☵15〕─4─韓国人は、朝日の社旗(旭日旗)に怒らず、ランドセルを植民地支配の象徴と激怒する。~No.113 

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 産経新聞 iRONNA「なぜ韓国人は、朝日の社旗に怒らないのか
 マッチポンプという言葉があります。日韓関係が現在のように険悪になったのは、朝日新聞マッチポンプ報道が原因の一つであると言われています。その下品な手法をちょっと参考にしてみました。
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 「ランドセル」にまで目くじら立てる韓国人
 『水野俊平』
 水野俊平(北海商科大学教授)
 最近、韓国では「旭日旗」を「日本帝国主義の象徴」と見なして糾弾しようとする運動が顕著化している。昨年9月、仁川アジア大会に出場した陸上ホッケーの日本男子選手が、旭日旗を連想させる模様のバッジを記念品として韓国の女子高生に渡したことが非難の対象になった。また、国際サッカー連盟FIFA)の公式マガジンの表紙に「旭日旗」が描かれていたとして、非難が浴びせられた。
 こうした運動は韓国国内だけではなく、アメリカやヨーロッパにも飛び火している。2013年にはイタリアの「BENJAMINS」というメーカーが販売していたスマホケースのデザインが旭日旗に似ているとして、「旭日旗を使うな!」と韓国人が抗議メールを送る騒動があった。昨年にはアメリカのペンシルバニア大学構内に設置されたステンドグラスの意匠が旭日旗に似ているとして、韓国人学生が撤去を要求している(大学側は撤去を拒否)。
 日本と戦争したアメリカも旭日旗を問題にしていないのに、なぜ韓国人がなぜ旭日旗に言いがかりをつけてくるのだろうか? その理由は簡単である。彼らが旭日旗を「日本帝国主義の象徴」と見なしているからだ。ただし、その「見なし」にはかなり突発的で恣意的な側面がある。そうである故に、日本人は、なぜ韓国人がいきなり旭日旗を非難と糾弾の対象とするようになったのか、いまいち理解できないでいるのである。
 韓国で旭日旗が「日本帝国主義の象徴」として非難の対象になったのは2012年前後からである。サッカーの国際試合における日韓戦の応援で、日本サポーターが旭日旗を使用した(と韓国内で報じられた)ことから、「あれは日本帝国主義の象徴だ」という非難が突如沸き起こった。ただし、それまではサッカーの応援や公式の場(海上自衛隊の韓国寄港など)に旭日旗が登場しても大した話題にもならなかった。韓国の有力日刊紙・朝鮮日報の記事を検索してみても、旭日旗を非難する記事が登場するのは2012年からである。つまり、韓国における旭日旗糾弾が顕著化したのは、2、3年前からのことであり、かなり突発的な現象なのである。
 ただし、韓国では「日本帝国主義(=日帝)」と関連があるとして、一度糾弾や非難の対象になると一切の反論は許されない。それまでの経緯がどうであれ、非難や糾弾の妥当性の有無にかかわらず、一切異論をさしはさむことは許されない。異論をさしはさむ輩は、それこそ「日本帝国主義」を擁護する「親日派(=売国奴)」と見なされる。こう述べると、きまって韓国人から「それは極論である」「韓国人全部がそうではない」「韓国にはそうした感情的な反日感情は存在しない」などという反論が提起される。ならば、日本に対する非難や糾弾に対して、反論が提起できる雰囲気が韓国にあるのか問い返したい。そうした反論を試みた場合、反論の内容や妥当性に関わらず「親日派(=売国奴)」と見なされて、旭日旗よろしく糾弾の対象になるのは、過去の事例から見て明らかである。
 かくして、韓国における旭日旗糾弾はどんどん拡大し、とりあえず旭日旗のように見える意匠なら何でも糾弾の対象になる、という段階にまで至っている。2012年には京畿道高陽市の駅前広場の設計が旭日旗に似ているとかで問題となった。昨年は、人気アニメ「ワンピース」に「旭日旗」のような旗が登場するという理由でイベントが中止になりかけたりした(結局、イベントは実施)。今年に入っても釜山市民公園にある歴史館の天井の模様が「旭日旗」に似ているとして変更されたりしている。
さて、「旭日旗」を非難する韓国人も、なぜか「日章旗」や「君が代」には目くじらを立てない。冷静に考えれば、国旗である日章旗のほうが、軍旗であった「旭日旗」よりも、よっぽど「大日本帝国」を象徴するものだったはずである。かつて植民地だった朝鮮にも日章旗は翻っていたわけであるし、植民地下の朝鮮人は「君が代」を歌わされていたわけである。
 しかし、彼らは日章旗を掲揚し、君が代を歌う日本人を非難しようとしない。ソウルの日本大使館の前などで日章旗を焼いている過激な市民団体の示威行動が報じられることがあるが、そうした韓国人はごく一部である。イベントなどに用いられる万国旗にも日章旗が含まれているし、公式の場で日章旗が掲揚される場合も多いが、これに文句をつける韓国人はいない。
 日本には学校行事における日章旗の掲揚や君が代の斉唱に反対している教職員がいるが、韓国人はそうした運動にもまったく無関心である。彼らは「自国の国歌や国旗を敬愛するのは当たり前である」という(日本とは異なる)教育を受けているため、日本人が日章旗を掲揚したり、君が代を斉唱しても、ある意味、当然と捉えているのである(ただし、韓国人が同じような行動をとれば非難の対象になるだろう)。こうした理由から、彼らが「日章旗」や「君が代」を敢えて「日本帝国主義の象徴」と見なそうとしていないのである。このことからも、韓国人が何らかの事象を「日本帝国主義の象徴」と見なす基準が、かなり恣意的であることがわかる。
 韓国では「〇〇は日本帝国主義の残滓である」「〇〇は日本帝国主義の象徴である」といった「糾弾対象探し」が常に行われている。最近でも朝鮮日報(6月11日付け)に「日本の小学生が背負っているランドセルは帝国主義の残滓である」という内容のコラムが掲載された。コラムを執筆した記者は大真面目に「帝国主義日本の陸軍歩兵が担いだカバンをまねた(ものが)ランドセルだった」「(ランドセル)日本軍国主義精神を小学生に教えることにあった」などと書いている。
 まあ、韓国人が何を「日本帝国主義の象徴」と見なそうが韓国人の勝手であると言われれば、それはそうであると言うしかない。ただし、いつ何時、予想もしなかった文物が「日帝の象徴」として韓国人の糾弾の対象になる可能性があるということは知っておいたほうがいいだろう。
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 繰り返されるマッチポンプ
 世界文化遺産の登録をめぐり、またしても日本に身勝手な主張を繰り返してきた韓国ですが、「なでしこジャパン」活躍の裏でもこんなことがあったようです。<韓国のニュースサイト「スポータルコリア」は、6月8日にバンクーバーで開催されたサッカー女子ワールドカップ(W杯)カナダ大会の日本-スイス戦で、日本のサポーターが「旭日旗」を振って応援していたとし、韓国内で物議を醸していると報じた。韓国では「旭日旗」を日本の軍国主義の象徴と捉え、これまでもサッカーの日韓戦で観客席に掲げられたとして論議となってきた>
 欧州で活躍する日本選手を
 特集した、FIFA発行機関誌
 の表紙にも韓国メディアが
 反発した
 もう本当に疲れますね。そもそも旭日旗は日本の海軍旗ですが、現在も海上自衛隊が使用しており国際的にも認められています。百歩譲って、「日本軍を連想させるものはすべて認めない」と主張するにしても、彼らが旭日旗を「軍国主義の象徴」などと言い出したのは、わずか4年前、2011年のサッカー日韓戦からと言われています。ある韓国人選手が日本人を揶揄して猿の真似をして問題になったとき、「客席に旭日旗があって腹が立った」などと言い訳をしたため、俄然注目が集まったというわけです。
 以来、旭日旗と似たデザインのものまですべて攻撃の対象になってきました。ネットのニュースによれば、ソチ五輪の時には、なんと旭日旗に似たマケドニアの国旗にまで文句をつけた人がいるそうです。ただ、それほどまで頭に血が上っているのに、一つだけ攻撃されていない旗があるのです。そうです。旭日旗とそっくりの朝日新聞社旗です。仲間意識が強いからでしょうか? 自分たちの味方だと思っているからでしょうか? それともまだ知らないのでしょうか?
 マッチポンプという言葉があります。自ら火をつけて煽っておきながら、自らその問題を鎮静化させて、自ら利益を得ることをいいます。考えてみれば、日韓関係がこれほど険悪になったのも、朝日新聞マッチポンプ報道が大きな要因であることは疑う余地がありません。ありもしない「従軍慰安婦」をでっちあげて火をつけ、相手の怒りを増幅させた後、今度は日本の政治家に謝らせて得意になる。日本の政治家が、何か保守的な言動をすると、すぐに御注進して火をつけ、政治家攻撃の材料にする。朝日は決して認めないでしょうが、彼らはこの半世紀、まさにこうしたマッチポンプを韓国だけでなく中国にも繰り返してきたのです。関係が悪くなるのは当然です。
 こんな下品な手口を真似するつもりはありませんが、例えば、韓国の日本大使館前でデモをする人たちに、「こんな旗がありますよ」「日本軍国主義の象徴である旭日旗を使っている新聞社がありますよ」とご注進する新聞社があったらどうなるでしょうか。ちょっとでも怒ってくれたらしめたものです。この怒りを受けて、「韓国社会に怒り/なぜ新聞社が…」なんていう一報を出して国際問題になれば、その後は「全支局にも旭日旗/地方に広がる軍国主義」「高校野球の甲子園にも/僕たちは平和に野球がしたいだけ…」なんていう朝日風の「角度のついた」続報がいくらでも書けます。そして韓国人の怒りにさらに油を注ぐことができるでしょう。
 朝日新聞の方も歴史ある大切な社旗をこのように貶められるのは嫌だと思います。でも、あなた方が日本にしてきたのは、そういうことなのです。(皆川豪志)」

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☵21〕─12─徴用工原告団は、日本企業資産の売却命令を申し立てた。~No.203No.204No.205No.206 

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 2019年5月1日16:07 msnニュース 共同通信社「日本政府が元徴用工訴訟で韓国政府に抗議
 日本政府は1日、韓国の元徴用工らによる訴訟で原告側が被告日本企業の資産売却命令を出すよう裁判所に申請したことを受け「日本企業の資産が売却される事態は断じて受け入れられない」と韓国政府に外交ルートを通じて抗議した。」
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 5月1日17:07 msnニュース 共同通信社「韓国団体「日本断罪の運動継続」 徴用工像の設置目指す
 © KYODONEWS 徴用工像の周辺で行われた集会=1日、韓国・釜山(共同)
 【釜山共同】徴用工を象徴する像を韓国南部・釜山の日本総領事館前に設置することを目指す韓国の市民団体がメーデーの1日、釜山で集会を開き、「日本の戦争犯罪を断罪し、謝罪と賠償を要求する運動」を今後も続けるとアピールした。
 像が置かれている総領事館近くの公園で、参加者ら数十人は「日本は謝罪せよ」と書かれたプラカードを掲げた。地元警察が警備する中、従軍慰安婦の被害を象徴する少女像が設置されている総領事館前まで移動し、シュプレヒコールを上げた。
 徴用工像を巡っては、日本政府が総領事館前への設置に強い懸念を表明してきた。」
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 5月1日17:56 msnニュース 時事通信社「日本企業資産、現金化手続き着手=徴用工訴訟の韓国原告
 韓国の団体「日本断罪の運動継続」
 【ソウル時事】韓国最高裁が日本製鉄(旧新日鉄住金)に賠償を命じた元徴用工訴訟の原告側は1日、差し押さえた韓国内資産を現金化するため、売却命令を裁判所に申し立てたと発表した。また、大手工作機械メーカー、不二越を相手取った元挺身(ていしん)隊員訴訟で、控訴審での勝訴を受けて差し押さえた韓国内資産についても、売却命令を申請した。
 一連の訴訟で原告側による資産売却命令の申し立ては初めて。現金化手続き着手で日本企業が実害を被る事態が切迫することから、日本政府は一層反発を強め、対抗措置の本格的な検討に入るとみられる。
 原告側は「(昨年10月30日の)韓国最高裁による賠償判決確定から半年が経過し、これ以上、現金化手続きを遅らせることはできないと判断した」と説明した。一方で「実際の現金化までに3カ月以上要すると予想され、この間、企業との包括的な協議の意志がある」と強調。賠償に向けた協議に応じるよう日本企業に改めて求めた。」 
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 5月1日18:07 産経新聞「政府、外交ルートで抗議 徴用工訴訟の資産売却申請で
 韓国のいわゆる元徴用工をめぐる訴訟の原告側代理人弁護士が、裁判所に日本企業の韓国内資産の売却命令を出すよう申請したことを受け、日本政府は1日、外交ルートを通じて韓国政府に「日本企業の資産が不当に売却される事態となれば、わが国として断じて受け入れられない」などと強く抗議した。
 日本政府は抗議の中で「事態を一層深刻に捉えている」と強調。韓国政府に対し、日本企業に賠償を命じた昨秋の韓国最高裁の確定判決で生じた昭和40(1965)年の日韓請求権協定違反の状態を是正し、同協定に基づき日本政府が再三要請している二国間協議に応じるよう改めて強く求めた。
 抗議は外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が在日本韓国大使館の金敬翰(キム・ギョンハン)次席公使に電話で行ったほか、ソウルでも在韓国日本大使館の水嶋光一総括公使が韓国外務省の金容吉(キム・ヨンギル)東北アジア局長に申入れた。」

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 5月1日 20:17 msnニュース 共同通信社「韓国、日本の態度は「人権侵害」 元徴用工側、交渉も要求
 © KYODONEWS 2018年11月、韓国人元徴用工らの写真を手に新日鉄住金(現日本製鉄)本社を訪れる原告の弁護士ら=東京都千代田区
 【ソウル共同】韓国で日本企業2社の資産売却手続きに踏み切った元徴用工訴訟の原告側は1日、声明を発表し、賠償に応じない被告企業と日本政府の態度は「人権侵害」だと非難した。また売却が実行されるまでに原告側との交渉に応じるよう求めた。未解決の人権問題として対処を迫りながら対話の余地を残し、原告以外の元徴用工らを含めた包括的な解決を依然模索する姿勢を示した。
 原告側の資産売却の動きに日本政府は1日、外交ルートで韓国政府に抗議し、「日本企業の資産が売却される事態は断じて受け入れられない。政府として一層深刻に捉えている」と伝えた。」
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 5月2日12:45 msnニュース FNN.jpプライムオンライン「尖閣領海に中国公船 活発化 大型化・武装化
 © FNN.jpプライムオンライン
 沖縄県尖閣諸島周辺で、中国政府に所属する船舶による領海への侵入が、再び活発化していることがわかった。
 尖閣諸島周辺での中国公船による領海への侵入は、2018年の後半から減り、12月は、政府が尖閣諸島を国有化した2012年9月以降、初めて領海への侵入が確認されなかった。
しかし、2019年に入ってからは、毎月3回の領海侵入が続いていて、2日も、接続水域内に4隻の中国公船が確認されている。
 近年、大型化する中国公船は、機関砲などの武装化も進んでいて、海上保安庁は、「関係機関と連携して、冷静かつ毅然(きぜん)と対応していく」としている。
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 5月2日17:33 産経新聞「韓国、国連でまた「東海」併記主張 日本海呼称問題
 【ニューヨーク=上塚真由】米ニューヨークの国連本部で開かれている国連地名専門家グループ会合で1日、日本海呼称問題をめぐり日韓の代表が応酬を繰り広げた。東海の併記を求める韓国側は「東海という表記は、世界の地図や出版物で広く使われている」と強調。日本側は「『日本海』が国際的に確立した唯一の呼称だ」との立場を改めて示し、反論した。
 会合では韓国側が関連資料を提出し、「(二国間で)論争がある場合、両名併記は実現可能な解決法だ」と説明。これに対し、日本の川村泰久国連次席大使は、韓国が主張する東海の併記について「国際的な現実と矛盾している」と反論し、「近年、(地図に)両方の併記が増えているのは、韓国政府によるロビー活動の結果だ」と指摘した。続いて、韓国側は「東海と併記している出版社に多大な敬意を表する」と応じ正当性を主張した。
 韓国側は4月29日の同会合でも別の関連資料を提出し、呼称問題を提起した。専門家が集まり、各国の地名の知識を共有するという会合の趣旨から外れ、韓国側はたびたび日本海呼称問題を取り上げ、国際社会にアピールしている。」
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☵5〕─1─韓国の平成の天皇の退位に対する発言の嘘・偽り。~No.18No.19No.20 

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 韓国に於ける知日派政治家の偽らざる本心。
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 2019年4月30日16:58 産経新聞「文大統領が天皇陛下に書簡「関係発展への寄与に感謝」
 韓国の文在寅大統領
 【ソウル=桜井紀雄】韓国の文在寅大統領は、譲位される天皇陛下に書簡を送り、「韓日関係の発展に大きく寄与なされた」として謝意を示した。韓国外務省報道官が30日、譲位に先立って発表した。
 報道官によると、文氏は書簡で、天皇陛下が在位中に「平和の大切さを守ることの重要さを強調してこられた」とし、譲位後も「両国関係の発展のためにお力添えいただく」ことに期待を寄せたという。」
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 4月30日16:14 産経新聞日本海呼称、韓国が「東海」セミナーの資料提出 日本は反論
 【ニューヨーク=上塚真由】地名の表記方法などを話し合う国連地名専門家グループ会合が29日、米ニューヨークの国連本部で開幕し、韓国の代表は、日本海の呼称問題が議論された国際セミナーの内容を記した資料を提出した。東海との併記を求める韓国は資料の中で「2国間で争点となっている問題」などと言及し、日本側は「『日本海』が国際的に確立した唯一の呼称だ」と反論した。
 韓国が提出したのは、東海表記を広めるために韓国団体が主催した国際セミナーの資料。日本の川村泰久国連次席大使はセミナーの開催を「不適切で一方的かつ政治的なプロパガンダ活動であり、非常に遺憾」と非難。韓国の代表は「かなりの数の地図や出版物に『東海』が併記されている」と述べ、応酬を繰り広げた。
 日本海呼称問題をめぐっては、国際水路機関(IHO)の要請を受け、日本は今月、韓国、北朝鮮などと英国で非公式協議を実施。韓国は協議の場以外でも国際社会で攻勢を仕掛けており、日本も正当性を訴え支持を求めていく考えだ。」
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 2019年2月8日 msnニュース (ブルームバーグ)「従軍慰安婦問題は天皇の謝罪の一言で解決される-韓国国会議長
 韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長は、日韓間の長年の懸案である従軍慰安婦問題が日本の天皇による元慰安婦への謝罪の一言で解決するとの見解を示した。
 文在寅大統領に近い文議長(73)は7日のブルームバーグとのインタビューで、「一言でいいのだ。日本を代表する首相かあるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」と語った。
 日韓関係が悪化する中、天皇に関する発言は日本の国民感情に悪影響を与える可能性がある。慰安婦問題を巡っては、2012年に韓国の李明博大統領(当時)が同国訪問を天皇が望むなら、日本の植民地支配と戦って亡くなった人々に心から謝罪する必要があると語ったことがある。  
 日本政府は慰安婦問題の最終的な解決のために2015年に韓国政府と交わした合意で、「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から日本政府は責任を痛感している」と表明している。
 文議長は「それは法的な謝罪だ。国家間で謝罪したりされたりすることはあるが、問題は被害者がいるということだ」と語った。
 日本の首相官邸にコメントを求めたが、現時点で回答は得られていない。慰安婦問題のほか、元徴用工訴訟での日本企業への賠償、韓国軍艦船による自衛隊哨戒機へのレーダー照射問題などが相次ぎ、日本政府は日韓関係が極めて厳しい状況にあるとの認識を示している。
原題:South Korea Lawmaker Seeks Imperial Apology for Japan Sex Slaves(抜粋)
(最終段落に背景などを追加して更新しました.)
--取材協力:延広絵美.
記事に関する記者への問い合わせ先:ソウル Youkyung Lee ylee582@bloomberg.net
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☵47〕─3─日韓関係は、韓国が不利を承知で約束を守らない限り好転はあり得ない。~No.402No.403No.404No.405No.406No.407 

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 2019年4月28日 産経新聞「【ソウルから 倭人の眼】対日関係の特効薬は「約束守ること」 それを知っている韓国
 韓国・釜山の日本総領事館近くの公園前歩道に置かれていた徴用工像(今年3月、名村隆寛撮影)
 平成から令和へと日本が新しい時代を迎えるなか、隣の韓国では相変わらず日本との関係をめぐる内部葛藤が続いている。元徴用工だと主張する者や遺族らによる集団追加訴訟の動きがある一方、釜山の日本総領事館前への「徴用工像」の設置については、いまさらながら是非論が起きている。日韓関係を未来志向的に改善したい韓国だが、自らがこだわる過去に縛られ、身動きでない状態にある。
(ソウル 名村隆寛)
 ■宴の後の危機感
 韓国で今年は、日本の朝鮮半島統治下の1919年に起きた「三・一独立運動」と、中国上海での「大韓民国臨時政府」の設立から100年。「抗日」の2大記念日の式典を3、4月に終えた今、目の前にあるのは悪化の一途をたどる対日関係だ。その現実への危機意識が、韓国では以前にも増して高まっている。
 いわゆる元徴用工をめぐる訴訟で日本企業に賠償を命じた韓国最高裁の判決、日韓合意に基づく元慰安婦のための財団の一方的解散、海上自衛隊機へのレーダー照射、韓国国会議長による「天皇謝罪発言」。昨年10月からの半年間、韓国側が起こした出来事は日韓関係の悪化に拍車をかけた。
 韓国の非を認めようとしない政治家やメディア、活動家は「韓日関係悪化は安倍(晋三)のせいだ!」と責任を日本に丸投げしたままだ。そう叫ぶ以外、日本に反論ができない。最近、対日関係で韓国を“いい気分”にさせたのは、日本の水産物輸入禁止をめぐり世界貿易機関WTO)の上級委員会が日本の逆転敗訴の判断を示したことぐらいだ。
 だが、韓国では、対日関係をこのままにしていてはまずいという危機感が出ている。背景にあるのは、低迷続きの経済と国際情勢だ。
 ■「好調な日本」の一方で
 韓国メディアは伝統的に、やたらと自国と日本を比べたがる。そのメディアが最近、ますます気にしているのが好調な日本の経済と活発な外交活動だ。韓国に駐在している筆者は日本の好況を皮膚では感じられないが、韓国人から見れば「うらやましいほど」(韓国紙)だという。
 また日本について、米国との良好な関係を維持していることに加え、中国との関係も改善しているとみており、韓国は外交的孤立を深めているそうだ。韓国自身がそう感じているから、その通りなのだろう。
 この「経済・外交で好調」な日本と「経済はダメ、外交で孤立」する韓国という対照的な姿、韓国だけが取り残されているといった自覚が、韓国の焦燥感を駆り立てているようだ。国の現状に警鐘を鳴らす者は「いつまでも日本との歴史問題にこだわっていては失うものの方が多い」と危機感を募らせている。
 ■条約違反は分かっている
 そのことを象徴するように、全く同じ主張の社説を、複数の韓国紙が同じ日に掲載した。
 全国民主労働組合総連盟(民主労総)が中心の市民団体が、釜山の日本総領事館前に何度も設置を試みた「徴用工像」の問題だ。昨年5月と今年3月の設置阻止に続き、釜山市は4月12日、総領事館近くの歩道に置かれていた像を撤去した。しかし、その後、呉巨敦(オ・ゴドン)市長が「市民や労働者の皆さんに心配をかけたことを謝罪する」と表明。結局、市民100人で構成する協議の場を設け、28日に像の設置場所を決め、5月1日までに設置することとなったが、協議は中止となった。
 「抗日闘争」などと叫ぶ市民団体(労組)の圧力に及び腰で、腫れ物に触るかのような釜山市の対応に、朝鮮日報(4月19日付)は社説で「法を執行する機関が“不法”を前に謝罪し膝を屈した。この世にこんな国があろうか」と批判。「国内法違反だけでなく、外国領事館近くの歩道に労働者像(徴用工像)を設置するのは、韓国も加入している外交関係に関するウィーン条約にも反している」と断じた。同紙社説は17日にも、韓国の条約違反を指摘している。
 また、中央日報(19日付)も「韓国が加入しているウィーン条約によると、外国公館の正面に少女像や労働者像を設置してはいけない」と問題視した。
 日本政府は、総領事館周辺への像設置が「ウィーン条約の規定に照らして問題である」(菅義偉官房長官)との立場で、両紙社説は日本政府の見解と同じだ。康京和(カン・ギョンファ)外相も昨年、海外メディアとの記者会見で韓国の条約違反を事実上認めた。
 徴用工像の設置を認めることが、「(外交)公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する」とした同条約に反することを、韓国は分かっているのだ。
 ■何もできない文政権
 ウィーン条約違反を自覚しているのなら、2011年にソウルの日本大使館前に慰安婦像が不法に設置された時点から、韓国は問題視するべきだった。しかも、慰安婦問題をめぐる15年の日韓合意で韓国政府は「日本政府が公館の安寧・尊厳の維持の観点から懸念していることを認知し、適切に解決されるよう努力する」と約束した。なのに像は撤去されていない。しかも、合意1年後には釜山の日本総領事館前にも慰安婦像が置かれた。2つの慰安婦像は今、地元自治体の保護下にある。
 慰安婦像は放置しつつも、徴用工像の設置をかろうじて阻んだ背景には、「対日関係の傷口をこれ以上広げてはならない」という文在寅ムン・ジェイン)政権なりの判断が働いたものとみられる。ただ、日韓関係を悪化させた慰安婦像の問題は今や、韓国側が起こした数々の懸案の一つに過ぎない。この8年間、特にこの半年で、韓国は日本との約束事がなかったように問題を蒸し返し、物事を複雑にし続けてきた。
 韓国の常識派は事態を深刻視しているが、解決法は簡単。韓国が国際条約や協定、日本との合意、約束を守ればいいだけの話だ。最初からそうしていれば、韓国は自縄自縛になって困ったり、国の将来を憂いたりすることも防げたはずだ。
 韓国が日本に対してまいた種は多く、最悪の日韓関係として実ってしまった。自らまいた種は自分で刈り取らねばならない。責任感のある国なら、そうするだろう。
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 2019年4月29日08:32 msnニュース ハーバービジネスオンライン「徴用工問題は解決済みではない。日本の主張の問題点とは!?
 © FUSOSHA Publishing Inc. 提供 戦中、日本企業のために中国人・韓国人労働者達に強制労働に動員されることが相次いだ。花岡平和記念館にて筆者撮影
 第2次世界大戦中に朝鮮半島から動員され、日本本土の工場などで過酷な労働環境で働かされたという、いわゆる徴用工問題。昨年10月、韓国の最高裁判所にあたる「大法院」は、元徴用工の人々の主張を認め、新日鉄住金に損害賠償を支払うことを命じる判決を言い渡した。
 この判決に、安倍政権は強く反発。日本の各メディアも一斉に韓国側を批判するという、ある種の集団ヒステリー状態となっている。こうした日本での反応の背景には、ナショナリズムだけでなく、国際法や人権への無理解があるのだろう。
 4月20日、日本弁護士連合会が主催したシンポジウムで基調講演を行った山本晴太弁護士(日弁連人権擁護委員会特別委嘱委員)は「徴用工問題は解決済み」とする日本側の主張の問題点を指摘した。
◆徴用工問題、日本側の主張の問題点は?
 端的に言えば、徴用工問題を巡る日本側の主張の問題は以下の点であろう。
 ●日本側の主張「日韓請求権協定で解決済みの徴用工問題を韓国側が蒸し返した」
 ↓
 ●同協定で「解決済」とされて放棄されたのは、国家対国家の「外交保護権」であることは、日本側も国会質疑で認めている。被害者である元徴用工の、加害者である日本企業に対する「個人の請求権」は現在も有効。
 ●日本側の主張「『個人の請求権』は消滅していないが、これで訴えても救済は拒否される」
 ↓
 ●この主張の元となっている最高裁の判断(2007年4月27日)は根拠に乏しい。また同判決も、「個人の請求権」を完全否定したわけではなく、加害者側の「自発的対応」を促すものだった。韓国の大法院は「個人の請求権」と「裁判による権利行使」を認めている。
 ●日本側の主張「韓国側の主張は国際法上あり得ない」
 ↓
 ●「裁判による権利行使」を認めないということの方が、むしろ国際法上あり得ない。
◆徴用工問題は「解決済み」ではなかった
 以下、順に解説していこう。徴用工裁判での韓国・大法院の判決に、「解決済みの問題を蒸し返した」「ちゃぶ台返し」「国際法上ありえない判断」など日本の政府関係者やメディアは一様に猛反発した。
 徴用工問題についての安倍政権の見解は、「1965年の日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決している」というもの。だが、これはあくまで国家の権利である「外交保護権」のこと。
 山本弁護士は「日韓請求権協定によって放棄されたのは『外交保護権』であって、個人の請求権は消滅していません」と指摘する。「外交保護権」とは、外国によって自国民の身体・財産が侵害された場合、その侵害を自国に対する侵害として、国家が相手国の国際法上の責任を追及すること。
 これに対し「個人の請求権」とは、被害者が加害者を直接、裁判等で責任追及するもの。実際、日韓請求権協定が締結された当時の政府刊行物『時の法令』別冊やその後の国会質疑(1991年8月27年柳井俊二・外務省条約局長)などでも「放棄されたのは『外交保護権』」、「『個人の請求権』は消滅していない」とされている。
 最近でも河野太郎外務大臣及び、外務省の三上正裕国際法局長が同様に答弁している(2018年11月14日衆院外務委員会)。
◆個人が加害企業を訴えることはまったく問題ない
 「個人の請求権」が有効なのであれば、元徴用工である被害者が、加害者である日本企業を訴えることはまったく問題ないはずである。だが、上記した河野外相及び三上国際法局長が答弁したように、日本政府は「『個人の請求権』は消滅していないが、法的に救済されない」との立場を取っている。
 その根拠とされているのが、西松建設による中国人強制連行・強制労働訴訟、中国人慰安婦訴訟に対する最高裁判決(共に2007年4月27日)。山本弁護士は「これらの判決では、独自の『サンフランシスコ平和条約の枠組み』論を展開しています」と語る。
 「この『枠組み』論は、平和条約締結後に混乱を生じさせる恐れがあり、条約の目的達成の妨げとなるので、『個人の請求権』について民事裁判上の権利を行使できないとするというものです。日中共同声明や日韓請求権協定も『枠組み』に入るものとして、日本政府側は『個人の請求権』を裁判で行使できないものと解釈するようになりました。しかしサンフランシスコ平和条約には、『個人の請求権』について民事裁判上の権利行使をできないようにするとは、どこにも書いていません」(山本弁護士)
◆中国人被害者と西松建設は和解
 そもそも、第二次世界大戦後の連合国と日本の講和条約であるサンフランシスコ平和条約には、中国も韓国も参加していない。
サンフランシスコ平和条約の『枠組み』が、同条約を締結していない国々にもその効果が及び、戦争被害者から民事訴訟による解決機能を奪うことは無理があります。2007年の最高裁判決では、その根拠を『サンフランシスコ条約の重要性』としか述べませんでした。これは、法的説明を放棄したという他ありません」(同)
 また、2007年の最高裁判決は「個人の請求権」を完全否定したわけではない。
「判決は“任意の自発的な対応を妨げられるものではない”としており、この判決をもとに、強制連行・強制労働の中国人被害者と西松建設は和解しています」(同)
 つまり、「枠組み」論に基づく「日韓請求権協定によって『個人の請求権』は権利行使できない」という日本政府の主張は、法律論とは言い難い主張だというわけだ。
◆「国際法上あり得ない判断」は日本側の対応!?
 元徴用工の人々に対する賠償を支払うよう、日本企業に命じた韓国・大法院の判決について、安倍晋三首相は「国際法に照らしてあり得ない判断」だと批判。日本のメディアもこれに同調した。
 だが、山本弁護士は「韓国では条約を解釈する権限は大法院にあり、大法院は条約法に関するウィーン条約の元となった慣習国際法に依って解釈しています。ですから、その判断は”国際法に照らしてあり得ない”ものではありません」と指摘する。
「しかも、日本は世界人権宣言10条、国際人権規約14条に定められた、裁判を受ける権利を保障するという国際法上の義務を負っています。訴訟によって請求できないとする日本側の主張こそ、国際法に照らしてあり得ないものです」(同)
 徴用工問題をめぐって、安倍政権は国際司法裁判所に提訴する方針だが、それこそ日本の恥を世界に晒すことになりかねないのだ。
◆冷静かつ事実に基づいた論議が必要
 徴用工問題への安倍政権やメディアの逆ギレぶりは滅茶苦茶だ。
 「『徴用工問題については韓国政府が処理することを約束したはずだ』という日本政府やメディアの批判は曲解です。韓国政府が制定してきた国内の戦争被害者への支援法・条例は日韓請求協定によるものではなく、あくまで『人道的見地』『国民和合』のためのもの。
 韓国政府に大法院への“対処”を要求する日本政府やメディアの言説は、三権分立を無視しています。被害者個人と民間企業の訴訟に介入して支払や和解を妨害したり、事実に基づかない批難を繰り返したりということはあってはならないことでしょう」(山本弁護士)
 山本弁護士が「鹿島建設西松建設が中国人被害者と和解し、謝罪したように、韓国の徴用工問題においても同様の解決は十分可能でしょう」と語るように、今の日本に必要なのは、あくまで加害側であることを自覚した振る舞いだ。植民地支配や人権侵害に対する反省を踏まえ、感情論ではなく冷静に事実を受け止める。その方が日本にとっても望ましい道なのだ。
 【ニュース・レジスタンス】文/志葉玲(ジャーナリスト)」
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4月29日12:43 msnニュース 共同通信社「元徴用工ら日本企業を追加提訴 韓国、54人が9社に賠償請求
 © KYODONEWS 記者会見する元徴用工や元朝鮮女子勤労挺身隊員らの遺族と、訴訟を支援する原告弁護団=29日、韓国・光州(共同)
 【光州共同】韓国で元徴用工や元朝鮮女子勤労挺身隊員らの訴訟の原告弁護団や支援の市民団体が29日、南西部光州で記者会見し、元徴用工や遺族計54人が三菱マテリアル三菱重工業西松建設など日本企業計9社に損害賠償の支払いを求める訴訟を同日光州地裁に起こしたと明らかにした。
 同種の訴訟で日本企業の敗訴が続く流れを受けての追加提訴の一環で、今月4日にも別の原告団が、元徴用工や遺族ら計31人が日本コークス工業(旧三井鉱山)など日本企業4社に対する訴訟をソウル中央地裁に起こしたと発表している。
 光州の市民団体は3月25日から4月5日まで追加訴訟参加者を募集していた。」

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☵15〕─3─日本の旭日旗に対する評価。中国共産党は容認。韓国は拒否。〜No.110No.111No.112 

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 2019年4月27日4.27 産経新聞「【ソウルからヨボセヨ】旭日旗への常識と非常識
 今週、中国で行われた国際観艦式に日本の護衛艦が参加したことが韓国では異様に大きく報道された。韓国の軍艦はそっちのけで。日本の護衛艦が艦旗である「旭日旗」を掲げていたからだが、韓国では近年、旭日旗を「戦犯旗」といって妙に反発している。
 文在寅ムン・ジェイン)政権は自国の観艦式に招いた日本艦に対し旭日旗を認めないなどという“国際的非常識”までやらかしているが、自衛艦旗を旧軍イメージで「戦犯旗」などと非難しているのは世界で韓国だけだ。
 米国やロシアそして今回の中国をはじめ、過去、日本と戦争した国々は今や国際的常識に従い相手を尊重し何も問題視していないのに、交戦国でもなかった韓国だけがしきりにイチャモンをつけているのだ。
 この不思議な心理の背景には、日本による支配を自ら戦って打ち破れなかったという“対日戦勝タダ乗り”からくる歴史上の欲求不満というか「ねじれた対日優位願望」があるように思うが、韓国はもう発展し豊かな国になったのだから、そんな“ねじれ”で日本に対し留飲を下げる必要はなかろうに。
 日本大使館前の慰安婦像放置もそうだが、日本が相手となると国際的非常識がまかり通ってきた。「国の品格」を傷つける国際的非常識を愛国と錯覚しているのが切ない。(黒田勝弘)」
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 4月28日 msnニュース JBPRESS「「旭日旗を拒否せぬ中国」に韓国メディアが大慌て
 李 正宣
 © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 中国人民解放軍海軍の創設70周年記念国際観艦式のため、旭日旗を掲揚しながら青島港に寄港する海上自衛隊護衛艦「すずつき」(写真:ロイター/アフロ)
 4月23日から山東省・青島港で開かれた「中国人民解放軍海軍創設70周年記念国際観艦式」のニュースは韓国でも少なからず話題になっている。特に、旭日旗を掲揚したまま中国に入港した日本の海上自衛隊護衛艦「すずつき」の姿は、「日中の急接近」の象徴として、厳重に受け止められている。
 一方の韓国では、昨年の10月、済州島で開かれた国際観艦式で、文在寅ムン・ジェイン)韓国政府が日本の海上自衛隊旭日旗掲揚問題をめぐってもめにもめた末、日本側から参加をボイコットされるという前歴がある。
 それなのに、歴史問題において「味方」だと思い込んでいた中国の習近平政府が、自国の国際観艦に旭日旗を容認したのだ。これは文在寅政権にとって衝撃だった。今、韓国マスコミでは「日中密着」に対する警戒心とともに、「韓国だけがアジアで孤立するのではないか」と憂慮の声が高まっている。
 「文在寅政権に対して日米が不信を表わすのも無理はない」
 保守系中央日刊紙「中央日報」は、『日中、北露の活発な接近は、果たして他人事なのか』(4月22日付)という社説で、急変している北東アジア情勢において、韓国だけが外交的に孤立する恐れがあると警告した。以下、内容の一部を紹介する。
 「中国は23日、青島で開かれる海軍創設70周年記念観艦式に旭日旗を掲揚した日本自衛隊護衛艦を受け入れるという。(中略)『米国が意に介さないのに、同じ戦勝国の中国がなぜ(旭日旗に)敏感なのか』という反応が出るほど、中国内の対日感情が好転されたおかげだ。
 しかし、韓国政府は昨年10月、済州国際観艦式の時、旭日旗掲揚を許さず、結局日本艦艇は参加を見送った。韓国が過去に縛られていたのに対して、中国はこれ(過去)を克服する姿を見せたわけだ。このような状況が繰り返される限り、日本が中国ではなく韓国と未来をともに考えるわけがない」
「最近、目まぐるしく動いている朝鮮半島周辺情勢下で、韓国が決して見逃してはならないことがある。昨年、安倍晋三総理の中国訪問で象徴される日中間の驚くべき和解の速度だ」
 「新たに近づくのは日中だけではない。24・25日に決まった北朝鮮金正恩キム・ジョンウン)国務委員長とプーチン・ロシア大統領間の首脳会談を通じて、ギクシャクしていた北露関係を新しく構築するに違いない」
 「韓国はどうなのか。韓国は友好国との関係を改善するどころか、伝統的な韓日米のトライアングル安保体制からも切り離されている。文在寅政権に対して日米が不信を表わすのも無理はない。だから韓米同盟が崩れつつある中、日米間の軍事協力は日増しに強固にならざるを得ない」
 懸念を表明するのは「中央日報」だけではない。やはり保守系日刊紙「文化日報」も、4月24日の紙面に『旭日旗を揚げた日本艦艇の入港を許可した中国・・・文政権は何も感じないのか』という社説を掲載した。
 同紙は、「旭日旗を揚げた日本艦艇の中国入港は、国益と未来を重んじる外交とはどういうものか象徴的に示す」とし、中国政府と日本政府の実利外交が両国の歴史を克服した、と分析している。
日中接近に不安隠せぬ韓国メディア
 また、「『旭日旗観艦式』を許容した習近平中国主席を、プライドがない人物と思っているのか。韓国の安保と経済、未来の発展のためにも文政権は、対日外交をどうするべきかを熟慮しなければいけない」と、文在寅政権の対日外交の姿勢を辛らつに非難した。
 ほかにも、『なぜ、文政権には中日のような実利外交が見えないか』(4月22日付の「ソウル経済新聞」社説)、『中日蜜月が加速・・・旭日旗を揚げた自衛隊護衛艦が中国の観艦式へ参加』(4月22日付の「朝鮮日報記事」)、『中国の国際観艦式に旭日旗をつけて出席した日本護衛艦・・・中国は旭日旗も知らないのか?』(4月22日付の「トップスターニュース」記事)、『日本艦艇、中国の観艦式に旭日旗つけて参加、「韓国に圧力? それとも中国の日本無視?」』(4月22日付けの「ヘラルド経済新聞」記事)、『中国、観艦式に旭日旗許容・・・「戦犯旗の通用を懸念」』(4月22日の「OBSニュース」)、『「中国夢」のため?・・・「日本の旭日旗」まで我慢するのか』(4月23日の「MBCニュース」)などなど、韓国マスコミは、日中の急接近に対する不安を隠せなかった。
 一方、韓国社会では相変わらず旭日旗をめぐる尖がった反応が続いている。4月26日、ネット媒体の「アイ・ニュース24」は、『趙源泰(チョ・ウォンテ)韓進グループ会長、デビュー写真で旭日旗論議・・・「航空機エンジン」と反論』という記事を掲載した。
ファン・ブレードで「旭日旗を連想」
 今年4月8日に死亡した趙亮鎬(チョ・ヤンホ)大韓航空会長の後任となった趙源泰会長側がマスコミに配布したプロフィール写真に「旭日旗を思わせる背景がある」との議論が提起されている、という内容だ。ところが、議論になっている写真をみると、単なる飛行機エンジンのファン・ブレードを背景にした趙会場の正面バストショットだ。飛行機エンジンのファン・ブレードで旭日旗を連想するというのは、どう考えても無理やりな気がする。
 「平和ニュース」というフェブ新聞は3月18日、『慶州・普門(ボムン)団地に旭日旗登場で相次ぐ抗議・・・ドラマ撮影用のハプニング』という記事を掲載した。その記事によると、有名観光スポットである慶尚北道慶州市にある普門団地に旭日旗日本帝国主義を称賛する垂れ幕が掲げられている写真がSNS上で拡散、騒ぎが起きたという。ところが、所管地域の観光庁が調査した結果、垂れ幕はドラマ撮影用の小道具だった。しかし市民からは、「案内文もなしに旭日旗を掲げたのは不適切だ」「気持ち悪い」との非難が続き、観光公社側が「市民を驚かせて申し訳ない」と謝罪したという。
 日本のNHKにあたる韓国の国営放送「KBS」では、旭日旗が消されることもあった。毎週土曜日に放送される『映画が好き』という映画情報番組は、2月23日、映画に登場した旭日旗を消して放送した。この日紹介された映画『自転車王オム・ボクトン』は、日本帝国主義時代に日本が主催した自転車大会で日本選手を破って優勝したオム・ボクトンという実存の人物を描いた映画だ。映画のハイライトにあたる自転車でのレースシーンに登場する競技場にはいくつもの旭日旗が飾られていたが、KBSは視聴者の感情に考慮して、映画の中の旭日旗をすべて消して放送したのだ。
 去年の10月、済州島観艦式直後、韓国国会ではいわゆる「旭日旗掲揚禁止法」という法案が発議されたこともある。国会副議長も歴任した「共に民衆党」の李錫玄(イ・ソクヒョン)議員が発議した「旭日旗など日本帝国主義シンボルの使用を禁止する法案」は、「旭日旗を掲揚した船舶の韓国領海通過禁止、旭日旗を付着した航空機の運航禁止、そして旭日旗などの日本帝国主義のシンボルを所持したり、流布したりした者に対して2年以下の懲役と3000万ウォン以上の罰金の賦課」などの内容が含まれている。
 ただ、韓国マスコミによると、この法案は韓国外交部が「韓日関係に悪影響を及ぼしかねない」と反対しているため、6カ月間も国会で漂流中だという。
 旭日旗をめぐるドンチャン騒ぎ、韓国ではまだまだ続きそうだ。
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☳7〕─1─韓国のハンセン病患者。小鹿島大量虐殺事件。小鹿島更生園園長刺殺事件。昭和20年8月21日〜No.17No.18No.19 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博 ・   
 中華儒教世界、中国や朝鮮は、日本に比べて人命軽視であり、道徳・倫理はないし、人権や人道もなかった。 
   ・   ・   ・   
 正統な中華儒教は、男性、身分高い者、聖人君子、五体満足な健康的な者など社会の強者を褒め称えるが、女性、身分低い者、小人、貧しい者、障害がある者など社会の弱者を差別し迫害し、時と場合によっては虐殺した。
 人間として認められ権利を与えられるのは、強者のみであった。
 弱者には、如何なる権利も求められず、人として認められず、人以下の動物として扱われていた
 韓国人を儒教の呪縛から解き放ち救ったのは、アメリカのキリスト教会であった。
 アメリカのキリスト教会の多くが強烈な反天皇反日意識が強く、アメリカ政府の対日強硬政策に協力し、アメリカ軍と共に行動して日本軍を攻撃した。
 そうしたアメリカのキリスト教会は、ヒロシマナガサキへの原爆投下実験や日本焦土の無差別絨毯爆撃を非難するどころか祝福した。
   ・   ・   ・   
 2019年5月3日10日号 週刊朝日皇后陛下のお導きで   笹川陽平
 平成27年1月、ハンセン病の差別撤廃を世界に訴える10回目の『グローバル・アピール』が東京で開催され、その直前、この病気の現状について両陛下にご進講申し上げました。
 吹上御所の小さなお部屋でした。当初15分の予定が、話が弾んで70分にもなりました。それも私が一方的にお話しするのではなく、両陛下から専門的な御下問もあり、ご見識に驚きました。
 その一つに、天皇陛下から『プロミンというのはいい薬だそうですね』とのお言葉がありました。ハンセン病の特効薬のことです。また皇后陛下からは『なぜブラジルではハンセン病が制圧できないのでしょう』というご下問もありました。両陛下とも専門的な事柄までほんとうによくご存知でした。
 考えてみれば、両陛下は国立、私立を合わせて日本に14あるハンセン病療養所をすべてお訪ねになり、回復者を励まされました。皇室とハンセン病の関わりは、奈良時代光明皇后が作られた悲田院、施薬院に遡ります。こうした伝統を引き継いでいらっしゃるのです。
 そしてこの時、私を深く感動させたのは、皇后陛下のある一言でした。『韓国の状況はどうでしょうか』とお尋ねになりました。私が韓国の患者はゼロとなり、移民や外国労働者の発病が数例あるだけです、と申し上げますと、皇后陛下は『それはよかったわ』と安堵され、さらに思わぬお話をなさったのです。
 皇太子妃時代に、韓国のシスターからハンセン病の深刻な状況を訴えるお手紙が届いたそうです。その内容に心を痛められた皇后陛下は、高松宮殿下と当時、駐韓国大使だった金山政英氏にご相談されたとお話しされたのです。
 突然、金山大使の名前が出てきましたが、私はたいへん驚きました。実は昭和45年に金山大使が私の父、笹川良一のところにお見えになって韓国でのハンセン病患者の窮状を訴えられ、そこに私も同席していたのでした。それがきっかけで父は韓国に病院を作り、私も現地に同行しました。そこで父が血の気を失った無表情な患者を抱擁(ほうよう)している姿を見て、ハンセン病対策を一生の仕事とする決意をしました。つまり、私は皇后陛下のお導きでハンセン病に関わることになったのです。
 ご進講の際、私はグローバル・アピールで来日したハンセン病回復者たちに励ましの言葉をお願いしたい旨、申し上げました。そして2週間後、8人の回復者とともに再び吹上御所にうかがいました。ここで両陛下は、お言葉を述べられた後、さっと8人に近寄られ、一人一人手を握ってお話をされました。人間扱いされてこなかった彼らに、同等の人間として親しく接せられたのです。
 両陛下は『人間愛』のお方です。恵まれない人、病気で苦労している人、被災された人など、苦境にある人たちを励ますことを自らの責務として、お務めをされてきたのではないかと拝察します。
 被災地訪問が度々報じられますが、両陛下はその間にも四十数回も関係者を御所にお呼びになって現地の状況を尋ねておられます。被災地で跪かれるのは、形の問題ではありません。自然なお気持ちの発露として、そうなさっておられるのだと思っています」
   ・   ・   ・   
 イエス・キリストは、神の恩寵として、異教徒の間で皮膚病患者・ハンセン病患者などを癒やし治療する奇跡を数多く行い、布教活動を行い、信者を増やした。
 キリスト教は、貧しい者、虐げられた人、病人、障害者など社会の弱者の宗教として布教し、信者を増やして世界的な普遍宗教に成長した。
   ・   ・   ・   
 光明皇后は、悲田院や施薬院を造って貧しい者や病人の治療と保護を行い、皮膚が爛れ膿が流れ出ている貧しく老人の身体を自ら拭いて洗い清めた。
 皇道の、大本には天皇の慈愛が存在した。
 皇室の使命は、病に苦しむ人・災害にあった人・貧しい人・虐げられた人など社会の弱者に寄り添う事である。
 熱烈な天皇主義者・勤皇派・尊皇派は、賤民・部落民など社会の弱者であった。
   ・   ・   ・   
 日本国と日本民族日本人は、歴史上で、天皇・皇室に何度も助けられてきた。
 日本国と日本民族日本人には、数えきれない、返しきれない、数多くの恩義が天皇・皇室にある。
 そうした恩義を感じず否定する日本人は、日本民族日本人ではない。
 それ故に、反天皇反日的日本人は日本民族日本人ではない。
   ・   ・   ・   
 聖武天皇光明皇后は、国家の安寧、国民の幸福、社会の救済を外来宗教の仏教に求め、東大寺を造営し、仏教国家を広めた。
 国家仏教は、神道を吸収して神仏習合を完成させた。
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 皇室は、大陸や半島から逃げ出してきた避難民を差別せず・分け隔てなく温かく受け入れ、生活できるように土地を与えて定着させた。
 天皇と日本に感謝した避難民は、帰化した日本人として生きた。
 天皇と日本に感謝しない避難民は、帰化を拒否して渡来人として日本に住みついた。
 日本の同一性単一性には、帰化人の同化・同質と渡来人の異化・異質が争う事なく並存している。
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 天皇や皇族方は、自分の専門分野外の事でも知ろうとして、政治家・官僚・学者・メディア関係者ら以上に人一倍努力されている。
 言葉だけではなく行動する、それが天皇・皇族・皇室である。
 現代日本では、言葉だけで行動しない日本人が多く、特に特権意識の強い高学歴出身知的エリートにそれが顕著に多い。
 その証拠が、失言、嘘、言い訳、言い逃れ、詭弁などの数々で、それがバレたら本心からではなく表面的な謝罪で頭を下げて誤魔化す。
 それ故に、現代日本には、本当の、真実の、言霊は存在しない。
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 小鹿島更生園園長刺殺事件(しょうろくとうこうせいえんえんちょうしさつじけん)とは、1942年(昭和17年)6月20日に日本統治時代の朝鮮の全羅南道高興郡錦山面の癩療養所(現在のハンセン病療養所)「小鹿島更生園」で発生した殺人事件である。

 事件の背景と概要
 小鹿島更生園は、周防正季園長の主導の下、患者の収容作業を朝鮮全体で大々的に行っていたが、その際患者をボスの下で組織化し集団で入所の上でボスが収容患者をまとめるというシステムが行われた。こうしたことから、園長・スタッフ─患者ボス─一般患者による上下関係が出来上がり、園の意向を患者ボスが代弁する形で権力を持つ様になった。
 1940年にボス患者の一人・朴順周が中心となって周防園長の銅像を建立する動きが起こり、周防自身が反対する中半ば強制的に献金が集まり建立にこぎつけた。この時の所内の状況について、収容者の一人が述懐している。

 院長の銅像を建てにゃならないのだが、とにかく私たちも何もかも差し出さねばいけないのだが、一日三銭、余計に働く人は五銭。銅像を建てた。後は夜明けの3時に銅像を拝めと言われた。銅像参拝、神社参拝、「私はキリスト教徒だからそんなことはできない」と答えて監禁室に入れられて死んだ人々がたくさんいました。
— TBS『筑紫哲也 NEWS23』インタビュー(1997年12月、滝尾英二記)

 殺害
 周防の銅像を建立するにあたって主導的な役割を負っていた朴順周は1941年(昭和16年)に射殺され、収容所内の患者からの不満が徐々に表面化していった。
 1942年6月20日、小鹿島更生園で月例の「報恩感謝日」の行事が行われ、入所のハンセン病患者が多数集まっていた。周防園長が入場すると、患者・李春成が周防の前に立ち塞がり、「お前は患者に対してあまり無理なことをするからこれを貰え!」と日本語で叫びながら、周防の胸を食刀(朝鮮式包丁)で一突きした。周防は直ちに救急処置が執られたが、1時間後に出血多量で死亡。犯人・李春成はその場で現行犯逮捕された。

 銅像を崇拝しろと言われて、いつも一カ月に一度は大勢が全部集められていたのです。当時は6千人がこの島に住んでいました。集落ごとに列をつくります。「きをつけ」と声がかかる。ところが私の横にたっている人が、こうしてずっと手を服の中にいれているのですよ。車がきて院長がちょっと後ろにいました。いきなりその人は院長の首をむんずとつかんで、ナイフがこんな風に。指がないので包帯でぐるぐる巻きにして、グサッとこう刺したのです。私はこれでもう私たちは命がない(と思ったのです)。院長が死んだ。院長の息子がきた。日本から。私たちは殺されずに助かった。
— 『筑紫哲也 NEWS23』インタビュー(1997年12月)

 犯人
 犯人・李春成は小鹿島更生園の入所患者の朝鮮人(当時27歳)であった。李は慶尚北道星州郡の貧農出身で、幼くして父を亡くしたため、ほとんど学校に通っていなかった。14歳の時にハンセン病を患い、大邱癩病院に2年間収容された。退所後は行商をして各地を転々としていたが、1939年(昭和14年)に窃盗教唆贓物収受罪で懲役1年の実刑判決が下り、西大門刑務所に収監された。しかし、ハンセン病を再発したため、光州刑務所小鹿島支所に移送された。
 この当時(1942年)は既に戦時体制下にあり、小鹿島でも施設外の朝鮮人と同様に皇民化教育が施され、患者に対する締め付けが厳しくなっていた。李は、これらは全て周防園長が悪いからだと、周防に対する憎悪の念を強め、遂に殺害するに至った。
 李春成は一審の光州地方法院、二審の大邱覆審法院とも死刑判決が下った。そして三審の高等法院は上告を棄却し、李の死刑が確定した。
 1943年(昭和18年)2月19日、大邱刑務所で李春成の死刑が執行された。
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 小鹿島虐殺事件(しょうろくとうぎゃくさつじけん)とは、1945年8月21日に朝鮮全羅南道高興郡錦山面の癩療養所(現在のハンセン病療養所)「小鹿島更生園」で発生した朝鮮人職員による大量虐殺事件である。

 事件の発端
 1945年8月15日(光復節 (韓国))に、大日本帝国政府は降伏文書への調印を予告したが、隔離され通信手段が制限されていた小鹿島更生園ではこのことを知らず、今まで通りの生活を送っていた。
 8月18日、園長は患者の代表を集めて、日本降伏の事実を発表した。この報は瞬く間に全施設に広がり、各所で日本人職員などにリンチが加えられたが、幸いにも命を落とすことなく、安全地域へと撤退していった。
 これと並行して朝鮮人職員の間で療養所の主導権争いが激化した。医師系と看護系職員による争いで、医師系は「小鹿島更生園は病院であるから、医師が当然に管理者となるべき」と主張し、看護系は「過渡期であるから、必ずしも管理者は医師である必要はない」と反論した。最終的には看護系が勝利したが、医師系は反撃の機会を窺っていた。

 事件の概要
 8月19日、園内各地で「解放祝賀行事」が挙行された。朝鮮人は職員患者の区別なく「朝鮮解放」を祝った。その中で、ある朝鮮人職員は憤然とした態度で椅子に腰掛けていた。患者がそのことを咎めると「この生意気な奴、俺が立とうが立つまいが、万歳を叫ぼうが叫ぶまいが、お前の知ったことか。余計なおせっかいだ。」と言い返したので、「朝鮮人としての意識が足りない」ということで、他の患者がこの職員を取り囲みリンチした。気を失ったため、直ちに搬送されたが同日夜に死亡した。この事件は、後の虐殺事件に微妙な影を投げかけることとなった。
 8月20日夜、医師系職員のSは、患者代表のRに「(看護系職員が)倉庫から物資を島外に持ち出そうとしている」とデマを流し、患者を煽って主導権を奪回しようと目論んだ。医師系職員に煽動された患者は、夜にもかかわらず倉庫に押しかけた。武装した看護系職員はついに発砲し、前にいた患者数人を死傷させた。看護系職員は「明朝10時に談判しよう」と呼びかけ、この日はとりあえず解散となった。
 8月21日、談判のために集まった患者代表らを取り囲み、一人残らず虐殺した。そして、たまたま居合わせなかった患者代表も一軒一軒回り、順次射殺していった。犠牲者は82名にも上った。なお、患者を煽った医師系職員のSは前日夜に島外に逃亡し、難を逃れている。
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 ハンギョレ
 ハンセン病回復者の涙を拭いた韓国最高裁…初めて断種・堕胎に国家責任認める
 登録:2017-02-16 00:32 修正:2017-02-16 09:15
「幸福追及権・人間としての尊厳を侵害」 
 堕胎手術に4千万ウォン 
 断種手術に3千万ウォンの賠償確定 
 2審で賠償額削減した4件の判断にも注目 
 弁護人「同じ状況に異なる賠償額は認められない」
ハンセン人権弁護団のパク・ヨンニプ団長(右から4人目)など弁護士と韓国ハンセン人総連合会のイ・キルヨン会長(右から5人目)が15日午前、ソウルの大法院前で記者会見を行い、ハンセン人断種・堕胎国家賠償請求訴訟の勝訴所感を話している=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社
 Kさん(86)とYさん(81)夫婦は、ハンセン人(ハンセン氏病回復者)療養所だった慶尚北道漆谷(チルゴク)の国立愛生園(現、国立漆谷病院)で療養している間の1962年に子供ができた。しかし、愛生園は祝いの代わりに「子供を産んで一緒に暮らすことはできない。ここで暮らすなら流産させて断種(精管)手術をしなければならない」という話を伝えた。結局、Yさんは堕胎手術を受け、4カ月後にKさんも断種手術を受けなければならなかった。ハンセン氏病に対する誤った認識と偏見のせいで、日帝時期から続いた隔離収容、強制断種・堕胎などの人権侵害が解放後にも永く続いた。
 Yさん夫婦のようなハンセン人に対して強制的に堕胎・断種手術を行った国家の責任を認める大法院(最高裁)判決が初めて下された。2011年から続けられてきたハンセン人539人の集団訴訟のうち、5年ぶりに出てきた初の確定判決だ。
 大法院3部(主審クォン・スンイル大法官)は15日、キム氏など19人が大韓民国を相手に提起した損害賠償訴訟で、堕胎手術をされたハンセン人10人には各4000万ウォン(約400万円)、断種手術をされたハンセン人9人には3000万ウォン(約300万円)とその利子を支払えと宣告した原審を確定した。大法院は「ハンセン人に対して行った精管切除手術と妊娠中絶手術は、幸福を追求する権利、人間としての尊厳と価値、人格権および自己決定権、内密な私生活の秘密などを侵害し、または制限する行為」とし、「法律上の根拠がなく、たとえハンセン人が同意したとしても社会的偏見、差別、劣悪な社会・教育・経済的条件などによりやむを得ず同意したと見られ、大韓民国国家賠償責任を負担することが正しい」と明らかにした。
 ハンセン人の代表的な人権侵害の一つである断種・堕胎強制手術は、1935年から1990年前後まで続いた。ハンセン氏病は1900年代初めにはすでに遺伝病でないことが明らかになり、1950年代からは完治可能な疾病と認識されたが、病気にかかれば容貌に変形が生じるせいで特に社会的差別と偏見が激しかった。社会的少数者の差別を防ぐべき国家さえもが「病気が遺伝する」という誤った偏見に捕われ続け、解放後にも日帝時期同様に断種・堕胎手術の慣行を継続した。ハンセン人は家庭を設け子供を育てる幸福追及権を強制的に剥奪され、羞恥と罪の意識を感じなければならなかったし、見守る子供も持てずに孤独で寂しい老後を送らなければならなかった。日本が2006年から日帝時期に小鹿島(ソロクド)などに強制収容されたハンセン人補償を始めると、韓国は一歩遅れて2007年に「ハンセン人被害事件の真相究明および被害者生活支援等に関する法律」を制定し、2012年から補償を始めたが基礎生活受給者など一部のハンセン人にのみ月額15万ウォン(約1万5千円)を支給するだけだった。これに対してハンセン人は、日本政府を相手に責任を問う訴訟に参加したハンセン人権弁護団と共に、2011年10月に韓国政府を相手に損害賠償訴訟を提起した。
 大法院の初めての判決が下されたが、まだ約520人のハンセン人が大法院の判断を待っている。彼らの下級審はすべて国家責任を認めたが、損害賠償額で判断が交錯した。今回の大法院判決の原審である光州(クァンジュ)高裁は、堕胎手術をされたハンセン人には4000万ウォン、断種手術をされたハンセン人には3000万ウォンとその利子を賠償するよう判断した。しかし、昨年9月ソウル高裁民事30部(裁判長カン・ヨンス)は、「男女平等」の原則と国家の努力を前面に掲げ賠償額を2000万ウォンに削減し、以後のソウル高裁判決3件もこれに倣った。ハンセン人権弁護団長のパク・ヨンニプ弁護士(法務法人ファウ)は「司法府が遅くなったとはいえ日帝強制占領期間と解放後に苦痛にあったハンセン人の涙をふいてくれて良かった」としつつも「3~4000万ウォンという金額も、その苦痛に比較すれば多額とは言えないだけに、大法院が同じ状況の残る4件についても今回の賠償基準に合わせて判決しなければならない」と話した。
キム・ミンギョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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 [ルポ]小鹿島の涙を拭いてくれた“13年間の同行”は日本の町の弁護士から始まった
 登録:2017-01-24 02:26 修正:2017-01-28 06:32
 植民地時代に隔離されて強制断種・堕胎 
 日本の弁護士、人権侵害を知ってから 
 2004年、韓国の弁護士らと共に訴訟 
 500人超える原告の陳述書を直接取り 
 日本政府を相手に被害賠償を牽引 
 
 解放後も人権侵害は続いたが 
 韓国政府は、月1万5千円の支援金“すずめの涙” 
 結局、政府相手取り損害賠償訴訟を提起 
 弁護人団の国境を越えた人権意識も高まる 
 「ベトナム戦争での虐殺」公益訴訟も検討
 今月14日「ハンセン人権活動白書」の出版に合わせて行われた「ハンセン病患者の人権と課題」討論会に、徳田靖之弁護士(前列右から4番目)など日本の弁護士と、パク・ヨンリプ弁護士(前列左から2番目)など韓国の弁護士が一堂に集まった=ハンセン人人権弁護団提供//ハンギョレ新聞社
 徳田靖之弁護士(73)が小鹿島(ソロクト)を初めて訪れたのは2003年の夏だった。1916年、日本が朝鮮のハンセン病患者を強制隔離するために病院(慈恵病院、現国立小鹿島病院)をつくり、彼らを収容した場所が小鹿島だった。徳田弁護士は、日本政府に対する小鹿島住民たちの補償金請求を手伝うため、小鹿島の地を踏んだ。それから14年が経った今月14日、徳田弁護士は再び小鹿島に足を運んだ。ハンセン病患者のための韓日弁護士による連帯活動が記録された「ハンセン人権活動白書」の出版を記念するイベントに参加するためだった。徳田弁護士はハンセン人人権弁護団を率いるパク・ヨンリプ弁護士と抱き合いながら、目を潤ませた。
 同日の行事には徳田弁護士の他にも大槻倫子、近藤剛、清水善朗、鮎京眞知子、水口真寿美からなる6人の日本の弁護士が同行した。パク・ヨンリプ団長とチャン・チョルウ副団長、チョ・ヨンソン、イ・ヨンギ、ヤン・ジョンスク、イ・ジョンイル、ソ・ジュンヒ、キム・ジュンウ弁護士など、ハンセン人人権弁護団所属の弁護士たちが彼らを暖かく迎えた。彼らは刷り上がったばかりの白書を持って小鹿島ハンセン病患者たちの納骨堂である「萬霊堂」へその足で向かった。幼くして強制的に故郷と家族から離され、小鹿島に移されたハンセン病患者らは断種・堕胎手術で子孫をほとんど残せなかった。帰るところも面倒を見てくれる人もいない彼らの最後の居場所が萬霊堂だった。「英霊の皆さん。13年にわたる日本のハンセン病患者補償請求に決着がつきました。断種・堕胎訴訟は大詰めを迎えております。これからは差別と偏見のない平等な世界で安らかにお眠りください」。ソ・ジュンヒ弁護士の告諭文の朗読が終わると、韓国と日本の弁護士たちは白書の隣に菊の花をささげた。
 彼らの出会いは2004年までさかのぼる。九州大分県別府市の“町の弁護士”である徳田氏は1995年、ハンセン病療養所にいた作家の島比呂志氏から手紙をもらった。「(ハンセン病患者を強制隔離する)『らい予防法』のような悪法を存続させてきたことについて、人権と最も深い関係にある弁護士会の責任はないのか」。徳田弁護士に警策に振り下ろすような手紙だった。“何もしなかった罪”を滅ぼすため、徳田弁護士は1998年のらい予防法違憲確認及び国家賠償請求訴訟を起こした。2001年、熊本地方裁判所はこれを認めた。日本政府は訴訟の結果を尊重し、国会は翌年「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」を作って強制収容されたハンセン病患者たちに補償を始めた。
 勝利の喜びもつかの間、徳田弁護士はまた、別の“警策”と向き合わなければならなかった。『朝鮮ハンセン病史』の著者、滝尾英二氏が「日本帝国主義者たちは、日本だけでなく、韓国と台湾でも同じようにハンセン病患者の強制収容政策を実施したのに、なぜ自民族中心主義に閉じ込められて日本の被害だけ注目するのか」と叱咤したのだ。すぐに小鹿島を訪れた徳田弁護士は、しかし、日本の訴訟にはない悩みを抱えることになった。「父が太平洋戦争に参戦し亡くなったため、長い間、私は被害者だと思っていた。しかし父親は、中国やインドネシアで多くの人を殺した加害者でもあった。小鹿島で日本が犯した残酷さを前にして、胸が痛み、日本人であることが恥ずかしかった。このように加害者である私が加害者である日本を相手取り訴訟を起こそうと提案したら、それを受け入れてもらえるだろうか、不安だった」。徳田弁護士がそれから14年後に打ち明けた告白だ。
 日本政府に対する小鹿島住民たちの訴訟で代理人を務めることを決心した徳田弁護士など、日本の弁護士たちは2004年、韓国の弁護士たちの助けを求めるために民主社会のための弁護士会(民弁)光州(クァンジュ)・全羅南道支部と大韓弁護士協会(大韓弁協)のドアを叩いた。「日本人が韓国の国内問題に介入してもいいだろうか」という心配は杞憂だった。当時、大韓弁護士協会の人権委員長だったパク・ヨンリプ弁護士は「大韓弁協は社会的弱者のための法律活動をしていると自負していたが、これまで知らなかったハンセン病患者らの人権侵害を日本の弁護士たちから聞いたことが恥ずかしかった」と話した。“らい病者”という偏見がもたらしたハンセン病患者に対する心の壁を崩してくれたのも、日本の弁護士たちだった。当時、民弁光州・全羅南道支部長を務めていたミン・ギョンハン弁護士は「若い日本の弁護士がハンセン病患者たちにご飯を食べさせ、残りのご飯を食べる姿を見て、深い感銘を受けた」と回想した。韓国の弁護士たちの反省は行動につながった。パク弁護士は同年7月、志を共にする弁護士たちと一緒に「小鹿島のハンセン病患者に対する補償請求訴訟韓国弁護団」を作り、韓国のハンセン病患者らの補償要求を受け入れなかった日本の厚生労働省に対し、日本の弁護士たちと共に取り消し訴訟を提起した。東京地方裁判所は2005年10月25日、取り消し訴訟を却下したが、韓日の弁護士とハンセン病患者らの努力の末に、日本は法を改正して日帝強制占領期(日本の植民地時代)に強制隔離された韓国と台湾のハンセン病患者まで補償対象を拡大した。裁判所の判決に挫折せず、韓日の弁護士と市民たちが国会を動かしたのだ。
 しかし、法改正ですべてが終わったわけではなかった。日本で補償を受けるためには、日帝強制占領期の小鹿島などに強制隔離されたという“証拠”を示さなければならなかった。植民地と戦争を経験し、まともな資料が残っておらず、韓日の弁護士らは、全国に散らばっていたハンセン病患者に会って陳述書を取り始めた。この陳述書を基に、日本厚生労働省は2006年3月27日から昨年5月12日まで韓国のハンセン病患者590人に1人当たり800万円の補償を行った。厚生労働省との交渉を務めてきた鮎京眞知子弁護士は「強制収容所を作った日本から来た弁護士だけだったら、信じてくれなかったかもしれないが、韓国の弁護士たちのおかげでハンセン病患者らが安心して任せてくれた。感謝している」と韓国の弁護士たちに花を持たせた。
 これまで日本政府に対する訴訟はハンセン病患者のほかにも慰安婦・強制動員・原爆被害者の例があるが、少しでも補償を得たのはハンセン病患者と原爆被害者だけだ。チャン・ワンイク弁護士は「日本人被害者が認められれば、韓国人被害者も認められるが、そうでなければ認めようとしない日本政府の立場は今も変わっていない」としながらも、「それでもハンセン病患者の訴訟では勝利したということに非常に重要な意味がある」と話した。
 国籍を基準にみると、彼らは韓国人、日本人に分けられるが、ハンセン病患者の人権の観点からすると、彼らは一つだった。良心的な韓日市民たちの連帯は、韓日間の過去の問題の解決策でもある。清水善朗弁護士は「日本政府が加害者であるにもかかわらず、釜山少女像を問題視して、韓国を苦しめていることに憤りを覚える」として、「ハンセン病患者の戦いは、国を越えて市民と市民が力を合わせて韓日問題を解決していく先例を作った」と評価した。
 徳田弁護士は「韓国ハンセン病患者の日本訴訟」の目的として4つを挙げた。日本の謝罪と賠償日帝強占期におけるハンセン病患者の人権侵害の真相究明、韓国におけるハンセン病患者の人権回復、韓国・日本・台湾のハンセン病患者らの連帯。日本政府の補償が始まってから、3つは実現された。しかし、日帝支配期以後も続いたハンセン病患者らの人権侵害を回復するのは、韓国に残された課題だった。2006年10月、韓国の弁護士たちは既存の集いを「ハンセン人人権弁護団」に再整備して、後続作業を開始した。真相究明と補償案を議論するうちに、2007年に韓国の国会で「ハンセン病患者被害事件の真相究明及び被害者生活支援等に関する法律」が可決され、2009~2013年には「ハンセン病被害事件真相究明委員会」が活動した。しかし、韓国の補償法には、日本や台湾とは異なり、国家の謝罪と責任が抜け落ちていた。2012年から支給された補償も基礎生活保護受給者や次上位階層のハンセン病患者に月額15万ウォン(約1万5千円)を支給するに止まった。昨年3月になってようやく全ての被害者に補償金が支給されるようする改正法が施行された。しかし、高齢であるハンセン病患者らに月15万ウォンという補償金は実質的な被害補償になりえず、日本の補償金1億ウォンよりはるかに少ない。結局、韓国の不十分な補償のため、ハンセン人人権弁護団は2011年から6回にわたり、ハンセン病患者539人の強制断種・堕胎に対する損害賠償請求訴訟を提起した。
 今や韓国の弁護士たちは、日本の弁護士らから受け継いだものをより多くの人たちと分かち合おうとしている。初期のハンセン病患者訴訟の過程で韓国の弁護士たちの交通費や食費、宿泊費など実費を出したのは日本の公益基金だった。韓国の弁護士たちもハンセン病患者訴訟の過程で集めた基金をもとに、公益訴訟を支援する社団法人を構成する計画だ。人権問題において、日本の弁護士たちが日本を飛び越えたように、韓国の弁護士たちも韓国を飛び越えようとしている。ベトナム戦争に参戦した韓国軍の民間人虐殺問題について検討しているチョ・ヨンソン弁護士は「日本の弁護士たちの省察が韓国に伝わり、私たちの省察が今度は韓国軍により被害を受けたベトナムに向かっている。ハンセン病患者活動で学んだ人権に対する省察がここで止まることなく、進んでいかなければならない」と話した。
 13年が過ぎても徳田弁護士の心には小鹿島があった。同日、イベントを終えた夜10時17分、徳田弁護士は大槻弁護士とともに明かりが消えた国立小鹿島病院を訪れた。2人に気付いたのか、眠りから覚めたおばあさんが聞き取れないような話を始めた。大槻弁護士が耳の遠いおばあさんの手を握って「お元気で」と挨拶する間、徳田弁護士はおばあさんを力強く抱きしめた。ソン・オクナムさんは2人が忘れられない日本に対する韓国人ハンセン病患者補償請求訴訟の“最初の”原告だった。
小鹿島/キム・ミンギョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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 韓国のハンセン病訴訟手伝った日本の弁護士たち、加害国の良心的勢力の役割が重要
 登録:2016-10-26 22:48 修正:2017-01-17 21:43
 法の前に立った「ベトナム戦争における民間人虐殺」
 ソウル高等裁判所民事30部の裁判官と弁護人などが、今年6月20日全羅南道高興にある国立小鹿島の病院でハンセン病患者に対する強制的な人工中絶と精管手術をめぐる特別裁判の後、ハンセン病患者の遺体を解剖していた検死室で現場検証を行っている=高興/共同取材写真//ハンギョレ新聞社
 今年6月20日全羅南道高興(コフン)郡にある国立小鹿島(ソロクト)病院で特別法廷が開かれた。ハンセン病患者139人が国家に対して起こした損害賠償請求訴訟の2審裁判所が、ハンセン病患者の強制精管切除手術と人工中絶手術被害の実態を直接聴くために設けた法廷だった。病院の設立(1916年)以来100年間で、裁判官が訪れるのは初めてだったため、ハンセン病患者たちの長年の人権闘争における象徴的な事件として受け止められた。この訴訟をはじめ、6件のハンセン病患者集団訴訟が政府の度重なる上訴により遅れているが、2000年代以前には訴訟すらも考えられなかった。ハンセン病患者に加えられた国家暴力は、真っ暗な法の死角地帯に置かれており、法曹人もこの問題に対する認識が全くなかった。
 2001年、一筋の光が差し込んだ。同年5月、熊本地方裁判所では「(日本)国のハンセン病患者隔離政策は違憲」という判決が下された。これによって「らい予防法」が廃止され、日本政府は「ハンセン病補償法」(「ハンセン病療養所入所者等 に対する補償金の支給等に関する法律」)を制定した。この訴訟を主導した徳田靖之弁護士は、韓国のハンセン病患者たちも日帝強制占領期(日本の植民地時代)に強制的に隔離・収容されたことを知り、韓国の弁護士と接触して被害者を捜した。国家暴力の被害者を自国民と非自国民に分けてはならないだけでなく、特に非自国民に対しては自分も加害者の位置に立つしかないと思ったからだ。彼に刺激を受けて韓国でも50人を超える弁護人団が構成された。
 小鹿島ハンセン病患者訴訟助けた徳田弁護士ら 
 自国民・非自国民に分けられないと判断 
 韓日政府に対する訴訟を積極的に支援
 2003年、ついに小鹿島の病院の患者117人が日本政府に補償を申請したが、拒否されると、再び東京地方裁判所に訴訟を起こした。訴訟の費用はすべて日本の弁護士たちが負担した。2005年10月に判決が言い渡された1審訴訟では敗訴したが、2006年2月、日本の国会で補償法の改正案が可決され、日帝強制占領期韓国のハンセン病患者の被害者たちも、結局、補償を受けられるようになった。現在韓国で行われている訴訟は、解放以後の韓国政府に責任を問うものだ。ところが、徳田弁護士が韓国を訪れてから、日本政府に補償を申請するまでに、2年という時間がかかった事情は何だろうか。
 「初めて徳田弁護士が小鹿島を訪れた時、そこのハンセン病患者はみんな(彼を)あざ笑いました。一度も法の保護を受けたことがない一方、日帝強制占領期に日本人から受けた苦痛をはっきりと憶えていたからです。心を開き、心を尽くして話し合い、連帯感を育んで、一人またひとりと原告を集めて行きました」。ハンセン病患者の訴訟に主導的に参加しているチョ・ヨンソン弁護士は「加害国の法曹人が先に頭を下げて、粘り強く待ち続けたからこそ、韓国のハンセン病患者たちが法と向き合うことができた」と振り返った。
 今年5月、三菱重工業に動員され、強制労働を強いられた勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)たちの日本の法廷闘争を記録した『法廷に刻んだ真実』が出版された。この本には1999年から10年にわたる裁判の間、原告らの航空券代と滞在費用の一切を支援してきた「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」と、無料で弁護を引き受けた共同弁護人団の活動内容が紹介されている。三菱に賠償を求める同訴訟は2008年11月、日本の最高裁判所で最終的に敗訴したが、原爆被害の部分について日本政府を相手にした別途の訴訟はまだ続いている。韓国の法廷でも三菱を相手に数件の損害賠償請求訴訟が進められている。韓国での訴訟代理人を務めているチャン・ワンイク弁護士は、刑事事件で訴えられたク・スジョン氏の弁護人団も率いている。チャン弁護士は「良心的な日本の法曹人たちが見せてくれた姿が、私たちがベトナムの民間人被害者に近づく上で多くのことを示唆している」と話した。
アン・ヨンチュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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☴6〕─1─日本メディアは北朝鮮の国家犯罪日本人拉致事件を放置した。1988年。〜No.18No.19No.20 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・  

  産経新聞 iRONNA「関連テーマ 「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた
 米朝首脳会談を前に一冊の本が衝撃を与えている。『メディアは死んでいた-検証北朝鮮拉致報道』(元産経新聞記者・阿部雅美著、産経新聞出版)。40年前、拉致事件を発掘し、21年前に横田めぐみさん拉致疑惑を初報した記者が、取材の経過とメディアが拉致をどう報じたか、赤裸々に綴ったのである。
 人権問題に産経も共産党も朝日もない
 『産経新聞出版
 阿部雅美(元産経新聞社会部記者)
 (産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成)
 『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)では、拉致問題の解決に向けて奔走した人々も描いている。その一人が、元日本共産党議員秘書、兵本達吉氏だ。
 「国会の共産党の人からですよ」。取り次がれた電話が、いつ、かかったのか。正確には覚えていない。
 間違いだと思った。産経新聞社と日本共産党間の自民党意見広告掲載をめぐる訴訟は産経側の全面勝訴で決着していたとはいえ、仲直りしたわけではない。いわば犬猿の仲。電話などかかるはずがなかった。
 「あんたが昔書いたアベック蒸発の記事、読んだよ。(松本)清張の小説より面白いな。わしも新潟、福井、鹿児島、みんな行って、家族に会ってきた。北朝鮮による拉致に間違いないんだよ」
 いきなり、大きな声で、そう切り出す。自分のことを「わし」と言う思わぬ“同志”の出現に戸惑った。
 それが橋本敦参議院議員(共産)の秘書、兵本氏との出会いだった。橋本議員は88年3月26日の「メディアが死んだ日」に、政府が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を国会で明言した梶山答弁を引き出したが、アベック拉致関連質問は秘書の兵本氏が現地調査を基に練ったことに疑いの余地はない。被害者家族の心痛描写など、実際に会って話を聞いた人にしか書けない。
 拉致疑惑を掘り起こした
 「『李恩恵』という日本から拉致された日本人女性から(日本人化)教育を受けました」
 大韓航空機爆破事件で逮捕された金賢姫・元北朝鮮工作員の88年1月15日の記者会見での一言に刺激されて拉致事件に興味関心を抱いたという兵本氏。アベック連続蒸発を知り、新潟、福井、鹿児島へ出向いたのだった。
 私に電話したのは、いつだったか、本書を書くにあたって兵本氏に確認した。
 「梶山答弁からだいぶたってからだったよ」
 もうすぐ80歳、私も70歳に手が届く。お互い記憶があいまいになる。それにしても京都大学生時代からの筋金入りの共産党員が、よく産経へ電話したものだ、と今でも思う。
 《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます》
 せっかく画期的な梶山答弁を引き出しながらマスメディアに無視されたのだから、常人なら相当な打撃を受けたはずだが、それしきのことでめげる人ではなかった。
 「そりゃ、ショックだったさ。なにしろ産経もベタ(1段記事)だからな。まあ、共産党の質問だから仕方ないけどね」
 情報交換のため、時々顔を合わせるようになった。私は拉致事件の事実解明を続けてきたつもりだったが、兵本氏の関心は、その先、拉致された被害者たちを、どうやって日本に取り戻すか、にあった。当時、そんなことを考えていた人は、私の知る限り、兵本氏一人だけだ。
 議員会館の部屋では共産党の職員が働いている。訪ねるたびに彼、彼女らの産経記者への視線が気になったが、兵本氏は、まるで意に介さなかった。
 「拉致は主権侵害、人権侵害の重大犯罪だ。産経も共産党も朝日もない。メディアは、なぜ報道しないんだ」
 同感だった。この迫力と情熱がやがて被害者家族を動かして家族会を結成することになる。
 その一方で、日本共産党は、北朝鮮との関係を突然修復、兵本氏は党を除名されながらも、拉致被害者支援の活動を続けていったのだ。
 少し脇道へ回る。だいぶ後の話だが、何人かの産経読者から「これは本当か」「ケシカラン」と問い合わせ、お叱りの電話を受けた。
 関西の読者が郵送してくれた「知りたい 聞きたい 北朝鮮問題と日本共産党」という、共産党系の組織が配布したビラが1枚、今も手元にある。
 「拉致問題を早くから取材してきた阿部雅美産経新聞編集局次長(当時)」と私の名があり、「拉致疑惑をもっとも熱心に国会で取り上げてきたのは共産党の議員です。共産党産経新聞は昔から仲が良くないのですが、これはそういう問題ではありません」という、どこかの場での私の発言が載っている。
 梶山答弁を引き出した橋本質問を念頭に、そのような発言をしたことは事実だが、私にとって拉致疑惑に関しては兵本氏=共産党だった。兵本氏以外の共産党員と言葉を交わしたり、取材したりしたことは一度もない。
 遅きに失したが、ビラの中の「共産党の議員」は「共産党議員秘書、兵本氏」の誤りなので、この機会におわびして訂正しておく。
 あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。
   ・   ・   ・   
 誰も目にしたことがない国会映像
 『産経新聞出版
 阿部雅美(元産経新聞社会部記者)
 (産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成)
  なぜ、私は『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)を書いたのか。
 日本海側で起きていた一連のアベック行方不明について「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と述べた1988年3月26日の梶山静六国家公安委員長の答弁(梶山答弁)。雑談やオフレコの場ではない。無責任な噂話ではない。国会の予算委員会で政府が北朝鮮の国名をはっきりと挙げて、人権・主権侵害の国家犯罪が「十分濃厚」と答えたのである。
 これは尋常なことではない。だれでもトップニュースと思うだろう。しかし、この答弁がテレビニュースに流れることは、ついになかった。
 新聞は産経がわずか29行、日経が12行、それぞれ夕刊の中面などに見落としそうになる小さいベタ(1段)記事を載せただけだった。朝日、読売、毎日には一行もなかった。
 マスメディアの拉致事件への無関心は、ここに極まった。まるで申し合わせでもしたかのように、足並みをそろえて無視したのだった。記事の扱いが小さいとか、遅い、というのではない。報じなかったのだ。
 「メディアが死んだ日」という意味合いが、お分かりいただけるだろうか。
 関係者によると、あの日、予算委員会の記者席では、いつも通り報道各社の記者たちが何人も傍聴していたそうだが、このときの答弁映像はニュース映像の宝庫であるはずのNHKにも残っていないと聞く。誰も一度も目にしたことがないはずだ。
 歴史的な国会答弁の映像が日本のどこにも存在しない。不思議なことだ。
 現在、NHKは拉致報道に相当熱心だが、長い間、拉致を無視し続けたように思う。個々の記者がそろって無関心だったわけではなかったことは、後年、NHKの研修会に招かれてプロデューサーや記者たちと話す機会があって知ったが、世紀が変わるまでの20年間、まともな拉致疑惑報道を視聴した記憶がない。
 NHKだけを責める気は毛頭ない。民放各社も同じだった。
 「梶山答弁」自体は数行だが、この日の拉致関連の政府答弁全体が実は画期的なものだった。ただし、自分たち身内のことが国会で取り上げられたにもかかわらず、アベック3組の家族たちさえ、こうした質疑があったこと自体を、ずっと知らずにいた。
 産経も詳報をしてきていないので、この機会に改めて紹介させていただいた。本書を書き始めた理由の一つでもあるからだ。
 「梶山答弁」の無視―。長くメディアの世界の隅で働いてきたが、これほどまでに異様な経験は、この一度きりだ。
 一体何があったのか。各社の記者が、なぜ原稿にしなかったのか、あるいは原稿は書いたが、本社サイドでボツにしたのか。
 いや、突然、あの質疑を聞いても、拉致についての相当な予備知識、関心がなければ一体何のことなのか訳が分からず、原稿にしようがなかったのではないか。答弁の重大さに気づかなかったのではないか。そんな冷めた見方もあるが、「メディアが死んだ日」の真相は今もって分からない。
 報道しなかったという事実が報じられるはずもなく、「梶山答弁」は事実上、幻、つまり存在しなかったことになってしまった。この間、9年。取り返しのつかない空白が生じた。
 本書は私や産経の手柄話の場ではない。恥もさらす。
 私自身、「梶山答弁」を報じた88年3月26日付産経夕刊掲載のベタ記事に気づかなかった。出稿部署を離れて整理部で仕事をしていた時期ではあったが、それは言い訳にならない。
 翌日だったか、翌々日だったか、同僚記者に教えられて知った時点で、大きく紙面展開することを社内で強く主張すべきだった。政府が国会で北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を初めて認めた、となれば、他紙もテレビも、それなりの報道をせざるを得ないはずだった。
 記者の常識からすれば、政府・警察にそれなりの確証がなければ「梶山答弁」にはならない。どんな確証なのか。これを契機に拉致取材合戦が始まる。新事実が次々に明らかになる―。世論が盛り上がる―。政府が動く―。北朝鮮が動く―。
 そうはならなかったかもしれないが、いずれにせよ、意気地のない記者だったことを恥じ入る。
 誤報、虚報とマスメディアに黙殺され、自分が取材したと親しい人にさえ言えずにきた、あの記事を政府、警察が国会の場で丸ごと追認したというのに、何もできなかった。しなかった。情けない話だ。
 産経に限らず、1社だけが報じても世論にはならない。80年の産経記事の後追い報道はともかくとして、「梶山答弁」はマスメディアが拉致疑惑をそろって取り上げるべき最初の機会だった。この機を逃した意味の大きさは計り知れない、と今も思い続けている。
 あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。
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 1988年3月26日、メディアが死んだ日
 『産経新聞出版
 阿部雅美(元産経新聞社会部記者)
 (産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成)
 本書『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)は産経新聞に連載された《私の拉致取材 40年目の検証》に加筆したものである。連載中、読者からの反響で最も多かったのは、本書で繰り返し触れた《メディアが死んだ日》についての質問だった。
 1988年3月26日。北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚――政府が8年前に産経が報じた一連のアベック蒸発に言及し、初めて北朝鮮の国名を挙げて国会答弁したにもかかわらず、この答弁を含む歴史的な質疑をメディアがこぞって無視、黙殺したのだ。
 そんなことが本当にあったのか、という驚きの反応もあり、この事実が意外に知られていないことを知った。書籍化にあたりタイトルを『メディアは死んでいた』とした理由の一つだ。
 当時、国会・参院予算委員会の記者席にいた各社の記者に取材して《メディアが死んだ日》の真相を明らかにしてほしいという要望も、「あなたは何もしなかったのか」という叱責とほぼ同数寄せられた。実は20年前にも、15年前にも、それを試みかけたことがあった。
 しかし、報じなかったことについての他社への取材は至難だ。私の力には余る。《メディアが死んだ日》があったこと、この日の答弁内容を書き残すことで勘弁願いたい。
 朝日新聞共同通信のOBから提案、アドバイスもいただいたが、「北朝鮮はそんなこと(日本人拉致)はしない、と言い続けた(当時の社内の)○○らに筆誅を加えてほしい」という無理な注文もあった。
 では、88年3月26日に何があったのか。
 この日の参院予算委員会質疑で答弁した警察庁城内康光警備局長は、共産党の橋本敦議員の質問に対し、78年7月、8月のわずか2カ月間に4組の若い男女のカップルが突然姿を消したことについて、明確に「事件」と認定。続けてこう述べたのだ。80年の産経報道から8年、アベック拉致疑惑が初めて国会の場で取り上げられた瞬間だった。
 《諸般の状況から考えますと、拉致された疑いがあるのではないかというふうに考えております》
 続いて答弁に立った梶山静六国家公安委員長自治相)は、それまでの質疑をくくるように答えた。
 《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性に鑑み、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深いご同情を申し上げる次第であります》
 これを通称「梶山答弁」という。拉致について一度も公式に言及していなかった政府、警察が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を認めた。それまで拉致については、言ってみればゼロ回答だったのだから、一歩踏み込んだというレベルの話ではなかった。
 すでに拉致が周知のこととなっている「今」の視点からは、ごく当たり前の答弁に感じられるだろう。しかし「今」ではない。88年のことだ。
 小泉純一郎首相の電撃訪朝で北朝鮮側が日本人拉致を正式に認める10年以上も前である。だが、この歴史的な答弁はこぞって報じられなかったのだ。
 そもそも、私が書いた《アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?》の記事が、まだカタカナ題字だったサンケイ新聞一面に掲載されたのは80年1月7日。38年前だった。
 横田めぐみさん拉致事件の初報となった《「20年前 13歳少女拉致」 北朝鮮亡命工作員証言》の記事が漢字題字の産経新聞一面に掲載されたのは、それから17年後、97年2月3日のことだった。
 浜辺で楽しく語らう若い男女、下校途中の少女、買い物に出かけた母娘らが次々に襲われ、工作船に乗せられ、海の向こう1000キロ近くも離れた北朝鮮へと連れ去られる― 「ありえない事件」だった。しかし、拉致事件の特異さを際立たせているのは、そうした犯罪の形だけではない。
 1997年2月3日、産経新聞北朝鮮による横田めぐみさん拉致事件実名報道。この後、 拉致被害者家族会が結成されるなど救出への機運は高まっていくことになる
 もう一つ、ある。繰り返された理不尽極まりない蛮行を日本社会とメディアが長く放置してきたことだ。
 産経新聞の第一報は「虚報」とされ、この重大な人権侵害、主権侵害の国家犯罪への関心が広がることはなかった。大半の国民が、拉致は事実、という共通の認識を持つまでに、なんという長い年月を要したのか、思いもよらぬ曲折を経ねばならなかったのか。
 人により拉致事件の存在を知った時期に10〜20年もの隔たりがあるのは、なぜなのか―。責の過半は新聞、テレビなどマスメディアの不報(報じないこと)が負うべきである、と自戒を込めて思う。
 歴史に「もし」「たら」はないが、もし、あの時、メディアが一斉に報じていたら、今とは違う、今よりずっと良い結果に至っていたのではないか、との思いがぬぐえない。一度ならずあった契機に目をつぶり、拉致疑惑の存在を否定、黙殺し続けた事実を消すことはできない。
 この間、産経新聞の一連の拉致報道に対する誹謗を幾度も見聞した。インターネット上にも事実と異なる情報が散見される。反論もせず、訂正を求めることもしてこなかった。通常、事件取材の経緯は明かさないのが原則だ。
 しかし、拉致事件に限れば、どう取材したか、しなかったか、どう報道したか、しなかったか、が正しく記憶されるべきだと思うようになった。それらをも全て含めて拉致事件と考えるからだ。
 あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。」
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