☱4〕5〕─1─東京・朝鮮YMCA会館と2・8独立宣言。米騒動。シベリア出兵。大正7年・大正8年 ~No.7No.8No.9No.10No.11 @ ① 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 反日朝鮮人は、欧米列強が当てにならない為に、反天皇的なキリスト教会を利用すべくキリスト教に改宗した。
 カトリック教会は、親天皇知日派であった。
 プロテスタントの幾つかの宗派は、日本・朝鮮・中国で布教する為に反天皇を掲げていた。
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 朝鮮人テロリストは、日本国内の反天皇神道キリスト教会関連施設に潜り込んいだ。
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 体面を守り、信念を貫き、「死にざま・生きざま」を持って、侘びしさ・寂しさ・切なさ・惨めさに歯を食いしばって耐え、如何なる逆境や苦境に追い込まれてもめげず・諦めず・投げ出さず・逃げ出さず・泣き言をいわず、「死」する事を覚悟して、前向きに立ち向かう事が、サムライ日本人の強みであった。
 決して、弱音を吐かず、弁解せず、言い訳もしなかった。責任を引き受け、責任を他人に擦り付けず、責任から逃げなかった。
 やるべき事は、「死」を覚悟して、逃げ出さず、言い訳せずに、かならず実行した。
 それが、真のサムライ日本であった。
 サムライ・武士とは、皇室の保護者として、天皇の護身刀であり鎧兜である。
 天皇・皇室との精神的「絆」を切り離したサムライ・武士は、皇室につながる家系を神聖視して名誉・体面を重んずる誇り高きサムライ・武士ではなく、東アジア特有の「個」の欲のままに「自由」に動く人殺しの犯罪者である。
 サムライ・武士・武者 イコール 天皇 である。
 天皇を否定したサムライ・武士は、サムライ・武士ではなく、人斬り庖丁を持った血に飢えたおぞましい殺人鬼である。
 天皇を否定する者は、同時に、サムライ・武士を否定する者である。
 そして、武士道・士魂・大和魂・大和心を持たない東アジア的な非日本人である。
 それが、たとえ日本人であっても、日本的な心・精神・心情など全ての内面を否定する東アジア人である。
 そこには、日本人特有の情緒的な家族的「絆」もない。
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 サムライ・武士は、日本のみにあって、朝鮮や中国には存在しない。
 もちろん、「惻隠の情」や「敵に塩を送る」や「強きを挫き、弱きを助ける」といった神道価値観による武士道精神や士魂も、「勝者必勝・弱者必滅」といった儒教価値観の朝鮮にはない。
 朝鮮や中国にいたのは、士大夫や文官に軽蔑された、身分や位の低い下役である武官であった。
 大陸の武官は、島国のサムライ・武士・武者ではない。
 騎士がサムライではないように、武官もサムライではない。
 民族の英雄である李舜臣などの優れた武官達は、嫉妬深い王族や文官によって粛清された。
 サムライ・武士は、清廉潔白を心情とし、強敵に対して正々堂々と挑み、弱い者イジメを憎み、弱者を虐げる行為を卑怯・卑劣と嫌った。
 特に、自分の利益の為に仲間をせせら笑いながら裏切りる事を最も嫌った。
 サムライ・武士は、罪もない無関係な者や子供や病人などの弱い者を、無差別に、大量に殺傷する道理なきテロ行為を、如何なる理由があったとしても憎んだ。
 「駄目なものは駄目」なのである。
 サムライ・武士は、如何なるテロ行為も正当化しない為に、イデオロギーを信奉する狂信的テロリストの対極に存在する者である。
 よって、やはり、サムライ・武士は弱肉強食的な朝鮮や中国には存在しない。
 だが、現代の日本にも、本当の意味でのサムライ・武士・武者はいなくなり、「誠」を重んずる武士道精神や士魂も消滅しつつある。
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 ドイツ将校「朝鮮半島は、日本の心臓に突き刺さる短剣である」
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朝鮮人独立運動家による蠢動
 1918年 日本政府は、内地の高賃金を求めて本土に渡航して来る朝鮮人単純労働者が急増する事で、日本人労働者の職場が奪われ社会問題化し始めたので、朝鮮人労働者募集取締役規定を制定した。
 日本人経営者は、利益を上げる為に大戦で儲けた資本を従業員に還元する事なく、大量生産するべく工場設備の機械化に資本を投入した。
 生産ラインの単純化により日本人熟練工は必要がなくなり、経費削減として、賃金が高く頑固で融通性のない日本人労働者より低賃金でよく働く朝鮮人労働者に替えた。
 悪徳仕事斡旋業者は、貧困層朝鮮人を大量に密入国させ、生活環境は悪いが低家賃の多い各都市にある部落に押し込め、労働条件も雇用契約も無視して劣悪な仕事を斡旋し、賃金から斡旋料を暴力的に徴収した。
 最下層の部落は、朝鮮人密航者が多くなり、昔ながらの勤皇的下層民は減少した。
 日本に渡った朝鮮人労働者は、貧しい家庭の出身者で、初等教育程度の学歴を持っていても、日本語を話せず、特殊な技能を有しているわけではなかった。
 朝鮮は,日本以上の格差社会な為に、貧困家庭と裕福家庭には超えられない壁が存在していた。
 それ故に、下層階級出身者は日本に渡来して成功するしか這い上がる道がなかった。
 現実は厳しく、日本国内には、朝鮮人に対する民族差別をするは右翼・右派の差別主義者が存在していた。
 アメリカの日本人移住者は、キリスト教徒白人による宗教的反日運動で辛酸をなめていたが、偏見を諦めて受け入れ、差別には耐え辛抱し、認めて貰う為に我慢して努力を重ねた。
 だが。日本人は、白人の奴隷ではないという誇りと体面を非暴力で守り通した。
 反天皇派日本人団体は、朝鮮人労働者が多くなった部落民の救済に全力を傾け、天皇支配打倒の為の活動を本格化させた。
 国際派マルクス主義者は、天皇による専制君主制度を打倒する為に、天皇と日本に不満を抱く朝鮮人部落民無政府主義を吹き込み、治安を悪化させ社会を混乱させようとしていた。
 日本に密入国した朝鮮人は、日本人より優秀であるという面子から、高収入と地位を上げてくれない排他的日本に不満と、細々とした日本的決まりを押し付けてくる日本人への怒りを募らせ、日本国内における地位向上と高賃金を求めて反日的民族独立運動に参加した。
 中には、民族の面子を守る為に、国家元首天皇暗殺テロに走る朝鮮人独立運動家もいた。
 日本人は、他力本願として、運命には逆らえないとして進んで受け入れて防衛的生き方をしていた。
 朝鮮人は、中国人同様に自力本願として、運命は自分の手で切り開き組み伏せて従わせるという攻撃的生き方をしていた。
 儒教は、神道や仏教とは違って合理的でない神や仏は信じず破壊した。
 特に朝鮮は、仏教を徹底的に破壊し、僧侶を最下層の人間として迫害した。
 日本政府と朝鮮総督府は、日本国内に朝鮮人労働者が殺到しない為に、朝鮮に雇用を生み出すべく多額の国費を投じ、生活と経済の水準を上げるべく教育促進と興業殖産に力を入れた。
 さらに。食糧の安定化の為に、莫大な税金を用いて日本農村以上の農業更正運動を行った。
 金振九『国癌切開』「朝鮮に於ける彼等の生活は、一年中米食は極稀で、麦と粟が栄養物であり、社会的には主人並びに村内の上層階級或いは年長者に、二重三重の迫害を受け、一生涯、(土下座して)頭の上りっこなし状態で、彼等唯一の慰安となる酒も、煙草も、安心してゆっくりと飲めない」
1月 ウイルソン大統領は、「民族自決」などの14ヵ条を発表して、ユートピアニズム的リベラル(国際協調主義)外交を始めた。この理想主義が、帝国主義的秩序を混乱させ、欧州列強の植民地で流血的独立運動を引き起こした。
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 3月2日 京城日報「大阪各紡績に鮮男女工
 労働階級の中でも、紡績の職工ほど給与の安いものはない。勿論近年は各紡績でも出来るだけ職工優遇の実を挙げているが、それでも戦乱影響のため、各方面の景気の宜(い)いに連れて、割に悪い給料に甘んじている者はなく、腕に覚えさえあるものは、ドシドシ他へ転職して行くので、各紡績でも職工欠乏には弱り切っている。
 そこでその応急補填(ほてん)として、鮮人の男女職工をドシドシ輸入し始めた。朝鮮人の男工は在来とも少なくないが、近来女工も大分多く入り込んで来ている。現に岸和田紡績を始め、中国地方の各紡績などにも各百数十名の朝鮮婦人が女工として働いている。素より一種の懶惰(らんだ)性と不器用さが先天的に浸(し)み込んでいる彼等のことだから、その働き振りにおいては到底日本女工とは比べものにはならぬが、それでも訓練の仕方によっては却々(なかなか)神妙に勤勉に陰日向なく働くので、却(かえ)ってすれっからしの日本女工よりはよほど使いよいとのことである」
 3月11日 アメリカ政府は、イギリスが要請する、日本のシベリア同時出兵に同意した。
 日本は、アメリカとの協調関係を最優先として共同出兵を受け入れた。
 アメリカの知識エリート階層は、レーニンらの共産主義革命を民主主義への移行の為の重要な段階と称賛した。日本は冒険的領土膨張政策からシベリアに派兵しようとしていると、日本批判を強めた。
 アメリカのユダヤ系国際資本は、ロシアの石油や穀物を確保する為に、破綻したロシア経済を回復させる為に巨額の投資を行った。
 3月21日 京城日報「高師を卒業する鮮女学生」
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 4月18日 京城日報「東京に於ける朝鮮の女医学生
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 7月 国際共産主義者による人民裁判は、ロシア皇帝を有罪として、皇帝家族全員を惨殺した。さらに、数百万人の反共産主義者民族主義者や宗教関係者を、搾取を行った皇帝派として虐殺した。続く内戦では、敵味方に関係なく数千万人を殺した。共産主義が支配する土地では、例外なく、夥しい人間がおぞましい拷問の末に殺害された。「人民の大義」を掲げるマルクス主義者は、決して反対派を許す事はなかく、皆殺しにした。
 日本は、万世一系男系天皇(直系長子相続)制度を破壊しようとする、血に飢えた共産主義が日本に蔓延する事を恐れた。 
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 7月(〜8月) 米騒動反日朝鮮人は、日本各地で起きている米騒動で日本が混乱して、民衆の蜂起が可能になったと分析した。 
 8月 上海で、民族自決主義を提唱する「新韓青年党」が結成された。
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 8月(〜22年) シベリア出兵。日本軍部は、主力部隊約20万人中7万2,000人をシベリアに派兵したが、ソ連革命軍や反日朝鮮人ゲリラの頑強な抵抗で身動きが取れなくなっていた。
 シベリアの苦境が、日本の政治・経済に暗い影をおとし始めた。
 朝鮮人テロリストや共産主義者日本人は、日本国内で反天皇活動を強化し始め、その隠れ蓑にキリスト教会を利用した。
 キリスト教会は、唯一絶対神への信仰から国家神道を否定し、神学論から天皇を現人神とする事に批判的であり、信者に異教の神を祀る神社への参拝を自粛する様に求めていた。
 岡崎久彦「日本のシベリア出兵は完全な失敗だったという歴史的評価は動かし難いものがある」(『幣原喜重郎とその時代』P.143)
 11月1日 マルクス主義者らによって、ドイツ革命が起きた。ドイツ皇帝は、共産主義者による虐殺的ロシア革命の再現を恐れ、退位してオランダに亡命し、2代47年間のドイツ帝国は崩壊した。
 苦境に立たされた皇帝が、安易に退位した帝国が滅亡するのは、歴史的事実である。
 第一次世界大戦は、腰砕け的に終結した。
 11月11日 ドイツ帝国は、休戦協定に調印した。
 12月5日 大正天皇は、英親王李垠と梨本宮方子の婚儀に対して勅裁を下した。天皇は、「同質」として共通性を多く含む日本人と朝鮮人が、一つの民族に融合して助け合い共存する事を望んだ。
 高宗は、下等な日本人の血が入る事で、李氏王家の純血が穢されるとして猛反対した。
 儒教価値観を有する知識エリートは、偏狂的純血主義を信奉し、日本と朝鮮は「異質」で「同質」ではないと反論した。祖先を大事にする朝鮮人は、優秀な朝鮮民族に劣等な日本人の血を入れる事は、祖先に対する冒?であると反対した。
 愛国主義者も、朝鮮を永久に支配しようとする天皇の謀略であるとして反対し、婚姻を阻止する為のテロを計画した。
 朝鮮では、極一部の親日派のみが歓迎したが、大半の朝鮮人は喜んではいなかった。
 日本は、反日派の反対意見を無視して、親日派の喜びを朝鮮全体の賛成意見として報道した。
 12月15日 日本政府と総督府は、反日的な朝鮮人親日的に懐柔する為に、婚儀を利用しようとした。警察当局も、朝鮮人への監視を緩めた。
 日本に留学している朝鮮人学生は、秘かに独立運動を企画し、日本と朝鮮で同時に独立宣言を行う為の準備を始めた。   
 京城天道教を中心とした宗教関係者は、これまで独立運動には距離をおいて慎重であったが、監視が緩められて事を好機として主導的立場に立って密議を始めた。
 何時の時代でも、如何なる地域においても、宗教は新たな時代への扉を開く為の起爆剤となった。宗教家の大半が流血を好まなかったが、それを利用しようとした無神論的扇動家によってその希望は踏みにじられた。社会を変革しようとする宗教活動は、無神論者によって悲惨な惨事へと暴走した。
 流血を好む無神論者には、良心も道徳もなかった為に、おぞましい蛮行を止める如何なる歯止めも持っていなかった。
 その好例が、ソ連及び共産主義圏諸国にける左翼・左派のマルクス主義者による、宗教関係者への大虐殺である。共産主義大義とは、大流血で建設される恐怖の正義であった。
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 1919年1月 パリ講和会議。幽閉されていた前皇帝高宗は、ウイルソンが提唱した民族自決主義に望を託し、日本の横暴を訴える密使を派遣しようとした。総督府は、それを察知して密使を押さえたが、密使の派遣は民族派の宮廷高官によるもので、高宗は無関係として有耶無耶に処理した。
 パリ国際会議は、ポーランドアイルランドなどの独立を認めたが、朝鮮独立派からの独立請願書を却下した。欧米列強が欲しかったのは、国際連盟におけるキリスト教系白人票であって、西洋を否定する非白人票ではなかったのである。
 国際連盟委員会は、日本が提案した「人種差別撤廃案」を全会一致の原則に従って却下した。
 アメリカの国内は、アフリカ系アメリカ人(黒人)と西洋系人種差別主義者(白人)による対立が社会問題となっていた。差別主義者による暴行・強姦・殺人などの凶悪犯罪が、全米で起きていた。地元警察は、取り締まるどころか、見て見ぬ振りをしていた。
 日本は、戦勝国の一員として代表団を送った。
 日本代表団は、山東省にあるドイツ権益及び旧ドイツ領・南洋諸島の継承と、人種差別撤廃(人種平等)の提起を求めた。
 人種差別撤廃問題以外は、日本の要求が受け入れられた。
 中国代表団は、ドイツ利権の全面還付が拒否された事に激怒して、講和条約の署名を拒否した。
 1月21日 高宗が急死した。あまりにも突然の死の為に日本人による毒殺説が流れ、反日派は噂ではなく真実と受け止め復讐を誓った。
 高宗の死によって、英親王と方子の婚儀は無期延期とされた。
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*二・八独立宣言
 朝鮮の総人口は、約1,700万人であった。
 朝鮮キリスト教青年会は、日本在住の朝鮮人労働者数千人に独立思想を吹聴し、独立運動に参加するように勧誘していた。
 2月8日 京城日報「留学生物語 女子高等師範生」
 東京神田区西小川町にある朝鮮YMCA会館(朝鮮連合耶蘇協会)で、朝鮮人留学生600人以上が独立宣言を発表した。
 同宣言書は、朝鮮人の独立への想いを国際社会に知らせる為に、東京にある各国大使館や諸外国の報道機関にも送られた。
 朝鮮と中国は人に感銘を与える名文家を多く輩出したが、日本には傑出した名文家はいない。木訥なサムライは、人に感動を与える朝鮮人特有の巧言令色的名文を嫌った。
 参加者は、反天皇反日意識で高揚して、デモ行進に移る為に会館を出た。
 西神田警察署は、急報を受け、デモ行進を阻止する為に警察隊を急派した。
 デモを強行しようとした朝鮮人学生が抵抗した為に、両者は乱闘となり、警察隊は60名以上を逮捕した。
 朝鮮人デモは、不活性型の消極的な日本人デモとは違い、瞬間沸騰型の積極的な中国人デモ同様に暴動に発展しやすい。
 独立派は、日本を逃れて朝鮮に渡り、平壌や定州などのキリスト教系学校やキリスト教会を廻って同志を募った。
 日本当局は、独立運動キリスト教会ではなく共産主義勢力と共闘を組む事に警戒した。
 日本政府、朝鮮人独立運動を、武力鎮圧してはパリ会議での日本の立場を悪くするとして、情報操作をしながら静観した。
 そして、朝鮮のキリスト教会に手を出してバチカンとの関係を悪化させる事を恐れ、事実が判明するまでキリスト教徒への監視を強化した。
 一部の狂信的朝鮮人キリスト教徒は、日本人異教徒による宗教的嫌がらせとして反発し、信仰を守る為に反天皇反日独立運動家を匿った。
 独立運動家は、キリスト教会の支援を期待して、キリスト教に改宗した。
 朝鮮のキリスト教会は、反天皇反日の政治闘争の拠点化した。
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 『2・8独立宣言書』全文(1919年2月8日 朝鮮基督教青年会館)
 「朝鮮青年独立団は我が2000万の民族を代表し、正義と自由の勝利を得た世界万国の前に我が独立を期成せん事を宣言する。我が民族は4300年の長い歴史を有し、世界最古の民族の一つである。時には中国の正期を奉じた事はあったが、これは両国皇室の形式的な外交関係に過ぎなかった。朝鮮は常に我が民族の朝鮮であり、今だかつて一度として統一国家である事を失い、異民族の実質的支配を受けた事はなかった。
 日本は朝鮮が日本と唇歯の関係にある事を自覚していると称して、1894年清日戦争の結果率先して韓国の独立を承認した。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアなどの諸国もまたみな独立を承認しただけでなく、これを保全する事を約束した。韓国もまたその恩義に感じ鋭意諸般の改革をおこない、国力の充実を図ったのである。
 当時ロシアの勢力が南下し東洋の平和と韓国の安寧を脅かしたので、日本は韓国と攻守同盟を結び、露日戦争をはじめたが、東洋の平和と韓国の独立はこの同盟の主旨であった。ここにおいて韓国はいよいよその好意に感じ、陸海軍の作戦上の援助はできなかったが、我が主権の威厳までも犠牲にしておよそ可能な限りの義務を尽くし、東洋の平和と韓国独立の二大目的を追求した。
 しかしその戦争が終結するにおよんで、当時のアメリカ大統領ルーズベルトの仲裁によって講和会議が開かれたが、日本は同盟国である韓国の参加を許さず、露日両国の代表は日本の韓国に対する宗主権を任意に議定した。日本はその優越した兵力を恃み、韓国の独立を保全するという旧約に違反し韓国皇帝及び政府を脅かし、韓国の国力充実によって独立が得られる時期までという条件を押し付けて欺き、韓国の外交権を奪って、日本の保護国となし、韓国をして世界列国に対し直接交渉する道を断たしめた。さらに相当の時期までという条件で司法・警察権を奪い、徴兵令実施までという条件で軍隊を解散し、民間の武器を押収して日本の軍隊と憲兵警察とを各地に配置した。
 甚だしきは皇宮の警備までも日本人の警察を使用するに至った。このようにして遂に韓国を無抵抗なものにしながら、我が明晰な光武皇帝を放逐し、精神の発達が充分でない皇太子を擁立して利用し、日本の走狗を持っていわゆる内閣を組織し、ついに秘密と武力とをもって合併条約を締結した。ここに我が民族は建国以来半万年にして自己を指導し援助すると約束した日本軍閥の野心的政策の犠牲となった。実に日本の韓国に対する行為は詐欺暴力から出たものにして、このような詐欺による大きな成功は、真に世界興亡史上特筆すべき人類の大恥辱といわねばならない。
 かの保護条約を締結するとき皇帝と賊臣を除く数人の大臣はあらゆる反抗手段を尽くし、その発表の後も我が全国民はみな素手でもって可能な限り反抗した。司法・警察権が奪われ軍隊が解散されたときもまた同じく反抗した。
 こうして合併の際には、手中に寸鉄の武器をもたず、可能な限りの反抗運動を試みたが、精鋭な日本の武器により犠牲となった者は数知れない。以後10年間、独立を回復するため運動で生命を犠牲にした者また数十万に達した。かの惨酷な憲兵政治のもとで、手足と口舌の自由を奪われながらも、独立運動は間断なく続けられた。これらによってみても、韓日合併朝鮮民族の意思ではない事を知らねばならない。
 このようにして、我が民族は日本軍国主義の野心家の詐欺、暴力のもとに民族の意思に反する運命におかれた。それ故に正義、人道をもって世界を改造するこの時にあたり、その匡正を求むる事は当然の権利であり、また世界改造の主人公であるアメリカ、イギリスは保護と合併に対し率先して承認をしたという理由によって、今日その旧悪を贖う義務がある。
 また合併以来の日本の統治政策をみると、かの合併当時の宣言に反し、我が民族の幸福と利益を無視し、征服者が被征服者に対するような古代の非人道的な政策を襲用し、我が民族に対し参政権、集会・結社の自由、言論・出版の自由などを一切許さず、甚だしきは信教の自由、企業の自由に至るまでも拘束している。行政、司法、警察などの諸機関で朝鮮民族の私権さえも侵害しないものはない。公的にも私的にも我が民族と日本人との間に優劣の差別を設け、我が民族には劣等の教育を施し、永く我が民族を日本人の使役者にしようとしている。
 歴史を書き改め、我が民族の神聖な歴史的、民族的伝統と威厳を破壊し、さらに凌辱を加えている。少数の官吏を除く他は政府の諸機関、交通、通信、兵備などの諸機関の全部あるいは大部分には日本人を使用し、我が民族に永遠に国家生活の智能と経験を得る機会を与えないようにしている。我が民族は、このような武断専制の不正、不平等の政治のもとでは、決してその生存と発展を享受する事ができない。
 それだけではない、人口過剰の朝鮮に無制限の移民を奨励し、土着の我が民族が海外に流離するのやむなきにいたらしめた。また政府の各機関はもちろん私設の諸機関にまでもことごとく日本人を使用し、一方では我が国民に職業を失わしめ、又他方では我が国の富源を日本に流出せしめた。又商工業においても日本人に対してのみ特殊な便益を与え、我が民族にはその産業発展の機会を失わせている。このようにあらゆる方面で我が民族と日本人の間の諸般の利害は互いに相反し、その害を受くるものは我が民族である。故に我が民族は生存の権利の為に独立を主張するのである。
 最後に東洋平和の見地から見ても、かの最大の脅威であったロシアはすでにその軍事的野心を放棄し、正義と自由に基づき新国家の建設に従事している。中華民国も、又同様である。さらに今後国際連盟が実現すれば、再び軍国主義的侵略を敢行する強国はなくなるであろう。とすれば韓国併合の最大の理由はすでに消滅している。これより、もし朝鮮民族が無数の革命の乱を起こすとすれば、日本に合併された韓国は却って東洋平和を乱す禍根となるであろう。我が民族は唯一つの正当な方法によって我が民族の自由を追求する。
 もしこれが成功しなければ、我が民族は生存の権利の為に自由な行動をとり、最後の一人に至るまで必ずや自由の為に熱血をそそぐであろう。これがどうして東洋平和の禍根とならないであろうか。我が民族は一兵も持っていない。我が民族は兵力をもって日本に抵抗する実力はない。しかしながら、日本がもし我が民族の正当な要求に応じなければ、我が民族は日本に対し永遠の血戦を宣布せざるを得ない。
 我が民族は高度の文化を持ってからすでに久しい。そしてまた半万年にわたる国家生活の経験を持っている。たとえ多年の専制政治の害毒と境遇の不幸が我が民族の今日を招いたものであるにせよ、今日より正義と自由とにもとづく民主主義的先進国の範に従い、新国家を建設するならば、我が建国以来の文化と正義と平和を愛好する我が民族は必ずや世界の平和と人類の文化に対し貢献するであろう。
 ここに我が民族は日本及び世界各国に対して自決の機会を与える事を要求する。もしその要求が入れられなければ、我が民族はその生存の為に自由な行動をとり、我が民族の独立を期成せん事をここに宣言する。
 西紀1919年2月8日
 在日本東京朝鮮青年独立団代表  崔八鋪、尹昌錫、金度演、李○根、李光洙、宋継白、金テツ寿、崔謹愚、白寛洙、金尚徳、徐椿」



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