👪29〕─2─日本人の悩みは閉塞感ではなく疎外感・仲間はずれの恐怖。〜No.141 

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 現代日本のいじめ・イジワル・嫌がらせは、疎外感・仲間はずれの恐怖が原因である。
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 2023年10月25日 MicrosoftStartニュース JBpress「精神科医和田秀樹が語る、多くの日本人を悩ます疎外感と仲間はずれ恐怖
関 瑶子
 「学校教育から競争をなくした結果、子どもたちは仲間の数を競うようになり、スクールカーストが生まれた」と和田秀樹氏は語る(写真:アフロ)
 © JBpress 提供
 こんなことを言ったら嫌われるのではないか、あんなことをしたら周囲から浮いてしまうのではないか。そう思い、本当に言いたいこと、やりたいことができなかったという経験をしたことはないだろうか。もしあるとしたら、それはあなたが、疎外感や仲間はずれにされることを極度に恐れている証拠である。
 なぜ、私たちは仲間はずれにされることを恐れるのか、仲間はずれを極端に恐れる人で社会が構成されると何が起こるのか。そして、仲間はずれの恐怖から解き放たれるためには、何が必要なのか。『疎外感の精神病理』(集英社)を上梓した、精神科医和田秀樹氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──本書のタイトルは「疎外感の精神病理」です。「疎外感」とは、どのようなものなのでしょうか。
 和田秀樹氏(以下、和田):「疎外感」は、精神医療の世界では比較的注目されている病理です。
 昨今では、「孤立」という言葉を耳にする機会が多いかと思います。「孤立」は客観的に見て他者との交流が少ないという状態です。孤立していても、その状態が快適である、そのほうが気楽だ、と感じている人も当然います。
 しかし、孤立している人の多くは「私は仲間はずれにされている」「誰にも相手にされていない」という感情を持っています。実際にひとりぼっちで、誰にも相手にされておらず、それを苦痛に感じているという感覚を精神医学の世界では「疎外感」と呼んでいます。
──書籍中では、「疎外感」以外にも「疎外感恐怖」という言葉が何度も出てきました。
 和田:私は1960年生まれですが、このくらいの世代の日本人は、テストの順位が公然と張り出され、運動会の徒競走では順位をつけられる、というような学校生活を経験してきたと思います。
 しかし、いつの頃からか、学校教育は競争排除の方向に向かっていきました。勉強が苦手な子を傷つけないよう、テストの順位は公開されなくなり、運動が苦手な子が委縮しないよう、徒競走の順位付けもなくなりました。
 残念なことに、人は「他者より勝っている」と思いたい生き物です。勉強や運動で競争ができなくなった子どもたちは、「仲間の数」を競うようになりました。
 ある時期から、仲間をつくれない子どもたちは欠陥品のように扱われるようになったのです。友達が多い子が「いい子」になり、友達ができない子どもは「自分はダメな人間だ」と思ってしまう。
 そのような環境では、仲間はずれにされることは恐怖以外の何物でもありません。これこそが「疎外感恐怖」の正体です。
 いじめの内容も変化しました。1990年代半ばまで、被害者が自殺に追い込まれるような事件では、暴力や金品の恐喝がいじめの主な内容でした。
 しかし、昨今では、ある日、突然LINEのグループから外すというような「仲間はずれにする」いじめが横行しています。強い疎外感恐怖を感じている子どもたちにとって、これに勝る苦痛を与えるいじめはないと思います。
 「競争を排除するのではなく、競争の軸を増やす」
──学校教育が競争を排除したために、友達の数の多さの競争が激化し、スクールカーストが生まれた、ということが書かれていました。
 和田:教育評論家の森口朗氏の『いじめの構造』(新潮社)によると、スクールカーストはクラス内の世論をつくるトップの1軍、1軍に合わせてクラスの雰囲気をつくっていく2軍、そして仲間はずれの3軍から形成されています。
 2軍の子どもたちは、仲間はずれにされているわけではありませんが、ちょっとした言動から3軍に落とされる可能性があります。そのため、自分の言いたいことがなかなか言えず、絶えず周囲に気を遣って学校生活を送っている。
 例えば、今年の3月はWBCで日本代表の活躍が毎日のように話題になっていました。野球にあまり興味がないけれども、クラス全体の空気に合わせるかのように一緒に盛り上がっているふりをしていた子もいたはずです。「オレ、あんまり野球好きじゃないんだよね」「大谷翔平のどこがすごいの」なんて言おうものなら、3軍落ち確定です。
 2013年に、精神科医・心理学者であるアルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を解説した書籍『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)がベストセラーになりました。これは、言いたいことを言えない、嫌われる勇気を持てない人がそれだけ多いということを意味しているのではないでしょうか。
──仲間の数を競うスクールカーストを根絶するためには、学校教育に競争要素を再び取り入れるべきなのでしょうか。
 和田:学校の先生の仕事は、40人のクラスであれば、40人それぞれが何かの1等賞をとれることを探してやることだと私は思っています。何だっていいんです。誰よりもうまく絵を描ける、字がきれい、忘れ物が少ない、ポケモンに詳しい。
 「自分は自分なんだ。これでいいんだ」と子どもたちが思うためには、いっぱい競争を用意して、何かの競争であれば一番になれる、という環境を準備してやることがいいのではないでしょうか。
 つまり、学力やスポーツしか競争がなかったということがよくなかった。競争をなくすのではなく、競争の軸を増やすべきだったのです。
 理想論にはなりますが、競争はたくさんあるから、絶対にどこかで勝てるようにしてあげられるという考え方を、教育現場の方には持っていただきたいと思います。
 疎外感や疎外感恐怖から解放されるには
──仲間はずれを極端に恐れる環境で育った子どもたちは、周囲の目を気にしてチャレンジできないような大人になってしまうのではないでしょうか。結果として、「新しいビジネスに乗り出そう」と考える人材が育たないように感じられたのですが、いかがでしょうか。
 和田:私もそう思います。多くの日本人はあまり意識していませんが、日本は30年間成長がなく、賃金が上がりませんでした。1人あたりのGDPは、韓国や台湾に抜かれています。
 そんな状態なのに、なんとなく周りと同じレベルの生活をし、ファストファッションを身につけ、ファストフードに舌鼓を打つ。それに違和感がない。ひとりだけ高級ブランドを持って目立つよりかはそのほうがいいという感覚になっている。
 30年も経済が停滞していたら、何か変わったことをしようとする人が出てきてもおかしくはないのに。
 昨年、私が書いた『80歳の壁』(幻冬舎)という本が年間ベストセラーになりました。でも、私の本がいくら売れても、テレビ局、ラジオ局から「高齢者向けの番組をつくりたいのですがアドバイスをください」だとか、メーカーの人から「僕らと組んで高齢者向けの新しい商品・サービス開発をやりましょう」という相談は1件もありませんでした。
 現在、日本では65歳以上の高齢者が、人口の約29%を占めています。思い切って高齢者向けのビジネスを始めれば、ヒットは出るはずです。「高齢者向けのマーケットを開拓しよう」と考える人はいるとは思います。ただ、考えていても、それを言い出しにくい雰囲気が、会社や組織の中にあるのではないのでしょうか。
 企業の文化としては、若い人が発言する機会は増えていると思います。しかし、幼いころから疎外感恐怖、仲間はずれ恐怖に蝕まれてきた若い人たちは、周りと違う意見を言うことが、とんでもなく怖いのです。
 日本が新しいビジネスやサービスの開拓により経済発展を遂げるためには、日本人が疎外感や疎外感恐怖から解放されなければなりません。その一歩を是非、踏み出してもらいたいと思っています。
──一歩踏み出すためには、何が必要でしょうか。
 和田:やってみないとわからない、という当たり前のことに気付くことだと思います。
 実験精神を持ち続けるために必要なこと
 和田:嫌われるかもしれないと思って言ったことがウケることもあるかもしれません。それこそジャニーズ問題だって、言い出しにくい雰囲気の中、勇気をもって声を上げた人が、今、受け入れられているわけです。
 やる前から答えが決まっているものはありません。やってみて、初めて答えが出る。
 私は、2021年に『70歳が老化の分かれ道』(詩想社)という本を出しました。この本は、2022年上半期ベストセラー第1位になりました。
 当時の出版業界には、「タイトルに年齢を書くと売れない」という思い込みのようなものがありました。
 でも、「70歳」という年齢をはっきりとタイトルに示した本がベストセラーになった。これは、『70歳が老化の分かれ道』というタイトルを採用してくれた、詩想社の金田一社長の成果です。わけのわからない思い込みを信じ込むことなく、やってみたら「売れる」という答えが出た。
 嫌われるかどうか、仲間はずれになるかなんて、やってみないとわからないし、言ってみないとわからない。仮に白い目で見られたとしても「そんなつもりで言ったんじゃなかったんですよ」とちゃんと弁明すれば、大概のことは許されるはずです。
 日本人の悪い癖ですが、やる前から答えを決めてしまう方が多い。でも、やってみないとわからない、という実験精神をもう少し身につけてほしいな、と思います。
──若い頃、特に学生時代には、たくさん失敗していいと思います。しかし、社会人として組織に入ってしまうと、実験することは予算等の問題もあり、多少なりともリスクを伴うものではないかと思います。そういった状況に臆することなく、実験精神を持ち続けるには何が必要なのでしょうか。
 和田:失敗を織り込み済みにするかどうか、ということだと思います。
 失敗をしても1000万円くらいの損失であれば試しにやってみよう、というような上層部の寛容さが必要です。どんな失敗をしてもいいから、いろいろなアイディアを出しましょうという人はたくさんいると思います。でも、ここまでの損失だったらとりあえずやってみようという人は、日本にはほとんどいないのではないでしょうか。
 金銭的な損失よりも怖いのは、レピュテーションリスクです。ばれたときのリスクが大きいにもかかわらず、日本の会社は失敗を隠蔽する傾向があります。東芝粉飾決算事件がその典型です。
 日本はレピュテーションリスクに関する管理が甘い一方、積極的な行動に対してはリスクを異様に恐れる。そこは本来、逆にすべきでしょうね。
 「嫌われる勇気」の本質
──アルフレッド・アドラーの『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)について、和田先生は「『嫌われる勇気』というのは、人から嫌われてもいいという勇気を持とうという意味ではなく、共同体感覚の世界にいれば、嫌われる心配をしなくてもすむということでしょう」と考察されていました。「共同体感覚」とはどのようなものなのでしょうか。
 和田:日本人が「共同体感覚」と聞いて思い浮かべるのは、共同体のおきてを破ったら村八分だというようなものですよね。しかし、アドラーは、自分のためだけに生きるのではなくて、人に何かをやりたいと思えるような人間に成長していくことが共同体感覚である、としています。
 アドラーの共同体感覚は、日本語で言う「身内感」に近い。「このメンバーの中であれば、おかしなことを言っても嫌われない」と思えるような感覚です。例えば、仲間内で下品な話や卑猥な話をしても、セクハラだパワハラだと騒ぎ立てられることはないという安心感です。
 また、そういった身内感がある共同体の中であれば、同じ共同体の仲間が困っていたら、一肌脱ぐことも当たり前です。そして、他者を信頼し、他者に貢献することができれば、人は安心感を憶えます。すると、ありのままの自分を受け入れることができるようになる。
 共同体感覚を持つと嫌われることが怖くなくなり、自分に自信を持つことができる。これこそが、アドラー言わんとする「嫌われる勇気」の本質です。
──一度、疎外感や疎外感恐怖を覚えてしまった人は、共同体感覚に飛び込むことにも躊躇するように思えます。
 和田:とにかく、やってみましょう。先ほどお話した、実験精神を持ちましょう。
 例えば、スクールカーストの2軍にいる1人が「WBCで盛り上がってるけど、オレ、あんまり野球好きじゃないんだよね」と、他の2軍メンバーに打ち明けたとします。
 すると、「実はオレもそうなんだよ!」と同調してくれる人が1人は出てくる。すると、その2人は、たった2人ではありますが、共同体です。共同体でいるときは、とても気が楽です。2人でいるときに言いたいことを言って、クラス全体に対しては適当にいい顔をして振る舞っておけばいいのです。
 仮に「野球があまり好きではない」とカミングアウトして、白い目で見られても大丈夫です。即座に「どちらかと言うとサッカーのほうが好きってだけで、やっぱり、大谷翔平ってすごいよね」とでも言い訳をしておけば、仲間はずれにはならない。
 実験的にカミングアウトして、失敗したら言い訳をして……ということを繰り返していれば、あなたの主張を受け入れてくれる人がきっと現れるはずです。
──先ほど、ジャニーズの性加害問題のお話がありました。少し前までは、ジャニーズ事務所に何か問題があったとしても、マスコミはほとんど報道をしないという姿勢をとっていました。しかし、今では手のひらを返したようにジャニーズ事務所を叩くような報道がされています。この点について、どのように感じていらっしゃいますか。
 叩ける存在をボコボコに叩く日本人
 和田:人を叩くということは、ある種の「嫌われる勇気」をふるうことです。しかし、日本のよくないところは、「みんなで叩けば怖くない」という風潮があることです。
 たとえば、世界保健機関(WHO)は、たばこ消費の削減に向けて、2005年からたばこを規制する条約を発効しています。それ以前からのWHOの奮闘で、世界的な喫煙率を下げることに成功しました。さらに日本も条約に調印し、今や喫煙者は非常に肩身の狭い思いをしながら、喫煙所を探して街をさまよい歩いています。
 WHOがたばこの次に目の敵にしているのは、アルコールです。2023年1月にWHOは「健康にとって安全なアルコール摂取量はない」という声明を発表しました。
 以前から海外では、WHOの勧奨もあってアルコールが健康に及ぼす弊害を考慮し、アルコールの飲酒シーンのあるCMの放送禁止、酒類の24時間販売の禁止を実施している国が多くありました。しかし、日本はどうでしょう。
 テレビをつければ人気タレントが美味しそうにアルコールをぐびぐび飲むCMが放送されていますし、コンビニに行けばいつでも酒類を買うことができます。
 飲料メーカーは、広告代理店にとっては重要な大手のお客様です。そして、同時にテレビ局にとっても大切な広告主様です。大手広告代理店とテレビ局が、アルコールがたばこと同様の扱いになっては、商売が成り行かなくなると危惧して、アルコールに対して忖度しているような気がしてなりません。
 叩いていいたばこはボコボコに叩くけれども、聖域である酒類は叩いてはいけない。仲間はずれ恐怖の中で、叩いてもいいものだけはみんなで一緒に叩くという構造が日本にはあるのです。
 叩いていいたばこはボコボコに叩くけれども、聖域である酒類は叩いてはいけない。仲間はずれ恐怖の中で、叩いてもいいものだけはみんなで一緒に叩くという構造が日本にはあるという(写真:アフロ)
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 さらに、一度決まってしまった意見に反することを言いにくい雰囲気が日本にはあります。たとえば、たばこを吸っていたらメンタルヘルス的にいい面もある、なんて、とても言えない世の中ですよね。まさに疎外感恐怖の病理です。
 精神科医和田秀樹が語る、多くの日本人を悩ます疎外感と仲間はずれ恐怖
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──最後に、疎外感を感じている方へ、メッセージをお願いいたします。
 和田:疎外感を憶えている方は、周囲に合わせられない自分はダメな人間だと何となく思ってしまっていると思います。
 勉強ができなくても、運動ができなくても、さらには周りの人と合わせることができなくても、他の点で優れていたら、それでいい。誰かがあなたの素晴らしい面を見つけ、それを面白がってくれるはずです。その人と共同体をつくればいいのです。
 みんなと合わせなければいけない、自分の本音を言ったら嫌われるに決まっている、という思い込みはやめましょう。少し変わっているあなたを好いてくれる人や仲間は必ずいます。99%の人に嫌われても、1%の人に好かれたらそれでいいんです。
 みんなと同じでなければならないのではなくて、みんなと同じでない自分を大事にしてください。
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