- 作者:萩原 遼
- 発売日: 1997/06/10
- メディア: 文庫
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
韓国を救う為に日本人が戦場で死ぬ事は、平和憲法違反で、無駄死にであった。
事実。韓国は、戦死した日本人への感謝の言葉はなく、靖国神社に祀る事に反対であった。
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スターリンは、ソ連軍と中国共産党に対して北朝鮮軍に軍需支援を命じ、日本共産党に反米の極秘指令を与えた。
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1949年8月29日 セミパラチンスク核実験場の核実験。
ソ連は、アメリカのスパイから手に入れた核開発機密書類を手に入れて核実験に成功した。
スターリンは、核兵器を手に入れた事で、金日成の韓国侵略作戦を黙認しても戦争に巻き込まれる危険性もアメリカからも報復攻撃もあり得ない事を確信した。
毛沢東は、スターリンに中国も原爆を開発する事を報告した。
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1950年 韓国政府は、外貨を稼ぐ手段として、連合国兵士相手の慰安所を各地に開設していた。
韓国陸軍も、韓国兵士の強姦事件を防ぐ為に駐屯地近くに慰安所を経営していた。
朝鮮文化の一つに、宮廷慰安婦としてのキーセン(妓生)が古くから存在していた。
1月4日 コミンフォルム機関紙は、野坂参三が提唱した平和革命論を激しく非難し、反米民族解放闘争への武装決起を督促した。
日本共産党は、反米反天皇反日の暴力闘争方針を受け入れた。
スターリンは、朝鮮戦争を勝利に導く為に、アメリカ軍の輸送基地である日本で破壊工作やゲリラ活動で混乱させる様にように命じた。
1月6日 スターリンは、日本共産党に対して武力革命闘争路線を採用させる為に、コミンフォルム機関紙で「占領下において平和的移行が可能である」という野坂参三の理論を激しく批判した。
中国共産党も、北京人民日報で、「米帝国主義の支配下における日本では、国家権力獲得の為に武力革命闘争以外にありえない」との記事を掲載した。
1月12日 アメリカ政府の韓国放棄政策。
アチソンは、「アメリカの、アジア地域の防衛線には南朝鮮を含めない」と演説し、最悪事態には韓国を放棄し共産主義圏に組み込ませる事を示唆した。
アメリカの防衛線は、アリューシャン─日本─沖縄─フィリピンである。
1月18日 日本共産党は、ソ連と中国共産党の勧告に従って「平和革命論」を放棄し、「武装闘争を駆使した革命」を活動指針に採択して、ソ・中両共産主義体制に与する事を明らかにした。
日本共産党幹部会は、コミンフォルムの日本共産党批判を受け入れる事を決め、天皇暗殺を含む天皇制度打倒の暴力的共産主義運動を決定した。
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2月 ジョージ・マッカーシーは、「米国務省の中に200人のソ連のスパイがいる」と発表した。
2月14日 スターリンと毛沢東は、「日本及びその同盟国による侵略」に対して一致して戦うという、軍事同盟的な中ソ友好同盟相互援助条約に調印した。条約には、二つの秘密条項が伴っていた。
スターリンは、朝鮮で戦争が始まれば旅順を支配できるという条項を書き込んだ。
中国共産党は、日本国内の反天皇反日的日本人に対して支援を求めた。
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3月 天皇の四国巡幸。アメリカ人の某記者「この四国の様な、ただただ身体を酷使する旅行によく耐え得る政治家を、日本でもアメリカでも知らない」
ソ連は、日本国内でのアメリカ軍の行動を妨害するべく、左翼・左派のマルクス主義者に活動資金を与えて反米反原爆運動を命じた。
金日成は、モスクワを訪問し、韓国との侵攻の許可をスターリンに求めた。
スターリンは、毛沢東の許可を得る条件で容認し、平壌のソ連軍軍事顧問団に南への先制打撃計画の立案を命じた。
3月10日 ウィロビー局長は、北朝鮮軍が38度線に大軍を配置して南下する兆しを見せているが、必ずしも内乱を起こそうとしているとは限らないという、北朝鮮情勢に関する報告をした。
3月20日 台東会館事件。在日本朝鮮人連盟が「暴力主義的団体」として解散を命じられ、台東支部があった台東会館を接収しようとしたが、妨害を受け朝鮮人119人検挙。
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4月18日 マッカーサーと昭和天皇の第10回会見。マッカーサーは、アメリカが日本の中立を保証し、日本が憲法第九条を遵守して再軍備をしなければ、日本を攻撃する国はないであろうと請け合った。
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5月 毛沢東は、金日成に南部侵攻の際には軍事支援を行う事を確約した。
だが。スターリンは、東アジアの共産主義勢力への支配権を確保する為に、金日成に韓国侵略時期と作戦内容を毛沢東に知らせないように示唆した。
毛沢東は、つんぼ桟敷に置かれた。
共産主義とは、権力・指導権争いの内ゲバが絶えなかった。
毛沢東は、朝鮮戦争に介入する為に派兵を希望したが、彭徳懐以外の軍首脳部は反対し、林彪は義勇兵指揮を命じられる事を避ける為に仮病を使って逃げた。
中国共産党政治局は、米国との関係改善を希望して不賛成を表明していた。
5月1日 血のメーデー事件。共産主義者は、宮城前で人民決起大会を開いた。
日本共産党は、日本を共産主義化して天皇制度を根絶する活動方針として「来たるべき革命における日本共産党の基本的任務について」を出した。
5月3日 マッカーサーは、平和憲法に基づく民主的法治国家を武装闘争で転覆させ、反社会的勢力を、国家及び法律でこれ以上の恩恵と保護を与える必要があるか疑問である」と警告を発した。
5月27日 ソ連の駐日大使デレヴィヤンコ中将は、突然、数十名の代表団と共に一時帰国した。
5月30日 日本共産党は、共産主義諸国を排除した単独講和に反対し、皇居前広場に20万人以上の全面講和派を集めて人民決起大会を開いて気勢を上げた。
野坂参三「日本の完全なる独立を掌握し、全面講和による占領軍の撤退を要求する」
集会参加者の一部は暴徒化し、警戒していた日本警察隊やアメリカ軍憲兵に投石した。過激派は、騒動を天皇制度打倒の暴動には発展さえようとしたが、失敗した。
中国の新華社通信は、6月17日付けの記事で日本共産党による五・三〇事件を高く評価し、日本人民による反米帝国主義闘争のさらなる発展を呼びかけた。
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レッド・バージ。マッカーサーは、日本共産党情報を受けて「日本共産党中央委員24名全員を公職から追放する」ように、日本政府に指令を発した。
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6月 GHQは、日本共産党中央委員24名を追放し、官公庁から共産主義者を追放する様に命じた。レッド・バージの始まりである。
日本政府は、マルクス主義者が各地で不穏な行動を活発化させた為に、共産党を非合法政党と認定した。
中国共産党は、連合軍の後方基地である日本を混乱させ崩壊に追い込むべくヘロインやアヘンを大量に日本でばらまいた。
6月17日 対日講和と安全保障担当特使のダレスは、韓国を視察してから日本に向かった。東京には、ジョンソン国防長官とブラットリー統合参謀本部議長が到着していた。ダレスは、彼等と共にマッカーサーと秘密会談を重ねた。ダレス達は、マッカーサーに対して、日本を再軍備して対共産主義陣営への最前線基地にする事を求めた。マッカーサーは、持論である、憲法第九条に基づく日本非武装中立論で拒否した。
マッカーサー「日本に永久的にアメリカ軍事基地を置く事は、日本の政治組織の中に激しい民族主義的な反対の波を引き起こすだろう。強大な最軍備計画は日本をはじめ全アジアに動揺をもたらす。それゆえにこそ日本は中立の道をとるのが最善なのだ」
6月22日 ダレスは、アメリカ商工会議所日本支所で日本の再軍備の必要性を主張した。東京のパケナム邸で、ダレスと日本側の有力者達は非公式会談を行った。
「日本が講和条約を結びたいのなら、現存する間接侵略の脅威に対しては、自身の独立で自国を守らねばならない」
6月23日 ダレスは、世界情勢の変化に伴い日本は必要な国防力を持つべきであるとして、約10万人規模の自衛軍を創設すべきであると要求した。
吉田首相は、自立する為の憲法改正と独立を維持する為の再軍備を拒否し、国家として戦争を放棄する代わりにアメリカ軍の全面保護を望んだ。
幣原喜重郎元首相ら国際派政治家や常識派憲法学者も、再軍備は、戦争放棄を唱った平和憲法の精神に反し、軍部の復活は国民主権の崩壊につながるとして猛反対した。
日本は、平和を優先し、自衛権を制限しても戦争を放棄する事に固執した。
吉田茂「日本が非武装化され、平和愛好の国だという事を世界に保障されれば、安全は確保できる」
GHQの参謀第2部は、北朝鮮が軍事行動の準備を開始しているとの情報を得ていた。マッカーサーは、北朝鮮軍の侵攻に備える為に、停止させていた日本の軍需産業に工場の再開を命じた。
6月25日 スターリンは、金正日に対して戦争を開始し、韓国を解放するように命じた。
ソ連製戦車などの重装備で武装した北朝鮮軍は、韓国領に侵攻し、韓国軍を撃破して快進撃した。
国連安全保障理事会は、トルーマンの要請を受けて「決議案第82号」を採択して、武力南進は「平和的破壊行為」に該当すると非難し、即時敵対行為を中止し38度線以北に撤退するように要請した。
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日本は、関東大震災時同様に、戦後の混乱時における反日派朝鮮人・韓国人の反日的動向を隠蔽した。
新聞や雑誌が、事実をありのままに報道しているとは限らない。
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マッカーサーとその幕僚達は、軍国日本と日本軍がなぜ朝鮮半島から満州にかけてに固執したのかを理解した。
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*朝鮮戦争における朝鮮人同士の虐殺
ソ連軍は、大量の武器弾薬を船で北朝鮮に輸送した。
スターリンの秘めた意図は、東アジアの支配拡大する為に、北朝鮮を中国共産党の支配下からソ連の影響下に組み込む事であった。そして、朝鮮動乱が混戦し、混乱が中国に拡大したとき、治安維持を目的としてソ連軍を満州に侵攻させて軍事占領する事であった。
毛沢東は、ソ連軍の軍事介入を恐れた。
アメリカは、李承晩に戦車や戦闘機などの装備を与えると北朝鮮を攻撃する危険性があるとして、韓国軍の装備を軽装備にとどめていた。
アメリカ軍は、韓国に約500人の軍事顧問団を派遣していたが、実力部隊を駐屯させていなかった。
韓国陸海軍総司令官蔡秉徳将軍は、農繁期であった為に38度線警備隊の農村出身将兵に休暇を認めた。
6月25日(〜53年7月) 朝鮮戦争勃発。宣戦布告のない戦争。
北朝鮮・朝鮮労働党は、ソ連の財政支持をえ、中国共産党の軍事援助を受け、全朝鮮を共産主義化する為に南部の韓国に侵略を開始した。
重装備の北朝鮮軍に対して、軽装備に制限させられていた韓国軍約59万人(国民防衛軍約40万人)は敗走した。
北朝鮮軍約11万人の装備は、ユダヤ系国際金融資本の融資でソ連の兵器産業が製作した兵器であった。
アメリカの戦車や装甲車などの装備はソ連製には叶わず、アメリカ軍は北朝鮮軍に釜山まで追い詰められた。
国連安全保障理事会は、アメリカの要請を受け、北朝鮮を侵略者と断定し、加盟国による国連軍を編成して派兵する事を決議した。
国連軍は、アメリカを中心とした16ヵ国が参加して組織された。
初めての、国連軍の編成と派兵であった。
国連軍の主兵力は、日本に駐留していたアメリカ軍であった。
アメリカ軍占領下の日本は、国連決議に従って協力した。
日本政府は、国連決議に従って国連軍に国内を基地として提供した。
共産主義への警戒心が強い保守派は、共産主義勢力の日本侵略を防ぐ為には「釜山に赤旗を翻さない」事として国連軍に協力した。
日本は、戦争特需で経済再生を果たしたが、朝鮮戦争で恥じる所は何もない。
日本の行為を非難する事は、国連の決議を否定する事である。
日本国憲法で再武装が禁止され軍隊を持っていなかった為に。日本人は戦場に駆り出される事は事はなかった。
朝日新聞は、「日本は戦争はいけない」と報じた。
ソ連は、スターリンの指示により欠席して拒否権を行使しなかった。
中央諜報局長官ヒレンケッター海軍少将「朝鮮では、今週又は来週頃、侵略が始まるかも知れない状況である事を、アメリカの諜報機関は承知していた」
アメリカ海軍は、第7艦隊を台湾海峡に展開して、台湾有事に備えた。
GHQは、世界情勢の変化に伴い保守層の公職追放を緩和し、かわって共産主義者を公職から追放した。過激派共産主義者は、北朝鮮軍を支援する為に地下に潜り、治安を悪化させるべく社会混乱を引き起こしていた。
アメリカは、台湾の国民党軍約50万人が中国本土に侵攻しない様に圧力をかけた。
日本共産党地下武装組織指導部の志田重男は、朴恩哲に対して「祖国防衛の立場から強力な軍事組織を作ってはどうか」と提案した。
6月26日 アメリカ軍は、最高軍司令官である大統領の命令に従って、北朝鮮軍を撃破する為に朝鮮動乱に介入した。
だが、孤立主義の伝統を持つアメリカ議会は、朝鮮への派兵を警察行動に止めるべく、北朝鮮への宣戦布告を認めなかった。
スターリンは、ソ連・中国・北朝鮮の三国機密軍事会議で、シベリアとサハリン間に海底トンネル建設を開始し、北朝鮮軍が半島を制圧したと同時にソ連軍が北海道に侵攻する戦略を容認した。
中国は、譲歩し、北朝鮮の韓国占領を優先して台湾侵攻を延期した。
日本人マルクス主義者は、日本を共産主義化するべく、ソ連軍の日本侵攻を手助けする為に活動を続けていた。
ソ連と中国は、世界を共産主義化する為に各国の人民革命を支援した。共産主義勢力による虐殺者数は、宗教間や民族間の紛争以上の犠牲者を出した。
6月27日 保導連盟事件。李承晩大統領は、ソウルを脱出する際、大田刑務所や非戦闘地域の釜山・馬山・済州の刑務所などに収監されている保導連盟員や南朝鮮労働党関係者の処刑を命じた。
韓国軍や韓国警察は、60万〜120万人の政治犯や避難してきた民間人を大虐殺した。
韓国人は、同胞であっても容赦なく虐殺した。
国連の安全保障理事会は、北朝鮮に対する制裁決議を採択した。
国連は、侵略して来た北朝鮮軍を排除すべく、初めての国連軍の創設を決定した。
ソ連代表は、意図的に安保理事会に欠席した。
スターリンの戦略は、在欧米軍をアジアに移動させて、その隙に東欧諸国の共産主義支配を固め防衛体制を強化しする事であった。
アメリカは、台湾の国民党政府が4万人の兵力を派遣するという提案を、中国共産党政府を刺激するとして拒否した。
アメリカ軍の占領下にあった日本は、国連の決議に従って朝鮮戦争に協力し、国連軍の兵站基地として後方支援を行った。各産業は、動乱特需にわき、工場はフル稼働体制となって失業者を雇用した。戦後復興は、この時から始まり、奇跡的な経済発展を遂げて世界第二位の経済大国となった。
多くの韓国人難民が、戦争を逃れて日本に移住した。停戦後、その一部は帰国する事なく日本に定住した。戦乱後の朝鮮で職を失った韓国人の多くも、好景気で多くの労働力を必要とする日本に出稼ぎに来て、そのまま住み着いた。各都市にあるコリア・タウンの多くは、この時期に日本に来た半島出身者によって造られた。現代の在日韓国人の大半は、日本軍による強制連行ではなく、こうした移住者の子孫である。彼等は、反日派として母国に忠誠心を誓って日本への帰化を拒否した。
在日朝鮮人は、強制連行などの日本軍による戦争犯罪に対する戦後補償として、各種の特権と、日本人の差別発言を制限する人権保護法の成立を求めている。韓国籍や北朝鮮の議員としての公的肩書きを持ったまま、日本の役人・官僚への道と国政への参政権を要求している。日本人の左翼・左派のマルクス主義者らは、日本を弱体化させ、天皇制度を打倒する為に、彼等の権利獲得に全面協力している。
在日朝鮮人らの眼中には、日本はなく、日本人もなく、ましてや天皇などは存在しない。日本人に対して歴史的優越感を持つ彼らにとって、日本人と同等に扱われる事が我慢できなかったのである。よって、日本人以上の権利と待遇を要求した。
社会党は、「非武装中立というスローガンで日本の防衛力を封じ、ソ連軍或いは中国人民解放軍の日本国内導入をもって日本を社会主義国化させる」事を確認した。
『非武装中立論』「周囲を海に囲まれた日本は、自らが紛争の原因を作らない限り、他国から侵略される恐れはない」「凶器を持って押し入って来るのは、空き巣やコソ泥ではなく強盗だという事です。強盗は鍵がかかって居ようと居るまいと、錠前なんかは打ち壊して侵入してくる」「強盗に押し入られた時、私達は『抵抗せよ』と教えたり教えられたりしているでしょうか。この場合の抵抗は、死を招く危険の方が強いことを誰でもが知っています」「思い切って降伏した方がよい場合だって有るのではないか」
ソ連軍は、西側市場から国家再建に必要な資材や工業製品を購入する代金とするべく、反共産主義意識の強いイスラム教圏である新疆地域を占領し、地元住民や日本兵捕虜を奴隷の如く酷使して金やダイヤモンドなどの天然資源の採掘を行っていた。
スターリンは、中国と共同して新疆開発を行う為にミコヤン外相を派遣した。だが、毛沢東は、ソ連に利益を奪われるとして拒否した。中国は、再度、極秘にアメリカとの友好を申し込んだが、アメリカは今度も拒否した。
6月28日 宮内庁式部官長松平康昌は、ニューズウィークの外交問題担当編集者カーンを訪問して、昭和天皇の口頭メッセージをマッカーサーに知られない様にダレスに伝える事を依頼した。
北朝鮮軍は、韓国軍の首都防衛線を突破してソウル市内に流れ込んだ。
李承晩は、ソウルを脱出し南へと向かった。北朝鮮軍を足止めする為に、漢江にかかる橋の爆破を命じた。
ソウル市内には、逃げ遅れた多くの韓国軍兵士や一般市民が取り残された。北朝鮮軍は、同じ同胞でありながら彼等を容赦なく虐殺し、李承晩を追って南へと進撃した。
李承晩は、恐怖のあまり、敗走途中で出会った武器を持たない民間人20万人以上を北の工作員と決め付けて虐殺した。
金日成も、女子供に関係なく数十万人の民間人を反共産主義者として虐殺した。
北朝鮮軍には、韓国軍兵士の捕虜はいなかった。
朝鮮半島の歴史では、日本では考えられないような、想像もできないような、同胞に対する陰惨なる大虐殺を平然と行っていた。
朴恩哲は、日本共産党本部で、在日朝鮮人幹部を集めて民族対策本部(民対)中央会議を開いて、軍事活動の指導機関・祖国防衛中央委員会を組織した。
6月30日 マッカーサーは、最後の防衛陣地である釜山を死守する為に、在日アメリカ軍を軽装備のまま漸次投入した。
マッカーサーの最大の懸念は、日本国内の共産主義勢力の動静とソ連軍の日本侵攻であった。
アメリカ政府は、東欧におけるソ連軍の増強を警戒して主力部隊をヨーロッパに展開させ、朝鮮への増派を遅らせていた。
スターリンは、北朝鮮軍の勝利を確信し、ソ連軍に対して金日成への武器弾薬の援助を命じた。
朴恩哲らは、祖国防衛委員会(祖防委)東京本部を組織し、全国に在日朝鮮人による祖国防衛隊(祖防隊)を編成する事を決めた。
日本共産党傘下の中央民族対策本部は、表面的に武装闘争組織である祖国防衛委員会とは関係ないとして、武装実行部隊である祖国防衛隊は非合法の地下組織と決めた。
アメリカ国防総省は、在日米軍基地内でヘロインが蔓延し、多数のアメリカ軍兵士が常用して士気低下の原因となっている事に憂慮した。
アメリカ軍は、ヘロインは中国産で、日本共産党が中国共産党から受け取り、在日朝鮮人女性が働く風俗店でアメリカ軍兵士に売りさばいている事を突き止めた。
中国共産党は、後方攪乱として、アメリカ軍の補給基地がある日本でのヘロイン謀略を展開した。
日本共産党の中核自衛隊と在日朝鮮人の祖国防衛隊は、コミンフォルムの命令を受け、中国共産党から大量のヘロインを受け取って日本国内の闇市場に流していた。
デヴェラル(アメリカ労働総同盟アジア代表)「事実は薬品の輸入こそ共産主義者の用いた第一の方法の一つだった。」
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李承晩は、山口県に臨時政府を作る許可を求めたが、山口県は拒否した。
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悪の三国志―スターリン・毛沢東・金日成 (講談社プラスアルファ新書)
- 作者:茅沢 勤
- メディア: 単行本
朝鮮戦争の謎と真実―金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による
- 作者:アナトーリー・ワシリエヴィチ トルクノフ
- 発売日: 2001/11/01
- メディア: 単行本