☰56〕─3─朝鮮人義兵は、ロシア軍に協力するべく朝鮮半島で暴動を起こし、日本軍の補給を妨害した。竹島問題の発生。明治38年~No.167 No.168No.169 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 マキャベリ「決断力のない君主は中立に避難して滅びる。近隣2強国が戦う場合、中立した国は、戦後両国の憎しみを受け、戦勝国の餌食となる」
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 小林秀雄「戦は好戦派といふ様な人間が居るから起きるのでなく。人生がもともと戦だからおきるのである」(『戦争と平和』)
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 グレゴリー・ヘンダーソン「深刻化して行く朝鮮の無力化に乗じて繰り広げられた、1844年から1904年に至る外国勢力によるシーソーゲームの中で、改革を志す朝鮮人は、清朝中国は最も反動的であり、帝国ロシアの反動ぶりも似たり寄ったりで、アメリカは朝鮮に無関心で、韓国政府は無能であると感じていた。ひとり日本のみが、積極的に明治の改革を推進しており、彼等に大いに訴えるところがあった。日本からは朝鮮に数千人の移住者があり、有効な市場網を張り巡らせ、最も活動的な顧問団を送り、そして何より軍隊を駐留させていた。この大部分の改革者は日本を当てにしていたにであり、日本もまた全般的に彼等を支援したのであった」
 諸外国は、朝鮮がどれだけ日本に痛め付けられてい様とも、政府が塗炭の苦しみにある民衆の救済をせずに汚職と横領で腐敗堕落し、両班などの支配階級が利権に塗れて横領と搾取を繰り返して私腹を肥やし、賢者といわれた高度な教養を持つ知識層は国難を顧みずに私利私欲の党派抗争に明け暮れ、大陸国家の軍事力を当てにして自力で更生できない、国家の体をなさない弱小国朝鮮を救う気はなかった。
 つまり、如何に正論を持ってまともな事をいったところで、自国を独力で戦争を起こしまで守ろうとしない国家や国民は信用できないとして、自立心なき屁理屈国家を守る為に自国民を犠牲にする気はなかったのである。
 国際社会は、日韓併合が非合法であろうとも、事大主義で大陸国の軍事力を利用して対日戦を誘発しようとする朝鮮を見捨てた。 
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 日露戦争は、「異教徒のアジア人でも、キリスト教の白人に勝てる」事を証明した、世界史的人類史的な世界戦争であった。
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 ロシア帝国大蔵省は、朝鮮の実情を調査し、『韓国誌』で朝鮮人犯罪者が朝鮮人女性を親元から買ったり誘拐したりして集めて奴隷として売っていると報告した。
 朝鮮には、奴隷制度が存在すると。
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 陸羯南は、主宰する新聞日本に「支那朝鮮論」を掲載した。
 『支那朝鮮の政府』「支那政府及び朝鮮政府といふ、所謂る政府は君主一族と文武官吏と貴族とを包含す。文明国の政府とは性質全く異なる。他の諸邦には政府と人民の間に中等種族といふものあるも、此等の邦には唯だ政府と人民あるのみ」
 特に。朝鮮は、支配する王侯や両班と支配される人民と差は雲泥のひらきがあり、支配する者は仕事をせず煌びやで贅沢な生活をし、支配される者は地獄の様な悲惨な生活を強いられていた。
 王侯や両班は、血で血を洗う権力闘争や党派抗争を繰り返し、高い地位を得る為に相手を貶める為にある事ない事を捏造して告げ口を行っていた。
 人民は、生き残る為に、嘘を吐き、盗みをし、金持ちの親族や友人に金をたかり、バレそうになったら、大声で喚き散らし、半狂乱となって暴れた。
 こうした中から、朝鮮の文化と民族の性格が生まれた。
 日本人と朝鮮人とは、正反対で、似ている所は姿形のみであとはない。
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 1905年 この年。中部日本から東北にかけて冷害が襲い、凶作となって食糧不足となり、兵糧の確保が困難となった。
 東北は、1905年と06年の2年連続して障害型冷害に襲われ、大凶作となり農家の収入は激減した。
 日本の零細農家や小作人は、戦争の為の重税に喘ぎ、飲まず食わずの極貧生活から逃れる為に、ハワイや南北アメリカ大陸に移住して行った。
 アメリカの白人地主は、キリスト教的人種差別から、日本人を「黄色いサル」「薄汚い野蛮人」「絶対神に見捨てられた非文明人」と軽蔑した。
 白人キリスト教徒は、非白人の日本人を、絶対神に愛される人と認めず、家畜と同類の奴隷として扱い、悲惨な環境で過酷な重労働を課していた。
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 ロンドン・ロスチャイルド家は、アメリカのユダヤ人国際金融家を通じて巨額の戦費を引き受け、資源の無い軍事費の少ない小国日本の戦争を支えた。
 ユダヤ人の成功の智慧とは、転んでもタダでは起きない、結果をもたらさない事業には投資はしない、負けるとわかっている相手に融資しない、という事である。
 ユダヤ商法とは、ベニスの商人シャイロックの様に人間的情を捨てた利益優先の超現実主義である。
 一銭の利益も上げない「同情」に大金を貸し出す事は、ドブに金を捨てるが如く愚かな行為としていた。
 ユダヤ民族が、日本民族の様に損をしても情義を優先する情理の民族であったり、損をしても約束を守る絶対的遵法思想を持っていたら、とうの昔に消滅していた。
 ユダヤ人の多くが、ユダヤ人弾圧を行うロシア帝国への復讐から、日本の勝利に協力したわけではない。
 むしろ、根っからの親日ユダヤ人は、ほんのわずかな少数派に過ぎなかった。
 もし、日本が負ければ。
 ユダヤ系国際金融資本は、投資した金額に見合った以上の資産を日本からむしり取り、資産価値をなくした日本を植民地にさせる為に欧米列強に分け与えた事であろう。
 それが、2000年以上の差別と弾圧の時を生き残り、成功を収め富を独占したユダヤ人の智慧である。
 当然。国教はキリスト教とされて、他の植民地同様に神道・仏教・土着の宗教的風習などの民族宗教は廃止された。
 資本力の乏しい軍事小国日本は、兵員や武器弾薬の補充もままならなかったが、亡びない為に総力戦で戦った。
 有り余る資本力を持つ軍事大国ロシア帝国は、兵員や武器弾薬の補充を切らさず、勝利を確信し余裕を持って戦っていた。
 ロシア軍は、大攻勢に出て、日本軍を満州から追い落とす為に32万人の大軍を奉天に集結させた。
 日本軍は、全兵力である25万人を奉天会戦の為に配置した。
 両軍の兵力差と兵器装備および軍需物資から、誰が見てもロシア軍の勝利を確信していた。
 高宗や親露派は、日本の支配から朝鮮を解放する為に、本心を隠しながらロシア軍の大勝利を願っていた。
 反日義兵団はもちろん清国軍も、日本軍の後方で、固唾を呑んで戦闘の結果を見守っていた。
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 満州人は、ロシア軍の支配下で人間以下の扱いをされ、物や馬は盗まれ、女性は強姦され、抵抗すると殴る蹴るの暴力を振るわれそして殺害されていた。
 日本軍は、満州人を味方に付ける為に、領土的野心がない事を示し、満州人を保護し、奪われた物を返し、怪我した者は治療し、殺された者は手厚く葬り、治安を回復し、安心して生活できるように道路や用水路や田畑を作る手伝いをした。
 旅順では、乃木希典大将の人格を尊敬して感謝の碑文を刻んだ石碑を建立した。
 諸外国の観戦武官と従軍記者達が、日本軍と共に満州各地を移動していた。
 イギリスは、日本の強さの源は「教育勅語」にあるとして、菊池大麗博士に講演を依頼した。
 ドイツ帝国のウィルヘルム2世は、ドイツ軍に対して「日本軍隊の精神を見習え」と訓話した。
 白人キリスト教列強の植民地となっていたアジア・アフリカの人民に、「日本の勝利」は自主独立への勇気を与えた。
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 1月 ワシントンの高平在米日本公使は、セオドア・ルーズベルト大統領に、朝鮮半島に於ける日本の特殊的立場を説明し、東アジアの平和と発展には日本が大韓帝国を保護、監督、指導する必要があると力説した。
 セオドア・ルーズベルト大統領は、日本側の説明を了解した。
 ロシア帝国の首都ペテルブルグで、血の日曜日事件が発生した。
 日本軍部は、ロシア帝国内での革命を支援する為に、反体制派に活動資金を提供していた。
 反体制派ロシア人は、敬意を持って、明治天皇を虐げられた人民の味方であるとして讃えた。
 ロシア軍の侵略を受けている諸外国やロシア帝国の領土として併呑されて諸地域は、他国からの援軍を得られず一国で善戦している弱小国・日本に声援を送り、国家崩壊を起こさず悪戦苦闘している明治天皇を理想的指導者と尊敬した。
 世界の最果ての地にある日本は、少数の反日派に包囲されていたが、その外には多くの親日派が存在していた。
 日本は、抑圧された民衆にとって希望の星であり、尊敬すべき憧れの国であった。
 1月1日 日本軍は、夥しい犠牲者を出しながら旅順要塞を陥落させた。
 ウィルヘルム2世は、ロシア帝国を利用して華北進出を考えていたが、ロシア軍の敗北続きで日本支持に回った。
 フランスは、劣勢な日本軍が連戦連勝を続けると、仏領インドシナ民族主義者に勇気を与え独立運動を活発化させるとして、ロシア帝国支持を強めた。
 ル・タン紙「日本は機会があれば、仏領インドシナからフランスを駆逐する計画があった」
 アメリカも、日本が勝ちすぎると植民地フィリピンの安全が脅かされるとして警戒した。
 ニューヨーク・ヘラルド紙「日本が強すぎ、さらにフィリピンに野心を抱いているからだ」
 日本軍の勝利は、キリスト教諸国による国際社会で孤立を招いた。
 セオドア・ルーズベルトは、日本が勝ちすぎる事に警戒感を抱き、金子堅太郎や高平小五郎公使に然るべき時期が来たら講和の斡旋を行うと申し込んだ。
 イギリスとアメリカは、ロシア帝国が海洋に進出してさらに南下する事を恐れ、日本海軍に世界最強といわれたバルチック艦隊の殲滅を期待した。
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 竹島問題の発生
 1月28日 日本政府は、竹島の領有を宣言し、松島を正式に竹島と呼称して、島根県隠岐町の一部に加えた。
 大韓帝国には、外交権が存在していた。
 申請していた隠岐の中井養三郎に、アシカ漁業を許可した。
 朝鮮政府は、竹島を日本領とする事には反対しなかった。
 日本海軍にとって、竹島は日本防衛の要の一つであった。
 反日朝鮮人は、宿敵日本を滅ぼす為ならば、ロシア帝国でも、悪魔でも、手を握った。
 親露派朝鮮人の暗躍は、日本の安全を脅かしていた。
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 3月1日〜10日 日本軍は全ての面で劣勢であったが、全滅覚悟で突撃し、多くの犠牲者を出しながらロシア軍を破って奉天を占領した。
 絶対有利にあったロシア軍は、死を恐れない日本軍の猛攻撃にあって総退却した。
 だが、日本軍の戦闘能力は尽き、白兵戦を指揮していた優秀な将校の多くが戦死し、大量に消耗した兵士の補充も期待できなかった。
 親露派は、日本軍が勝利するかもしれないという不安感から、かたちだけでも日本軍に協力している素振りを見せ始めた。だが、それは「敵を欺く為には、まず味方から」という中国的謀略術にすぎなかった。
 ロシア軍は、戦局を挽回する為に大量の兵員と軍需物資を極東に送り込み、日本軍殲滅の大反攻を計画していた。
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 フィンランドポーランドスウェーデン、トルコなどロシア帝国周辺では、日本軍がロシア軍を撃退する報道がされる度に、大歓声を上げて明治天皇と軍国日本を称えた。
 フィンランドのマンネルハイム元帥ら民族主義者は、ロシア帝国に対して独立戦争を開始した。
 ポーランドでも、民族運動が盛り上がった。
 日本の勝利は、彼らに勇気を与えた。
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 5月27日 日本海海戦東郷平八郎(下級武士、東郷神社)司令長官指揮の連合艦隊は、世界最強といわれたバルチック艦隊を撃滅した。
 ロシア帝国は、イギリスが中立を宣言しながら日本寄りの行動を取った為に、バルチック艦隊が全滅したとして激怒した。
 ロンドンの大韓公使は、イギリスが日本寄りの行動を取り、朝鮮における日本の不法行為を黙認し、独立国大韓帝国の権利を危うくさせていると抗議していた。
 日本海軍も、作戦勝ちで大勝利を得たが、砲弾の多くを使い果たしていた。
 日本の工業生産では、如何にフル操業しても必要な補充は不可能であった。
 政府は、相次ぐ大勝利で浮かれている国民に事実が知れ渡らない様に報道規制を引いた。国民は、つんぼ桟敷におかれ、さらなる攻勢を求めた。
 満州軍総司令部総参謀長児玉源太郎大将(下級武士、児玉神社)は、これ以上の戦闘は不可能であるとして、実情を国民に伏せながら、政府に速やかに講和交渉に入る様に圧力をかけた。
 仏印から民族主義者の潘佩珠は、ロシア軍を撃破する日本軍の実力を見込み来日した。潘佩珠は、日本に朝貢して臣下の礼を取る代わりに、日本軍の力でベトナムをフランスの植民地から解放してくれるように、日本政府要人や軍首脳部の間を懇願して廻った。
 犬養毅らは、祖国の尊厳と民族の自由を勝ち取る為には、清国・中国以来の大国依存の属国根性を捨て、自ら武器をとり、尊い犠牲を払いながら血と汗で勝ち取るべきであると説得した。
 犬養毅「国家の自由、独立というのは、国民が自らの手で戦い取っていくものだ」
 潘佩珠は、日本側の説得で日本軍の支援を断念し、自力で独立を勝ち取る為に帰国して、自国民を啓蒙する為に東遊運動を始めた。有能なベトナム人青年を独立の戦士にすべく、日本に留学させた。
 日本も、アジアの青年の留学を受け入れ、アジア全体の文化度を上げる為に高度な教育と最新の技術を教えた。
 フランスは、日英同盟に警戒してドイツ帝国同様に、ロシア帝国への肩入れを控えた。それ以上に、ロシア軍の敗走が植民地支配に悪影響が出る事を恐れた。ロシア海軍バルチック艦隊や東洋艦隊が壊滅して制海権をなくした以上、日本軍の総攻撃でウラジオストク軍港も陥落しては白人による植民地支配の崩壊につながるとして、ロシア皇帝に講和を勧めた。
 児玉源太郎「あと一年戦えば、25万将兵と15億円の戦費がいる」
 イギリスは、バルチック艦隊の殲滅でロシア海軍は衰退し脅威はなくなったとして、対ドイツ包囲網を強化するべく水面下でロシア帝国との関係改善に乗り出した。
 レピュブリック・フランセーズ紙「日本の勝利は太平洋に大海軍国が出現した事を意味し、今後は列強の同盟関係に変動が生ずるであろう。英米の憂慮するところであるが、フランスは以前から日本の勝利に焦慮しており、今後フランスは日本勢力の増加に関心を抱いている国々と共同せざるを得なくなるであろう。フランスのアジアにおける利益を維持する為に、対策を講ずるべきである」
 ニューヨーク・ヘラルド紙「日本が強すぎ、さらにフィリピンに野心を抱いているからである」
 ウイルヘルム2世は、日本軍の連戦連勝に驚き、アジアでの植民地を拡大するべく、持論の黄禍論を引っ込めて日本との関係改善に乗り出した。かってニコライ2世に対日戦を煽っていた張本人であるにも関わらず、今度は戦争終結の為にセオドア・ルーズベルトに講和成立の依頼した。
 セオドア・ルーズベルトは、日本の大陸進出を朝鮮に留め、ロシア帝国の勢力を北満州に押し上げ、緩衝地帯として残された南満州を獲得する為に、両国に対して講和会議を提案した。
 セオドア・ルーズベルト「日本が朝鮮を支配し、旅順及び大連を保有し、ハルピン及び奉天及び旅順間の鉄道を管理し、満州を門戸開放の保障下に中国に還付する限り、日本の講和条件を支持する。但し、賠償金や領土問題については、如何なる方法においても言質を与える事したくない」(タフト陸軍長官に語る)
 ヘンリー・ロッジ上院議員「日本は今や旅順及び朝鮮を保有し、満州を支配している。余は日本の要望をなるべく軽減する事が、日本の利益になると思う。……ロシアの敗北は文明に対する一大打撃であったと同時に、第三国から見れば日露両国が相互に対峙する事、相互に牽制し合う事が最上策であり、ロシアが崩壊する事は不幸である」
 ユダヤ系報道機関は、日本が大陸に領土を拡大させて国力を付ける事を警戒し、日本の国力を押さえ込む為に反日キャンペーンを始めた。
 アメリカの上流階級は、南北戦争などでロシア帝国から受けた恩義に報いるべきであるとして、ロシア帝国擁護を政府に要請した。そして、日本の力を削減しなければ自治領フィリピンや太平洋地域の安全が保てないと憂慮した。
 5月31日 日本軍は、朝鮮内の親露派がロシア軍の大反撃を支援する恐れがあるとして、政府に対して敵対行動を封じ込めるように依頼した。
 日本は、朝鮮が、親日派として自主独立を維持し、アジアの平和と安定に協力してくれる事を切望していた。
 日本政府は、
 1,戦時平時に関係なく日本軍を駐屯させる、
 2,敵国への内通を防止する為に外交を監督する、
 3,政情安定と国民保護の為に財政を監督する、
 4,経済発展と国防の為に交通・輸送機関掌握する、
 等の対韓基本方針を策定した。
 伊藤博文は、特使として渡韓し、郄宗皇帝と直接会談して、韓国の保護国化と引き換えに「韓皇安寧確保」を確約した。
 大韓皇室は天皇皇室よりも上位にあると確信する反日派は、日本の風下に立たされたとして激怒した。
 日本との提携を進める親日派は、日本軍の勝利を大韓帝国の独立と繁栄の為に利用すべきであとして歓迎した。
 高宗は、親日派の方が勢いがあるとして、表面的に内政改革に日本の支援を希望していると述べた。
 伊藤博文は、高宗の国を想う言葉を額面通りに信じ、内政改革に協力する事を確約した。
 日本の合邦賛成派は、朝鮮人を信用しなかった為に、反日的な高宗の口車に乗って大韓帝国の諸改革を支援する事は、日本の安全を脅かす恐れがあるとして警戒した。
 伊藤博文は、明治天皇の許可を得て、合邦賛成派を説得し、財政と外交に顧問を派遣するなどの件を決定させた。
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 2018年7月31日 産経ニュース「【軍事ワールド】【海難・水難事故】沈没ロシア軍艦は「宝の船」か 韓国で発見めぐり大騒動に
 韓国・鬱陵島沖の海底で発見したと発表されたロシア海軍巡洋艦「ドミトリー・ドンスコイ」(共同)
 日露戦争の雌雄を決した日本海海戦(1905年)で自沈したロシア戦艦「ドミトリー・ドンスコイ」を韓国の新興企業「シンイル・グループ」が発見したとのニュースが今月中旬に流れた。シンイル・グループは同船に約15兆円相当の金塊が積まれていたとし、「お宝」の引き上げにも言及したが、韓国内でお宝の所有権や引き上げ資金の集め方をめぐり大騒動に発展。「詐欺ではないか」との疑惑も噴出している。(岡田敏彦)
 沈没戦艦の探索
 ドミトリー・ドンスコイは1883年に進水、3年後に就役した装甲艦。日露戦争時にはバルチック艦隊に所属し、ロシア本国から半年かけて日本海へ投入された。他艦が次々と沈没するなか奮闘し、最後は日本の降伏勧告も受け入れることなく鬱陵(ウルルン)島付近で自沈した。
 それから113年たった今年7月17日、韓国のシンイル・グループがドミトリー・ドンスコイを発見したと発表した。ロイター通信やAFP通信によると、同社は「『宝船』とされるロシアの軍艦を発見したと発表」。水深約425メートルの海底でみつけたというもので、キリル文字でドミトリー・ドンスコイの艦名が記されたプレートがはめられた沈没船の写真も発表し「世界で唯一の発見者」だと主張した。またCNNなどに対してシンイル・グループは「当局に届け出たうえで海上にひきあげる」との方針を示した。
 沈没した軍艦の探査、発見は近年、マイクロソフト共同設立者のポール・アレン氏がフィリピン沖で第二次大戦時の戦艦「武蔵」を発見するなど大きな注目を浴びている。海外でもドイツ潜水艦「Uボート」の沈没位置の特定などがダイバーたちによってなされてきた。そこには当時を生きた人々への追悼や、歴史の謎を解き明かす夢とロマンがあった。そしてこのドミトリー・ドンスコイ探索にもあるはずだった。」
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