☵142〕─1─日本全国で多発する反日派在日朝鮮人犯罪者集団の凶悪事件。共産主義組織の人民革命への陰謀。昭和24年  〜No.420No.421  @            

朝鮮戦争の謎と真実―金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による

朝鮮戦争の謎と真実―金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 反日朝鮮人犯罪者から日本人戦災者を助け守ったのは、間接統治を受けていた日本政府及び警察ではなく、反社会的の日本人任侠団体・ヤクザ達である。
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*新たな日本人テロリストによる脅威
 日本共産党は、国際的反米運動への参加を表明し、平和路線を維持しようとする野坂参三らを妥協派として非難した。過激派テロリストは天皇暗殺を主張したが、穏健派マルクス主義者は時期早々として武装闘争に反対した。左翼・左派の社会主義者による天皇暗殺をめぐる内部分裂は、明治の大逆事件と酷似していた。だが、天皇の命を守る大逆罪は、この時すでに存在しなかった。天皇と皇族は、かっての皇軍の様な強力な自己防衛力を持たず、マルクス主義急進派のテロ攻撃に対して無力な存在となっていた。 
 無防備な万世一系男系天皇制度(直系長子相続)を守り後世に残せるか、日本国民の総意にかかっていた。
 人間として自分で自分の命を守る事を一切せず、無防備に生身の身体を民衆に晒し、民草に命を預け、現世的な執着を持たず、捨て身の無私無欲に徹しきったからこそ、天皇家・皇室を世界でも類例のない最長の王家として残った。こうした、自分で自分を守る事を放棄した無力な存在としての王権は島国日本で可能であったが、自分の事は自分で守る事が最低原則とする大陸では生き残れなかった。
 この場合の無力は、責任を引き受ける勇気を伴った覚悟の事であり、他人まかせの責任を放棄した非武装無抵抗ではない。
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 1949年 『吉田茂首相がマッカーサーに宛てた文書』
 「在日朝鮮人に対する措置
 朝鮮人居住者の問題 に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼らは 総数100万にちかく、その半数は不法入国 であります。私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
 その理由は次の通りであります。
 1,現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。
 2, 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません 。
 3,さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合 を占めております。彼らは、日本の経済法令の常習的違反者 であります。彼らの 多くは共産主義者ならびにそのシンパで最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7,000名以上が獄中にいる という状態であります。
 ……
 さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。
 1,原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。 
 2,日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。
  敬具 吉田 茂」
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 関東朝鮮人強盗団事件。強盗殺人1件、強盗45件、窃盗861件、260人検挙
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*連合国による朝鮮の分割統治 
 李承晩大統領は、日本に対馬を奪われたと主張し、日本に対して対馬の返還を訴えた。
 失脚するまで、60回以上、「対馬返還」を叫び続けた。  
 1949年以降 中国共産党は、反宗教無神論政策から、上海などの各租界にあった外国人墓地や宗教施設を破壊した。信仰心なき中国人は、敵と認定した死者への敬意を払わず遺体を路上に捨て、魂の尊厳を踏みにじる様に遺体を冒涜した。自己中心の中国人にとって大事なのは、自分が属する男系宗族であって、女系親族や血縁にない他人は眼中になかった。
 ただし、犯罪的秘密結社は疑似的家父長制家族主義で組織を維持・強化している。
 吉田茂は、マッカーサーに対して、「送還費用は日本が全額負担するので、在日朝鮮人の全員の送還を望む」と、そして彼等の存在が「日本の国家再建にマイナスになる」との嘆願書を提出した。
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 在日朝鮮人による集団暴動が急増し、公務執行妨害による摘発も増え、治安悪化して社会問題化となった。
 在日朝鮮人は、集団暴動ではなく権利擁護及び獲得の為の正当な権利行使であり、愛国・愛民族運動であると主張した。
 つまり、愛国無罪論である。
 朝鮮人の犯罪者数(在日朝鮮人総人口 約60万人)
 45年8月〜12月、8,355人。
 46年 2万2,969人。 
 47年 3万7,778人。
 48年 2万2,133人。朝鮮人投獄者、7,000人以上。
 GHQは、嘆願を却下し、たとえ犯罪者であっても朝鮮人の権利を擁護した。
 この後、在日朝鮮人犯罪者は特別永住権をえ、売春や麻薬などの犯罪を犯し、殺人や強姦をしても法的優遇を受けるという特権を勝ち取った。数年の実刑をくらっても、国外追放はなく、契刑期が終了すれば釈放されて犯罪者集団に復帰した。こうして、日本は外国人犯罪者の天国となった。
 日本人人権団体は、戦前日本が行った戦争犯罪や植民地支配を償う為に、日本人被害者の名誉よりも、外国人犯罪者の人権を擁護した。
 日本の人権派弁護士は、死亡した日本人被害者よりも生きている外国人犯罪者を弁護した。
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 李承晩は、対馬を韓国の領土であると宣言した。
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 金九「親日派がもっと出て来るべき。いなければ育てよ」
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 中国共産党は、国共内戦で勝利するや、中共軍内の朝鮮人軍人の利用価値がなくなったとして彼らを再組織し、金日成の下に送り込んだ。
 ソ連軍は、金日成の軍隊に最新鋭武器を大量に送り込んだ。
 この時。北朝鮮軍は、実戦経験の豊富な少数精鋭の最強部隊であった。
 日本と韓国では、共産主義工作員が活動していた。
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 1月 総選挙で日本共産党は大躍進して、35議席を獲得した。
 党員数は23万人を越し、教職員とマスコミ関係者の中に共産主義シンパを増やした。
 現代の反天皇・反米の反日派日本人は、こうして作られていった。
 1月1日 GHQは、国旗の使用を認めた。日本人は、国旗「日の丸」を自由に掲揚する事ができる様になった。左翼・左派のマルクス主義者らは、「日の丸」は侵略戦争の象徴であるとして使用に反対し、「君が代」を天皇ファシズムを助長させる元凶として反対した。
 1月7日 李承晩は、日本領対馬の領有権を主張し、アメリカに対し戦勝国の一員として講和署名国の資格を要求した。
 アメリカは、半島に於いてソ連北朝鮮に対抗する勢力とし、軍国日本の復活を防ぐ押さえとする為に、韓国を署名国名簿に加わえた。
 1月12日 駐北朝鮮大使スティコフ大将を団長とする特別軍事使節団が、モスクワから平壌に到着した。使節団は、満州で組織され軍事教練を受けている朝鮮人義勇軍を、北朝鮮から撤退するソ連軍に代わって北朝鮮に入れるべく視察した。そして、国家防衛ではなく侵攻可能な機動性を持たせる訓練を開始した。
 ソ連は、戦前にアメリカの武器貸与法で獲得した中古の兵器を北朝鮮に渡す見返りとして、北朝鮮に鉛などの鉱物資源を要求した。
 1月19日 金日成は、スティコフ大使に、スターリンから南への侵攻命令と攻撃許可をもらえるように依頼した。
 中国共産党機関誌『百年潮』「戦争は今まで中国が主張したような栄光の勝利ではなく、スターリンの手中でもてあそばれた、東アジアにおいての中国の実益を侵害した失敗であった。戦争はスターリンが主導したし、金日成は2週間以内に南朝鮮を占領すると確信した過激主義者であり、毛沢東もこれに同調した」(1997年)」
 1月25日 益田事件。密輸の摘発を巡って約200名が警察署に押しかけ、警察官と乱闘、48名を検挙。
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 2月 GHQのウィリアム・シーボルトは、在日朝鮮人問題の解決は日本と韓国の両国に委ねてアメリカは関与を控えるべきであるとの報告書を提出した。
 在日朝鮮人犯罪者は、武装して闇市場を支配して日本の法律を平然と破っているが、武器を持たない日本警察はそれを取り締まれず、日本人が被害を受けていても傍観するのみであると、占領下の日本の実情を報告した。
 リチャード・フィンと外務省管理局長倭島英二は、在日朝鮮人問題で協議した。
 日本側は、日本人と韓国・朝鮮人は文化・宗教・習慣の全ての面で別の者である以上は、日本の負担を軽減させる為に非日本人の地位を付与すべきであると訴えた。
 GHQは、帰国を希望するしないに関わらず、日本国籍所有者同等の待遇を与えるべきで有るが、日本側の負担増を避ける方策を講ずるべきであるとの見解を表明した。
 スターリンは、西側に対抗する為に、各国の共産党に対して忠誠を求めた。フランス(2月22日)とイタリア(2月26日)の共産党は、自国とソ連の間に戦争が起きれば「ソ連軍を解放者としてその進駐を歓迎する」との声明を出した。ドイツ統一社会党ノルウェー共産党アメリ共産党など西側諸国の共産党も、スターリンの方針に従うとの声明を出した。
 日本共産党に対しても、ソ連と日本との紛争に際しての態度の明確化を求めた。
 2月3日 北京において、人民解放軍の精鋭部隊は勝利パレードを行った。人民解放軍兵士は、アメリカ製兵器を装備して行進した。その軍事力は、アジア最大の軍事力で、国民党軍を遥かに凌駕していた。
 ハリソン・E・ソールズベリー「彼等は、アメリカのトラック、アメリカの銃、アメリカの大砲、アメリカの戦車、アメリカの装甲車で武装し、アメリカの軍服さえ着ていたのである。それらは、国民党から奪ったものだった。『蒋介石は我々の供給役だった』と毛沢東が語った事である」(『ニューエンペラー』)
 周恩来は、中国の将来を考えてアメリカに関係修復を求めた。ワシントンは、無視した。
 人民解放軍は、スターリンの自粛要請を無視して、国民党勢力を殲滅する為に揚子江を渡って南下した。
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 4月 韓国政府は、在日朝鮮人が日本国内で耐えがたい苦痛を受けていると強調したが、全ての在日朝鮮人を帰国させる事は望まないと表明した。
 韓国の人権団体は、在日朝鮮人を帰国させる為に、帰国希望者に日本的なモノを捨て去り民族的遺産を再教育する文化運動を始めた。
 半島で日本支配を受けていた朝鮮人は、祖国を捨てて中国や日本に逃げ出した在外同胞を同情せず、帰国者を裏切り者として差別し迫害を加え、所持金の大半を理不尽な名目で強奪した。
 4月6日〜13日 枝川事件。窃盗犯を逮捕しようとした警察と衝突。
 「完全な無警察状態……。そのいい例が昭和二十四年春、東京深川でおこった枝川町事件である。朝鮮人四人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して巨利をせしめた。犯人の身もとがわかり、深川署の刑事ふたりが逮捕状をもって……出かけたところ、……逆に”不審尋問”され、袋だたきの目にあった。当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。”見まい、聞くまい、振りむくまい”深川署の刑事たちはそんな言葉で自分たちの無力を嘆じあったという。」
 4月7日〜11日 高田ドブロク事件。新潟県で密造酒の取締りで朝鮮人が警察と対立、12人を検挙
 4月25日 朝連は,神戸の湊川公園で、4万人以上の朝鮮人や日本人を集めて阪神教育闘争勝利記念大会を開いた。
 湊川とは。南朝方武将の大忠臣・楠木正成湊川神社)が、後醍醐天皇の為に、正統な皇室(万世一系男系天皇?直系長子相続?)を守護するべく、700人の手勢で5万人の朝敵軍と戦って壮絶に戦死した記念すべき聖地であった。
 楠木正成は、荘園領主から悪党として忌み嫌われた河内の土豪であった。
 古代から、自分を犠牲にしても天皇家・皇室を真に守って来たのは、身分の低い貧しいサムライや虐げられ差別され搾取された庶民達であった。
 故に、時々の権力者は、天皇を「玉」として、権威付けの道具として利用していた。
 天皇家・皇室が、2000年以上、滅びる事なく続いてきたのは下層階級の神の裔・天皇への敬愛の念があったからである。
 その理由は、政治的権力者や宗教的権威者よりも、豪農や豪商より、資本家などの特権を有した上流階級よりも、神聖不可侵の天孫降臨神話に生きる大王家・天皇家・皇室が貧しかったからである。
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 5月 金日成は、毛沢東を訪問して、「北朝鮮軍強化の為に、主として朝鮮系人民からなる中国軍2個師団を引き渡して欲しい」と要請した。毛沢東は、半島の共産主義化と朝鮮に対する影響力を確保する為に要請を快諾した。
 5月30日 日本は、思想弾圧色の強い定員法を成立させた。国鉄全逓は、赤字削減を理由にして、組織内の左派系労働者の首切りを断行した。アメリカ軍は、朝鮮半島有事を想定して、鉄道の安定輸送と通信の機密保持を図る必要があった。
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 6月 アメリカ統合参謀本部は、ソ連との協約に従って、南朝鮮に駐留させていた部隊の主力を日本などの後方に撤退さた。ワシントンは、相手に先制攻撃させる為に、南から北を攻撃しないという意思表示を行った。相手に先に撃たせるという戦術は、アメリカの常套手段であった。
 昭和天皇と皇族を暗殺しようとした朝鮮人テロリストを指揮していた金九は、韓国建国時の権力闘争で、政敵が放った暗殺者・安斗煕によって暗殺された。
 6月2日 本郷事件。福井県朝鮮人地区の地図作成に抗議し朝鮮人70人が派出所を占拠し警官に暴行。
 6月15日 毛沢東は、アメリカと正式な国交を開き、西側諸国との自由な通商を希望した。アメリカは、国民党支援の基本戦略から提案を拒否した。
 6月28日 毛沢東周恩来は、アメリカとの交渉を断念した。
 6月30日 平事件。福島県平市の警察署に乱入し占拠、警官に暴行、231人を騒擾罪で検挙
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 7月 塩釜事件。朝連と民団の構想を巡って警察とも紛争
 7月1日 南京のスチュアート駐中アメリカ大使は、中国問題の解決の為に、北京に行き毛沢東周恩来との直接交渉を行う許可を求める至急電を、ワシントンに送った。だが、国務省は原則論を理由にして北京行きを禁止した。
 毛沢東は、共産主義陣営の一員として「向ソ一辺倒」を宣言し、アメリカと対抗するべく劉少奇をモスクワに派遣した。
 ニューヨーク・タイムズは、これまでの反日親中国的論調を放棄して、反中国キャンペーンを展開した。国民世論は、一転して親日的となった。
 7月8日 吉田茂は、ホイットニー民政局長にあて、在日朝鮮人共産主義者と協力して、日本の共産主義化の為に天皇制度の打倒運動を行っていると訴えた。
 「なお内密に申し上げ御高配を煩わしたいのであるが、朝鮮人の不健全分子が共産主義者のお先棒を担いでいるが、労働運動に、又一般の治安の問題に由々しき事態を引き起こしている」
 後年。武闘派日本共産主義者と過激派在日朝鮮人は、天皇制度打倒のロシア革命共産主義革命を起こすべく軍事訓練を山中で行っていた。 
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 8月 シーボルトは、マッカーサーの見解を添えて報告書をワシントンの国務省に送った。
 8月19日〜20日 下関事件 (騒乱)。朝連と民団が乱闘、構成員の自宅を襲撃、略奪
 8月末 吉田茂は、マッカーサー対し、アメリカの食糧支援として送られた食糧を在日朝鮮人にもわける為に日本人飢餓民への配給分が減っている事と、在日朝鮮人による闇市を中心とした犯罪が急増している実情を訴える書簡を送った。
 「これらの朝鮮人を全て、彼等の生国の半島に送り返される事を欲す」
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 9月 GHQは、共産主義勢力を弾圧する為に成立させた団体等規正令に基づき、日本共産党と在日本朝鮮人連盟を暴力主義的政治団体として認定し強制的に解散させた。
 地下運動を行ったのは在日朝鮮人の多くが、日本共産党員であった。
 アチソン国務長官とイギリスのベヴィン外相は、ワシントンで会談し、日本を独立させる為に平和条約締結工作を進める事に合意した。両国は、ソ連朝鮮半島で紛争を起こそうとしているとの情報から、日本との間に単独講和条約を締結し、締結後も日本を戦略的最重要基地としてアメリカ軍を無期限に駐屯させる事に同意した。
 9月8日 法務府特別審査局は、GHQの命令に従い、在日朝鮮人連盟、在日民主青年同盟、在日本大韓民国居留民団宮城県本部、大韓民国青年同盟塩釜本部に対して団体等規正令を適用し、解散を命じた。
 在日朝鮮民主青年同盟は、解散命令を受けても、厳しい監視を逃れ、反天皇反日的日本人の支援を受けながら各地で青年行動隊や青年工作隊などを結成して活動を続けていた。
 日本共産党の金天海政治局員を含む朝鮮人幹部29名は、公職から追放された。
 9月20日 在日本朝鮮人連盟による武生事件。福井県で裁判所と検察庁支部が放火され全焼
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 10月 日本政府は、GHQの指令に従って朝鮮語を国語として教える朝鮮人学校を閉鎖し、公立学校特別して卒業後に上級学校への進学等の資格のない各種学校と定めた。
 朝鮮総連朝鮮学校は、反日意識から共産主義的政治教育を重視し、北朝鮮を讃美し、朝鮮戦争や日本人拉致事件北朝鮮を弁護する教育を行った。
 10月1日 中国共産党は、中国を武力統一して中華人民共和国を樹立した。
  蒋介石は、台湾に逃げる事で中華民国を存続させた。よそ者である国民党は、独立心の強い批判勢力を封じ込める為に、台湾派や親日派を弾圧し、数万人を処刑した。
 中国共産党は、国民党との内戦で2,000万人以上を殺害した。政権を樹立した後は、党内の主導権争いと在野の反共産主義者人権派や宗教家の弾圧で、8,000万人以上を惨殺した。
 欧米諸国は、1840年のアヘン戦争で得た中国利権の大半を失った。多くの欧米資本も、財産を没収されて中国から追放された。
 アメリカ政府は、対日戦中は中国共産党を農民の為の大衆党として支援してきたが、中華人民共和国の建国により反中国政策に転じた。
 中国共産党は、反宗教無神論を掲げ、キリスト教は人民を堕落させる害悪であると告発し、キリスト教会が建てた宗教施設や病院や学校を没収した。外国人宣教師達は国外追放し、中国人聖職者は残忍な方法で拷問した後に、見せしめとして公開処刑した。棄教を拒否する2万人以上の信者を、反共産主義者として逮捕し、重労働収容所に送り込んで疲労と栄養失調で殺害した。だが、キリスト教徒は絶対神への信仰を守るための殉教として受け入れた。
 共産主義者は、党指導者に対し個人崇拝的忠誠を誓い、普遍的価値観によるキリスト教会や仏教寺院などの宗教施設を徹底的に破壊した。だが、自分の利益を最優先し他人を無視する、土着の現世利益的信仰は見逃した。
 世界中の共産主義諸国は、一党独裁の「死と暴力」による恐怖政治を行い、例外なく反共産主義者自由主義者や民主主義者や宗教関係者を大量に虐殺した。主義による秘密警察は、一般市民に対して至る所で監視の目を光らせ、疑わしいと思われる反革命分子を秘密裏に逮捕して拷問にかけ、人に知られず闇の中で処刑した。
 共産主義は、発展ではなく破壊のみをもたらしていた。
 利益を得て裕福な生活ができたのは共産党上級幹部のみで、党員でない人民は奴隷の様な悲惨な境遇を暴力的に強いられていた。
 日本の左翼・左派のマルクス主義者らも、一党独裁共産主義体制を理想社会として、日本を反天皇で大改造しようとしていた。
 10月13日 アチソン国務長官は、対日講和条約草案を政府内の各部局に廻した。
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 12月16日 毛沢東は、モスクワを訪問してスターリンと直接会談を行った。
 12月23日 アチソン国務長官は、アジア政策に関する「NSC48ー1」を発表し、国防総省が計画した台湾の国民党政府の大陸進攻作戦を却下した。
 12月30日 ソ連は、アメリカ、イギリスに対して昭和天皇と石井四朗中将ら4名の軍人を、細菌兵器開発の罪で裁く国際軍事法廷の設置を提案した。アメリカとイギリスは、七三一部隊の細菌兵器研究成果を得る為に同提案に反対した。中国は、ソ連の提案を支持し、日本軍が開発製造した細菌兵器を取得した。
 12月31日 李承晩大統領は、砂粒のように自分勝手な自己中心的民族性を国家中心に転換する為に、反日教育こそ重要であるとして教育法を制定した。
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 年末 駐日ソ連代表部は、スターリン毛沢東が対日謀略で合意した、極秘の武装蜂起指令「コミンフォルムコミンテルンの後身)指令第172号」を日本共産党首脳部に対して発した。
 それが事実かどうかは不明。
 「発電所、送電線、送電施設などを破壊する。共産党の活動を妨害する重要人物の行動を監視し、反動的人物の暗殺する。……共産主義者、進歩的朝鮮人を本国送還させようとする意図を粉砕する。……海上保安庁の役人を買収して武器を入手する。……日本共産党を含む約50万人が決起予定であり、すでに中国共産党朝鮮人オルグが秘密裡に日本上陸を完了している。……」




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