☴16〕─4─6カ国協議で最後に中国共産党が主導権を握り、日米の外交は失敗した。2003年~No.67No.68 

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 日朝首脳会談は、日本国と朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)との首脳同士による会談。2002年と2004年に2回開かれた。この会談により日本人拉致被害者の5人が帰還した。
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 日本のエセ保守やリベラル左派は、北朝鮮に同情的で、メディアや教育の場で日本人拉致を否定し北朝鮮を擁護していた。彼らは、日本人拉致事件が事実と判明しても素知らぬ顔で謝罪も反省もせず何時も通に活躍し、日本人拉致事件が解決しない最大の原因は彼らにある。 
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 2024年3月19日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「「6カ国協議で「軒を貸して母屋を取られた」 北朝鮮問題、最後は中国が主導権握る 国際舞台駆けた外交官 山本忠通氏(12)
 北朝鮮が行った固体燃料式の中長距離弾道ミサイルの試射。日本にとって脅威だ(朝鮮中央通信=朝鮮通信)
 公に目にする記者会見の裏で、ときには一歩も譲れぬ駆け引きも繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。外務省のみならず国連でも事務総長特別代表を務めるなど国際舞台で活躍してきた山本忠通氏に、半世紀近くにわたった外交官生活を振り返ってもらった。
 【写真】駐日大使も務めた王毅共産党政治局員兼外相
国防総省国務省の暗闘
 《2002年6月、ボストン総領事から駐米公使へと異動になった。ブッシュ米政権内では、フセイン政権下のイラクに対し、先制攻撃の必要性を唱えるラムズフェルド国防長官らの「ネオコン」グループと、パウエル国務長官らのハト派が攻防を繰り広げていた》
 私は政治担当公使として、国務省と頻繁に連絡を取っていました。国務省は、フセイン政権後のイラクのあり方を考える「イラクの未来」プロジェクトを立ち上げ、英仏独伊など各国の外務省と連携していました。米国など国外在住のイラク亡命人とも接触し、教育や衛生、刑務所のあり方、社会復帰策などを検討していました。ワシントンや欧州では、国際会議が開かれた。私は討議内容を聴き、日本にも報告していました。
 米国のイラク政策は、国務省国防総省ホワイトハウスで議論を戦わせた結果、国防総省主導で固まった、といわれています。
 イラクに軍事攻撃を行うことについては、国際的にも意見が割れていた。日本を含め、多くの国は国連安全保障理事会で討議すべきだと考え、米国もこの大勢に従い、本件を国連に持ち込んでいました。
 そうした中、パウエル国務長官安保理で、イラクによる大量破壊兵器開発の証拠があると強く主張した。既に、米政府内で政策の主導権争いは終わっており、米国は安保理決議で正当性を得る前に、イラク攻撃に踏み切りました。パウエル氏は後に、心に残る間違いだった、と述べています。
 日本は最後まで軍事ではなく、外交的な手段を尽くすべく、フランスなどと連携しながら外交努力を重ねていました。しかし、いったん攻撃が開始されると、米国の同盟国として全面的に米国支持に回りました。
 私個人としては、国際社会が手を尽くさない段階で、米国がイラクを攻撃することに反対でした。私はこのとき、外交の難しさと国の立場を踏まえた冷徹な判断の必要性を痛感したのです。個人の考えと、日本としてどう対応すべきかは必ずしも一致しないことに初めて直面しました。国の利益を考えて行動するのが当然ですが、私は大きく戸惑い、複雑な気持ちになったことをよく覚えています。米政府は、日本政府の強い支持を歓迎しました。
■6カ国協議の仕掛け人
 《北朝鮮の核問題を巡り、日本、韓国、米国、中国、ロシア、北朝鮮が参加する「6カ国協議」の枠組みが03年に発足した》
 6カ国協議の考えを初めて打ち出したのは、私だと思います。当時、ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)の担当者は知日派で友人のマイケル・グリーン氏。彼とは1週間に2、3度会っていました。
 ある日、彼と北朝鮮問題について話しました。私は韓国に駐在した経験もあり、「この問題を動かすには、中国が本気になって関与しないと駄目だ。6カ国で話し合う枠組みを立ち上げ、中国に真剣に関与させる事態を作り出すのがいい」と提案しました。
 彼は賛同し、「(国家安全保障問題担当の大統領補佐官だった)ライスにその話を上げる」と言い、動いてくれました。私も大使に報告した上で、本省に報告。この結果、ライス氏も、東京(外務省)も「これで行こう」ということになりました。ただ、中国に提案するのは米国から、という判断に。結果として、中国が応じてきました。
 協議第1回目の開催地は北京。私は北京に飛びました。中国代表は王毅氏(現・共産党政治局員兼外相)。彼は日本側の話をもよく聞き、とても謙虚に振る舞っていた、という印象があります。
 しかし、中国は協議を重ねるうちに、主導権を発揮していくのです。〝軒を貸して母屋を取られる〟とでもいうのでしょうか。彼らはある意味、慎重に外交を行い、状況をよく見極めた。プロフェッショナルでした。
■交渉時は〝別の顔〟
 《05年12月、北朝鮮核問題(廃棄・検証)担当大使に就任した》
 核開発と並ぶ最大の懸案はミサイル実験や開発の問題です。北朝鮮は日本に近く、短距離弾道弾であっても脅威だったからです。
 北京での交渉で、私はミサイル開発問題を取り上げることになっていた。ところが、北朝鮮は踏み込んだ話を一切せず、〝日帝〟の話を始めた。つまり、日本が植民地時代、自分たちに何をしたか、という内容で、「日本は償うべきだ」との話ばかりです。
 「ミサイルの話をするためここに来た」と強調しても、「ミサイル開発を禁止する国際規律はなく、自由だ」と述べるだけで、中身に入ってくる様子が全くみられない。日本を一方的に責め立てるだけで、議題の意味がない状況でした。
 彼らは食事の席では、「私は英文学を専攻していた」などと言って、普通の会話をするのです。そのときの顔つきと、交渉時の顔つきがまるで違う。能力的にはなかなか優秀だし、ジョークも分かる人たちだが、私の知っている韓国の外交官とあまりに違う。妙な感じでした。(聞き手 黒沢潤)
 〈やまもと・ただみち〉1950年生まれ。東京工業大卒。74年に外務省入省。北米第1課長、在韓国、在米国政務公使などを経て2006年、広報文化交流部長。08年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)代表部大使。アフガニスタンパキスタン支援担当大使、駐ハンガリー大使などを経て16年6月、国連事務総長特別代表兼国連アフガン支援団(UNAMA)代表に就任。20年3月に退任し、現在は立命館大客員教授などを務める。
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 六者会合(ろくしゃかいごう、英: Six-Party Talks、中: Chinese-LiuFangHuiTan(Six-Party Talks).ogg 六方会谈[ヘルプ/ファイル]、朝: 육자 회담・륙자 회담、露: Шестисторонние переговоры)は、主に北朝鮮の核問題に関して、解決のため関係国外交当局の局長級の担当者が直接協議を行う会議。六者とは日本、アメリカ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮の6ヶ国を指す。六者協議(ろくしゃきょうぎ)、六ヶ国協議(ろっかこくきょうぎ)とも呼ばれる。2003年8月の第1回から2007年3月の第6回までいずれも中国の北京で計9次の会合が行なわれたが、それ以降開催されていない。
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 日本大百科全書(ニッポニカ) 「六か国協議」の意味・わかりやすい解説
 六か国協議 ろっかこくきょうぎ
 北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)の核問題を解決するためのアメリカ・北朝鮮・中国・日本・韓国・ロシアによる外交会議。「六者協議」ともいう。北朝鮮と国交を正常化していない日本の政府は、「六者会合」とよんでいる。一貫して北京(ペキン)で開催され、議長はホスト国の中国が担った。
 2003年1月に北朝鮮が核不拡散条約(NPT)から脱退を宣言したため、それを受けて同年4月に中国の仲介で米朝中三か国協議が開催された。これを拡大し、2003年8月に北京で初の六か国協議の開催となった。1993~1994年の北朝鮮核問題で中心的な役割を果たした米朝協議とその合意が失敗に終わった教訓から、多国間協議を実現させた。しかし、北朝鮮のみならず、他の5か国もそれぞれ異なる思惑をもって協議に臨み、合意形成は容易なものではなかった。
 北朝鮮の主張は、「一括妥結」「同時行動」の2原則のもとで、第1段階で核開発を再凍結し、第2段階以後、米朝平和条約、米朝・日朝国交正常化などと連結しながら、最終的に核施設を解体し、ミサイル問題でも合意するというもの。他方、アメリカは北朝鮮に対し、「完全かつ検証可能で不可逆的な」核放棄(CVID:Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)を要求した。北朝鮮は2005年9月の第4回六か国協議第2ラウンドで採択された六者共同声明で、「すべての核兵器および既存の核計画」を放棄し、NPTに早期に復帰することを約束。2006年10月に北朝鮮が第1回核実験を強行した後の2007年2月13日、第5回第3ラウンド「共同声明実施のための初期段階の措置」で、(1)北朝鮮が60日以内に寧辺(ニョンビョン)の核関連施設の停止および封印、IAEA国際原子力機関)による監視の受け入れ、(2)米朝国交正常化のための協議開始、アメリカは北朝鮮テロ支援国家指定解除や対敵通商法の適用終了の作業を進める、(3)日朝国交正常化のための協議開始、(4)他の5か国は緊急エネルギー支援として重油5万トンを支援することで合意した。
 2008年9月27~30日に開催された第6回第2ラウンド「共同声明の実施のための第2段階の措置」で、(1)北朝鮮はすべての核施設を無能力化し、年末までにすべての核計画について完全かつ正確に申告し、核物質、技術、知識を移転しない、(2)米朝・日朝国交正常化を目ざす、(3)各国による100万トンの重油相当規模を限度とする対北朝鮮支援、(4)6か国外相会合を適切な時期に北京で開催することで合意した。2008年6月、北朝鮮は議長国である中国に対し核計画に関する申告書を提出し、10月までに検証措置について合意が成立したため、アメリカは10月12日に北朝鮮テロ支援国家指定を解除した。しかし、2009年4月5日に「テポドン2号」とみられる人工衛星を発射した北朝鮮は、六か国協議からの離脱を宣言し、その後会議自体が成立していない。
[礒﨑敦仁 2020年2月17日]
 [参照項目] | 核不拡散条約
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 2016年3月28日 しんぶん赤旗6カ国協議とは何ですか
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 北朝鮮の核問題を話し合う6カ国協議とはなんですか。(兵庫県・読者)
 北核問題の外交解決めざす
 北朝鮮、韓国、日本、中国、米国、ロシアの6カ国が参加して、北朝鮮の核問題を外交的に解決することをめざす枠組みのことです。2003年8月に北京で第1回会合が開催されましたが、現在7年以上にわたり開催されていません。北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返すなかで、問題を解決するための唯一の対話の場として、各国が6カ国協議再開への努力を続けています。
 05年9月に北京で開かれた6カ国協議で発表された共同声明で、北朝鮮は、すべての核兵器および既存の核計画を放棄すること、脱退を宣言していた核不拡散条約(NPT)への早期復帰を約束しました。
 米国は、朝鮮半島核兵器を持ちこまず、北朝鮮に対して核兵器や通常兵器による攻撃または侵略の意図がないことを確認しました。米・北朝鮮両国は、相互の主権尊重、平和共存、国交正常化への措置を取ることも約束しました。
 北朝鮮と日本は、日朝平壌宣言(2002年)に従って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決することを基礎として、国交を正常化することを誓いました。
 その後北朝鮮が、米国の金融制裁を理由に協議参加を拒否し、この共同声明の履行は暗礁に乗り上げました。北朝鮮は06年、7月のミサイル実験に続き、10月には、6カ国協議などでの自らの約束を踏みにじって核実験を強行し、国際社会からの厳しい批判を受けました。6カ国協議は、08年12月を最後に開かれていません。
 北朝鮮は今年1月、4回目の核実験を実施し、2月には事実上の長距離弾道ミサイルを発射するなど無法行為を重ねています。
 これに対し国連安保理は3月2日、北朝鮮に対する制裁強化を盛り込んだ決議を採択しました。同国を出入りするすべての貨物の検査を各国に義務付けるなど、これまでにない厳しい措置となりました。決議は6カ国協議の再開も強く要請しています。現在、北朝鮮を除く5カ国の首席代表が、協議再開に向けて話し合いを続けています。(栗原千鶴)
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