☯27〕─1─倭乱より凄惨な丁卯胡乱と丙子胡乱。責任者の先逃(ソンド)文化イガンジル。1627年。~No.71No.72No.73 @  

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 惨めで哀れな朝鮮。
 朝鮮の歴史は、大半が架空である。
 自慢できる歴史的事実は少ない。
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 朝鮮人儒学者は、中国人になる事を希望した。
 日本人儒学者は、天皇が支配する日本より中華皇帝が徳で治める中国に憧れ、住居を一歩でも中国に近居場所に立てていた。
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 朝鮮は、清国皇帝に絶対服従を誓い、最下位の属国となる。
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 シャルル・ダレ「漢文で書かれた様々な朝鮮史の本は、それを一読した人によると、誇張された朗読用のテキストに使われるため、多かれ少なかれ想像上の事実の雑多な寄せ集めに過ぎないという事である。
 朝鮮の学者たち自身も、これらの文献になんらの信用もおいておらず、また決して研究対象にする事もなく、中国の歴史書だけを読む事にしている。……学者達はといえば、それを開いて見る事さえ恥辱だと思っている」(『朝鮮事情』)
 朝鮮人は、慕華思想から、完全無欠な儒教社会にする為に、民族の歴史を軽蔑し、半島の文化を破壊し、外来の仏教を弾圧した。
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 李氏朝鮮は、事大主義として、「文化度の高い漢の武帝は文化度の低い野蛮な朝鮮を滅ぼし、徳化・教化する為に行政区域を改めて四郡を設置して支配した」という、自分を卑下する偏狭的歴史を行った。
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 儒教は、中国では形骸化して科挙の試験勉強としてのみ存在していたが、朝鮮では金科玉条的に厳格に存在していた。
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 朝鮮人は、執念深く、負けず嫌いである。
 弱肉強食の様な社会では、人に迷惑をかけても堂々と自己主張を貫き、相手が根負けするまでがなり立てて騒ぎ立てる。 
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 「イガンジル」
 朝鮮では、現場で仕事ができる人間(ヌンチ)よりも、権力者の傍らで告げ口が上手い人間が出世した。
 朝鮮が生き残れたのは、権力者が派閥抗争を繰り返して殺し合い、貨幣の流通で商品経済が発展せず原始的な物々交換をする経済規模の小さい自給経済と、読み書き算盤ができない低い民度ゆえであった。
 王建の「訓要十条」、「南の人間は叛逆する傾向があるから、有能な人間でも絶対に優遇してはならない」
 その罪は、九族に及び皆殺しにする。
 勳旧派と土林派。
 西人派と東人派。
 西人派と南人派。
 党派抗争で勝った派閥は、権力を手に入れて大金を得て裕福になり、敗れた派閥の領袖達を皆殺しにして財産を奪った。
 勝った派閥内部では、新たな派閥抗争が起きて生死を賭けた大激論を始めた。
 朝鮮王朝史とは、不毛な党派による権力闘争史である。
 儒教は、血生臭い正論論争を容認し、敗者の復活を認めない身分の上下関係を固定した。
 本来が北方系朝鮮人征服王朝である為に、支配階級の都合の良い天命としての階級制度が押し付けられた。
 両班、中人、常民、賤民、奴婢、そして白丁。
 女性は、人間と認めず家族の一員に加えず、男の便利な道具とした。
 其れが夫婦別姓の由縁で、男系のみが認められ、女系は認められず抹消された。
 本貫制も一族を大事にしながら、他者を完全は排除する家族制度であった。
 現代韓国でキリスト教に入信する女性が多いのは、男性上位の儒教的女性蔑視が原因と言われている。
 論語「その鬼に非ずしてこれを祭るは諂いなり」。自分の先祖の霊魂をのみを祭るのは正しい行いであるが、他人の先祖の霊魂を尊びて祭る事は正しい行為ではなく、人の道に外れた行いで、ただ諂いにすぎない。
 祖先崇拝において、儒教は閉鎖的血縁のみを重視して「個」として一族のみが祭り、神道は開放的地縁を大事にした「集団」として誰でもが祀った。
 儒教において、先祖を祀るのは男性だけで家族の一員でない女性ではない。
 神道及び仏教では、女性も家族の一員と認めて祖先を祀る資格を認めている。
 祖先崇拝に於いて、日本と中国および韓国・朝鮮は根本的に違っている。
 日本が、如何に説明しても中国や韓国・朝鮮は理解しない。
 その意味で、靖国神社問題の解決は不可能である。
 技術レベルが低く粗悪品しか生産できず、食糧生産が低く絶えず飢餓が発生し疫病が起き、領民が自分勝手でまとまりがなく落ち着かないからである。
 鄭東愈「朝鮮にないものが三つある、それは羊と車と針である」(1805年『晝永編』)
 中華帝国は、周辺地域で競争相手になる様な独自性を主張する国家の出現を嫌い、貧しさゆえにく媚び諂い阿諛追随する朝貢国のみの存続を認めた。
 中国人の気質は、いつ如何なる時も相手よりも上位にありたいという偏狭的病的面子の拘りにある。
 東アジアで、中華帝国に引けを取らない政治・経済・文化・軍事・芸能・技術を持ち得たのは日本だけである。
 朝鮮は、中華帝国の属国で甘んじていただけに政治・経済・文化・軍事などあらゆる方面で、独自性を持てず日本よりも劣っていた。
 日本は、「和魂漢才」で主体性を以て、取り入れるべきものと排除するべきものを冷静に判断し、取り入れるべきものでも日本の価値観にあうように改良を加えて融合させ、日本独自の文化に昇華させた。
 朝鮮は、良い悪いに関係なく、盲目的に全てを受け入れた。
 江戸幕府は、主君への忠誠の為には親兄弟の犠牲を強要し、公の為には私を捨てる事を求めた。
 人の為世の為仲間の為に、滅私奉公を美徳とした。
 李氏朝鮮は、中華帝国同様に君主への忠誠よりも父親への孝行を優先させ、孝行の為ならば主君を裏切るこそ人の道とした。
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 両班は、富みを独占する為に、御用達の特権商人以外の私商人を認めず、指定された市以外で商店を出して商売する事も禁止した。
 金儲けする商人は禽獣の如き卑しい者として、禁令を破って商売する者は逮捕し、財産を没収して死刑にするか流罪とした。
 庶民は、生活に必需な物は定期的に開かれる市場に出掛けていって物々交換で手に入れていた。
 儒教的商業抑制政策で、商品の多くは明国産・清国産(中国産)のみとして国産品を禁止して殖産を制限し、多種多様な商品による物流がない為に貨幣経済は起きなかった。
 清国は、元王朝の正統な後継者として交易を重視し、現実離れした観念的「理」重視の朱子学を嫌い、思ったものすべてに理があるという実念論陽明学を採用していた。
 朝鮮儒者は、朱子学を捨てた清国の道徳的乱れを軽蔑して報告し、中華の礼節を定めた明国の法律(大明律)を清国の退廃した文化から守るべきだと訴えた。
 「中国は、禽獣に近い卑しい国」
 同時に、日本をも禽獣の野蛮人が住む国である以上、日本人を朝鮮に入れるべきではないと主張した。
 朝鮮の「恨」において、国力や軍事力で中華帝国に敵わない小国であった為に、儒教的正統性を屁理屈で拡大解釈して精神的に中華帝国の上位に立とうとしていた。
 朝鮮は、朝鮮を中心とした小中華思想による華夷秩序で、遊牧民女真族日本民族を人間以下の野蛮人と軽蔑していた。
 朝鮮人は、小国の僻みから正統性に拘り、全ての起源を朝鮮に求めている
 日本蔑視は、現代の反日感情の源流となっている。
 日本文化全てが、朝鮮発祥であるというウルナラ起源説は真っ赤な嘘である。
 朝鮮人は、他人と対等な信頼関係を大事にする日本人とは違い、中国人以上に他人との上下関係による優劣を決めたがる。
 上下関係の基準は儒教的正統性であり、正統性が有るかどうかを判断する為に役職や階級や職業など社会的身分が使われる。
 正統性を手に入れる為に、賄賂や不正は平気で行い、上司や同僚を蹴落とす為に告げ口をし平然と裏切る。
 民族性として、表面で助けられたり援助された事に対して恩義を感じて謝辞を述べても、本心は決して感謝せず、相手を非難中傷して自分より下方に落とす為に粗探しをしていた。
 朝鮮史は、正統性を勝ち取る為の、陰惨な党争が絶えない。
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 朝鮮半島は、イタリア半島とは違ってアルプス山脈な天然の要害を持たず、無防備な状態で大陸から侵略を許していた。
 歴代王朝は、天然の防壁がない為に、幾ら軍事力を増強しても侵略を防ぐ事ができなかった。
 国王などの偽善者は、軍事力で国と国民を守る為に戦う事を諦め、無気力と無責任とで逃げる事で生き残ろうとした。
 庶民も、威張って搾取するだけでいざとなったら自分達を見捨てて逃げる国王達の為に、忠誠を誓い命を捨てて国家と国土を侵略者から守るという意志はなかった。
 歴代王朝は、一度も独力で侵略者を撃退して国を守った事はなく、逃げ回るって侵略者が呆れくたびれ果てて引き揚げる事で国を守った。
 朝鮮人の意識は、日本人や中国人とは違っている。
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 李氏朝鮮の内部では、明国の衰退にともなって野蛮人の清国の圧迫が増大した為に、祖国防衛に日本の軍事力を利用しようと主張する者がいた。
 朝鮮人は、中華帝国の侵略に対して国土を焦土にしてまで徹底抗戦して死守するという覚悟がなく、たえず弱者を装って戦わず、謀略を巡らして「夷を以て夷を制す」事のみを考えていた。
 逃げ切れないと分かれば泣き叫んで降伏を懇願し、土下座をして臣下の礼をとり、朝貢使を派遣して服従を誓い、命じられた人数のキーセンを献上した。
 日本が攻めてきたら明国を頼り、清国が攻めてきたら日本を頼ろうとした。
 江戸幕府は、信義なき朝鮮を嫌い、国交を開かず、李氏朝鮮との窓口国交を対馬一藩として、朝鮮人の自由な日本上陸を許さなかった。
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 1627年 丁卯胡乱。朝鮮は、宗主国明国を救援すべく出兵するが、満州族の後金(後の清国)に敗れ侵略される。
 後金は、明朝の属国・李氏朝鮮に明国を攻撃する様に命じたが拒否された為に、懲罰として朝鮮に侵略して大量虐殺し数十万人の朝鮮人を奴隷として強制連行した。
 侵略され王城の漢城が占領されるまでに、朝鮮軍は弱兵であった為に2週間しか掛からなかった。
 仁祖王は、後金軍の副将・劉興祚に責任を問い詰められるや、責任は大臣達にあって自分にはないと見苦しいまでに自己保身に走った。
 後金は、日頃は国王として威張っていながら、いざとなったら自国民を放り出して惨めに逃げ回り、責任を追及されると臣下に擦り付ける無責任さに、ほとほと呆れ果てていた。
 朝鮮は、口で言うほど本気で自国を守る意思はなく、たえず強者に媚び諂って生きようとしていた。
 歴代の中華帝国は、自力で祖国を守る意志のない朝鮮に大軍を派遣して攻める事は馬鹿馬鹿しいと知っていたがゆえに、軍隊を国境地帯に派遣して無言の圧力をかけて引き換えしていた。
 中国人は、中国の真似をして喜んでいる朝鮮人を軽蔑し、魅力のない嫌らしい朝鮮などには長居をせず草々帰国したいと思っていた。
 教養ある者にとって、大人気ない朝鮮の「告げ口(イガンジル)」外交ほど軽蔑すべき嫌らしい行動はなかった。
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 朝鮮は、口で言うほど強くなく、むしろ惨めであった。
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 1637年 丙子胡乱。 朝鮮国王は、宗主国明国への義理立てから徹底抗戦を命じた。
 朝鮮の民衆は、自国の王に見捨てられた。
 清国は、朝鮮に対する報復戦として、朝鮮征伐の為に大軍(約10万人)を朝鮮半島に出兵し数十万人の朝鮮人を虐殺した。
 被害は、豊臣秀吉による日本軍の侵略より多く、夥しい犠牲で人口は半減したといわれている。
 朝鮮は、清国軍に降伏し、屈辱的降伏条項を呑まされて清国の属国となった。
 朝鮮国王は捕られて、清国に降伏し、清国皇帝を兄として従属する事を誓った。
 第16代国王仁宗は、平民が着る粗末で見窄らしい服装で、受降壇の最上段に坐るホンタイジに向かって最下段に伺候して跪き、臣下を誓い最上級の敬意を表す三跪九叩頭をい、抵抗した事の許しを得た。
 1639年 ホンタイジは、清国の徳が朝鮮にもたらされた事を記念する恥辱碑である「大清皇帝碑」を建てさせ、清国皇帝の勅使を土下座して迎える「迎恩門」の建立を命じた。
 『大清皇帝功徳碑』
 文面「愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった。清国皇帝は愚かな朝鮮王をたしなめ、己の滞在を許してやった。良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になる事を誓った。我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また、清国に逆らった愚かな罪の反省をする為にこの石碑を立てる事とする」
 朝鮮は中華の属国となり、中国語(満州語と漢語)を公用語として受け入れ、中国史を正史として学び自国の歴史を外史とし軽視した。
 清国の藩属国・朝鮮は、事大主義を国是として、中華皇帝に命じられた以上の女性約50万人を宮廷慰安婦として献上した。
 逃げ帰ってきた女性は、庇い助ける事せず、親子の情を捨てて「還郷女(ファーニャンニョン)=体を売った汚れた女」と軽蔑し差別した。
 儒教は、女性を人間とは認めていない。
 家族から見放された女性の中には、還郷女と侮蔑され恥辱に耐えられなくなって自殺した。
 人間以下と見下している女性を慰め癒そうという心は、男尊女卑の朝鮮に存在しなかった。
 朝鮮の儒教は、「先知後行」の朱子学で、「知行合一」の陽明学や仏教や実学などを徹底的に弾圧していた。
 仁宗の第二王子(後の孝宗)の守り役であった宋時烈は、清国への抵抗として明国の遺臣であると称し、明皇帝の霊を祭る廟を建立した。
 正統派儒教を信ずる朝鮮人は、満州族の清国は蛮族と見下し、自分達こそ漢族の正統な子孫であるとして、家譜を改竄して孔子老子などの中国人の末裔と称した。
 朝鮮人も中国人同様に、歴史を事実そのままで事実としてとらえる事はせず、都合の悪い事は切り捨て、利益につながる事をのみを利用し、無ければ強引に創作していた。
 朝鮮国王は、清国皇帝の使者を宮城の外に設けられた「迎恩門」に出迎え、臣下として「三跪九叩頭」の最高の礼をもって接した。
 「慕華館」では、朝鮮の王太子・王妃及び王族は給仕の様に使節に酒を注いでまわった。夜には、使節の寝室に宮廷慰安婦を送って機嫌をとった。
 朝鮮は、こうした行為をさせてもらえる事は清国の恩徳であるとして、恩徳を永久に忘れない為に「頌徳碑」を建てた。
 人質として、王太子や王族を含む数百人と民衆50万人以上を北方に送り出した。
 清国は、満州族の故地が中国化しない為に、漢族の満州とモンゴルへの移住を禁止した。
 中国の歴史では、北方民族は武力で侵略を行って版図を広めたが、漢族は移住という浸透で領土を拡大した。
 中国は、例外なく占領地で吸収政策を断行し、反中国派の弾圧と民族浄化の同化を冷酷に行ってきた。だが、朝鮮だけは中国化を許さなかった。
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 歴代の中華帝国は、朝鮮国王の待遇を、一国の国家元首ではなく自国の兵部尚書(国防大臣)程度にあしらっていた。
 中華帝国では、文官を最上位とする儒教的組織形態から武官の地位は低く、軍人は才能がない野蛮人がなる卑しい職業として軽蔑されていた。
 中華皇帝は天子として黄色い服を着たが、朝鮮国王は臣下として忠誠を示す為に赤い服を着ていた。
 儒教に於いては、赤い服は臣下の証とされている。
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 李氏朝鮮は、清国から要求された女性を貢女にする為に、娘が生まれたら隠さず報告するように命じ、娘の存在が発覚すれば厳罰に処すると通達した。
 だが。カネの或る資産家は、役人に賄賂を送って隠し、社会的位置を得る為に高官に献上した。
 時代は、女性の人権を一切認めない男尊女卑の儒教社会であった。
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 琉球国王は、清国皇帝の勅使に、屈辱的な3跪9叩頭の礼をとった。
 属国として、土下座し、頭を地面にこすりつけて忠誠を誓った。
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 清国皇帝は、琉球王国の使者が籠に乗って宮城に入る事を許し、朝賀の式に紅衣を羽織る事を認めた。
 朝鮮王国の使者は、屈辱的待遇として、丸首で黒い黒團領を着て歩いて入城する事を命じられていた。
 日本は、化外部の互市関係国として朝貢国の下位国とされ、教養なき野蛮国と軽蔑されていた。
 朝鮮は、清国朝廷の地位があまりにも低く見られていた分、その僻み根性から日本を貶しに貶して慰めていた。





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