☱21〕─3・K─関東大震災「朝鮮人虐殺100周年」。日本に謝罪を強要する韓国。~No.48 

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 一度起きた事は、同じクライシスが襲ってくると二度三度起きる危険性がある。
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 日本国内には、韓国や北朝鮮に協力する日本人が存在する。
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 2023年12月26日17:05 YAHOO!JAPANニュース 朝鮮日報日本語版「日本に謝罪要求もしない韓国政府…関東大震災朝鮮人虐殺100周年」の今年ですらできなければ機会は消失【記者手帳】
 (写真:朝鮮日報日本語版) ▲9月1日、東京都千代田区の国際フォーラムで開かれた民団主催の「第100周年関東大震災韓国人殉難者追念式」。/写真=在日韓国大使館
 数多くの朝鮮人が無残に犠牲となった関東大震災からちょうど100年の今年9月1日、東京で在日本大韓民国民団(民団)主催の「第100周年関東大震災韓国人殉難者追念式」が開かれた。鳩山由紀夫元首相、山口那津男公明党代表などが出席したが、韓国政府が出席に尽力していた菅義偉・日韓議員連盟会長、麻生太郎自民党副総裁といった日本政界の実力者らはいなかった。岸田文雄首相の弔花もなかった。
 【写真】森達也監督「善良な日本人、集団に埋没して暴走…それが虐殺であり戦争」
 朝鮮人虐殺問題は過去100年間、幾つもの証拠と研究資料を通して数え切れないほど確認されてきた。だが日本政府は「事実を確認するのは困難」という立場を固守している。今年も、過去の文書を根拠とする野党・メディアの問いがたびたびあったが「確定的なことを申し上げるのは難しい」と避けて通った。日本政府の報道官を務める官房長官は「政府の調査に限定すると、事実関係を把握できる記録は発見されなかった」と述べた。
 さらにとんでもないのは、被害の当事者たる韓国政府が、日本に対して積極的な姿勢で謝罪を要求していないということだ。外交部(省に相当)報道官が、100周年前日の8月31日に「日本に真相調査の必要性を提起し、真相究明のための資料提供を要請したところ」とし「今後も必要な調査を検討していく予定」と述べたのが全てだ。上海臨時政府は関東大震災直後に調査要員を日本へ派遣し、1923年9月、朝鮮人虐殺に関する真相報告書と共に日本政府に送る抗議文を発表した。この臨時政府を継承する大韓民国政府がぐずぐずしている間に、日本の一部勢力は虐殺自体を否定する歴史歪曲(わいきょく)にまで乗り出した。
 英誌エコノミストは最近、「2023年、今年の国々(The Economist's country of the year for 2023)」という記事で、韓日両国を挙げて「協力の深化のために歴史に対する怒り(grievances)を一時棚上げすることとした」と、関係改善を評価した。過去より未来を見ようという韓国外交の方向性に共感し「韓国がまずコップを半分満たしたから、日本が残りの半分を満たしてほしい」という韓国政府の決断に拍手を送った。しかし、未来へ向かおうとするのであれば、過去の問題にも一段落つけねばならない。被害の当事者である韓国が、言うべきことは言わねばならない事案でも沈黙していたら、コップの残り半分は決して満たされないだろう。外交部は、こういう仕事をするためにある部門だ。
 金隠仲(キム・ウンジュン)記者
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 日本における数千年の災害史において、罪のない日本人・朝鮮人・中国人・その他の人々が日本人によって惨殺された凶悪犯罪事件は関東大震災の一件だけである。
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2023-09-09
🍠9〗─2─明治の浜田地震は大正の関東大震災とは違っていた。備荒儲蓄法布告ノ件。明治5(1872)年2月6日。〜No.31No.32 
2023-09-08
🍙24〗─4─鳥取地震。犠牲となった朝鮮人労働者とその家族28人。昭和18年9月10日。~No.150 
2023-08-28
🍙29〗─4・B─敗戦直後の南海トラフ巨大地震と大正の関東大震災は違う。昭和21年12月21日~No.192 
2023-08-06
☷36〕─1─南海トラフ大震災や東京大震災で中国人や韓国人・朝鮮人の虐殺事件が起きる危険性。~No.91No.92 
2023-12-18
🌌49}─4・D─二つの大地震が一度に東京を襲い、「日本経済が壊滅的被害」を受け地獄と化す未来。~No.247 
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 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。



 12月26日16:05 YAHOO!JAPANニュース 朝鮮日報日本語版「関東大震災100年:四十数人が「悉く殺さる」 朝鮮人虐殺、日本政府の新公文書発見
 (写真:朝鮮日報日本語版) ▲9月1日、東京都墨田区横網町公園にある朝鮮人虐殺犠牲者追悼碑前で僧侶らが祈りをささげている様子。/写真=聯合ニュース
 100年前、日本の関東大震災当時、日本人が朝鮮人を虐殺した事実を記録した日本政府の公式文書が発見された。東京に隣接する埼玉県に駐屯していた陸軍の機関が、関東大震災当時、陸軍省に報告した文書だ。「関東大震災時の朝鮮人虐殺を確認した公式記録はない」という日本政府の立場に正面から反駁(はんばく)する文書だ。1923年9月1日にマグニチュード7.9(推定)の強い地震によって引き起こされた関東大震災は、東京都・横浜市・神奈川県など関東一円で10万5000人が死亡・行方不明となる大災害だった。当時、日本人の間で「朝鮮人が暴動を起こした」などの流言飛語が広まり、数多くの朝鮮人が日本の自警団などによって殺害された。
 【写真】森達也監督「善良な日本人、集団に埋没して暴走…それが虐殺であり戦争」
 25日に毎日新聞が報じたところによると、ジャーナリストの渡辺延志さんが防衛省防衛研究所史料室で、関東大震災発生から3日後に日本人が朝鮮人およそ40人を殺害したと記録した「関東地方震災関係業務詳報」を発見し、公開した。これは当時、陸軍の地方機関として埼玉県において徴兵や在郷軍人の管理などを担当していた「熊谷連隊区司令部」が作成した文書で、同年12月15日に上部機関たる陸軍省に提出された。
 報告書によると、虐殺は同年9月4日、警察官らが朝鮮人およそ200人を埼玉県浦和から深谷・本庄警察署方面へ移送する過程で発生した。当時、朝鮮人暴動説が出回っていた状況下、関東地方の警察官は「朝鮮人を保護する」という名目で朝鮮人を集め、警察署に移送した。報告書には、昼間に移送できないまま残されていた朝鮮人およそ40人が、熊谷市内の各所で殺気立った群衆によって殺害された、と明記している。
 報告書は、この事件を「鮮人虐殺」と称し、「朝鮮人は結局、一人も(警察署や日本人を)襲撃しなかった。毒を(井戸に)入れたという話も聞かなかった」と記していた。日本人の自衛に該当し得ないという点を明確にし、こうした行為を「不法行為」と適示した。報告書は、こうした事例を教訓とし「今後朝鮮人を移送する際は夜間を避けねばならず、夜間の移送は殺害される危険がある」とも指摘した。
 ただし報告書は、殺害の主体を「殺気立った群衆」とのみ記し、殺害の容疑者の名前や組織は具体的に記述しなかった。むしろ、在郷軍人会熊谷支部長が、朝鮮人関連の流言飛語を信じる日本人のことを「事理を解せざる蒙昧(もうまい)の徒」と非難する内容を含んでいる。当時、朝鮮人虐殺は各地の在郷軍人会や自警団が主導したものといわれていたが、この地域の在郷軍人会は違った、という説明だ。
 毎日新聞は「陸軍省が実態調査をした資料で、当時日本政府が違法な虐殺の事実を認識していたことを意味する」と報じた。この報告書は、陸軍省の副官が1923年11月2日に、大震災と関連がある関東地方の全ての部隊に「同月25日までに陸軍大臣参謀総長に(大震災関連の)活動内容を報告せよ」と指示したことにより作成された。今回発見された熊谷連隊区司令部の報告書は、時限を過ぎた12月15日に提出された。日本政府内に、全体の実態調査資料が存在する可能性があるのだ。ただし報告書には、朝鮮人保護の責任がある警察の失策を強調する記述が多く、当の陸軍の過ちはほとんど記述していなかった。毎日新聞は「軍が自分たちを美化しているきらいはあるにせよ、警察との温度差は興味深い」と報じた。
 現在、日本政府は、関東大震災における朝鮮人虐殺の事実を公式に否認している。今年8月、当時の松野博一官房長官は記者会見で、朝鮮人虐殺に関連して「政府内では事実関係を把握できる記録が見当たらない」という立場を表明していた。今回の文献に関する日本政府の公式な立場まだ出ていない。文献を発見した渡辺さんは「日本人がなぜ朝鮮人虐殺に走ったのか、資料に基づいて全容解明しなければならない。単に集団的な精神異常状態だったとか、権力による虐殺だという陰謀論のような説明では不足」と語った。
 成好哲(ソン・ホチョル)記者
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 関東大震災100年:虐殺現場に立つ日本の青年たち「私たちが記憶していく」
 関東大震災100年…埋もれる朝鮮人虐殺
▲9月2日、東京都墨田区にある荒川の木根川橋の下で、日本の市民団体「百年」に所属する若者たちが、関東大震災当時朝鮮人虐殺を目撃した日本人らの証言を朗読している。/写真=成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長
▲9月2日、東京都墨田区にある荒川の木根川橋の下で、日本の市民団体「百年」に所属する若者たちが、関東大震災当時朝鮮人虐殺を目撃した日本人らの証言を朗読している。/写真=成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長
 9月2日午後2時30分、東京の町外れに当たる墨田区。荒川に架かる木根川橋の下の草地に用意されたステージに、20代・30代の日本の若者16人が立った。マイクを前に置き、関東大震災当時の朝鮮人虐殺を目撃した日本人らの証言を朗読した。「両親と子どもが一緒に並んで座っていたが、刀で刺されて死んだ。見るに忍びなかった」(埼玉県の元巡査、アライ・ケンジロウ)のような目撃談を読み上げる若者たちの声は、時には震えることもあった。「女を殺した」(東京都江東区の亀戸警察署で働いていた羅丸山〈ナ・ファンサン〉の証言)という証言の朗読では、およそ600人の参加者の間から嘆息が漏れた。
 100年前の1923年9月、数多くの朝鮮人が虐殺された荒川の堤防で「関東大震災100年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式」が開かれた。関東一帯を覆したマグニチュード7.9(推定)の大地震で10万5000人が死亡・行方不明になるという、日本史上最悪の災害だった。当時、「朝鮮人が暴動を起こした」という流言飛語を信じた日本人が数多くの朝鮮人を虐殺した。
 虐殺現場の一つである荒川の堤防で、日本の市民団体「ほうせんか」が9月2日に追悼式を開いた。「ほうせんか」は、1982年から毎年9月に追悼式を開いてきた。だが今年の行事は、70代・80代となった「ほうせんか」の昔のメンバーではなく、20代・30代の若者たちが作った「百年」という新しい組織が準備した。「ほうせんか」が、朝鮮人虐殺を追悼する若者を一人ずつ訪ね、「100年追悼行事」の準備を頼んだのだ。この追悼式は日本・韓国・北朝鮮などどこの政府とも関係のない、純粋に日本の市民団体の行事だった。青年らの集まりである「百年」は、「ひゃくねん」とは読まず、韓国式に「ペンニョン」と読む。
 「死んだ人は語ることができません。私たちは、殺害されたあなたの名前すら知りません。100年前にここにいたあなたは誰ですか。来年もここであなたと会いたいです」。朗読会の司会者は「今、私たちはここにいて、あなたも確実にこの場所にいた」と語った。「百年」側は、当時の犠牲者はほとんど名前・本籍を知ることができないものの5人が記録に残っているとして、京畿道出身の朴庚得(パク・キョンドゥク)さん、全羅南道出身の金在根(キム・ジェグン)さん、いずれも済州島出身の趙妙城(チョ・ミョソン)さん、趙正洙(チョ・ジョンス)さん、趙正夏(チョ・ジョンハ)さんという5人の身元を明らかにした。「百年」メンバーのワタナベ・シュウさんは「100年前の過去を現在につなぐための活動をしようと思う」、アサノ・モエさんは「殺す側に立つのではなく、差別に立ち向かう(日本)社会をつくりたい」と語った。また別のメンバーは「(第2次大戦当時の)原子爆弾の被害は『きのこ雲』のようなイメージがあるが、(朝鮮人)虐殺は学校で習った記憶すらない」と語った。
 この日の追悼式には、慶尚北道出身の犠牲者ナム・ソンギュさんの孫、クォン・ジェイクさん(66)と慶尚南道出身の犠牲者チョ・グンソクさんの遺族チョ・グァンファンさん(62)が出席した。クォンさんは「祖父が関東大震災で犠牲になった事実は、日本政府でもなく韓国政府でもなく、私が自分で、朝鮮総督府の管理下で作られた文書で見つけた」とし「大正12年9月5日午後9時、群馬県多野郡藤岡警察署で死亡と記録されていた」と語った。また、別の遺族のチョさんは「100周年で終わりではない。引き続き関心を持ってほしい」と述べた。
 追悼式では、20代・30代の若者の姿が多数見られた。ヤマモト・ユウさん(34)は「犠牲者は自分と同年代」とし「将来、同様の過ちを犯さないためには、若い私たちが記憶しなければならない。これから知人にも知らせたい」と語った。ヤナガワ・トモキさん(38)は「加害に加担した日本の責任について知らぬふりはできないという思いで追悼式に来た」とし「関東大震災朝鮮人虐殺は100年前のことではなく、現在の社会にも通じる事件で、今きちんと対応しないと絶対に良い未来につながらない」と語った。
 当初、主催側では120人ほどの参加を予想していた。実際にはその5倍も多い日本人や韓国人が集まった。残酷な証言の朗読が終わった木根川橋の下は、人でいっぱいだった。すぐに、亡者の送別で行う、韓国特有の祝祭の舞台が開かれた。およそ20人がケンガリ(鉦〈かね〉)とチャング(杖鼓〈じょうこ〉)を打つと、チョゴリを着た在日韓国人が舞を披露した。およそ600人の参加者も一緒になった。追悼式が開かれた荒川の草地から徒歩で3分ほどの住宅街にある「朝鮮人虐殺追悼碑」では、同日午後、追悼の歩みが途切れることはなかった。「悼」と書かれた石碑の前には多くの花と共にチャミスル、チョウンデイ、チョウムチョロム、アンドンソジュといった韓国焼酎がたくさん供えられていた。
 成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長
 朝鮮日報朝鮮日報日本語版
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 関東大震災100年:一段と深刻さ増すフェイクニュースの害悪…「100年前の悲劇」を忘れるべきでない理由
 関東大震災100年…埋もれる朝鮮人虐殺
 関東大震災100周年の前日に当たる8月31日、公共放送のNHKは特集番組を放送した。タイトルは「関東大震災100年、私たちの不安がフェイクを広げる」。100年前の関東大震災発生直後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根拠のないうわさを信じた民衆や警察によって韓半島出身の住民らが無残に殺害されたが、命と直結する事態にまで発展する危険がある流言飛語は最近起きた災害でもしばしば広がっている-という内容だった。
 【写真】「動物園からライオンが脱走」…熊本地震(2016年)の際にSNSに投稿された偽ニュース
 1923年9月、東京・神奈川など関東一帯でマグニチュード7.9(推定)の大地震が起きると、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言飛語が日本人の間で広まった。住宅など町全体が壊滅して火災に巻き込まれる混乱の中で、こうしたうわさを信じた日本人らが自警団を組織し、街頭で見かけた朝鮮人を無差別に殺したのが「関東大震災朝鮮人虐殺」事件だ。
 100年が経過した今年、日本の各メディアは、関東大震災当時起きた朝鮮人虐殺事件について例年よりも高い比重で報じている。このところデジタル技術をベースに発達しているソーシャルメディアやAI(人工知能)などが、フェイクニュースをますます危険なものにしていることを警告する記事が多い。朝日新聞は9月1日、「当時『朝鮮人が井戸に毒を入れた』などの根拠なき情報があふれ、実際に大勢の朝鮮人が殺害された」として、流言飛語が虐殺という大きな悲劇にまで至る過程を分析した記事を伝えた。
 実際日本では、大きな地震など災害が発生するたびに、大小のフェイクニュースが広まることがあった。関東大震災のときには、地震発生からわずか1時間で「富士山が大爆発した」「東京にだけ猛烈な津波が襲ってきた」などの誤った情報が警察の報告で入ってきた。地震発生のおよそ3時間後から「朝鮮人が放火した」などの偽りの情報が警察に相次いで入り、次第に具体化し始めた。情報はうそだったが。当時は公に信用のあった「警察情報報告」として受け入れられ、日本政府もこの内容を信じた。
日本メディアは、100年が経過した今、災害に関するフェイクニュースはデジタル技術を通して次第に巧みなものになっていると警告している。例えば2011年3月11日、福島第一原子力発電所事故を起こした東日本大震災では、ソーシャルメディアツイッター(現在のX)に、普段より2倍も多いツイートがあったとNHKは伝えた。事実と共にフェイクニュースも混じって広まった。特に「製油所の高圧ガスタンクが爆発し、(全国に)有害物質の混じった雨が降る」という偽情報は10時間にわたり日本全域で共有された。2016年4月に熊本でマグニチュード6.5の地震が発生したときは「動物園からライオンが脱走した」として、1頭のライオンが夜の町をうろつく、ぞっとするような写真がオンライン空間に出回った。この写真は、その後、日本ではなく海外で撮影されたものと確認された。だがツイッター上だけでも既に2万人がこの写真をリツイートした後だった。
 ソーシャルメディアで流言飛語の伝達力が高まったとすると、ディープフェイク(deepfake。本物に似せて作ったデジタル視覚物)などAI技術の発展は、事実と区別し難い精巧なフェイクニュースを作り出す一助となっている。代表的な事例が、昨年9月にソーシャルメディアで広まった「静岡水没」写真だ。当時、台風15号(アジア名:タラス)の影響で静岡県一帯に豪雨が降ったが、「地域全体が水に漬かった」とする3枚の写真がツイッターに投稿された。この写真は誇張された捏造(ねつぞう)写真だと判明した。既に台風で被害が大きくなっている中、ツイッターで急速に拡散したこの写真により、住民らの間で恐怖が一層つのった。
 2021年2月に宮城・福島一帯で地震が発生したときには、加藤勝信官房長官(当時)が災害の状況をあざ笑うかのような明るい表情で記者会見を行うフェイク写真がツイッター上で拡散し、物議を醸した。国立情報学研究所(NII)の越前功教授は「実在する人物の偽のイメージを一から作り出したり、そもそも存在しない架空のストーリーを作ることすら、(ディープフェイクを通して)可能になった」と警告した。
 キム・ドンヒョン記者、成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長
 【写真】「動物園からライオンが脱走」…熊本地震(2016年)の際にSNSに投稿された偽ニュース
 朝鮮日報朝鮮日報日本語版
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