🎍47〕─3・G─平安時代の「雅び」の闇はどす黒い。~No.149 

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 2024年3月10日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「自宅に連れ込んでリンチ、法皇を弓矢で射撃…藤原氏の「御曹司」たち、実はめちゃめちゃ暴力的だった!
 豪勢な寝殿造りの邸宅を構え、歌合や蹴鞠に興じるやんごとなき平安貴族たち。しかしその裏側では、残忍な事件を起こす凶暴な一面もあった。知られざる「黒い君」たちの血塗られた素顔を明かそう。
 前編記事『部下を撲殺、逆らった人間を拉致・監禁…平安貴族が起こしていた「ヤバすぎる暴力事件」』に引き続き、平安貴族たちが起こしたおぞましい暴力事件について解説していく。
 あろうことか、法皇に弓を引いて……
 藤原家の御曹司・藤原道兼が『光る君へ』第1話からまひろの母を刺し殺し、視聴者に衝撃を与えた一方で、その兄である道隆は、ドラマでは温厚な人物として描かれている。だが彼の子孫たちはその性格を引き継がなかったようだ。
 自宅に連れ込んでリンチ、法皇を弓矢で射撃…藤原氏の「御曹司」たち、実はめちゃめちゃ暴力的だった!
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 長徳2(996)年1月16日、道隆の息子の伊周・隆家兄弟が花山法皇と乱闘に及び、法皇陣営の従者2人の首を切り落として持ち去るという残虐な事件が発生した。
 事件現場となったのは、藤原為光という貴族の屋敷。伊周はこの家に住む為光の三女と、法皇は彼の四女とそれぞれ不倫関係にあった。逢瀬を楽しむ伊周だったが、あるとき「法皇と為光の娘が不倫している」という噂を耳にし、てっきり自分の愛人を奪われたと早とちりしてしまう。そこで法皇が為光の家に来た時を狙い、弟や従者とともに襲いかかったのだ。
 最初は伊周側も威嚇のつもりで矢を射かけたが、これが運悪く法皇の衣服を貫いてしまう。主君を傷つけられたとなると法皇の従者たちも黙ってはいられず、猛然と反撃したことで大規模な集団乱闘となった。
 「当時の上級貴族や皇族は数十人もの私兵を抱えており、それぞれがヤクザの親分のような存在でした。子分からしてみれば、自分たちがデカい顔をするためには親分の権威が必要になる。だから親分のメンツを潰されるのを黙って見ていられず、血で血を洗う乱闘へと発展するわけです」(神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員の繁田信一氏)
 おそらく伊周の従者も頭に血が上り、従者の首を切り落とし手柄として持ち去ったのだろう。後に「長徳の変」と呼ばれるこの事件が原因で、法皇に弓引いた伊周は太宰府、隆家は出雲へ左遷される。実質的には流罪であり、これを機に彼らと対立する道長は絶大な権力を握ることとなった。
 藤原道長(『紫式部日記絵巻』より)
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 殺人未遂事件を起こしても
 そんな父と叔父の背中を見ていたはずの伊周の息子、藤原道雅もまた、親王の従者をリンチで半殺しにするという残忍な事件を起こしている。
 被害者は、三条天皇の息子の敦明親王に仕える小野為明。親王の使いで宮中を移動する際に捕まり、道雅の私邸へ連行され暴行を受けた。記録によると道雅が彼の髪をつかんで打ち倒し、数人で取り囲んで踏みつけ、「死門に及ぶ」ほどの重傷を負わせたという。
 この事件は敦明親王が朝廷に訴えたことで明るみに出て、道雅は謹慎処分を受けた。現代の感覚からすると殺人未遂にしては軽すぎる処分だが、そのことが当時の貴族社会の実情を表している。
 「貴族たちは自らの権威を守ろうとするため、身内の犯罪に非常に甘い。皇族に手を出した場合は別ですが、上級貴族の道雅が為明のような下級貴族を半殺しにしても、罪に問われることはまずありません。このケースは親王が訴えたから処分されたのであり、むしろ厳罰だったと言えますね。
 平安時代において、特権を持った上級貴族たちは『上級国民』でした。格差が当たり前の身分社会だからこそ、やりたい放題できたわけです」(繁田氏、以下「 」内は同)
 小倉百人一首にも歌が収められている藤原道雅だが、裏の顔は……
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 逆転の切り札は「呪い」
 では身分が低く権力を持たない人々が上級貴族に虐げられるばかりだったかというと、必ずしもそうとは言い切れない。彼らに残された一発逆転の手段が呪いだった。
 寛弘6(1009)年1月30日、内裏で呪符(呪いの言葉を記した札)が発見され宮中は大騒ぎになった。
 呪われたのは道長とその娘で一条天皇中宮の彰子、彼女の息子で道長にとっては自身の権力の源でもある「次代の天皇」の敦成親王の3人。当時の警察にあたる検非違使の捜査の結果、捕らえられたのは円能という陰陽師だった。
 「当時は安倍晴明のような朝廷に仕える官人陰陽師だけでなく、民間にも陰陽師が存在しました。僧侶のような姿をしていた彼らは『法師陰陽師』と呼ばれ、謝礼と引き換えに雇い主の敵を呪い合っていたと考えられます」
 実行犯が逮捕され円能を雇った黒幕が明らかになり、事件は一気に解決へ向かう。真犯人は道長を倒して伊周の復権を狙う、彼の叔母・高階光子と義理の兄・源方理だった。
 「平安時代の法律では、暴行や殺人未遂よりも呪詛のほうが重罪でした。そのため光子と方理にも、貴族身分を剥奪し特権をすべて停止するという異例なほど重い処分が下されています。貴族にとって呪いとは、それほどまでに恐れるべきものだったのです」
 怪演が話題になっている安倍晴明役のユースケ・サンタマリア[Photo by gettyimages]
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 意に沿わない相手を拉致し、大した理由もなく従者を撲殺し、一発逆転を狙って相手を呪う―こういった貴族たちの実態は、一般的な『源氏物語』の世界とは程遠い。
 「日本人が抱いている平安時代のイメージは、古文の授業を通して形成されています。だから文学作品に描かれているような、美しい光景しか想像できないわけです。
 しかし今も昔も、人間が欲望に駆られた存在であることに変わりはありません。その意味で平安貴族たちは、非常に人間臭い存在でもあるのです」
 平安貴族が秘めた暗い闇を想像すれば、『光る君へ』もより深く味わえるはずだ。
 さらに関連記事『部下を撲殺、逆らった人間を拉致・監禁…平安貴族が起こしていた「ヤバすぎる暴力事件」』では、藤原道長が起こした暴力事件についても明らかにしていこう。
 『週刊現代』2024年3月9日号より
 自宅に連れ込んでリンチ、法皇を弓矢で射撃…藤原氏の「御曹司」たち、実はめちゃめちゃ暴力的だった!
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 自宅に連れ込んでリンチ、法皇を弓矢で射撃…藤原氏の「御曹司」たち、実はめちゃめちゃ暴力的だった!
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