🎍24〕─2─藤原京に外国人居住の可能性 水洗トイレ遺構を調査。~No.72No.73 

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 20221月31日 MicrosoftNews 産経新聞藤原京に外国人居住の可能性 水洗トイレ遺構を調査 橿考研
 © 産経新聞 「奇妙な細長い穴」とある部分がトイレ(アトリウム展の展示資料から)
わが国初の都城藤原京(694~710年)の時代に、京内に外国人が住んでいた可能性があることが、発掘調査で見つかった水洗トイレの調査・研究からわかった。
 研究成果は橿原考古学研究所奈良県橿原市)1階で3月18日まで開催中のアトリウム展「藤原京のお手洗い」で、写真パネルや出土資料を使い紹介している。
 水洗トイレの遺構は、平成30年、県営住宅の建て替えに伴う調査で、京の中心から北東約2キロの桜井市西之宮で出土した。京内の水洗トイレ遺構としては8例目。
 住宅の敷地内の地面に細長い穴(長さ7メートル以上、幅約1メートル、深さ約40センチ)を掘り、水が流れていた京の大路の側溝と2本の溝で接続。1本で敷地内に流水を引き入れ、汚水はもう1本で同じ側溝に流すように整備していたとみられる。
 橿考研はこのトイレ跡で、大便に混じって体内から排出され、土の中に残る寄生虫卵を調査。その結果、ブタやウシの肉を加熱不十分な状態で食べて感染する有鉤(ゆうこう)・無(む)鉤(こう)条虫卵を、京跡で初めて確認した。
 外国の使節が滞在した鴻臚館(こうろかん)跡(福岡市)や秋田城跡(秋田市)などではこのタイプの寄生虫卵が見つかっている。橿考研は水洗トイレがあった住宅にも、ブタなどを食べる習慣を持った中国や朝鮮半島などからの外国人がいた可能性があるとみている。
 観覧無料。時間は平日午前8時半~午後5時15分。問い合わせは橿考研(0744・24・1101)。」
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 ウィキペディア
 藤原宮は、古代の日本で大和の藤原の地(現在の奈良県橿原市)に営まれた宮殿である。5世紀のものと、7-8世紀(694年から710年まで)のものの2つがある。
 最初の藤原宮は、允恭天皇の妃、弟姫(衣通郎姫)のために建てられたと伝えられる。『日本書紀』によれば、姫が住んだのは允恭天皇7年(418年)12月から翌8年(419年)2月まで3か月ほどのわずかな期間で、その後天皇の居所からさらに離れた河内の茅渟に移された。これは多分に伝説的なものである。
 二度目の、有名な藤原宮は、持統天皇が造った藤原京の宮殿である。持統天皇4年10月29日(690年12月5日)に太政大臣高市皇子が宮の場所を視察し、同8年12月6日(694年12月27日)に天皇が遷った。和銅3年3月10日(710年4月13日)に元明天皇平城宮に遷るまで用いられた。宮地は発掘調査されている。詳しくは藤原京を参照のこと。
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