♣1─目次  <分割開始、平成23年5月17日 > 〜No.1                    

旧題名・「ユダヤ民族と日本民族は同族か? 天皇の祖先はユダヤ人か?」
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 二つのブログを、五つに分割し建設する。
 五つのブログを、プロフィールに立ち上げる。↗
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・平成24年2月2日‥トータル検索件数1万件突破。
・平成24年5月23日‥検索人数1万人。(トータル検索件数‥1万4,238件)
・平成28年4月13日‥トータル検索件数10万件突破。
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アンドレ・マルロー 「国が滅びる時は、その国が自国の歴史を否定した時である」】
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壱)目次   〜No.1
弐)『混血の雑種民族・日本民族日本人の誕生』

 弱者は、思いやりを持って、女性的に集団主義で家族・友人・仲間との絆を大事にし、寄り添って馴れ合った。
 強者は、驕りを持って、男性的に個人主義で他者を組み伏せ、従えて自主独立した。
 日本は、女性神最高神とする、情緒的に個性の薄い、受け身の女性的社会であった。
 東アジア(中国と朝鮮)は、女性蔑視を常識とする、観念的に個性の強い、攻撃的男性中心社会であった。
 日本は、気が弱い為に、「公」「和」を重視する神道による、神の裔・天皇を中心とした祖先神・氏神信仰を社会の中心とした。
 日本は、情感で神秘・霊力を信ずる、祀る社会である。
 多種多様の価値観で、没個性的に、優柔不断にして、曖昧模糊に寛容で変化を好む。
 東アジアは、気が強い為に、「孝」「徳」を重視する儒教による、天の子・皇帝を中心とした祖先崇拝を社会の中心とした。
 東アジアは、観念で神秘・霊力を否定する、弔う社会である。
 唯一絶対の価値観で、個性的で、意気軒昂として頑迷固陋に不寛容で変化を好まない。
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 島国日本は、地球の中でも有数の自然災害が多発する、逃げ場のない絶体絶命の地理的条件下に位置する。理不尽な自然の猛威には、人間の力は非力で、叡智を結集したところで自然に抵抗できなかった。
 自分の無力を自覚する気弱な日本人は、自然の猛威に仕方がないと逆らう事を諦め、柔軟に自然をあるがままに受け入れ、したたかにしぶとく自然の赴くままに任せて従った。
 日本人は、柳の様に、風雪に揺さぶられながら逞しく生きて来た。
 自己満足的に、自分は強く賢く偉いと傲慢になる事を戒めた。
 お互いが不完全で、非力で、か弱い存在である事を認め合う所から始めた。
 自分に足りない所、いたらない所を、お粗末な所を隠さずさらけ出し、お互いが助け合い補い合うという、弱者の女性的「補完共生」社会を共有していた。
 それが、日本にしかない愚直な「お人好し」で脆弱な「隣保扶助」社会である。
 世の為・人の為、そして自分の為の、自己犠牲的集団主義社会である。
 仲間に迷惑をかけない為に、あえて自分から損を承知で貧乏くじを引いた。
 絶える事のなく襲い来る自然災害に、精根尽き果てるほどに繰り返し打ちのめされようとも、仲間と共に手を取り合い寄り添って起ち上がった。
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 摩訶不思議な自然を、純粋無垢な偉大な神々として素直に受け入れた。
 自然を穢れなき、侵し、汚すべからざる貴き八百万の神々として敬い、人智を越えた存在として信仰の対象とした。
 それが、つかみ所のない移ろいやすい「曖昧」さと、全てに「ありがたい」と感謝して前向きに受け入れる、日本独自の「あるがまま」「もったいない」という信仰心である。
 日本の変化の激しい気候風土では、全てを相対化する多種多様性を重んじた多神教しか生まれない。絶対真理を教義とする画一化を重んずる一神教は生まれないし、天地や人を創造した全知全能の唯一の神は馴染まない。
 日本人とは、自然を聖典・教義とし、自然を戒律・掟とする、自然をあるがままに信仰する呪術を好む民族である。
 逃げ出せない地理的宿命ゆえに、何時いかなる時も、自分の無能さで自暴自棄的に絶望する事なく、自分の非力を認めて自然の恵みを期待し、自分の愚かしさを認めて自然に逆らう事なく助けを得て共に生きる道を選んだ。
 それが。日本神道における、弱い者が分け隔てなく共にあろうとする補完共生の生き方である。東アジアの強弱による上下関係を重視する主従共生の生き方とは、正反対の生き方である。
 日本は、弱さを自覚し、自己犠牲を美徳として賛美した。
 東アジア(中国と朝鮮)は、強さを自慢し、他人犠牲を正統な権利として宣言した。
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 閉鎖的村に住み共に死ぬ仲であるゆえに、個人的我欲でいがみ合い、私的恨みでねたみ合い、村の「和」を乱して迷惑をかける行為を自己判断で自粛した。全ての問題ごとは、ムラ人全員でとことん話し合い、決めた事は全員が持てる智慧と労力を出し合い助け合って最後まで実行した。
 好き嫌いに関係なく、自分の信念・信条に反しようとも、ムラの総意で決まった事には従った。
 狭い空間では、責任逃れの為に罪を他人に転嫁し、言い訳をして義務を放棄して逃げ出す事は許されなかった。
 自己責任が大原則で、自分本位の身勝手は許されなかった。
 逃げ出せない世界では、そこで生きるしかない運命である以上、自分の無力さを自覚して「諦め」、自分を信じて逆境を「あるがまま」に受け入れ「諦め」て前に進む、という相反する積極的「諦め」精神が生まれた。それが、「生」を意識して「死」を覚悟する「諦め」と「諦めない」の両面を併せ持つ、神憑り的な日本精神・大和魂である。
 閉鎖空間である島国には、貴重で儲かる資源らしい資源がない為に、身の回りにある変哲もない物を有効に利用するしかなかった。
 列島に「無い」からといって弱な日本人には、個性の強い大陸人の様に、周辺諸国・地域を攻めて必要な物を略奪してくる活力はなかった。貧しく生きづらいからといって、自己中心的な半島人の様に、祖国・故郷を捨てて自由に別世界へ移住する行動力もなかった。
 土地に生きる農耕民族は、祖先か苦難の末に切り開いた狭い農耕地を信仰し、食べられる作物が取れる土地に愛着を持ち、子孫に土地を残す為に土地にしがみついていた。
 貴重な人材も物資も無い為に、仕事が無くくすぶっている人や使い物にならなくなった物でさえ、「もったいない」と再生し再利用した。
 気の遠くなる様な年月を費やし、寝食を忘れた努力により、日本独自の細部までこだわった創意工夫が生まれた。
 ムラ人は都会人とは違って、上から目線で他人を指図して使うよりも、無駄口を叩かず自らの手を汚す事を生き甲斐としていた。
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 日本の「心」とは、他人を従えるとか、他人を蹴落とすとか、他人を屈服させるとか、ありとあらゆる全てのモノを自分一人の所有物にしようという、競争原理による欲得の支配欲を越えたところに存在する。
 日本民族日本人は、逃げ出せない閉鎖的な狭い世界で生きながら、宇宙的な広がりを持つ無限の空間を「心」で感じとりながら寄り添って生きて来た。
 それが、尽きる事のない情緒的な情感、痩せ我慢による「もののあわれ」である。
 神道的な日本人は、人でも動物でもその体内から血が流れる事に怯え、少量の血さえも見る事を嫌った。
 屍体を放置して祟られる事に恐怖して、ねんごろに弔って禍をもたらさない様に祈った。
 死を恐れる日本人は、全ての霊魂に差別する事なく畏敬の念をあらわし、全ての屍体に尊厳を持って平等に扱った。
 故に、罪が有ろうと無かろうと、敵味方であろうとも関係なく、その屍体を丁重に葬り、その霊魂を分け隔てなく平等に慰霊した。
 信仰心篤い日本人は、気弱な為に、怨霊と化した死者の祟りを恐れた。
 中国人や朝鮮人は、死者への尊厳を持たないだけに、敵の墓を暴き、敵の屍体を引き摺り出し、ムチを打ち、つばを吐きかけ、足蹴にし、そして山野に放り出して野晒しにした。
 信仰心なき東アジア人は、生者を恐れたが、死者を恐れる事はなかった。まして、怨霊の祟りなど気にもしなかった。
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 日本文明は、一国家一民族だけの、外に仲間を持たない孤独な文明である。
 大陸の世界文明は、国境を越えて数カ国に伝播し、広範囲に分かれて生活する幾つかの民族が共有していた。
 日本文化の神髄は、自然庭園や茶道の茶室の様な人工的装飾を一切排除した、粗末で、貧そうで、何もない様な狭い空間の中でヒッソリと息づいている。
 虚栄心の塊である東アジア人は、権力で他人を屈服させ、豪華絢爛で他人を圧倒した。
 東アジア人は、華やかで騒々しさを好むがゆえに、憂愁に閉ざされ静寂に包まれた「わび・さび」の日本文化は理解できない。
 中華文明・朝鮮文化と日本文明・日本文化は、正反対の対極にある、異質な文明で有り文化で有る。

1,世界一恐がりで気弱で臆病な集団主義(ムラ根性)民族日本人の誕生=1〜No.2
1,世界一恐がりで気弱で臆病な集団主義(ムラ根性)民族日本人の誕生=2〜No.3

 ムラ社会は、大陸的な独裁者が独断で物事を決めることを嫌い、経験のある数人の長老が合議で決定する事を選んだ。
 長老達は、意見が分かれムラが分裂して争わない為に、場を穏便に取りまとめるべく、
権威と権力を持たない無力な象徴を作り上げ、祭り上げた。
 それが、大王家・皇室である。
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 日本人が、気弱な日本を捨てた時、気の強い中国人になれる。
 日本が、中国化するのは歴史的必然である。
 日本人が閉塞された島国に拘束され、開放的な中国人になれないのは、天皇タブーのせいである。
 日本人の自由を拘束し制限しているのも、天皇タブーである。
 天皇を日本の正統な支配者とする為に、偽装した歴史が創作された。
 それが、天皇中心の記紀古事記日本書紀)神話である。
 日本の古代史は、日本を中国化させない為に意図的に作られた歴史である。
 それは、紛れもなき事実である。
 気弱を隠す為に、嘘の上に嘘を重ねた歴史である。
 日本を世界に通用する為に中国化したいと思う者は、正しい歴史的事実を積み上げて、偽史である記紀神話の嘘を暴こうとしている。

2、渡来人による大乱・縄文・弥生=1〜No.4
2,渡来人による大乱・縄文・弥生=2〜No.5

3,アナーキー無政府状態)な極東アジア世界での、日本のサバイバル(生き残り)=1〜No.6
3,アナーキー無政府状態)な極東アジア世界での、日本のサバイバル(生き残り)=2〜No.7

参)「渡来系(無国籍)非日本人と帰化系(日本国籍)日本人の死闘」

 神の裔・歴代天皇は、日本における唯一の祭祀王として、日本国家の安定と日本民族の安寧と、子々孫々の健やかなることを祖先の神々に祈っていた。そして、世界平和の祈願されていた。
 何時の時代でも、日本の周囲には日本侵略を計画する敵国は存在していたが、友と頼む友好国・同盟国は存在しなかった。あったとすれば、地方政権である百済高句麗のみであった。
 統一新羅も、高麗も、李氏朝鮮も、中国の歴代王朝やロシアの軍事支援を得て日本を滅ぼそうとしていた。 
 日本列島は、絶えず、朝鮮半島と中国大陸からの軍事侵略の脅威に晒されていた。
 島国日本は、海に囲まれ、海によって守られていたと信ずる者には、歴史が理解できない。
 平和を愛し、軍備を放棄し、暴力を否定し、無抵抗に徹すれば、日本を攻めて来る敵国はないという理想主義者には、国防・安全保障を語る資格はない。
 日本には敵国がないと信ずる反戦平和主義者は、日本国家が消滅し、日本民族が死滅する事を願う、反天皇マルクス主義者である。
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 渡来人とは、日本への愛国心も、神の裔・天皇(直系長子相続)への忠誠心も、地域への郷土愛もない者の事である。
 渡来人は、日本人になる事を嫌い、日本を朝鮮人の住みやすい日本にしようとした。
 渡来人の目的は、日本人以外の他国人でも日本の支配者になれる様にする事であった。つまり、日本の開放的な国際化であった。
 帰化人とは、日本への愛国心を持ち、神の裔・天皇(直系長子相続)に忠誠を誓い、地域への郷土愛を抱く者の事である。
 帰化人は、日本に骨を埋める為に、日本を日本人が住みやすい日本にするべく、反天皇派日本人や反日的渡来人と戦った。
 帰化人の目的は、日本人のみが日本の支配者となり、他国人を日本の支配者にしないという事であった。つまり、日本の閉鎖的な民族化である。
 国際派の渡来人と民族派帰化人の対立は、民族中心主義を掲げた帰化人の勝利徒なり、開国開放主義の渡来人は姿を消した。
 日本は、日本民族日本人のみが支配する土地となり、他国人は排除された。
 日本を国際社会から後退させる、排他的な閉鎖性・閉塞性が始まった。
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 日本人は、温情的に相手の気持ちや立場を推察し、自分の誤りはすぐに認めて謝罪し、不利を承知で自分から一歩下がって譲歩した。
 日本人は、内向的に、自分を責めて、反省する。論理的に逃げ道を塞ぎ、白黒はっきりさせる為に容赦なくがなりたてる朝鮮人に恐怖し、近付くのを恐れて敬遠した。
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 中国人や朝鮮人の東アジア人は、冷徹的に相手の気持ちや立場を無視し、自分の明らかなる非は絶対に認めず、利益を確保する為に二三歩前に出て相手を威圧して譲歩を勝ち取った。
 東アジア人は、外向的に原因の責任を相手にゴリ押して反省は絶対にしない。逃げ道を開いて、白黒をはっきりさせず曖昧に処理しようとする日本人を憎悪し、殺したいほどに苛立った。
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 日本人と東アジア人は、外見上は同じ様に見えても、水(日本的)と油(東アジア的)の様に正反対の気質を持ち、幾ら話し合ってもわかり合える事は絶対にない。
 水は、全てモノを分け隔てなく受け入れて同化した。
 油は、異質を異質として排除して交わる事なく拒絶した。

1、渡来人による第32代崇峻天皇暗殺・奈良=1〜No.8
1,渡来人による第32代崇峻天皇暗殺・奈良=2〜No.9

 663年 白村江の戦い。日本は、滅亡した百済王族の依頼で、敵国新羅討伐の為に朝鮮に派兵した。
 天皇家(大王家)は、永きに渡って百済王家と家族的な付き合いを続けてきた関係で、軍事支援の要請をされれば、如何なる犠牲を払ってもそれに応ずる義務があった。
 天皇家百済王家が同族であるならば、日本の朝鮮出兵は正当なる行為である。
 日本を侵略国というのならば、天皇家百済王家を赤の他人であると証明する必要がある。
 日本人が侵略者というのであれば、日本人と朝鮮人は血のつながらない異人種である事を明らかにすべきである。
 唐の軍事支援を受けて百済を滅ぼした新羅にとって、百済王家再興を目差す日本は、明らかに侵略国であった。
 日本・百済残党連合軍は、唐・新羅連合軍に大敗して、百済王家の再興は潰えた。生き残った百済王族は、日本に移住し帰化した。
 身分の低い名も無き防人達は、関東などの東国に最愛の家族を残し、日本と天皇を外敵から守る為に手弁当で北九州へと旅たった。
 それが、「防人の歌」である。

2、渡来人と反天皇派日本人による、天皇支配に対する分離独立戦争・平安=1〜No.10
2,渡来人と反天皇派日本人による、天皇支配に対する分離独立戦争・平安=2〜No.11

 700年〜800年代 新羅水軍と朝鮮人海賊による、日本侵略と日本人拉致事件が相次いだ。
 中国は、戦乱と天災で労働不足に苦しんでいた為に、周辺諸国から大量の奴隷を強制連行していた。中国は、古代から人身売買の盛んな国家であった。
 朝鮮は、属国として、宗主国・中国に多くの奴隷を献上していた。
 820年 新羅系渡来人と反天皇派日本人の天皇と日本に対する叛乱。天皇の軍隊に敗れた叛徒が、現代の同和問題の原因となっている部落民の祖先である。
 部落民は、自分の不運の原因は天皇と日本にあるとして、天皇と日本を滅ぼしたいほどに憎悪していた。
 歴代天皇は、中国による国家の経済発展と教養の国際化よりも、国家の安寧と民族の安全を最優先して、日本討伐を計画する仮想敵国の新羅と大国の唐との国交を断絶した。
 894年 菅原道真は、腐敗し崩壊し始めた大国唐との交流を断絶した。
 日本は、大陸の唐物を尊重したが、中国文化を拒否して、独自の国風文化をものにした。
 1019年 日本と国交のない高麗は、満州族・刀伊に化けて北九州を侵略して、多くの日本人を殺害した。1,000人以上の日本人が朝鮮に拉致され、大半が労働不足の中国で労働奴隷や慰安婦として売られた。
 天皇と朝廷は、高麗からの平和的国交回復要請を、信用するに足る相手ではないとして申し込み拒絶し、侵略には断固として戦う意思を見せつつ警戒した。
 北九州の豪族は、領土を守る為に武装し、暴力を振るって朝鮮海賊を撃退し、多くの朝鮮人を殺害した。
 天皇藤原氏は、日本の文化的発展に寄与したとして、尊敬と愛着を持たれるが、庶民を虐げる搾取の権化として憎まれる事は少ない。もし憎む者がいるとすれば、彼らの多くは朝鮮系日本人である

3,平和への話し合いを拒否し、全滅覚悟の戦争を選んだ猪サムライ・鎌倉=1〜No.12
3,平和への話し合いを拒否し、全滅覚悟の戦争を選んだ猪サムライ・鎌倉=2〜No.13

 1274年と1281年 元寇。日本侵略は、高麗国王による要請によって開始された。鎌倉幕府は、非力と分かっていても、祖国・日本を守る為に絶望的な戦いを続けた。昔の日本人は、天皇と国土と民族を守る為ならば、たとえ我が身が八つ裂きにされようとも武器をとって侵略者と戦った。
 サムライは、日本の領土を一寸たりとも外国勢力に渡す気はなかった。
 鎌倉幕府は、滅んでも武士の鑑と称賛され、「神国と神風」を信ずる民族主義者日本人の「愛国心」の手本とされた。
 サムライは、中国と朝鮮を敵国として警戒し、国土と領民を夷敵から守る為に防衛力を強化した。
 国際主義者が嫌悪する、「忠君愛国」の民族主義国粋主義はここから生まれた。
 鎌倉幕府は、外国の侵略から日本を守りながら滅亡した。

4、無謀な戦争を避ける為に、平和な話し合いを受け入れた武士・室町=1〜No.14
4,無謀な戦争を避ける為に、平和な話し合いを受け入れた武士・室町=2〜No.15

 1419年 李氏朝鮮軍は、敵国日本を侵略して、対馬を武力占領した。日本侵略の目的は、倭寇討伐としていたが、倭寇は日本人ではなく朝鮮人や中国人であった。
 足利幕府は、無益な戦争を避ける為に、自国領対馬を朝鮮領に編入する事を認めた。戦う事を恐れて、領土を失い、領民を捨てた。
 東国の人間にとって、西国の最果ての領土には愛着を持ってはいなかった。
 日本人倭寇は、元寇で虐殺された日本人漁民の復讐であった。日本人漁民は、絶えず、朝鮮からの侵略に怯えていた。そして、生まれ育った対馬が武力で朝鮮に奪われた。
 足利幕府は、味方してくれるサムライが少ない中で惨めに滅び、武士が学ぶべき所は少ないとされた。
 日本の歴史上、唯一、平和の為に領土と領民を朝鮮に売り渡した政権として、天皇中心の民族主義者から見捨てられた時代である。
 室町幕府は、日本を外国勢力から守る事を放棄して消滅した。
 1560年1月 将軍足利義輝は、京都居住と布教活動の許可状をキリスト教宣教師に与えた。
 キリスト教会は、幕府の許可を盾にして、日本をキリスト教化する為に布教活動を始めた。
 神社側は異教の神に反対せず布教を静観したが、寺院側は猛反対し弾圧を要求した。宗教対立の始まりである。
 1570年 織田信長は、軍事力と財力を持った政治に介入する石山本願寺を攻撃した。全国の浄土真宗は、反信長同盟に参加して挙兵した。
 徳川家康の領地でも、一向宗などの宗教勢力が家臣団門徒の協力を得て叛乱をこした。
 1571年 信長は、強大な宗教的権威を背景として経済力と軍事力を持つ比叡山延暦寺を攻撃して、多くの僧侶や僧兵などを虐殺した。
 日本人は、経済力と軍事力を背景として政治力を付ける宗教勢力を毛嫌いした。その嫌疑は、排他的なキリスト教にも向けられた。

5,日本の国使を不法に監禁した、反日国家李氏朝鮮・江戸=1〜No.16
5、日本の国使を不法に監禁した、反日国家李氏朝鮮・江戸=2〜No.17

 奈良時代から日本の宗教界・霊界を支配してきたのは、八百万の神々を祀る神道ではなく、古代インドで誕生した仏教であった。
 「緑と水と光」の穏やかな循環(エコ)型の自然を愛する日本人は、訳の分からない「仁」や「義」や「礼」を説く堅苦しく権威高い中国の聖人君主よりも、人の悲しみや苦しみや切なさを知り「慈悲」を穏和に語る御釈迦様を愛した。
 聖人君主は、威厳を持って厳めしく論理的合理的に人の道を講釈した。
 釈迦は、言葉少なく、情理的心情的に心を通わせて一緒に泣いた。
 心ある日本人は、威厳を持って上から見下す正統派儒教の中国・朝鮮よりも、同じ目線に降りてくる仏教のインドに愛着を持っていた。
 昔の日本人は、人の心を持たない権威や権力を敬遠し、従う振りをして脊を向けた。
 東アジアの中国文明人は、理路整然として君主や賢人の理屈が理解できない野蛮人と、日本文明人を「倭」と軽蔑して差別した。「倭」徒は、人間以下の存在という蔑称である。
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 神社神道は、国教ではない。
 日本は八百万の神々による神道国家ではなく、宗教的権威をもった僧侶が支配する仏教国家であった。
 つまり、日本の国教は仏教であった。
 神の裔・歴代天皇は、皇室神道を祭祀するが、神社神道とは関係がなかった。当然、国家神道などは存在せず、天皇とは無縁であった。
 退位した天皇の多くは出家して仏門に入り法皇となったが、神社の鳥居を潜って神官になった元天皇や皇族は極少数であった。
 欲得に満ちたおぞましい政治や陰謀渦巻く皇室の現実に辟易した天皇は、自由になるべく現実逃避的に隠遁し、日本古来の伝統文化や民俗芸能や神代からの慣習に一生を捧げた上皇ぐらいである。
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 万世一系男系天皇(直系長子相続)は、日本文化・日本文化・日本芸能の最高の守護者であり、日本人が日本人らしく生きる事の最良の理解者であった。
 それ故に、江戸時代には数百万人が年始などの重要な祭事ごとに御所の回りを、誰に強制される事なく自由意志で巡り、神の裔・天皇の存在に対して賽銭を投げ入れお参りした。
 神の裔・天皇を敬わず皇室を守護奉らない日本人は、真の日本人ではなかった。
 日本人の国體護持への思いは、個人の命以上に重要視された。ゆえに、日本人であれば国體の為には如何なる犠牲もいとわなかった。
 日本人は、苦しい時に神を信じる反面、幸福感に満ち足りている時は神を拝まない。
 何時いかなる時も、神への信仰を大事にする欧米人とは正反対である。
   ※   ※   ※
 仏教界は、皇室を支配し拘束する為に、天皇を仏(釈迦)を超えた神にする事を認めなかった。ましてや、鎮護国家の加持祈祷を独占る寺院は、天皇を日本を守護する神であるとする事に反対した。有力な寺院は、歴代の天皇と皇后の霊魂を位牌に封じ込めて、供養する事を名目として奥の院に封印した。
 俗世の公家や武家などの権力者も、天皇を無力化して幽閉する為に、神聖不可侵の「私心なき神」とする事には反対していた。彼らにとって、天皇とは便利の良い道具としての人であり、特別な神ではなかった。
 何時の時代の権力者も、助言を求めたのは中国の権謀術数を説く軍学書を読み、アジア的国際感覚を鍛えた中国出身の帰化人高僧であった。参考になる朝鮮の書籍は皆無であり、朝鮮人渡来人には忠誠心の欠片がなかった為に聞く所だ少なかった。
 それ以上に、町外れの神社で1000年を一日として祭儀を執り行っている、民族的神話中心主義の神主に聞く事はなかった。
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 人が生き神様・仏様とされて信仰の対象になったのは、神の裔・天皇ではなく、新興宗教の胡散臭い教祖や、怪しげな呪術を操って人を騙す祈祷師や、霊験を持って病気を治すと嘘っぽい話を吹聴して大金を得る業突く張りの霊能力者である。
 それは、現代においても同様で、「道徳」や「良心」に無縁で、金儲けやセックスといった人間の強欲を隠さない新興宗教の教祖は、信者から例外なく神や救世主と崇められている。
 日本には、そうした金儲けの怪しげな神や仏が多く蔓延り、神の裔・天皇の神性を汚し権威を失墜させようとしている。

四)『島国日本は、資源が乏しいうえに人材も不足していた』     
1、徳川家康は、日本人を列島内に閉じ込め、公共心・公徳心による滅私奉公を日本の価値基準として強制した〜No18

 日本社会は、儒教価値観が弱かった。その為に昔から、身分の拘束が緩やかであった為に、身分を無視した下克上の風潮があった。
 儒教価値観が強かった中国と朝鮮では、身分、地位は神聖不可侵であり、その差別は想像をはるかに超える熾烈なものであった。
   ・   ・   ・   
 江戸時代、1630年2月〜1867年10月。
 日本には、国内外での戦争はなく、国内を大混乱に追い込む様な内紛も暴動も起きなかった。
 日本は、東アジア世界はおろか地球上でも希有な平和な時代を迎えていた。
 日本の身分制度とは、職業別の集団の事である。固定された身分ではなく、緩やかに、流動性を持った身分であった。
 島国日本には、世界的な神聖不可侵の階級制度は存在しなかった。よって、マルクス主義価値観による階級闘争も存在しなかった。
 サムライは、命が幾つあっても足りない御城勤め・宮仕えを嫌い、早く家督を子供に譲って隠退する事を考えていた。子供が15際に達するや元服させ、家督を譲って隠退し、気楽なご隠居生活を楽しんだ。子供が稼ぐ家禄で、酒をのみ女遊びを繰り返して身体をこわして早死にした。
 百姓や町人は、若くして隠退し遊び呆ける世間知らずのサムライを穀潰しと軽蔑し、その金を巻き上げる為にわざと謙って見せ煽てて散財させた。
 サムライの生活はますます貧しくなり、その日の米にも困るほどの貧困の中にあった。

①、刀を捨てて百姓や町人になったサムライ。

 格式や仕来りに凝り固まった窮屈な武士身分に辟易し、へりくだって愚鈍な主君の機嫌を取り、無能な上司に媚びる宮仕えに嫌気をさして、サムライである事を止め下層階級人になった自由人達。
 サムライとは、何時、主君の機嫌を損ねて上意討ちや切腹を命じられるかわからない、命が幾つあっても足りない恐怖の身分であった。
 生業を営む百姓や町人は、サムライを働かず飯を喰らう穀潰しと嫌っていた。建前的として神妙に言う事を聞いていたが、本音では馬鹿にして命令を無視した。サムライのいない所では、自分達の思う通りに勝手な事をしていた。

②、刀を差してサムライになった百姓や町人。

 日本の階級において、身分は意味をなさず、大陸の様な人の価値を示す判断基準でもなかった。
 猫も杓子も、刀を差して、上下を着れば、サムライになれた。
 犬、猿、鹿、牛、馬、鳥、魚などまでもが高貴な爵位と高い身分が与えられ、神として神社に祀られ、百姓町人はもちろんサムライや公家までもが謙って土下座した。
 生き物以外でも、石や木や草や川までもが、人間以上の爵位と身分を与えられ、神として扱われた。  
 日本の身分制度とは、大陸とは違って子供騙しの様な底の浅いものであった。
 中国かぶれの儒学者は、身分による上下関係を絶対不可侵の神聖視する立場から、下層身分から上級身分にのぼってきた者を蛇蝎の様に嫌い、サムライの子弟に身分を守らない事は世の破滅であると教えた。
 朝鮮や中国の様な儒教支配地では、血統を無視して身分を駆け上がる様な下克上は起きなかった。

2,鎖国した日本は、財政不足と人材不足に悩んでいた〜No.19

 開放的な大陸諸国は、かっての敵国人であっても、有能な人物であれば積極的に登用して国政に関与させ、国力の増強を図った。
 閉鎖的な江戸幕府は、排他な島国気質から、国を発展させる為に他国から人材を招聘して活用しようとはしなかった。
 江戸時代の日本には、マルクスが言う様な階級闘争は存在しない。
 当然、ゴージャスな環境で利益を独占するブルジョワ=資本家も、劣悪環境で差別され搾取されるプロレタリア=労働者もいなかった。

①、下級武士から老中などの要職に就いた成り上がり者。

 成り上がり者は、上司から嫌われていびられ、同僚からは絶えずイジメやいやがらせを受けていた。
 日本は閉鎖性が強い集団社会ゆえに、成功した相手への妬みや嫉みが渦巻き、イジメや嫌がらせがつきない陰鬱で陰険な憂鬱な社会である。
 出るクギはかならず打たれ、旧態依然とした秩序を乱す鬼才は公の場から追放された。
 事なかれ主義的な風潮が支配し、前例に囚われ、奇抜な進歩的は排除された。
 取り柄のない無能な者ほど、成り上がり者の失敗を願い、成功して出世しない様に妨害して足を引っ張った。そして、失敗すれば責任を全て被せ、地位や名誉や財産はもちろん、切腹させてその命まで奪った。本人が駄目なら、親の七光りをひけらかすその子供や孫に謂われ無き罪を着せて追放した。
 了見の狭いサムライは、才能ある成り上がり者や無能な親の七光りでのさばる者を嫌った。

②、庶民から功績をあげ恩恵で武士になった俄サムライ。

 天皇の子孫という家系にこだわるサムライから、切腹作法を知らない偽物サムライと馬鹿にされた。不作法な事をして失態を晒すと、軽蔑の眼で陰口をたたかれ、冷ややかに嘲笑された。
 無能で最低な人間ほど、功績を挙げた能力者を軽蔑し、仲間はずれにしていびり尽くした。

③、御家人株を買って武士となりさらに他家の養子となって出世した庶民 。

 大金を稼ぎ自由で裕福な生活をしていた庶民は、サムライの身分になるや自由のない極貧生活を強いられた。
 サムライは、200年以上俸禄が上がらない低賃金労働者と変わらず、生活費のたしにする為に内職などの副業に精を出していた。
 サムライとは、大陸の様な裕福な特権を有した上流階級ではなかく、その実態は悲惨であった。
 そして、主君の勘気に触れたり、領民から不当なサムライと訴えられたら、弁解は許されず、弁護もなく、一切の責めを負って切腹させられ、全財産を没収された。
 礼儀作法のうるさいサムライの世界は、百姓や町人ほど勝手気ままな恵まれた世界ではなかった。
 退屈でつまらないお城務めが、来る日も来る日も地獄の様に繰り返される窮屈なだけであった。
 好き好んでサムライになろうとする者は、酔狂か馬鹿とされた。
 常識人は、手に職を持って働く百姓や町人の生活を理想とし、サムライや儒学者を尊敬し敬ったが無能力者と嫌っていた。

④、外国貿易の振興に協力して武士になった外国人。

3,武士道とは、家名、体面、名誉を守る為に『死するを事を覚悟』する事で、自暴自棄的な自殺願望ではない。〜No.20

無関係な人間を巻き添えにして殺害する事を、卑怯卑劣な行為として最も憎んだ。
 死ぬ時は、一人で死ぬか、家族一緒の心中であった。
 欧米的な無関係な人間を大量に殺害した後に自殺する事は、武士が最も嫌う犬畜生の行為であった。

①、サムライは、自己裁定で切腹・自決・自刀するという、厳格な自己責任を負わされていた。 

 切腹・自決は、絶望的な自殺や破滅的な自爆などの様な責任回避的な逃避行の「死」とは根本的に違う、前向きに世の為・人の為・家族の為を希求する自己犠牲的な「死」である。 
 武士には、自由が無く、臨戦態勢下で領外に出る事が出来なかった。許可なく藩外に出れば脱藩とみなされ、不忠者・犯罪者として「上意」により斬り殺され、家族全員が同罪として重い処罰を受けた。
 サムライは、建前として、藩祖の定めた家訓や祖先が残した祖法を墨守し、その決まり事から外れる事を自己責任で戒めた。如何に威張っていても、幕府から命じられて大名行列や天下普請などで藩財政は逼迫していた。財政難を補う為に、豪商や豪農から多額の借金をして彼らに弱味を握られていた。本音は、明日の藩の行方や自分の身の振り方に思い煩っていた。金に困ったサムライは、諸藩の財政改革を見習い、独自の地場産業を育て、他では真似できない品物を作って藩外に売り込んでいた。
 ゆえに、武士は粗末な屋敷で家具の少ない極貧生活を耐え忍んでいた。
 サムライは、名誉を重んじ、体面を保った。辱められ体面を傷つけられたら、死を持って名誉を回復する為に決闘に及んだ。死を恐れ、名誉を捨て、敵に背中を見せて逃げれば、武士の風上にも置けない「腰抜け」と侮蔑された。武士の恥とされた者は、武士仲間から除け者にされ、いびり尽くされて武士社会から追放された。それが、閉鎖的な武士社会である。
 サムライには、明日の命どころか、今日の命さえ保証がなかった。主君の不興をかって上意を言い渡されるか、底意地の悪い領民の恨みをかって濡れ衣の直訴をされ、いつ何時、死に見舞われるか分からない崖っぷちの生活を強いられていた。
 役職に就いている武士は、突然の不幸で切腹や家禄没収などの処分を受ける事を恐れ、15歳で元服したわが子に家督を譲って隠居した。隠居した者には、一切の責任がない為に、無責任な庶民と一緒に気楽な生活を楽しんだ。
 日本には、異端派儒教が蔓延り、中国や朝鮮の様な正統派儒教は根付かなかった。というより、明日を信じて進歩発展する事を禁ずる、非人間的で四角四面の堅苦しい正統派儒教を敬遠した。つまり、日本は完全な儒教社会ではなかったのである。

②、責任を放棄して好き勝手を行う大名は、家臣によって座敷牢に押し込められて強制的に隠居させられるか、殺害された。 

 家臣は、主君としての責任を放棄して好き勝手な振る舞いをする道理無き無法な大名を、強制的に座敷牢へ押し込めて、強引に隠居させた。家臣に従わない大名は、家臣によって、毒を盛られるか狙撃されて殺害された。
 家臣は、分別なき大名・主君への忠義より、家族を養う為に藩・大名家・御家の存続を優先した。幕府へは、不慮の事故もしくは病気による急死と届け出た。
 幕府は、浪人が巷に溢れると犯罪事件が増加して治安が悪化するとして、御家騒動が表面化しない限り「事なかれ主義」的に処理した。家臣にとって、理想の主君とは、無能で操りやすい木偶の坊が好ましかった。
 英明な主君は、専横を行って利益を貪る老家臣を闇から闇に葬り、有能な若き家臣を使って藩政を刷新した。
 守るべきは、分別なき主君ではなく、そこに生活する家臣達が寄り添っている家・藩であった。
 だが、中国や朝鮮の様に主君を殺害した逆臣が新たな領主になる事はなかった。
 サムライは、東アジアの様な下克上を嫌い、切腹を覚悟し藩・御家を守る為に、分別を以て身を律して行動した。

4、百姓は、約束を守らない誠意なきサムライを、『命を犠牲』にしても絶対に許さなかった。〜No.21 

 田畑と家族とムラを守ろうとした閉鎖的な百姓達は、約束を違える藩・大名に対して義憤を持って一揆を起こし、徒党を組んで約束を守る様に直談判した。
 百姓は、支配階級のサムライを馬鹿にしていた。
 話し合いでラチが明かなければ、幕府・公儀に藩・大名の不当を書状にしたためて直訴した。百姓は、不法に対して、けっして泣き寝入りはしなかった。
 幕府は、口うるさく言う事を聞かない百姓が提出した訴訟文をウンザリして審議し、百姓の言い分が真っ当であれば藩・大名に約束を守る様に申し渡し、訴えた百姓を御上の御政道を騒がせた不届き者として処罰した。
 幕府は、「事なかれ主義」的に百姓の厄介な訴訟を穏便に解決する為に、祖法である「喧嘩両成敗の原則」で両者を罰した。こうした百姓が書いた訴訟文は、全国各地に残っている。
 百姓の訴えが不当であれば、温情なく見せしめに処刑し、その家族を連座させ罪人として非人・エタ・賤民の身分に落とし部落に送った。
 現代の部落問題・同和問題の元凶は、こうして発生した。
 身分低い百姓に対する処遇は、特権を有する支配階級のサムライよりも苛酷であった。
 水呑百姓や小作人は、奴隷や農奴の様に地主の所有物として売り買いされる事はなかった。小作人や水呑百姓は、金を貯めて田畑を買い込み、未開地を開墾して本百姓に復帰した。
 サムライに盾突き訴えた百姓は、罪人として処刑されたが、村人からは氏神(祖先神)として神社に祀られた。毎年。処刑日には、村人は彼を偲んで祭りを行った。領主やサムライは、腫れ物に触る様に禁止をせず、事なかれ主義で見て見ぬ振りをしてやり過ごした。
 百姓に訴えられたサムライは、主君や上司の身代わりとなって切腹を強いられ、犯罪者の様に、仏として寺院の墓地に葬られた。切腹日には、切腹を命じた主家に咎められない様に、内々でヒッソリと法事を行った。サムライとは、威張り、威勢を張っても、自由のない損な身分であった。
 百姓や町人は、地元の寺院から通行手形を手に入れ、各地の祭り見物をしながら湯治に出かけた。仕事が一段落すると、名所旧跡を巡り、四季折々の物見遊山の行楽を楽しんでいた。
 日本ほど、庶民が主体となって庶民が自由に楽しむ祭りの多い国も珍しい。
 庶民は、昨日を懐かしく想い、明日を信じて期待し、今日・今・その時を楽しく遊び一生懸命に働いて生きた。泣いても笑っても一日は一日として、笑って躍って歌って陽気に過ごす事を生き甲斐とした。
 日本独自の文化とは、平安時代の公家による雅な王朝文化(藤原文化)と、江戸時代の名も無き町人や百姓による匠の庶民文化からなっている。その中心にあったのが、天皇心神話(日本神話)の現人神=氏神信仰の神社神道であった。
 体面を気にする武士の日々は、日本式仏教と日本派儒教による耐乏生活様式や逆境精神修行であって、余暇を楽しむ文化生活ではない。武士は、特有のサムライ文化を生み出すだけの、精神的金銭的そして生活的なゆとりはなかった。
 日本には、世界文化の常識としての、上流階級による特有の排他的文化・教養・生活様式は馴染まなかった。

伍)朝鮮人テロリストと日本人テロリストによる、国家元首・第124代昭和天皇裕仁)暗殺計画

 国際主義者日本人による、民族的宗教・文化・風土・教養の完全破壊。
 昭和天皇暗殺に協力する、共産主義者日本人と反天皇神道キリスト教会。

1、朝鮮人テロリストによる、日本人政府要人暗殺計画・明治=1〜No.22
1、朝鮮人テロリストによる、日本人政府要人暗殺計画・明治=2〜No.23
2、朝鮮人テロリストによる、摂政宮裕仁皇太子・皇族暗殺未遂・大正=1〜No.24
2、朝鮮人テロリストによる、摂政宮裕仁皇太子・皇族暗殺未遂・大正=2〜No.25
3、日本人テロリストによる、摂政宮裕仁皇太子・華族暗殺未遂・大正=1〜No.26
3、日本人テロリストにより、摂政宮裕仁皇太子・華族暗殺未遂・大正=2〜No.27
4、朝鮮人テロリストによる、国家元首昭和天皇と皇族暗殺未遂・戦前=1〜 No.28
4、朝鮮人テロリストにより、国家元首昭和天皇と皇族暗殺未遂・戦前=2〜No.29
5、日本人テロリストによる、国家元首昭和天皇明仁皇太子・美智子同妃暗殺未遂・戦後=1〜No.23
5、日本人テロリストによる、国家元首昭和天皇明仁皇太子・美智子同妃暗殺未遂・戦後=2〜No.31

 現代日本人の無関心から、万世一系男系天皇(直系長子)と皇室が消滅しようとしている。

六)『 国際的ユダヤ人特権エリートに屈服し平伏す異教徒・男系天皇(直系長子相続)』(問題が多くて未公開)

 世界最大にして最強のユダヤ・マネーに支配される日本、そして天皇と皇室。

1、日本の普遍的価値観による画一的国際化計画

 最強のユダヤ・ロビー(AIPAC)と狂信的キリスト教右派の排他的神聖同盟による、非キリスト教である万世一系男系天皇制度の消滅計画。

2、2600年の長きわたり継承されてきた、神の裔・天皇が身に付けている現人神としての神格を剥奪・抹消する計画

 唯一絶対神教国家イスラエルから来たユダヤ教徒イスラエル大使に、感謝を述べる第124代昭和天皇

3、女系民族ユダヤ人による、男系(直系長子)皇室の女系(傍系)改造計画

 絶対的唯一の排他的ユダヤ教価値観が、多種多様で曖昧な日本価値観を完全破壊する。

七)参考文献(ま〜わ)=3〜No.32
八)『ユダヤ民族と日本民族は同族か?』 コメント Q&A─ 1〜No.33 

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