底になっています。アイヌの人々は、固有の言語や伝統的な生活習慣など独自の文化を持って生活していましたが、幕末以降、和人による支配が進みました。
 平成9(1997)年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が制定されるまでは、アイヌの人たちを保護するという名目ではあったものの、「旧土人保護法(明治32(1899)年)」という差別的な名称の法律で同化政策が推し進められ、アイヌ語の使用や独自の風習も禁止されるなど抑圧されていました。
 その後、国際連合からの勧告等もあり、平成20(2008)年、衆参両議院で「アイヌ民族先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択され、アイヌ民族先住民族であることが正式に認められました。
 平成21(2009)年には「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」による報告書が内閣官房長官に提出され、内閣官房内に「アイヌ総合政策室」が設けられています。これを受けて、平成21(2009)年に「アイヌ政策推進会議」が発足し、総合的なアイヌ政策の推進に向けて議論が重ねられています。
 また、平成22(2010)年には、「民族共生の象徴となる空間」「北海道アイヌの生活実態調査」両作業部会の設置。平成23(2011)年6月には両作業部会から報告書が提出され、その後8月に「政策推進作業部会」を設置。平成26(2014)年には、アイヌ文化の復興等を推進するための「アイヌ文化の復興等を促進するための『民族共生の象徴となる空間』の整備及び管理運営に関する基本方針について」が閣議決定されました。
 「市民意識調査」の「あなたの周りに次のような人権問題があると思うか」の設問で、「アイヌの人々の人権問題」を「あると思う」と選択した人は15.5%であり、提示した人権問題の中で最も低い割合となりました。
 さらには、「アイヌの人々に関する人権上の問題は何だと思うか」の設問に対して、58.3%が「わからない」を選択しており、アイヌの人々の人権問題が、あまり身近でなく理解が進んでいないことが明らかになりました。
 国における取り組みは前進しているものの、依然として歴史や文化への無関心や誤った認識から、就職や結婚などにおいて差別・偏見や生活上のさまざまな人権侵害が存在していて、本市においても、教育・啓発を進めていく必要があります。
 2 施策の推進方針
 アイヌの人々に対する偏見や差別意識の解消を図るため、関係機関と協力し教育・啓発を推進します。
 ☆法務省のホームページでもアイヌの現状やアイヌに対する取り組みが確認できます。
 ⇒法務省のページへリンク
 「アイヌの人々の人権問題について」の訂正について
 上記「アイヌの人々の人権問題について 1 現状と課題」に一部誤りがありました。
 お詫びして訂正いたします(訂正後の内容を掲載しています)。
 【訂正内容】
 正:国際連合総会で昭和40(1965)年に「人種差別撤廃条約」が採択され、
  平成7(1995)年に日本が加入しました。この条約では、
 誤:国際連合では平成7(1995)年に「人種差別撤廃条約」が採択され、
 このページに関するお問い合わせ先
 人権政策局 人権推進課
 電話番号:0857-30-8071
 FAX番号:0857-20-3945
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