☄9〕─3・B─文明は発展する事で気候変動を引き起こし生活空間を破壊する。〜No.34 *  

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 2019年7月号 Voice「人類が火星に引っ越す日 地球外生命体がいる確率は?
 アダム・フランク 取材・構成=大野和基
 ……
 文明は必ず気候変動を起こす
 ──本書によると、宇宙には水がある惑星は100億×1兆個もあるそうですね。そのなかで生命が誕生、あるいは文明が発達した惑星が地球一個だけと考えるのは、それこそ天文学的に低い確率になるという。さらに本書では話が進んで、『ドレイクの方程式』の最終項、すなわち技術文明の平均寿命が、いまわれわれが直面している気候変動や地球温暖化の解決につながるカギとなるとされている。このような発想に出くわしたのは本書が初めてです。この広い宇宙のなかで生命が存在する条件、文明が生まれる条件、そしてそれがどれ位の期間で続くのかという条件は、すべて一(ひと)続きのものとして連関している。考えてみると、完全に筋が通りますね。
 フランク 私は気候変動について、一般向けにたくさん本を書いてきましたが、アメリカでは拒否反応を示す人がたくさんいます。私が『ニューヨーク・タイムズ』やナショナル・パブリック・ラジオで発表しようものなら、『それは嘘だ』とすぐ怒鳴ってくる人がいます。
 なぜ気候変動は起こるべくして起こったものであることを理解できないのか。大きな文明ができれば、必ず気候変動が起きます。成功した文明は、自分の惑星から多くのエネルギーを集めている。そのエネルギーでビルを建設したりする。いかなるものでも気候変動の引き金になります。私は子供のころから天文学やSFが好きでしたが、この問題について『そうだ』と思った瞬間、すべて辻褄(つじつま)が合い始めたのです。そしてさらに研究したいと思いました。難しい問題です。
 ──気候変動はやはり不可避なわけですね?
 フランク そうです。気候変動は文明をつくり出す種族が生きる生物圏をもつ惑星において、不可避な部分です。惑星に生命が生じ、それが進化して知的生命ができ、文明を築くためにエネルギーを集めはじめると、気候変動が起きるのです。
 とはいえ、気候変動を引き起こす人間は酷(ひど)いといいたいわけではありません。それは人間が文明をつくるに成功した結果、生じるものであるという認識です。そして次にくる問いは、その気候変動に取り組むほど、われわれ人間は賢いのか、よいうものです。
 ──最近、注目を集めているのが、ハーバード大学のディビッド・キース教授の研究です。成層圏に二酸化硫黄などの微粒子を大量に散布することで、地球温暖化を防ぐという方法らしいですが、ここまでくると、それこそSFの世界ですね。
 フランク ある意味で気候変動は、われわれの邪悪さを測る尺度ではなく、成功を維持するには、われわれがこの惑星からエネルギーを集めて気候変動を引き起こすのを許した知性よりも、いかに優れた知性を有しているかにかかっています。
 ──なるほど、でも、どうして気候変動は起きていないと拒否派は主張し続けるのでしょうか。
 フランク それは素晴らしい質問です。政治的な理由があります。お金も絡んでいます。気候変動についてやるべきことをすれば、多額のお金を失う人がいます。私はかつて気候変動には対処できるといったポジティヴな記事を書いたことがあります。すると、ある人から怒りを込めた反論が寄せられました。
 その人は『石油の推定埋蔵量というものがあるだろう。それをお金に換えると、1兆ドルにもなる。人は石油を求めて戦争をしてきたが、1兆ドルにはまだ届かないし、石油会社は石油を絶対に手放さない』といってきました。
 気候変動に関してわれわれが直面している問題とは、まさにこれまで気候変動に直面したことがない、ということです。むしろ気候変動こそが、人間は惑星に生きる種族の一つであるということを認識させたのです。
 地球の歴史を遡(さかのぼ)ると、空気中に酸素がある唯一の理由は、藍色(らんしょく)細菌(光合成によって酸素を生み出す酸素発光型光合成細菌)という生命体が表れ、それがうまく生き延びて大気に酸素を放出したからです。つまり、酸素とは前の段階の種族が成功して生き延びたことによる産物です。
 また前述したように、われわれ人間という種族も気候変動を引き起こしている。ところが、多くの人は自分たち人間はこの地球という惑星のプロセスの一部にすぎないと考えることに慣れていません。
 ──ビッグクチャー(全体像)から見ると、大局的な視点が必要なのですね。
 フランク そうです。だから私は、この問題について人間がcosmic teenagre(宇宙のティーンエージャー)であると述べているのです。自分のことしか考えられない11歳の子供のままではいえない。この広い世界に責任をもつ20歳の大人になるべきだ、ということです。
 やがて人類は火星のドームの中に住む!?
 ──本書を読んだ日本人は、2011年3月11日の東日本大震災を思い出すかもしれません。福島第一原子力発電所の事故で地球が汚染されましたが、これはまさしく人災です。人間がこの惑星(地球)と長期的な関係を保つにはどうすればよいでしょうか。
 フランク すばらしい質問です。われわれが最初にすべきなのは、これまでとは異なった考え方をすることです。地球の長い歴史に加えて、火星や金星やタイタン(土星の衛星のなかで最大であり、濃い大気のあることが知られている唯一の衛星)など、他の惑星の研究を通じて、惑星の作用に関する理解が進んでいます。太陽からエネルギーをもらった惑星がそれをどのように天気に転換するのか、あるいは雨や雪が降るとそれが岩を流れて岩の化学物質を取り除き、それがどうやって大気に入るのか、ということがわかっています。
 いわば惑星というのは、太陽からエネルギーを得て、さまざまな興味深いことを行う機械です。過去、何千年ものあいだ、われわれはその機械よりも上位に位置していると考えてきました。ごみを捨てれば何も気にせず、どこかに消えると思っていたのです。
 しかし、われわれは人間がこの惑星という機械の一部にすぎないということを理解しなければなりません。これは一つの試練です。『気候変動はわれわれがいまの段階をパスして、進化の次の段階に行けるかどうかをテストする人類の卒業試験である』という気候学者もいるほどです。
 ──人間は惑星に住む種族であるという視点でいうと、いずれ地球は住めない状態になるのでしょうか。
 フランク そうです。これは大きな議論のテーマです。はっきりしたことはわかりませんが、あと十数億年も経(た)てばそうなるでしょう。太陽はつねに温度を上昇しています。10億年ほど経つと、地球上の海はなくなり、生命を支えることができなくなるでしょう」
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 海で誕生した地球生物にとって、水は命の揺り籠であったが、酸素は有害物質であった。
 生物の進化と言われる、水中から岸辺、岸辺から陸地への棲息圏の拡大は、弱者生物の逃亡の歴史である。
 海の中で誕生した水中生物にとって、陸上は死と隣り合わせの不毛な土地であった。
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 賢い生物種は、強い捕食者や優位な競争相手がいない荒涼たる不毛地帯に逃げ出し、自分が快適に住み子孫を増やせるように居住空間・生息地域を改造して切り拓く。
 だが、快適な自然環境改造に失敗すればその生物種は絶滅する。
 あるいは、強い捕食者や優位な競争相手が乗り込んできて快適な居住空間・生息地域を奪われれば、食い殺されるのを承知で戦って死滅するか、生きる為に逃げ出すしかない。
 自然の掟で自然に生きるとは、そういう事である。
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 人体に侵入して病気は発病させる病原菌・伝染性ウイルスは、宿り主を殺す為に毒素を出し手いるのではなく、宿り主を自分が生きやすい環境に改造する為に消毒・解毒を行っているに過ぎない。
 人体を改造できた細菌・ウイルスが、口腔内や腸内にフローラを形成し共存している。
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 文明は滅びるが、文化は残る。
 新しい民族による新しい文明が生まれるには、古い文明と古い民族が滅びなければならない。
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 定着した民族は、農業栽培技術を高度に発展させ、富を集めて都市を造り文明を築く。
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 文明を築いた民族は、文明によって富み栄え、豊かな文明と共に滅びる。
 現代において、世界の古代文明は人が住めない遺跡として残骸を晒している。
 日本民族の日本文明は、揚子江流域に栄えた長江文明の後継文明であって、漢族が黄河流域で築いた黄河文明の亜流文明ではない。
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 朝鮮半島には、文化はあっても文明はなかった。
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 日本民族の日本文化は、漢族の中国文化や半島民族の朝鮮文化とでは異質な文化である。
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☳38〕─2─韓国はベトナム戦争の非人道的戦争犯罪とライダイハンを無視する。〜No.134No.135No.136No.137 ⑯ 

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 2019年6月30日 msnニュース NEWSポスト「韓国軍の蛮行伝える「ライダイハン像」 文政権はどう応える
 © SHOGAKUKAN Inc. 提供 歴代韓国政権はベトナム戦争での「加害」を公式に認めていない(時事通信フォト)
 韓国政府がこれまで認めてこなかった「ベトナム戦争での加害」が、にわかにクローズアップされている。イギリスで、韓国軍による性暴力被害者を象徴する「ライダイハンの母子像」が制作され、全世界に公開されたのだ。ベトナム戦争時の虐殺事件や混血児「ライダイハン」の取材を続けるフォトジャーナリストの村山康文氏が報告する。
 * * *
 韓国はベトナム戦争時、米軍に次ぐ延べ32万人超の兵士を投入し、その間、ベトナム中部のあちこちで虐殺事件を起こした(韓国軍の派兵は1965年10月~1973年3月)。虐殺事件の現場は100か所以上、被害者数は最大3万人という調査結果もある。
 韓国軍はさらに、現地の婦女を強姦し、あるいは売春婦を妊娠させ、多くの「ライダイハン(韓国人男性とベトナム人女性の混血児)」が生まれた。その数は最小1500人(朝日新聞1995年5月2日付)から最大3万人(韓国「釜山日報」2004年9月18日付)と推定されている。私自身、これまで10年以上にわたり取材を続けているが、未だにその全容は明らかにできていない。
 だが、ベトナム戦争後、韓国の歴代政権はそうした「加害の歴史」に向き合うことはなかった。特に近年は、韓国政府に謝罪や補償を求めるベトナム国内の動きを、韓国との経済関係を重視するベトナム政府自身が押さえ付けてもいる。
 そうした中、イギリスで設立された民間団体「ライダイハンのための正義」が、6月11日、ロンドンの集会で「ライダイハンの母子像」を公開した。母子像は、同団体のメンバーでもある英国人彫刻家が制作した高さ230センチのブロンズ像で、ライダイハンとその母親、すべての性暴力被害者を象徴するものだという。
 集会には、イスラム教過激派組織「イスラム国」の性暴力を告発し2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんや、英国の元外相で同団体の「国際大使」を務めるジャック・ストロー氏らが参加。韓国政府がベトナム戦争中に犯した性暴力を認め、実態調査を行なうようアピールした。
 さらに同団体は、ライダイハンで作家のチャン・ダイ・ニャットさんとその母親チャン・ティ・ガイさん、同じくライダイハンの母親であるヴォー・ティ・マイ・ディンさんの3人の連名で、文在寅韓国大統領宛ての公開書簡を送ったという。韓国政府に、国連人権理事会による調査への協力と、ライダイハンと韓国軍兵士の親子関係を調べるDNA鑑定に応じることなどを求めている。
 長年取材してきた「ライダイハン問題」が英国で大きな動きを見せるとは正直予想していなかったが、韓国・ベトナム両政府が真実の歴史に蓋をする中で、一石を投じた同団体の活動をまずは賞賛したい。
 筆者は2009年から、前述の公開書簡の差出人の一人、マイ・ディンさんをベトナムに訪ね、ライダイハンである息子ヴォー・スアン・ヴィンさん同席の上、数度にわたって話を聞いたことがある。ベトナム戦争時、駐留していた韓国軍の基地内の食堂でメイドとして働いていたマイ・ディンさんは、20歳のころに職場で韓国軍兵士に輪姦され、ヴィンさんを身ごもった。
 取材当時、マイ・ディンさんは息子を前にして「あの頃のことは思い出したくない」と多くを語らなかったものだが、一方で息子のヴィンさんは「(韓国人の)お父さんに会いたい」と呟いていた。
 マイ・ディンさんは、自身が年を重ねるうちに心境が変わり、ライダイハンである息子の思いに応えようとしたのだろうか。英国の団体の活動に参加することで、50年前に経験した恐怖と屈辱の記憶に向き合っている。
 ベトナム現地の受け止めはどうか。ベトナム有力紙の元記者で、現在はフリーライターのチャン・クアン・ティさんに話を聞いた。
 「ロンドンの民間団体がライダイハンの支援活動をしているとは聞いていましたが、今回の件はベトナムでは報道されておらず、知りませんでした。ライダイハン自身が声を上げ、韓国兵に対して責任を要求することは、非常に意味のある行動だと思います」
 ティさん自身はベトナム戦争終結後の1977年生まれだが、幼少期に祖父母から韓国軍の荒々しい殺戮行為を聞いて育ったという。かつて、筆者の取材にこう答えていた。
 「村に攻め入ってきた韓国軍兵士の一人をベトコンが撃つと、韓国軍は大声で泣いて狂乱し、罪もない村人全員を殺戮し、村を壊滅させた。韓国兵がみな虐殺を行なうわけではないが、仲間が殺されると韓国兵は半狂乱になり、民間人虐殺を繰り返す。そんなふうに祖父母から聞いていました」(2016年9月のインタビュー時の発言)
 ティさんは、ライダイハンをはじめとするベトナム生まれの混血児(米兵とアジア人女性の間に生まれた「アメラジアン」など)は「みな劣等感と差別に苦しんだ人生だった」と指摘する。
ベトナム戦争の際に生まれた混血児の多くは、愛の結晶ではなく性暴力によるもの。そのため劣等感を抱いて育っています。私は、韓国がライダイハンを認めることは、ベトナムで行なった“憎悪の歴史”を認めることだと思います。ベトナム戦争中、韓国兵がベトナムで行なったことが文政権下で真剣に受け止められ、補償が行なわれることを心から願います」(ティさん)
 文在寅大統領は、ライダイハンとその母親らの声に、どう応えるのだろうか。
【プロフィール】むらやま・やすふみ/1968年、兵庫県生まれ。立命館大学中退後、フォトジャーナリストとして主にベトナム問題を取材。
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☲20〕─2─朝鮮人徴用工に対する日本の米配給。昭和16年4月。~No.62No.63 

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 昭和16年4月 日本国内で食糧不足から米の配給制が始まった。
 成人の1日当たり米配給量は二合三勺(しゃく)、機械工などの重労働者(乙種労働者)は二合七勺、炭坑夫などの激しい労働を伴う筋肉労働者(丙種労働者)は三合八勺である。
 戦時。軍需工場や炭坑で働く労働者は日本人・朝鮮人に関係なく一般日本人よりも量が多くの米が配給されていた。
 ただし、日本人と朝鮮人の食生活が違う為に、朝鮮人にとって日本人と同じ食事を強制的に食べさせられる事は苦痛であり、民族に対する差別にうつり反論せず耐え忍ぶ日本人への敵意をさらに募らせた。
 日本人にとって「戦争に勝利する」事が最優先課題でった為に、日本人労働者不足を補う朝鮮人労働者、生産に欠かせない朝鮮人徴用工の要求を無理をしても叶える必要があった。
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 『在日朝鮮人関係資料集成 第4巻』「在住朝鮮人の大部分は労働者にして……内地人に比して遙かに大食にして一人1日の消費量概ね一升乃至七、八合なりし為、規正当初に於いては著しく苦痛を感じ徒らに不平不満を唱へ飯米不足を理由に……治安上憂慮すべき事象を幾多生起し」
 深川宗俊(『海に消えた被爆朝鮮人徴用工』)「広島機械、広島造船〔ともに三菱〕ともに逃亡者が続出し、その穴うめのために、労務、訓育課等で、随時、人集めに朝鮮に出かけていた。……広島機械の朝鮮人徴用工の通帳記載の数字は、当時1,200人であったが、徴用工の実数は400人余に減少していた。1年たたぬ間に約3分の1以下になったわけである」
 「徴用工の不満は、まず最初は唐辛子がないということで、爆発した。食堂に集まった彼らはいっせいに口笛を吹き、どんぶり茶碗をたたく。統一された要求である。あわてた三菱側は遠く九州まで唐辛子の買いあつめにかけずりまわったほどだ。徳光さんは闇魚を下関まで買いに行ったという」
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🎍38〕─1─空海を旅する芸能の心髄をめざして。〜No.119No.120・ 

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 日本は、仏と神が共存する仏教立国である。
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 日本仏教の庇護者は天皇・皇室であった。
 日本は仏教を国教とする仏教立国であった。
 平安時代以降、天皇・皇后の大葬は神式土葬ではなく仏式火葬で執り行われていた。
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 日本は、日本天皇が統べる仏教国家であった。
 中華(中国・朝鮮)は、中華皇帝が治める儒教国家であった。
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 伝統的日本のローカル宗教は、特殊な血筋・血統に基ずく特別な家系である天皇家・皇室によって守られてきた。
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 天皇家・皇室による宗教改革は、聖徳太子天武天皇聖武天皇行基桓武天皇最澄嵯峨天皇空海
 天皇家・皇室は、日本神道・神社と日本仏教・諸宗派は関係が深く、国内での不毛で無意味な宗教戦争を防いできた。
 天皇家・皇室がないと日本の歴史は語れない。
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 797年 空海は、『三教指帰(さんごうしいき)』を書いた。
 儒教は、昔の聖人君主の言葉や行動を暗記して自分1人が出世する為の学問であり、孔子は宇宙とは何かについて語らなかった。
 道教は、世捨て人として山や森林の奧に隠遁し、自分1人が仙人となって数千年の命を得る為の修行を説く学問である。
 人は、如何に古典を丸暗記しても聖人君子には成れないし、修行して数千年生きてもしょせんは限られた命でしかない。
 人は限られた命、終わりある命を如何に生きるか、が大事である。
 我々は、輪廻の輪から逃れ、如何にそこから逃れて仏になるか。
 仏教は、自分1人ではなく、皆とともに救われる道を教えている。
 皆と伴に救われる道を説いたのが、日本仏教である。
 突き詰めれば、儒教道教は私の自利自であり、神道と仏教は皆と一緒という利他他愛である。
 それは、中国や朝鮮の歴史を観れば一目瞭然である。
 日本人が自分に都合よく歪曲して読み解く儒教道教は、中華世界には存在しなかった。
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 2019年7月7日号 サンデー毎日「夢よりもなお狂おしく  なかにし礼
 空海を旅する芸能の心髄をめざして❸
 空海は24歳の時に書いた『三教指帰(さんごうしいき)』は広く世間の人に読んでもらうというより、息子が国家試験を受けて合格し、高級官吏になることを心待ちにしている両親親戚に向かって書いたいわば『わが道を行く』宣言である。中身について詳しく述べることは割愛するが、結論から言えば、世には大きく分けて、儒教道教、仏教の3つの道があるが、そのうちどれが一番優れているのか、それを解き明かしてみせようというのである。
 で、儒教先生と道教先生と仏教先生が問答風に自説を披露するのだが、儒教道教の先生2人は仏教先生にことごとく論破されてしまう。儒教道教の先生2人は『私たちの道が、浅い部分の真理にすぎなかったことに気づきました』と殊勝なことを言う。仏教先生は『大覚の勇者である仏陀は、何と崇高(けだか)くそびえていることでしょう。道教で説くあの神仙の小術や、儒教で唱えている俗塵(ぞくじん)の微風など、どうしてともに談ずるに足りましょう。人生はすべて、仏の光を浴び仏に向かって歩むところにその意味があるのです』と言い、最期に空海自身の言葉で『冠の綬(ひも)や簪(かんざし)で象徴される官位など、捨て去らないでよいものしょうか』と俗界の栄誉を捨てて、仏道に励むことを高らかに宣言するのである。この書によって両親親戚も説得され、空海は国家試験を受けることなく、自由の身になった。
 この『三教指帰』を読むと、空海がいかに中国の古典や仏教経典まで説話集などを深く広く勉強していたか。そしてそれらをことごとく頭にたたき込み記憶していたかが分かる。24歳の若者がこれほどの博覧強記を見せることに驚かないではいられない(以上『空海三教指帰」』加藤純隆、加藤精一・訳、角川ソフィア文庫による)。
 空海は南都奈良にある六つの宗教集団(倶舎{くしゃ}宗、成実{じょうじつ}宗、律宗法相宗三論宗華厳宗)の全てを学ぼうと思い、七大寺(東大寺興福寺元興寺、大安寺、西大寺薬師寺唐招提寺)を回り、経蔵(きょうぞう)にある教典を読み漁(あさ)った。
 が、心にひっかかるものがある。それは『大日経』のことだ。奈良時代の初め頃、インドを発祥とする密教の教えが日本に渡ってきていた。それは『大日経』という教典に基づく密教であった。しかし通常の仏教と中身がまったく違うため、いつしか人々に忘れられていたのだが、山岳修行をする僧たちはみな『大日経』の教えの片鱗(へんりん)を知っていた。それによると『肉体を通して悟りを得る。悟りとはすなわち体感することだ。つまり即身成仏である。その上、修行によって神秘を体験すれば、験力(げんりき)さえ得られる』と言っていた。『大日経』という密教の経典は、インドの諸宗教の一切を含み込んで一つにまとめようという意図を持っているらしい。早く読みたい。
 空海の強い思いが通じたのか、ついにある日、唐招提寺(とうしょうだいじ)で『大日経』の写しに出会うことができた。
 空海は『大日経』の読解に魂をそそぎ、半年経(た)ってようやく理解し、そして興奮した。
 この経は、まず大日如来(摩訶毘盧遮那仏{まかびるしゃなぶつ})を根本最高の仏(万物の慈母・宇宙の本体)としている。大日如来というのは密教によって生み出された存在であって、釈迦のように実在した人物ではない。それは永遠の真理そのものであり、一切の現象世界そのもののことでもある。それは森羅万象に内在し、万物に智慧(ちえ)と慈悲を与える。この考え方は、仏陀をあくまでも本尊とする従来の仏教を学ぶ者にはどうにも理解のいかないことだった。それゆえに、廃れたのであろう。しかし、空海は日本でたった一人、この思想をはっきりと喝破(かっぱ)したのである。空海の『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』にはこうある。『この密教の境地は、仏陀の心の奥底の境界です。秘密の中の秘密であり、覚(さと)りの中の覚りというべきものであります』(『空海「秘蔵宝鑰」』加藤純隆・加藤精一・訳、角川ソフィア文庫)。仏陀菩提樹の下で座禅を組みながら根本最高の仏である大日如来のことを瞑想(めいそう)していた。つまり仏陀の頭の中に入って見た景色こそが密教の境地なのだ。
 『大日経』は、人間の身・口・意(心)の三つを使って三密という行為ができる。手で印契(いんけい)を結ぶ身密、口に真言を唱える口密(くみつ)、心に本尊(大日如来)を観ずる意密、この三つの行法(ぎょうほう、ぎょうぼう)を積むことで、大日如来と呼応(こおう)して融合することを得、この世においてこの身このままで成仏できると説く。
 即身成仏できるということは、現世に対して肯定的であり、情念も煩悩さえも認めることになる。それまで死と禁欲の陰影におおわれていた仏教の世界に突如太陽の光が降りそそいだ。この明るさが空海の生命力をかきたてたのです。
 『この密教を深く学んで、日本で最初に密教を興そう』
 空海の胸に初めて野望らしきものが生まれた。そしてその為には、なんとしても唐に行かなくてはならない。
 第16次遣唐使船の4艘(そう)は803年4月に出航となっていたが、空海はそれに乗ることはできなかった。理由は、空海は還学(げんがく)僧(唐の仏教経典を手に入れて持ち帰る役目の僧侶)でも留学(るがく)僧でもない。一介の私度(しど)僧(官の許可なく仏門修行する僧尼)にすぎない。両親親戚や先輩の僧たちの努力もむなしく、銓衡(せんこう)からはずされた。ところが強運というものは持っている人を見放さない。この第16次遣唐使船4艘は難波津を出たのはいいが、日本海で時化(しけ)に遭い、日本に逃げ帰ってきた。もともと遣唐使は命懸けで乗るものだが、こんなことが続々と出た。そのため出港は翌年7月に延期され、欠員募集ということになった。まさに千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスだ。空海は今回は選ばれた。東大寺で得度(僧尼なるための受戒の儀式)し、頭髪をきれいに剃りおとし、墨染めの法衣を身につけ、船上の人となった。時に空海、31歳、804年のことである」
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 俗説として、空海が庶民の手習いの手本とするべく37文字からなる「いろは歌」を作った。
 日本の庶民は文字を手に入れ自分で思考するようになり、中華(中国・朝鮮)や西洋などで無学文盲として搾取され虐げられるだけの民衆・大衆・人民とは違う生き方を始めた。
 その為に、日本では、儒教の統治原則である「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」は通用しなかった。
 それゆえに、日本には「由らしむべし、知らしむべからず」が存在したと信じる日本人は、日本の歴史を知らないか、日本の歴史が理解できない。
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 中国の権力を握ったのは、科挙(官僚登用試験)に合格した士大夫で、血筋・血統を根拠とする世襲の王族・貴族と権力闘争を繰り返していた。
 中国における熾烈な権力闘争は、血筋・血統に基ずく世襲の王族・貴族、血筋・血統に関係しない士大夫・読書人、生殖機能を捨てた宦官、地方軍閥の4者で行われていた。
 中国の歴史は時代によって多少の変化があったにしても、前221年に成立した秦帝国から1912年に滅亡した清帝国まで、ほぼ同じような事を繰り返していた。
 朝鮮も、新羅が668年に唐の軍事支援で朝鮮半島を統一してから李氏朝鮮が1910年に日本に併合されるまで一歩も変わる事がなく、中国同様に同じ事を繰り返していた。
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 現実的思考の日本は、中華(中国・朝鮮)の自利で不寛容な観念的思考を排除してインド・中央アジアの利他で寛容な実相的思考を受け入れた。
 日本は、攻撃的な中華よりも平和的なインド・中央アジアとの親和性が強い。
 近代化する為には西洋の合理的論理的思考を受け入れる事でったが、日本は積極的で、中国は消極的で、朝鮮は拒絶的であった。
 日本と中国・朝鮮の違いはそこにある。
 現代日本でも、日本民族日本人は中国・朝鮮よりもインドに親しみを感じ、インドを思うと中国・朝鮮とは違い安堵感を感じる事ができる。
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 悠久の大河・黄河の桁外れに広い川幅に驚愕しても、ガンジス川の濁流に感じる涙が出るような有り難いものを見たという感動と癒やし慰め励ましはない。
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 日本民族日本人にとって、中華は一瞬の驚愕であり、インド・天竺は永遠の感動であった。
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 孔子は学びであり、釈尊は救いである。
 唐は勉学の学舎であり、天竺は修行の精舎である。
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 気の弱い・精神力の弱い日本民族日本人は、学識の学びよりも慈愛・慈悲の救いを求めた。
 日本民族日本人は、たまに好んで読んでいたが論語なら、毎日称えているのが般若心経である。
 精神修行の為に仏典の写経を行うが、教養を高める為に論語の写本は行わない。
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 日本民族日本人の教養・博学・博識とは、儒教ではなく仏教であり、高尚な漢文や漢詩ではなく低俗な和歌や俳句であった。
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 インド・天竺は、幻想的な蓮の花が咲き、香しい蓮の香りがたなびきく、仏さまが居られる有り難い世界であった。
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 昔の日本人は、死後の世界として魂・霊魂が西方にある御仏の極楽浄土・天竺に導かれる事を懇願したが、その手前にある聖人君主儒教世界・唐(から。もろこし)には興味も関心もなく行きたいとも思わなかった。
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 歴史に残る唐天竺の唐とは、漢字の通り仏教を信仰していた唐王朝玄宗皇帝前期の事で、仏教を弾圧した中国ではない。
 日本人が憧れた唐(から。もろこし)とは、反日派の中国共産党が死と暴力の恐怖で支配する現代の中国の事ではない。
 中国や朝鮮の中華世界は、国内では叛乱と内戦を起こし、周辺諸国には侵略戦争を起こし、その度に大虐殺と略奪を繰り返していた。
 日本は、その事実に恐怖し、歴史を鑑とし教訓として、中華世界を敬っても近付かず友好的交流を謝絶した。
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 日本人が好んで読んだいるのは『論語』のみである。 
 日本人は「論語読みの論語知らず」で、日本人の思考力では本当の儒教の恐ろしさを理解できない。
 『論語』のみを読んでも、四書五経を熟読して学ばなければ儒教を理解した事にはならない。
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 中華儒教の根本原理は、徳至上の「天命論」と王朝交代の「易姓革命」である。
 日本儒教は異端として、正統な中国儒教や朝鮮儒教とは異なる。
 それは、道教でも、そして仏教においても同様である。
 つまり、日本と中国・朝鮮とは根本的に違うのである。
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 仏教はインドで生まれた宗教であり、開祖はインド・釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタ釈尊釈迦牟尼)であった。
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 第一回宗教改革。仏教立国の成立。飛鳥時代の仏教伝来から奈良時代東大寺建立まで。
 日本天皇は、中華皇帝から完全独立する為に、インド・中央アジアの寛容な大乗仏教は受け入れ不寛容な中華儒教は排除した。
 中華儒教を排除したのは、日本天皇を否定し天皇制度を崩壊させる危険性のある放伐禅譲易姓革命を正当化していたからである。
 中華の王朝交代の原則である易姓革命を排除する為に、天皇家・皇室は姓名を捨てた。
 中華儒教の天命論による易姓革命では、姓名を持たない日本天皇を殺害し、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を皆殺し・根絶やしにはできない。
 王朝交代の易姓革命は、数百万人、数千万人の大虐殺をおこなった後に完成される。
 中華儒教の天命論は、数百万人、数千万の大虐殺を正当化させる理論である。
 日本国は、日本を守る為に日本神道と日本仏教を融合させ、中華儒教を敬遠した。
 日本仏教は、中国仏教や高麗仏教・朝鮮仏教とも根本的に違い、むしろインド・中央アジアの西方仏教に親和性が近い。
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 第二回宗教改革国家神道の成立。明治時代。ロシアの武力侵略とキリスト教の宗教侵略から母国日本と伝統的民族宗教を守るべく、皇室神道を否定する反天皇的宗教勢力を弾圧した。
 後の、共産主義弾圧も同様の理由で行われた。
 大日本国帝国憲法は、信教の自由を認めてキリシタン禁教令を廃止し、思想の自由から反天皇的思想・主義・哲学以外は認めた。
 キリスト教会は、日本をキリスト教化する為に信仰の自由を明治政府に強要していた。
 近代化は、殖産興業・富国強兵・近代教育である。
 その中心に据えられたのが近代的天皇制度である。
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 アジアのマルクス主義社会主義共産主義)は、日本が発祥で、日本国語(和製漢字)で広がった。
 中国共産党が使用してる思想用語の半数以上が日本人が創った和製漢字である。
 中国共産党中国国民党も結党理念は、日本のお陰であった。
 中国の近代化である孫文辛亥革命は、日本国と日本の右翼・民族主義者がいなければ成功しなかった。
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 日本の古代は、西方遊牧民族王朝の隋と唐の影響を強く受けていたが、平安時代初期に国家としての中国との交流を中止してからは影響力は弱まった。
 中国の近代化は、日本の影響力を強く受けていた。
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 第三回宗教改革。自由信仰時代。GHQは、国家神道を廃止した。オウム真理教など反社会的宗教団体が生まれた。
 アメリカ系キリスト教会は、日本をキリスト教に改宗させるべく靖国神社明治神宮など主要神社の焼却をマッカーサーに要望した。
 GHQ内のマルクス主義者や日本人共産主義者は、反宗教無神論から日本の宗教を破壊しようとした。
 ローカルな民族宗教を護る為に一人孤独に抗ったのが、昭和天皇であった。
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 第四回宗教改革。反宗教無神論時代。将来、血筋・血統に基ずく万世一系男系天皇家・現皇室の消滅で宮中祭祀・皇室祭祀である正統神道皇室神道が廃止・消滅されるかもしれない。
 つまり、日本民族が数千年護り伝えてきたローカル神話である日本中心神話・天孫降臨神話・天皇由来神話の廃絶である。
 天皇家・皇室の一子相伝である宮中祭祀皇室神道八百万の神々の物語である日本中心神話・天孫降臨神話は、不可分の関係にあり、天皇制度を廃絶し天皇家・皇室を廃止する事は日本中心神話・天孫降臨神話を消滅させる事である。
 言い換えれば、日本の中国化である。
 天照大神の直系子孫が絶えれば、天皇に即位するのは日本民族日本人でなくてもよく、中国人や韓国人・朝鮮人でも構わないし、アメリカ人やロシア人やユダヤ人、さらにはフィリピン人やインド人やアフリカ人でも構わなくなる。
 誰でも、自由に日本の天皇に即位する事ができる。
 反天皇反日的日本人は、その事を十分理解した上で、国防的近代的天皇制度による中央主権体制の否定、国體的天皇天皇制度の廃絶、そして昭和天皇の戦争責任及び戦争犯罪糾弾などの活発的に運動を行い、子供達に歴史教育で教えている。
 その歴史教育が、1946年のキリスト教史観及びマルクス主義共産主義)史観と1980年代の日本人残虐非道の極悪人史観=自虐史観である。
 俗に言う東京裁判史観である。
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 日本の根本宗教は、天皇教である。
 天皇の権威の源泉は、政治ではなく、宗教でもなく、私心のない母性的(家庭的)な道徳・良心・まごころ・慈しみである。
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 日本は、中華儒教絶対的価値観による中華文明圏の一員ではなく、日本神道・日本仏教・日本儒教その他の集合相対的価値観による独立した日本文明である。
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 日本にとって中華諸国(中国・朝鮮)は敵もしくは仮想敵で友好善隣などは幻想であったが、隣国である以上、深い入りするような親密関係を取らず「敬して遠ざける」の上辺関係で距離を置いていた。
 中国とは、894年の遣唐使中止以降は国交を閉ざした。
 朝鮮とは、新羅水軍や新羅人海賊の度々の襲撃と新羅系渡来人の叛乱を理由にして統一新羅との国交を断絶させた。
 そして、国内で反天皇反日本派渡来人を増やさない為に朝鮮半島からの移民・難民の受け入れを拒絶した。
 同様に、大量の中国人渡来・移民も日本崩壊・天皇制度廃絶に繋がるとして警戒した。
 親日派知日派は、百済高句麗、古新羅渤海であり、国内の高麗は高句麗からの難民であった。
 敵日派反日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮であった。
   ・   ・   ・   
 日本と中国・日本と韓国の長い友好関係は、悪意をもったウソである。
 日本にとって中国や朝鮮は、敵国であった。
  特に、中国共産党は紛れもなく日本の敵である。
 世界は、日本に同情しないどころか中国や韓国の言い分を認め、日本を厳しく非難している。
 反日派の中国人や韓国人・朝鮮人そして反天皇反日的日本人らによる宗教テロ事件が、度々起きている。
 世界の宗教団体や個人は、日本宗教界に加えられる反天皇反日の宗教テロ事件を黙認している。
   ・   ・   ・   
 隋・唐両王朝は、正統漢族ではなく西方遊牧民族の王朝で、異民族が武力で築いた中華制服王朝であった。

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🌋10〕─1─高天原は天照大神ら神々が農耕生活をする労働の国である。〜 No.29No.30No.31 

日本誕生 [東宝DVD名作セレクション]
   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 最高神である女性神天照大神は、母神・母性神であった。
   ・   ・   ・   
 高天原のような神の国は他にはない。
 日本の神の国には、人間は行けない。
   ・   ・   ・   
 高天原は女尊男卑世界として、全ての男神最高神である女性神天照大神に傅き奉仕していた。
 それは、女王(母性)を中心にコミュニティーを形成するアリやハチの巣ににている。
   ・   ・   ・   
 日本に於ける最初の引きこもりは、天照大神の岩屋戸隠れである。
   ・   ・   ・   
 2019年6月27日号 週刊新潮「夏裘冬扇  片山杜秀
 相撲と米国
 令和最初の大相撲本場所。前頭の朝乃山が平幕優勝。トランプ大統領が土俵に上がり、アメリカ大統領杯を朝乃山に手渡した。その光景をテレビで見、三代目朝潮太郎のことを思い出した。
 朝乃山の朝は、師匠の高砂親方の現役時代の四股名(しこな)、朝潮太郎の朝だろう。今の高砂親方は4代目の朝潮。そのまた師匠が三代目だ。
 昭和30年代前半、大相撲は栃若時代と呼ばれた。栃錦と初代若乃花の全盛期。彼らの引き立て役にしばしば甘んじ、悔しい思いをしていたのが、横綱のひとり、三代目の朝潮である。
 その朝潮が映画に出た。1959(昭和34)年の東宝の超大作『日本誕生』。国土創生からヤマトタケルまで。日本神話を描いた。前年にハリウッド映画の聖書物『十戒』が日本でも大ヒットした。それに対抗した作品だった。
 見せ場のひとつには、岩戸隠れの物語。原節子扮するアマテラスの統べる高天原を、弟の神、スサノオが訪問する。三船敏郎扮する彼は、高天原で乱暴狼藉を働く。姉は怒り、岩屋戸の中に隠れる。アマテラスは太陽そのもの。世界は真っ暗に。神々は太陽を引きこもりを解決すべく、策をめぐらす。
 そのとき大役を担うのが、アメノタヂカラオだ。神々が外から音でアマテラスの気を引き、彼女が外の様子を確かめたくなって岩戸を少し開ける。待ち構えていたアメノタヂカラオが少しの隙間に手を入れ、岩戸を一気に開く。要するに大力の神。伊福部昭作曲の神楽に囃され原節子が迷ったところで、朝潮が大活躍。名場面誕生だ。
 ところで、アマテラスが怒ったスサノオの乱暴とは何だったのか。水田を壊したり、家畜を殺したり、肥料を傷めたり。特に米作りを妨げることが高天原では罪が深い。高天原には、米作りを基とする第一次産業ユートピア国家のイメージが託されている。
 アメノタヂカラオには、天手力男天手力雄という漢字が当てられるが、平和の農耕ユートピアである高天原の力持ちには、刀剣を振う戦士よりも、田畑を開墾し保つ農民のイメージが相応しい。
 このアメノタヂカラオは大相撲の土俵の神でもある。本場所の土俵は場所ごとに手作業で築かれる。そして神事を行い、神々を招き、場所が始まる。その神の中にアメノタヂカラオが居る。場所中は行司が祀(まつ)る。『日本誕生』に横綱が主演した理由もそこにある。
 もちろん、土俵の土を囲む俵は主に稲藁(いなわら)。相撲とは、第一次産業を守護する力持ちのイメージと重ね合わせてきた農耕祭祀的芸能なのであった。
 その土俵に、農畜産品の関税の大幅引き下げを日本に求めている真っ最中のトランプ大統領が上がった。『アメリカ』は、もともと新井白石らによって亜墨利加と当てられ、亜国と略されていた。が、アメリカ帰りの漂流民、ジョン万次郎が、発音は『アメリカ』より 『アメリケ』が近いと説いたことをきっかけに、『ア』が脱落してしまい、漢字表記でも『米利堅(メリケ{ン})』がはやり、維新前後、亜国を米国がおしのけた。そこでの『米』は『メ』の音を示す記号であって、表意文字としての性質は全くない。ところが、歴史も長くなると予期せぬ展開がありうる。表音が表意に化け、米国が日本にとっての米の国、第一次産業をお任せする国になる日が迫り来てはいないか。高天原が簒奪されることはないか。
 土俵の神は何を思うか。アメノタヂカラオを祀る代表的神社、信州の戸隠神社に無性に参りたくなっっている」
映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生 [DVD]
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 高天原を滅ぼそうとした勢力が、不寛容・排他的なキリスト教と反宗教無神論共産主義マルクス主義)であった。
 日本国内で、宗教・精神のグロバリズムによって農耕・漁労・畜産の第一次産業の神を消滅させる「神殺し」が進んでいる。
   ・   ・   ・  
 高天原は、最高神である女性神天照大神ら天つ神系神々が農耕などの重労働をして生活する神の国であって、働かずとも満ち足りて欠ける事のない光り輝く神の王国ではない。
 ましてや、神の恩寵で死んだ人間が永遠の命を与えられて招かれる天国でもない。
 仏が住まう、紫の霞に包まれ、花が咲き誇り、香しい匂いが漂う極楽浄土でもない。
   ・   ・   ・   
 高天原は、血と死を穢れとして嫌う神々が労働する国であり、天照大神の正統な血筋・血統に連なる子孫、つまり天孫族系の男系天皇・皇族の魂・天皇霊のみが昇天できる神々の国である。
 天照大神の血を引かない女系天皇・女系宮家や血が繋がらない赤の他人は、高天原には昇れない。
 神と言っても、天つ神系神々ではない国つ神系神々は高天原には昇れない。
 それが、日本民族の日本中心神話・天孫降臨神話である。
   ・   ・   ・   
 高天原には、戦いや争いは存在しないし、武士・兵士・剣士・戦士・闘士も存在しない。
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 日本民族日本人が、死を忌み嫌い、血を穢れとするのは、高天原崇拝にある。
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 神が嫌う事は嫌い、神が遠ざけるモノは遠ざける、それが日本神道の「神に習う」事である。
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 日本各地に、海の外から渡ってきた渡来神・マレビトの神が日本の神として大切に祀られている。
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 高天原は、天つ神系天照大神の血筋・血統を根拠とし国つ神やマレビトの神を差別している。
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 日本における民族主義と差別主義の源泉は、天つ神と天孫族しか昇天して住めない高天原にある。
   ・   ・   ・   
 高天原崇拝の原型は、争いを嫌う平和な揚子江流域で栄えた長江文明であって、争いを好み殺し合いに明け暮れた黄河流域の黄河文明とは違う。
 長江文明は、寛容で柔軟性と多様性に富んでいた。
 黄河文明は、排他的で硬直化し、一元的で画一化し統一・統合を志向した。
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 長江文明はコメ作りであり、黄河文明はムギ作りでった。
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 日本民族は、乱婚を繰り返し雑多な血が混じり合って生まれた混血の雑種民族である。
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宝塚歌劇 雪組 宝塚大劇場公演 スサノオ/タカラヅカ・グローリー! (DVD)

☯10〕11〕─1─中華の歴史は、古代から儒教価値観で同じ様な事を繰り返している。〜No.22No.23No.24No.25 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 日本と中華(中国、朝鮮)は、幾ら話し合おうが、如何に親密に付き合おうが理解し合う事は不可能である。
 日本は、中華の事が理解できる。
 中華は、日本を理解できない以前に日本を理解したいと思ってはいない。
 中華に知日派は存在するが、彼らが日本を知ろうとするのは友好・善隣の為ではなく、日本を倒すべき敵と認識しているからである。
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 2019年6月20日号 週刊新潮「医の中の蛙  里見清一
 フレーフラー、お役人
 民間になんか行けるか
 ……
 悪企みする悪人の群れ
 ……
 受験競争は日本の専売特許ではない。昔から中華圏での『立身出世』は役人に取り立てられることで、中国では科挙があった。隋の時代から約1300年にわたって行われたこの官吏試験は、そもそもは家柄にこだわず優秀な人材を登用するために作られたという。
 中国の歴史を、多少の偏見をもって眺めると、科挙で任命された官僚と、宦官など宮廷での皇族側近との争いの繰り返しである。官僚は過酷な受験競争を勝ち抜いているから頭が固くて原則論を曲げない。皇帝はそういうコチコチの役人どもが自分の言うことを聞かないのに腹を立て、側近に傾く。ほぼこのワンパターンで、中国の皇帝というのはそろいもそろって学習能力がないのかと呆れるばかりの内部権力闘争が何度も行われ、最期に革命や外圧によって倒される。
 だとすると、我が国の官僚の人気がなくなっている、というのは、もしかすると宦官による政治に移行する兆しなのかも知れない。宦官はいないしても、側用人みたいなのは結構いそうな気もする。」
   ・   ・   ・   
 日本は地政学的に、古代から海の向こうの敵国がいつ海を渡って侵略してくるかと言う事に恐怖していた。
   ・   ・   ・   
 親日派知日派は、百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
   ・   ・   ・   
 ヤマト大王(後の日本天皇)・ヤマト王権(後の朝廷)による日本の統一は、中国大陸や朝鮮半島の侵略から日本を守る為に必要であった。
 外国勢力に味方する国内勢力や軍事支援を受ける恐れのある国内勢力を、如何なる方法を用いても排除しければならなかった。
   ・   ・   ・   
 日本は難民に移住大国として、朝鮮半島や中国大陸から大量の外国人難民が逃げて来て、各地に住み着いていた。
 外国人難民勢力には、天皇・皇室に、忠誠を誓い貢献する帰化人と忠誠を拒否して争乱を起こす渡来人の2派が存在していた。
   ・   ・   ・   
 国家、社会が安定しているかどうかは、商店・会社・企業の創業年数を見ればわかる。
 創業年数が古い商店・会社・企業が多いほど、その国・社会は安定している。
 全ての古い商店・会社・企業は、神道式神棚を持ち日本の神様を祀っている。
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 2019年7月号 WiLL「自由朝鮮の影に怯える金正恩 古田博司藤井厳喜
 米国は北朝鮮の内部を把握。習近平プーチンにすがる金正恩、最期は安倍に声をかけるしかない?
 『行き止まり廊下国家』の運命
 古田 北朝鮮のまわりで起きていることを観察していると、面白いことがわかってきたんですよ。
 藤井 ほお、どういうことですか。
 古田 朝鮮半島地政学的に『行き止まり廊下』です。外敵が来たら防衛することが難しい。だから、王が最初に逃げ出してしまう。
 藤井 セウォル号の沈没事故でも、最初に逃げたのは船長だった。
 古田 政治は家臣との力関係でシーソー・ゲームになる。家臣団は派閥に分かれます。その理由は主に長子相続ではないから。
 後継は王と家臣団の合議で決まり、王が裁可します。王が後継者決定の断を下さないまま死んだり、もっと有力な王子が王権を狙ったり、王が外勢とつるんで身の安全を図ったりすると、冷や飯を食わされていた家臣の派閥が活気づき、中央のアンダーグランドや地方で糾合する。それが別の王子や王孫をかついで叛乱を起こします。
 藤井 国が乱れやすい。
 古田 李朝(朝鮮)では、次の王位継承は王と家臣団の合議ですから、その時の有力派閥の家臣たちは弱い王を望むんですね、自分たちが楽にあやつれるように。
 藤井 王権が弱いですね。
 古田 これは外寇({がいこう}外国勢力の侵攻)が絡みやすい。豊臣秀吉の時に王が平壌ピョンヤン)に逃げて、そのどさくさに家臣たちが一番強い長男を避けて弟の方を勧めて通ってしまう。この15代目(光海君{こうかいくん})が王位につくと兄を配流して家臣に毒薬をもって行かせて自決させます。次に、王妃を幽閉します。ひどい話でしょ。
 そんなことをしているうちに、今度は清が強くなって王が密かにバランス外交を始めると、夷狄({いてき}野蛮人)と通じたというので別の派閥が活気づいて王孫を立てて反乱を起こします。こういうのを朝鮮語で『反正(パンジョン)』と表現します。これは『正しさに反する』という意味ではありません。『反』は『返』のことです。
 藤井 つまり、『正しさに返(かえ)る』ということですか。
 古田 勝ったもん勝ちの発想です。派閥争いに敗れ、不遇をかこつ家臣たちが謀議し、次の王を擁立しようと画策する。家臣は『文臣』と『武臣』に分かれますが、武臣は軍営を持っているので、結託したら一気に王城を囲みます。門を破って攻め入り宣正殿を占拠すると、自分たちが支持する王に政権を握らせる。で、前の王を殺し、周りの派閥を追放したり殺したりします。これが半島流の政権浄化の方法ですね。
 藤井 チャイナとは性格を異にしますね。
 古田 シナの場合は政権が腐敗し切る。その間に異民族が攻め込んできて、別の王朝を建てますが、結局腐敗し、また別の王朝が建つ・・・その繰り返しです。
 朝鮮は違います。王朝が500年続く代わるに、しょっちゅう『反正』が起こる仕組みなのです。それと『粛清』ですね」
   ・   ・   ・   
 日本の歴史は、繰り返す事がない。
 中華の歴史は、同じ様な事を懲りずに繰り返す。
 中国の歴史は、200年~300年の周期で王朝の成立と滅亡を繰り返す。
 朝鮮の歴史は、同じ様な権力闘争を繰り返す。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史は、短期間の局地的な戦いは起きたが全国を巻き込んだ破滅的な殺戮は起きなかった。
 中華の歴史は、死体の山を築き血の池を作るような虐殺が長期間全土で起きていた。
   ・   ・   ・   
 日本と中華(中国・朝鮮)とは、根本的に違う。
 日本民族日本人と漢族中国人・朝鮮人とは、別系統のアジア人である。
 東アジア地域は、ヨーロッパのEUの様な一つにまとめる共通項・共通認識がないがゆえに、東アジア共同体は成立しない。
   ・   ・   ・   
 日本は、中華の中国や朝鮮とは根底から違うのである。 
 どう違うかと言えば、約2000年間にわたって血筋・血統、皇統を正統とする万世一系男系天皇家(直系長子相続)が存在しているからである。
 歴代天皇は、暦・元号を独自に定めて中華皇帝の臣下を拒否し、中華文明圏からの自立のために国風文化を生み出し、中華経済圏からの自律の為に独自の貨幣・通貨と度量衡を定めた。
 日本独自の暦・元号は、時の支配・時間の支配であると同時に、中華帝国からの独立宣言であり、国民・民族・庶民に対する統治方針・施政方針であった。
   ・   ・   ・   
 中華皇帝は、カリスマとリーダーシップを持った絶対的な強権君主であった。
 日本天皇は、カリスマは持っていたがリーダーシップを持たない相対的な神聖君主であった。
 それゆえに、中華皇帝は家臣や人民によって殺されたが、日本天皇は臣下や庶民に殺される事はなかった。
 そものも、尊皇派や勤皇派は身分卑しく差別され虐げられた下層民が大半であった。
   ・   ・   ・   
 現代日本は、知らないところで中国化・朝鮮化が進行し、静かに中国基準が浸透し始めている。
   ・   ・   ・   
 2019年7月号 WiLL「韓国人には想像できない存在  呉善花
 理解しがたい天皇の『権威』
 日本の天皇は素晴らしい存在です。2000年以上の長い歴史を持ち、日本人の精神性に深い影響力を与え、権威の象徴として尊崇を受けている・・・。世界広しといえども、天皇ほどユニークな役割を担っている存在はありません。
 朝鮮半島には、王という存在がいました。王は『権力』を持っています。その上で『権威』が備わります。ところが、天皇は『権威』だけを担っている。これは韓国人からすると、なかなか理解しがたいことなのです。文喜相(ムンヒサン)国会議長が『慰安婦問題の解決には天皇の謝罪が必要』と言って、日本から大反発を受けましたが、天皇の認識が誤っているからこそ出た発言に他なりません。つまり、『権威』の尊さを理解していない。さらに言えば、天皇には『権力』が存在していると思っているのです。
 韓国では『天皇』を『日王』と表現します。韓国人にとって『天皇』は『日本人の王』としかとらえていないのです。だから、その王が元慰安婦の女性たちの手を握って『申しわけありませんでした』と言えば、女性たちの不満は解消すれるだろうと考えている。文国会議長は知日派だと言われていますが、それでも天皇理解は実は底の浅いものだと言わざるをえません。日本人の天皇に対する尊崇の念の深さは、到底理解し難いことなのです。
 また、日本には『天皇』と同じく歴史と文化・伝統に根づいた風習や言葉がたくさんありあす。
 その一つが『形見(かたみ)』。韓国では『形見』という発想がありません。なぜなら、死者は悪霊として忌(い)み嫌われる存在。だから、どれほど高価な遺品であろうと、不吉なものとして、すべて燃やしてしまうのです。
 私が初めて来日したときも、この『形見』の風習を知って驚いたことがあります。ある女性が着ている着物を見て、『とても素敵ですね』と褒めたら、『これは祖母の形見なんです』と答えた。祖母はすでに亡くなっていると聞いて、当時の私は鳥肌が立つほどの嫌悪感を覚えました。今ではもちろんそんなことはありませんが、韓国人にとって『形見』という風習は実に奇妙なものとして映ります。
 また『老舗』も韓国では存在しません。一方、日本では、創業100年を超える老舗企業が10万社以上存在しています。さらに200年以上になると3,146社。ちなみに、ドイツは837社、オランダは222社、フランスは196社だとか。
 何かと歴史を誇る中国はどうかと言えば、わずか7社。ところが日本には1000年以上の企業が7社、500年以上は32社存在しています。朝鮮半島では100年以上の企業が1社も存在しません。
 だから『長く続ける』素晴らしさを理解できないのです。文字で記録することを重視しないので、歴史物語を紡ぐときにも実証性を重んじません。そのときどきの情緒や気分を物語に入れ込んだりするのも、このためです。
 もう一つ、日本の『家元』も韓国人にとっては理解不能です。知り合いの韓国人女性数名と茶道の家元が自ら点(た)てるお茶会に参加したことがありました。家元の所作の意味を説明しましたが、『家元』に当たる言葉が韓国語にないので苦労しました。近い表現に『宗家』があるので、その言葉を駆使しながら伝えたのですが、知人は『それだけすごい人なのに、なぜ自ら配膳したり、お茶を点てたりするの?』と言う。韓国では家元の所作は、すべて家来がするものだと想っているからです。
 そういう意味で、韓国人にとって歴史的に長く続く天皇という存在は、さらに理解しがたいのです。日韓の誤解の根源も、ここにあるのではないかと思っています」
  ・  ・  
 「天皇といえない韓国マスコミ  崔碩栄
 元号が『令和』に替わり、新たに天皇陛下が即位されました。それに伴って、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が5月1日に祝電を送りました。内容は次の通りです。
 『上皇さまと同じように戦争の痛みを記憶しながら、平和へとしっかりした歩みを継いでいかれることを期待する』(産経新聞 5月2日付)
 これは大変失礼な発言だと思いました。上皇陛下、天皇陛下が即位され、御代が替わられたハレの日に『戦争の痛みを記憶しながら』などと言うのは、あまりにも配慮に欠けている。」
   ・   ・   ・   
 中華世界には、征服王朝を築いた異民族、異民族の臣下として登用されたいと願う読書人漢族の、重税と労役で搾取される貧困漢族の三者が住んでいる。
 儒教は、この超えられない身分差、階級差、上下関係を仁、義、礼、智などの徳目で堅固に支えている。
 儒教は、科挙に合格する為の受験教材であって、社会で実践すべき実践書ではない。
   ・   ・   ・   
 中華皇帝は、天の子・天子として徳の神聖権威を天帝から授かり地上を支配していたが、失政や悪政で徳を失うと天帝によって神聖権威が剥奪され、新たに徳の神聖権威を与えられた実力者によって倒され根絶やしにされた。
 天帝の命に背いて不徳・悪徳を働いた罪深き古い世代は生きてはならないのが、中華世界である。
   ・   ・   ・  
 日本の天皇は、徳の神聖権威と俗世の政治権力で君臨する中華皇帝とは違い、徳の神聖権威のみを持ち俗世の政治権力と宗教権威を持ってはいなかった。
   ・   ・   ・   
 朝鮮国王にとっての天帝は中華皇帝であるがゆえに、中華皇帝への忠誠は絶対で、中華皇帝に背けば滅ぼされる。
 中華皇帝は、朝鮮の生殺与奪の権を持っていた。
 朝鮮は、中華皇帝から下賜された暦・元号、貨幣・通貨、度量衡を使用して生活していた。
   ・   ・   ・   
 日本国内の中華礼賛派(親中国派)は、日本も朝鮮のように偉大な中華皇帝に家臣として傅(かしず)いて生きるべきだと確信していた。
 そうした中華礼賛派は、現代日本でも存在する。
   ・   ・   ・   
 近代以前の中華世界は、中国の儒学古典による漢字文化で動いていた。
 近代以降の中華世界は、日本近代の和製漢字文化で動いていた。
 現代の中華世界は、日本近代の否定と和製漢字文化からの離脱で動いている。
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 韓国・北朝鮮は、近代的和製漢字文化を根絶する為に漢字文化そのものを捨て去りハングルに統一した。
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🗾5〕─1─境界の日本史。日本列島とは、地の果て、大地のへり、生と死の狭間。〜No.14 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本列島とは、地の果て、大地のへり、土地が尽きて波が打ち寄せる渚、生と死の狭間である。
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 日本列島は、世界の常識では異常な日本独自の常識が働いている。
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 日本民族日本人は、乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族である。
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 日本民族日本人の祖先は、琉球人やアイヌ人同様に縄文人である。
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 日本民族日本人は、中国人や朝鮮人とは別系統のアジア人である。
 日本と中華(中国・朝鮮)の関係は、一衣帯水の関係や唇と歯の関係は嘘である。
 日本民族日本人は、血筋から言えば、中国人や朝鮮人よりも台湾人や東南アジア人、南北アメリカ大陸のネイティヴ・アメリカンの方が近い。 
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 日本文明は、黄河文明の亜流文明ではなく、長江文明の後継文明である。
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 2019年6月15日 朝日新聞「読書
 『境界の日本史 地域性の違いはどこから生まれたか』 森先一貴、近江俊秀〈著〉 朝日選書
 各地の個性強まり、交流盛んに
 『日本文化』はどのようにして形成されたのか。明治以来、主流派は伝播(でんぱ)論だった。大陸から移住してきた集団がもたらした外来の進んだ文化が既存の文化に接ぎ木されたことが起源だというのである。いわく、縄文文化は日本列島内で生まれたのではなく、大陸由来である。縄文人弥生人は別の民族であり、海を渡ってきた弥生人が、先住民である縄文人を追い払い弥生文化を生み出した。中でも有名なのが、大陸の騎馬民族大和朝廷を建てたと説いた江上波夫騎馬民族征服王朝説であろう。
 だが、1970年代以降、大規模開発にともなう発掘調査が急増し、考古資料が膨大に蓄積された結果、伝播論は覆された。外来文化のインパクトを重視する見方では、石器・土器などの著しい地域的特色を説明できないからだ。
 本書は、先史考古学者と古代考古学者による共著で、主に旧石器時代奈良時代の日本列島における地域性・発展過程を考古学の観点から論じる。
 日本列島では、約3万年前の姶良(あいら)火山の噴火後の環境変化によってマンモスなどの大型動物が減少したため、地域ごとに異なる環境に応じた生業戦略が生まれた。旧石器時代の末期には、一部の地域ではあたかも現在の都道府県レベルと見まごうほどに生活文化が多様化し、その地域性は縄文時代にも引き継がれた。
 弥生時代になると、稲作を積極的に導入した西日本と拒んだ東日本など、地域性がより顕著になる。古墳時代には前方後円墳が全国的に造られるものの、掘立柱(ほったてばしら)建物の西日本と竪穴(たてあな)建物の東日本など、生活文化の違いは健在だった。旧石器時代から形作られてきた文化的な境界は今日まで影響を与えている。
 だが本書が強調するように、境界の形成は断絶を意味しない。日本で地域の個性が強まったことで、別の個性を持つ他地域との交流が活発化した。現代を考える上でも示唆的だ。
 評・呉座勇一」
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 縄文人は、海の民・南方系海洋民(釣り鉤文化)、川の民・揚子江流域民(長江文明)、山の民・北方系山野民(縫い針文化)が乱婚して生まれた。
 縄文人は、日本列島を中心に、南は沖縄、北は北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島樺太、西は朝鮮半島南部に住み着き、小舟で日本海を主要航路として行き来していた。
 日本海は、日本民族日本人の海であって朝鮮人の東海ではない。
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 弥生人は、揚子江流域民が黄河文明の漢族(中国人の祖先)に侵略で母なる土地を追われ、海岸沿い北上した一派で、山東半島から朝鮮半島南西部に逃げ、そこに住んでいた縄文人黄河流域民と雑婚していた現地人とさらに雑婚して生まれた倭族である。
 弥生人は、黄河流域民・大陸系草原民からなる黄河文明の民(朝鮮人の祖先)の侵食から逃げるように日本列島に渡ってきた。
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 後に、半島南西部に百済王国が誕生する。
 儒教や仏教などの多くの大陸文化は、揚子江流域から百済を経て日本に伝来した。
 百済人は、現代の朝鮮人・韓国人とは直接的に関係ない。
 百済は、親日派知日派であった。
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 縄文人達は、弥生人達を差別せず排除せず受け入れた。
 何故か、生物学的な理由からであった。
 同じ種族で近親相姦を繰り返すと、遺伝子・DNAが劣化・退化・衰退して死滅するからである。
 死滅を避けるには、新しい遺伝子・DNAを取り入れる必要があった。
 縄文人弥生人を受け入れ乱婚で混血したのは、生物学的に当然、生き残る上で正しい選択であった。
 日本文明・日本文化の舶来・渡来・新しいモノを貪欲に取り入れるという、融通無碍的な柔軟性と雑多な多種多様性が富んだ性質は、ここから来ている。
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 弥生人縄文人が乱婚して生まれたのが、倭人であり、日本民族日本人である。
 日本民族日本人は、大陸や半島での生存競争に敗れた敗者・弱者の子孫である。
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 琉球人とアイヌ人は、弥生人との混血度が薄く、ここから日本民族日本人と別系統として分かれた。
 琉球人とアイヌ人は、黄河文明の漢族(中国人・朝鮮人)とは血の繋がりのない縁も所縁もない別人種別民族である。
 日本国が、琉球人とアイヌ人を日本民族日本人の中に取り込むには道理がある。
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 渡来系弥生人縄文人と乱婚した弥生時代は大乱が発生し、日本全国で殺し合いが起きていた。
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 弥生人は、人数が少なく少数派であった。
 縄文人は、人数が多く多数派であった
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 弥生の大乱の中で、生まれて消えたのが邪馬台国である。
 弥生の大乱は、ヤマト王権が誕生する事で終息した。
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 日本列島と中国大陸・朝鮮半島の交流は少なかった。
 倭人朝鮮半島と活発に交流したのは、半島南部に住んでおいた同族の倭族と半島南西部の百済王国だけである。
 倭族も百済も、大陸民である唐と新羅によって滅ぼされ、半島から追放された。
 倭族や百済人は、難民として日本に逃げてきた。
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境界の日本史 (朝日選書)