☴15〕─2─北朝鮮の餓死、3年間で350万人。深化組事件、処刑約1万人。1994年~No.54No.55No.56 @ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ウィキペディア
 朝鮮民主主義人民共和国の経済史
 大飢餓と深刻な経済難
 1994年7月の金日成死亡後、北朝鮮は極度の経済難に襲われる。経済難の中でも最大の問題は大飢饉であった。大飢饉は実質的には1994年に始まっていたと考えられている。大飢饉が発生した理由は複合的であると考えられている。まず北朝鮮当局が主張しているように、1995年の大水害以降、気象災害が相次いで北朝鮮を襲ったことが食糧不足の一因となったことは確かである。しかしより根本的な原因は化学肥料や農薬を大量に使用し、耕地面積を広げるために無理な段々畑を作るなど、主体農法に代表される北朝鮮の農業政策そのものの欠陥にあった。社会主義圏の崩壊にともなう北朝鮮経済の悪化は、化学肥料や農薬の調達可能量の激減を招いた。更に永年にわたる化学肥料の大量使用は地力の低下を招き、段々畑の拡大など無理な耕地の拡大とともに、水害に著しく脆弱な農業環境を作り出してしまっていた。また、増産運動など精神的刺激ばかり与えられ、物質的な刺激に乏しい北朝鮮集団農業の非効率性も農業生産の大きな低迷原因であった。北朝鮮穀物生産高は1990年代に入って低下していたものと考えられ、食糧の配給が滞るようになり、1996年には食糧配給がほぼ止まり、北朝鮮の多くの人々の生活を支えていた配給制度が崩壊し、少ない食料を分配する能力を失った北朝鮮当局の無策によって飢餓は拡大していった(苦難の行軍)。
 大飢餓によって死亡した人数については、北朝鮮当局が発表した約22万人から、350万人に及ぶという推計まであり数値に大きな差が見られる。いずれにしても数十万ー数百万の人々が餓死し、飢餓に苦しむ人々の中から北朝鮮を逃れる脱北者が相次いだ。1990年代、農業以外の産業も工場の操業が軒並みストップするなど大きなダメージを受けた。しかし最高指導者の金正日は疲弊した経済の再建よりも軍事優先の先軍政治を唱え、軍事部門の投資を優先させる政策を採った。韓国銀行の推計では1990年代は1998年まで経済成長率はマイナスとなった。
 配給制度が崩壊した北朝鮮では、やがて住民が食糧や生活必需品を手に入れるための市場が急速に発展していくことになる。2000年代に入ると、社会主義統制経済の原則に反する市場を統制しようとする当局と市場との争いがしばしば繰り広げられることになる。
 2010年の調査では、脱北者の62%が公式な職業以外の仕事にも従事していたと答えている。もはや北朝鮮政府主体の共産主義主体思想の考えに基づく経済は崩壊状態にあり、資本主義のルールによる市場こそが北朝鮮住民の糧となりつつある。既に北朝鮮で最も広く流通しているのは、北朝鮮のウォンではなく、中国の人民元と考えられている。2013年には北朝鮮の中国への貿易依存度は90.6%に達してる。
   ・   ・   ・   
 深化組事件は、1996年から2000年にかけて朝鮮民主主義人民共和国で発生した大規模な粛清事件。
 概要
 1995年から1998年にかけて北朝鮮で大飢饉(苦難の行軍)が起こり、最大で350万人とも言われる大量の餓死者が発生すると、最高指導者になったばかりで、金日成主席時代からの古参幹部の取り扱いに困っていた金正日(当時、朝鮮労働党中央委員会組織指導部部長を兼務)は、社会安全部内に秘密警察組織「深化組(住民の経歴、思想調査を深く行うの意)」を創設、経済危機と大飢饉で国民の不満が高まっていた機を利用して、当時、組織指導部第一副部長だった張成沢を起用して、一気に古参幹部たちと、その側近、彼らの親戚3親等までをスケープゴートに大粛清を行った。
 「深化組事件」は2段階に分けて行われ、第1段階は1996年から1998年まで、第2段階が1998年から2000年までとされている。第1段階で処刑された人は3000人以上で、その家族や縁故者1万人以上が耀徳強制収容所(15号管理所)に送られた。第2段階では、4人の大臣クラスの高級幹部を含めて全国的に2000人が処刑され、1万人に及ぶ家族と親戚が強制収容所送りになった。
 最初に大飢饉を発生させた責任者としてスケープゴートにされたのが、徐寛煕・党中央委員会農業担当書記で、石打ちの公開処刑で殺害された。また、張成沢を監視する立場で、張の政敵でもあった文聖述・党中央委員会責任書記もなぶり殺しにされたという。深化組の拠点は全国数百カ所に及び、捜査員は約8000人にのぼり、最終的に粛清された総人数は約2万5000人、このうち1万人が殺害され、1万5000人が強制収容所に送られた。
 深化組の果たした役割が中国の文化大革命時の紅衛兵と似ていることから、深化組事件は三大革命赤旗獲得運動と並んで北朝鮮版の文革とも言われている。





   ・   ・   ・   

北朝鮮激撮!―拉致と飢餓の真相にせまる

北朝鮮激撮!―拉致と飢餓の真相にせまる