🗾10〕─1─地球で生きるもう一つの道、「心のなかの島」オセアニア伝統航海術の知恵~No.47No.48No.49 @ 

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 2016年12月2日 産経ニュース「【第44回産経適塾 詳報(2完)】地球で生きるもう一つの道、「心のなかの島」オセアニア伝統航海術の知恵 須藤健一・国立民族学博物館
 須藤健一・国立民族学博物館
 大阪市浪速区産経新聞大阪本社で関西の経済や文化を学ぶ産経適塾の第44回講座が開かれ、南海電鉄の山中諄(まこと)会長、国立民族学博物館の須藤健一館長が講演し、それぞれの専門分野で培った知見を参加者に伝えた。その講演内容の要旨をまとめた。
 オセアニアに渡った人類
 今日は「心のなかの島」について皆さまとともに考えてみたいと思います。この言葉は、オセアニアの小さな島の偉大な航海者の語った名言です。
 私たちの祖先、ホモ・サピエンス・現生人類は今から20万年前にアフリカで生まれました。人口が増えたのか、戦争があったのか、7万年前ころにアフリカを出ます。アラビア半島、インドや東南アジアを経て日本列島へは3万8千年前に到達したようです。この3万年間の人類の拡散は、人類の認知能力、学習や記憶やコミュニケーションの能力の格段の進化によるものだといわれます。
 ところがオセアニアの島々に人類が移動したのはつい最近のこと。台湾の原住民族の祖先と同じグループが、フィリピンなどを経て、今から3300年前にニューギニアの北の島に現れました。農耕(タロイモやバナナの栽培)、家畜(鶏や犬や豚)や土器製作など新石器文化の大移動でした。
 さらに東のサモアやトンガには2800年前に移住します。これらの島に長く住みついて、ポリネシア文化を生みだしました。それをもった人びとがタヒチへは2000年前、そしてハワイやニュージーランドに渡ったのは今から1000年前です。地球最後の辺境、オセアニアはこの人びとによって発見、征服されたのです。マゼランが太平洋に乗り出したのは16世紀、人間の住めるすべての島に人が住んでいた事実に西欧人は驚きました。
 オセアニアには、島と島とが4〜5千キロ離れているところもあります。この先に島があることをどうして知り、なぜ行こうと思ったのか。このあたりは、大きな謎です。
 オセアニアの人びとは古来から、島を離れても自分の島に帰るためのを編みだしていました。おそらく何回も、島探しの探検や冒険の航海を試みて新天地を発見したのでしょう。ポリネシア神話には、「朝日は青春と冒険のためにあり、夕日は老人と休息のためにある」と語られ、東方の日の出ずる方向への航海を勇気づけています。
 ハワイからタヒチへの航海
 ハワイは19世紀末に米国の植民地になり伝統文化を失いました。1970年代からは文化復興の動きが強くなりました。1976年の米国建国200年祭の記念事業として自分たちの故郷、タヒチへの航海を企画します。祖先の舟を復元し、航海術を復活させてタヒチへ向かうという計画です。大きなダブル・カヌー(双胴船)は建造できましたが、航海者がハワイやポリネシアからいなくなっていました。
 それで、伝統航海術を今に伝えているミクロネシアのサタワル島から一人の航海者がハワイに呼ばれ、彼の指揮のもとにタヒチへの航海が成功します。タヒチの人たちは、出自の同じ仲間たちが帰ってきたということで大歓迎しました。
 一方、サタワル島からは1975年の沖縄国際海洋博覧会の会場に一艘のカヌーが、3000キロの大海原をこえてやってきました。そのが現在、国立民族学博物館に展示されているチェチェメニ号です。同じ時期にサタワルの航海者たちが成し遂げた大航海とその伝統航海術は世界の注目を集めました。
サタワル島での航海調査
 私は1978年から81年にかけて2回、15カ月間、サタワル島で航海術の調査を行いました。航海術の基本は、方位と洋上の位置を割り出し、船を安全かつ的確に目的地へ導くことです。サタワル島の航海術師は、欧米の航海具なしに千キロ以上の航海を行ってきました。
 方位の確定は、15の星の出没位置を円周上に並べた32方位の「星座コンパス」によります。北は北極星、南は南十字座(南中時)以外は、年中空に輝きません。そのために、星座コンパスを補う200の星が利用されます。星が見えないときや日中は、東からの海流が重要な目安になります。そして、洋上の位置は、実在するが見えない一つの島を「参照の島」と決めて、カヌーと参照島と星座コンパス上の星の位置との関係で把握します。
 面白いのはプコフという知識です。「赤くて老いた鳥」が出現するとか「恐ろしいクジラ」に出合うなど、ある島の周囲で遭遇する特徴的な生き物や海象などに対する空想的な知識です。そのほかに、波や雲や鳥や魚や海の色や匂いなども大事な航海な目安です。星座コンパスは、私たちの磁石のように絶対方位を示しません。それまでの航海で出合い経験したことを細かく記憶しておくことが航海者の知識の束です。
航海術の奥義と伝授
 航海にたけた長老の航海術師は、潮流や波がカヌーを打つ音で方位を割り出せるといいます。カヌーの周囲の海面や水平線や天空を見渡して、海で起きている数十もの現象から、カヌーの進み行く先と今の位置を推測します。知というよりも勘で瞬時に状況を読み解きます。しかし、嵐に襲われたり無風の時には神々に呪文を唱えて懇願します。航海術師は、漂流の経験、気象や海象や天文の規則性や生き物の習性を見抜いて知識を蓄え、航海術の奥義を極めます。非科学的ともいえるこの経験と記憶を生かして長距離の外洋航海が達成されるのです。
 航海術の伝授は、男児が5歳になると星座コンパスから始めます。父親から航海術を学び、長老から個人レッスンを受けて公の試験をうけます。昔は4日4晩のポ(航海術修得儀礼)で、長老たちから航海術のあらゆる知識を諮問されました。それに合格し、長老をのせて数百キロ先の島に航海します。流れないで帰ってきたら、航海者の資格がもらえます。それが20歳代後半です。「真の航海者」になるにはさらに30年は海に出ます。
行く島が心のなかに見えるか
 航海術師は、航海に出かける若者に、「行く島が心のなかに見えるか」と聞きます。目的地への航海の道筋や航海中に遭遇する現象とそれに関する情報を十分知っているかという問いです。見えない島に向かい、あらゆる自然の動きをよんで、数百キロ先の島へとカヌーを進めるのが伝統航海術です。「心の中に島」が見えない、つまり自分の知識と経験に自信をもてないような心的状況では航海はできないのです。
 サタワルの人びとはこう言います。「ガソリンを買うには金がいる。でもカヌーは風が吹けば動かせる。自然のエネルギーを使えば、日本へでもどこへでも行ける。カヌーは島の産物でつくることができる。これさえあれば、私たちは島で生きてゆける」近代文明に依りきっている私たちに、地球で生きるもう一つの道を教えてくれているように思います。
 私たちはこれからの人生航海にどのような「島」を心のなかに描くことができるでしょうか。皆さま人生設計において、これまでの豊かな人生経験と深い知識を存分に生かして新しい「島」を発見する楽しみを味わって見てください。
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 すどう・けんいち 東京都立大学社会科学研究科博士課程中退。文学博士。オセアニアの社会と文化変容などをテーマにフィールドワークを行っている。新潟県出身。」


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