🗾22〕─3─縄文土偶は食用植物を象った祭祀用精霊像であった。~No.104 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族と中国人・朝鮮人が、異種異文である証拠が縄文土偶である。
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 縄文時代の宗教祭祀は日本中心神話と皇室の宮中祭祀の中に流れている。
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 縄文時代の宗教祭祀を認めない反宗教無神論マルクス主義史観。
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 2021年7月号 WiLL「歴史の足音  中村彰彦
 縄文の謎を解く卓見『土偶を読む』の衝撃
 縄文時代の遺跡から。素焼きの土器とともに土偶が発見されることはよく知られている。土偶とは土人形のこと。青森県つがる市・亀ヶ岡遺跡から出土した『遮光器土偶』、長野県茅野市・棚畑遺跡の『縄文のビーナス』、群馬県吾妻郡郷原の『ハート形土偶』などの写真は高校日本史の教科書にも載っている。
 では一体、縄文人土偶によって何を表現したのか。情けないことに、日本の考古学者たちはこの問題についてロクな答えを出せずに今日に至った。豊饒性を象徴する妊婦説、地母神説、目に見えない精霊説、宇宙人説などで、いずれもただの思いつきで定説にはほど遠い。
 ところが今年の4月下旬、この謎がみごとに解明した研究書が出版された。人類学者で竹倉土偶研究所を主宰する竹倉史人氏が、晶文社から出した『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』一千八百七十円。
 これは読まなければ、と思ってページを開いたら卓見とよく出来たミステリ以上の推理と論証の連続で、私は目から鱗が落ちる思いを幾度となく味わわされた。そこで今回は、近く考古学会の定説となるであろう竹倉氏の卓見いくつかを紹介しよう。
 なお縄文時代は1万6500年前に始まり、2350年前までの1万4000年あまりの長きにわたって続いたとされている。かつて縄文文化から弥生文化への移行は、狩猟採取(肉食中心)の時代から稲作(植物食中心)の時代への変化だと思われていた。
 しかし、青森県三内丸山遺跡などが発見された今日、縄文人は約5500年前の縄文中期から植物食の依存を強め、ヒエの野生種の栽培化、クリやトチノキの林の管理、マメ類の栽培などを始めたことが判明するに至った。
 一方、各地の縄文遺跡からシカやイノシシの角や骨が発見されるのは、縄文人が動物の霊に対する何らかの祭祀をおこなっていたことを物語る。ならば植物の霊に対する祭祀もあったはずなのに、その痕跡が見つからないのは何ゆえか。いや、すでに見つかっているのに、われわれがそれに気づいていないだけではないのか。このように思考した竹倉氏は、次のような仮説にたどり着いた。
 『土偶は当時の縄文人が食べていた植物をかたどったフィギュアである』
 これを実証するためには、どの土偶が何という植物に由来するのかを解説し、考古学的な裏付けを取らねばならない。本書では比較的よく知られた10種類の土偶が取り上げられているのだが、本稿ではそのうち3種類の検証過程を眺めてみよう。
 『遮光器土偶』は3200年前から2700年前までの約500年間、東北地方を中心に製作された。この土偶で注目すべきは、実はゴーグルを着けたような仮面ではなく、紡錘形にデザインされた四肢と腕の側部に造形された突起なのだ。突起はサトイモの側芽であり、土偶の頭部は親イモ、手足は子イモ、頭頂部のスペード形のものは子イモの葉、大きな目のように見える部分は子イモを取り出した後である。すなわち『遮光器土偶』はサトイモの精霊像であり、2700年前、忽然と姿を消したのは、気候の寒冷化が進んでサトイモ栽培が不可能になったためにほかならない。
 これと入れ違いに東北地方北部では、全身にびっしりと小さな三角形の刺突(しとつ)を施した『刺突文土偶』が出現する。このタイプは両腕の先がかならず捻(ねじ)れて向きが変わっている。この頃食べられはじめたイモ科の穀物の中で穂先が捻転(ねんてん)するのはヒエだけだから、これはヒエの精霊、刺突文はヒエ粒の表現だ。
 同時期に登場する『結髪土偶』に共通する特徴は以下のごとし。頭上に髪を結んだような造形があること、形から先の腕が細く帯状になること、上体が扇を開いた形状を呈(てい)すること、刺突文がある場合はヒエ粒より大きく、時には楕円形の粘土粒が肩に二列に貼付されていること。
 これはズバリ、イネの精霊であり、頭上の造形は稲穂ないし稲藁(いなわら)、上体の扇形は稲の実った稲株を横から見た形。帯状を呈する腕の先は細い稲の葉のアナロジーであり、大きな目の刺突文や粘土粒は稲先に実った米を示している。
 まことに快刀乱麻を断つが如き分析と総合の連続で、特に『遮光器土偶』の消滅と『刺突文土偶』『結髪土偶』の登場をサトイモの絶滅とヒエ・イネの栽培開始によって裏付ける手法には胸を打つほどの説得力がある。
 それししてもなぜ日本人は、1世紀以上も土偶の正体を突き止められなかったのか。この問題にも竹倉氏は答えを用意しており、
 『それは、ある一つの事実がわれわれを幻惑したからである。すなわち、それらの〈植物〉には手と足が付いていたのである』
 と書いている。これは『植物の人体化』と呼ばれるべき事象であり、氏が長く神話とアニミズムの研究をつづけるうちに発見した造形原理なのだという。この造形原理を適応すれば『今でも正体がわかっていない海外の先史時代フィギュアの謎を解くこともできる』そうだから、考古学ファンの端くれである私としては、氏の研究がさらに進展する日を楽しみにせずにはいられない。
 また考古学会にも一つ注文したい。それは、早く竹倉説を定説と認め、日本史の教科書に紹介してほしい、ということだ。竹倉説に則った土偶の読み解き方を教えられれば、少年少女たちが目を輝かせること請け合いである。」
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土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎
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 日本の歴史、日本国、日本民族は、石器時代縄文時代弥生時代そして古代日本・飛鳥時代奈良時代平安時代と1本の太い筋、血・命、心・身体で繋がっている。
 その太い筋の中に、琉球人(琉球民族)や蝦夷アイヌ人も存在している。
 つまり、縄文人を広義に解釈すれば日本民族琉球人(琉球民族)、蝦夷アイヌ人は血・命、心・身体を分け合った兄弟・姉妹である。
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 現代の高学歴日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がない為に、日本の歴史・日本国・日本民族が理解できない。
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 日本の歴史教育を支配してきたのは、日本共産党の影響下にあるマルクス主義日本学術会議であった。
 メディア報道機関における歴史特集も、反天皇反日マルクス主義記述が本論となっている。
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 日本国・日本民族は、ローカルな自然・科学・神話(崇拝宗教)の太い三本柱で支えられ、グローバルな信仰宗教・哲学・思想・イデオロギー(主義主張)は存在しないかあっても影が薄い。
 つまり、日本国・日本民族は自然中心と世間共同体で、世界は人中心と社会共同体である、という事である。
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 マルクス主義史観・共産主義史観、キリスト教史観、儒教史観や外国所縁の思想・哲学・イデオロギーでは、日本国・日本民族、日本文明・日本文化、日本そのものを説明する事は困難である。
 1980年代以降の現代日本を説明できても、それ以前の日本を古くなればなるほど説明できない。
 現代の歴史で説明できない事実が、①中世キリスト教会と白人キリスト教商人による地球レベルでの日本人奴隷交易、②江戸時代後期におけるロシアの日本侵略と東北諸藩の臨戦態勢、③日本陸軍によるシベリア出兵時における自己犠牲的ロシア人とポーランド人の子供救出、④日本人共産主義テロリスト・キリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇・皇族暗殺失敗事件、⑤昭和天皇東條英機松岡洋右松井石根ら、軍閥・軍部・陸軍によるユダヤ人難民保護・救済という人道貢献とA級戦犯の見せしめ目的でのリンチ的縛り首による処刑そして遺灰・遺骨を海上廃棄、の5つである。
 日本の歴史が正常に戻るには、5つの歴史的事実を正しく認識し嘘偽りなく正確に説明しない限りあり得ないし、説明できないうちは嘘の歴史教育を「洗脳」として子供達に教えている事になる。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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