💦6〕─1─反日無罪・愛国無罪。反日韓国ドラマ。2015年10月~No.17No.18No.19 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 韓国の歴史教育は、戦中の朝鮮は連合軍の一員として勇敢に軍国日本と戦い勝利し、植民地支配を打倒して、自力で独立を勝ち取ったと教えている。
 韓国は、内政干渉として、日本に同じ歴史認識を持つ事を強制している。
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 アメリカとGHQ及びイギリスは、新生韓国を連合国の一員とする事を拒否し、サンフランシスコ対日講和条約への参加も認めなかった。
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 韓国のテレビドラマや映画は、韓流ドラマとして中国や東南アジアさらにはアメリカやヨーロッパでも放送・上映されている。
 独立派朝鮮人や朝鮮テロリストが日本軍と勇敢に戦う抵抗運動や戦争も製作され、外国に輸出されている。
 唯一製作されていないのは、20万人以上の従軍慰安婦とされた娘達を救出する活劇ドラマである。
 朝鮮半島の我が家の近所から日本軍によって強制連行され、戦場の慰安所に放り込まれ、強姦され殺害される憐れな少女達の悲劇をドラマ化した作品は数多くある。
 が、日本軍基地を襲撃し、日本軍を撃退し、慰安所から少女達を助け出したという英雄物語はない。
 あるのは、娘達が目の前で強制連行された物語であり、そこにいた親兄弟や友人などの朝鮮人達が狂ったように泣き叫ぶ姿だけ出る。
 娘達を助けた話がなければ、連行されるのに抵抗した話もないし、一致団結して暴動を起こして救出した話もない。
 普通なら有りそうな、勇敢な物語が一つもない。
 従軍慰安婦ドラマは、正義の味方である朝鮮人青年に助けられる話はなく、最後は悪党の日本軍兵士に殺される救われない悲惨な物語しかい。
 従軍慰安婦ドラマには、「救い」はない。
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 2015年10月28日 朝日新聞「植民地時代が舞台の映画 なぜいま韓国でブームに?
 戦後70年の今年、韓国で日本の植民地支配下にあった時代を題材にした映画『暗殺』が大ヒットとなった。観客動員数約1,270万人は歴代7位の記録で、国民の4人に1人が見た計算になる。今後も植民地時代の映画は続くという。なぜその時代が受けるのか。
 愛国心を刺激 
 対日協力者断罪
 1930年代のソウル。日本統治時代は『京城』と呼ばれた。きらびやかでモダンな『三越百貨店』で、独立軍の若者たちが対日協力者の結婚式を襲撃する──。『暗殺』の主演ション・ジヒョンは、日本でも知られる『猟奇的な彼女』のヒロイン。架空の女狙撃手が活躍する、涙あり笑いありのアクション映画。
 公開は7月下旬。韓国では植民地支配から解放70年の8月15日の『光復節』に向け、『抗日愛国』に焦点を当てたニュースが飛び交っていた。映画を見た銀行員の金修顕(キムスヒョン)さん(42)は『愛国心を刺激するものを求める社会の雰囲気が人気につながる』と感じるという。大学講師の金大源(キムデウォン)さん(34)は『女性独立運動家が斬新でかっこいい。日本人よりも祖国を裏切った対日協力者を非難している点で、これまでにない映画だった』と話す。
 韓国では近年、格差の象徴である財閥に対し、庶民の反感が強まっている。映画研究者の李英戴(イヨンジュ)さん(41)は『民族を裏切って私腹を肥やす対日協力者と財閥のイメージが重なり、それを断罪するストーリーに共感が集まったのではないか』と分析する。
 日本は『嫌韓
 中国市場に狙い
 韓国ではこれまでも植民地時代を描く映画がつくられてきたが、ヒットしないと言われてきた。しかし、ここにきて、植民地時代を舞台にした韓国映画はブームの様相を呈している。少なくとも5本が今後劇場公開される見込みだ。
 ソウルの東国大学映画映像学科の鄭秀婉(チョンスワン)教授は変化の理由としてビジュアル面を挙げる。
 『朝鮮王朝時代を舞台にした時代劇に観客が飽きてきたところに、植民地時代が登場した。モダニズムと重なる時期でもあり、視覚的に見応えがある』
 と説明する。
 韓国映画界が、日本ではなく中国を市場として重視するようになった影響を指摘する声もある。韓国在住の映画ライター土田真樹さんは『中国でヒットする韓国映画が増え、中韓合作も多い。日本の観客を意識する必要がなくなってきた』と語る。実際、『暗殺』は日本での公開予定はない。日本の映画関係者は『嫌韓ムードが続き、韓国映画というだけで上映を避ける劇場がある。反日色がある映画はなおさら』と打ち明ける。
 両国民の感情
 影を落とす懸念
 植民地時代を描く作品が相次ぐ現状について、韓国の大衆文化に詳しい古家正亨(ふるやまさゆき)さんは『よく見ると反日一辺倒ではなく、時代背景を借りただけという作品も多い』と受け止める。
 ただ、古家さんは両国民の感情に微妙な影を落とすのではと心配する。
 『日本側では、韓国が日本たたきをしていると単純に受け止められ、嫌韓ムードが強まりかねない。韓国側では、映画の内容をフィクションではなく史実と受け入れる弊害が心配される。日韓国関係にとって、残念な現象であることは間違いない』
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 10月28日 産経ニュース「【歴史戦】予想された中韓からの“攻撃” 世界文化遺産になった九州・山口の文化財が標的に 「慰霊」に名を借りた「日本の地位失墜」運動
 高島炭坑で命を落とした無縁仏を弔う供養塔。韓国の国旗がかけられていた
 「やはり」、というべきか。世界文化遺産となった九州・山口の文化財に対し、韓国や中国から「強制連行」を名目に“攻撃”が仕掛けられている。
 今回、韓国の大学生らが案内板設置を求めた高島炭坑の供養塔は、大正時代に起きた炭鉱事故などで亡くなった労働者のうち、身よりが分からない労働者を弔って建立された。現在は長崎市が所有・管理している。
 「長崎労働組合運動史物語」(長崎地区労働組合会議発刊)では、「大正9年4月以前から、高島のどこかに埋められていたものを、(炭坑を運営する)三菱資本が集めて供養塔とした」とある。
 高島の郷土史家、山崎徳(めぐみ)氏(90)は「身元の分からない人を弔っているのだから、人種や国籍がわかるわけがない」と語る。
 ただ、朝鮮半島国家総動員法に基づく「国民徴用令」が適用されたのは昭和19(1944)年9月だった。終戦直後に供養塔の下にあった骨壺を調べたところ、19年以降と思われる真新しい骨はなかった。韓国側の根拠は乏しいという。
 高島の供養塔には、4・5キロ離れた隣の端島(通称・軍艦島)からも遺骨が移された。
 両島の炭鉱を所管した三菱石炭鉱業が、昭和49年の閉山後、軍艦島の寺院から、骨壺を高島の供養塔に移した。この骨壺は63年に、高島にある金松寺に預けられた。その際に作成された名簿には、朝鮮半島出身者の名前はなかったという。
 山崎氏の言う通り、供養塔にまつられた炭鉱労働者に、半島出身者がいるかどうかは判断できない。
 だが、韓国側はすでに動いている。複数の近隣住民によると、供養塔までの約50メートルの道で、韓国人らしき若者数人が草刈り作業を行う姿が目撃されている。道は市有地や私有地が混在するが市は許可を出していない。
 また、道中の草木には、ハングルが記されたリボンが複数くくりつけられ、供養塔の柵には韓国の国旗が架けられていた。
 こうした活動の中心となったのは、誠信女子大の徐敬徳教授といわれる。徐氏は、慰安婦問題や竹島問題に関して、主に米国で韓国側の主張を広報する活動を展開している。
 日本側にも、韓国側の活動を支援する人物がいる。
 「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長の高実康稔氏は、高島の歴史調査を続けてきた山崎氏を、ひんぱんに訪れた。
 高実氏は、同行した韓国人カメラマンに、供養塔を撮影させた。山崎氏が「終戦直後に供養塔には新しい骨は納められていない。半島出身者が含まれる可能性は低い」と訴えても納得せず、旧日本軍による「強制連行」を非難したという。
 山崎氏はこう憤った。
 「確かに三菱の名簿は見つかっていないが、多くの韓国人が徴用されていたなら寮があるはずだ。だが住民は誰もわからないし覚えていない。入坑する韓国人を見た人もいない。それなのに高実氏はなんでも韓国側に都合のいいように解釈する」
 高実氏は平成16年12月、中国人2人を連れて高島を訪れた。中国人はある場所に来ると、「自分たちの寮はここに建っていた」と訴えたという。山崎氏によると、そこは戦時中は山で、戦後の昭和34年に整地され、寮ができた場所だった。
 高実氏は今月25日、産経新聞の取材にこう語った。
 「軍艦島の寺院には強制連行されて、亡くなった朝鮮人の遺骨があった。われわれは、ある人を通じて、軍艦島で亡くなった人の公式の『火葬埋葬許可証』を手に入れたから確かだ。出所元は約束のため、公表できない」
 こうしたあやふやな事実に基づく韓国側の活動は、「慰霊」や「供養」に名を借りたディスカウント・ジャパン(日本の地位失墜)運動と言わざるを得ない。(奥原慎平)」






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