🗾34〕─1─勤勉さ、一生懸命に働くという事。狩猟採集→農耕牧畜。〜No.149No.150No.151 

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 人類の食に対する将来への期待とは。
 狩猟採集→農耕牧畜→生産工場・養殖場→偽装肉・ニセ肉。 
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 2022年4月号 Voice「一生懸命に働くということ
 長谷川眞理子
 私たちは、毎日勤勉に働き、一生懸命何かを追求することが当然で、良いことだと信じている。怠(なま)けるのは悪いことだし、人間は向上心がないといけないと思っている。現代生活では、そのとおりである。
 しかし、ヒトという生物が進化してきた過程の大部分では、そうではなかったようだ。勤勉さ、一生懸命、向上心などという性質が美徳になったのは、せいぜい1万年前以降のことなのである。というか、こんな考えは1万年前に初めて出現したのだが、誰もがそう考えるようになったのは、ここ数百年ぐらいのことなのかもしれない。
 人類は、霊長類のなかの大型類人猿の仲間に属する。霊長類はみな、葉や果物を主食としており、ときどきは昆虫や、稀(まれ)に哺乳類の肉も食べる。そんな人類が出現したのは、およそ600年前で、そのころは現生のチンパンジーと似た生活をしていた。やがて、狩猟によって哺乳類などの肉を食べる量が増していき、マンモスなどの大型獣も狩猟するようになった。そんな狩猟採集生活が、1万年前まで続いたのである。600万年の進化史を考えれば、600分の599がそうだった。
 狩猟採集生活は、当然ながら、電気もガスも水道もない暮らしだ。食料がたくさんとれても、それを貯蔵するのは難しい。だから、その日の必要以上にとっても、かえって困るだけだ。火を炊(た)いて調理などをするキャンプをつくり、そこで寝るが、食物が少なくなると場所を変えるために移動する。そのときには、持ち物を全部担(かつ)いで歩かねばならないので、不要な物はなるべく持たない。だから、所有物をため込むようなことはない。
 自然の恵みをどのように利用するかは、長年の知恵の蓄積によって次世代に伝えられていく。ときには、槍などの技術に改良を加えられたり、新しい猟場が発見されたりすることもあるが、暮らし向きのほとんどは、その日の運次第の毎日だ。どうしても食料がとれないときは、みんなが飢えるだろう。誰もがお腹をすかせ、弱い者は餓死することになるが、嘆くしかない。また運がめぐってきて、たくさん食料がとれたときには、大喜びしてみんなで満腹になる。2、3日は寝て過ごせるかもしれない。
 みなさんは、こんな生活を想像できるでしょうか?これは、現代の生活とはあまりにもかけ離れた生活だ。しかし、人類は、その進化史の600分の599をこのようにして過ごしてきたのであるから、いまの私たちのほうが『おかしい』のである。それほど、この文明の進展の速度は速かったのだ。
 狩猟採集生活で一生懸命に働くのは、『いま、ここ』でやっている作業のときのことだ。いま、シカを追いかけていて、もうすぐ仕留められる。いま、地下茎がたくさんある場所に来たので、どんどん掘れねばならない。そういうときには、一生懸命に働く。しかし、そこでもっともっと働いて、さらにたくさん食料をため込んでも仕方がない。とり過ぎた肉も植物も、ただ腐るだけだ。つまり、『将来の期待のため』にさらなる努力をすることに意味がないのである。
 農業と牧畜の発明は、この状況をすっかり変えた。そもそも農業とは、将来の収穫のために、いま、勤勉に働く作業である。いまの食料の作業の成果だ。だから、つねに『いま、ここ』ではなくて、将来のために一生懸命働いている。牧畜も同様で、『いま、ここ』で家畜の世話をしていることの成果は、将来になって、大量の肉やミルクとなってくるのである。穀物は貯蔵できるし、家畜も何頭でも増やすことができる。だから、いま食べられるだけの量に限定する必要はない。定住して家を建てるので、もう物を自分が運ぶ必要もないから物が増えても大丈夫。こうして『どん欲』が可能になった。
 農業と牧畜の発展は、やがて近代文明になり、産業化が興(おこ)り、多くの人びとが社会などの組織で働いて給与をもらう生活になった。ここで一貫してあるのは、『将来の期待のため』に働くことだ。いま一生懸命に働く、そのうち給料が払われる。もしかすると給料が上がるかもしれない。子どもが毎日学校に通って勉強するのも、将来のためだ。将来、よりよい生活を送れるようにするための準備である。
 狩猟採集民たちは、そんな『将来の期待のために』働くことはしない。彼らは、『いま、ここ』のために働いているのであり、それは楽しいことなのだ。子どもたちは、狩猟採集の技術を習得せねばならないが、それはみな『遊び』のなかで学ばれていく。大人につくってもらった小さなおもちゃの弓で、獲物を捕るまねをすることは、将来のための学びには違いないが、いまそれをやっているのが楽しいからなのだ。彼らは、大人でも子どもでも、楽しくないことはしない。『将来の期待のために』、現在、何も楽しくないのに努力することはないのだ。
 農業と牧畜の発明以来、社会の状況はすっかり変わった。とくに高度成長期のような文明の一時期には、いまどんなに苦労しても、将来のために努力すれば、その将来は絶対によくなる、という期待をみんながもてたのだろう。
 そういう右肩上がりの時代は終わりを告げつつある。『勤勉さ』は、私たちをこれからどこへ連れて行くのだろう。」
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